これまでの「今日のコラム」(2016年 1月分)


1月1日(金)   <あけましておめでとうございます!・・・>
あけましておめでとうございます!
今年の賀状に描いたのは「猿のダンス」。「猿」は昔から日本画にしばしば描かれている。今回は伊藤若冲、長谷川等伯、橋本関雪、弘瀬金蔵(通称、絵金)らの名作をいただいて、七匹のお猿さんたちが手をつないでダンスをしている絵とした。しかも手のつなぎ方や色調は「マチス」の名品「ダンス」を模した遊びです。
今日の元旦は地元の鎮守様「八雲氷川神社」に初詣。素戔嗚尊(スサノオノミコト)や稲田姫命(イナダノヒメノミコト)らを祀った神社で、これまで初詣に行っていた明治神宮とは全く異なる味わいがあった。神社の脇の緑道で見かけた万両と水仙の写真を合わせて掲載する。

 
2016-01-01 八雲氷川神社


1月2日(土)   <2日は息子の月命日・・・>
2日は息子の月命日。息子と両親の眠る九品仏浄真寺に墓参りにいく。 この寺では正月に門松を飾る。以前、門松は日本の神様を家に迎え入れるために神社に飾るけれどもお寺では飾らないと思っていたので、仏様のお寺の門松をみて驚いたことがあるが、日本のお寺はそんなことに拘らないと知った。今日も九品仏の山門の両脇に立派な門松があった。このお寺、広い境内をもつ立派な寺であるが、神社の初詣のにぎわいと比べると別世界のように人数が少なかった。静かに、ゆっくりと墓参りできたのがうれしい。続いて、車で1時間半余、小平霊園までドライブして妻の父母の墓参をする。こちらの方は車は渋滞、そして多くの霊園参拝者で混雑していた。にぎやかさは、また元気な証でもある。静かもよし、にぎやかもよし、今年はそんな年になるだろうか。
 
2016-01-02九品仏浄真寺(東京・世田谷区)
1月3日(日)   <今日も穏やかなお正月・・・>
今日も穏やかなお正月日和。日中15℃を越す暖かさだった。脳もいささかたるんでいるので今日は一つ自慢話を書こう。一昨日の元旦にいつもの通り、Wiiで(任天堂の家庭用ゲーム機であるが、専ら体重測定など計測具として使用している)バランス年齢計測をしようと開始スイッチを入れたところ”1800日目”ですと表示がでた。毎日欠かさずとは言わないけれど約5年間続けていることになる。更にバランス年齢を計測した結果は20歳だった。以前にも書いたがこの計測結果で一喜一憂する内容ではないが、奇(く)しくも、元旦に1800日、20歳と重なった訳である。これは元旦から縁起が良いと、こんな些細な事で喜んでいる。天下太平・・。
1月4日(月)   <何事もメンテナンスが重要・・・>
何事もメンテナンスが重要、かつ面倒な仕事である。略して”メンテ”、日本語では保守管理。人命に関わる自動車とか船舶、エレベーターなどは法律でメンテが義務づけられているし(車検など)、一見頑丈そうな橋梁とかトンネル、コンクリートの建築物などもメンテなしに永続して使用する事は出来ない。今日は年の初めに際して、ホームページのメンテに時間を割いた。このホームページのプロバイダで許容されている容量が100MB。有料で容量をアップさせるシステムはなく、現在は限界に近い容量を恐る恐る使用している。最近、古い写真や作品を随分削除したが、ホームページを始めて以来十数年の間に蓄積したものを塵や埃のごとく処分するだけでは忍びない。この10年〜20年でインターネットの世界も格段に進化しているところで一つのプロバイダーに固執する事もないだろうと見直しを始めたのである。容量に余裕がでれば写真の他に動画でも遊べる。この機会に初心に返って見直せば新たなアイデイアがでるかも知れない。
1月5日(火)   <琉球泡盛「久米仙」のボトル・・・>
琉球泡盛「久米仙」のボトルを空にした。3年古酒100%と書いてある久米島の久米仙のボトルは実は一年以上前から家にあったが”お客様用”として手をつけていなかった。この正月に独りでチビリちびりといただいて空けてしまったという次第。それにしても、この泡盛は本当に美味だ。ストレートでも良いし、今の時期はお湯割りが何とも表現しようもないほどおいしい。考えてみると我家には「久米仙」のように”客先用”として手つかずのお酒が結構ある。高級なブランデーやウィスキーは、”モッタイナイ”の発想で自分一人では飲めなくて(妻は全くお酒を嗜まない)気がつくと半年、一年が経過している。最近この事に気がついて自分用に味わって楽しむように方向転換した。私は骨董趣味はないが骨董好きな人が大切な宝をタンスの奥にしまっておく話がある。こんな風にはなりたくない。良いものを普段に活用して楽しまなければ持っているだけでは何の意味もない。琉球泡盛でこれほどの満足感が得られるならばまだまだ幸せの材料は発掘できそうだ・・。
1月6日(水)   <今日は自動車免許証の更新・・・>
今日は自動車免許証の更新に一日を費やした。先ず午前中、自動車教習場でたっぷり3時間”後期高齢者講習”。これは半年前に予約してこの日に決められた。はじめに講習予備検査として”認知機能検査”をやった。私は色々と話には聞いていたが初体験の検査。今日の年月日や曜日を書いたり、指示された時刻を時計の長針、短針で描くのは簡単であるが、4×4枚=16枚の絵を見せられてどれだけ記憶できるかの検査は満点とはいかない。絵の記憶も、琴←楽器、機関銃←兵器、蝉←虫、孔雀←鳥、ドライバー←工具のように関連した大枠の分類から戻って類推するやり方がはるかに鮮明に記憶できることが分かった(いずれも今日の回答例)。”記憶力・判断力に心配ありません”のコメントをいただいた後、久しぶりに教習場の車で車庫入れなどの実技。無事に講習証明書を受領して、午後に改めて所轄の警察署まででかけて免許証の更新が完了した。普段は忘れている自分の「年齢の危うさ」を教えられる免許証の更新であった。
1月7日(木)   <今日は半月ぶりのテニス・・・>
今日は半月ぶりのテニス。午前中にメンバーを替えて5セットの試合を満喫した。いつもながら運動の後には他では味わえない充実感がある。・・今年の賀状で陶芸をやっている仲間が「足るを知る」教えと、「創作」との狭間で悩むという趣旨のことを書いていた。家には茶碗や食器など何でも揃っているところで陶芸で何を制作するかは皆が苦心するところである。私は独創的な作品造りと、一般的な「足るを知る」とは別個に考えられるとは思うが、どのように筋道を通せば良いだろうか。テニスへの行き帰り、片道40分の自転車で安全を最優先にして注意しながらも、余裕がある時に、この「足るを知る」と「創作」を如何に説明すべきかを考えていた。未だ納得する結論を出していないが面白いテーマとして書き記してみた。
1月8日(金)   <松の内も明けて・・・>
松の内も明けて2016年が本格的に始動している。今日はこれから福島県「いわき市」に出かける。四日間の予定なのでノートパソコンを持参しようと今準備中だ。「いわき」に行くのは私は初めて。「磐城」と書いたら妻から「いわき」よと指摘された。今回は専ら妻が主役の「いわき」であるが、どんな新発見があるか楽しみである。いま、この文字を打っているノートパソコンは調子良さそうだ・・。
写真は留守中に水補給をどうするか思案中のシクラメン。バックを快晴の空として撮影した。

1月9日(土)   <「ニース国際音楽アカデミーinいわき」・・・>
「ニース国際音楽アカデミーinいわき」に参加して今「いわき芸術文化交流館アリオス」(福島県いわき市)にいる。昨夜はここでオープニングコンサートがあり、今日は朝から夜までピアノの公開レッスンが続いている。講師は世界的なピアニストの須田眞美子先生とニース生まれのオリビエ・ギャルドン先生。受講生は中学生から高校生、大学生、大人の最高齢・喜寿の人までいろいろだ。公開レッスンというものを初めて聴講したが専門外の立場からもピアニストたちがどのような指導を受けるのか興味深い。素人目には天才と思える演奏をする受講者に”早すぎる演奏も平凡”とか”指先にテンションを感じる”ようにとか”指先の力の配分”とか、言うことは尽きない。いまは公開レッスンの合間に施設の勉強室のような部屋でノートパソコンを使用している。はじめての「いわき」。居心地良く撮影したアリオス周辺の写真を現地にて掲載する。
 
2016-01-09 いわき芸術文化交流館アリオス/右は出初め式開催中
  
公園風景  右は教会
1月10日(日)   <今日も朝10時から夜9時まで・・・>
今日も朝10時から夜9時まで 「いわき芸術文化交流館アリオス」(福島県いわき市)でピアノの公開レッスンを聴講。 全く素人の私が居眠りもせず長時間退屈することもなかった。昨日今日と一日中ピアノの音を聴きながら音によって脳が活性化されるのが新発見だった。講師は演奏者に対して「自らの音をよく聴くこと」のポイントを指導するが、聴衆の立場でも集中して音を聴いていると全ての音が違って聴こえるから面白い。 数日前のコラムで「足るを知る」に触れたが、今回の公開レッスンでは真反対に「足らざるを知らしめる」。どんなに才能豊かな人であっても足りないところ未熟なところは限りなくある。より完璧を目指して努力に努力を重ねる姿が実に新鮮であった。
1月11日(月)   <昨晩は公開レッスン後も・・・>
昨晩は公開レッスン後も遅くまで行事があり、いわき(福島県)のホテルに宿泊。今日はフリーなので朝レンタカーを借りて、いわき観光をした。先ず訪れたのが「白水阿弥陀堂」。平安時代末期の阿弥陀堂が現存しており、福島県で唯一の国宝建造物に指定されている(下の写真)。その後、小名浜のいわきマリーンタワーの展望台からいわきの街や小名浜一帯をみたり、アクアマリンふくしま水族館(ここもお勧め!)にも行く。はじめての「いわき」を存分に楽しんだ。いわきに限らないかも知れないが、いまの日本の地方には歴史とともに生きる最新文化の輝きがみられる・・。
 
2016-01-11 白水阿弥陀堂 右は境内
 
マリーンタワーからみる太平洋      右はアクアマリンふくしま水族館のエントランス
1月12日(火)   <朝カーテンを開けると・・・>
朝カーテンを開けると外は霙(みぞれ)まじりの小雨。予定していたテニスはやめるしかない。東京ではこの冬最低の気温となり初雪を観測したと報じられていた。元旦から暖かな快晴が続いてきたが、「冬は寒いのがほんとうだ」。「道がまっすぐにつきあたる山は初雪」(種田山頭火)。寒いから空いているだろうと自動車でオーケーストアに出かけると予想に反して大混雑。生活必需品は寒さなど関係ないと見える。テニスが出来なかった代わりに買物に行けたし、家ではパソコンの整理仕事(積もり積もった不要データの廃棄処分)が大いにはかどった。
1月13日(水)   <谷中の日蓮宗・瑞輪寺に・・・>
谷中の日蓮宗・瑞輪寺に義兄の墓参りに行った。ほぼ月に一度は義兄の墓参りをしているので谷中近辺は詳しくなったけれども「絵」を描いたことはないので、今日は谷中風景をmieuへの絵手紙として描くつもりで出かけた。”谷中風景”といいながら結局は表紙に掲載したように「瑞輪寺」の本堂の絵を描いた。このお寺は徳川家康にもつながる由緒あるお寺であるが何度も火事や台風で損傷し再建を繰り返した歴史を持つようだ。掲載した本堂の全体からはとても表現できないが中央の屋根の下に非常にユニークな彫刻と模様がある。はじめこの部分だけを描こうかとも思ったが、別の機会にすることにした。今日はその部分の写真を掲載する(下)。谷中には何度来ても新しい発見がある。
2016-01-13
1月14日(木)   <久しぶりに宮沢賢治・・・>
久しぶりに宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を読み返した(net例=ここ)。この文章は宮沢賢治(1986~1933)が37歳で亡くなる2年前に病床で書かれたもので、没後に発見されたという。それから80年以上を経た現代でも深く心を打たれる言葉が並ぶ。「アラユルコトヲ、ジブンヲカンジョウニ入レズニ、ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレズ・・」なんて容易にできることではない。賢治の著作は他を含めて今や貴重な歴史の遺産であろう。賢治の少し前の明治時代に活躍した正岡子規(1867~1902)もまた俳句、短歌、評論など大いなる遺産を残した。子規は肺結核で34歳、賢治は急性肺炎で37歳の生涯。共に結婚せずに子供はいなかった。ふと、わが息子の37年の生涯をも思う。年齢だけを重ねている我が身を何としよう・・。
1月15日(金)   <一昔前には「成人の日」・・・>
一昔前には「成人の日」、「小正月」の特別な日であったが今はただの15日。外出もせずゆとりの一日を過ごした。時間があったので以前からの懸案であった家庭内のパソコンネットワークの調整に手をかけることもできた。余裕があると”どうでもいいこと”にも目がいく。「やらねばならぬ」ことは際限がないが、不要でなくても不急であるのが「余裕」であろう。ネムノキの仲間で昼間には葉が開いているが夜になると葉が閉じる「エバーグリーンorエバーフレッシュ」という観葉植物が居間にある。いつもは気にもしないのに陽を浴びて元気に葉を開いている姿が健気で美しく見えたので写真に撮った(下)。朝からの報道ではスキーバスの横転事故で多くの若者が命を落としたとか。家の中にいてグリーンを鑑賞できる幸せを思う。
2016-01-15
1月16日(土)   <直径20mmの球体天然水晶・・・>
直径20mmの球体天然水晶(水晶玉)を手に入れた。「開運や魔除け」として購入したのでなくモビールの中心に設置するための、いわば飾り用。「水晶」について、この際少し調べてみた。水晶は英語でクリスタル(crystal)、クリスタルガラスと混同することがあるのでロッククリスタル(rock crystal)とも呼ばれる。二酸化珪素の結晶鉱物である石英(英名クオーツ=quartz)の中でも特に無色透明なものが水晶と呼ばれる。石英は六角柱状のうつくしい結晶で産出することが多い。水晶は圧力が加わると電気が発生する圧電素子の特性が知られており、昔から工業分野での応用も多い。時計の「クオーツ」も水晶発振器を利用したことからの名称。ただし、ここでの水晶は現在はほとんど人工水晶が使われるようだ。今回手に入れた天然水晶は「パワーストーン」となるか・・。
2016-01-16渋谷モヤイ像 (水晶玉を持って撮影)
1月17日(日)   <昨日のコラムに書いた「水晶玉」をモビール・・・>
昨日のコラムに書いた「水晶玉」をモビールの中心にセットして完成させた。このモビールは昨年ベルギーのアントワープで土産として購入したもので、2019-09-04のコラムに写真を掲載している(=ここ)。今回中心に水晶玉を入れるまでベルギー製のモビールと思っていたが今回調べるとオランダ製であることが分かった。ステンレスの板から見事に切り出して制作されたモビールのカタログホームページを見つけた(=ここ)。 ただしカタログにある風でそよぐWindspinnersは余りにゴタゴタの飾りが多すぎて私の水晶玉を使ったシンプルな形状の方が気に入っている。それにしても、カタログに掲載された種類のモビールを販売できるのはやはり文化水準の高さだろう。微妙な加工技術も要求されるこの種の飾り品は本来日本人の得意な分野だが商売として成り立たせるのは容易でない。動画で掲載できないのが残念だが水晶玉が光るモビール写真を下に掲載する。
 
2016-01-17 水晶玉のあるモビール
1月18日(月)   <昨夜からの雪で・・・>
昨夜からの雪で東京都心でも朝方6cmの積雪。ガラス窓の外の網戸に雪が積もりカーテンを開けても外の景色が見えないとか、暖房(ヒートポンプ)の暖まり方がいつもより遅いとか、雪の日にはこうなるのだと実感しながら、6時25分からのテレビ体操を始める。今日はみんなの体操とラジオ体操の間に行なう片足立ちをして持ち上げた足をゆっくり4回上下させる運動がうまく出来なかった。”ゆっくり”でなく素早く上下させるのならばできると言い訳をしてみるが、夕方であれば簡単にできるので朝一番はやはり神経が鈍いのだろう。雪は昼前には止み、午後には晴れ間も見えてくる。雨靴を履いて外出して帰ってきたところで家の前の雪かき。雪かき専用スコップを使って作業をしていると直ぐ向かいでフォークリフトで雪かきをしていた倉庫業者のお兄さんが”手伝いましょうか”とフォークリフトを4往復させて雪を処理してくれた。非常時に特別な絆が生まれるのがうれしい。
下の写真は雪の景色を背景にした昨日と同じ「モビール」。
 
2016-01-18 モビール
1月19日(火)   <朝ニューヨークに住む娘から・・・>
朝ニューヨークに住む娘から冷凍の鰻の蒲焼きが届いた。誕生日祝いのプレゼントを日本の宅配業者に依頼したもので有難く頂戴する。そう、今日から後期高齢者になった。けれども何が変わる訳でもない。それよりも昨日に続いて日本列島は冬の寒波に襲われている。明日から山陰・山陽方面に旅行する計画だが日本海側は広く雪の予報。兵庫県の山陰側、城崎温泉に明日宿泊予定なので電話で交通事情を聞いてみたら、余程の大雪でなければ電車の場合は問題ないとのことだった。昨日の東京のように5〜6cmの雪で交通マヒとなることはなさそうだが、名古屋でも大雪の予報なので新幹線も安心はできない。先ずは、出発するか・・。
今日の表紙には、「mieuへの絵手紙/おばあさん人形」(ペンと水彩)を掲載。我家の居間にあった置物を描いたもの。タイトルに犬を出さなかったが、おばあさん人形よりも犬の置物の方が高価だという。

1月20日(水)   <京都で雪の金閣寺・・・>
京都で雪の金閣寺をみた。雪が降っていたので観光客が少ないと思ったら大間違いで「雪の金閣寺」を見るためにこの日を選んでくる人も多いとかで、大混雑だった。こちらは早朝に新横浜から新幹線に乗ったが雪のため1時間も遅れて京都に到着した。そのため正に駆け足の金閣寺観光となってしまったが「雪の金閣寺」を見られただけでも幸運と思おう。今は城崎温泉の宿。”蟹ざんまい”にお酒も入って、もうろうとしてキーボードに向かっている。京都からは山陰線の特急「きのさき」で城崎温泉まで来たのだが、途中車窓の景色が何とも風情があった。
 
2016-01-20 雪の金閣寺

特急「きのさき」の車窓風景
1月21日(木)   <「城崎にて」は・・・>
「城崎にて」は志賀直哉が1917年に発表した短編小説。1300年の歴史を持つ(平安時代から)といわれる「城崎温泉」(兵庫県豊岡市)は志賀直哉に限らず多くの文学者が訪れ文学碑も各所でみられる。城崎温泉といえば「七つの外湯めぐり」が有名。今日の午後は古い温泉街の雪道をそろりそろりと歩いて三つの外湯を巡った。外湯巡りの共通券にはICカードが使われていたのが良い。午前中には城崎温泉からシャトルバスで玄武洞にいった(バスで約20分)。玄武岩の名称の源でもある玄武洞と他の洞窟も雪の中で幻想的であった。

2016-01-21 玄武洞                 青龍洞
 
城崎温泉 街並                    城崎温泉・さとの湯(駅前) 
1月22日(金)   <今日は10数年振りに倉敷・・・>
今日は10数年振りに倉敷で遊ぶ。妻は初めての倉敷美観地区や大原美術館であったが、やはりこの街が好きになったようだ。今朝、城崎温泉を出発した時にはみぞれ混じりの雪であったのが山陰から山陽に移動したとたんに眩しいほどの陽光。昨日と今日のコラム写真を比較すると雪の山陰が可哀想になるほどであるが雪の山陰には全く別の風情がある。今は倉敷から更に移動して広島の竹原に来ている。それぞれの地方にそれぞれの魅力があるところに「豊かさ」を感じる。
 
2016-01-22 倉敷にて
 
1月23日(土)   <今は新幹線「のぞみ」の車内で・・・>
今は新幹線「のぞみ」の車内でこのコラムを書いている。今日の午前中は「安芸の小京都」と呼ばれる竹原(広島県)の古い街並をみてきた。竹原は室町時代から瀬戸内の港町として栄えたところで、江戸後期の儒学者・頼山陽の実家とか最近テレビドラマで人気があったニッカウイスキー創始者・竹鶴政孝の生誕地としても知られる。竹鶴酒造をはじめ日本酒の蔵元も多い。古い街並は一度壊してしまうと二度と元には戻らない。街の人たち全体で歴史的な価値を認識してはじめて保存もできるのだろう。歴史遺産は現代の人がつくる・・。
 
2016-01-23 竹原にて(左は竹鶴酒造の家)
 
右は普明閣からみた竹原の街
1月24日(日)   <今日からまた東京での日常・・・>
今日からまた東京での日常に戻った。昨日までの旅行で関西方面の歴史遺産というべき古い街並や建造物を見てまわったが、一方で現代文明の素晴らしさを改めて認識させられた。私は今回通過した姫路の生まれで、子供の頃東京に出かける時には姫路から東京まで夜行寝台列車(瀬戸)で12時間を要した。それが今は広島から東京まででも4時間しかかからない。驚異的な早さで、しかも乗り心地はよく、時間は正確。これを”当然”と考えてはならない。どれだけ多くの人の知恵と汗の結晶であることか。また初めて訪れた土地でi-Phone一つで自分の位置から周囲の地図まで簡単に調べることが出来る。これだけの科学技術の恩恵を甘受するだけでなく積極的に有難いと思いたい。以前「幸福度」の世界ランキングで日本は非常に下位とする調査結果があったが、諸々の恩恵を素直に認めなければ幸せになれないなどと飛躍して考えてしまう。
1月25日(月)   <加島祥造さんが一ヶ月前・・・>
加島祥造さんが一ヶ月前の12月25日に92歳で亡くなったことを知った。加島祥造さん(1923~2015)は英米文学の教授、翻訳家、随筆家、詩人、文人画家など多くの側面が語られる人であるが、私は友人に勧められて手に入れた詩集「求めない」が初めての出会いだった。「求めないーーすると比べなくなる」など「求めない」のフレーズで始まる作品を収めたこの詩集は異例のベストセラーになった。”「求める」から「求めない」に入ったとき数々の可能性がひらけるのだーー”という詩もあるが、加島さんがユニークなのは「求めない」と言いながら歳を取っても過去の経歴、地位などに全く拘ることなく常に自らのやりたいことをやり、可能性を”求めた”ことでないか。60歳後半には老子の思想に傾倒し長野県の伊那谷で独居生活を始めたことはよく知られている。それ以前から妻や子供など家族の面倒を見ることなく、言うこととやることが違うなど批判もある中で、伊那谷で多くの名作を発表しているのが文人たる所以か。
1月26日(火)   <俳句や短歌は鑑賞する側で自由・・・>
俳句や短歌は鑑賞する側で自由に味わえる面白さがある。詠み手が思いもしなかった解釈で受け手が感動してくれれば詠み手としても異存はないだろうし、逆に詠み手の意図が伝わらないこともあるだろう。言外の意味にとらわれるのを嫌い、俳句は「写生」がベストとする流儀も分からないではない。”鑑賞の仕方”に模範解答がないと思われるのに「専門家」でも意見が分かれることもあるようだ。松尾芭蕉の有名な句:「物いへば唇寒し秋の風」も「人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」を座右の銘にした芭蕉が”余計なことを言うな”を言外に言っているとする解釈が専らだが、「訓戒の句」ではなく素直な句として味わうべきとする意見もある。「訓戒の句」といえば、有名な親鸞上人の和歌と伝えられる「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」はどうみても人生訓であろう。表面を見るだけでない想像力が世界を広くするのは何でも同じだ。
2016-01-26 自由が丘・熊野神社にて
<寒波到来の中で境内の梅が咲き始めていた>
1月27(水)   <わたしのまちがいだった・・・>
「わたしのまちがいだった  わたしの まちがいだった  こうして  草にすわれば  それがわかる」。これは八木重吉の詩(ネット例ではつれずれの文庫<秋の瞳>の最後の方=ここ=)。人は誰でも自分の間違いを認めることが苦手だ。間違いを認めると自分の人生や人格を全否定するような屈辱となると勘違いすることまである。自分は見えないし声を録音している訳ではないので、重吉のように”私の間違い”と安易に認めることはしない。それは「草に座らず」椅子に座ってコンクリートに囲まれているからなのか、性格なのか、この詩からは色々と考えさせられる。八木重吉(1898~1927)は29歳で早世した詩人でクリスチャンとして多くの信仰の詩も残している。30歳前の若者の詩に改めて感銘を受けるのが詩の世界の面白いところ。「おおぞらを   びんびんと ひびいてゆこう」(貧しき信徒より、<ひびいてゆこう>)。
1月28(木)   <今日木曜日のテニスは・・・>
今日木曜日のテニスはいつもと違うメンバーに加わり午前中フルにゲームを楽しんだ。全員が後期高齢者であることが分かったが、年齢を感じさせないパワーと技に触発される。一人は天皇陛下と同じ年齢という83歳。このお方は身体がよく動くし反射神経も衰えていなかったけれども、ご自分では80歳を過ぎて動きが鈍くなったと話していた。それぞれの人がテニスの場だけではなく日常積極的に外に出て活動している様子も聞くことが出来た。アスレチックに通う人、社交ダンスをしている人、町内の世話役をしている人などなど。誰もがテニスのプレーを見るだけでは分からないところで”鍛錬”をしている。年齢には個人差が非常に大きいというものの、見えないところでの努力が結果を生んでいることを納得。私のやっている毎朝のテレビ体操・ラジオ体操くらいは序の口・・。
1月29(金)   <「ズワイガニ/mieuへの絵手紙」・・・>
「ズワイガニ/mieuへの絵手紙」を今日の作品として表紙に掲載した。先週、城崎温泉(兵庫県豊岡市)に旅行した際、”蟹三昧”の贅沢をしたが、その時でてきた”ズワイガニ”を描いたもの。冬の味覚として蟹は人気があるのだろう、最近は日本海側や北海道などで蟹料理を目玉として観光客を誘致することも多いようだ。私などこれまで食べる「蟹」とはほとんど無縁だったので(子供の頃、蟹を捕って遊んだりはしたが)、今回の蟹三昧で教えられることばかりだった。タラバガニ(鱈場蟹)の名をよく聞くが、ズワイガニと脚の本数まで違うことも知った。鱈場蟹は太い脚が4対(計8本)だがズワイガニは細い脚が5対(計10本)。「松葉ガニ」とか「越前ガニ」の呼び名も親しいが、共に「ズワイガニ」を産地のブランドとして名前を特別に付けたものという。ズワイガニの写真は絵のような鮮やかな紅色が多いが、これは加熱によって色が変わったもので、海ではもっと暗い色をしているとか。年齢を重ねてから新しい経験をできるのはうれしいが、「蟹」はまさにそれであった。

1月31(日)   <昨日は陶芸教室で新年会・・・>
昨日は陶芸教室で新年会があり、夜遅くの帰宅となったのでコラムを書けなかった。新年会の数時間前には、今年初めて教室での作陶に励んだ。このところ陶芸の意欲がなくなってしまったところで新年会は良い機会となり、仲間の作っているものを見たり、話をしながら徐々にやる気がでてきたのは確かだ。今日は昔の陶芸の仲間で今は陶芸作家として活躍している若い女の子の個展にいき更に刺激を受けた。他人の目を気にせずに自由奔放に創りたいものを創る、しかも高度の技術を駆使して繊細でパワーがみなぎる。そういう作品群を前にするとマイペースでいいから、もっと創作に挑戦しようという気が起きる。やはり自分の殻に閉じこもっているのでなく広く外界を見なければならないと基本中の基本を教えられた昨日今日であった。
                       


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