これまでの「今日のコラム」(2008年 5月分)

5月1日(木)   <躑躅(つつじ)色という色名がある・・>
躑躅(つつじ)色という色名がある。5月・皐月になったのを待っていたように今日は躑躅色が目に眩しかった。私の持っている「色の手帳」(小学館版)によれば、躑躅色は「あざやかな紫みの赤」と説明されている(色相、明度、彩度の数値と色見本付)。似た色では「赤紫」は「赤みをおびた紫色」、「牡丹色」は「紫がかった紅色」である。また、「マゼンタ』は「あざやかな赤紫」。表現の違いも微妙であるが、人はこの微妙な色の違いを感知する。ツツジには躑躅色以外に白いツツジや紅色のツツジなどもあると云うことはない。ツツジは日本だけで40-50種類あるそうであるから「躑躅色」を代表としてもおかしくはないだろう。考えてみると「躑躅色」のような日本の色の名称は色だけで季節感が漂う。桃色、桜色、若草色、菖蒲色・・、蒲公英(たんぽぽ)色、向日葵(ひまわり)色まである。一方で季節とは関係がなくても文字だけで情緒を醸し出す色名もある。茜色(アカネの根から採った染料で染めた色/こい赤)、亜麻色(亜麻糸の色、ムギワラ色/明るい灰黄)、琥珀色(琥珀のような色/くすんだ赤みの黄)・・。「躑躅色」は、C(シアン)=3%、M(マゼンタ)=90%、Y(イエロー)=16%、B(ブラック)=0%の原色の組合せ(例)でできる。こうした数値はコンピュータ印刷のときだけにして色はやはり親しみの持てる名前で呼びたい。
5月2日(金)   <グランドファーザーズ・レタ−展・・>
グランドファーザーズ・レタ−展を見た。サブタイトルに「孫に宛てた1200通の絵手紙」とあるように絵手紙の展覧会である(東京・玉川高島屋にて5/6まで開催中=案内ここ=、関連サイト=ここ)。最近は絵手紙が流行しているが、この絵手紙は100年ほど前、英国人ヘンリー卿が4人の孫たちのために描いた総数1200点に及ぶ絵手紙の元祖ともいえるもの。この絵手紙のコレクションが発掘された経緯も面白い。25年前にヘンリー卿の曾孫(ひまご)が亡き衣装棚から偶然発見し、英国サザビーズがこれを「親族に宛てた世界最多の書簡」と認定してマスコミでも評判になったという。ヘンリー卿は当時英国の植民地であったインドに生まれ、手紙を書く頃には英国に定住しているが、孫の二人もインド生まれ。孫たちは遠く英国から船便で届く絵手紙をどんなに楽しみにしていたことだろう。孫はみな生涯おじいちゃんの絵手紙を大切に保管していた。私は絵手紙の絵の内容をじっくりと観賞したが、特別に公開されることなど考えてもいない一枚一枚を実に丁寧に、ユーモアと愛情を込めて描いているにに感動した。ヘンリー卿は一週間に一通ずつを20年間続けたという。まだ間に合う・・、私のかわいいお孫ちゃんへの絵手紙を復活させたくなった・・。

5月3日(土)   <犬の介護・・>
犬の介護にも試行錯誤がつきものだ。人間と同じく犬も高齢化によって介護が必要になる。最近はコーギー犬リンクの人や知人の間で手厚く介護されている犬の話をよく耳にするようになった。我が家のアール(コーギー犬)は11歳半であるのでまだ老犬というほどではないが(といってもアールの母親のアンは10歳で亡くなった)左の後ろ脚がいうことを聞かない。リハビリを続けているが神経が麻痺したようで回復出来るかどうか分からない。そこで遠くまで散歩に行く時に使いたいと制作したのが「今日の作品」に掲載した「アール用歩行補助車(工作)」である。以前、後ろ脚に補助車をつけて散歩している犬に会ったことがあるので、アールの体格に合致した特製補助車を作ってみた。ほとんど有り合わせの部品で製作し、特に私の古いベルトをうまく活用できたので得意になっていた。けれども、この補助車には「音が高い」という欠点がある。絨毯の上では問題なかったがコンクリートや舗装道路では音がうるさ過ぎる。今日の散歩ではこの「補助車』を使わずに、タオルで胴体の後半をサポートしながら歩いた。片手にタオルでアールの体重を支えながらもう一方の手でリードを持って散歩するのは人間が大変だが犬の方は快調に歩く。タオルと同じ役をさせる「老犬介護用歩行補助ハーネス(後ろ脚用)」というものものしい名前の介護用品もある。実はこれを購入したのだが手元に来るのは4ー5日先になりそう。せっかく制作した「補助車」も何とか活用できないか、いま「工作作品」の使い道を考えている。

5月4日(日)   <失敗から学ぶ・・>
「失敗から学ぶ」は私のモットーである。今日の大失敗の際には、まず何故そうなったかの原因追求に頭がいっぱいになり嘆き悲しむ感情はどこかに吹っ飛んでしまった。取り返しがつかないことをくよくよしないためには原因究明の習慣がよい。今日の失敗とは、我が家の陶芸用の窯をオープンしたところ、またまた作品が粉々に破裂していたのである。今回は陶芸展も迫ってきたので出展する作品を選ぶところで、完成している「笛付き花器=ここに掲載/2008-2-15陶芸作品」を今ひとつ色絵の具でポイントをつけるべく、絵付け温度780度まで加熱(素焼きコースにて)したもの。本焼きで既に1230度で焼成済みの作品に色をつけるだけであるので軽く考えていた。普通色絵をつけるには同じ温度工程で全く問題はない。ところが今にして思うと、この花器は完成後二三ヶ月我が家で使用してきた経緯があった。陶器には吸水性がある(磁器にはない)のは常識。釉薬がついていない個所もある容器に長い間水をいれておけばたっぷりと水を吸っている。水蒸気爆発のストーリーは整い過ぎるぐらいだ。それにしても、失敗をしたもう一つ奥底の要因は後で考えれば納得出来る事象を事前に考えずに何でもやってしまう己が性癖。これについての再発防止は容易ではない・・。

5月5日(月)   <こどもの日には母に感謝する・・>
こどもの日には母に感謝することも趣旨であるそうだ。今朝の産経抄に『昭和23年に施行された祝日法には、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とある』と書かれているので、調べるとその通りであった。国民の祝日に関する法律(祝日法/昭23年=1948=7月に公布・施行)にあえて「母に感謝」の文言をいれた経緯は知らないが、私はなぜ「父母に感謝する」としなかったのか引っかかった。推測するに、5月5日は古来から「端午の節句」であり、“男子の健やかな成長を願う”端午の節句の日を「こどもの日」にすると女性の差別にならないかというので、あえて「母に感謝」を入れたのだろうか。いずれにしても60年前の男女の立場は現在とは大違いであっただろう。いまや公の場での女性の活躍はますます盛んである。女性初のクリントン大統領は可能性が低くなってきたが、意外に日本初の女性総理大臣誕生が取沙汰されるようになった。「こどもの日」には「父母に感謝」と改訂しなければならないか・・。
「今日の作品」に「フィンガー/mieuへの絵手紙(水彩)」を掲載した。左手の指を絵具の上に置いて指そのままの形をとったもの。今日は何もやる気がしなかったけれども、この絵手紙を描き始めて指を絵具で汚しているうちに俄然元気が湧いてきた。


5月6日(火)   <37歳で新たな挑戦・・>
37歳で新たな挑戦を始めたテニスの伊達公子選手が話題となっている。プロテニスプレーヤーとして日本人最高の戦績を残しながら25歳(26歳直前)で現役引退を表明し、12年を経た後、今年4月に復帰宣言。復帰第一線のカンガルーカップ国際女子オープンではシングルスで準優勝、ダブルスで優勝と年齢を感じさせないすばらしい結果をみせた。休むことなく、いまは福岡国際女子テニスに出場中である<今日のダブルスの試合はオーストラリアの組に7-6、5-7、6-10(スーパータイブレイク)で惜敗した>。テニスでは現在の世界のトッププレーヤーはもちろん若手が占めている。ランキング1位のエナン(ベルギー)、2位のイバノビッチ(セルビア)、3位のシャラポア(ロシア)の年齢は各25,20,21歳。トップ10の最高齢は8位のV.ウィリアムス(USA)の27歳。日本でトップ(世界36位)の杉山愛は32歳、日本2位(同53位)の森上亜希子は28歳・・とみると日本女子は年齢に関係なくガンバっている。伊達公子の復帰には大いに声援を送るものだが、伊達さんとしては自分が入り込む余地がないほどに日本人の若手に元気を出して欲しいのが本心のように思える。男子テニスには18歳の錦織圭というスターが生まれた。女子テニスにも伊達公子を凌駕(りょうが)する10代のスターが欲しい。

5月7日(水)   <粋な作品とは・・>
粋な作品とはまた難しいテーマが与えられた。陶芸教室での作陶展が2週間後に迫ったが通常の出展枠以外に「粋な作品コーナー」を作り自由に(大きさの規制はあるが)出品できることになっている。試しに自分でいくつか候補を制作した一つが「今日の作品」に掲載した「一輪挿し/笛付き(陶芸)」である。お茶碗やぐい飲みなどは敬遠してまた笛付きの一輪挿しを作った。笛の吹き口をつけて音程を変えるための穴を開けると動物の顔のようになったが、深い意味をもって顔を作った訳ではない。それにしても改めて”これは粋か”と問われれば何とも云えない。今回の「粋」テーマで作品を作るに当たって「粋とは何か」を考察した経緯を先の3月16日コラム=ここ=に書いている。九鬼周造が「粋」を徹底的に研究した名著「いきの構造」(NETではここで読める!)に関連した本をも読み直した結果、自分で粋だと思う作品などできないと諦めて制作した結果が「今日の作品」となった。他に二つ候補作品があるので順次掲載してみたい。

5月8日(木)   <銭太鼓・・>
銭太鼓(ぜにだいこ)をはじめて見せてもらった。「銭太鼓」といっても太鼓ではなく、踊りの伴奏用に手振りをつけながらリズムをとる楽器で、タンバリンとバトンガールが使うバトンを組み合わせたような使い方をする。元来は出雲地方に発祥した民俗芸能楽器の一つとされるが現在は全国的に愛好者がいるようだ。銭太鼓の構造は30cmほどの竹筒の中に銭を入れて音が響くようにしたもの。現在のものは5円玉を一本に6個ほど入れ二本一組にして両手を使ってリズムをとる。筒の両端には派手な総(ふさ)をつけて見た目にも華やかな手振りが演出される。説明よりも出雲名物”安来節”の伴奏をした動画(=ここ)をご覧いただきたい(これは島根県やすぎ観光サイト=ここ=よりのリンク)。この銭太鼓には伝統的な民族楽器として伝承されるだけでなく、バトンなどの技を導入して新しい”見せるリズム楽器”となる可能性があるように見えた。ジャズやポピュラー音楽のリズムに合わせても面白いだろう。それにしても”狭い日本”の中にもまだ知らぬ芸能は多い。
5月9日(金)   <血液型による性格分類・・>
血液型による性格分類について「日本と一部の東アジアの国にだけ存在する疑似科学の迷信で科学的根拠はない」と小気味よく断定されている。Wikipedia(=インターネット上の百科事典)でみた「血液型性格分類」の解説である(=ここ)。それでも日本人は血液型で人の性格をアレコレ云うのが好きで、その種の本もよく売れるらしい。A型の妻も大好きで、B型の私がやることを一々やっぱりB型と納得して喜んでいる。こういう時に適応される血液型とはお馴染みの「ABO式血液型」であるが、私はこの血液型そのものをよく理解していない。そこでまたWikipediaで「血液型」を調べた(=ここ)。ところが血液型とは「血液内にある血球のもつ抗原の違いをもとに決めた血液の分類のこと」で膨大な数(数兆ともいう)の血液型が存在して「世界を捜しても、自分と完全に同じ血液型をしている人はいないとすら言われる」とある。その中で赤血球による血液型の分類法でABO式が説明されているのだが、抗原とか抗体が私の理解を超えていた。・・ABO式血液型で性格を分類するのは「科学的な根拠はない」ことを承知の上での”遊び”であろう。そういえば本日の運勢をテレビで放映したり怪しげな占い師がスターになったりしている。血液型も占いも“根拠はなくても”人を楽しませ(?)、それでお金を稼ぐ人がいる。
「今日の作品」に「一輪挿しB/笛付き」(陶芸)を掲載した。この器の笛はとてもよく鳴る。


5月10日(土)   <信心の力・・>
信心の力のことを書いてみたい。昨日のコラムで血液型による性格分類が「科学的根拠はない」と書いたので、今日は反対に「科学的根拠を過信してはならない」と云いたくなったのである。現代の科学は目覚ましい発展を遂げていることは勿論認めるところであるが真理は際限がなく深い。ガレリオが地球は天の中心でないことを望遠鏡で実証しようとしていたのがわずか400年前。以後の大進歩があったといっても人類の歴史からみると科学はまだ余りに幼い。一つの課題が解明されると次に10個の新たな疑問がでてくるのが科学であろう。科学が未熟な時代に人は神への信仰心、あるいはある種の信心により壮大な文明を築いた。人が成し遂げることと「科学的根拠」は関係がなく、むしろ何かを信ずる心が力を発揮させる。現代の脳科学でも「信ずる心」と生理や能力の関係が解明されているとは思えないが、必要なのは科学的な根拠でなく「成せばなる」と信じて「成すこと」であろう。ゆえに、血液型でも占いでも自分に都合のいいところだけを取り出して信ずる、つまり「プラス思考」に応用すれば十分に役に立つのでないか。

5月11日(日)   <ルオーとマチス・・>
「ルオーとマチス」という展覧会を見た。「松下電工汐留ミュージアム・ルオーギャラリー」(=「世界で唯一ルオーの名を冠する美術館」とか)が開館5周年を記念して開催している特別展である(東京展は本日まで、以後、広島、新潟、愛知を巡回)。ルオー(1871-1958)とマチス(1869-1954)は同じ時代にフランスで活躍した画家であるが、二人が若い頃に切磋琢磨しあった仲間であり、晩年に至るまで変わらぬ友情を続けていたとは知らなかった。展覧会にはルオーとマチスの往復書簡も展示されている。これらの書簡は二次大戦中にナチスドイツがフランスを占領した時代の混乱から行方不明であったものが2年前に発見されたという。歴史に名をなす二人の巨匠が非常に親しかったことは興味深いが、この二人が美術学校でギュスタ−ヴ・モローの教室で共に学んだと知って、モローのことをあらためて見直す。モローというと「サロメ」などの代表作と共に歴史上の題材を緻密に描いた絵画を思い出す(以前訪れたことのあるパリのギュスタ−ヴ・モロー美術館は強烈な印象で忘れられない)。しかし教師としてのモローは決して自分の流儀を押し付けなかった。ルオーもマチスもモローを心から尊敬しながらそれぞれの個性を存分に発揮していく(モローが病死したことでルオーもマチスも学校を去った)。全く違った画風に発展していく二人の絵画を並べてみるのは面白かったが、更に予想外の刺激も受けた。ルオーが絵付けをした陶磁器の花瓶や水差しが展示されていたのである。ルオーは10年余の期間に陶芸家の工房で130点以上の絵付けをしたという。いかにもルオーらしい絵付けの花瓶を見て私ももっと大胆に陶芸の絵付けをしてみたくなった。
5月12日(月)   <今日は大田区の中を動き回った・・>
今日は大田区の中を動き回った。大田区は私にとって今の地元(渋谷、目黒)に次いで縁が深い。もう50年以上も昔になるが高校受験のため初めて東京に寝泊まりした親戚の家が大田区北千束にあった。まだ環状七号道路ができる前でいまの環七付近をよく歩いた。はじめ「太田区」と字を書いて、”点”がない「大」を使う「大田区」だと直された覚えがある。大田区が大森区と蒲田区が合併してできた名前だとその時に教わった。大田区は東京都23区の中で最も面積が広い区である。地形的には田園調布などのある西北部の丘陵地帯と大森(貝塚史跡がある)や羽田などのある東南部の低地に分かれる。いまの低地部には京浜工業地帯の続きとして中小の工場が密集し、最近は大田区内の中小企業が世界に冠たる特殊技術を持っていることでも注目されている。今日は側を通っただけであったが、「蒲田」にもよくいく。一般的には”蒲田行進曲”で知られている「蒲田」であるが、私は「ユザワヤ」で材料を仕入れることが多い(蒲田にはユザワヤのビルが数館あり大抵の素材は手に入る)。蒲田の昼の顔しか知らない私であるが、蒲田は行く度に変貌している。そして大田区も、・・と限ることはなく東京の他の地域でも同じだが、停滞することのない活気を感じるところがいい。

5月13日(火)   <安野光雅さんのエネルギーのもとは・・>
安野光雅さんのエネルギーのもとは何だろうとしばし考えた。いま日本橋高島屋(東京)で開催中の「安野光雅(絵本)三国志展」(5/19まで)をみての話である。安野光雅さんは1926年生まれで今年82歳。画家、絵本作家の範疇に収まらない広い分野、例えば、数学、文学と美術を結びつける独創的な作品や著作で知られる。私は昔から安野ファンで「ABCの本」、「即興詩人」から「絵本平家物語」に至るまで何冊の安野本を持っているか分からない。その安野さんが75歳になった2001年に郷里津和野町(島根県)に安野光雅美術館が開館した。普通ならこの辺りで功なり名を遂げた過去の人の仲間入りをしてしまいそうだが、2004年78歳になって「絵本三国志」にとりかかり、以後4度中国スケッチを敢行。4年の歳月をかけて今回展示されている「絵本三国志」シリーズ全93点を描き上げたという。今回の展覧会を見てそれぞれの作品(=中国製の絹本/絹の素材に描いている)には若い頃を上回る気迫を感じた。淡い色調の静かな雰囲気の中に80歳を過ぎてこの迫力・・。安野光雅さんは“私はただ絵が好きで・・”とおっしゃるが、他に何かエネルギー源があるに違いない・・。
「今日の作品」に「 一輪挿しC(陶芸)」を掲載した。5/7コラムで書いた「粋な作品」候補。これには「笛」はついていない。


5月14日(水)   <ねんきん特別便・・>
ねんきん特別便を受取った。いま後期高齢者医療制度の評判は最悪だが、「ねんきん特別便」もまた評判はよろしくない。私の場合、年金加入記録の確認といっても極めて単純なので問題はないが、それにしても一般的には社会に出て働き始めた当初に年金のことなど深く考えることはない。天引きされる年金はいわば税金のような感覚でとらえていたので、自分で年金記録を確認することには非常に違和感があるのは確かである。受取った書類の中で私が更に違和感を覚えたのは、「必ず確認・ご回答をお願いします」の欄に「厚生労働大臣舛添要一」の名前が入っているところ。本筋の話ではないが、社会保険事務所に返送する事務手続きを何故大臣が「お願い」しなければならないのか。社会保険庁(の長官)はどこにいったのか。私には何でも大臣を引っ張りだして社会保険庁が責任を回避している、あるいは逃げている図にみえる。逆に役所の誠意が書類の上から見えない。それにしても年金該当者の数だけの回答を受けて、訂正の内容を確認して・・と気の遠くなるような作業にはむしろ同情すべきかもしれない。
「今日の写真」として「アヤメ」を掲載する。自然教育園(東京・白金)では「アヤメ」、「カキツバタ」と個々に名札が付いているので間違えることはない。
アヤメ@自然教育園(東京・白金)にて

5月15日(木)   <白血球の寿命は4-5日・・>
白血球の寿命は4-5日であるという。人は何十年も生きていると何か連続して身体強健であるように錯覚するが、人間の細胞は日夜死滅、生成を繰り返している。今日まで健康であっても食事が変わると一週間、一ヶ月で体質は変わってしまう。毎日の食事の上に生命が成立っているという当たり前のことを改めて認識したのは、”血液細胞の巧妙なメカニズム”を調べてみたところによる。少し孫引きしてみよう。血液中の細胞成分のなかで赤血球の寿命は約120日、ヘモグロビンを含み呼吸で取り入れた酸素を全身の細胞に運搬する赤血球は外部から輸血することもできる。一方、もう一つの細胞成分である白血球は体内に侵入した異物の排除の役割を持ち、専ら骨髄で造血される(外部から補充はできない)。白血球の成り立ちは、顆粒球(60%、殺菌作用を持つ、好中球、好酸球、好塩基球)、リンパ球(25%、ウィルスなど異物への攻撃)、単球(3~8%、細菌などの消化)からなり、冒頭に書いた4-5日の細胞寿命というのはそれぞれの概略平均であろうか(例えば、好中球の寿命は約1日)。・・身体の中に造血装置を稼働させながら細胞を保っているのは神秘的だが、加齢と共に細胞をつくる機能が衰えるのもまた自然。目に見えない細胞の死と再生のドラマは何か”輪廻転生”を思い起こさせる。
5月16日(金)   <今晩の食事は豆腐料理・・>
今晩の食事は豆腐料理。妻が手作りで豆腐を作った。いまはインターネットで豆腐の作り方も親切に教えてくれる。大豆を水につけてふやかしてミキサーでクリーム状にする。それをまた沸騰させたお湯の中に入れて煮詰め、さらしの布で絞り出して豆乳をとる。布に残った分はご存知の”おから”。私はそんな手順を側で見ながら、時々”絞り”の手伝いをしたり、豆乳の味をみたりする。豆乳に「にがり」を加え、凝固させて豆腐とするところが私には一番興味深かった。「にがり」は海水を煮詰めて水分を蒸発させ塩(塩化ナトリウム)の結晶を取り出した残りの成分で、塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、塩化カリウムなどを含む苦みをもつ溶液(苦汁)である。ある時期には「にがり」単独でいろいろな健康効果がある(花粉症、アトピーに有効、殺菌効果、美肌効果、ダイエット効果など)とブームになった。豆腐の凝固剤としてこの「にがり」を使うのは日本では常識であるが、これが中国では「石灰」を使うのが普通であるそうだ。中国で豆腐を食べた日本人は“石灰くさい”という。これも文化の違いなのだろうか。豆腐の凝固剤を分かり易く比較したサイト=ここ=がある。中国で石灰系(硫酸カルシウム/石膏)の凝固剤を使う理由は今ひとつ判然としないが、私たちの豆腐には「にがり」が一番であろう。さて、今晩の豆腐のお味はなかなかの美味、ただし”おから”を味わうのは明日以降となりそうだ
5月17日(土)   <取っ組み合いの力比べ・・>
取っ組み合いの力比べは子どもの頃しかやるチャンスはない。いまの男の子は取っ組み合いをすることはあるのだろうか。上位力士はほとんど外国人で占められている大相撲のテレビをみながらそんなことを思う。私は小学生の頃は相撲が大好きで仲間でよく取っ組み合いをして遊んだ。服を着たままで”まわし”ではなく“ベルト”を持って取り組むのであるが、今にして思えば足腰を鍛えるのに大いに役立ったような気がする。私は左四つで力が強いというより技がうまかったが、どちらかと云うと小柄だった弟が中学に入学して相撲部に入ったのには驚いた。そんな時代だった。自分のことは思い出を語れるが30歳後半の息子とも「取っ組み合い」をして遊んでやった記憶がない。ましてや今の子どもは友達同士が肌をぶつけ合って遊ぶことは少ないのかも知れない。・・特に大相撲の底辺を増やす意味で子どもが相撲をやるべきなどとは云わないが、私にとっては子ども頃の「取っ組み合い」の感触はいまでも心地よい記憶の中にある。何でも良いから思いきり力(筋力、腕力、脚力、跳躍力、瞬発力)を使う遊びが今の子どもにも欲しい。

5月18日(日)   <春樹と隆と隆・・>
春樹と龍と隆、いずれも村上姓の売れっ子である。村上春樹(1949生まれ)と村上龍(1952生まれ)は人気作家、村上隆(1962生まれ)はいま最も跳んでいる現代美術家(ポップアーテイスト)。村上春樹の「ノルウエイの森」や村上龍の「限りなく透明に近いブルー」など小説についてここで語るつもりはない。たまたま村上龍が10年ほど前に書いた「フィジカル・インテンシテイ」という本を読んでいてサッカーについて作家が書くと何倍もサッカーが面白くなるものだと感心していた。そんな時、今度は村上隆の景気のいいニュースが流れた。米国ニューヨークでのサザビーズによるオークションで村上隆のフィギュア(=人物像/アニメ風のキャラクター)が約16億円(!)で落札されたというのである(作品写真=ここ)。米国の現代アート市場を徹底的に研究し尽くして、それに見事に適合させる村上隆の手腕には毎度のことながら感服する。一方で私は個人的には氏の作品がそれほどに斬新でインパクト(迫力そして情熱)があるとは感じない。日本人の作品が猛烈に高く評価されていることは”ご同慶の至り”というべきかもしれないが、それにしても芸術作品の評価とは何か、価値とは何かを考えさせられる。・・隆の戦略的芸術作品の大成功例をみていると、春樹、龍の作家活動はむしろ地味にみえるからおかしい。
<「今日の作品」に「花/mieuへの絵手紙(水彩)」を掲載した。 >


5月19日(月)   <選考は難しい・・>
選考は難しい・・、といって大したものを選んでいるのではない。今週後半に2年に一度の作陶展が開催されるので、自分の陶芸作品のうちどれを出品するかを決めるのである。「選考」の文字より「銓衡」の通りに”重さをはかり調べる”程度のことであるが、“重さ”は作品の優劣ではなく専ら私の”好み”による。それで全くかまわないのだが、問題は私の好みがフラフラ揺れ動くことだろうか。一人で7点までの出品となるので一度決めたつもりでも後でそれよりこちらを出そうと好みが変わる。銓衡して選んだものには「作品名」をつけなければならない。“水流装置”と名付けようとすると妻から重工業の名前みたいと云われて考え直す。陶芸家、故八木一夫さんの図録をとりだしてタイトルをみてみると、「転倒の風景」、「素因の中の素因」、「白い環壷」、「春の海」などとカッコイイタイトルが並んでいる。立派過ぎてとても自分の作品にはつけられない。・・こんな風にとにかくも選考し、名前をつけた。いまの出品準備期間が一番“いい時”かも知れない。選考は難しいのでなく”選考は楽しい”。
5月20日(火)   <日本の水着は最優秀だと勘違い・・>
日本の水着は最優秀だと勘違いしていた。世界新記録続出の「スピード社の水着」を日本代表選手が着用できないという最近のニュースが分からなかったがようやく納得。日本水泳連盟が国内メーカー3社(=ミズノ、アシックス、デサント)を公認メーカーとして契約しているので現状のままでは日本選手は北京オリンピックに英国のスピード社(SPEEDO)製の高性能新水着「レーザー・レーサー」を着用出来ないというのがニュースの内容だ。この水着、米国航空宇宙局や大学の専門家の協力を得て「縫い目がなく抵抗を軽減させる」優れもので着用した選手が次々と世界記録を更新して注目されている。SPEEDOブランドはミズノがアジアでのライセンシー(企画・製造・販売の許可を受けた契約者)となり長年先端技術開発も含めて重要な役割を果たしてきた。その一環としてミズノが“鮫の肌にヒントを得て”開発したという高性能水着がSPEEDOブランドで発売されて私などは単純に日本の技術と思っていたのである。それがミズノの「自社ブランドでの世界戦略強化」の方針で2007年5月に契約が終了。最新鋭のSPEEDO水着をミズノでは扱えない。この辺りの事情についてはWikipedia(インターネットの百科事典)の「SPEEDO」に詳しい(=ここ)。世界記録を競うスポーツの世界でも技術力と、それに「契約条件」までからんでくる時代なのだ。

5月21日(水)   <日本橋三越にいっていわれなく意気消沈・・>
日本橋三越にいっていわれなく意気消沈した。陶芸のチャリテイー作品展があるというので三越まで見に行ったのだが余りのお値段の高さに驚いたのである。丁度明後日から私の陶芸教室で作陶展が開催される(追ってHPでも案内の予定)。いまメンバーが出展作に値段をつけている最中なのだが、とても良い作品にほとんど原価(粘土代、焼成費、ロクロ代など)のような値段をつける人が多く、そういう雰囲気に馴れていた(どうしても売りたくない作品には高い値段をつける)。それが三越の場合、同じような素人集団の作品ながら10倍ほどの値段だ。作品のレベルは好みがあるが私には自分の教室の方が高くみえる。しばらくはため息をつきながら見回ったが、後で冷静になってみると、天下の三越さんでの展覧会ならばそういうものだと自分なりに納得してきた。例えば値段が5万円とすると、三越の取り分が3.5万円(7割)、チャリテイ分が1万円(2割)、残りは5千円だから、私たちのが5千円とするとピッタリ合致する。そんな詮索もバカげていることは承知の上で自分が”意気消沈”する理由もないと気がついた。どうか三越さんのチャリテイ作品が完売しますように・・。

5月22日(木)   <ペントミノ・パズル/AGAIN・・>
「ペントミノ・パズル/AGAIN(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。ペントミノについては4月6日のコラム(=ここ)にも書いたがまた繰り返す。5個の立方体をつなげてできる異なる形状は12種類しかない。この12種類の形のブロックを組み合わせて遊ぶのが「ペントミノ・パズル」である。合計60個の立方体の組合せで直方体(4×5×3)ができたり平面(6×10)ができる。以前(4月)には12種類の形状に犬の模様をはめ込んだのであるが、どうもピンとこないので、今回幾何模様の立方体組合せとしてAGAIN作り直したもの。縦横水平垂直全ての方向の中心に穴を貫通させてあるので立体が出来上がったところで針金を穴に通して固定することもできる。幾何模様は極力同じ模様とならないように凝って作った。これだけの面に違う形を彫ったのは根気のいる仕事で模様付けは楽しい思い出ともなった。今回のペントミノ(AGAIN)は私のお気に入りの作品となり、明日からの作陶展にも出品することにした。作陶展ではこのペントミノを含めて「パズル」が私の作品の目玉なのだが、展覧会場でパズルに頭をひねっていただく訳にはいかないところが少々残念である。


5月23日(金)   <他人と並べて自分をみる・・>
他人と並べて自分をみるチャンスはそれほど多くない。二年に一回開催される作陶展はそういう機会を与えてくれる。今日から私の所属する陶芸教室の作陶展がはじまった。午前中会場のセッテイングで汗をかき午後にはお客さまを迎える。知人を案内して作品を見て回ることもあったが私にとっては同じ教室仲間の作品と自分の作品を並べてみる貴重な時間を得た。この陶芸教室には各所の公募展に入選した人も多く(一人二人でない)コンスタントに自作品を販売している人もいる。そのような人も含めて皆がそれぞれに個性的な作品を発表する。一人の陶芸家の展覧会より刺激的であるのは多様な個性がみられるからだろう。他人と比べてみるから自分の”枠”のようなものにも気がつく。もっとスケール大きく、思いきりよく自分の個性をだしてもいいとも思う。他人の作品を細かく時間をかけて観賞しながら、次に私は何をいかに作ろうかを考え続けた。

5月24日(土)   <心電図の無線診断・・>
心電図の無線診断が進化していることを知った。知人は毎日ある時間心電図用のセンサーを自分の身体に貼付けてそのデーターを携帯電話で医者のところに送るという。いまその医者はフィンランドにいるのでデーターはフィンランドまでリアルタイムで伝わり、判定結果が先方からメールで携帯電話に入る。一昔前には夢物語であったことが現実に行われつつあるようだ。携帯電話がフィンランドで発達した(=世界最大のシェアをもつノキアはフィンランド社)のは人口密度の少ない彼の国での通信手段に適するとして国策で開発された事情があるようだが、無線診断もまたフィンランドで進んでいる。過疎地に医者を配置出来ないところで医療データーを得意の携帯電話を使って診断するシステムは極めて理にかなっているように思える。フィンランドに限らず日本でも「無線診断」あるいは「インターネット診断」は近い将来の医療形態を劇的に変革するキーワードでないかと予感させる。健康管理・健康診断を携帯電話やパソコンを経由して定期的に実施することなど、考えればいくらでも夢は広がる。ただし、医療システムの変革には国策が必要だが日本ではこの点が非常に弱い。10年ー20年後に気がつけば日本は医療後進国などと云うことのないように願いたいが・・。

5月25日(日)   <作陶展が終わった・・>
作陶展が終わった。陶芸教室の会員によるわずか三日間の展覧会であったが私にとっては次のステップへの大きな刺激剤となった。一昨日のコラムでも書いたが、この三日間、できる限り会場につめて他の人の作品を十分に観賞した。自分の作品をおのずから他の人の作品と比べてみることになる。そうすると自分の作品の弱点というか、至らないところが目に見えてくるのが面白かった。自分と云う人間を自分が一番知っているかというとそうではなく、自分のことを本人は案外分かっていないこともある。同じように自分の作品を他の人の作品と並べて第三者として見ると、これまで見えなかったものが見えるのも確かなようだ。ただし、次に意識して作り直したものが以前よりよくなるか否かは分からない。技術的に向上してきっちりできるのがいいとも限らない。結局は他の人から触発されるとしても“無心”で自分流を通す以外に道はないか・・。会場の後片付けを終えて、仲間と一緒に飲んだビールがとりわけおいしかった。

5月26日(月)   <犬用のハーネスが思いの外具合がいい・・>
犬用のハーネスが思いの外具合がいいので喜んでいる。我が家のコーギー犬(11歳半)アールの後ろ左脚が麻痺してしまったことは以前コラムでも書いた。リハビリをやりながら車の補助具を自作したり風呂敷を後ろ脚のサポートに使ったり、工夫を重ねた末にいまは市販の「老犬介護用歩行補助ハーネス(後脚用)」に到達した。これが非常に具合がよく、アールの散歩の距離も格段に増えた。「介護用のハーネス」とはメーカーはすばらしいものを作ってくれたものである(しかも安価!)。harnessを辞書で引くと「(馬を馬車・すきなどにつなぐための)馬具、引き具」(研究社)とでている。私はハーネスというと高所作業をする工事現場で使う安全ベルト(安全帯)を思う。犬用では盲導犬が人を誘導するためのU字型の引き具がハーネスと呼ばれる。また犬の胴体に装着する胴輪も一般的にハーネスと呼ぶようであるが、「介護用ハーネス」のお世話になって名前を覚えることとなった。・・「今日の写真」に「恵比寿ガーデンプレイス」を掲載した。以前はアールと週に何度か散歩で行ったところ。ハーネスを装着しても最近はここまでは行けなくなったのが少しさびしい。
「今日の作品」には「チョコレート/mieuへの絵手紙(水彩)」を掲載した。こんな絵を毎日でも気楽に描くことを復活したくなっている。

2008-05-26@恵比寿ガーデンプレイス

5月27日(火)   <創作には波がある・・>
創作には波がある。作陶展が無事終わったのに次ぎなる陶芸のアイデイアが湧かない。陶芸仲間の作品を見て大いに刺激を受けたが反動として自分の創作のエネルギーは萎(な)えてしまったのだろうか。ジタバタしても始まらないので気分転換に明治神宮の菖蒲を見ようと自転車で出かけた。ところが菖蒲園の受付で”花は咲いてますか”と尋ねると”まだ一つも咲いていません”との返事。二週間ほど前に同じ東京の自然教育園ではアヤメやカキツバタが真っ盛りであったことを話すと、神宮の森の中の菖蒲は6月の中旬頃でないと満開にならないとのことであった。それでは・・と菖蒲園への入場料500円を払わずに本殿へ方向転換。お参りだけをする。明治神宮の森はいつ訪れても静かな別世界、大好きな空間だ。今日の写真に掲載したように外国人が記念写真を撮る光景にも出会う。こんな非日常に浸るとまたインスピレーションが得られそうな気になる。それに何より”乏しいしいとき”には神頼み!!。
2008-5-27@明治神宮

5月28日(水)   <都心の天然温泉スパ・ラクーア・・>
都心の天然温泉スパ・ラクーアにいった。この温泉は東京ドームシテイ内の遊園施設の一つでラ・クーアと呼ばれる建物の5階から9階までを使った”温泉”である。以前は後楽園遊園地であったところが今は「東京ドームシティアトラクションズ」という名で色々な新施設ができている。隣の東京ドームも前は後楽園球場と呼ばれた。現在の運営は全て(株)東京ドーム。さて、スパ・ラクーアは温泉風呂やサウナのほか数種類の低温サウナなど“癒しの空間”から食事所まで至れり尽くせりの施設ではある。地下1700mから湧き出た天然温泉というが今は東京の地下構造は詳細に解明されているので深く掘ればどこでも温泉を引き当てることはできると聞いたことがある。私には休憩場所の窓から見えるジェットコースターの景色が面白く、また露天風呂に入っているとジェットコースターに乗った人の歓声が聞こえたりするので、それはまた都会の温泉らしくて楽しかった。少々驚いたのが、この温泉の営業時間が午前11時から翌朝9時までというところ。終電車で帰宅できなければホテルに泊まるのでなく温泉で夜を明かすことができるのだろう。・・温泉効果か、新たなやる気がでてきたような気もする。時には温泉もいいものだ。<Spa LaQuaのサイト=ここ

5月29日(木)   <都市部ではカタツムリが急減している・・>
都市部ではカタツムリが急減していると新聞で報じられていた(読売)。東京・世田谷の砧公園で一時間余歩いて探した結果一匹しか見つけられなかったと記事にある。いないとなると探してみたくなって雨の中を紫陽花の葉の裏や樹木のあるところを注意してみたが確かにいない。私が子どもの頃には(地方暮らしであったが)今頃の時期、カタツムリやナメクジはいつでも身の回りに現れる小動物だった。私はこの種のヌメヌメした動物が苦手であったが、見かけなくなると見てみたくなるから勝手なものである。それでも今カタツムリをみると以前とは違って熱心に、また詳細に観察するに違いない(絵でも描いてみたい)。虫や小動物の名前についても昔は気にもしなかったのに、どうしてこんな呼び名になったのだろうと考えるようになった。「カタツムリ」の語源は“笠”を着た意味の「かた」に、貝の「つぶり」が変化したものと説明があったが、それにしても、カタツムリはまた色々な呼び名を持っているものだ。「マイマイ」(=まいまい/丸い渦巻状のつぶり)とか「デンデンムシ」(=出ろ出ろ虫)とか「蝸牛」とか、呼び名が多いだけ日本人には親しい小動物であったのだろう。今度カタツムリを見かけたらデジカメで記録に残さなくてはならない・・。
「今日の作品」に「カーネーション/mieuへの絵手紙(水彩)」を掲載した。無心に身の回りのものを絵手紙に描くことを続けている。


5月30日(金)   <横浜で開催されていたアフリカ開発会議が閉幕・・>
横浜で開催されていたアフリカ開発会議が閉幕した。食料価格高騰に対してTICAD(Tokyo International Conference on African Development)参加者は“特別な関心”を払う「横浜宣言」を採択したと報じられている。アフリカの問題は余りに大きくてここで議論出来る話題ではないが、食料問題や子どもの生存率などを取り上げるマスコミが何故か人口問題には触れないので少し書いてみよう。アフリカ(53の独立国)の現在の人口は約8.5億人、世界の人口比では約14%。これが今”爆発的な人口増加”をみていることは周知の通りである。サブサハラアフリカ(=サハラ砂漠以南)の人口は現在7.5億人であるのが、2050年には17億を越す見通しだ(日本の総人口の9倍が新たに加わる!)。貧困をかかえ、また子どもの生存率も低い中で、女子が生む子どもの数は、ニジェールで平均8人、マリ、ギニアビサウで各7.1人、ソマリアで7人、ウガンダで6.9人などのデーターがある(子どもは家計を支える重要な労働力ともなる)。昔(1800年頃)マルサス(英国の経済学者)が「人口は幾何級数的に(=倍々の早さで)増加するが食料生産は算術級数的に(=等差の比例的に)しか増加しない」と指摘したように、現在もなお食料問題と人口問題、そして貧困問題は切り離せない難しいテーマである。地球がこれほどに”狭く”なった今、アフリカも遠い見知らぬ場所では済まなくなっているのは確か。では私たちは何ができるか、考えていると憂鬱になる・・。
5月31日(土)   <ステップ・バイ・ステップ・・>
”ステップ・バイ・ステップ”が一番ピッタリする。陶芸で新作を制作し始めた時の実感である。今日も心地よい疲労を覚えながら家に帰り着いて思わず”STEP BY STEP”が口にでた。絵画の場合も同じであるが、身体を動かし、手を動かした時の達成感は何事にも代え難い。本を読む楽しみもあるだろう、地図をみて想像するのも面白いだろう。それでも実際に歩いて見聞しなければ本物には出会えないし、手を使わなければ何も産み出さない。もちろん行動したところでゴールははるか先。”STEP BY STEP”は”あせるなあせるな”と言い聞かしているに過ぎない。私の場合は同じような言い回し「千里の道も一歩から」(=The longest journey begins with a single step.)とは少し違うなと気がついた。つまり、千里先の目標、ゴールへ一直線に歩むのではない。“あるべき姿”を初めから安易に決めたくないのである。結果は成り行きでもよい。何をやるにしても”ステップ・バイ・ステップ”と前進を続けていればどこかに行き着くであろう。

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