これまでの「今日のコラム」(2012年 10月分)

10月1日(月)  <日本列島を縦断した台風・・・>
日本列島を縦断した台風17号が北海道沖まで去り、今日の東京は朝から台風一過の晴天となった。被害を受けた地域では大変だったと推察するが、水不足でピンチだった関東・東北地方にとっては恵みの雨となった。全ての人に幸せをもたらす”気象”はあり得ないのが自然の掟か。今日の表紙に掲載した絵手紙作品を描いた「自然教育園」でも今回の雨はうれしかったに違いない。自然教育園のことは何度も話題に出しているが都心では奇跡的と思えるほど貴重な「森」が存続しているスペースだ(サイト=ここ)。少し前にここを訪れたときに一部の池が干上がり割れ目ができていた。今回の雨で水生植物も元気を取り戻しただろうか。孫娘のMieu宛に絵手紙を描いたが、自然教育園にいくと何年も前になるがMieuと一緒にここを訪れたときのことを思い出す。Mieuは樹木の説明用看板に「スダジイ」とあるのが気に入って、スダジイ、スダジイと言ってはしゃいでいた。確かに、ブナ科シイ属の常緑広葉樹である「スダジイ」は、尊敬するスダ先生がジイサマになったような名前ではある。スダジイに限らず多くの巨木を有する自然教育園の森は相当な人手をかけて「自然の森」が維持されているが、一方で園内を歩く人が危険にならない範囲で。倒壊した樹木の姿をそのまま残している(下の写真は先週撮影した倒壊樹木)
。昨日の台風で森の姿がどう変化したか見てみたい。
**この日、九品仏浄真寺に息子の墓参に行き、台風一過の珍しいお寺の写真を多数撮影したが、後でカメラのメモリーがない大失敗が判明。墓前で焦ってはいけない・・。
 2012-10-01掲載

10月2日(火)  <東京駅丸の内駅舎・・・>
東京駅丸の内駅舎を見てきた。太平洋戦争の末期1945年(昭和20年)に空襲で当初の駅舎のドーム屋根や内装が焼失。戦後焼失を免れた部分を使って駅舎が復興されて半世紀以上を経た後に、駅舎を1914年(大正3年)に創建された当時の姿に「復原」する工事が開始されたのが2007年4月。それが昨日(2012-10月1日)完成の披露となった。多くのマスコミで取り上げられているのでイメージはあったが”百聞は一見に如かず”と実物を見に行ったのである。先ず、今回は「現存する建造物について後世の修理で改造された部分を原型に戻す」意味で「復原」を使い、失われた建物を再現する「復元」工事でないところが面白い。駅舎の外観を実際に見たところでは、全体を見るとき創建当初にはなかった巨大な通風塔(左右)や駅舎にマッチしない街路灯などが気になって駅舎自体の美観を損ねてかわいそう<下の写真では極力目立たぬように苦労して撮影>。駅舎単独の復原では限界があるが、街全体のデザインを考えるステップが欲しい。その点、昼間の駅舎よりも余計なものを見えなくしてくれる夜の駅舎風景の方がいいかも知れない。チャンスがあれば、次は夜に見学しよう・・。


 
2012-10-02 リニューアルされた東京駅丸の内駅舎

10月3日(水)  <「天地明察」の映画・・・>
「天地明察」の映画を見た。2010年の本屋大賞を受賞した小説「天地明察」(冲方 丁著)の映画化を知って、先月公開された後、機会を見て是非見たいと思っていた。小説を読んだときの感動をまだ覚えているので、どんな風に映画化されたか心配もしていたが十分に楽しむことができた。江戸時代前期、将軍に囲碁を教える家に生まれた囲碁棋士、安井算哲が天文学、算術の才を認められて暦の改変という大事業に取り組む物語が当時の複雑な人間模様を織り込み巧みに描かれる。英雄伝でもない地味なテーマを飽きることなく見せるのは、やはり原作者の冲方 丁の力だろう。この名前、何度接しても忘れてしまうのだが「うぶかた とう」と読む。1977年生まれの作家。ペンネームは、暦(干支)からとっている。生まれた年が「丁巳(ていし、ひのとみ)/丁は十干の陰の火)」。「冲(ちゅう」は十二支の真向かいの位置関係、「方」をつけて「冲方=うぶかた」。ところで、「天地明察」の中でもでてくる当時の和算家「関孝和」が独自の和算を発展させたり暦の作成に関連して円周率を小数11位まで算出するなど世界的にみても進んだ業績を残していることを今の学校で教えているのだろうか。どなたかに次のノンフィクションで江戸時代に輩出した世界最高レベルの大数学者「関孝和」の話を書いてもらいたい。
10月4日(木)  <「ススキ」を見ると・・・>
「ススキ」を見ると何となく落ち着く。都心の公園や緑地でも秋になるとススキが見られるのはうれしい。季節感はあるが決して主役の植物ではない。ススキの漢字には薄、芒が当てられるが、秋の七草では「尾花」。俳句では「ススキ」がよく詠まれている。「何ごとも 招き果てたる 薄(ススキ)かな」(芭蕉)、「山は暮れて 野は黄昏の 薄(ススキ)かな」(蕪村)、「散るすすき 寒くなるのが 目に見ゆる」(一茶)。蕪村には「狐火の 燃えつくばかり 枯尾花」の句もある。枯れ尾花とか枯れススキに情感を込める感覚は日本人独特のものであろうか。野口雨情(1882〜1945)は「枯れすすき」という切ない詩を書いた;「おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき・・」。この詩に中山晋平が曲を付けて「船頭小唄」となったのはご存じの通り<YouTubeでの参考リンク=ここ>。・・下の写真のように今はススキも曼珠沙華も元気、それにしても「花の咲かない枯れススキ」などと卑下するのは人間の勝手な思い込みだ・・。
2012-10-04

10月5日(金)  <アイディアが浮かぶと・・・>
アイディアが浮かぶと誰にでも話したくなる、結果はまだずっと先の話で進行中であるのにウキウキして成功したように喜んでしまう<昔の人は”捕らぬ狸の皮算用”なんて言った>、手品がうまくいくと直ぐに種明かしをしたくなる・・。こんな性癖があるのでないかと自己分析しながら、いま陶芸で制作中のネタを披露することにした。今日の写真(下)にはまだ焼成もしていない制作途中の「粘土品」を載せた。今日、陶芸教室にいって素焼きに出す前に撮影したもの。この正六角形の板はこれから合計20枚制作して、以前完成させた「正五角形」と合わせて32面体を制作する遠大なる計画のスタートだ。これから制作する正六角形の模様を考えていると多くの発見があり、正六角形とは実に面白く、奥深い形状だと一人喜んでいる。先ず、自然の中も多くの正六角形がある。見事な雪の結晶の模様を見るだけでも感激。蜂の巣などもデザインできそう。「紋章」の中にも正六角形が潜んでいるいるし、更に、方角や干支に関連させる十二支も正六角形につながる。これだけあると20枚の異なるデザインは容易にできてしまう。制作のスタートは夢一杯だが果たして何時完成を見るかは分からない・・。
2012-10-05

10月6日(土)  <大統領候補のTV討論を見る・・・>
「大統領候補のTV討論を見る」がニューヨークに住む孫娘、Mieuの学校の宿題だったという。Mieuはミドルスクールに入ったばかりで日本なら6年生に当たる。3日に行われたオバマ大統領と共和党大統領候補ロムニー氏のTV討論会(夜9時から開始)を見るだけでなく、自分ならどちらに投票するか、その理由をつけて答える宿題だ。勿論、正解はどちらということはない。先生側も意見を押しつけることを絶対にしない。確か4年前の大統領選挙の際、Mieuの小学校でも同じような議論をさせた。米国はいろいろな問題を抱えるが、このように自分で考える子供を育てようとする教育の姿勢は随所に見られる。逆に、日本では○×式の暗記教育から進化しない。最近、インターネットで見た記事で、茂木健一郎が日本の偏差値入試を批判しているものがあった(=ここ)。人間の能力を評価する方法として偏差値というモノサシはまったく正しくないといっているが私も同感。世の中、何が美しいかは個々の感性が判定するものであって権威が決めることはできない。同じく、何をやるべきか、何が真理か、どの道を進むべきか、入学試験のように正解が決まっていれば誰も苦労しない。分からないから面白いといった方が、子供も納得して挑戦するのでないか。
「今日の表紙」に「自然教育園にて2/mieuへの絵手紙」を掲載した。10/1掲載分と同じ自然教育園風景。


10月7日(日)  <今日の日曜日・・・>
今日の日曜日、雨が止んだのを見計らって墓参。息子の墓参りは先日1日にも行ったが、今日は掃除道具を準備して墓周りを徹底的に掃除した。自分の区画だけでなく周辺の通路の落ち葉を掃き清め、草取りまですると気分爽快。お墓のあるこのお寺(九品仏浄真寺)では最近になって阿弥陀さまの仏像をいつでも拝顔できるようになったので、こちらにもありがたくお参りをして写真も撮らせていただいた(下写真)。天候が急速に回復して晴れ間が出てきたところで、次に恵比寿ガーデンプレイスのシャトー前広場で行われている「ピクニック」を見学に行った。甥っ子の建築家が「東京ピクニッククラブ」(Webサイト=ここ)のメンバーでイベントの案内を受けたのである。参加自由で無料、誰でも参加できるピクニックは明日の休日(8日)も開催されるので興味ある人にはお勧め(案内=ここ 、なお恵比寿ガーデンプレイスでは明日まで「恵比寿文化祭」でピクニック以外に多くのイベントを開催中=ここ)。・・ここで、そうか今は秋祭りの真っ最中と気がついた。
 

 
2012-10-07 上=@九品仏浄真寺(世田谷) 下=@恵比寿ガーデンプレイス


10月8日(月)  <月曜日はテニスの日だが・・・>
月曜日はテニスの日だが、祝日となるとどんなにいい天気でもテニスはなし。土日と祝日にはプレーできないウィークディ会員の悲しさだ。家で4kgの鉄アレイを使って腕力トレーニングをした後、運動のため歩いて自然教育園までいった(=ここ)。いつもは休園日である月曜日だが、こちらは休日であるとオープン。まだ樹木の紅葉には時期が早い園内ではあるが散策していると疲れも忘れて”来てよかった・・”。盛りを過ぎて枯れかかった草木も何か風情がある。自然教育園で「蜘蛛の巣」の写真がうまく撮れたことも今日の成果となった。蜘蛛の巣はもともと虫に見え難いようにできているので撮影してもうまく撮れたか結果は分からないが、下に掲載した蜘蛛の巣は光の加減で幸い蜘蛛の巣が見えるように撮影できた。もう一つの写真は「アザミ」についた昆虫。アザミは受粉を昆虫に頼る虫媒花であるという。見ていると写真に撮影したもの以外に、ひっきりなしに蝶や蛾、蜂などがアザミの花に寄ってきていた。身体を動かすと汗をかく陽気であったが、季節は間違いなく秋。
<あかあかと 日はつれなくも 秋の風(芭蕉)>
 
2012-10-08 @自然教育園にて

10月9日(火)  <今日のうれしいニュース・・・>
今日のうれしいニュースは山中伸弥さんのノーベル賞受賞。2006年に山中氏らのグループがiPS細胞を世界で初めて作ったことを発表した際に既に「ノーベル賞級の業績」と評価されていたので、今回50歳の山中さんが受賞したことにも意外性はない。けれども、やはりノーベル賞の重みは大きい。中国や韓国でも山中さんのノーベル賞受賞を好意的に報じたと言うから、学問、医療、科学などの分野に限らず、教育面、経済面、政治面、そして外交面にも波及効果がありそうだ。受賞の内容については勿論コメントもしようもないが、遺伝子レベルの細胞の研究というのは、話を聞くだけで気の遠くなるような膨大な実験の繰り返しを必要とすることは理解できる。失敗の連続の中から一つでも有効な兆しを見つけようとする地道な研究だ。いまは世界中でiPS細胞の医療への応用(実用化)に向けて熾烈な競争が続けられている真っ最中でもある。<iPS細胞=人工多能性幹細胞( Induced  Pluripotent Stem  cell )、内容はネット検索で解説多>
2012-10-09 秋を求めて・・@東京

10月10日(水)  <IMF(国際通貨基金)の総会のあと・・・>
IMF(国際通貨基金)の総会のあと銀座に行った・・というのは冗談。いま有楽町の東京国際フォーラムでIMF・世界銀行年次総会が開かれている(10/14まで)が、たまたま国際フォーラム付近を通ると厳重な警備で通常自由に出入りできる場所にもフェンスができて立ち寄ることもできなかった。その後、国際フォーラムから南東に歩き銀座二丁目の文具店「伊東屋」に行った。久しぶりの伊東屋さんは売り場が変更になっており戸惑いながら別館で目的の”消しゴムつき鉛筆”を買った。銀座に来るとお上りさん気分で写真を撮る(下に掲載)。縁のないブランドショップも被写体としては絶好だ。銀座の賑わいが一二年前より少なく感じたのは以前目立っていた中国人観光客が激減したせいだろうか。
2012-10-10 @銀座

10月11日(木)  <スーパーでお米を買ったとき・・・>
スーパーでお米を買ったときに意外なことに気がついた。「あきたこまち」というと秋田県のお米と思っていると「茨城産あきたこまち」の銘柄が幅を利かせている。そんなの常識と言われそうだが、やはり「秋田小町」の秋田県と思ってしまう。「コシヒカリ」もやはり同じ。越の国に光かがやくお米と名付けられた「コシヒカリ」は新潟県以外に富山、山形、福島、群馬、長野など他の県でも当たり前で生産されている。その点宮城県の「ササニシキ」や「ひとめぼれ」なんていう銘柄はどこが産地でも違和感がない。それにしてもお米の品種は多く、日本全国でそれぞれのおいしいお米が生産されている。実のところ、お米の味を銘柄を意識して真剣に味わったことがない。沢山並んだお米の銘柄を見ていると、これからお米の味の違いを比較するのも面白いと思い始めた。
2012-10-11 散歩の途中で(右はユリオプスデージー)

10月12日(金)  <昨日の読売新聞・・・>
昨日の読売新聞をお持ちの方は、歴史的な誤報のサンプルとして価値が出るかも知れない。一面トップで「iPS心筋を移植」の見出し。何しろ東京大学客員研究員(読売報道)の森口尚史さんがニューヨーク幹細胞財団主催の国際会議で発表する予定の「iPS細胞から心筋の細胞を作り、重症の心不全患者に細胞移植する治療を6人の患者に実施した」という大スクープ記事。3面でも関連記事、更に夕刊一面にニューヨークでの森口氏とのインタビュー記事まで掲載した。ところがその途端に、治療を行ったとされるハーバード大の関連病院ではそのような事実がないとか、森口氏はハーバード大の客員教授(読売報道)でなく10年以上に前に1ヶ月ほど大学に属していただけだとか、疑念が続出して論文発表どころか本人も雲隠れという前代未聞の異常な事態であるようだ。森口さんご本人についても東大先端科学技術研究センター(?)の特任研究員(今現在か不明/東京医科歯科大の看護学出身)で医師の免許は持っていないとか報道の反動は恐ろしいほど。もし、読売の大誤報がなければどういうことになっていたか分からないが、研究や論文の信頼性だけの問題ではない。日本人全体のイメージを損ないかねない誤報を読売はどう処理するのか、注目したい。
表紙には「無題/mieuへの絵手紙」を掲載。色の部分は指に絵の具を付けて描いた。流れに任せて指を紙に押しつけただけで、本当に「題」は付けられなかった。時としてこんな絵を描きたくなる。

2012-10-12左=ピンクのノウゼンカヅラ(凌霄花)@目黒川緑道


10月13日(土)  <「丈夫」なことだけが取り柄・・・>
「丈夫」なことだけが取り柄と思っていたが、歯痛(水が浸みて痛くなる程度)になっただけで身体全体の調子がおかしくなっている。「丈夫」の丈、1丈は日本では10尺=3.03mであるが、古代中国では「丈」は成人男子の「身の丈」であった。「夫」は「男性」のことで「丈夫」の語源は「一人前の男性、成人男子」のことでったという。勿論、今は”丈夫な女の子”でも一向に構わない。ついでに、”歯痛、大丈夫?”と聞かれれば、”何とか大丈夫です”と答えるか・・。この場合も語源の「大いなる丈夫」=「立派な男子」ではない。また「強くてしっかりしているさま」ほど安心もなく、「耐えることが可能」な程度かも知れない。字面を見ると、「大丈夫、大丈夫」なんて言うことができなくなってしまう・・。
2012-10-13@北沢川緑道にて

10月14日(日)  <「秋の鰻掴」・・・>
「秋の鰻掴」か「溝蕎麦」か・・。草花の名前である。今日、自然教育園(東京・港区)に行くと水生植物園で小さな独特の白ピンク色の花が際だっていた。写真を撮って後で調べると、園内では今の時期、「アキノウナギツカミ」と「ミゾソバ」のほとんど同じような草花が混在して咲いていることが分かった(案内=ここ or ここ)。共に水辺や湿地に群生する1年草。。下(左)に掲載した写真は、はじめは「アキノウナギツカミ」と思った<この奇妙な名は、茎の部分に下向きの鋭い刺(とげ)があり、”ヌルヌルして滑りやすい鰻もつかめる”と名付けられたという。他にも「ウナギツカミ」の名がついた植物があり、どうも昔の人は植物に愛情のない安易な名前を付けすぎる>。しかし、「アキノウナギツカミ」の葉は「やじり形」、「ミゾソバ」の葉は「鉾形」との説明を見ると「ミゾソバ」に思えてきた。「ミゾソバ(溝蕎麦)」ならば「葉」が「蕎麦(ソバ)」の葉に似ている。今日の教訓:草花の写真は花以外に茎や葉の写真もしっかりと撮影しておくこと。花の形だけでは区別できない草花が「混在」していることもある。
 
2012-10-14 左=ミゾソバ or アキノウナギツカミ  右=ホトトギス(白色は珍しい) @自然教育園

10月15日(月)  <神経の不思議・・・>
神経の不思議を感じた一日。朝食の時、相変わらず歯痛が気になってしようがない。冷たい水を飲むと歯に浸みて痛い。それが秋晴れの下、テニスをしているときには全く歯のことなど忘れている。家で昼食をとったり、のんびりしているときには、また歯の痛さが煩わしい。午後になって陶芸教室で陶芸に集中していると、やはり歯の痛いことを全く感じない。何かに集中していると痛さを忘れることが自分でおかしくなるほど典型的に表れる。痛さのレベルがそれほど高くないこともあるだろう。それにしても、一般的に暇(ひま)になると、つまり直ぐにやるべきことがないときに人間の脳はマイナス面を見つけ出す作用があることが理解できる。脳の関心が別のところに行けば、あそこが悪い、ここが痛い、苦しい・・、といったことを忘れることも出来る。「心頭滅却すれば火もまた涼し」<快川(かいせん)禅師の辞世とされる>はただの喩えでなく、脳の作用としてあり得ることと思うことがある。
2012-10-15女郎蜘蛛とイヌショウマ<写真は昨日@自然教育園>

10月16日(火)  <奥歯を一本抜いて・・・>
奥歯を一本抜いて気分爽快。今日、歯医者さんに歯痛を診断してもらったところ、歯を抜く、抜かないの判断はこちらに委ねられた。歯槽膿漏(歯周病)がかなり進行した状態で治療しても復原できない、早い段階で抜いた方が他に影響が出にくい、この奥歯は食物を噛むときにほとんど関与していないなどの条件を勘案してその場で「抜く」ことを決断した。そうすると、抜く作業はほんの5分〜10分。その後は問題なく気持ちよく過ごせるのだから呆気ないほど。自分としては代わりのない「貴重な歯」がなくなった感覚でなく、無くても済む厄介者の歯を除去できた気持ちだ。この一ヶ月ほどの間に急に歯痛がでたのは普段ほどんど使用されてない奥歯を”鍛えてやろう”と意識的に過度の負荷を加えたことが原因と思い当たる。元々、歯槽膿漏を病んでいた歯茎が「鍛錬」に耐えられなかったことになる。そうかといって、この機会がなければ、数年後に更に歯周病が進んだ時点で抜くことになったかも知れない。「鍛錬」のやり方はあるだろうが、我が身体で鍛錬に耐えられない部品に未練はない。膨大な量の細胞が死滅、再生を繰り返しつつ生命は維持される。生きることは不要なものを惜しみなく捨てることとみた・・。
2012-10-16@西郷山公園(東京・目黒区)にて

10月17日(水)  <「ホオズキ/mieuへの絵手紙」・・・>
「ホオズキ/mieuへの絵手紙」を今日の絵として表紙に掲載した。一年ほど前に買ったガラスペンがすばらしい書き味で気に入っていたのだが、調子に乗って専用のインクでなく絵の具で使用したりしている内にガラスのペン先を傷めてしまった。非常にデリケートな溝つきのペン先を、自分で細かい紙ヤスリを使って修正しようと試みたのが間違い。余計にペン先を損傷させてしまった。それでも絵を描くことができるか、やってみたのが今回の「ホオズキ」の絵手紙だ。用紙には「和画仙紙」を使用したので思わぬところで液が垂れて大きく滲(にじ)む。はじめは驚いたが、このようなペンと紙質の組み合わせは滅多にできないかも知れないと自分では楽しんで描いた。決まり切った線が続かずに想定外の溜まりや滲みができて味に変化が現れる・・世の中、人生もこんなところが面白い。


10月18日(木)  <「芸術の秋」・・・>
「芸術の秋」。晴れていれば木曜日はテニスで「スポーツの秋」を堪能するのだが、朝から雨模様。それでは「芸術の秋」にしようと出かけた。先ず絵画を趣味としている友人の先生が国立新美術館で開催されている「独立展」に出展しているとのことで招待券を頂いて見に行った(10/29まで、案内=ここ)。ところが膨大な量の絵画、それも大型の個性豊かな作品群を見て回る内にすっかりくたびれてしまった。毎回、美術展に接すると人の好みの多様性に圧倒される。どの人も自分が一番よいと思う表現をするが皆好みが異なる。私の場合、描いた人が真に描くことを楽しみ、描くことができることを感謝していることがエネルギーとして伝わってくるか否かで絵画の好みを判定する。名前や経歴など一切関係なしで、この見方をすると、巨大なキャンバスに絵の具を塗ることができる幸運をどれくらい認識しているのだろうと疑問に思える自意識過剰な絵画も多い。苦痛に満ちた表情をしたリアルな人を描いた絵画の前で、ふと天井を見るとスッキリした格子状の構図が非常に美しく見えたことを白状しよう。せっかく六本木の国立新美術館に来たのだから、サントリー美術館(東京ミッドタウン、御伽草子展開催中)や森美術館(六本木ヒルズ)をハシゴして「芸術の秋」とする目論見があったが、「芸術」はもう結構となった。その後、絵には食傷したけれども体力には余裕があったので、家まで歩いて帰ることを決断。雨がシトシト降る中、約100分ほどのウォーキングをした。やはり「スポーツの秋」の方が似合っているのか・・。
 
2012-10-18 左=毛利公園(六本木ヒルズ) 右=さくら坂公園( 六本木ヒルズ横=ここ

10月19日(金)  <秋晴れの下・・・>
秋晴れの下、陶芸教室で久しぶりに釉薬かけをやった。秋晴れと陶芸は関係がないように思えるけれども、今の場所は庭付きの民家(平屋)を陶芸の教室として使っているので、庭に出て作業をすることもできる。今日は気温20℃、快晴の清々しい天気に誘われて特別に許可をもらって庭で釉薬を掛ける仕事をさせてもらった。今日、釉薬を掛けたのは10月5日のコラム(=ここ)に掲載した正六角形の板二枚。素焼(=約780℃で焼成)が完了した板の埃を払った後、先ず家から持参した色ガラスを溝に配置してずれないように仮止め、次に一部には筆で釉薬をたらす、最後に霧吹きで全体に透明釉薬を塗布して終了。丁度、作業をした場所の直ぐ隣にある電気窯に皆の釉薬を掛け終わった作品を入れている真っ最中だったので、完了したばかりの正六角形の板二枚をそのまま窯の中に入れた。これからが本焼成。1〜2週間後の完成が楽しみだ。「今日の写真」(下)には次段の「正六角形」二枚(粘土乾燥中)を掲載した。
2012-10-19

10月20日(土)  <今朝の出来事・・・>
今朝の出来事を書こう。早朝に家の近所の道路掃除、そして第三土曜日の不燃ゴミ出しまではいつもと変わりなし。今日に限ってゴミ出しの後、玄関裏の共同庭で草取りをしていた。ふと気配を感じて玄関脇を見ると二人組の外人の一人がしゃがんで置いてあった万年青(オモト)の植木鉢を抱え込んで持ち上げている。声を掛けると柱の影にすばやく身を隠して姿が見えなくなった。植木鉢を抱えたまま見つかると”ジョーク、ジョーク”。年格好20代前半の欧米系外人は悪びれず鉢を戻した。共同住宅の住人が置いているオモトの鉢植えは自動車の出入りに邪魔になり実は私は好まない。「欲しいのならいくらでもあげるから黙って持って行かないで断りなさい」と云ってやったが日本語が通じたのかどうか、飲みかけのペットボトルを片手で持ったまま行ってしまった。万年青(オモト)ドロボウがジョークか風流か。やはり日本人ではなかったと妙な 納得をするのはどうしてだろう・・。
今晩は横浜で同窓仲間の集まりがあり、これから出かけるところ。夜は遅くなりそうだ。
 
2012-10-20@自然教育園

10月21日(日)  <このコラムでは政治の話題を・・・>
このコラムでは政治の話題をあえて避けているのか、と昨晩会った友人に聞かれた。避けているとも言えるし、コメントするほど確かな情報が無いとも言える。インターネット上には素人から玄人まで政治に対する意見が氾濫するが、大新聞の流す情報の焼き直しか、無責任な落書きが大部分で、政治ネタを扱うサイトでまた訪問したいと思えるところは極めて希(まれ)。自分のサイトでも軽々しくはコメントできない。読売新聞の「iPS細胞を移植する治療を実施した」という大誤報に引き続いて、週刊朝日(朝日新聞)が日本維新の会の橋下氏(大阪市長)を相手にしDNAや血筋から全人間性を非難するような信じられないキャンペーンをはじめて、急遽謝罪した事件まで、大新聞の不祥事が相次いで発覚したが、新聞の意図的な情報操作は知る人ぞ知る。ところが一方で、朝日が言ったから、読売が書いたから「真実」と信じ込む相当数の人がいるのも確か。政治に関してはどうやれば「真実」の情報が得られるかもっと研究しなければとても話題にだせそうもない。
10月22日(月)  <「自転車のムシ」・・・>
「自転車のムシ」も進化している。朝の8時過ぎにテニスに行くために自転車に乗ろうとするとタイヤの空気が減っている。空気入れを使って空気を入れると接続口を外したとたんにタイヤの空気が抜け始める。これは「ムシ」がダメになったと即断して自転車は止めた。テニスからの帰途、自転車屋さんに寄って「ムシ」を購入し自分で交換した。「自転車のムシ」というと誰でも知っているようにタイヤに空気を入れる「ムシゴム」のこと。円筒型のゴムが逆止弁となり空気を漏れなくする(ゴムを広げて空気が中に入り逆方向には流れない。逆止弁のことをノンレターンバルブという)。「ムシゴム」の名前は現在のバルブメーカー、東亜バルブの前身「虫印バルブ製作所(1932年設立=ここ=参照)」が製作していた名残のようだ。ところで、今日購入した「ムシゴム」はスーパーバルブと呼ばれる新型バルブで(これしか購入できなかった)2セットで283円もする高級品だ。従来型のムシゴムならば1個10円程度だが、その代わり従来の虫ゴムの10倍長持ちすると称している(構造その他=ここ=参照)。この新型バルブへの交換時間は自分でやって約1分。その後、陶芸教室に行くのに自転車を使ったが快調だった。
10月23日(火)  <「護国寺」・・・>
「護国寺」にはじめて行ってみた。護国寺という名の寺は全国にいくつもあるが、東京・文京区の護国寺。池袋から地下鉄有楽町線で二つ目の駅が護国寺駅でお寺は駅の直ぐ側にある。近くに用事があり思いついてお寺に立ち寄ったのだが、東京には歴史的な建造物を横目で見ながら一度も訪れたことのない場所が山ほどある。護国寺は1681年に徳川綱吉(5代将軍/水戸光圀、赤穂浪士、生類憐れみの令の時代)が母、桂昌院の願いを受けて建立したとされる。本堂は当時のまま残っており重要文化財。いつ雨が降り出すかという天候のせいもあったかも知れないが、境内に人が少なく都心とは思えぬ静かな雰囲気で贅沢な時間を過ごした。紅葉の時期もまたよさそうだ。
 
2012-10-23護国寺・仁王門              仁王門部分(神齢山<シンレイザン>は山号) 

 
2012-10-23護国寺・不老門              本堂


10月24日(水)  <明治神宮になぜいくの・・・>
明治神宮になぜいくのだろう・・、と参道の玉砂利を踏みしめながら考えた。神様にお願いすることが特別にあるわけでもない、悪いことがなければ、それは御利益と思っているがお参りの霊験灼か(あらたか)というほどのこともない。それでも初詣から始まり何かとここを訪れる。今日、神宮の森を歩きながら、”森の魅力”が大きいことに改めて気がついた。椎、樫、楠などが生い茂る森は直ぐ隣りの原宿の喧噪を忘れさせてくれる別世界だ。本殿の左にある夫婦樫(めおとかし)<下写真参照>越しにお参りできるのも風情がある。以前、早朝、橙色の袴に白の装束をまとった巫女さんが広場を掃除をしていた姿が忘れられない。今日は参道の脇で間もなく展示するのだろう「菊」の搬入が始まっていた。菊もよいが明治神宮では花はなくても森林から十分なパワーをいただける。「しげりあふ 森の下みち 椎の実も をりをりおちて 秋風ぞふく(明治天皇御製)」
 
2012-10-24@明治神宮               夫婦樫

 
2012 -10-24@明治神宮/絵馬に囲まれた樹木
10月25日(木)  <「聞くこと」は「敬い」・・・>
「聞くこと」は「敬い」と書いてある記事を読んですっかり納得がいった。「聞き上手」でありたいと思いながら、なかなかそうできない。自分の周辺を見ても「聞き上手」な人はむしろ少ない。人の話にほとんど興味を示さず自分の言いたいことへ話題を移されたり、内容をきちんと聞かずに否定されることは珍しくない。それが「聞くこと」は「敬い」となれば、確かに兄弟とか身近な人ほど「尊敬」とは無縁な存在になるので”ぞんざいな"会話となるのが分かる。もし相手から何かを学ぼうという姿勢があれば当然聞き方が違ってくる。子供の話をよく聞く親はやはり心底で子供を人間として敬っているのだろう。上手なインタビュアーは「聞き上手」であるので相手は気持ちよくなり話が弾む。相手から"内容のある話をいただく”つもりで「聞くこと」。これはもはや人間性の問題になりそうだ。
表紙に「自作花器/mieuへの絵手紙(ガラスペン画) 」を掲載した。前回同様、壊れたガラスペンを使ったテスト作品。描いた花器は2008年11月に陶芸で制作した「花器Q」(=ここ=参照)。


10月26日(金)  <チャリテイー講演会・・・>
チャリテイー講演会にいった。講演会の後にバザーも開催されて全ての収益はチャリテイーとして使用されるという。今回の講師は世界的な建築家、安藤忠雄氏。会場の大手町・日経ホールは満席で8〜9割は女性。演題は「女性の時代」となっていたが安藤氏の話は多岐にわたり非常に面白かった。安藤氏は私と同年生まれ(私の方が半年早い)で終戦直後の何もない時代に幼児期を過ごし野草のように育ったので考え方が似ていると思った。安藤忠雄設計の建築も私は好きで「光の教会」(大阪・茨木市)や直島(瀬戸内海)の美術館を見るために旅行したこともある。今日の講演では氏は日本が沈滞していることへの危機感を盛んに訴えた。特に若者の覇気のなさ、挑戦する気概の喪失を憂える。安藤忠雄のすごいところは、ただ"憂える”だけの評論家でなく実践者、開拓者であるところだ。建築の革新者に留まらず環境対策(緑化)、募金事業など全て実行が伴う。講演の中で「考えること」(創造すること、工夫すること)が何度も強調されたが正に自分にも言い聞かせたいものだ。
 
2012-10-26 @皇居のお堀端/講演会の帰路

10月27日(土)  <今日の作品として「生姜(しょうが)・・・>
今日の作品として「生姜(しょうが)/mieuへの絵手紙」(水彩) を表紙に掲載した。絵手紙に描く題材を求めて台所や冷蔵庫の中を探したけれども適当なものが見つからない。秋の味覚、マツタケなんてはじめからないことは分かっていたが、柿もなければトマトもない。そこで地味だけれども生姜が目に付いたのでこれを描いた。最近はmieuへの絵手紙もあれこれ意識せずに自然体で描く。見たままリアルに描きたければそうするし、崩したければ崩す。抽象でも何でも有りとする。そういえばニューヨークに住む孫娘mieuへの絵手紙は毎回妻が宛名と便りを書いて航空便で郵送するが、このところ送った絵手紙が相手に届かないことが続いている。一ヶ月以上前に出したハガキが未だ届かず後で出した方が先に着く。以前も結局は行方不明になったハガキが何枚かあった。米国の郵便の信頼性はどうなっているのか・・。当たり前のことが確実にできる日本の郵便に感謝するとして米国の事情は余りに情けない。
「今日の写真」(下)は今朝私が自作(陶芸)の一輪挿しにインパチェンスの花を活けたもの。外出から帰って来たとき、目にした一輪挿しが思いの外新鮮に見えたので写真を撮った。
  2012-10-27一輪挿し

10月28日(日)  <”テレビがつまらない”・・・>
”テレビがつまらない”と言われる割に番組は代わらないしテレビ局がつぶれることもない。私の周辺のほとんどの人がテレビは、出演者たちだけではしゃいでいるとか、面白くないのにゲラゲラ笑っている番組ばかりとか、不満をこぼして見る番組がないという。実際にテレビは見ないと明言する人もいる。視聴者がテレビ番組をどう見ているかは本来テレビ局の重大問題でありそうだが、テレビ局の相手にするお客様は視聴者でなく番組のスポンサーさまだ。民放のテレビはそこで意識がずれる。視聴率のみがスポンサーの指標であってテレビ局も「社会のため」などの意識が入る余地はない。一般企業のように”いいものを作らなければ存続できない”ことはなく、スポンサーを満足させれば事足りる<視聴者のできる唯一の抵抗はそのようなスポンサーを覚えて買わないことだ>。またテレビというのは既得権を得て電波を独占(あるいは寡占)している。電波によってものすごい宣伝力を持つことは確かで、芸のある人でもない人でも落語家でもアナウサーでも天気予報士でも、誰でもを「有名人」にしてしまう。多くは虚像であっても本人すら「有名」な自分に酔う。いくら”つまらない"と言ってみてもはじまらないが、社会に大きな影響力(=権力)を持つテレビ(&他のマスメデイアも)に何か自浄作用が働かないものか。
2012-10-28 雨の日曜日

10月29日(月)  <風呂に入って本を拾い読み・・・>
風呂に入って本を拾い読みしていた時、”「お金がない」から「お金が欲しい」と思うと絶対にお金は貯まりません”の文章が目に付いた<三笠書房「脳にいいことだけをやりなさい」/シャイモフ著、茂木健一郎訳>。著者は「好きになったものが自分の周りに集まってくる」という法則の裏返しの例として挙げたものだ。今を「幸せ」とか「恵まれている」とか思うことによって次なる望みを引き寄せることができる、つまりポジテイブに考えていると更にプラスを引き寄せられると言った意味合いで説明している。更に逆の例として、「つまらない人生だ」から「もっと幸せになりたい」は不可、「愛されていない」から「愛されたい」も不可とする。確かに同じことでも”どうとらえるか”で脳の負担は変わってくる。わずかでもあれば有り難い、幸せと思えば、次なる幸せをより引きつけやすいのも分かる。「これだけしかない」でなく「これだけもある」と発想すべきとは昔からの教え。人間の脳は元来楽観的な方がよく働くようにできている。
10月30日(火)  <正六角形のはじまり〜〜・・・>
正六角形のはじまり〜〜。今日の作品として表紙に「正六角形01」(陶芸)を掲載したが、これは今日、陶芸教室から持ち帰った陶芸作品で「正六角形」の板を合計20枚制作し始めたところの、最初の一つが完成した記念すべき作品。以前コラムに書いたことがあるが、正六角形20枚に以前制作済みの正五角形12枚(陶芸コーナー=ここ=参照)、合わせて32面体を作ろうという計画だ。丁度サッカーボールが同じ32枚を合わせて球体を形作っていることはよく知られている。今回、陶芸の32面体は一辺の長さを150mm(粘土の制作時寸法で焼成すると約15%収縮する)としたので、かなり大きな多面体(球体に近い)となる。正六角形の板の角部に穴を開けてあり、ここにワイヤーを通して隣の板と接続する。正六角形の板は今も継続して模様を変えて制作し続けているが、デザインを考える度に正六角形の奥深さに感動させられる。自然界には雪の結晶、蜂の巣(ハニカム構造)など見事な正六角形があるし、身の回りにもボルト頭部の六角、六角レンチ、鉛筆の棒など思いの外多くの正六角形がある。”正六角形の始まり”ではあるが他の作品も制作しながらゆっくりと制作を楽しもうと思っている。20枚の完成は半年後かも知れない。5枚目と6枚目の粘土作品を今日の写真(下)に掲載しておこう:

2012-10-30

10月31日(水)  <代官山の中華料理店に・・・>
”代官山の中華料理店にヒラセさんの陶芸作品を置いていませんか?”と先日陶芸教室の仲間の女性から聞かれた。こちらは全く覚えがないけれども興味を持って、今日の昼時、妻とその中華料理店に行ってみた。店の入口に飾ってあったのが下の写真。板を重ねたタワーの上部から水が流れる仕掛けの陶芸で、いつも私が作るものにそっくりなので私が作ったのに間違いないと思ってくれたようだ。私の作品は残念ながらこのような立派な店に飾ってもらえないが、そう思ってくれただけでも光栄だ。店の従業員に陶芸の作者は誰か名前を聞いたけれども知らなかった。こうしてランチセット1050円を昼食としたが、これが絶品で是非店の名前を紹介したくなった=「美味飲茶酒楼」=ここ(一般紹介=ここ)<店のHPではどういう訳かランチの掲載がないが、ランチセットがお奨め。内容豊富な割りにお値段がそこそこで味もすばらしい!> 。もし水の流れる陶芸を私の作品と勘違いすることがなければ、この店を知ることもなかった。何がどうつながるか分からない縁の面白さを思う

 
2012-10-31 左= 中華料理店にて         右=代官山・蔦谷書店にて

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