これまでの「今日のコラム」(2013年 07月分)

7月1日(月) <今日から7月、文月・・・>
今日から7月、文月。午前中のテニスでは照りつける日差しはなく少々蒸し暑かったが快適な汗を流せた。午後は専ら明日からの旅行の準備。ニューヨークに住む娘家族と東京の姑さん、私たち夫妻が北海道で合流して一緒にドライブ旅行をする。前に同じメンバーでキャンピングカーを借りてヨセミテ(米国・カリフォルニア州)を旅行したことがあるが(=ここ)、毎度インターネットで全てアレンジできる便利さ、有難さを思う。今回も娘がニューヨークに居ながら北海道の宿やレンタカーなどを全部予約してくれた。今のインターネットのすごいところはそれぞれの評判まで確かめられるところだろうか。勿論100%は信用できないにしても善し悪しは大体判断できる。また、どの道路を通れば所要時間がどれほどかを外国にいても直ぐに分かるのもうれしい。・・こんな次第で便利な世の中の恩恵を受けながら明日からしばらくコラム休みます。ノートパソコンを持参して毎日コラムを改訂することをしない「休息」もまたいいでしよう・・。
7月7日(日) <先週の北海道旅行で「ユースホステル」・・・>
先週の北海道旅行で「ユースホステル」を再認識した。千歳で借りたレンタカーで道内を回り最後に女満別空港で車を返却するまで、4泊5日のドライブ旅行であったが、その間「ユースホステル」に2泊し、いずれもが想像以上に充実した内容だった。ユースホステルというと50数年前に何度か利用したことがあるだけで、若者が安価に安全に宿泊できるがお粗末な設備とのイメージが定着していたが現在のユースホステルは違っていた。先ず、若者に限らず年齢制限はなく高齢者でも一向にかまわない。場所は田園の中にあっても設備やインテリア、食事などはむしろ高級感があり、何よりもオーナーのやる気が直接伝わってくるので、私には”温泉旅館”の雰囲気よりはるかに気持ちよく感じられた。勿論インターネットの環境も完璧に整っている。娘たちは食事時にフランス人夫婦と親しく話し込んで旅の情報を交換し合ったりしていたが他の宿泊客と交流できるのもユースホステルのいいところだろう。ユースホステルに限らず、どんな宿でもウォシュレット型水洗トイレ(=私は日本の誇るべき発明品と思っている)と高画質の薄型デジタルテレビが完備しているところにも感激。旅行すると今更ながら地方の文化の高さを思い知らされる。
 
イルムの丘ユースホステル(深川市音江=旭川の隣)  屈斜路原野ユースハウス(弟子屈町)

 
弟子屈原野の風景                   オホーツク海の日の入り(知床・ウトロ港)

7月8日(月) <今日は東京でも猛暑日・・・>
今日は東京でも猛暑日となった。最高気温が35℃以上の日を「猛暑日」、30℃以上の日を「真夏日」と定義されており、夕方のニュースでは都心35.3℃、甲府市では38.6℃を記録したという。午前中のテニスではゲームの途中で水ばかり飲んでいたが、やはり今日の猛暑は尋常でなく大汗をかいて少々へばり気味だった。・・今日も又、先週の北海道旅行の話題を書こう。自動車で道内を旅行中に野生の鹿、熊、狐に遭遇した。写真を撮ることができたので写真を掲載しようとして、ふと「動物写真」であれば旭山動物園で撮った白熊でもライオンでもオランウータンでも迫力ある写真は他にいくらでもあることに気がついた。たまたま遭遇した野生の動物に特別の意味はあるのか・・。野生のエゾシカは増加しすぎて人間が決めた数を捕獲処分する話も聞いた。野生には命をかけた厳しさが伴うはずだが撮った写真には激しさのかけらも出なかった。とにかくも出会った動物たちを下に掲載。
 
知床半島の海岸でみた熊               キタキツネは北見近辺にて

7月9日(火) <オランウータンの手の親指は短い・・・>
オランウータンの手の親指は非常に短いことを旭山動物園で目撃した。グローブのような大きく立派な手に他の指と比べると三分の一ほどの短い親指がある。種の進化の過程で親指が短い方が有利となる理由があってのことであろう。今、自分の指のマッサージにはまっている。ある時、手の指ほとんどが腫れぼったく感じて、自分でマッサージをすると非常に心地よいことが分かった。例えば左の人差し指を右の指で握ってやると始めは痛く感じたのが徐々にほぐれて来て、更に適度に握ると頭の中の記憶脳が活性化するように思えた。実際、指を握りながら固有名詞や人の名前を思いだそうと試みるといつもよりすらすらと出てくる。記憶脳のツボにしては少々出来過ぎとも思えるので、インターネットで調べると手の甲、手のひらの各部のツボを示した解説があった(例=ここ)。足裏のツボはお馴染みだが、手にもツボがあるのは分かる。手のツボは何より自分で簡単にマッサージできるのがよい。それにしても、ツボ(経穴)がどのように神経や体調に絡んでくるのかなど、解明されていない”身体の不思議”はまだまだ多いようだ。薬を使わないマッサージ療法は結果が良ければ言うことはないので、これからも指のマッサージをしばらく続けてみるつもりでいる。
オランウータンの手
7月10日(水) <東京では今日で4日連続の猛暑日・・・>
東京では今日で4日連続の猛暑日(35℃以上)となり観測史上タイ記録という。それにしてもテレビではワンパターンに暑い暑いと大騒ぎするので余計に暑さが増幅される。テレビで”地獄のような暑さですね”とコメントする映像があった。「地獄の熱さ」を知っているのかい、と問いたくなるほど安易に使う。まあ、こちらはそれほどの暑さの中でなく”天国”にいるようなものだから炎天下で働いている人には感謝しなければならないか。極楽には未だいったことがないのに、温泉に入って、”極楽極楽”というのも同じだが、少なくとも「極楽」と思う方には満足感があふれている。満足できなくても、夏の暑さ程度で間違えても”地獄”とは言ってほしくない。更に言えば、有名人気取りの気象予報士が今年の夏は「1000年に一度の猛暑」になるかも知れないなどと無責任なコメントをする。この人物は1000年の期間の重さを知っているのだろうか。わずか50年後に発言した本人はこの世には存在せず地獄にいるとしても”予測”とはかけ離れた傲慢な妄言であろう。”天の気”を語る人はもっと謙虚であってほしい。
7月11日(木) <暑さにはかなり慣れた・・・>
暑さにはかなり慣れたかも知れない。今日は午前中2時間ほど炎天下のもとテニスをやったが、午後はまた自転車で陶芸教室に出かけて陶芸をやる元気が残っていた。”随分日焼けしていますね”と教室の仲間から言われたが日焼け止めクリームにも限度があるので、こればかりはどうしようもない。陶芸では指先で粘土を強く挟んで粘土同士を接着させる作業をやっていると指がつりそうになり、休みやすみの仕事となった。いつものようにカメラを持って自転車で移動しているけれども、このところ「今日の写真」が撮れない。猛暑の照りつけの中、自転車を止めて写真を撮る余裕がないのも確かだが、今この時期、草花に魅力が少ないのも写真がない理由の一つだろう。写真の代わりに俳句と思い、夏の句を一つ:「夏来ても ただひとつ葉の ひと葉かな」(芭蕉/ひとつ葉=ここ)。昔の俳句には「猛暑」の句はほとんどなく暑さの中に涼を求めて夕涼み風の句が多いのは、やはり「暑さ」にも違いがあるのだろう。「楽しさや 青田に涼む 水の音」(芭蕉)。

7月12日(金) <東京では明日13日がお盆の入り・・・>
東京では明日13日がお盆の入りだが、一日早く今日娘家族(ニューヨークから帰省中)と墓参にいった。墓のある九品仏浄真寺(東京・世田谷区)はお盆の準備も整えた静かなたたずまいで、いつもながら樹木の緑が美しい。「迎え火」で故人の霊を迎えるのが明日のお盆の入りとすると、その時故人がいない墓にお参りをするのを「留守参り」というそうだが、今日はまだ“留守”ではない。墓前には相変わらず息子のためにどなたかが供えていただいた缶ビールがあった。孫娘のMIEUも一緒になって墓の植込みの剪定をしてくれた。今日の写真(下)にはお寺の仁王門と合わせて上品(じょうぼん)阿弥陀堂にある阿弥陀如来像(上品上生<じょうぼんじょうしょう>)を掲載する。九品仏浄真寺の三つの阿弥陀堂(三仏堂)には上品、中品、下品に各3仏、合計九品の阿弥陀如来像が安置されている。
 
2013-07-12@九品仏浄真寺にて


7月13日(土) <4100万画素で撮れる写真・・・>
4100万画素で撮れる写真サンプルとして、ノキア初のWindows Phone「Lumia1020」で実際に撮影した写真がネット上に掲載されていた。今やこの種の進化はどこまでいくのか予測もできない。私は旅行で撮影したデジカメ写真を印画紙に印刷する場合、解像度を300万(pixel/inch)に統一する。A4サイズ程度までの印刷であればまずこの程度の解像度で十分である。先日の北海道旅行で撮影した一部のカメラのデータをパソコンに取り込むと2GB(ギガバイト)の容量であった。このデータを娘に渡すために手持ちのUSBメモリにコピーしようとすると、USBメモリーの容量が64MBしかなくコピーもできないので笑ってしまった。10年前はこの容量でも足りたのであるが、いまはメモリーは最低でも16〜32GBが当たり前、「テラ」の単位に迫っているのだから恐ろしくなる。「ノキア」は云うまでもなくフィンランドの携帯電話(電子通信機器)メーカーだが、この業界の戦いは想像を絶するほど厳しい。ノキアは携帯電話端末では世界最大のシェアを占めていたが、2012年には韓国のサムスンに抜かれてシェアは第2位となった。写真の画素数が増えるのはいいとしても用途を考えると「過剰品質」でないかと心配にもなる。テレビの分野ではハイビジョンテレビを更に4倍高画質にした「4Kテレビ」が話題となり、画質はすばらしくよくなる一方でテレビ番組の中身は変わらずで余りにお粗末。ケイタイも総合的にどのような用途を目指すのか行き先が見えない。

7月14日(日) <今日は東京・赤坂の散策・・・>
今日は東京・赤坂の散策といこう。久しぶりに赤坂近辺で所用があり物珍しげに写真を撮った。最初に掲載した写真(1)は大倉集古館。右端にアメリカの国旗が見えるが直ぐ隣りがアメリカ大使館だ。大倉集古館は明治の実業家大倉喜八郎が設立した日本で最初の私立美術館(=ここ、今は日本刀の刀職技術展覧会を開催中)。ちなみに隣りにあるホテルオークラは喜八郎の長男、喜七郎の設立したもの。また正確に言うと大倉集古館やホテルオークラの住所は港区虎ノ門で道路を隔てたアメリカ大使館が赤坂である。写真(2)は陽泉寺というお寺。赤坂にはこうしたお寺が数件存在している。写真(3)は坂の風景。やはり赤坂には坂が多く、霊南坂、榎坂、汐見坂などの坂が交差している。写真(4)はサントリーホール前のカラヤン広場。実のところ写真を撮影した2時間後に建物から外に出ようとすると、この辺り一帯は土砂降りの雨で一歩も動くことができなかった。しばらく待って何とか家にたどり着いてみると家の近所では雨は小降りだった。同じ都内でも全く雨が降らなかったところもあったようだ。今の時節、散策にも傘を持参しなければならない。
 
2013-07-14 (1)大倉集古館           (2)陽泉寺
 

(3)坂                      (4)カラヤン広場
7月15日(月) <今日は何の日?・・・>
今日は何の日?・・7月15日はお盆の中日そして7月第3月曜日で「海の日」の祝日。お盆といっても特別のことをする習慣はないが今年はニューヨークから帰省中の娘と孫娘がお盆の飾り具を買ってきたので急遽息子の位牌を壇上に上げて少々お盆の雰囲気をだした(下の写真左)。牛馬や真菰(まこも)の他はほとんど手作りのものを使用。お盆の行事は本来祖先の霊が子孫のところを訪れて交流する機会であるようだが、我が家では専ら亡き息子とのつながりが強い。勿論、父母や祖先があっての現在を思うと祖先に感謝することには吝か(やぶさか)ではないが、今この世で子孫たちが無様な姿をさらしている現実を見てご先祖さまは涙を流しているに違いないと思うこの頃。とにかくも、お盆とは別に頂いた花束を以前陶芸で制作した「双羊尊」の容器に活けて(下の写真右)部屋全体が華々しくなったのがうれしい。
 
2013-07-15 お盆にて               双羊尊に花

7月16日(火) <「自制心を養うこと」・・・>
「自制心を養うこと」をしばらくは目標とするか・・。いまどき何故?・・。帰省中の娘が買ってきた「誕生日大全」という本で自分の生まれた日をみると、”隠された自己"の項目で「あなたに必要なのは自制心」と書いてあったからである。占いでも何でもいいところは利用する。素直だなぁ〜。誕生日について占星術、心理学、数秘術などの要素を総合的に分析して書かれたと称するこの本はいわば”お遊び”だ。けれどもこの種の本で感心するのは文章の表現が実に巧みであること。人は色々な要素を持っている。性格や興味、適性なども単純には決められない。だから表現によってある箇所は自分にピッタリ合致していると思わせられてしまう。この占い本には誕生日ごとに長所と欠点が並べて書いてあるのも面白い。短所として自己中心的であるとか利己的、物質的であるなどの表現が頻繁にでてくる。誰でもが多少はそれらの要素がないとはいえない。長所にしてもうまい褒め言葉で”当たる”と思わせるテクニックがみえる。冒頭の「自制心」でいえば、これまで「自制心」を意識したことなど一度もないが、考えてみると私にはもっと自制心があった方がよかったという場をいくつも思い起こせる。悟りきった僧侶のようにはいかない。これから何か事あれば、self-control、self-restrainと言い聞かせよう。
7月17日(水) <「孫娘はKindleの電子ブックリーダー・・・>
孫娘はKindleの電子ブックリーダーを愛用している。孫娘mieuはいまニューヨークから帰省中であるがKindleひとつ持っていれば東京のどこにいても英語でも日本語でも好きな本を読める。Kindkeはアマゾンの電子書籍を閲覧するための端末であり、それなりにコンテンツも充実しており使いやすいようだ。我が家でもいずれ電子ブックリーダー(e-readerとも云うようだ)が欲しいと妻とビッグカメラのブックリーダーのコーナーをみていると、KindleではなくKoboを勧められた。Koboはカナダで開発されたブックリーダーで楽天が販売している。他に、ソニーなども扱っており、この業界でも競争は厳しい。実際に購入するのはもう少し調べてからにする予定だ。今日は風呂の時間に珍しく文庫本(虹の理論/中沢新一著)を読み直そうと持って入ったが、字が小さすぎて読めなかった。ダンテとかベアトリーチェなどカタカナはまだ読めるが「愛」なんて云う字が読めないのだからどうしようもない。電子ブックリーダーはその点文字の大きさを変えられるので便利であるが、ふと耐水性が気になってきた。e-readerは風呂でも使えるのだろうか・・。

7月18日(木) <自転車に乗るときはいつも車道を走るべきか・・・>
自転車に乗るときはいつも車道を走るべきか歩道を通るか状況に応じて瞬間的に判断する。自転車は原則車道を走ることになっているが東京都心では多くの箇所で歩道の通行も認められている。テニスに行くときは朝8時過ぎで広い歩道が空いているので大抵は歩道を通る。車道で車に迷惑をかけたくないからである。自分で車を運転している時は自転車ほど嫌なものはない。車に対しては自転車は弱者で被害者となる側面もある。歩道では歩行者優先で自転車は人が脇に寄ってくれるとお礼を言いながら通過するが、歩行者に対して自転車は強者で加害者となる。自転車事故が多発しており自転車側加害者の賠償が巨額に及ぶとの報道をみて、日頃、自転車の無謀運転にも接することがあるのでもっともだと思う。ブレーキの反応が鈍いのにスピードを出す自転車ほど恐ろしいものはない。自転車もまた走る凶器となるのに自動車と違って免許が不要だから”良識”に任せるだけであるのがもどかしい。自分に警告する意味ではやはり猛暑の中の自転車。注意が散漫になることを予測してスピードは控えめに・・。

7月19日(金) <今日は自転車で鳩と接触・・・>
今日は自転車で鳩と接触する体験をした。陶芸教室からの帰りに緑道の脇道(車はもちろん他の自転車、人も全く通っていない道)で鳩が突然地面に降りて来て一瞬自転車と接触した感じがした。直ぐに鳩は飛び去ったので大したことはないと思われるが前輪と鳩の羽か脚の一部に触れた感触だった。鳩が自転車に飛び込んでくることもある・・。大事に至らなかったことを感謝しつつ、今日は「インターネット上のお寺」を紹介しよう。ときどき訪れてみて教えられるのが、超宗派仏教徒によるインターネット寺院「彼岸寺」(=ここ)。ここでは現代の若いお坊さんたちが真剣に修行をつみ活発に活動する様が垣間見られてホッとする。明日20日(土曜日)には東京・神谷町の光明寺で「お寺の音楽会」もある(=ここ、神谷町光明寺=ここ、光明寺一般=ここ)。明日は別の予定があるが機会を見て是非このような催しにも行ってみたい。世の中、直ぐ足下にも知らない世界が山ほど潜んでいる・・。

7月20日(土) <新たな写真アルバムを再開・・・>
新たな写真アルバムを再開できるだろうか。このところ写真アルバムを作らなくなって久しい。以前は毎年その年の旅行や行事をきっちりと写真アルバムにして残していたのに・・。最近はデジタル写真を山ほど撮るのでパソコンの中には膨大な写真が保存されているが「アルバム」として見ることはしない。スライドショウなどの機能はあっても活用する機会がない。それが今、7月初めに娘家族、娘の姑さん、私たちが一緒に北海道をドライブ旅行した写真のアルバムを作り始めている。お得意のPhotoshopのソフトを使って原画を調整しながら今は印刷用のA4サイズが20枚も出来上がった。なぜ昔とった杵柄で印刷版のアルバムを制作始めたか・・。それは孫娘や娘家族が喜んでくれそうだからであろうか。手間ひまかかるものでも誰かが喜んでくれるならやる元気が出る。歴史的な特別の意義がない記念写真は本人や家族がアルバムを見て楽しむところに意味がある。写真はその中の人の人生に興味がある人だけに価値がある。アルバムを作りながら喜んでくれる人がいれば勿論やる気が倍増するが、これは自分自身のためにもいいことだと思い始めた。自分史などと大袈裟でなくても自分がこの世に存在している期間だけでも「写真」の記録は意味があると考えたい。

7月21日(日) <政治と宗教の話はタブー・・・>
政治と宗教の話はタブーとされる。特に外国人との付き合いの中で政治、宗教の話題となると一挙に認識の差が表面化して気まずい雰囲気となる。日本人同士でも同じことはいえる。昨夜の陶芸懇親会で、今日が投票日である参院選挙の話題から応援政党が真っ二つに分かれて危ない状況となった。趣味は同じでも政治の支持政党がみな違って当然だが、言い争うとそれまでの穏便な付き合いにまで影響するから、不用意に政治の話題を出さぬのに超したことはない。宗教も同じで日本人だから周りの人も無信心と思っていると熱心な信者に折伏される可能性もある。それ以外に、野球の話題も気をつけなければならない。自分が好きなチームや選手を相手がよく思うかどうかは分からない。熱狂的なファンほど相手憎しの感情が強いから、それを応援する人間もまた敵となる。単純といえば実に単純であるが、元来、人間の好き、嫌いに理屈はない。・・政治は宗教や野球とは違うけれども、いわゆる無党派層の好き、嫌いが顕著に反映される。間もなく開票が始まる今日の参院選の結果はどうなるだろう・・。

7月22日(月) <今日は土用の丑の日・・・>
今日は土用の丑の日。この日に鰻を食べる習慣は平賀源内が発案したという説があるが、今は専らマスコミが鰻を宣伝する。今年の鰻は超高値といいながら最高の鰻重から売れていますと伝える。ニホンウナギが絶滅危惧種として指定されそうなほど漁獲量が激減していることを鰻を食べない理由にすることはしないが、自分としては鰻を食べたいという欲求がほとんどない。やせ我慢でなく鰻も松茸も高級マグロも特別に食べられないことが不満でも惨めでもない。何故にそうなったかを考えると、”食の文化”がないのでないかと思い当たる。終戦直後に幼児期を過ごした身としてはどんな食材でもおいしくいただける。食事をできるだけで十分に幸せを味わえる。時に今80歳ほどの老人が食べるものに随分うるさいことに驚くことがある。まだ戦争の前で幼児期に贅沢三昧をした人は年をとってからみじめな思いをするのだろう。幼児-子どもの頃に文化程度が低かったことで今の食材が何でもが美味しいと感じるとすればそんな舌でありがたい・・。
7月23日(火) <夕方、どしゃ降りの雨の中・・・>
夕方、どしゃ降りの雨の中、陶芸教室から自転車で帰宅した。夕立を予測して自転車用の雨合羽を準備していたので覚悟の上ではあったが、それにしても豪雨と合わせて直ぐ側で雷が大音響をあげる中を自転車を走らせるのはかなりの緊迫感があった。ただのにわか雨かも知れないが、久々に身体を張って自然と対決した緊張で無事に家に帰り着いた後には何か充実感が残った。・・今日の表紙に掲載した陶芸作品「Parts三角錐No.1」は豪雨の中、リュックサックに背負って持ち帰った新しい作品だ。一辺が約20cmほどの三角錐。これと同じサイズの三角錐を8個制作して最終的には「24面体」を完成させる予定である。今日出来上がった第一作(No.1)は比較的おとなしいデザインとなったが、全ての三角面は異なった模様にするつもり。三角錐のタイトルとしたが全ての面を正三角形とした正四面体でもある。立方体の対辺を結んでできる形状でもあり、正多面体の基礎をなす立体として興味が尽きない。ちなみに正三角形8枚で正八面体、20枚で正20面体ができる。

7月24日(水) <変化が進化ではないか・・・>
変化が進化ではないかと思うことがある。一般的に老人は変化を好まない、あるいは頑固に自分の意見を変えないとされるのは進化する先がないからだろう。当然、変化した結果が悪くなる場合もあるだろうが、それならばまた変わって新しい可能性にかければよい。自分の考えに固執して、もしかすると自分が信じていることは間違っているかも知れないと思えないのがこうした老人の特性だ。実際には、人が住んでいる場所、属している社会。付き合っている友人、好きな食べ物、習得した知識、思想など全てたまたま遭遇して手に入れた結果にしか過ぎない。この世にはまだまだ接したことのない、知ることもできなかった広い世界や考え方があるのに、自分以外の世界に興味を持たない老人が多いのも確か。一方で、老人とか高齢者は極めて幅が広く、年齢とは無関係に進化を続ける人もいる。たとえ年齢が高い人であっても、知らない世界に好奇心がある人、変化を恐れない人には生きるパワーがある。


7月25日(木) <宮崎駿(スタジオジブリ)監督の最新作「風立ちぬ」・・・>
宮崎駿(スタジオジブリ)監督の最新作「風立ちぬ」を孫娘たちと一緒に見た。これまでの宮崎作品と少々毛色が変わって実在した飛行機の設計者をモデルにしたアニメーション。「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」とサブタイトルがある。堀越二郎(1903〜1982)は太平洋戦争時日米からその性能の高さが認められたとされる「零戦」(ゼロ式艦上戦闘機)の設計者として有名で、映画では美しい飛行機に夢を持ち続けながら時代を生きる技師として描かれる。タイトル「風立ちぬ」は堀辰雄(1904〜1953)の小説の題名。「風立ちぬ、いざ生きめやも<風が立った、生きようじゃないか、いや、そうもいかないか(意訳)>」。映画では主人公の薄幸の妻などは堀辰雄の小説からの引用だろう。それにしても大正から昭和前期の日本の風土が見事に描かれている映画(アニメ)だ。ストーリー以上に背景の精彩に時代を映した画像を見ているだけで満足する。何より宮崎作品らしく、幻想的で美しい映像、悪人がでてこないストーリーが心地よい。

7月26日(金) <今日は昨日の続きにあらず・・・>
今日は昨日の続きにあらず。パソコンで当然のごとく自分のホームページを更新していたのが突然写真の転送が拒否されて困った。初めは最新の写真の更新ができないだけと思っていると「今日の写真」がサーバーから欠落してしまっている。それならばと再度サーバーへ転送しようとしたが一部をのぞき転送できない。今、私はホームページの素材ファイルをサーバーへ転送するのにFilleZillaというフリーのソフトを使っている。これまで全く問題なかったソフトだが、この際FilleZillaの不具合事例や設定をいろいろ調べ直した。ようやくたどり着いた今の時点での結論は、ソフトの問題でなくサーバー側の許容容量100MB(無料ホームページ)を超したために何の警告もなしに拒否された可能性が強い。写真サイズも小さくして容量が増えないように配慮したつもりだったが、”塵も積もれば山となる”。「今日の写真」だけで、1300項目(枚数)余で40MBを超していた。リモートサイト(サーバー側)には不要なファイルや無駄な二重登録などが沢山あったので先ずは整理、更に一部の内容は削除するなどして何とかこれまでの「今日の写真」は確保した。明日からはまたホームページのあり方を検討し直さなければならない。未来永劫同じスタイルで通すことなどできないのはホームページだけではないですね〜〜。

7月27日(土) <朝6時30分頃から近所の道路掃除・・・>
朝6時30分頃から近所の道路掃除をする習慣がまだ続いている。今の季節は落ち葉も少なく掃除には一番楽な時期かも知れない。コンスタントなゴミとしては”タバコの吸い殻”。近くのマンションから出てタバコを一服して捨てる人、駐車した車の運転席からポイと捨てる人は後を絶たない。けれども、”吸い殻”が放置されているとその場所に加速してポイ捨て量が増えるし、何一つゴミのないところでは。最小限の”吸い殻”で済むところが面白い。決して”ゼロ”にはならないので掃除を続ける。公共の道路ばかりでなく実は他人様の敷地(駐車場など)にも侵入してゴミを掃除したり時には雑草を密かに除去したりもする。極力人目を避けてやるので、これまで不法侵入とか吸い殻を盗んだなどとトラブルにはなっていない。人目につかないように掃除するにしても、やはり”おはようございます”などと朝の挨拶をされるとうれしくなる。犬を散歩させている人から”いつもご苦労様”といわれると朝からやる気が出る。そういえば、犬がいた時にはこの時間に犬の散歩に行っていた。最近は掃除する距離がどんどん伸びてきたようだ・・。

7月28日(日) <昨日の夕食が何であったか・・・>
昨日の夕食が何であったか意識して記憶を始めたのは最近のことだ。あるとき前の日に何を食べたか思い出せずに愕然とした。システム手帳を日記帳としても使っているが、間を置くとその日に何をしたか思い出せないことがしばしばある。食事の内容は記録することもないので、2〜3日経過すると先ず忘れてしまう。自分で食事を作らないと余計にその感が強い。そういえば、レシピをみて材料を調達し自分で料理することを割合に頻繁にやった時期があったのに今はほとんどやらなくなったのは何故・・。「食事を作る」話はまた別の機会にするとして、「昨日の夕食」を記憶するきっかけはもう一つ知り合いの親の話を聞いたことにも影響を受けた。90歳になる父親が海外に住んでいる息子と娘の家族(それぞれ別の場所)に毎日「今日の食事」をメールで知らせるという話。食事の写真をi-Padで撮影してメールに添付して送付するというから、それだけで毎日無事という近況報告にもなる。時には自分で食事も作るそうだが、毎日の食事を「作る人」にも感謝しながら食事を記録してメールで配信するのはすばらしいコミュニケーションだと感動した。さて、私の「昨日の夕食」は何であったか。この際は公言にするにはちょっと恥ずかしい<マクドナルドのハンバーグでした>。

7月29日(月) <ニューヨークのヤンキースタジアムで・・・>
ニューヨークのヤンキースタジアムで松井秀喜氏(39歳)の引退式が行われたとのニュース。ヤンキースと一日限定で契約を結び引退式をするという異例の対応で、これで松井はヤンキースを最後に引退した選手としてヤンキースの歴史に深く刻まれる。松井がニューヨーク・ヤンキースに所属したのは2003年〜2009年の7年間。大リーガーとしてスタートしたのもヤンキースで松井といえばやはりヤンキースが自然だ。私はたまたま2005年にヤンキースタジアムでヤンキース対レッドソックス戦を見たことがある(2005-5/28コラム参照=ここ)。この時は松井もヤンキースも冴えなかったが、球場で買ったニューヨークヤンキースの野球帽はいまだに愛用している。その頃から松井秀喜の人間性は変わらないと思うが、松井ほどチームメイトやニューヨーク子から慕われた選手を知らない。米国流でなく、よき日本人としての自然な振舞が周囲から好まれた。決して威張らない、他の選手や監督の悪口は言わない、非難もしない、ファンに対してはできる限りのサービスをする、決して冷たくしない、礼儀正しい・・。他人に対する気遣いを怠らないというより、本性がよくなければこうはできない。だからこそ、ヤンキースの選手、球団、ファンにいまだに愛され続けて引退式ができた。野球の成績以上に松井の人柄で日本人に対する米国人の印象がどれだけよくなったか計り知れない。

7月30日(火) <娘や孫娘たちと一緒にドライブ・・・>
娘や孫娘たちと一緒にドライブ旅行をして美保の松原(静岡市三保半島)などを訪れた。世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成要素の一つとして「三保の松原」が正式に登録されたのが今年の6月。5月にここに行った時には三保の松原だけが世界遺産の項目から除外される可能性が強いとされて何となく沈滞していたのが、今日の三保の松原は逆転登録で活気があるようにみえた。けれども残念ながら今日は三保の松原からの富士山を見ることはできなかった(下の写真<b>に富士山が見えるはず)。天女が舞い降りて羽衣をかけたという「羽衣の松」は平成22年に新松となっており(写真<c>)、何百年かの樹齢であった古松の方は5月にはサポートを付けた状態で保存されていたのが今日見ると幹の部分で切断されていた。5月に古い「羽衣の松」の写真を撮っていたので写真<d>に伐採前後の写真を並べて掲載してみる。羽衣の松も有為転変の例外ではない。三保の松原では他の松も十分に美しく(写真<a>)、また富士山は見えなくても浜辺の波を見ているだけで心は癒される。今日1日ドライブをして孫娘には一度も富士山を見せられなかったけれども焼津の魚センターで食べた新鮮な海産物丼でも記憶に残ってくれただろうか。
 
2013-07-30 <a>三保の松原             <b>富士山はみえず  
 
<c>羽衣の松(新松)                  <d>羽衣の松(古松/伐採の後と前)

7月31日(水) <アニメ「もののけ姫」・・・>
アニメ「もののけ姫」をDVDで久しぶりにみた。先日、宮崎駿監督のアニメ最新作「風立ちぬ」を映画館の大画面で見て来たばかりだが、孫娘が「もののけ姫」(宮崎駿監督、1997年公開作品)を借りて来たので一緒にみたのである。以前、このアニメを見たことがあるので部分的に覚えているシーンはあるものの、ストーリーの進行はほとんど記憶に残っておらず全てが新鮮だった。10数年前よりも今回の方がむしろ深く理解できたかも知れない。「もののけ姫」のDVDと同時に「もののけ姫はこうして生まれた」というドキュメンタリーDVDを借りてきていたので、これがまた面白かった。わずか1〜2秒のアニメシーンに心血を注いで議論を重ねる”裏話”を知らされると完成したアニメを見る姿勢が変わる。私が絵画、陶芸ほか、モノツクリの現場で何かにつけ信服する言葉「神は細部に宿る」はアニメ制作の場でも同じなんだと改めて教えられる。・・今回、宮崎駿氏の生まれた年月が私と同じ(同年、同月)であることを知った。全く別世界の存在ではあるが同じ時代を生きた者として「風立ちぬ」の次にはどのような道へ進むのか注目したい。

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