これまでの「今日のコラム」(2010年 2月分)

2月1日(月)   <月が改まり如月・・・>
月が改まり如月(きさらぎ)・2月。午後から冷たい雨が降り続き夜半には東京でも雪になるという予報だ。2月1日というと嫌でも去年の事を思い出す。昨年の今頃は毎日息子が入院している病院につめていたが2月1日に二回目の痙攣を起こした。非常事態であったが夜になんとか持ち直して家には帰ることが出来た。毎日続けているようにこの日もコラムを書いたが病院や深刻なことには一切触れない決心をしていたので何事もない文章を綴った。コラムやブログ(WebのLog<記録>)は決して日記ではない。それでもその日の出来事に全く無関係な文章が空しかった。人には表面上の笑顔の底に悩みや苦しみが隠されていることがある。それなのに今日、2月1日にこんなことを書いてしまう・・。書くことを鎮魂の祈りとして許してもらいたい。息子の症状は2月1日から一週間した後に驚異的な回復をみせた。二ヶ月後の桜の季節までであったが・・。
2月2日(火)   <久しぶりに陶芸・・・>
久しぶりに陶芸に取り組んだ。それも自分で設計図面をかいた"仕掛け付き(パズル型)”の新作。陶芸教室からの帰り道に毎回思うのであるが、3時間ほど教室(実質は場所を借りるだけのスペース)で集中した時を過ごすと確実に"成果”がでる。成果を見ることができるのは絵画を描く場合も同じであるが、普通、世間の雑事に追われているとあっという間に2〜3時間は経過して結果は何をやったか残らないことも多い。それだけに自分の時間を持ちその時間に没頭するチャンスが与えられることの幸せを感じる。誰に感謝すべきか、妻か、亡き父母か、友人か、社会か、神か・・、と考える。つき詰めていくとやはりいま生かされていることを一番に感謝すべきなのだろう。
今朝は東京でも雪の薄化粧。「今日の写真」は 雪をも溶かし開花した梅。
2010-02-02@西郷山公園・東京目黒区

2月3日(水)   <電話とインターネットを同時に・・・>
電話とインターネットを同時に使いながら商談(相談)をできる便利な世の中になった。スペアのキーが必要となり相談したのだが、電話で話した相手の女性はいろいろ検討した後にカタログをFAXするから見て欲しいといってきた。こちらにFAXがないので考えた末にインターネットのデジタルカタログを見ながらお互いに話をすることにした。双方がインターネットの同じカタログ画面をだしてページをめくりながら調べる。相手は親切にあれこれと電話で説明をしてくれるので非常に分かり易く話はどんどん進んだ。そして、確認のためにキーの写真をE-MAILに添付などして、見積も注文もE-MAIL。最後は、こちらで相手の銀行口座にインターネットで振り込み完了。 相手の営業にとっては個人のゴミのような金額の取引であるのに丁寧に付き合ってもらって恐縮であった。いまやインターネットでの購入は当たり前のことである。更に営業サービス員が一人加わり電話でインターネットのカタログをお互いに見ながら補完するやり方も有効だと思われる・・。
2月4日(木)   <”ブルブル立春”・・・>
”ブルブル立春”とニュースの見出しにある。立春の今朝、各地でこの冬一番の冷え込みを記録したという。北海道の占冠(しむかっぷ=千歳と帯広の中間付近、富良野の南30km)村ではマイナス34.4度。東京都心でも氷点下となった。それでもまさか快晴の東京で自分が寒さの影響を受けるとは予想していなかった。木曜日であるのでいつものように自転車でテニス場に向かった。確かに手袋をしても自転車のハンドルを持つ手が凍えるし道路にも凍結している箇所がある。テニス場に着くと今朝はコートの一部が凍結しているので使用出来ませんとの話。常連のメンバーと一緒にしばらく様子を見ていたが午前中はオープンになりそうもないのでまた自転車で帰宅した。積雪が残っているためにテニスができないことは希にあるが凍結のために閉鎖されるのは極めて珍しい。しかし、負け惜しみではないが東京でも冬は寒い方がいい。地球温暖化などと気にしてビクビクするより雪が降り池が凍る冬を東京の子供たちにも体験させるのは悪くないし、年輩者にも寒風は良い刺激剤と思いたい。
2010-02-04@ヒルサイドテラス(渋谷区)の夕日

2月5日(金)   <大相撲の横綱朝青龍が引退・・・>
大相撲の横綱朝青龍が引退を表明した。場所中に泥酔して知人を殴ったという暴行問題の責任を取ったとされるが、これまで色々と「横綱の品格」を問題にして糾弾した世論と称する声に押し切られたとみえる。したがってマスコミ世論は大旨引退を歓迎しているが私は朝青龍に大いに同情的だ。7場所連続優勝(2004〜2005)、年間6場所完全優勝(2005)、幕内優勝25回など数多くの記録を持つ「平成の大横綱」に更に何を要求しようというのか。私には普通の人間よりも品格が劣るとは決して見えない。精神を集中した格闘技で勝利した瞬間にガッツポーズをするのはむしろ自然の感情表現だ。勝負事以外の生活を指摘されるのも大した内容ではない。大体、朝青龍の品格を云々するほど皆さん(特に横綱審議会メンバー)は人格者か。マスコミなど最も品格のない職種でないか。こんなことを書くのは、芸術家とか運動選手など特別に秀でた人間のつくり出すものは品格や人格は無関係でアウトプットのみを享受すればいいと言いたいのである。ワーグナーやモーツアルトの音楽とその言動は別物であり、北大路魯山人(陶芸家、書道家、美食家)と会食すると多分これほど嫌な人はいないだろうが、その作品はすばらしい。・・朝青龍には本当にご苦労さまでしたといいたい。まだ29歳の若さだからこれからの生き方で本当の「品格」がみられる。モンゴルと日本のために活躍を!

2月6日(土)   <「酒即是感無量也」・・・>
「酒即是感無量也」と上原酒造の酒・越後鶴亀のパンフレット(=吟の心)にある。正に感無量になって珠玉の吟醸酒を飲みながら、タジン鍋料理を楽しむ集まりからいま帰宅した。陶芸教室で今夜タジン鍋パーテイーが開催されたのである。陶芸教室での会食であるので、三つのタジン鍋は勿論、取り皿や酒器類も全て陶芸教室で焼成した作品。器のために元々美味しい料理がさらにおいしさを増す。そして料理以上に年齢に関係なくお互いに刺激しあって同じ道に精進し合う結びつきがうれしい。こんなことを綴りながら、酔いが回っているので眠たくなってきた。この際このようなグループの中で創作に励むことができる幸運を感謝してまた明日を迎えよう・・。

2月7日(日)   <ABSの電子制御プログラム・・・>
ABSの電子制御プログラムが注目されている。トヨタ自動車が「プリウス」のブレーキが利きにくいという苦情に対応して、リコールの実施を決めたが、不具合の原因はABSにあると説明されている。ABS(=Antilock Brake System/アンチロック・ブレーキ・システム)は急ブレーキをかけたときや凍結するなど滑りやすい状態の道路を走行時にブレーキ操作によって”タイヤがロックして滑るのを防止する”装置。私も昔(40年ほど前)冬の伊豆の山中で道路が凍結していたのでブレーキをふんだとたんに車が180度回転した経験を持つが、幸いに大事故にはならなかったものの凍結路ではハンドルを微細に動かしながら決してブレーキを強くふんではならないと運転テクニックを大いに教えられた。今の車はABSによってこのような状況でもコンピュータが自動的にブレーキ調整を行う。しかもプリウスの場合、油圧ブレーキ以外に回生ブレーキ(=車両の運動エネルギーを電気エネルギーに変換してバッテリーに回収することによるブレーキ)を併用しているのでABSの設定によっては"ブレーキが効かない感触”が起こりうる。このトヨタのリコール騒動で今や車はコンピュータでコントロールされていることをあらためて認識させられた。メカの機能を完璧にしてもコンピュータのプログラムに不備があれば暴走する。現代は車だけでなく飛行機も列車も船舶も全てが電子制御プログラムという頭脳に安全を任せている。 ・・「今日の写真」は西郷山公園の夕日。
2010-02-07@西郷山公園・東京目黒区

2月8日(月)   <このところ絵は小品ばかり・・・>
このところ絵は小品ばかり、しかも孫娘宛の絵手紙ばかり描いている。水彩の小品であればほんの少しの時間があれば毎日でも描けるのに、その割に数は少ない。それでも全ては成り行き任せで無理に頑張らないことにしている。前回掲載した「今日の絵」は以前娘宛に描いた鼠の人形を孫娘宛にまた描いたものであったが、「今日の表紙」に掲載した絵もまた、以前描いたことのある「飛行機」を孫娘宛の絵手紙として描いたものである。調べてみると、やはりこのホームページの「今日の作品」、2001年10月〜12月ページ(=ここ)に「飛行機オモチャ」として掲載している。この絵を描いたときに孫娘は丁度1歳であった。まさか8年も経過してから同じ飛行機オモチャを孫娘宛の絵手紙に描くとは思いもしなかった。この飛行機オモチャはイタリア旅行の際にフィレンツェで買ったものだが日本製か東南アジア製と推測していたが未だにどの国で制作されたかは不明だ。どこのものかは分からなくてもモビールとして8年間以上我が家の居間を飾ってくれている”逸品”である。

「今日の写真」は渋谷税務署7階から新宿方面をみた風景を掲載。正面はNHKホール、左側の建物がNHK、右側に代々木体育館、遠方に新宿のビル街がみえる。
  2010-02-08

2月9日(火)   <書取りで「ハイボク」・・・>
書取りで「ハイボク」の「ボク」の字が一瞬でてこなかった。そう、難しく考えずに「北」、敗北である。そうすると以前には気にもしなかったのに、敗北になぜ「北」の字が使われるのか疑問に思えてきた。辞書を引くと敗北の「北」は”逃げる意”と書いてある(広辞苑・岩波&新明解・三省堂)。例によってインターネットで検索すると補足して色々と教えてくれる。納得したのは大旨以下の説:「北」の文字は人間が二人「背」を向けあっている姿を表しており、”背を向ける方向”が北(背の文字は北に肉月が付く)<中国では(北半球であるから)陽を浴びる南が正面で「北」に背を向ける/北が背面>。戦いでは背を向けるのは「逃げる」こと、つまり「北」とは「背を向けて逃げる意」になる。・・こんな解説をみていると「敗北」は一生忘れられない文字となりそうだ。これはもしかすると一つの「勝利」であるかも知れない・・。
2月10日(水)   <記憶には自信がない・・・>
記憶には自信がない。昨夕に何を食べたか思い出せなかったり一昨日の午前中に何をしたか出てこなかったり、よく知っているはずの人の名前が脳の最後でつっかえる。そこで目黒川(東京)の川沿いをウオーキングする際に「橋の名前」を記憶する試みをした。春には桜の名所となるこの川には50〜100mごとに多くの橋がかかっている。普段は橋の名前など全く無関心であったが、今日は橋の脇を通り過ぎる度に意識して橋の名前を覚えるように努めてみた。家に帰ってからいくつ書き出せるかテストしたら微妙な判定結果である。いま復唱してみよう。初めは南部橋、以下、柳橋、千歳橋、天神橋、緑橋、朝日橋、宿山橋、桜橋。ここまでは自分でも驚くほど完璧であった。ところがその後我が家に帰るために川とおさらばする直前の橋の名前がでない。後で調べると、別所橋、日の出橋であった。ここで自己分析すると、初めの頃には覚えるために何かとイメージした。千に天、緑の後から朝日が出る。朝日の後ろに山が見え桜も咲いている・・という調子。別所橋からは記憶しようとする意欲も失せたのか何の連想もしなかった。要はイメージして記憶しようとする意欲があるかないかで記憶できるか否かが決まるという単純な結論になりそうである。

2月11日(木)   <「天璋院篤姫」の舞台・・・>
「天璋院篤姫」の舞台をみて今帰宅した。明治座(東京・日本橋浜町)で上演されている芝居の切符を二枚いただいて妻と久しぶりの観劇を楽しんだのである。宮尾登美子原作の歴史物語「天璋院篤姫」はNHKの大河ドラマで見たことがあるので、この長編ドラマを舞台でどのように取りあげるのか興味があった。夜の部の舞台は午後4時から8時まで(間に、30分の休憩が2回)、3時間を飽きさせない舞台はさすがプロフェッショナル達(演出西川信廣、脚本長谷川康夫、主役の篤姫は内山理名)。極めて静かにしかも素早く転換する明治座の舞台装置や照明に感心する一方、私には特に朝倉摂さんの斬新な舞台美術がおもしろかった。それにしても缶詰のテレビドラマに慣れた目には生の舞台の緊迫感が別世界に見える。やはり舞台俳優のパワーは並のものではない。<明治座の「篤姫」は2/24まで、案内=ここ)。

2月12日(金)   <初めての楽焼体験・・・>
初めての楽焼体験をした。陶芸教室で時々数名の希望者を募り「楽焼」を行うのであるが今日はその会に参加したのである。楽焼は電気窯を使用せずに耐熱煉瓦で囲ったスペースに炭火を焚いた手作りの窯で焼き物を作る。焼成温度は低く(約900度、電気窯では1250度程度)粘土も急熱、急冷に比較的強い材料を使用するので窯から出して直ぐに結果を見られるのが特徴である。窯の煉瓦の開け閉め、七輪で予熱した品物を長い専用のつまみ棒でつまみ上げて窯へいれること、時間を見計らっての取り出し、その後の炭化処理、水冷処理など自分の作品に関する焼成作業は全て自分でやる。窯で焼成する時間はほんの数分間。炎の間からみえる茶碗の釉薬の溶け加減を観察してタイミングよく炎の中から取り出すところなど正に焼き物を作っている実感を味わえる。一番はじめに私の黒の湯飲みを焼かせてもらったが思ったよりも上手くできた。最後に水の中に入れて冷却するなど私の常識とかけ離れていて怖ろしかったが無事であった。ただ、内側の釉薬が若干薄くもう少し濃くしたいところ。次の赤の湯飲みもまずまずであったので、欲を出して黒の湯飲みについて再度釉薬をかけてもう一度焼き直すことにした。二度の成功に怖さを忘れて再度焼成した分も迷わず水につけて結果を見ると・・割れた!!後で仲間に聞いてみると楽焼きでは二度焼きを行うことは極めて簡単であるが、慎重にやらなければ二度目で割れるケースが多いとか・・。成功して図に乗り過ぎるのを天が諫めてくれたのかも知れない、全てが貴重な経験と割り切って、仲間と楽しく焼き上がったばかりのぐい呑みでいっぱいやった・・。「今日の作品」に掲載した「湯飲み/黒楽焼き」は割れの入った作品。

2月13日(土)   <朝7時30分、テニススタイルで・・・>
朝7時30分、テニススタイルで自転車に乗って家を出ようとすると冷たい霙(みぞれ)が降っている。またまた天気予報を信用して曇り空であると決めていた。この日も天気予報は”ハズレ”。それならばと今日は一日、e-taxデイとした。e-tax、インターネットを経由して税金を電子申告する方式は今税務署でも力を入れて普及に努めている。私は昨年苦労の末にe-taxを何とかやり終えたが、一年間のご無沙汰でかなり忘れてしまっていた。それでもICカードリーダーなどの道具は揃えてあるし個人認証のやり方などパソコンをいじっている内に徐々に思い出してきた。何と言っても去年一度は受け付けてもらったという実績は大きい。電子申告は前年のデータがあればそれだけ今年の手間が省ける利点がある。とにかくも今日一日がんばって二人で一度食事ができるほどの税金が還付される大成果を得た。
「今日の写真」は部屋から霙が降る外を見たときに折り紙のひな人形のバックに映る手作りシャンデリア(=ここ参照)の影が面白くて撮影したもの。
2010-02-13@我が家

2月14日(日)   <涅槃会(ねはんえ)の法事・・・>
涅槃会(ねはんえ)の法事に参加した。浄真寺(九品仏/東京)お堂での会が始まる前に息子の墓参りに行くと墓前に缶ビールが供えてあった。彼の友人が誰か来てくれたに違いない・・感謝。涅槃会は釈迦が入滅したとされる2月15日を機会にこの一年の間に亡くなった(寺に関わりのある)人たちを追善供養する。お坊さんが、釈迦が亡くなった日(涅槃会)2月15日と関連して、釈迦の生まれた日=4月8日、釈迦が悟りを開いた日(成道会)=12月8日などの話もするし、涅槃会に参加した150人ほどの人全員に「浄土宗壇信徒宝典」という立派な本を配ったり、以前にはなかった寺の積極的な姿勢が印象に残る。法要のあと屋外で白木の位牌をまとめて焼却する行事にも立ち会った。梅の花の下で激しく燃える位牌の炎をみていると諸々の思いがなくなってただ手を合わせていた・・。
 
2010-02-14@浄真寺

2月15日(月)   <終日冷たい雨・・・>
終日冷たい雨が降り続いた今日、暖房のないところでほとんど一日を過ごす。息子がかつて住んだ家で机や本箱、棚の類を分解して回収したり清掃する作業。更に、息子が歩けなくなった後に設置した1階から2階へ上るリフト装置の分解工事にも立ち会う。更にまたクリーニングの打ち合わせも。全てが気が重いことばかりであるがいつかは勇気を出してやらねばならない仕事と思えば不思議に寒さは苦にならない。これしきの寒さで文句など言えるものかと心の中で思っているのに、ときどき手や足が攣(つ)りそうになるのがおかしかった。それにしても暖かい部屋の中でぬくぬくと過ごした日より寒さの中で懸案の事柄を片付けた今日の方がはるかに充実感があるのはなぜであろうか・・。

2月16日(火)   <私は今年三十九になる・・・>
「私は今年三十九になる・・」ではじまる二葉亭四迷の小説「平凡」を読んでいる。明治になる前、1864年に生まれた二葉亭四迷は言文一致で小説を書く小説家の先駆者であっただけあって「平凡」の文章自体は時代を考えると読みやすい。冒頭の文章に続いて以下の言葉がでてくる:「人世五十が通相場・・、まだまだと云ってる中(うち)にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る、・・しかし私も老込んだ・・」。自伝的な作とされる「平凡」が書かれたのは1907年、四迷43歳のときだ。二葉亭四迷は45歳で亡くなっているから正に晩年の作品になる。39際で"老込んだ”はないでしょうといいたいが、現在の"人生八十が通相場”の時代とは年齢に対する感覚がずれてくるのはしようがないだろう。一方で作者が書いている小説の中の考え方は100年の隔たりを感じさせない。徒然草や枕草子に共感することを考えると驚くには当たらないかも知れないが・・。人間の感性はいつの時代もそう変わるものではない。100年前の小説でもたまに目を通してみると面白い(ネットでの「平凡」=ここで読める)。

2月17日(水)   <赤楽の湯飲み・・・>
「赤楽の湯飲み」を「今日の表紙」に掲載した。前回の黒楽と同じく先週2月12日に「楽茶碗」の会で焼成したものである。奇妙なことに題名を「赤楽茶碗」とすると抹茶茶碗を思う。今回はあえて抹茶茶碗ではなくお茶を飲むための茶碗を作ったのだが、この場合呼び名が「湯飲み」になってしまう。。我が家では実用的には「湯飲み」を使う機会が圧倒的に多い。以前に抹茶茶碗を作ったことはあるが(調べると2005年であった、リンク=ここ)、部屋の隅に置いてあるだけでほとんど使用されない。そこで今回は毎日使う「湯飲み」を制作した次第。さて、赤楽は赤楽土と呼ばれる褐色を帯びた土を使う。一般に赤土というと酸化鉄を含むために土壌が赤味を帯びたもので赤土は世界中の至る所にに存在する。有史以来赤の顔料として鉄分を含む赤土が多く使用されてきたし、焼き物用の粘土としても先人はこれを活かしてきた。掲載した赤楽の色は赤楽土を素焼き後、透明釉をかけたもの。透明釉薬だけでこれだけの赤が鮮明に出る土はやはりめずらしい。前回紹介した黒楽(湯飲み=2/15コラムのように割れがでてしまった)は自分用、今回の赤楽(湯飲み)は妻用とした。夫婦茶碗とは違って大きさは妻用が若干大きい。

2月18日(木)   <バンクーバー五輪・・・>
バンクーバー五輪の競技が生中継されている。思えば冬季五輪も随分一般の注目を集めるようになったものだ。一昔前はほんの一部の人しか関心がなかった。冬季五輪の歴史はまだ86年に過ぎない(第一回は1924年@シャモニー)。日本で注目されるようになったのは、やはり長野オリンピック(1998年)とスキージャンプや女子フィギュアースケートなどでの日本人の活躍が牽引力か。私は夏季五輪も含めてオリンピックのイベント効果を認めないことはないが、オリンピックの競技の内容については好き嫌いがある。好みから言うと単純なスポーツ競技がよい。最速とか最強の達人をみたい。フィギュアスケートや体操競技(夏季)は際限なくアクロバチック(曲芸的)な技を求める方向に進むので勝ち負けを採点する競技として見るのを好まないのである。それらは勝負でない見せ物として楽しみたい。今日はスノーボード・ハーフパイプの競技が行われて競技外ですっかり名前が知れ渡った<腰パン、鼻ピアスなどのスタイルが非難されて記者会見では”うるせ〜な”と呟いた>國母和宏君も出場したがメダルには届かなかった。スノーボードは長野五輪から競技に取り入れられたがこれも曲芸を競う部類の特殊な競技だ。オリンピックというと昔は「アマチュアリズムを基本」とされたが今はこだわらない。國母君も学生ではあるがプロのスノーボーダー。マスコミに叩かれたが知名度が上がった分プロとしては有利かも知れない。
2月19日(金)   <キーボックス・・・>
キーボックスという便利な道具があることを知った。複数の人が合い鍵を作ってそれぞれにキーを準備する代わりに、一個のキーを「キーボックス」に収めておくと、キーボックスの南京錠の番号を知っている人が適宜にキーを取り出して使用するシステムが可能となる。キーボックス用の南京錠は何でも(できれば人目に付かぬ)頑丈なものに固定しておけば持って行かれることはない。キーボックスといっても私が体験したのは厚さが2cm程度の小型品で”レジャーロック”と呼ばれるもの(=サンプルはここ)。実際に使用してみると確かにスペアキーがなくても何人か共同でキーを使用できて便利だ。このようなものが商品化されているところにまた日本文化のきめの細かさをみる思いがする。
このところ寒い日が続く。いまの時期にぴったりの芭蕉の俳句:「梅が香に 追ひもどさるる 寒さかな」。

2月20日(土)   <東京クヮルテット・・・>
東京クヮルテット(Tokyo String Quarutet)の演奏会にいった。東京クヮルテット創立40周年記念コンサートが2月18日から三日間行われたが、今日最終日の切符をいただいたのである(@王子ホール/東京・銀座)。東京クヮルテットは世界最高峰の弦楽四重奏団として世界中で活躍しているが創立以来メンバーは何度も交代している。現在のメンバーは第2ヴァイオリンとヴィオラが日本人、第1ヴァイオリンとチェロは外人である。今日のコンサートでは久しぶりにレベルの高い弦楽四重奏を堪能した。メンバー全員が一丸となったまとまり、音のバランス、音楽性、そしてやる気・・。合奏の楽しみとはこういうものかと思わせる。演奏曲目ではじめて聴いたレーラ・アウェルバッハ作曲の現代曲(No2夜明け)も私は好きになった。解説に作曲者は1973年に旧ソ連で生まれ(36歳)、米国ジュリアード音楽院卒業、ニューヨークに住み、ノーベル文学賞にもノミネートされた女性とあったので、ネットで調べると彼女のホームページがあった(=ここ/日本語のページもある)。・・ところで今日のコンサートを聴きながら嫌でも昨春に亡くなった息子のことを思い出してしまった。息子はヴァイオリンもビオラも出来たので弦楽合奏を趣味としていた。ステージにも何度もでていた。病気の症状が奇跡的に回復した時点で病院から酸素ボンベ付きの車椅子で自分の関係していたオーケストラの演奏会を聴きに出かけたのが丁度一年ほど前・・。舞台の上で演奏できるのも、またその演奏を聴くことができるのも何と恵まれていることか・・。

2月21日(日)   <河津桜がほぼ満開・・・>
河津桜がほぼ満開だ。散歩で訪れる西郷山公園(東京・目黒区)の中央に河津桜の木が一本あるので今日の桜の写真を下に掲載した。河津桜は伊豆半島の河津町に原木がある早咲きの桜で今日は「河津桜祭り」で大いににぎわったことだろう(インターネットで河津町からライブの写真も提供されている=ここ)。河津桜は早咲き大島桜と寒緋桜の自然交配種と言われるが同じ桜でどうしてこれほど開花時期の違いができるのか、DNAというかそのメカニズムが不思議でならない。植物も稲などのように日照(夜の長さ)で季節を検知する種もあれば気温に反応する種もあるのだろうが、いずれもその種を継続させる最良の周期を繰り返しているはずである。梅は梅の開花時期がベスト、早咲きの桜はやはりその開花時期がベスト、3〜4月に開花する桜とは何が異なるのだろうか。早く咲く河津桜は開花期間は若干長いというものの普通の桜が咲く時期には散ってしまう。古来、花は人間に感動を与え、また生きる知恵を教えてくれたが花の本性(真のメカニズム)を人はまだ知らないのでないか。
「今日の表紙」に「mieuへの絵手紙(水彩&ペン)」を掲載した。孫娘、mieuはこういう抽象的な絵でも喜んでくれるので好きに描ける。
2010-02-21@西郷山公園(東京・目黒区)

2月22日(月)   <市町村の名称・・・>
市町村の名称にはそれぞれの歴史があり貴重な遺産のようなものではないか。それが最近は町村合併などで味気ない名前に変えられる。東京・多摩地区に位置する田無市と保谷市が合併してできた西東京市を通る度に私の好きだった田無はどこに消えたか不満を覚える。今日は歩きながら今の時節にぴったりの町名に巡り会って逆にうれしくなった。「鶯谷(うぐいすだに)町」の隣が「桜丘町」。桜丘町の直ぐ北がJR渋谷駅であるので、下手をすると鴬や桜の名前は"渋谷南一丁目”などに変えられかねない場所だ(私の家は一昔前に○○南の名称に変えられた)。「東京」の場合「東の京」と言いたかったのは分からないでもないが歴史ある町名を安易に東西南北や番号をつけた名前に変えないで欲しい。・・さらに歩いていると「鶯谷さくら幼稚園」があった。名前だけでこの幼稚園が好きになる・・。
「今日の写真」は昨日と同じ西郷山公園の河津桜。撮影のアングルが異なると別の桜のように見えるが昨日と同じ木だ。鶯谷、桜丘はこの公園から徒歩10〜15分ほどの距離である。
2010-02-22@西郷山公園・東京/目黒区

2月23日(火)   <ホットチョコ・・・>
「ホットチョコ 知らずで通す まつりごと」。これは黛まどかさんの俳句だ。まつりごと(政治)には無関心を装って甘いホットチョコを飲んでいる女の子の姿が目に浮かぶ。季語はホットチョコ(冬)である。黛まどかさん(1962〜)は現代の女流俳人の代表格。俳句を作る人は数知れないがプロの俳人として絶えず新鮮な俳句を作り続けるポテンシャルはやはり並大抵のものではない。最近インターネットで毎日更新される"写真俳句”のページをのぞく事があるが、その度に"名作”とは容易に生まれないものだとの思いを新たにする。名人の句に接したくて”まどかさん”のページを見るのである(サイト=ここ)。まどかさんの最新の句(21日分)にこんなのがあった:「日に溺れ 風につまづき 冬の蝶」。私はこんな句も好きだ:「あやとりの 橋が崩れて 春隣」。孫娘とあやとりをした時を思い出す。女流というと短歌の俵万智さんも健在だ。俵万智さん(1962〜/期せずして、まどかさんと同年生まれ)の自選百首もインターネットで公開されている(=ここ、名作「サラダ記念日」の短歌を含む)が、今読んでもどの歌もハッとする視点に満ちている。「明治屋に 初めて二人で 行きし日の 苺のジャムの 一瓶終わる」・・「チョコレート革命」でこんな短歌を詠んだ万智さんが今現在どんな作品を作っているのか見てみたい。

2月24日(水)   <水注(みずつぎ)?・・・>
「水注(みずつぎ)?」(陶芸)を「今日の作品」(表紙)に掲載した。(?)を付けたのは、"水注”といっても胴体が穴だらけで取っ手を持って水を注ごうとすると水が漏れてしまう、どうやって注ぐのか(?)ということ。仕掛け付けの水注である。"仕掛け”は取っ手の内部を通路にして手前(上部)のノズルまで道が出来ており、このノズル口を吸ってやると水(時には酒など)を飲める。ただし、反対側のノズルにも通路があるので反対側の口を指で塞いでやらなければならない。また左側のノズルはただのダミーの飾りである。このような遊びの要素がある水差しは歴史的に見ると珍しくはない。13世紀にフランスのワインを入れる容器に吸い上げトリックを組み込んだ容器が作られたとか、イギリスやオランダ、ドイツにもこのような仕掛けのついた容器が16〜18世紀に制作された記録がある。私が2006年の2月〜3月に制作した「はてなの茶碗」(=ここ)も同類である。仕掛け付きの陶芸作品は仕掛けを喜んでくれる客人がいてはじめて意味がある。けれども私は仕掛けを披露するチャンスがなくても形が好きでこれまでも"容器”として活用している。今回の「水注(みずつぎ)」もいつもは"花器”として使用するつもりである。

2月25日(木)   <「らばQ」・・・>
「らばQ」のインターネットサイトを教えてもらった。それもニューヨークに住む孫娘から”お父さん(私のことをこう呼ぶ)の好きそうなサイトがあるよ”といって教えられたのだからうれしいやら何かこそばゆい。「らばQ」のことを私は知らなかったが、世界中の面白いニュース、画像、動画、情報などを無料で紹介するブログサイト(日本語)で最近は月間1400万PV(PV=page view/アクセス数)を記録する超人気サイトであるようだ。確かにこのサイトで気持ちが良いのは悲劇的な話題や残酷なものを扱わずに、元気になる明るいテーマに絞ってあるので安心して見られる。しかも世界中には何と器用な人、有能な人、楽しい人が大勢いるものかと感心させられるものばかりだ。このサイトわずか3名のメンバーで急成長し、現在も同様のメンバーで継続しているとの神話がある。百聞は一見に如かず。「らばQサイト」(=ここ)に入りそれぞれ興味のある記事を見ることを勧めたいが、私の好みの例を記せば、「家中をグルグル駆けめぐる”ピタゴラスイッチ”」(=ここ/昨日分)、「サッカーボールでジャグリングするスーパーテクニック」(=ここ)、「"サンドアニメーション”に感激して涙を流す観客」(=ここ)など。

2月26日(金)   <韓国の活躍・・・>
韓国の活躍ばかり目立ったバンクーバー五輪だった。まだ28日まで冬期オリンピックのスケジュールは残っているが、日本唯一の金メダルの望みをかけた今日の山場、女子フィギュアスケートで浅田真央ちゃんが大健闘したが銀メダル。韓国のキム・ヨナ選手が圧倒的な強さで金メダルを獲得した。残りの日程の中でもう日本のメダルの可能性はないから日本のバンクーバー五輪のメダル獲得数は金=0,銀=2,銅=2で終わりそうだ。韓国のメダルは何と、金=6、銀=4,銅=1である(ちなみに、中国の金=4,ロシアの金=3)。別にメダル獲得数だけで大騒ぎすることもないが、それにしても隣国で人口が日本の40%ほどの韓国がなぜこれほどまでに強いか分析してみる意味はあるだろう。勿論、韓国に勢いがあるのは冬期五輪に限らない。ゴルフもサッカーも野球も、そして産業も音楽界でも強い・・。素質は同一でも環境や仕組みで引き出されるパワーが大きく異なる事だけは確かである。
「今日の表紙」に「トリック水注/ 花器として使用」(陶芸)を掲載した。酒器として使用した後に(トリックはうまく機能した)、このように花器として使用している。


2月27日(土)   <ほぼ日刊・・・>
ほぼ日刊イトイ新聞のサイトを久しぶりにみた。糸井重里の主催するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」は「ほぼ日」で通用する超人気サイト。1998年に発足した当初はこのようなサイトは珍しく、コピーライターである糸井さんが洒落た文章を書くので私も興味を持ってしばしば訪れたものである。何よりこういうサイトに触発もされて1999年に今のホームページのコラムをスタートさせた。もっとも私のホームページは純粋に私的なもので、”ほぼ日刊”だけを根気よく続けているに過ぎないが・・。イトイ新聞の方は相変わらず毎日何らか更新されている上に、昔と違って企画商品の販売など株式会社としての商売も盛ん。有名人との対談など"遺産"ページも多い。ところが毎日更新されるエッセイがアリキタリで以前ほど迫力が感じられなかった。会社組織とはいえ10年以上毎日サイトを運営してきて、”日々これ新た”とは至難であるのは我が身を思うと十分すぎるほど分かるが・・。糸井さんは1948年生まれで今は61歳。年齢からみるとまだまだこれから。「ほぼ日」では商売っ気よりも「不思議、大好き」(糸井の代表的キャッチコピー)のセンスがみたい(「ほぼ日」=ここ)。

2月28日(日)   <朝から雨・・・>
朝から雨の日曜日。テレビで日曜美術館を見ていると途中から「津波警報」の臨時ニュース。日本から見れば地球の真反対、チリ沖で昨日起きた地震による津波の情報が丸一日テレビを占領してしまった。こちらは案内をいただいて地元の「音楽まつり」にいった。この音楽まつり、朝の10時前から夜まで延々と開催されたので私はほんの一部をのぞいただけである。渋谷区(東京)の社会教育館という施設を利用している団体によるこの音楽会には、器楽=16、合唱=15、交響楽団=1、ダンス=1,のグループが参加している。器楽もフルート、リコーダ、ハーモニカ、馬頭琴、琴、オカリナ、コカリナ、しの笛、銭太鼓、打楽器などなど多種多様。リタイアしたと思われるおじさんやおばさんが主役で楽しそうに演奏している音を聴き、演技している姿をみている内に脳の底からストレスが蒸発するような不思議な開放感に浸った。皆が何かに取り組んでいる、励んでいる・・。何も実行しないで評論したり文句だけを言う人たちではない。テレビだけを見て時間を過ごす人でもない。プロフェッショナルな演奏者でないことで逆に生き様を含めて他人を感動させるものがあった。
「今日の写真」に雨のあがった午後に撮影した「梅」を掲載する。このところ早咲きの河津桜ばかり掲載していたが、直ぐ側の梅の木にはまだ元気な花が咲いている。
2010-02-28@西郷山公園(東京・目黒区)

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