これまでの「今日のコラム」(2007年 4月分)

4月1日(日) <新年度・・>
新年度、新学期、リーグ戦の開幕のとき。東京新聞が昨日までのWebアドレスでは接続できなかった。今日付けで新しいアドレスに変更になったのも新年度らしくて許せる。それより朝日新聞の「天声人語」の筆者が変わったのも新人事か。こちらの方は大歓迎。今日の天声人語は爽やかで気持ちがよかったが、これまでは天声人語を開く度に暗く落ち込むことが多かった。自分で云いたいことを言わずに他人の言葉で持って回った逃げの書き方、自分のことは棚に上げたワンパターンな権力批判・・。文章の”専門家”としては立派なのであろうが、どうも人間味が感じられない雰囲気が馴染めなかった。毎日の読者が何百万人もいる新聞のコラムは大変なプレッシャーであろう。今日からの天声人語氏は自分の言葉で自分で考えたことを云ってくれる予感。期待してます。
「今日の作品」に「線描画皿A」(陶芸)を掲載した。この皿はいま本焼成の最中で、この写真は焼成前の白化粧の上から線描を施した状態のもの。どこにいっても桜が満開のこの季節にあえて”今日の欅(けやき)”を線で描いてみた。素焼きの後、家に持ち帰って描いたので、完成前の状態を残してみようと写真を撮った。

  4月2日分
4月2日(月) <発光ダイオード・・>
久しぶりに秋葉原にいった。以前からこの街は大きく変貌を続けているが、今もなお毎日が様変わりの過程にあるように見える。駅の側では閉店大サービスと銘打って時計や宝石類の安売りをしていた。どれでも三千円の声につられて覗くと18000-19000円の定価札が多かった。定価の札はいくらにでもできるが、30万円だとインチキ臭いし3万円より1万8千円の方が現実味がある。定価の付け方が上手い。秋葉原にいった目的の一つは、電球色のLEDを購入することだったが、結果的にこれは後で渋谷の東急ハンズで調達した。秋葉原で他の部品を手に入れたのは勿論であるが、LEDを扱う店が意外に少なく、見つけた店でも渋谷よりも値段が高いのには少なからずショック。電気部品の秋葉原はどこにいったのか・・。ところで、LED(=Light Emitting Diode/発光ダイオード)は電流を流すと発光する半導体素子であることはご承知の通り。最近、難しいとされていた青色ダイオードも実用化されて赤、青、緑の光の三原色が揃ったので、これらの組み合わせで様々な色も出せるようになった(白色も)。私は市販されている「電球色」のLEDを求めたのであるが、色によって価格が大きく違うことを認識していなかった。少々の値段の差があるとは思ったが、私の買った種類では電球色の発光ダイオードは赤色と比べると実に3.7倍の値段である(赤のLEDコード球にて147円)。まあ、高価ではあるが、この程度。発光ダイオードは工作用として大きな可能性を持っているとみた。
「今日の作品」に 「線描画皿Bー本焼成前ー(陶芸)」を掲載した。昨日の線描画に続いて「槐(えんじゅ)」を描いたもの。赤く見える地は黒化粧の色。焼成すると赤く見える所が全て黒くなる。

4月3日(火) <FTA・・>
米韓FTAが妥結」と今日のニュースで大きく報じられた。ここでのFTAは、Free Trade Agreement/ 自由貿易協定。米国で韓国の自動車の関税が撤廃されれば日本の米国への自動車輸出にも大きな影響があるので、日本の対米FTA交渉にからませて大ニュースの扱いなのだろう。FTAというと、私は冒頭のFTAではなく、反射的に、Fault Tree Analysis=故障の木解析を連想してしまうので、今日はこちらのFTAについて書くことにする。「故障の木解析」は故障とか事故の分析手法で、事前に不具合の事象を想定し、それを発生させる要因を全て摘出することにより危険性を論理的に推測していくと樹木のように末端に行くほど多くの項目が記述されるので「木」の名称がつく。考えられるあらゆる要因を最終的には発生確率(故障率)までを当てはめて分析する訳である。「ものつくり」の場では、この種の分析手法(他にも故障解析にはFMEA(=Failua Mode and Effects Analysis/故障モード影響解析などもある)により事前に故障や事故を予測してトータルの故障率を下げる対策をするのは”常識”である。それでも事故はゼロにならない。難しいのは不具合の発生確率をどうみるかであろうか。事故の確率は限りなくゼロが望ましいが、世の中の事象は予測出来ないところがあるから面白いとも云える。いくら論理的に分析を行なっても、「想定外」はなくならない。
4月4日(水) <大リーグと日本野球・・>
大リーグが開幕した・・といえば、誰でもが日本時間で一昨日(現地で1日)開幕したメジャーリーグベースボールの話であると思う時代となった。今年は松坂がレッドソックスでどんな成績を残すか、ますます大リーグ野球が興味深い。今日のニュースで今季の大リーグ開幕登録選手849人の中で米国外出身選手は246人、全体の29%を占めたと報道されている。日本人は13人で随分多くなったと思うが、メキシコと並んで5番目(ドミニカが98人でトップ)。それにしても849人の数がピンと来ないので自分なりに大リーグ野球を整理してみた。まず、チームの数はアメリカンリーグ=14、ナショナルリーグ=16で、合計30チーム。アメリカンリーグの中にカナダのトロント・ブルージェイズがあり、これ以外の29チームはアメリカ合衆国のチームである。1チーム当たりの登録選手は、849÷30=28.3。ちなみに日本プロ野球の開幕登録選手はセリーグ、1チーム28人で28×6=168人。パリーグはチームによって28人に達しないところもあるが、ほぼ同等。ついでながら大雑把に日本とアメリカの人口比でチーム数を比較してみると、人口の比率(USA/JAPAN)=3億人/1.27億人=2.4、野球チーム数(カナダは除く)の比率=29/12=2.4。人口が正確でないとしても日本はアメリカとほぼ同等の野球密度であることは間違いないようである。
4月5日(木) <TGV・・>
2-3日前のニュースでフランスの高速鉄道TGV(Train a` Grande Vitesse)が時速574km/hを記録したと報じられた。レール上を車輪で走行する列車としては前にTGVが記録した世界最高速度515km/hを更新したことになるという。日本のリニアモーターカーでは試験走行で581km/hを記録しているが、これは車輪がない。世界記録を達成したTGVはフランス政府の強力な国策で開発を行なっている。ところが日本のリニアは国のやる気がなくて技術が生きてこない。日本の新幹線が開通したのは1964年(昭39年)。正にオリンピックと合わせて国をあげて開発に取り組んだ。3月31日のコラム(=ここ)で中国の国産ジェット機開発に触れたが、日本ではジェット機や鉄道など一企業ではできない大掛かりな開発がなくなってしまった。いまの政治は国家プロジェクト風の目標設定が苦手である。開発は特定の企業の利益や格差を生むと攻撃されることを恐れてか計画以前に敬遠する。今の時代はITに注力しているのだと云うかも知れない。では具体的に何をやろうとしているのか見えない。人間で云えば、新しいことはやらない、懐かしのメロデイーを聞きながら年金が少ないと文句をいい、時に若者のあら捜しをするのが楽しみ・・そんな老人のイメージが日本とだぶり始めた。TGVを越える次世代、次次世代にまで夢を持たせる目標造りが急務でないか。
「今日の作品」に「130mm立方体<陶芸>/使用例」を掲載した。

4月6日(金) <花・・>
花は散るから美しい・・。満開の桜を見ても、この咲き誇った花も数日で散ってしまうと思うと一層いとおしくなる。夏の蝉の鳴き声を「やがて死ぬ・・」と詠むのと同じ感覚である。「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」の和歌の通りに、東京の満開の桜も雷雨やら寒風でかなり散ってしまった。桜の散り際の見事さ、いさぎよさに美をみる日本人の感性は貴重である。いま見るもの、いま聴く声を新鮮にとらえて感動するのは無常観が根底にあるからであろう。勿論、人も”やがて死ぬ”から生きている瞬間が尊い。花でも蝉でも、また人間でも”永遠の命”を仮定すると何とも美しくない。「今日の写真」(下)に早朝撮影した椿を掲載した。陽光を浴びる椿もまたこの瞬間のみの美しさを見せる。
4月6日@西郷山公園/東京

4月7日(土) <力を抜く・・>
土曜日には雨でない限り半日テニスをする。テニスはもう30年以上続けているが10年ほど前にさすがに体力の衰えを感じた。2時間もプレーすると握力や脚力が激減してメタメタになった。ところが最近は体力のピークは勿論過ぎているがそれほどスタミナ不足を感じない。それは、この10年間で「力を抜く」技術が格段に上達したためと自認している。ラケットをしっかりと握るのは球にラケットが当る瞬間だけでよい。そのように必要なときだけ力を使うコツを覚えると昔は何と無駄な力を使っていたのかと思うことばかりである。この3ヶ月ほどは「膝痛」で一層無理をしないことに徹している。膝痛に対しては前に書いた「なんば走り」(2月12日コラム=ここ)と「能に学ぶ身体技法」(3月17日コラム=ここ)を続けたり、足湯や湿布を使う等、それなりの努力の結果かなり回復してはいるが、やはり無理はできない。膝痛や腰痛にいい走り方、身体技法は煎じ詰めると無駄な力を使わずに”力を抜いて”バランスを保つことに帰着するようだ。力を抜くと不思議なことに周囲の状況もよく見えるようになる。”力を抜く”ことはテニスに限らず示唆に富んでいる。

4月8日(日) <珈琲はブラック・・>
「珈琲はブラック 薔薇はマリアカラス」。これは渋谷・東急本店で開かれている「書道展」でみた現代書の文章である。出品者の大半は、李白、万葉集、芭蕉、一茶、蕪村など過去の名文・名句を書で表現している。一方で近年の山頭火の俳句を書したものなどもあり、書道の幅広さを見せていた。冒頭の「珈琲・・」は書家のオリジナル文章だと思っていたら、実は現代俳句の作者、安西篤(1932生まれ)の句であった<安西篤には「アイスコーヒー新社会人足を組み」という句もある>。私の場合は「コーヒーはインスタント 薔薇は造花」の無粋ものであるので、マリアカラスと云えば、かのギリシャの大富豪(海運王)オナシスと浮名も流した最高のソプラノ歌手しか知らなかった。Webで調べると、この偉大なオペラ歌手が生存中(1965/彼女は1923-1977)にフランスで生産されるようになった豪華な薔薇の品種にマリアカラスの名が付けられたことが分かった。ちなみに”薔薇はマリアカラス”の俳句の書を出品した書家(齊田香住さん)は伊集院静の文も書している。私の好みから云えば、このような現代性を見せる書道が性にあっている。書そのものについては妻と一緒に勝手な素人批評をしながら見て回るのが楽しかった。

4月9日(月) <水漏れ・・>
水漏れ騒ぎがようやく決着した。はじめに水漏れでないかと疑ったのは洗面所の水道を閉じても耳を澄ますと蛇口からわずかに音が伝わってくることからだった。全ての蛇口を閉めた後で水道のメーターを見るとゆっくり針が廻っているので水漏れは確実となった。次に温水器の元栓を閉めてメーターを見ると針は動かなくなるので漏れは温水系統と判定。ところが風呂場、洗面所、台所など温水系統の配管はすべて壁の中。それもコンクリートで埋め固められている。専門の業者と協議した結果、漏れ個所を特定してその個所を修理することは不可能とみなされた。新たに壁の外から温水配管をやり直す方策しかない。相当の手間と費用をかけて新しい銅配管(外側に保温材付)を施工してようやく温水がでるようになった次第である。20年以上経過しているとしても漏れを発生させた場所も理由も不問にしたまま設備を新しくして終わりとは納得出来ないが、これが建築設備の現実なのか。修理やメンテナンスを考えない設備は一種の欠陥ではないか・・。

4月10日(火) <準泡沫・・>
準泡沫候補からみた都知事選のレビュー。一昨日の都知事選は石原慎太郎氏が280万票を獲得して再選されたが上位三位(浅野氏=169万票、吉田氏=63万票)についてはコメントする意欲が湧かない。第四位が黒川紀章氏(73歳)=15.9万票。黒川先生がどう予測したかは分からないが16万人に名前を書かせたのは大健闘だ。550万人が投票したのであるから2.9%の人、即ち100人に3人の人が黒川氏に投票した。今回、黒川先生の立候補は色々なことを教えてくれた。一流の専門家でも専門以外の分野ではいかにお粗末となり得るか。最高学府を卒業した、社会的な名声を得た、そしてマスコミが持てはやす人間が自分のことをいかに勘違いするか。お金がある人には選挙は最高の道楽かも知れない。選挙の供託金300万円が没収される限度は得票総数の十分の1、今回は55万票であるので黒川先生も悠々と没収される。第五位はお馴染みドクター中松=8.6万票(1.5%)。この中松 義郎先生(78歳)は”泡沫”などでない。泡のように消え入ることなく毎回選挙に立候補。選挙公報で”世界から注目される人”、”東京に先祖代々いる人”などと自分を推薦なさる。発明だけ見ていると私の好みのものもあるのだが、残念ながら選挙は落選7回(?)。第六位は桜金造氏(50歳)=7万票(1.3%)。金造さんとしても善戦か。選挙公報でいわく:「どんな人でも生きていく権利があります。・・胸を張って楽しく生きてゆきましょう(原文のまま)」。50歳の記念立候補としてもまだ先は長い。これからNHKのドラマにも出演し難いのでないかと他人事ながら心配してしまう。第七位以下(8名)は得票総数の100分の1=5.5万票に充たない。それにしても選挙はどの立候補者にとっても楽しいイベントであるようにみえる。
4月10日@中目黒公園

4月11日(水) <バラの香りに美白・・>
「バラの香りに美白成分」という記事があった。花が咲いたまま香りの成分を集める手法で数百種のバラの香りを分析した結果、ある種の白いバラの香りに皮膚のメラニン色素の生成を抑える特有の成分が発見されたそうだ(カネボウ化粧品による)。バラの花の色が真っ白になるメカニズムと関連しているのでないかと更に研究が進められているという。香りの成分が花の色と直接関係があるとすれば非常に興味深い。それにしても花に香りが強いものとほとんどないものがあるのは何故だろう。これまで花に関心がなかった私であるが確かに花はまだまだ神秘の中にある。冒頭の記事はいま国立科学博物館(東京・上野)で開催されている「花の特別展」(6月17日まで、Web=ここ)の案内で知った。タイトル枠に「人はどうして花をきれいだと思うのだろう」とある。科学博物館での開催であるから”科学的に”解明されているのだろうか。是非その内に行ってみたい。
「今日の作品」に「線描皿C/本焼成前(白化粧)」<陶芸>を掲載した。このお皿は5月下旬に「穴窯」(千葉の窯)で本焼成する予定。余りに先の完成となるので焼成前の状態を撮影したもの。

4月12日(木) <宵のうち・・>
「宵のうち」の言葉が天気予報からなくなる。気象庁が予報の用語として「宵のうち」(午後6-9時頃)が正確に伝わらないとして「夜のはじめころ」に改めると云う話だ。こうして並べて書いてみると「宵のうち」の方が情緒がある。「はじめのころ」は意味が明瞭という訳でもなしに”易きに着いた”改変に思える(宵の明星=金星は残るのでしょうね)。同じような傾向で、”分かり易く”漢字をひらかなで表記するのが気になってしようがない。テレビや新聞の文字表示でも至る処に”ひらかな”を使う。「いっと6けん」とか「ゆうどきネットワーク」は好きでないがソフトな表現を意図したものとまだ理解できる。これが、「こ線橋」(=跨線橋)、ぼん鐘(=梵鐘)、「ぎおん」(=祇園)などとなると日本語、日本文化をバカにしているとしか思えない。そういえば「さいたま」に親しんでいると「埼玉」の字も書けなくなりそうだ。難しい漢字には「ルビを振る」という日本語独特のマジックを使うこともないのはどうしてなのか。”易しいこと”は必ずしも人に”優しいこと”ではない。

4月13日(金) <上野・・>
上野で遊んだ。まず知人から案内をいただいた東京都美術館で開催されている「現代日本彫刻作家展」をみる。巨大な石から電動工具を使って造形する彫刻の手間を考えると「陶芸」でも「絵画」でも楽なものだと彫刻展をみるといつも彫刻家の労苦に感服してしまう。彫刻と比べると粘土の芸はまだまだ新発想ができそうである。次に上野公園を横断して上野駅の御徒町寄り、アメ横の入り口で昼食。「洋麺屋五右衛門」でスパゲッテイーを食べたのであるが、これが期待以上に美味しい。このチェーン店を色々な所で見かけるが、少なくとも上野の店はお勧め。食器も気に入ったので食後裏を返してよく鑑賞した。その後、アメ横で買い物をしながら御徒町まで歩く。「アメヤ横丁」には魚介類や乾物などの食料品、衣類、雑貨、宝飾品などの店が400軒以上連なっているのはご存知の通り。この商店街の活気はやはり他では類を見ない。私はスポーツ用の靴やウェアを買う。妻はゼラチンを1kg買ったようだ。こんな買い物ができるのもアメ横ならでは・・。渋谷や原宿などと全く違う雰囲気を持った上野で非日常を堪能した。
4月13日@東京都美術館
4月14日(土) <緊張感・・>
「今日の作品」に「線描皿A/完成品(陶芸)」を掲載した。陶芸コーナー(=ここ)には今回完成した皿Aの本焼成前後の状態を並べてみたが、欅(けやき)の枝のニュアンスは比較的本焼成後も維持された方であろうか。今日の午後、数日振りに陶芸教室にいくと、この皿の他に3種類の作品が手待ちの状態で棚に完成していた。完成品は受取るだけであるが、素焼きが出来上がった状態の作品は続いて釉薬を選び仕上げの段取りをする。待ったなしの心地よい緊張感が走るのはこんな時である。・・緊張感といえば、今日六大学野球開幕戦で一年生ながら初先発をした早稲田の斉藤君(昨夏甲子園優勝投手)も緊張感はあるのだろうが実に冷静。東大相手に6回を無失点に抑えて白星デビューした(試合は早大8-1)。この日、神宮球場の隣でテニスをする私は斉藤君が球場に入ったという同じ時刻の8時前にはその場にいた。いつになく人が多く華やいだ雰囲気。9時にテニスを始めたのであるが、実は9時前には斉藤がウオーミングアップを開始したとか、斉藤が投げていると知ったのは10時過ぎに仲間の話を聞いてからだった。それにしても一人のスターで6大学野球が元気になるのはすごいことだ。斎藤佑樹投手の一挙手一投足には気持ちのよい緊張感が漂って
いる。

4月15日(日) <府中・・>
集まりがあり府中を訪れた。東京に長く住んでいるが新宿から西に22kmの位置にある府中を歩いたのは初めてであった。まず府中駅前から大國魂神社参道に至る”ケヤキ並木”(天然記念物)に圧倒された。都心で見るケヤキとは年期が違う老大木がこの地の歴史を示している。大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)の創立は紀元111年とある。府中とは元来「国府」の所在地の意で、大化の改新(645年)に伴い武蔵の国の国府が置かれたのが今の大國魂神社付近であったという。大宝律令(8世紀初頭に制定/「日本」を法的に確定)にしたがって日本全国に68の「国府」が配置されたので、府中以外にも各所に国府の名前が現代まで残っている。云われてみると、甲府(甲斐国府)、駿府(駿河国府/静岡市)、太宰府(筑前国府)、防府(周防国府)なども国府の場所だ。府中は名前の歴史も興味深いが、樹木や神社が大きな歴史遺産である。東京にはまだまだ歴史豊かな知らない土地が多いことを痛感した日曜日だった。
4月15日府中のケヤキ

4月16日(月) <全盲聾者・・>
今朝の毎日新聞のコラム「余録」に教えられて、12日に行なわれた東大の入学式での祝辞を読んで感動した。東大総長の祝辞ではなく、その次に話をされた東京大学先端科学技術研究センターの准教授、福島智さんの祝辞である。この福島智先生(1962年生まれ)はただの大学の先生とは違う。9歳(小3)で全く目が見えなくなり、17歳(高2)で耳が全く聞こえなくなったという「全盲聾(もうろう)者」。ヘレンケラーと同じような障害を持ちながら、日本で初めて盲聾者として大学進学を果たし、その後研究者としての道を歩む。想像を絶する努力の結果で今の福島先生があるのだろうが、先生は新入生に「困難に挑戦すること」を説く。「挑戦とは、他者の立場を想像する力と、他者と協力しながら新しいものを生み出していく営みです」など共感出来る言葉が連なる。この福島先生の祝辞の全文をWebで読むことができるので是非熟読されることを勧めたい(=ここ)。五体満足、健常者の私たちは甘えてはいられない。
「今日の作品」に「線描皿B/完成品(陶芸)」を掲載した。線描画としては不鮮明で成功作とは云えないかもしれないが、我が家の食卓では必需品だ。


4月17日(火) <スピーカー・・>
スピーカーを見直している。20年以上使ったCDプレーヤーが故障したので、この機会にもう使用することのないレコードプレーヤーとカセットプレーヤーと合わせて一式処分することにした。ただし、スピーカーは英国の名品、グッドマン製の大型スピーカーであるので、これは活かしたい。何を買い足せばよいか、あれこれ考えた末に、結局パソコンをアンプに接続してスピーカーを鳴らす方式ですばらしいステレオシステムができあがった。お金は一銭(一円というべきか)もかからず。単品のCDを聴くことはもちろん、パソコンの中に取り込まれている(i-Tuneにて)音楽は自在に大型スピーカーで聴くことができるようになった。いま音楽を聴くことに関してはi-Podなどに代表される超小型プレーヤーにより高性能のイヤホーンで一人聴くのが当然となっている。それでも改めてスピーカーで音を聴くとこれもなかなか捨て難い。スピーカーのよいところは音を聴く場を仲間と共用出来ることだ。「パソコン」の言葉通りに何でもパーソナル、自分だけの世界に閉じこもることが多くなる時代に案外スピーカーシステムは人の輪=人の和をつくる道具として生き残るのでないだろうか。

4月18日(水) <陰惨な事件・・>
陰惨な事件が相次ぐ。アメリカのバージニア工科大学で銃が乱射され学生・教員など32人が死亡するという事件が報道された12時間後(昨晩8時前)に、今度は日本の長崎で市長が(選挙活動中)狙撃された。犯人は暴力団の幹部で取調べが行なわれている最中であるが、動機はともかく、拳銃での殺人を実行させたキッカケはアメリカの乱射事件なのでないかと私は推測している。ある種の人間は暴力事件の報道に接すると自分もできると触発される。自殺報道で自殺が伝播するのと同じ現象でないか。真偽は分からないがいつも報道とは善であるか否かを考えさせられる。アメリカでの事件の犯人は韓国人の学生であった。アメリカ社会では韓国人も日本人も同じアジア人で区別はない。日本人も謹慎しなければならない。
今日は季節外れの寒さ(東京も寒いが阿蘇で積雪28cm!)であるが「今日の作品」には若葉をつけ始めた「クスノキ」<水彩画>を掲載した。この樹木は東京の旧朝倉邸(=渋谷会議所)の庭園にあるもの。今一般に開放するための工事中であるが表からクスノキの巨木を見ることができる<旧朝倉邸に関しては関係者の絶大な努力=ここ=により保存・開放されることとなった>。今日、このクスノキを描きながら何のためにこの絵を描くのか自問した。はじめは枝振りの面白さに引かれたのであるが描いている内にこの巨樹もただ自然に大きくなったのではなく至る処を人間に切り刻まれながら負けずに枝を伸ばしていく様が見えてきた。その内、クスノキの生命力に圧倒されて“何のために”など考えずにただ筆を走らせるだけ。これで十分に思える。


4月19日(木) <東京ミッドタウン・・>
東京ミッドタウンを初めて訪れた。といっても東京に住んでいる人にも紛らわしくて分かり難いのだが、「東京ミッドタウン」は最近港区六本木の旧防衛庁跡地と赤坂9丁目の再開発により誕生した地域一帯につけられた呼び名である(2007年3月30日街開き)。タウン内には、高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」(54階建ての超高層ミッドタウンタワーの45-53F)、USEN、ヤフー、富士フィルム、富士ゼロックス、コナミ(ゲームメーカー)などのオフィス、サントリー美術館などの文化施設、130余の店舗、、病院、住居など複合的な施設が集約されている(Web案内=ここ)。超高級ホテルの話を漏れ聞いていたので、恐る恐る行ってみたのだが、ホットしたのは、自由に入ることが出来る公園やグリーンゾーンが充実していることであった。少し前に話題となった六本木ヒルズと比べると、街としての雰囲気、建築や設備のデザインなど全ての面で私はこちらの方がず〜っと好きになった。誰でも出入りできるところに配置された樹木や花、それからベンチや休憩所の一つ一つにも細かく気を配ったのが伝わってくる。この場所であれば、スケッチブックを持っていって、しばしスケッチをしてくることもできそうだ。・・こんなことを綴りながら今突然にこの公園が何故雰囲気がよいか気がついた。それは区役所の公園課の管理でなく民間の施設であるからに間違いない。ここの公園には区役所が山ほど取り付ける”看板”が一つもない!
4月19日@東京ミッドタウンの公園
4月20日(金) <天候が良好過ぎて・・>
「天候が良好過ぎて」大会が今日まで4日間も順延されているスポーツ。何かと思うと、いまスペイン・バレンシアで行なわれているヨットレースだった。風が凪いではヨットは動かない。東京は冷たい雨や曇りが続いたが、今日になってようやく朝から陽光を浴びることができた。早朝の犬の散歩の時に会うと必ず挨拶を交わすウオーキング姿の男性がいる。今朝は立ち止まって「よろしければ・・」と一枚のハガキをいただいた。個展の案内だった。このハガキで初めて名前を知ったし絵を描く人であることも分かった。印刷されたハガキの絵も気品のある清々しい絵で好ましい。人間は単純なもので個展の案内ハガキ一枚で”自分ももっとやらなければ・・”と励み始める。ほんの僅かな「風」を受けるだけで走り出すのだ。先日は国立新美術館での展覧会に出展している知人の作品もみた。これも「走る」には適度の”風”。余りに強風であると操縦が難しくなるのはことがあるが、強風もまた時には必要だ。やる気がないとか、つまらぬことに不満を見つけてみるとか、前向きの動きが出来ない時には「天候が良好過ぎる」つまり「平穏無事に過ぎる」ことが多いのでないか。刺激や抵抗こそが動き続けるために必要な風である。
4月21日(土) <七年目・・>
昨夜の巨人ー阪神戦で阪神が奇跡の逆転劇を演じたことがテニス場でも話題になった。1-1で延長戦へ。延長12回、巨人が3点を入れて4-1となった時点でテレビを消した人も多かったようだ。12回裏の阪神の攻撃は長短打で同点に追いつき、二死満塁からが本当のドラマとなった。阪神の代打は背番号99、プロ七年目の狩野。2軍では活躍しているが一軍でヒットを打ったことがない。しかも今季初打席。打球は左翼左にサヨナラ安打となってゲームセット。狩野にとってはプロ七年目の初安打であった。甲子園の阪神ファンはこんなミラクル勝利を見せられて興奮したことだろう。阪神ファンでなくてもこの阪神勝利を祝福したい。
「今日の写真」は強風を受ける八重桜(@西郷山公園/東京目黒区)。東京は今日一日強い風が吹き荒れた。アール(コーギー犬)の予防注射をするために渋谷区役所まで歩いて行った帰り道、公園で休憩して撮影した。
4月21日

4月22日(日) <アースデイ・・>
今日、4月22日は「アースデイ(地球の日)」。東京の代々木公園では多くの出店がでてお祭りのように各種のイベントで盛り上がったという。アースデイは「環境問題に関心を示し行動を起こす日」として1970年にアメリカの市民団体により提案された。日本でイベントが開催されるようになったのは1990年である。私は丁度1990年頃にアースデイに関連して絵を描いた記憶がある。"Earth Day"と絵の中に文字を入れて侍の姿を描いた構図まで覚えているので、この際この絵をコラムに掲載しようと探したが見つからない。古い絵の整理がいかに悪いかを思い知らされたがこれを機会に作品の整理に取りかかりたい。古い絵の作品を見直している内に、私が絵を描き始めたのが1988年であることが分かった。1990年頃の絵を今みると”ガンバっている”と思う反面、その後余り進歩はしていないと思う所もある。アースデイのテーマで何故絵を描いたのかは定かに覚えていない。当時日本でそれほど話題にならなかった「アースデイ」を素早くとらえたのは先物が好きだったのか・・。今ではこんなテーマ性のある絵は描かない。現在は環境省もある時代で環境問題を考えるのは当然のことである。ただしアースデイ関連のアピールをみていると「地球のために」が「反核&反原子力運動」と直結されているものもある。環境問題が政治問題にすり替えられると運動は停滞する。そろそろ市民レベルのアースデイは役割を終える時期なのだろうか。

4月23日(月) <文字の霊・・>
「文字の霊」という興味ある言葉をみつけた。たまたま日めくりの「読むカレンダー」で、今日の文章が中島敦の短編小説「文字禍」であった。その中に「文字の霊」が出て来たまでであるが、早速にWebで調べると全文を読むことができた(=ここ、本当に便利な世の中になった!)。中島敦というと名作「山月記」を思い出すが「文字禍」は知らなかった。「文字の霊(れい)などというものが、一体、あるものか、どうか・・」で「文字禍」ははじまる。古代アッシリアのある老博士が文字の霊を研究し人間が文字を発明した以降に如何に文字の霊により災いを及ぼされているかを確信する物語。最後には文字の霊の祟り(たたり)で博士自身も死んでしまう。「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」と博士(作者)は結論づけた。「文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなった。」・・一言一言が今で云う”逆転の発想”を見せつけられる思いがする。この「文字禍」の短編小説は昭和17年、中島敦33歳(この年の末、中島は33歳で病死した)の作品である。

4月24日(火) <ローリエ・・>
自分で料理を作る時には幼稚園児以下の常識しかないことを自覚している。だから笑われてもいいと開き直っているが、何かある度に新しい知識が増えるのは確かである。先日「骨付きチキンのじっくり煮」を作ったとき、その場になって”ローリエ”がないと騒いだ。ローリエの保管場所などなかったが、何のことはないビニール袋に入った”月桂樹の葉”は沢山みつかった。この際、「ローリエ」について調べてみた。ローリエとはフランス語で月桂樹の葉を乾燥させた香辛料。英語ではベイ・リーフ(Bay leaf)という。日本語では月桂樹の葉かな。クスノキ科の月桂樹は日本の植物辞典でも”別名ローレル”と記載されているように学名はLaurus nobilis。Laurusはラテン語の「誉めたたえる(Laudis)」から転化した言葉(nobilisはnoble「気品のある、立派な」であろう)。ギリシャ神話では太陽の神アポロンの求愛を迫られたダフネが月桂樹に身を変える(ギリシャ語ではダフネは月桂樹の意)。アポロンは、月桂樹の枝から月桂冠を作り、永遠の愛の証として生涯身に着けたという話。古代ギリシャの時代から月桂樹は神聖な樹木とみなされ、葉の付いた枝で作られた月桂冠は栄光の象徴として英雄や勝者の頭上にかかげられた。一方で月桂樹の葉は古来から多くの薬効でも知られた。欧州では毎朝月桂樹の葉を二枚食べて肝臓を強化する療法もあるそうだ。香辛料としてのローリエはフランス語であるが語源は先に書いたラテン語に由来し、同じ月桂樹系の語源を持つ言葉はローレンス(地方)、イブ・サン・ローラン(名前)、ラルフ・ローレン(名前)など。・・ローリエを発端として調べてみると際限なく続いていく。私自身は、月桂樹の木を育てながら薬効ある葉を毎日食べることができないか、来週のゴールデンウィークに挑戦するテーマができた。

4月25日(水) <真剣勝負・・>
久しぶりにニューヨークに住む孫娘宛の絵を描いた(「今日の作品」に掲載)。昨年は絵手紙として7枚の絵を送っているが(=ここ)、今年はまだ一枚も出していない。今朝になって今日中にNY向けの絵を描くと宣言した。有言実行・・言葉に出しておかないと物事進まない。ハガキサイズの絵は欲求不満になるので今回はA4サイズと決めた。さて何を描くかで悩んだ。私はこの孫娘とは真剣勝負の気合いで付き合う。幼児とか孫とか考えて手抜きは絶対にできない。大体この孫娘は1をきいて10(50かな?)を知る風で、何でも直ぐに吸収するので変なものはむしろ悪影響を及ぼす。といっても所詮自分以上のことは出来っこない。そこは余り深く考えずに、とにかく世の中にないオリジナルを伝えることにして掲載したような作品ができあがった。実はこのような線描画は最近の陶芸の模様として追求しているものでもある。自分の陶芸作品でこんな線描を試みたいと思っている。さて今回の絵(図案)を孫娘はどう受けとめるか。少し堅苦しく見えてしまうが真剣勝負の中に自由さを見つけてくれるだろう。


4月26日(木) <歴史遺産・・>
歴史遺産の偉大さをみるとき一方で現代の営みの微々たる様と対比させて複雑な思いを抱く。イタリアのヴェニス、フィレンツエ、ローマなどすばらしい観光地は全て歴史遺産である。それはフランスでもスペインでもエジプトでも、観光地と云われる場所は同じこと。観光で”食べている”国は歴史遺産で生存していると云ってもよい。中国の万里の長城、兵馬俑、紫禁城など、ロシアのクレムリン、エミルタージュ美術館などにしても強大な権力を手中にした皇帝や王様が造り上げた遺産で現代の観光が成り立っている。中国、ロシアにこの100年間の成果を見に行く人はいない。もっとも私は近年の遺産でも米国の航空博物館などには見学に行ってみたい。諸外国での豪勢な歴史遺産と比べると、日本の世界遺産(文化遺産)は神社仏閣、せいぜい姫路城と、いかに権力の度合いが少なかったかを象徴するようである。・・今日、所用で明治神宮にいった。日本人以上に西欧人、中国人など観光で訪れた外国の人たちが目立つ。この神宮はいま都心では珍しい鬱蒼とした森林の空間を保っているが、創建以来まだ100年も経っていない。観光名所になりつつある明治神宮もささやかな歴史遺産であろう(下の写真は参道脇に並べられた酒樽)

4月26日@明治神宮

4月27日(金) <バイオガソリン・・>
バイオガソリンの販売が今日から首都圏でスタートした。新聞、テレビでもこのニュースは大きく報じられているが、私はどうも「バイオガソリン」がよく分からない。聞けば聞くほど眉ツバに思えてくる。どの報道でも「地球温暖化対策として二酸化炭素の排出量を削減するのが導入の目的」と述べる。本当に二酸化炭素の排出を抑制などできるのか?バイオガソリンはトウモロコシやサトウキビなどから生産されたバイオエタノールを使って加工した添加物をガソリンに7%混入したもの。バイオエタノールも燃やせば当然二酸化炭素を排出するが、植物が成長する過程で大気中の二酸化炭素を吸収しているので、ガソリンが燃焼して排出する二酸化炭素は前に吸収した分を返すだけと見なして新たな二酸化炭素の排出はなしとするという。こんな環境対策は信用出来ない。大体、バイオエタノールを生産する時点で生の植物に対して相応のエネルギーを費やしている。エネルギーは熱量であり植物が吸収した二酸化炭素以外に多くの熱量を加えているはずだ。この程度の二酸化炭素対策ならば植林でも進める方がまだ増しかも知れない。バイオガソリンは石油の乏しい国には有効であろうし、更に有限な石油資源の延命策にはなるだろう。けれども「温暖化対策」などと過大な評価をするべきでなかろう。むしろ人類にとっては自動車に乗らずに安価な食物を得られるのがベストである。

4月28日(土) <ドーナツ型・・>
「ドーナツ型オブジェ(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。陶芸教室の仲間は”浮き輪のよう”という。何でもいいが「ドーナツ型」とした。オブジェという作品名も好きではないが語彙が貧困でうまい名前がでない。実用的には円筒部の内部に水を溜めることはできるので「一輪挿し」になる。水を入れずに造花を差し込む方が使い易いかも知れない。4カ所の四角穴の部分にそれぞれ笛の吹き口を細工したのであるが、この制作に成功したことが作者として一番うれしいところである。4個の穴のどの位置で吹いても音がでる。他の穴を指で塞ぐと音程が変わる。ただし正確な音階とはならないので、ただの「音響器具」ではある。制作の経緯を記載してみたい。3月12日アイデイアをメモ(アイデイアが勝負で翌日計画図を描いている)。3月13日制作開始(制作を始めると半日もかからない)。3月16日ベンガラ(鉄系)を化粧塗。3月24日素焼にだす。4月16日釉薬をかけて本焼成へだす。4月27日完成受領。このような工程を長いと見るか短いとみるかは人それぞれであろう。私としては比較的好きな作品の一つとなりそうだ。


4月29日(日) <叙勲・・>
チラッとみたテレビに顔写真がでていたので、”アー、あの人が亡くなった・・”と納得していたら、春の叙勲の報道だった。失礼ながら、”エー、この人まだ生きているのだ・・”という叙勲の受章者もおいでになる。「生存者叙勲」とは云い得て妙。叙勲は「国家または公共に対し功労のある者」に授与される。この際、「国家または公共に対する功労」の判断が如何に難しいかの事例を思い起こしておきたい。第二次世界大戦中、ナチスドイツの迫害を逃れて脱出を計ろうとするユダヤ人数千人に日本政府の命令を無視して日本通過のビザを発給した元駐リトアニア領事の杉原氏、撃沈された英国艦船の乗組員400名以上が漂流中のところを全員救助した駆逐艦の艦長,工藤氏。いずれも当時の日本国からはマイナスの評価を受けたと思われる行為が、その後の日本人観をどれほど高めたことか。結果的に外交官が何百人いても達成出来ないほどの功労に対して相応の叙勲はない。勲章とは縁のない幾多の杉原さん、工藤さんが実際には社会を支えている。

4月30日(月) <ケータイ・・>
ケータイにほとんど関係ない生活を送っている。今日、ゴールデンウィークの休日にもケータイは一度も使わなかった。それでも「携帯機器」の将来には大いに関心がある。あえて「携帯電話」としない。「携帯」は個人が身につける情報機器である。特にGPS(Grobal Positioning System/全地球測位システム)により携帯を持っている人の位置を特定する機能はすばらしい。GPSによる位置情報と基地局との相対的な位置関係を利用する用途は既にかなり具体化しつつあるが、本当の応用はまだまだこれからスタートすると考えられる。将来は「携帯」の電話は単なる一つの機能に過ぎなくなるのは間違いないだろう。携帯コンピューターでどのような機能を持たせるかはアイデイア次第。今の時点で「夢」を綴っておけば数年後には大抵は現実になるかも知れない。・・以上は一般論である。現実の「携帯電話」業界ではしばしば指摘されるのが日本の携帯電話が世界の競合に遅れをとっていること。日本国内では優れた複合機能を持った携帯が世界では売れない。世界のシェアもノキア(フィンランド)、モトローラ(米国)、サムスン(韓国)その他に遠く及ばない。・・現実をみると安易な話は出来なくなるが、10年先には「携帯」も大変革されているはず。日本の各社(大体メーカー数が多過ぎるけれども)が世界に新機能を普及させることを「夢」みたい。

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