これまでの「今日のコラム」(2006年 11月分)

11月1日(水)<プリキュア・・>
今日から11月。霜月ときくだけで師走そして年の暮れも近いとの気分になる。季節とは全く関係がないけれど「今日の作品」には「プリキュア<MIEUへの絵手紙> (ペン&水彩)」を掲載した。ニューヨークに住んでいる孫娘はいま日本のプリキュアが何より好きである。”プリキュア”あるいは”二人はプリキュア”といっても関心がなければ何も分からないだろうし、ファンの子どもでもいれば親はお馴染みであろう。私は孫娘に教えられるまでプリキュアのことは一つも知らなかったが、今回プリキュアの絵を描くにあたって随分詳しくなった。2-3年前から流行っている東映アニメで、女の子がヒーロー。そのキャラクターが面白い。今回描いたSplash Starという新シリーズでは、ソフトボール部のピッチャーで積極的な咲ちゃん(日向咲、中学2年生)はパン屋さんの娘さん。パテイシエの父、パン職人の母、妹の四人家族。一方、美術部員の舞ちゃん(美翔舞、中学2年生)は天文学者の父、考古学者の母、高校生の兄の四人家族。それぞれ、花の精(フラッピ)と鳥の精(チョッピ)のパワーで変身する。趣味も性格も異なる二人が協力して悪に立ち向かう。強く変身する願望は女の子も同じなのだろうか。ふと、最近のいじめによって自殺まで考える女の子は思いきり変身して悪と戦うことが出来なかったのかとも思う。蛇足ながら、掲載したプリキュアの絵は孫娘のイニシアルを強引に作り上げた。一番左側のMの字が変身前の二人、右側(最後)のUの字が変身後の二人、Eの字部分がフラッピとチョッピ。
  11月2日分

11月2日(木)<それがどうした・・>
「今日の作品」に「角皿(陶芸)」を掲載した。本当は「不思議なお皿」とか「マジック皿」などのタイトルをつけたかったのだが、実物を見て止めた。狙いは錯覚により奇妙な立体感をだす皿を作ることにあった。中央の正方形(白色)を斜めの黒い帯でつなぐことにより中央が盛り上がったように見せる。一方の端からは一段低く見せる。そんな不思議な効果を期待したのだが、大方の評価は「それがどうしたの」である。話は少々飛躍するが、「それがどうした」で私は川柳と俳句の違いについての論説を思い出した。それは、俳句は「それがどうした」と云われても平気であるが、川柳はそう云われれば終わりというもの。私の勝手な事例であるが、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺(正岡子規)」は正に「それがどうした」と云いたいが、俳句の名作とされる。ある人の川柳で「 寺の柿食べて待てども鳴らぬ鐘」があるが、これを「面白い」と思えば成功で、「それがどうした」と云われればそれまでである。陶芸の場合、芸術品、美術品ととらえると、変哲もない中にシンプルな美を発見したり、削りの跡やゆがみなどを「景色がよい」などと評価することもできる。けれども奇抜さとか面白さを意図した作品が「それがどうした」といわれれば失敗作となる。ところで、奇抜さは失敗であっても私はこのお皿は失敗と思わず結構気に入っている。「どうもしない」けれども角皿です・・と云いたい。写真の皿中央に見える果物はミニチュア模型を乗せたもの。

11月3日(金)<マップ作り・・>
誘われて渋谷区の散策マップ作りに参画している。私自身は、親の転勤で兵庫県から東京にでてきて50年経過したが、これまで地元の渋谷にはほとんど縁がなかった。近所の地理を少し覚えたのも犬の散歩をはじめてから。長く住んでいても知らないことばかりである。渋谷区の集まりに出席すると先ず「渋谷の歴史」から始まった。歴史といっても、原宿駅の地下で旧石器時代・ナウマン象の化石がみつかったとか、縄文・弥生時代の遺跡だけでも渋谷区内に十数カ所あるなど原始・古代からスタート。3000-4000年前からこの近辺で人間が生活していたことだけで驚いている。渋谷区は多くの山と谷が入り組んだ地形である。今の地名でも”谷”と名がつく街は、渋谷、幡ヶ谷、千駄ヶ谷、鴬谷、富ヶ谷などと数多い。当然、坂も多く、渋谷区内には名前のついた坂だけで約30個所ある。こうした話を聞き始めると毎日ウオーキングする時に街を見る目が変わる。マップ作りは今年いっぱい。どんなマップができるか楽しみだ。

11月4日(土)<作陶展・・>
今日から三日間、私が学ぶ教室の作陶展が開催されている。午前中の会場準備からはじまって今日は終日この展覧会にかかわった。グループ展であるので自分の作品は数点しか出展していないが、それでも作品を他人の目に曝すだけである種の緊張感を覚える。また時間を割いてわざわざ見にきていただくのは心底うれしい。一方でこの作陶展は、私にとって教室の他の仲間がどんな作品を作ったかをみることができる数少ない機会となる。教室といってもそれぞれ好き勝手に陶芸を作る場であって同じものを習うことはない(基礎のコースなどは別)。しかも顔見知りの仲間であっても焼成できた時点でみな自分の家に持ち帰るので、お互いに完成した作品をみる機会は少ないのである。今日は作品をみるチャンスとばかり一つ一つ手に取って他の人のものを見て回った。釉薬の細かな選定、描いた線の一本一本、粘土の切り口など詳細をみていくと、それぞれに自分で表現したいものをはっきりと見せているのが実に面白い。自分はでしゃばらず静かにしたいと主張していたり、思う存分に飛び跳ねたいと叫んでいたり、またクールに我が道を歩んでいたり、色々な表現法があるがみな独自の世界を持っている。趣味、趣向は異なっても善し悪しはないとつくづく思う。専門家の陶芸展ではこういう感覚は味わえない。金子みすゞの「わたしと小鳥と鈴と」の詩の最後の部分を思い出した。「・・鈴と小鳥と それからわたし みんな違って みんないい」。

11月5日(日)<偶然・・>
今日も作陶展の会場と家を何度も往復した。夕方、少々くたびれて最後に展覧会場を出ようとした瞬間に、引き止められた。何事かと外をみると数メートル先を美智子皇后陛下がお通りになるところであった。無意識に頭を下げて会釈をすると美智子さまも軽い会釈で通り過ぎるところ。1分でも時間がずれれば何も知らずに家に帰っていただろう。この偶然で疲れがとれた。これは何かいい運気があるに違いないと解釈して元気になった自分も単純である。考えてみると、人との出会い、作品との出会い、趣向との出会い、仕事との出会いなど全ては”偶然”がからんでいる。それを運命と呼ぶが、人の努力の範疇を超えた出会いを前向きにとらえるか、知らずに見過ごすかで、また運命が変わるものであろう。偶然なんてただ確率の問題であると片付けると”運気”は去っていく。とにかく何でもいいから自分の都合よく解釈するに限る。・・偶然の出会いがあった2時間後にアール(コーギー犬)の散歩にでかけた。同じ場所までいって空を見上げると、欅(けやき)の樹々の間から眩しいほどの満月が見えた。今日は十五夜。「名月や 草のくらみに 白き花」(左柳)。

11月6日(月)<書き比べ・・>
作陶展が夕方終了した。片付けの係をやったので小1時間後片付けをして、最後に教室での慰労会に加わった。10人ほどの集まりで軽いご苦労さん会の雰囲気であったが、途中から“書き比べ大会”に発展したのが愉快だった。書道の先生がいたので筆に墨汁、それと半紙をとりだして好きな言葉を順繰りに書いてみる趣向。といっても昔風の習字でなく現代書で、上手とか下手を問わぬ”何でもあり”の落書き遊びの様相。陶芸の先生は作陶展が終わったところで「成功」とか「感謝」の文字、ある人は「土」、「和」など、私は「秋」を書いた。筆も毛筆に限らず竹のブラシなど何でもよい。墨汁を思いきりつけて半紙に字を書く面白さはわずかな時間であったが感動すら覚えた。私が「ゆめ」と書いたらいくら何でもおかしい。先生(陶芸教室の私と同じ生徒ではある)に同じ「ゆめ」を書いてもらうと、これがすばらしい「ゆめ」となる。私は自分の「ゆめ」と一緒に、先生の「ゆめ」を二枚家に持ち帰った。これはまた新しい世界が拓けそうだ・・。

11月7日(火)<前衛芸術・・>
渋谷の松涛美術館で「迷宮+美術館」をみて前衛芸術を考えさせられた(美術館案内=ここ、12月22日まで、60歳以上は無料)。この展覧会はサブタイトル「コレクター砂盃富雄が見た20世紀美術」。砂盃富雄(いさはいとみお)氏(1930-2001)は自ら絵を描いたので「画家、詩人、コレクター、評論家」と呼ばれたが、長年日本銀行に勤め、定年退職した後に自分の美術館(@前橋)でコレクションを開示したという経歴を持つ。大原総一郎や石橋正二郎、バーンズなど大金持ちが収集した美術館とは違い、いわば普通の人のコレクションである。けれども現代美術に対する目が鋭く、当時の前衛芸術家、アバンギャルドの人たちの作品を中心に収集されている。いまは大ベテランとして有名であるが瀧口修造、中川幸夫、草間弥生、加納光於などの作品をみていると私自身の波長とも合致するところがあり興奮するようなよい刺激を受けた(陶芸のアイデイアなどいくつも頭に浮かんだ)。それにしても、かつて前衛をリードしてきた人々は既に亡くなったか、80歳前後・・。そして、既存の権威を打ち破る元気のあった”前衛”はいまどこにいったのだろう。今は若手の芸術家といえどもお金儲けが上手くなったのか。有名画家は画商という商社の要求する市場のニーズに合う商品を供給するシステムにのってご安泰。なんだか貧乏をしながらやりたいことをやっていた昔のアバンギャルドが懐かしく思える。
11月8日(水)<墨絵・・>
「今日の作品」に「教会 by 墨絵」を掲載した。この墨絵は一昨日のコラムで書いた”書き比べ”(筆で書くあそび)に影響されて、墨汁で半紙に描いたもの。半紙を使用すると、同じ絵を何枚も描きたくなるのが不思議。恐らく半紙は「習字の練習」に使うので続けて何枚も書くことが当たり前の感覚になるのだろう。同じテーマの絵を何枚も描くことの嫌いな私が今回は一気に5枚同じ「教会」(家の近所の聖徒教会)を描いた。これが予想以上に興味深い結果となって驚いている。何かというと必ずしも枚数描いた後の作品がいいとは限らないということである。掲載した作品は実は一番始めに描いたもの。筆の調子やかすみ具合をみるために何の雑念もなく自由に描いた。後になるほど上手に描こうとか、詳細にこだわって、比較してみると筆の勢いがない。掲載した絵がベストとは云わなくても、伝えたいことはこの絵で表されている。慎重に筆を運び、リアルに現物を写しても絵としての力がなければ面白くないことを嫌と云うほど思い知らされた。同じテーマで何枚も描く、あるいは同じ陶芸をいくつも制作する、これは自分の力を客観的に見る意味でも必要かもしれない。

11月9日(木)<パンドラの箱・・>
「希望」はパンドラの箱にただ一つ残ったものとずっと思っていた。今日、インターネットのフリー百科事典/ウィキペディア(Wikipedia)で「パンドラの箱」(=ここ)を調べてみて、これは誤解であったと納得した。ギリシャ神話に登場する「パンドラの箱」は神が「禍いをもたらすので絶対に開けてはならない」と言い含めて人間界にいくパンドラに手渡された。好奇心に負けてパンドラが箱を開いたため、病気、犯罪、災害、貧乏などありとあらゆる災いが人間世界に蔓延してしまった。あわてて箱を閉めたところで「未来が分かってしまう災い」だけが箱の中に残り「希望」だけは失わずに済んだという話である。以前、私は「希望だけが箱の中に残った」と何かで見た覚えがあるが、論理的には確かに希望が禍いの仲間であるのはおかしい。それに対して、「未来が分かる」ということはどうしようもない「災い」である。もし、あなたの人生これこれですと決まっていれば、それこそ”夢も希望”もないことになる。それは生きる意味もない。先が分からないからこそ希望が生まれる。せっかくパンドラの箱に封じ込めた「自分の未来」を一生懸命決めつける愚は止めるべきであろう。

11月10日(金)<非日常・・>
今晩のアール(コーギー犬)の散歩は珍しく恵比寿ガーデンプレイス方面にいった。いつもガーデンプレイスと真反対の方向に散歩にいくのが習慣になっているのは、できるだけ車が少ない道とか細道を選んでいるためである。今日は車に注意しながら夜道を歩いた。カルピス本社(東京・恵比寿)の前庭には寒椿の白い花が咲いていて思わず目を留める。アメリカ橋(恵比寿南橋=ここ参照)の手前にあった昔馴染みの建物が数件なくなって大きな穴が掘られている。地下2階、地上5階のビルが建築中と表示があった。恵比寿ガーデンプレイスに着くと道路脇の樹々にも華やかなイルミネーション。すっかりクリスマス用のデコレーションができあがっている。ガーデンプレイスの中央広場にはクリスマスシーズン恒例の「バカラ製大シャンデリア」も飾り付けを終わっている(ここに写真あり)。・・これらの一つ一つがいつになく新鮮に目に映った。毎日歩くところで新しい発見をすることもあるが、余程意識しないと日常化して変化がみえなくなる。散歩は日常であるが、方向を変えるだけで非日常が得られることを実感した犬の散歩であった。
11月11日(土)<アレヤコレ・・>
漫画家のはらたいらさん死去の報。マンガもよかったけれども、20-30年前のTV番組クイズダービーでの博識ぶりが瞼に浮かぶ。好奇心旺盛であらゆるところにアンテナを張り巡らせていた積極人間も病魔には勝てなかった。享年63歳・・。学生時代の友人から妻を亡くしたとのハガキを受取る。これも自分の場合に置き換えてみて何と云うべきか言葉がない。平均寿命が男78歳、女85歳とは統計上の数値。自分もそんなものかと勘違いしそうだが、そうはいかない。何より長いだけがいいとは決して云えないのが人生であろう。有名無名は関係なく、存分に生きて、光を与えた人は輝き続ける。・・今日は「フレスコ画への招待」(大野彩著/岩波書店)を読み始めたら止まらなくなった。フレスコ画を描くのもまた面白そうだ。こちらは一度描くと2000年後まででも長持ちをする。ゴミとして捨てないほどの価値があればの話だが・・。

11月12日(日)<十年一昔・・>
「今日の作品」に「10歳になったアール<MIEUへの絵手紙> 」を掲載した。我が家のアール(コーギー犬)がこの11月で10歳になったので記念にペンで描きニューヨークに住む孫娘への絵手紙としたもの。これを機会に10年前アールが生まれた時のアルバムをめくってみた。アールの母親のアンは丁度5年前、2001年の今日この日(12日)に10歳になったばかりで急逝したのだが、10年前に我が家の寝室で4匹の子どもを産んだ。アールはその末の娘で一番頼りなさそうなので我が家に残した。このホームページにも生まれたばかりの子犬を掲載しているがコーギー犬とアンの出産がこのホームページの初期のメインテーマであったことは間違いない。アルバムをみて意外だったのは10年前に絵は結構一生懸命に描いていることである。このホームページに掲載したものでは空気清浄機のフィルタを画用紙として描いたもの(=ここ)がこの年の作品だ。この当時描いた油絵はHPに掲載していないが、こんなシュール(超現実)な絵も描いたのだと懐かしくなる作品もある。反対に10年前には自分で陶芸をやろうなどとは夢にも思わなかった。「十年一昔」というがアールと歩んだこの10年、楽しく充実していたというべきか。しかしながら私は昔の思い出に浸る趣味はない。これからも先をみて挑戦することを考えよう。

11月13日(月)<歌舞伎・・>
久しぶりに歌舞伎をみた。「顔見世大歌舞伎」・夜の部は最後の演目が終わるのがpm9時。先ほど帰宅してお茶を飲んだ後このコラムを書き始めたが、まだ芝居の余韻が尾を引いている。今晩見た中では「二月堂/良弁杉由来」(一幕もの)での中村芝翫(しかん)<成駒屋>の芝居(渚の方というおばあさん役)が何と云っても感動的だった。小さな身体が老婆役とぴったりで演技と分かっていながら涙が出そうになって困った。良弁大僧正役を演じた片岡仁左衛門<松嶋屋>の貫禄も忘れられない。市川 團十郎<成田屋>が河内山宗俊を演ずる「河内山」も楽しかった。芝居の内容とは別に、三味線、鼓、拍子木などの音や舞台の色、装置などにも刺激がいっぱいあった。そこには伝統芸能でありながら実は極めてモダンなセンスというか現代の先端をいく感覚があるように思えてならない。江戸時代の鎖国の影響であろうが、西洋やアジアの他国のものまねでない独特の様式が育った。世界のどこにもない独自性があるから、いま歌舞伎は世界に通用する遺産となったのだろう。私たちの席の側にいた外人(数名)はイヤホーンガイドもなしに芝居をみて面白がっていると思ったら、幕間には座席で幕の内弁当を食べていた。
11月14日(火)<河内山宗俊・・>
昨日、歌舞伎でみた「河内山」についての解説(幕間のイヤホーンガイド)がとても興味深かったのでこのことを書いてみたい。河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)といえば江戸城の本丸に勤めるただの茶坊主であるが、これが実はゆすり、たかり、かたり、詐欺などお手のものの希代の悪党という設定(歌舞伎の脚色は1881年/明治14年河竹黙阿弥)。歌舞伎芝居としては権力者である大名や豪商が悪坊主にボロクソに云われるのに庶民は快感をおぼえて人気があるのだろう。江戸時代、大名といえども江戸城の奥に入るときは家来を従えて行く訳にはいかない。そこで身分のないお坊さんが殿様の世話をする。これが茶坊主である。茶坊主は殿様同士の会話や行動を知る立場であり、同時に、身分のないが故に老中など大名でも容易に近づけない相手とも話ができる。そこで江戸城に登城した殿様は茶坊主に特別に気を使うことになる。そして茶坊主がゆすりやたかりをする条件は整う。河内山宗俊ほどの極端な悪党でなくても、一般的にも茶坊主はかなり甘い汁を吸っていたらしい。僧侶が「世俗の身分がない」という存在であるために反って最高権力者と近づけたことは、茶人、千利休が信長、秀吉に仕えたことを思い起こさせて興味深い。・・今年の秋の叙勲はもう終わったが、叙勲の対象として宗教関係者は除かれる。河内山宗俊と真反対に傑出した人格者であっても現代でも宗教家は”勲章”とは無縁な特別の存在なのだ。マザーテレサはノーベル平和賞を受賞したがやはり国家の勲章とは無縁であった・・。

11月15日(水)<レッドソックス・・>
大リーグ移籍を目指している西武ライオンズの松坂大輔投手(26歳)がレッドソックスに行きそうである。今日、松坂の独占交渉権をボストン・レッドソックスが5110万ドル(60億円)で落札したと大きく報じられている。まだ正式契約には至らないが松坂はまずレッドソックスに入団するだろう。ボストン・レッドソックスはニューヨーク・ヤンキースと並ぶ米国東部地区の名門だ。私はたまたま昨年ヤンキースタジアムでヤンキース対レッドソックスの試合を見るチャンスがあったが、その時には勿論ヤンキースの松井も出場したがレッドソックスが10点以上得点してヤンキースに大勝した。レッドソックスのあるボストンは「アメリカ発祥の地」として知られる。イギリスから渡った清教徒たちがはじめて降り立ち、作り上げた街がボストンである。更にボストン圏はアメリカ一番の学園都市として有名だ。ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、ボストン大学、ジャズの名門バークリー音楽大学などをはじめとして多くの大学がある。このようなボストンに本拠地をおく野球チームがレッドソックスであるから当然歴史も古いし戦績も目覚ましい。1893年発足以来、ワールドシリーズ優勝6回、アメリカンリーグ優勝11回。来季の大リーグでは、真っ赤な靴下を履いた松坂が松井と対戦をすると思うだけで何かワクワクする。
11月16日(木)<敵味方供養・・>
”灯台下暗し”というが地元の歴史でも知らないことは多い。今日は数人で散策しながらいくつかの新発見があったが、その中で「供養碑」のことを書く。東京・渋谷の台雲寺という禅宗の小さな寺(恵比寿一丁目)の入口に日清戦争碑がある。戦争碑は特に珍しくはないが、そこには「敵・味方軍人の供養碑」がある。日清戦役に従軍して亡くなった日本軍人の慰霊碑とともに相手方の清国の軍人の霊を弔った碑が明治30年に建設されているのである。日清戦争は「明治二十七八年戦役」(1894-1895)と呼ばれたから戦後2年経過してこの碑がたてられたことになる。いくら明治の時代とはいえ慰霊碑を敵も含めて建立するという例を他には知らない。更にそれらの碑の隣には「軍馬の碑」がある。戦役で犠牲になった馬にまで碑をつくっている。戦争は敵味方なく双方の人間から動物に至るまで多くの犠牲を産む。敵味方の供養碑に明治人の鋭く優しい感覚を見た。

11月17日(金)<ドコダ・・>
「今日の作品」に「キボウハドコダ・・」(書)を掲載した。この作品は先日開催された作陶展の慰労会で余興に「書き比べ」をやったことに端を発する(11月6日コラム=ここ=参照)。現代書というか何でもありの流儀が気に入って、その場の中心であった書家に陶芸教室で個人的に書を見てもらう約束をした。テーマは「希望」として、何を書いてもよいことする。一週間の間に家で半紙に20-30枚の「希望」を書いた。書いてみて分かったのは、当然のことながら「書」は難しいということである。真面目に書くと小学生の習字のようになる。崩し過ぎてもわざとらしくなる。漢字は字体そのものが主張するので鑑賞者の想像を発展させることが容易ではない。先生の書道家には恥ずかしげもなく書いたものを全て見せたが、30枚書いても自分で満足すべきものはほとんどない。今回掲載した「ドコダ・・」は私がまずまずと思い、先生もいいといってくれた数少ない一つ。ドコダ、ドコダの下の方にココダ、キボウとある。これほどにふざけたものではなく「希望ハ暗闇ニ光ル」と書いたものを、私は見せたくないほど嫌だったのだが、先生はとてもよいと云ってくれた。他人あるいは熟達者としての見方と自分の感覚にも意外性があった。とにかくも、これまでやったことのない”現代書”を試みて、恥をさらすのも大いに刺激になる。


11月18日(土)<プレステ3・・>
私はコンピューターゲームを好まないのでほとんど自分でプレーすることはないが、その技術や動向には関心がある。ソニーのPLAYSTATION3(PS3)は廉価版で20GバイトHDDを搭載というバケモノ(上位機種は60GB!)、しかも、価格は五万円をきる。今月の11日に日本で発売を開始した時には有楽町のビッグカメラには1000人の行列ができたと報じられていた。今日の海外ニュースでは販売が始まったアメリカでPS3を買い求めようと徹夜で並んでいた人々に騒動まで持ち上がったりしているようだ。そんな時やはり今日のニュースでアメリカの調査会社のレポートとして、PS3は20Gバイトモデルの販売価格499ドルに対して製造原価が約805ドルで1台売る毎に306ドルの大赤字をだすとの情報がある(60Gバイトモデルで販売価格599$/製造原価840$)。メーカーの報告ではないので本当のことは分からない。それにしても量産効果などで少々コストが下がったにしても販売価格に対して超高級なゲーム機で遊んでいると考えなければならない。経営的には付属するソフトの方でつじつまを合わせるのかも知れないが、この高級機をゲーム以外に利用しない手はない。数年後にはパソコンもゲームも一体になった新種の化け物が現れる予感がする。

11月19日(日)<画にもかけない・・>
「画にもかけない・・」は、画家中川一政のエッセイ集のタイトルである。何か壁に突き当たったり沈滞した時にこの本をひもとくと私はいつも勇気づけられる。「絵は芸術ではない。絵の中に呼吸し、うごめいているものが芸術なのだ。問題は生きているか死んでいるかである」。中川一政はこういう言い方をする。中川一政(1893-1991)は98年間の生涯で油絵に限らず水墨画、書、和歌、陶芸、随筆など幅広い分野に多彩な作品を残した。学校エリートにはない有余るエネルギーを持ち、どの分野でも真の美とか高い精神性を追求した独自の境地を築いている。洋画でいえばゴッホを彷彿させる気迫の作風である。全てのものを”モノサシ”で計ることを嫌い、”気合い”で見たといってもよい。かの人気陶芸家の魯山人のことを認めながらも魯山人は”鑑賞家”と呼んでいるところなど面白い。「鑑賞家魯山人であることは確かだが創作家魯山人ではなかったようだ」・・こんなことを中川一政以外に誰が云えよう・・。書についてもこんなことを書いている:「書は人を正すなり、痩せていれば太らせ、曲がっていればまっすぐに、こせこせしてたら鷹揚に、・・そんなことはどうでもよい、一つの感動にまかせて、書をかくなり」。・・真鶴の中川一政美術館(=ここ)にまた行きたくなった。

11月20日(月)<こまさ・・>
「今日の作品」に「こまさ土による平皿(陶芸)」を掲載した。今回はじめて「こまさ」という土を使用してみた。陶芸教室でいまこの土を使ったお椀を焼成している最中であるが、掲載した「平皿」は一枚だけ別途に試作して家の小型電気窯で焼いたもの。先日開催された教室の作陶展で「こまさ」を使用したというお茶碗の色合いがとても素敵だったので、私もこの土で食器を(私の作品としては実用的なものは珍しいが)是非作りたいと思った。「今日の作品」に掲載した平皿は素焼き後白マット釉薬(うわぐすり)を全体にかけ、その上にイラホ釉薬(=鉄分が多く、黄色ー褐色をだす)をたらして模様をつけた。普通は白マットをかけるともっと白色が強くでてしまうが、この土の場合薄い青味が残り風合いがある。「こまさ土」は実は粉引きの土(ブレンド土)に、「こ」=コバルト、「ま」=マンガン、「さ」=酸化鉄を加えて作った特別な土である。コバルトがあるために青系統の色がつく。釉薬の種類、焼成の温度、時間など作り方が全く同じでも”素材”の違いで出来上がりが異なるのは何か象徴的である。一方で素材に優劣はない。素材の個性を活かす作り方が最も難しく、また楽しいところだ。

11月21日(火)<地球11周・・>
確か昨日のNHK-TVであったと思うが、60歳で定年を迎えた後、寿命まで毎日歩き続けたとすると、どれほどの距離を歩くかの質問があり、正解は「地球11周」であった。念のために算数で検証してみた。仮に1日に10時間を時速5km/hで歩くとして、これを平均寿命82歳(男70,女86)まで、22年間続けるとする。そうすると歩く距離は、5km/h×10h/day×365day/year×22year=401500km。地球一周は40000kmであるので、401500÷40000=10.03周となる。11周には少し及ばないが歩く速度を5.5km/hとすると約11周となる。マラソンであると2時間半で42kmを走るので、一日に55kmを歩くのはそれほど無理ではない。地球を10周でも、11周でもいいが、それにしても”もし毎日続けると”想像以上の可能性があるものだ。何よりも歩く方向も休む場所も眺める景色も、すべて自分の意志で決めることができるのがこの”歩き”のすばらしいところであろう。一番のポイントは「続けること」だろうか。ただ一方で私は最近同じ方向ばかりに歩き続けずに全く違う小径にも意外な魅力があると思うようになった。この道一筋もよいがこれまで知らなかった道に入り込むのも面白い。

11月22日(水)<亜麻色・・>
「亜麻色」というと何を連想するだろうか。亜麻色は亜麻糸の色で「明るい灰黄色」。金色に銀色を加味して更にくすんだ感じにしたような上品な色である。色彩表示では10YR8/2。植物のアマ(亜麻)はアマ科の一年草で美しい青紫色(または白色)の5弁の花を咲かせる(写真=ここ)。茎からとった繊維は麻布地などの原料になるがこれが「亜麻色=灰黄色」となる。亜麻色というと「亜麻色の髪の乙女」をまず思い起こす人も多いだろうが、年代と趣味でこれも様々であろう。まず、クラシックではドビュッシーの同名のピアノ曲が有名だ(MIDIできく=ここ)。1960年代後半、日本ではすぎやまこういち作曲の「亜麻色の髪の乙女」をグループサウンズ、ヴィレッジ・シンガーズが歌って大ヒットした。「亜麻色の長い髪を 風が優しくつつむ 乙女は胸に 白い花束を・・」の歌詞(橋本淳作詞)と共に私などにも懐かしい曲だ(この曲=ここ=できく)。最近では島谷ひとみが花王のCMソングとしてヴィレッジ・シンガーズの曲を歌い評判になった。いまでも携帯電話の着メロに使われているようだ。亜麻色は語感だけで安心感があり好感度をもたらす不思議な色である。最後に日本文学のクラシックから:「乳母車の中から亜麻色の毛髪をした女の児が私の顔を見てにっこりとした(堀辰雄、美しい村より/1933)」。

11月23日(木)<意思疎通・・>
意思疎通が言葉や表情だけでないという感動的なTV番組をみた(NHK福祉ネットワーク)。ある男性が60歳の定年を迎えたとたんに脳梗塞になる。手足が動かせない上に言葉を発することもできない。顔は硬直して表情もないが目だけはみえる。そんな男性の奥様の相談に応じて長崎大学工学部の石松教授が意思疎通するための特別な機器を作り上げる。それはパソコンで文字を打つ際に不自由な指を使って大きな画面をみながら操作できるようにした特製の装置である。その装置を使って男性は「・・廃人のような僕を毎日看護してくれてありがとう」とか「○○子、きょうは誕生日おめでとう・・」などと奥様に文章を打つ。脳の構造がどのようになっているのか知らないけれども、手足や口など筋肉が自由に動かせなくても周りの世界や目前の人のことは明確に認識しているし意志もはっきりしている。装置があればお互いの意思疎通ができるのである。ひるがえって、言葉に不自由しないし表情も自在な私たちが何と意思疎通が下手なことかと思わず反省する・・。
「今日の作品」に「凹みのある立方体に花を生ける(陶芸)」を掲載した。以前制作した立方体(7月31日コラム=ここ=参照)が何にも使われずにいたのだが花を生けると意外に活気づいたのであえて掲載してみたもの。こういうのを、”馬子にも衣装”ではない、”カキ(花器)とハサミは使いよう”とでもいうのでしょうか。


11月24日(金)<感謝の日・・>
一日遅れであるが昨日は勤労感謝の日で休日。新聞の論説などを注意してみていたが「勤労感謝」の意義について触れたものは一部を除いてほとんどなかった。まるで休日は喜んで受け入れるが”勤労”を感謝するなどとんでもない、”勤労”は嫌なものと言外に主張している感じすらある。アメリカでは11月の第4木曜日(今年は23日)が感謝祭。これは収穫に感謝することからはじまり今ではThanksgivingは大切な家族行事の一つであるようだ。日本の勤労感謝の日は以前の新嘗祭(にいなめさい)で新しい穀物を神に供えるという意味合いからいけばやはり収穫への感謝の日であった。これが「勤労感謝」を学校でも教えていない時代に「勤労感謝の日」はいかにも呼び名が馴染めない。私はいっそ「感謝の日」としたらどうかと提案する。感謝する心が乏しくなったこの頃、感謝を思い出す日として意味はあろう。しばしば感謝即現状肯定と短絡して絶対に感謝など口にしない人間も多い。そうではなく感謝は機会が与えられたことへも向けるべきである。収穫への感謝はもとより、仕事への感謝、給料への感謝、年金への感謝、言いたいことが言えることへの感謝、苦情が云える感謝、改革を行なえることへの感謝、身体が動く感謝、事故に遭わなかったことへの感謝など何でも感謝の対象となる。「生きていることへの感謝」が教えられれば最近のこどもの自殺など起こるはずがない。
11月25日(土)<グルメ・・>
昨日の閣議で決定された初の「食育白書」によると、家族そろって食卓を囲む機会の減少や朝食を抜くなどの不規則な食事が目立つとして「早寝早起き朝ご飯」を呼びかけている。まあ、政府が国民の食生活に口出しをするお節介で過保護な白書についてはここでは触れない。飽食の時代である。私はテレビなどのグルメ番組が余り好きではない。特に20-30歳の若い男女が高級な料理に”うんちく”(蘊蓄)を傾けて食通ぶるのをみると”キサマ何様だ!”と云いたくなる。一方で、年輩の本物の美食家にしても食べることについては謙虚であって欲しい。だから、グルメマンガ「美味しんぼ」のモデルであった魯山人が「こんな料理が食えるか・・」と箸もつけずに突っ返した話だけで、陶芸の魯山人は認めるけれども人間は好きになれない。グルメ=gourmetは英語にもなっているが、元来はフランス語の食通、美食家、ぶどう酒通。美味しいものを楽しむのは大いに結構であるが、日本には食事の際に味以前に貴重な伝統があった。それは「いただきます」と「ごちそうさま」。お節介ついでに白書でこの食前食後の挨拶を励行したらどうだろう。グルメのみなさんにも是非この言葉を使ってもらいたい。

11月26日(日)<内助の功・・>
”26日までは”と期限を付けていた”この日”が終わった。この日、妻がカザルスホール(東京・お茶の水)でモーツアルトのレクイエムなどを指揮したのであるのだが、私としてもチョッピリ「内助の功」があったのではないかと思いたい。まずこの日までは風邪を引かないこと、夫婦喧嘩をしないこと、家庭ではゆっくりと気が休まるようにすること、十分睡眠をとれるようにすること、食事の負担を減らすこと、ビタミン剤を常時飲むこと・・などなど。いや、書き出してみると「内助」は実はみんな「当たり前」のことになってしまう。お互いに当たり前のことができればそれで十分なのかも知れない。ところで、レクイエムは感動的だった。30人弱の合唱、ピアノの美しさ、メンバーがみなソロを歌う、全て暗譜・・。小規模ながらモーツアルトの時代にはこんなレクイエムであったのでないかと思わせた。モーツアルト生誕250年に当る今年2006年、レクイエムを聴き終えたところでそろそろ師走を迎える。

11月27日(月)<アール・・>
「今日の作品」に「10歳になったアール2<MIEUへの絵手紙>」(ペン画)を掲載した。11月12日にやはりアールの絵を掲載して「十年一昔」とコラムを書いた(=ここ=)が、今回の絵もその続き。この11月5日にアール(コーギー犬)が母親(アン)の亡くなった年齢と同じ10歳になったとたんに、何かアールのことが無性に愛しく思えてしようがない。まだ数年先かも知れないが遠からず別れの時が来ることが意識される年齢となったせいだろうか。そんな言い方をすると私とどちらが先かも分からないと云われそうだが、少なくとも今は私がアールのスケッチを残すことができる。最近アールは私の布団で寝ることが多い。私が床に就こうとするとアールが布団の上にいるが、布団がないときには、この絵のように枕の上に丸まっていることもある。昔の枕は中央が山になって盛り上がっていたが、この枕は中央が適度に凹んでいるのでアールにとっては特製のベッドのようにぴったりと身体が収まるようだ。枕の取り合いをした後はお互いに眠りの中でどうなろうが知ったことではない。翌朝にはまた一緒に散歩にでかけて駆け比べをする。


11月28日(火)<ほどほどがよい・・>
「ほどほどがよい・・」とあらためて思ったのは、みのもんた(62歳)が「1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」とギネス世界記録に認定されたという記事をみてのこと。昼食時には他に見るものがないので「おもいッきりテレビ」を見てしまうが、朝でも夜でもまたまた”みのもんた”の顔がでてくると私はチャンネルを変えるかテレビを消すようになった。癖のある料理は初めに美味しく感じることはあっても、続けて出てくると”もうケッコウ”と食傷気味なのである。それでもみのもんたは相変わらず人気者。テレビ局では奪い合いだ。不思議なことにギネス記録になるほど同じ司会者が各局の番組にでることをテレビ局は”恥”だと思っていない。司会者を発掘出来ない怠慢もスポンサーの安直な司会者選びも眼中にないのがテレビ局。その場の視聴率さえよければ何でもありにみえる。みのもんたのいいところは、首を傾げて久米宏ばりに「いまの日本の社会・政治はどうなっているんですかね」などと云わないところ。いまの社会構造であるから自分が超高収入を得られることをご本人が一番知っているだろう。ギネスブックは世界中から年間6万件もある申請書を審査して認定されるという。申請書を自分で提出するのであるから自分の異常を承知しているのも、みのもんた自身だ。ギネスの記録達成に満面の笑みを浮かべるみのさんは、「ほどほどがよい」ことを悟ることがあるのだろうか。
11月29日(水)<どうみてもなれない評論家・・>
どうみてもなれない評論家が二つある。一つは「子育て(教育)評論家」もう一つは「夫婦(結婚)評論家」。いずれも自分が実践していることに自信がないのでとても他人にコメントする勇気はない。子育てにしても子どもが、中学まであるいは大学までの結果を見ても何も言えない。極端にいえばどういう一生を過ごすかを見ないと”評価”はできないであろうが、そこまで親は面倒みられない。成人になったら後は本人の責任でどうとでもやれというのが私の主義である。最近の子どもの自殺とかいじめにしても軽々しくは発言できない。もう随分前になるが私の高校時代に同級生が自殺した事件があった。彼の親は当時有名な大学教授であった。親の知性と子どもの自殺とはまた別物である。今日、作曲家の坂本龍一(54歳)とシンガーの矢野顕子(51歳)が離婚していたことが報じられている。十数年前から別居生活をした末の協議離婚だとか。他人の夫婦の形態もまたアンタッチャブル。誰も他人の夫婦を評論などできない。せめて先人の言葉を引用してみよう。今朝の東京新聞のコラム「筆洗」(=ここ=)より、先日90歳で亡くなった斎藤茂太さん(精神科医、作家/斎藤茂吉の長男)が夫婦のあり方に触れて書いた言葉:「相手をほめると自分も元気になる」。

11月30日(木)<いじわるなカップ・・>
”「いじわるなカップ」をどうして思いつくのでしょう”・・先日、陶芸教室でそういわれてしまった。形に興味をもたれて何を作っているのか問われたので、普通に使用出来るコップであるが、欲張って入れ過ぎるとサイホンの仕掛けで中の液体(水やお茶、お酒など)が全て漏れてなくなるコップだと説明したところでの反応だ。科学コップとか遊びのコップ、面白コップだと説明しなかったこちらもよくなかったが、まさか「いじわる」と言葉がでるとは思わなかった。このコップは以前「はてなの茶碗」として制作した茶碗(2006-3/11=ここ)と同じ原理のリピート品であるが、確かに”面白い”ものは”意地悪”であることもある。私はいつも面白いもののネタがないか頭をひねっている。面白いとは、珍しいもの、これまで見たことのないもの、世界で一つしかないもの。素直で代わり映えしないものと違って、創り上げるには”意地”も必要となる。意地悪の「悪」は取り外してもよいが、これからも意地でもアリキタリでない作品を創ろうと思う。

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