「今日のコラム」(2019年 3月分)

3月1日(金) <早朝からテニスに行くためのウォ−ミングアップ・・・>
早朝からテニスに行くためのウォ−ミングアップまでやったけれども、本降りの雨が止まない。7時には今日のテニスを休むことを決断して他の生活モードに切り替えた。午後には天候が激変し晴れ間も見える。この機会にと以前から「新・北斎展」を見たいと思っていたので妻と六本木ヒルズの森美術館へ向かった。ところがエレベーターで美術館へ行こうとすると、”今は入場するのに90分ほど待ちます”と案内係がいう。即座に美術館行きを中止して予定を変更。久しぶりの六本木ヒルズで毛利庭園を眺めた後、六本木ミッドタウンへ歩いて移動した。ところが、ミッドタウンで展覧会を見ようとした「21_21 DESIGN SIGHT」がまたまた今は休館中(ミッドタウンのサントリー美術館には2月中旬に行ったばかり=河鍋暁斎展=なので入場せず)。これほどまでに"ハズレ”が続いたのは珍しいが、テニスを休んだ代わりの運動と考えて、歩いただけでも目的は達したことにした。

2019-03-01 六本木ヒルズ・毛利庭園   右はミッドタウンの 21_21 DESIGN SIGHT


3月2日(土) <午前中は陶芸教室で素焼き・・・>
午前中は陶芸教室で素焼き作品の一部修正と釉薬かけ。その後、妻と待ち合わせて自由が丘のインドカレー屋さんで昼食とした。それから花を買い、九品仏のお寺まで歩く。そう、今日2日は息子の月命日。お寺の境内やお墓の地区でも一ヶ月後には桜が咲き誇るはずであるが、今日は気配の色もない。梅の花が咲いているが、むしろ密やかにみえる。墓参の後、家まで時間をかけて歩いて帰った。「紅梅は語り白梅聴いてゐる(岩岡中正)」という句を見つけた。何か意味深長。言われてみるとそうかも知れない・・。
 
20103-02 九品仏浄真寺(東京・世田谷)境内にて
3月3日(日) <二十四節気では・・・>
二十四節気では間もなく三月六日頃が啓蟄(けいちつ)。次が春分だからもうすぐ春だ。啓蟄の「啓」は拝啓の啓で「開く」の意、「蟄」は「虫が土の中に閉じこもる」意で、啓蟄は文字通り、「冬眠をしていた虫が穴から出て来る」時期であろう。それにしても「ケイチツ」で漢字が思い浮かばなかった。「蟄」が書けない。”虫が丸まって幸せそうに寝ている”と改めて覚えたがいつまで記憶していることやら。・・今日の日曜日は終日の雨(@東京)。昨日の天気予報では東京マラソンのスタートする9時頃から数時間はまだ曇りの予報であったが見事に外れて早朝から降り始めていた。予報では明日もまだ降り続くとのことで、明日のテニスは諦めだ。「啓蟄の地の面漏らして雨一日 (稲畑汀子)」。
3月4日(月) <表紙に「mieuへの絵手紙・雛人形」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙・雛人形」(ペンと水彩)を掲載した。本当は昨日、3月3日の雛祭り(桃の節句)に掲載すれば良かった。この雛人形を描く前に、山口県の伝統工芸品である「大内人形」という小型で丸みを帯びた木製の雛人形を描こうとした。ところが、よく見ているうちに、”アレ〜、この人形は以前描いたことがある”と気がついて調べると、14年も前、2005年の絵手紙で描いていた(2005年2月の絵手紙=ここ=参照)。今回改めて描いたのは「寿寿喜雛=鈴木賢一作」という本格雛。確か、娘(Mieuの母)が生まれた時に母が買ってくれたものか。考えてみると私たちが子どもの頃には姉も含めて雛人形などとは無縁だった。母は終戦直後に5人の子育てをしながら人形どころでなく苦労しただろうと今になって思う。絵手紙の宛先になる孫娘mieuはもう18歳になった。今年の9月からアメリカ・ボストンで大学生活を送る。絵手紙の雛人形は直にニューヨークに飛んでいく。本物の雛人形もこれから先、どこへ移っていくか何とも分からない・・。

3月5日(火) <久しぶりに白金台にある畠山記念館・・・>
久しぶりに白金台にある畠山記念館に行った。畠山記念館はポンプなどの大手メーカーである(株)荏原製作所の創業者・畠山一清(1881~1971)が技術者・経営者としてのかたわら、茶の湯に親しみながら蒐集した多くの美術品をベースにして、所蔵した蒐集品や茶室が一般公開されている茶の湯の美術館。数年前には何度か訪れたことがあるが今の家に転居した後は一度も行く機会がなかった。今開催中の展覧会は「光悦と光琳ー琳派の美ー」。一昨日のNHKのTV日曜美術館で紹介されたせいか今日は随分と混雑していた(私もこのテレビを見て展覧会を知った)。琳派の祖とされる本阿弥光悦(1558~1637)と丁度100年後に生まれた尾形光琳(1658~1716)を比べながら100年の時代の差は何かを思う。一方で光琳の弟・尾形乾山(1663~1743) の陶芸皿や俵屋宗達と本阿弥光悦との合作なども興味深かった。・・帰途、あるいて白金の自然教育園に寄る。ここも数年振り。以前は自転車で頻繁に通ったことを思い出す。この自然教育園は室町時代には白金長者の屋敷があったと伝えられ、その屋敷の面影を残した土塁があるほどに大昔から変化していない場所だ。5年、10年前に親しんだ姿と全く変わらずに出会えるこのような場所はまたホッとする・・。
 
2019-03-05畠山記念館の入口  右は庭園
 
自然教育園にて、右も同様
3月6日(水) <身体の不調について・・・>
身体の不調については出来るだけこのコラムに書かないことにしている。書いたところで良くはならないし愚痴を言ってもしようがない。けれども今日は”過去形”として書いてみよう。実はこの数日、右の腰に違和感を覚えて苦労した。特に腰痛というほど痛くはないが、仰向けになって寝ると違和感で睡眠できない。横向きになって就寝しても夜中に何度も目が覚める。毎日のテレビ体操の時間には当たり前でやっていた姿勢や動きがスムースにできない。ただ立っているだけの立ちパソコンの時間でも腰を抑える。風呂に入ると心地よくなるが時間が経つと元に戻る。・・考えてみると、この間、雨続きであったこともあり一度もテニスには行っていなかった。今日、一週間振りのテニスに行くに付けて、早朝からかなり念入りにウォ−ミングアップをした。特に円筒型の道具で腰をほぐした後、四股踏みや右脚の蹴り上げをやると動きが良くなることを実感した。腰のことを全く気にすることなくテニスを3時間。その後の歩きでも違和感がない。未だ完治したとは言い難いが、まともに身体が動くだけでも有難いことと気付かせてくれる。何よりの予防策は緊張感をもった適度の運動とみた・・。
3月7日(木) <寺田寅彦全集を久しぶりに・・・>
寺田寅彦全集を久しぶりに取り出して読んだ。この全集は私が高校生の頃に母方の祖父からいただいたもの。祖父からの唯一の形見として大切にしている。祖父は寺田寅彦とも親交のあった気象学や水資源学の学者であった。寺田寅彦(1878~1935)というと「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉を残した自然科学者として知られているが、第五高等学校から続いて東京帝大の物理学科に入学後も夏目漱石や正岡子規らと非常に親しく、俳句や随筆など物理・科学以外の分野でも造詣が深かった。今日は全集の最終、第十六巻・雑編を拾い読みした。例えば、昭和5年の「伊豆地震ー直後調査ー」(談話)、昭和7年の「山火事の警戒は不連続線」(談話)など80年昔ではなく現在でも通用しそうな見解が並ぶ。米国、カルフォルニア州では森林火災と気象状態との関係について研究がなされているが、日本でもこれを進めるべきとの文章があったが、現代のカルフォルニアの山火事をみると何とコメントされるのだろう。”忘れた頃に来る”とされた天災が、今では来るぞ来るぞと言われて待ち続ける状況となった。天災は決してなくならないが、先人の地道な研究が被害を最小限にしていることを忘れないようにしよう。
3月8日(金) <”乳酸菌100億個を配合した”・・・>
”乳酸菌100億個を配合した”と派手にテレビのコマーシャルが流れる(青汁の宣伝)。100億というとんでもない数値をだして訳が分からないけれど一瞬引きつける効果を狙ったものと見え見えだ。菌類とか細胞の数は人間が普段数える数値と全く別のレベルとなる。例えば、人間の腸内細菌の数は100兆~1000兆と言われる。健康な人が排出する便には1グラム当り、乳酸菌が1000万~1億個、ビフィズス菌が100~1000億個含まれるとか。 また、人間の身体は約60兆個の細胞からできており、一日に死ぬ細胞の数は3000〜4000億個とされる。新陳代謝として死んだ数だけの細胞は分裂再生して補われる。皮膚は28日周期で新しい細胞に入れ替わり、肝臓の細胞は約一年で全て新しい細胞に代わる。一方で人間の脳全体の細胞は約1000億個あり、一日に約10万個の細胞が死滅するが、こちらの細胞は再生しない。”たかが”100億個の乳酸菌を大袈裟に言うなと、コマーシャルを見る度に思ってしまう・・。
3月9日(土) <今日は午前中、腰回りの治療院・・・>
今日は午前中、腰回りの治療院に行った。妻が何度か通っている治療院で私は初体験。10〜20年ほど前に一度他の場所で足腰のマッサージを専門家にしてもらったことがあるが、人生でマッサージを受けたのはそれが全て。今日の一時間ほどのマッサージは心地よく完治したと思うほどに気分よくなって帰途についた。さすがに専門家はうまいものだ・・。ところが午後陶芸教室での作陶のため歩いて移動する際に以前の腰回りの異常とは別の足の違和感を覚えるようになった。足腰全体に手を加えているから予測された”揺り戻し”であろうが、人の身体のデリケートなところを体験していることになる。今回の腰の不調は自分でもスクワットや他の”もみほぐし”など出来る限りのことはやってみたが、正に一進一退。直したと思うとまたぶり返しの連続だった。専門の治療師さんでも一度で完治はできないものらしい。こうなれば以前の体力維持ではなく体力向上を目指さなければならない・・。
3月10日(日) <本棚の奥から岩波文庫の「ヒルテイー著・幸福論」を・・・>
本棚の奥から岩波文庫の「ヒルテイー著・幸福論」を取り出して懐かしく目を通した。著者のヒルテイー(1833~1909)はスイスの文筆家。ヒルテイーが幸福論(全3巻)をあらわしたのは1891~1899で、岩波文庫の翻訳本が初めて出たのが1935年(昭和10年)。私は今から60年ほど前の学生時代に幸福論(翻訳33刷)を読んだ覚えがある。今はもう絶版になっているかと思ってインターネットで調べると、今でもアマゾンや楽天でいくらでも販売されていることを知った。「幸福論」はこれからも読み継がれる古典と言っていいだろう。目次を抜粋してみると、「仕事の上手な仕方」、「どうしたら策略なしに常に悪と常に戦いながら世を渡ることが出来るか」、「良い習慣」、「時間の作り方」、「幸福」、「人間とはどこから来てどこへ行くのか」・・という調子。現代の文筆家や学者の場合、口先だけの批評家の文章に見えるものが多いが、ヒルテイーの場合実行者の言葉と思えるのは古典の力なのだろうか。現代でも若い人に一読を勧めたい・・。
3月11日(月) <先週、エストニアで総選挙が・・・>
先週、エストニアで総選挙が行われた。エストニアはバルト海の東岸・フィンランドの南に並ぶバルト三国=エストニア・ラトビア・リトアニアの一つ。日本では余り報じられていないが同国出身で日本の大相撲で活躍した元大関把瑠都も選挙に立候補していたが落選してしまった。バルト三国の中でも私はエストニアに特別の親しみがある。エンジニア時代にアメリカで技術を学んだ相手がエストニア出身でアメリカに亡命した人だった。第二次世界大戦末期にエストニアはソ連軍に占領されてしまい、当時はソヴィエト連邦に併合されていたので、技術者だった彼はヨーロッパに行くときも決してソ連の領土を通過しないと話していた。ソ連邦が崩壊してエストニアが独立を回復した時に先ず彼がどれほど喜んだことだろうと思った。エストニアは人口134万人と非常に小さな国であるが文化や技術のレベルは高い。中でも今回の選挙でも注目されたのは世界最先端のIT技術。世界で初めてインターネットを使った電子選挙を行うなど国を挙げて電子政府を構築しているようだ。ちなみに、そのやり方は15歳以上の全国民にIDカードを配布、行政手続きや生活のあらゆる局面でIDカードを使う。IDカードによる本人確認により選挙では海外からでも投票が出来るとか。小さな国でも最先端の試みを躊躇しない気質がすばらしい・・。
3月12日(火) <4月初旬のような暖かな一日・・・>
4月初旬のような暖かな一日。東京の気温は16℃まで上がった。午前中は所用で中目黒と渋谷に出かけたが、午後は3時過ぎにウォ−キングで駒沢公園方面を散歩。途中の住宅街で黄色い花が派手に咲いている大きな樹木が目についた。ギンヨウアカシア(銀葉アカシア・マメ科アカシア属)でミモザとも呼ばれる。ミモザはオジギソウ属の総称とか。確かに葉をみるとオジギソウと同じ形をしているが、アカシアは葉を触ってもオジギソウのように動かない。インターネットでミモザを調べると、ヨーロッパでは春を象徴する色は黄色でミモザは暖かい春が来たことを知らせる幸せの花であるそうだ。こんな句を見つけた:「トロイメライ洩れ来し家の花ミモザ」(稲畑廣太郎)。もう一つ、:「ミモザの黄あふれて庭の狭くなる 」(高垣和恵)。

2019-03-12駒沢公園にて  右はギンヨウアカシア
3月13日(水) <眠れないような腰の違和感・・・>
眠れないような腰の違和感を覚える時でもテニスを始めると腰の痛みを忘れて普通にプレーできることを体験した。身体の不思議というか脳の感覚が鈍くなると痛いことを忘れて身体が動く。朝の6時25分から10分間のNHKテレビ体操の時間前後にスクワットや身体の馴らし運動をする。この際、両手をクロスして真上に挙げて、同時に両足をクロスさせてつま先で立つ(左右の組み方を変えてそれぞれに立つ)運動を毎日やっている。以前はいつも極めて簡単にできたこの”背伸び”が今日もまた出来ないので愕然とした。テレビ体操もふらふらしながらようやくに終える始末。バスを待っている時、電車でつり革につかまっている時、立っているだけで苦しくて座りたくなる。こんな調子でテニスが出来るか心配しながらテニスコートに出てプレーを始めると別世界に入って腰のことなど忘れるのだ。もちろん、ある程度は慎重に身体をほぐしたりするがサーブも、レシーブも、速い球も、遠い球も問題なく対応できるし、球だけに集中していると腰のことなど知ったことではない。午後は妻と待ち合わせて谷中の寺に義兄の墓参りに行ったが、やはり歩いている時にはほとんど腰を気にせずに歩ける。ところが家に帰り、ごろ寝をして休んだりするととたんに腰が不安定で我慢できなくなる。全く甘やかすと付け上がって来るような奇妙な感覚だ。神経は敏感すぎずに適度に鈍い方が良いのでないか。このところ、治療することと鍛えることのバランスを考えさせられている。
2019-03-13 墓参に行った瑞輪寺本堂
3月14日(木) <今日、3月14日は「パイの日」・・・>
今日、3月14日は「パイの日」である。近所のお菓子屋さんの入口に、”3月14日は「パイの日」”と看板を掲げて宣伝していた。もちろん、パイとは円周率π=3.14159・・。初めの三桁を日付に使った。日本では3月14日はまたバレンタインデーのお返しをするホワイトデーとして定められているが、これは日本だけの習慣のようだ。アメリカではホワイトデーはなく、やはり今日は「パイの日」として特別なパイを作って楽しむという。ニューヨークに住む娘の話ではアメリカ・マサチューセッツ州にあるMIT(マサチューセッツ工科大学)の入試の発表が円周率πにちなんで3月14日だという。おまけに発表時刻が6時28分とか。これは3.14の倍数の時刻なのか。もう一つ、相対性理論などで著名な物理学者、かのアインシュタイン(1879~1955)は誕生日が3月14日。3月14日が世界的に共通な数学の日=円周率の日であることは非常に愉快でうれしい・・。
3月15日(金) <昨日、妻に言われて体温計で熱を測る・・・>
昨日、妻に言われて体温計で熱を測ると37度と平熱に対し少し熱があった。この2〜3日、足腰のマッサージをやった後どうしても違和感がとれず、立っているだけでも不自然な感覚だったし、咳も出ていた。これは風邪気味で熱も影響していたのかと、昨日思う存分に休養をとった。昼も布団をかけて横になるといくらでも寝られる。夜は夜でまたいつまでも寝られる。そうすると今朝になって嘘のように体調が良くなった。今日は午前中テニスをやったがテニス以外の時も足腰が痛くなることはなかった。人の身体は本当にデリケートなものだ。病気知らずといい気になり過ぎると熱も出る。人並みの自分の身体を分かっているようで実はあまり的確に把握できていない。どのような食事習慣、生活習慣であるにしても身体の健康に関しては結局”神頼み”と思っておこう・・。
3月16日(土) <土曜日の午前中は陶芸教室・・・>
土曜日の午前中は陶芸教室に行く。教室といっても何かを学ぶというより場所を借りて創作に励むスタイルだ。ところがこのところ創作意欲が停滞している。アイデイアが不足気味で、これぞというテーマが見つからない。今日は以前制作した会心作というべき作品の素焼きが未だ完成しておらず、予定した釉薬がけができないので、半分時間つぶしに小さなカップ(酒器)を二個作った。教室の隣の席では男性が粘土で”香合”を実に楽しそうに作っていた。教室でいいところは他の人から色々と刺激を受けるところだ。みな好みが異なり個性も違うがそれぞれの工夫が面白い。創作意欲も体調と同じく”波”がある。休養し時間が経てばまたやる気がでるかも知れない。何事も先ずは体力造りから、と考える日が続く・・。
3月17日(日) <いま妻の姉夫妻の家から帰ってきた・・・>
いま妻の姉夫妻の家から帰ってきたところで夜の10時近くになってしまった。姉のところに行くと必ず草取りをする。庭のある家はメンテが大変かも知れないが草取りはノルマではなく楽しみと考えると実に良い気分転換になる。今日は姉宅で特別に100号の絵画の枠を作る手助けもやった。展覧会に出す絵画を収めて会場まで発送するとの話であったが、絵を描く作業とは全く無縁の仕事を絵を描く人はやらなければならないようだ。枠に収めた絵画を抑えるための抑え板を合計12枚、ビスを24本使って枠に固定するなど、結構面倒な作業も終えた。帰りが遅くなった理由は、夕食に出前を頼んでくれたのはいいが、届けられるまでに120分以上かかってしまったことによる。日曜日の夕刻に出前を頼むと、2時間かかってもしようがないと後になって気がついた。ともあれ、非日常の動きをしているうちに不安定であった腰まで何か落着いてきた感覚になる。明日からは存分に再始動できそうだ・・。
3月18日(月) <朝、8時5分前頃に渋谷駅で・・・>
朝、8時5分前頃に渋谷駅で地下5階の東横線から地下3階の半蔵門線(田園都市線から乗り入れ)に乗り換える。神奈川県の中央林間から二子玉川経由で渋谷に至る田園都市線はこの時間超満員で渋谷駅に到着するが、ほとんどの人が渋谷で降りて新たにまた我々が乗り込み満員となる。毎回乗客が押しつぶされている状態で到着する地下鉄にはとても乗れないと思うと見事に入れ替わるのである。一駅表参道駅まで行って今度は向かいのホームの銀座線に乗り換える。銀座線は渋谷駅が始発であるがホームが地上2階であるせいだろう、ガラガラで到着する。しかも銀座線の運転間隔は2分。2分間隔の出発ということはどんなタイミングでもほとんど待ち時間がない。かなり多勢の人が表参道駅で銀座線に乗るが素早く乗車できて混乱はない。そして更に神宮外苑駅まで進むことができる。このような今朝のテニスへ通う交通状況が毎日狂うことなく”当たり前”で確保されていることは驚異的だ。ニューヨークの地下鉄など時刻表など全く信用できない話を娘からよく聞く。先週末にはパリのデモに暴徒が便乗してシャンゼリゼ通りのブランド服飾店などが相次いで放火や略奪の被害にあったという報道もある。先日来の体調不良で、自分の身体が当たり前に動くことだけでもどれほど有難いかを感じながら、大都市の交通機能が普通に保たれている見事さを改めて思う。
3月19日(火) <今、伊豆高原(静岡県伊東市)の宿・・・>
今、伊豆高原(静岡県伊東市)の宿にいる。夕やみの中、海のかなたに大島。反対側には大室山がみえる。妻の姉夫妻と一緒のドライブ旅行で運転は妻に任せての気楽な旅だ。大袈裟な観光を目的にする訳でもなく温泉につかる余裕が気に入っている。4月上旬の気候だという暖かさ。明日はどうするか、まだ何も決まっていないところが自由度が大きいということ・・。
 
2019-03-19 ドライブ途中でみた富士山   右が大室山
3月20日(水) <今日も伊豆高原(静岡県伊東市)での一日・・・>
今日も伊豆高原(静岡県伊東市)での一日。4月中旬ような暖かで陽射しがいっぱいの天候に恵まれて久しぶりの伊豆高原を楽しんだ。今日のところも写真掲載でイメージだけを残したい。同行した義姉がたまたま今日が傘寿の誕生日というので豪勢に(?)イタリアンレストランでランチにしたのが写真では残せないトピック。小沢征爾と同年齢の義兄も含めて全員で大室山の頂上に登り、火口を一周したり、城ヶ崎海岸の海側の遊歩道を2km余歩くなど、よく動いた一日でもあった。
 
2-19-03-20 さくらの里から大室山をみる    大室山頂上からみた富士山
 
大室山頂上でみた火口     右は城ヶ崎海岸の絶壁
3月21日(木) <今日は朝9時頃に伊豆高原の宿を出て・・・>
今日は朝9時頃に伊豆高原の宿を出て、帰途、池田20世紀美術館(静岡県伊東市=ここ)と真鶴半島の中川一政美術館(神奈川県真鶴町=ここ)に寄った。両方の美術館とも10年以上前には何度か通ったことがあるが、それ以降は全く訪れたことがない。久しぶりの美術館は故郷の友人に会ったような懐かしさを感じた。中川一政美術館では知らぬ間に以前にはなかった新たな鑑賞をしていた。前には気がつかなかった細かな絵画の内容に改めて触発されることはしばしばあるが、今回は描いた年齢をみてまた別に感動させられたのである。中川一政(1893~1991)は98歳の死の直前まで絵を描き続けた。83歳で描いた絵画のものすごい迫力、97歳に描いた若々しい感性など。年齢を感じさせないパワーには本当に圧倒された。”うまく描く”意識など微塵もない自由さが年齢を超越した力を生むのだろうか・・。
3月22日(金) <野球の大リーグ・マリナーズのイチローがついに引退・・・>
野球の大リーグ・マリナーズのイチローがついに引退した。昨夜東京ドームで行われた大リーグの公式戦の後、夜半12時過ぎから記者会見が開催されて自ら引退を表明したもの。45歳のイチロー、日本で9年、米国で19年、日米通算28年という選手生活。イチローの残した数多くの世界的な記録を見ると、イチローはまさに不世出の大選手。今日は一つの歴史の区切りとなった。・・今日の日中は初夏を思わせる陽気(気温22℃)。テニスは半袖でも大汗をかいた。・・夕刻のイベントにも触れておこう。恵比寿ガーデンプレイスで行われたファッションショー(Designer=コシノヒロコ)をみた。何とこの時期「2019 AUTUM & WINTER COLLECTION」だ。服装にも流行にも全く縁がないが妻と一緒に見たショーは”創作物”として非常に面白かった。特に今回はピアニストの横山幸雄さんが生演奏をする周りをモデルさんたちが歩くスタイル。”ビジュアルと、そこにシンクロし響き合うサウンド”を楽しみながら、ファッションショーもまた進化していることを知った。
2019-03-22  恵比寿ガーデンプレイス会場にて
3月23日(土) <昨日の初夏のような暖かさから一転・・・>
昨日の初夏のような暖かさから一転、肌寒い一日。今日の最高気温は昨日よりもマイナス13℃とか。開花したばかりの桜も花冷えで長持ちするだろう。午前中、陶芸教室で釉薬掛けの作業をした後、続けて墓のある九品仏浄真寺まで歩いて行った。4月早々の息子の命日には墓参する予定であるが、今日のところは彼岸のお墓参り。お寺の境内の桜は一週間後には満開となるであろうが、寒さで開花できず戸惑っている風情の蕾もまた悪くない。お墓の地区に名物の大きな桜の樹があるが今日見ると20cm以上の大きな枝を含めて大胆に枝が切断されていた。この樹木がどのような花を咲かせるのかも次回に訪れた時の見所だ。・・表紙の絵を陶芸作品の「宥座の器」に入れ替えた。この作品については掲載すべきか思案したほどにまだ未完成と思っている。作品の内容についても説明はまた別の機会に書くこととしたい。

 
2019-03-23 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)境内にて
3月24日(日) <最近はワードやエクセルとはほとんど無縁・・・>
最近はワードやエクセルとはほとんど無縁となった。20年ほど昔には仕事や家でも当然のごとくワード・エクセルを活用していたのに・・。家では専らMac専門の私としてはワードはなくても同等の文章造りに苦労はしないし、表計算やグラフを作る必要性もなく過してきた。このところ急に特別な表のまとめやグラフを作る必要が出て、今日、手持ちのMacパソコンに内蔵されている”Numbers”というソフトを開いてみたがなかなか思うようにできない。ソフト自体はかなり複雑ないろいろなケースに対応できるようだが習熟していないので悪戦苦闘する。一方で、今はパソコンにダウンロードできていないが、マイクロソフトログインをとれば、エクセルを無料でダウンロードして使用することもできる。今後どちらを主流に進めるか思案中である。私が毎日愛用するパソコン用ソフトとしてはホームページ作成のDreamweaverや写真加工のPhotoshopであるが、いずれも20年以上使ったキャリアがある一方で新たな進化がない。これを機会にNumbersの活用に挑戦して脳を刺激すべきかも知れない・・。
3月25日(月) <今日は表紙に掲載している「宥座の器」・・・>
今日は表紙に掲載している「宥座の器(ゆうざのき、または、ゆうざのうつわ)」について説明しよう。「宥座の器」は古代中国で桓公の墓にあった器が「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」もので、これが孔子の中庸の教えに通じることから常に身近に置いて慢心・やり過ぎを戒める器として伝わったもの。色々なところに現代の「宥座の器」があるが、全て器を鎖で吊るして重心を移動させるタイプであるので、陶芸で容器に水を入れるだけで傾く構造が出来ないかを試みたものである。私は2004年7月に一度「宥座の器」を制作したことがある(=ここ)が、10数年を経て再度挑戦したことになる。今回の陶芸作品の出来映えについては不本意で更に手を加えるつもりであるが、孔子の中庸つまり”ほどほど”であれという教えは現代でもそのままに十分味わうことが出来るので孔子の言葉を引用しよう;「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心をもち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て」。一方で何もしなければ真直ぐ=中庸=にもならないところにも示唆を受ける。
 
適度に水を入れた状態            入れ過ぎると右のように傾き、やがて倒れる
3月26日(火) <「すぐ死ぬんだから」というタイトル・・・>
「すぐ死ぬんだから」というタイトルの小説を読み終えた。女性で唯一の横綱審議委員にもなった小説家(脚本家)内館牧子さん(70歳)の小説(講談社発行)だ。私は余りこの種の小説は読まないが、妻が買ったので読み始めると最後まで続いてしまった。78歳の女性主人公は”どうせすぐ死ぬんだから”という同年代に反発して外観の若さ、美しさに拘る物語。それはそれで構わないが、読んでいる最中も全てを読み終えた後も、私にとっては元気になるものではなかった。物語とはいえ余りに愚痴や粗探しが多くて嫌になる。小説だからオリコウサンだけでは話にならないにしても夢や理想が見えない。今時は80歳前で外観の若さだけでなく実際にパワーある仕事をしている人はいくらでもいる。そういう現実の人たちに接する方が小説の主人公の話を聞くよりもはるかにパワーを得ることができることが分かった。この際、具体的に名前を出してみよう。篠田桃紅(1913~,105歳現役、書家、画家)、堀文子(今年2月に100歳で没、画家)、草間彌生(1929~,90歳現役画家)、片岡珠子(1905~2008,103歳で没、100歳をこえて絵筆をとった画家)・・。80歳そこそこで、”すぐ死ぬんだから”などと言ってみることが恥ずかしくないか・・。
3月27日(水) <「おはようございます」は誰でもが使う・・・>
「おはようございます」は誰でもが使う挨拶でないようだ。今朝も早朝にテニスに行き、神宮外苑のラクビー場の入口で守衛さんと「おはようございます」の挨拶を交わした。この時この挨拶言葉の体験を思い出す。10年以上前であるが、テニスの昔の仲間と一緒に同じように守衛さんの前を通ることがあったが、仲間の一人は決して「おはようございます」と言わないことに気付いた。いつも「おはよう」であった。我々仲間との挨拶も「おはよう」。若干は私の方が年下であったが、「ございます」を付けた挨拶を聞いたことがなかった。この人は「おはようございます」と部下や周りの人から挨拶されて、「おはよう」と答えていることが直に分かった。確かに昔の殿様が配下に対して「おはようございます」とは言わなかっただろう。テニスでは年齢は関係なく、上下関係もないが、「おはよう」の人は自分より年下の人を「くん」と呼びたがる。「さん」づけしないところがまた独特。その後、彼が「おはようございます」を使わずに一生を過しているのか知らないが、私は、何百回でも「おはようございます」、それと、「ありがとうございます」を繰り返そう・・。
3月28日(木) <春は突然に・・・>
春は突然にやってくる。気がつけば東京の桜が満開。少し出歩くと一週間前とは違って急に華やかな色が辺りに目立つようになった。日本のように四季があることがどれほど素晴らしく、恵まれたことかは地球上の他の国を知らなければ実感できない。桜の咲き方、そして散り方もまた他の花と比べると際立つ。桜が一気に咲き誇り、いさぎよく散るさまを大昔から日本人は詩にしながら愛でてきた。春が来た、春が来た! そして来年も、再来年も、50年後も、100年後も確実に桜咲く春が来る・・。
 
2019-03-28 等々力不動にて(東京・世田谷区)
 
下の二枚は家の側にて(目黒区)
3月29日(金) <今日の東京はどんよりした曇り空・・・>
今日の東京はどんよりした曇り空で最高気温7~8℃の肌寒い一日だった。午前中は真冬用のウエアを着てテニスをやったが、午後は花見に行く元気もなく静養。2〜3週間前に苦しんでいた腰痛はほぼ完治したがまだ身体全体が本調子でない。やる気を計るバロメーターは創作意欲だ。陶芸にしても絵にしてもアイデイアが枯渇しているし身体も積極的に動かない。まあ。無理せず時を待とうというのが、今の気分ではある。こんな俳句を見つけた:「ハンドルも絵筆も捨てし花の冷え( 品川鈴子)」
3月30日(土) <今日は多摩川台公園まで桜・・・>
今日は多摩川台公園まで桜を見に行った。この公園は多摩川を眼下に見下ろす公園で桜の名所でもある。この公園には亀甲山古墳と宝菜山古墳の二つの前方後円墳と8基の多摩川台古墳群、計10基の古墳がある。古墳巡りをしながら花見をした訳だ。多摩川の流域には他に世田谷区野毛周辺に野毛古墳群と呼ばれる古墳があり、多摩川台公園などの田園調布古墳群と合わせて荏原台古墳群(武蔵国荏原郡にて)と総称され、50基余の古墳があるというから驚く。野毛大塚古墳(世田谷区)にも何度か行ったことはあるが、桜の時期ではなかった。今日は少々沈んだ気分であったのが花見をした後、元気がでてきた。今年はチャンスがあれば野毛山古墳でも花見をするか・・。
 
2019-03-30 桜の間から多摩川を臨む  右の奥の建物はカトリック田園調布教会

右の建物は田園調布駅舎<桜は五分咲き>
3月31日(日) <孝行のしたい時分に親はなし・・・>
「孝行のしたい時分に親はなし」。私の「たかお」の名前に「孝」の字がついている。今は「親孝行」も余りはやらないが、名前は時代を反映する。母は名付けた当初”大将”の名前で「孝雄」があったと言っていた。「孝」の文字の象形文字としての成り立ちを知ると今更ながら感動的だ。「子」の上部にある形は”長いヒゲをたくわえて杖をついた老人”を表すという。「孝」の文字はそのままに「老人を子どもが背負っている=引き受けている、責任を負っている」の意味(高橋政巳著<感じる漢字>より)。一度だけ父が90歳になろうかという時期に緊急に病院に連れて行くため実際に一人で父を背負おうとしたが重すぎて歩けず、分担して運搬したことを思い出す。父に対しても母に対しても背負うような「孝行」はついにできなかった・・。こんな内容は30年前に書くべきものではある。間もなく父と母がほとんど同時期に亡くなって32年。私も母親の亡くなった77歳を既に越した。多摩川河畔で桜を見ながら瞬間にこんなことを感じただけ・・。
 
2019-03-31 二子玉川にて  右上は多摩川下流(川崎)方面  右下は多摩川上流方面


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