これまでの「今日のコラム」(2010年 8月分)

8月1日(日)  < 代官山のヒマワリ畑・・>
代官山のヒマワリ畑にヒマワリが咲いた。 7月15日のコラム(=ここ)で”ヒマワリ畑を発見”と書いたが その時には一輪の花も咲いていなかったのに 今日にはもう相当数のヒマワリが咲いている。都心の一等地 のヒマワリ畑。もちろん 次の土地利用までの一時的な活用であることは分かっているが今や人気スポットになっており、早朝から夕刻までいつ行っても必ず写真を撮っている人がいる。 この 空き地にヒマワリを植えたのは地域の住民、地元の小学生、幼稚園生、地元にある大使館員らで、 地域の一体感を育む活動の一環でもあるようだ。このヒマワリ畑のことを外部から見るだけでなく誰でも畑の中まで入れてくれるところがいい(8月29日まで開放)。ヒマワリ畑の入口にあるビアガーデンのお兄さんがとても気持ちよくヒマワリ畑を見学させてくれた。
 
2010-08-01@代官山 /デンマーク大使館の向かい
8月2日(月)  < 炎天の 地上花あり・・>
「炎天の 地上花あり 百日紅(さるすべり)」と詠んだのは高浜虚子。炎天下に鮮やかなピンク色の花を咲かせるのは百日紅(さるすべり)か夾竹桃か。ほぼ同じ時期に似たような花を咲かせ、しかも双方花の色はピンクか白と色まで似ているのが百日紅と夾竹桃だ。それでも冒頭の句にはやはり百日紅(さるすべり)の方がより似合う。「さるすべり」の名前は猿が木登りをしようとして滑るほどに樹皮がつるつるしていることであるのは分かるが紅色の花が長期間咲くので(百日間は誇張か)「百日紅」と書いて「さるすべり」と読ませるのは漢字マニアが喜びそうな当て字だ。・・今日、息子の月命日で訪れた九品仏浄真寺(東京・世田谷)には見事な百日紅の花。墓前にはどなたか友人が供えてくださったのだろう、缶ビールがあった。「百日紅(さるすべり) 咲きて供養の 九品仏」(TH)。
2010-08-02@九品仏/東京・世田谷

8月3日(火)  < プラセボ効果・・>
「プラセボ効果」といわれる言葉がある。医学の分野で薬の成分の入っていないもの(例えば水やブドウ糖)を薬と信じて飲むと治ることがあるといった心理効果で「偽薬効果」とも訳される。プラセボ(placebo=英語の辞書では気休め薬とか偽薬、プラシーボとも呼ばれる)の語源はラテン語の「私は気に入るでしょう」とか「喜ばせる」の意味があるという。私は医学のことは全く知らないがプラセボを「偽薬」と訳すように医学ではプラセボ効果をただの暗示効果、"鰯(いわし)の頭も信心から”と同等に半分バカにした扱いをされているように思えてならない。現代の医学と言っても解明されていないことは山ほどある。特に脳が身体に及ぼす影響、人によって異なるストレスがどのように身体に影響するのか(ストレスがガン細胞を発生させるメカニズムなど)はほとんど未知の分野でないか。同じように昔の喩えで言われた"火事場のバカ力”については実際に非常時に特別の筋力が発揮できるメカニズムが一部解明されているようだ。気持ちの持ち方で病が治ったり信心で健康になるなどの心理効果を脳の機能から解明できないだろうか。私などビタミン剤を飲むと10秒後には元気になるなど「プラセボ効果」絶大である。

8月4日(水)  <夾竹桃と百日紅・・>
夾竹桃と百日紅(さるすべり)の花の写真を並べて掲載する。一昨日のこのコラムで書いたように炎天下で咲いているピンク色の花を見つけると夾竹桃か百日紅である。けれども双方共に積極的に花のアップの写真を撮りたくなるものではない。暑さの中で咲く強さは認めても可憐には思えないないからかも知れない。そうはいっても写真を撮ってみるとそれぞれの花は独特の個性を主張している。夾竹桃の名は葉が竹、花が桃に似ていることから名付けられたというが、この葉にも花にも毒性がある。枝や根など全てに毒性があり枝を箸代わりにしたり串焼きの串に使用するのは厳禁とか。一昨日は百日紅(さるすべり)の俳句を入れたので今日は夾竹桃にしてみよう;「炎天に 赤き毒よし 夾竹桃」(TH)。
 

2010 -8月4日@西郷山公園/東京・目黒区<左=夾竹桃、右=サルスベリ >
8月5日(木)  <ヒマワリ・・>
「ヒマワリ」の絵を表紙に掲載した。例によってNYに住む孫娘宛の絵手紙である。猛暑のせいにはしたくないが、このところ新しい作品が生まれない。陶芸教室で制作に励むことは中断しているし油絵を描くわけでもない。特別の新作を考えようとの意欲もでない暑さの中では、絵手紙のように構えることなく気楽に描くことができるものが一番楽しい。「ヒマワリ」は今や非常に身近な題材である。8月1日のコラム(=ここ)でも書いたが「代官山ヒマワリ畑」に今ヒマワリが花盛り。散歩に出かけたり近所に用事があるときにヒマワリ畑まで足を伸ばしヒマワリの間を一回りして来る。咲いたばかりのヒマワリの花と対面して種の一粒一粒まで観察していると世の雑事を忘れてしまうと同時に何か元気をもらう。小さな小さな絵手紙「ヒマワリ」を描きながら、ゴッホが南仏・アルルに滞在時に(精神状態もいいとき)憑(つ)かれたように多くのヒマワリの絵を描いた気持ちが分かるような気がした。

8月6日(金)  <夏水仙(ナツズイセン)・・>
「夏水仙(ナツズイセン)」の名を覚えた。珍しい花が咲いていたので写真を撮ってインターネットで調べると「夏水仙」であった。何が"珍しかった”かというと葉がなくて丁度ヒガンバナのように長い竿(さお)の先にユリに似た花だけ咲かせている姿が独特だったのである。インターネットは本当に便利で、この「ナツズイセン」は春に水仙と同じような葉をだし真夏には60cmほどに花茎を伸ばすが花茎を伸ばす時期には葉はなく花と花茎だけとなると解説してあった。まさにヒガンバナ(彼岸花)と同じで、これがヒガンバナ科の植物ということで納得した。しかし花の形はどうみてもユリでないかと思っていると葉がないことから俗に「裸百合」と呼ばれるとある。スイセンは分類上ヒガンバナ科であるが別の分類体系ではユリ科であるなんていう説明もあるのでこうなると訳が分からないが深くは追求しない。植物の形態は全て進化の過程でその個体に最も適した形を備えている。新しく花の名を覚える度に自然の多様性、造化の妙に感嘆する。
2010-08-06@渋谷区・東京

8月7日(土)  <夏祭り真っ盛り・・>
夏祭り真っ盛りである。東北三大祭りといわれる三つの祭は8月上旬に集中している。仙台七夕まつりは8月6〜8日で今晩はピークか、青森ねぶた祭は今日7日がフナーレ、秋田の竿灯まつりは昨日6日に終了した。阿波踊りは来週の8/12〜15とこれからだ。盆踊りや花火大会も一つの夏祭りのスタイルで日本中の夏祭りとなると数え切れない。それでも見物人や観光客の数は多くても実際に祭に参加している人はほんの一部であるように思える。私はほとんど祭とは縁がなく育ったが、最近、祭とは本来は社会の一員として誰でも参加できる行事であるべきであり、可能であれば参加したいとの思いが強くなってきた。祭の起源でみれば農村での慰労行事とか神様へのお願い行事とか色々な側面があったのだろう。また祭は地域社会での人間同士の結びつきを強める働きもしただろう。そんな"古い”しがらみ社会とおさらばしたのが"進んだ”現代社会のはずであった。ところが一方で周囲の人と全く結びつきがないままに亡くなっていく無縁社会の様相を垣間見る。少なくとも祭に参加する人たちは無縁社会とは"無縁”でないか・・。
2010-08-07@代官山(東京渋谷)のヒマワリ畑

8月8日(日)  <涼を愉(たの)しむ・・>
「涼を愉(たの)しむ」と題した展覧会にいった。畠山記念館(東京・白金台/ホームページ=ここ)で開催されている展覧会で副題として「書画・茶器・懐石道具」とある。この記念館は荏原製作所の創業者である畠山一清(1881〜1971)が蒐集した茶道具を中心に書画、陶磁、漆芸などの古美術を展示する美術館。実は私が畠山記念館を訪れたのは今日が初めてだった。大型のポンプや環境設備などを扱う荏原製作所とは縁があったし、創業者の畠山氏は珍しく工学部出身でもあるので本来はもっと親しくこの美術館に通ってもよかったけれども「古美術」というので敬遠していたのかも知れない。今日行ってみてこの美術館を今更ながら見直した。記念館全体の雰囲気は根津美術館(東京・南青山/HP=ここ)と類似している(こちらは東武鉄道創業、根津嘉一郎が蒐集した古美術コレクション)。双方共に広大な庭に茶室がいくつかある。いずれも昔の成功者が美術館と庭を公開していなかったら緑の木々は今や無愛想なマンションとなっていたかも知れない。さて、今日は野々村仁清や尾形乾山の陶磁(透鉢や錠花入など)にインスピレーションを得たし、一休禅師の書の自由さに驚いた。古美術の名品には意外にモダンアートのような感覚がある・・。
 
2010-08-08@畠山記念館/東京・白金台

8月9日(月)  <コリウス・・>
コリウスの写真を今日の写真として下に掲載した。散歩の途中で撮影したものであるが植物の葉が何故このような色合いになるのかコリウスを見る度に不思議でならない。コリウスはその不思議な色合いを楽しむための観葉植物として最近鉢植えや花壇などでもよく見かけるようになった。別名、金襴紫蘇(きんらんじそ)というように紫蘇(シソ)科の植物でコリウスと言っても葉の形状や色柄は非常に種類が多い。一般に植物の葉が緑色であるのは太陽の光を受けて光合成するための葉緑素が長波長(赤)と短波長(青)を効率よく吸収するのに対して緑色を反射するから緑に見えると説明される。そうするとコリウスの葉の色は一体どうなっているのか。南方原産の植物であるから太陽光の強さに応じて光合成を調節する技か。色柄は日本で栽培しても変わらないのか。そもそも人間が見ている色とは何か。・・コリウスの色についてどれほど解明されているか知らないが、こんな分野でも興味は尽きない。
2010-08-09@中目黒公園/東京・目黒区

8月10日(火)  <人間活動・・>
「人間活動」に専念するためしばらく休養すると宣言した歌手、宇多田ヒカルのニュースが目についた。宇多田ヒカルの公式ホームページの"お知らせ”でその理由が実に爽やかに語られている:「・・アーティスト活動中心の生き方をし始めた15才から、成長の止まっている部分が私の中にあります。それは、人として、とても大事な部分です。・・これ以上進化するためには、音楽とは別のところで、人として、成長しなければなりません。・・来年から、しばらくの間は派手な「アーティスト活動」を止めて、「人間活動」に専念しようと思います。・・」<公式HP-message=ここ>。私は世代としては宇多田ヒカルの母親、藤圭子よりも更に前の世代で、宇多田ヒカルの歌には親しくないが彼女のコメントには感動した。彼女は27歳で現在海外で新曲のレコーデイング中とか。日本でテレビ、マスコミにでる芸能人たちは"人間活動"以前の活動で汲々(きゅうきゅう)としているように見える。宇多田ヒカルが自ら考え、自分の意志でこのような宣言をすることができるのは、海外が活動拠点であり、思考パターンが海外で鍛えられたせいであろうか。宇多田ヒカルの生年月日が私と同じなので密かに応援をしているのであるが、彼女のスケールが一層大きくなることだけは間違いない。

8月11日(水)  <真夏の散歩はノートレ・・>
真夏の散歩はノートレの時間とした。気候の良い時期には散歩の時間に作品のアイデイァとか考え事をするのに絶好であるが暑さの中では何も考えられない。勿論若干でも暑さのやわらぐ夕方にウオーキングをするのであるが散歩コースもこのところ目黒川(東京)沿いとワンパターンなので何も考えずにただ川にかかる”橋の名を当てながら”川沿いを散歩することにしたのである。二三日続けると今日にはもうほとんど橋の名が正しく言えるようになった。コラムを読む人にはどうでもいい話であるが自分の脳トレーニングとして書いてみよう。スタートは田楽橋から、(駒沢通りとの交差は陸橋)、宝来橋、日の出橋、(東横線陸橋)、別所橋、桜橋、宿山橋、朝日橋、緑橋、天神橋、千歳橋、柳橋、南部橋、中の橋まで・・<書けた!、正解は橋マップ=ここ=でもみられる>。橋の数は多いが歩く距離はそれほどでもない。桜のシーズンは花見コースであるが今は専ら葉桜である。田楽橋の脇、中目黒公園で撮影したキキョウ(桔梗)の写真を下に掲載した。桔梗の文字を見るだけで何か秋の気配を感じる。表紙の「今日の作品」に掲載した「アンモナイト型皿<再焼成分>」(陶芸) は以前制作した作品(5/22の陶芸=ここ)に釉薬を追加して家で再焼成したもの。これも猛暑の中、深く考えずにやってしまった。
2010-08-11@中目黒公園/東京

8月12日(木)  <球団から解雇されたコーチ・・>
球団から解雇されたコーチが地位保全を求める仮処分を裁判所に申し立てたとのニュースには驚いた。プロ野球・西武の二軍コーチ大久保(現役時代のデーブの愛称の通りデブ)は球団から自分が取り仕切っている罰金制度を廃止するよう注意されたところ、若手のホープ雄星を呼び出し「テメーだろう、チクったのは!」と激高して暴力を働いたという(罰金は選手によって30万円の高額になるケースもあり若手選手に不評であった)。ちなみに以前一軍コーチをしていた大久保は女性への暴力沙汰で降格されていた。暴力行為などの理由で解雇通知を受けた大久保は昨日「内容証明」を球団に送った。大久保側の言い分は「解雇理由に納得がいかない」ので裁判所の判断を仰ぐとか。・・真実は分からないけれども、どうしても違和感があるのは、本当に弱い立場のサラリーマンが不当に解雇されるのとは訳が違うからである。高給取りのコーチ、監督が球団の意に添わなければ解雇されても当然だ。契約内容がどうとかいって"地位保全”を計るなど甘い待遇に慣れきっているとしか思えない。自分でやったことには全く反省をせずに相手の不備だけを突く。何でも裁判沙汰。こんな風潮を蔓延させたくない。

8月13日(金)  <今日は妻と初めての美術館・・>
今日は妻と初めての美術館にいった。遠くの美術館ではなく家から30分ほどで行くことができるのに二人共にこれまで一度も訪れる機会がなかったところ。名前は「菊池寛実記念 智美術館」という。場所は東京・港区虎ノ門。ホテルオークラの直ぐ側でサントリーホールに行くときなども近くを通る都内でも一等地にある。今開催されている展覧会は「現代の茶=造形の自由=」と題を付けた「智美術館大賞展」(11/7まで)。この展覧会、妻も私も期待以上の大満足であった。「茶」といっても茶器に限らず”造形の自由”に違わない現代的な陶芸のオブジェ作品も多く、しかも質が高い。「菊池寛実記念 智美術館」(智美術館サイト=ここ)を設立したのは現代陶芸のコレクターである菊池智さんであるが、智さんの父親、菊池寛実氏(1885〜1967)は高萩炭鉱などを創立した実業家でホテルニューオータニを創設した大谷米太郎らと並び称される億万長者であったという(大金持ちであったが私利私欲でなく社会貢献を目指した側面が大きいとされる)。世の中には知らないけれどもすばらしい美術館がまだたくさんあるようだ、そしてお金持ちも沢山いらっしゃる・・。
 
2010-08-13@智美術館  右の写真は、@美術館の近く城山ガーデンにて

8月14日(土)  <152歳のペアと大接戦・・>
152歳のペアと大接戦。今日のテニスはお盆のためか休みの人が多く、いつものメンバーと違う相手と試合をやった。顔見知りではある77歳と75歳のベテランペアを相手にしたのである。こちらはペアで130歳か。決して若くはないが、これからのテニスはこうあるべきだと色々と教えられた。相手は二人ともかなりお上手であるが、そろって無駄な動きがない。凡ミスがない。相手の動きをよく見ている。打つフォームが打球の方向を予測しにくい。そして、どこでも狙った場所へ(相手の弱点を見つけるとその場所に)正確にショットを出す。何より見ていて美しい。テニスという競技は剛速球勝負ではないことが分かる。元より勝負にこだわることはなくなっているが、70歳半ばを過ぎてもこれだけやれるというお手本に接して新たな元気が出た。
今日の写真は墓参りにいった九品仏・浄真寺(東京・世田谷)で撮影した「鷺草(さぎそう)」。ここを訪れる度に今年は鷺草が咲かないのかと心配していたが、今日になって数は少ないが待ちに待った鷺草が咲いていた。
2010-08-14 @九品仏浄真寺

8月15日(日)  <夏目漱石も森鴎外もラジオというものを知らない・・>
夏目漱石も森鴎外もラジオというものを知らないという記述を見てハッとした。確かに日本でラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)。漱石(1867〜1916)、鴎外(1862〜1922)の生きた時代にラジオ放送を聞くことはなく、新聞だけが毎日の情報源であった。今日、終戦記念日。この日、予告に従って国民はラジオの前に集まりいわゆる”玉音放送”<昭和天皇が読み上げた「戦争終戦の詔書」>を聞いた。といってもかすれた音での放送で一般の人はやはり新聞で敗戦を実感したのだろう。戦時下ではラジオは勿論統制されたものだったが、それ以上に新聞は軍の宣伝紙の役割を担った。新聞はしばしば為政者の道具となり、またイデオロギーの宣伝道具ともなる。戦後はラジオの発展、テレビの出現、そしてインターネットとあっと言う間に情報社会が出来上がった。現代でも一部の独裁国家は国が全ての情報を統制する。東欧の旧社会主義国が無血で政治を変えることができたのは西欧の情報が浸透していたからと云われる。インターネットを含める多くの情報手段で多様な考え方が世界中に広まれば、お互いに外界を知り、結局は相手を理解することとなる。戦争回避とか平和の原点は偏りのない多様な情報でないか・・。

8月16日(月)  <今日は東京都内でも最高気温38.1度・・>
今日は東京都内でも最高気温38.1度を記録した。厳しい暑さの折、半ズボンで庭に出るとアッという間に蚊の襲撃を受ける。「炎天下 今日は何匹 殺したか」。殺生はしたくないが黙って血を提供するほど人間ができていない。蚊や蟻の命を我が手で奪った後、そういえば鶏や豚の命もいただいて生きているのだと思いめぐらせるのも今の季節である。夕方になるとニイニイゼミにヒグラシも加わって蝉の大合唱。蝉の鳴き声を聞いていると人間が生きるとは何ぞやとか生き甲斐を考えるのは意味がないように思えてくる。生きることができる期間、蝉のように思う存分生を謳歌できればそれ以上はない。
<明日から小旅行のため2〜3日コラム休みます>

8月19日(木)  <高原の空気を満喫・・>
高原の空気を満喫して先ほど東京に帰ってきた。今回は長野県の志賀高原を中心に高原と渓谷めぐり。記録的な猛暑が続くと報じられているときに、美しい山並みを眺め高山植物を愛でていることが何か悪いことをしているような気になるほど快適だった。奥志賀渓谷ではブナの原生林に囲まれて、丁度映画「アバター」の中にでてくるような”深い森の世界”を体感した。下には志賀高原四十八池で撮影した写真を掲載する。
 
2010-08-19@志賀高原に

8月20日(金)  <久しぶりに陶芸の新作・・>
久しぶりに陶芸の新作が完成した。この表紙に掲載した「翼竜型香炉」である。ただし、香炉としてはまだ100%完成はしていない。内部に線香を装着して香炉とするが煙を翼竜の口から流れるように更に細工を考えている。今日のテストでは線香が短い場合は現在のままで胴体の上部の穴から継続して煙を出して燃焼する(空気の取り入れは問題ない)。この時に翼竜の口を上向きに持ってやると当然煙は口から出る。けれども常時口から煙を出すためには口の付近で何らかの吸引が必要となる。吸い込む力は強すぎても駄目なので難しいところ。こんな陶芸として完成した後の工夫もまた楽しみの一つかも知れない。
今日の写真(下)は六本木ヒルズ内の毛利公園。六本木ヒルズでは今日から三日間夕刻に盆踊り大会が開催される。会場(写真正面)では既に準備万端整っているようにみえた。
 2010-08-20@六本木ヒルズ

8月21日(土)  <嵐の余波・・>
嵐の余波を受けるとは考えもしなかった。といっても「嵐」はジャニーズのグループ嵐。朝、7時40分頃に秩父宮ラクビー場の駐輪場所に自転車を置こうとするとする若い女の子が延々とラクビー場を取り巻くように行列を作っている。テニスのために毎回この駐輪場を使うので行列を割って自転車を通してもらった。係員に聞くと”嵐の・・”というのでラクビー場でコンサートが開催されるのと勘違いしたがそうではなかった。確かに嵐のコンサートはラクビー場から200〜300m離れた国立競技場で今日、明日と開催される(全国ツァーの先駆けとか)。この行列はコンサートとは別で「嵐のコンサートグッズ」のためであった。コンサートグッズの販売をラクビー場でやるのは並んだ人たちを一度ラクビー場の観客席に誘導して行列が道路にあふれないようにする工夫らしい。何千人もの女の子がグッズを買うために何時間もおとなしく列をつくる。昼に自転車を出すときもまだ変わらぬ長蛇の列だ。それにしても嵐ファンの若い女の子たちが実に行儀がいいのに感心した。これだけ多くのファンを引きつける嵐の力も想像以上。嵐の余波を受けて逆に嵐ファンになりそうだ。
表紙には「翼竜型香炉・横」(陶芸)を掲載。香を焚いて翼竜の口から煙りをだしている。

8月22日(日)  <カナブンが庭の紫陽花・・>
カナブンが庭の紫陽花(あじさい)の葉に群がっている。10数匹のカナブンが一斉に葉を食べている姿が余りに壮観であったので思わず見とれていた。妻に話すとカナブンを退治しないと紫陽花が駄目になってしまうと必死になるので、こちらとしても紫陽花を守る側についてしまった。カナブンもなまじ紫陽花の葉などに手を出さずに他の樹液でも吸っていればいいものを・・。カナブン退治も一仕事だった。無用な殺生はしないときれい事を言ってみても人間は殺生をして生きている。生物がいきるということは食うか食われるか。怪しげな優しさばかりが強調される昨今、人間も強くなければならないと言い聞かせる盛夏である。
2010-08-22@東京・渋谷区

8月23日(月)  <共に焼かるる暑さ・・>
「共に焼かるる 暑さかな」という俳句の下の句が気に入った。先日、小旅行に行った際、宿の食事時に84歳のご婦人(元教師)から教わったのであるが、先生のオリジナルは「陶芸と 共に焼かるる 暑さかな」。私には陶芸教室に通うときにそのまま実感できるが、このところの猛暑では”共に焼かるる”は何を持ってきても合いそうだ。同時に文言によってはちょっと恐ろしいニュアンスにもなる。発句で遊んでみよう:「百日紅(さるすべり)」、「わが夫(つま)と」(妻ではつまらない)、「五右衛門と」、「パンパスと」、「お経すみ」・・。それにしても暑い日が続く。今は夜9時になるところだが部屋の温度はデジタル温度計で31.8度を示している。
2010-08-23パンパスグラス@中目黒公園
8月24日(火)  <ハンス・コパー展・・>
「ハンス・コパー展」(@パナソニック・汐留ミュージアム=ここ=9/5まで)をみた。ハンス・コパー(1920〜1981)は20世紀イギリス陶芸界で最も独創的な作家の一人として紹介されるが、私は陶芸家ルーシー・リーの展覧会で彼女の助手としてハンス・コパーの写真を見るまで名前も知らなかった(ルーシー・リー展のコラムは5/17=ここ)。オーストリア・ウィーン生まれのルーシー・リーがナチスのオーストリア併合を機に英国に移住して苦労した以上に、ドイツ生まれのユダヤ人であったハンス・コパーがナチスを逃れて英国に渡った経緯は壮絶であった(父親は途中で死亡、英国でも敵国からの移住者として強制労働に従事など)。コパーの陶芸作品に全く浮ついた調子がなく歴史を超越した静かなたたずまいを見せるのは彼の生い立ちと無関係でないだろう。彫刻風な陶芸、建築の中に取り入れた陶芸など私の大好きな作品ばかりであったが、細かく見ているうちに何か怨念のようなただならぬ気配を感じて思わず緊張した。
2010-08-24@汐留ミュージアム近辺にて

8月25日(水)  <今日も気温34度の猛暑・・>
今日も気温34度の猛暑が続く(@東京)。暑さのせいではないが、円相場は昨日に続き円急騰のまま1ドル=84円55銭、株価(日経平均)は今年最安値(8845円)とか。相場も株価も”ワッシには関係ないこと”と今日は午前中に陶芸教室にいった。午後は別の所用があって陶芸はできないので短時間集中して粘土をいじっていると暑さも忘れる。この日の充実感はやはりモノツクリであった。・・インターネットでプロ野球の記事をみると面白い。昨晩の記事:「巨人4連勝で首位、阪神は今季2度目の4連敗」、その下の方に8月19日の記事がある:「巨人4連敗で3位転落、阪神は最多タイ貯金16」。わずか一週間足らずのギャップが見事。後一週間で8月も終わる・・。
8月26日(木)  <無理しない・・>
”無理しない”・・が、猛暑の中でテニスをするときの鉄則である。「無理しない」という言葉は自転車で家を出てからテニス場へ着くまでも念仏のように繰り返す。暑さの中では自転車で走る途中でも"無理しない”ように自分に言い聞かせていないと注意力が散漫になるからである。最近は自転車で唱える言葉に「相手を喜ばせよう」を加えた。経験的にテニスでは相手を喜ばせようと思うのが一番無理をしないことになる。といってもわざとミスをするとか勝ちを譲ると言う意味ではない。テニスも勝負事であるから意図的に負けるのでは相手もうれしくない。ただ”コテンパン”に(徹底的にというか、完膚無きまでにというか、面白い言葉だが語源は不明)やっつけることはしなくて楽しくプレーをできればよい・・そう思っているだけで自分やパートナーがミスをしようがゲームをいくつとられようが全く気にならなくなる。自分たちが負けても相手が喜んでいれば、それもまたいい。今日は万歩計で14000歩(運動であるので正確な歩数ではない)余りを運動できただけで十分感謝である。
8月27日(金)  <ニュージェネレーション・・>
ニュージェネレーション・ピアノコンサートで半日暑さを忘れた(@ヤマハ銀座・コンサートホール)。ニュージェネレーションの選ばれたピアニスト9名がバッハ、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、リスト、ドビュッシー、フォーレ、バルトーク、スクリャービンなど盛りだくさんの楽曲を次々に演奏する。それも冷房完備のコンサートホールでピアノから数メートルの距離で聴いたのは贅沢極まりない。演奏そのものは十分に楽しんだが休憩時間などに複雑な思いが去来した。ここで演奏している人たちは大抵は3〜4歳からピアノをはじめて激烈な努力を重ねてきた。そして才能にも恵まれたごく一部の人だけがトップクラスの技を身につけてこの場にいる。それだのに他のニュージェネレーションのスターたちと比べて何と地味なことか。ろくに芸がなくてもテレビで大稼ぎの芸能人はさておいてもスポーツ関係と比べても段違いだ。プロ野球やサッカーでは有能な新人を求めて多くのスカウトが活動する。クラシック音楽界ではゴルフでいえば石川遼、宮里藍クラスの新人でも知られることはない。結局はクラシックの音楽業界には人材は溢れているのに人材を活かす有能なプロデューサーがいないのでないか。

8月28日(土)  <心頭滅却すれば・・>
「心頭滅却すれば火もまた涼し」の心境が理解できる・・というと非難轟々、ウソいえと言われそうだが、この夏の猛暑を例年になく平気で乗り切りそうに見える。自分のパソコン室ではほとんどクーラーをつけなかったし(扇風機だけ)、就寝時に室温30度近辺の日(このところ毎日だ!)でも朝までぐっすりと眠ることができた。しかし、よく考えると単に老人性の鈍感さが加わったと見るべきかも知れない。それにしても暑い暑いと言ってみても涼しくはならないので、寝るときなどは室温は体温より低いので身体から熱が放散されるはずだとして頭から"暑い”の意識を"滅却"したのは確かである。冒頭の「心頭滅却すれば・・」の言葉は戦国時代・武田信玄系の寺の僧侶、快川紹喜(かいせんじょうき)が織田(信長)に反抗し寺を焼き討ちされた際に発した辞世(原点は漢詩)とされるが、快川に関連して後世に創作された逸話と言う説もあるようだ。いずれにしても、今年の猛暑を体験できるのはもう残りわずか。夏を満喫できる最後のチャンスである。「夏川を 越すうれしさよ 手に草履(ぞうり)」(蕪村)

8月29日(日)  <ねむの木・・>
「ねむの木」を今日の写真として掲載した(下)。8月も終わりの今頃"ねむの木”かと多少季節外れの感もあるが、今日行った中目黒公園(東京)ではまだ独特のふわふわした刷毛のような花を見せていた。ねむの木のネムは夜になると葉が閉じることから名付けられたことは知られているが、「ねむの木」というと花以外の名前をいくつか連想してしまう。まず思い出すのは宮城まり子さんの「ねむの木学園」(hp=ここ)。以前、静岡にある「ねむの木学園」に行ったことがあるし、肢体不自由児の描いた美術展(宮城まり子さん指導)を見たこともあるが、それはすばらしいものであった。もう一つは「ねむの木の庭」。皇后陛下のご実家、旧正田邸跡地(東京・品川区)が今は区立公園「ねむの木の庭」になっている(hp=ここ)。皇后陛下が高校生時代に作詞された「ねむの木の子守歌」から命名された公園でJR五反田、または目黒駅から歩いていくことができる。ちなみに「ねむの木の子守歌」はその後作曲が加わり"子守歌”として歌われる機会も多い。吉永小百合が歌っているYou Tubeの「ねむの木の子守歌」(=ここ)があることは今回初めて知った。<歌詞の例=ここ
 
2010-08-29@中目黒公園   右の写真は@西郷山公園

8月30日(月)  <今日覚えた植物の名・・>
今日覚えた植物の名は「デュランタ」。以前から散歩コースで紫色の小さな花を藤の房のように垂れ下げながら同時に黄色い実をつけている低木が気になっていた。インターネットで調べるとメキシコ地方や西インド諸島が原産の品種で「デュランタ」(他にタイワンレンギョウなど)の名であることが分かった。名前は植物学者であったデュランテス博士に由来するとある。「デュランタ」は日本には明治時代に渡来したというが外来種の植物の名前にどうしてもう少し親しめる日本名をつけないのだろう。「デュランタ」の名を今は覚えているがいつまで記憶できているか自信がない。一年後に花と実の独特の枝垂れ姿を見たときに、○○藤でもなく枝垂れ○○でもない「デュランタ」が頭に浮かぶかどうか・・。そこで、考えた:往年の米国歌手ボブ・ディランの顔で思い出そうか、いやジュラルミン(duralumin)のランタンにしようか、デュオ・ランタンにしようか・・。こんなことを綴っているだけで少しは記憶に留まってきた。
2010-08-30デュランタ@東京・目黒区

8月31日(火)  <三菱-三井を梯子・・>
三菱-三井を梯子(はしご)した。・・と旧財閥の名を並べることになったが、三菱一号館美術館(東京・丸の内)で開催されている開館記念展「三菱が夢見た美術館」に行った後、続けて三井記念美術館(日本橋)での特別展「奈良の古寺と仏像」に行ったのである。三菱の美術館は今年の4月に新たにオープンした美術館で”岩崎家と三菱ゆかりのコレクション”と銘打って豊富な蒐集品が順次公開されている。この三菱一号館美術館(hp=ここ)は明治時代に英国の建築家コンドルによって設計された三菱初めての洋風建築が当時のまま復元されたいう煉瓦造りの外観がユニークである(写真を下に掲載)。今回の展覧会で私が特に興味深かったものを3点あげると、曜変天目茶碗(稲葉天目/国宝)、徒然草(室町時代写、重文)、ルオーの絵画。明治時代に岩崎弥之助(三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟で2代目総帥)が今の丸の内界隈の土地を150万円で購入した時は辺り一面野原で"三菱が原”と呼ばれたという。その"三菱が原”の風景画が飾られていたのも面白かった。丸の内から日本橋の三井記念美術館までは歩いて移動した。三井記念美術館には長次郎の抹茶茶碗の名品などがありこれまで何度も行ったことがあるが今回は「仏像」だ(hp=ここ)。仏像もまた作り手の息づかいが何百年を経て確実に現代に伝わってくる。三井の方の歴史は江戸時代の呉服店「越後屋」からはじまり、その後呉服と合わせて両替店を開き繁盛する。明治以降呉服は三越となり両替店は三井銀行、三井物産などへ発展する。なるほど日本橋三越に列んで三井本館/三井タワー(地上39F)、三井記念美術館はその7Fにある。三菱、三井が美術館で今後どのような経緯をたどるのか見物である。
「今日の作品」として完成したばかりの「丸皿」(陶芸)を掲載する。焼成にずいぶん時間がかかった。作品の説明は後日としよう。
  2010-08-31@ 三菱一号館/東京・丸の内

これまでの「今日のコラム」(最新版)に戻る

Menu + Picture + Ceramics+ Gallery + Corgi + Special + Links