これまでの「今日のコラム」(2016年 2月分)


2月1日(月)   <人工知能が囲碁でプロ棋士に初めて勝利・・・>
人工知能が囲碁でプロ棋士に初めて勝利したというニュースが数日前に大きく報じられた。チェスや将棋では既にプロ相当のコンピューターソフトが開発されているが囲碁は盤面も広くはるかに複雑であることから最強の人間に勝つソフトはまだ10年以上は必要だと言われていたのが、アメリカのグーグル社傘下の英国ソフト会社・DeepMind(2014年グーグルが買収)が開発した囲碁ソフトが2015年10月に欧州の囲碁チャンピオンに5連勝したという(2015年1月に「Nature」の論文で内容が発表された)。天才たちが開発するコンピュータソフトは限りなく進化を続けており内容に言及できるものではないが、ここで全く異なった金融や株式などを予測する分野のソフト開発を思った。経済の動向についてはあらゆる場面を想定してコンピューターに予測させる。2008年に世界的金融危機を引き起こしたリーマンショックはサブプライム住宅ローンの危機に端を発した。これは高度な数式ソフトを駆使したコンピュータの予測が外れたことにきっかけがあるとされた。当時と比べると今はコンピューターの予測精度も格段に進化したに違いないが、経済活動やその他の分野でもコンピューターの思惑通りにいかないところに人間の存在意義があるのだろう。


2月2日(火)   <「やりがい」について考える・・・>
「やりがい」について考えることがある。自分の場合、何をやるにしても今はお金や名誉が欲しい訳でもないので何かしら人が喜んでくれること、人が認めてくれることがやりがいとなる。役に立たない陶芸を創造しても誰かが面白いと興味を持ってくれればやりがいとなる。見えないところで掃除をしても誰かがいい気持ちになれば十分やりがいである。「やりがい」が「生きがい」になればいいが、「生きがい」は自分は動かずに受動的であっても成り立つところが悩ましい。おいしいお酒を飲み料理を味わうのが極上の生きがいとなるし、美しい景色をみるだけでも生きがいとなる。けれども、一方で自分は何もしないで他人の粗探しばかりすることにもなりかねない。他人のことを自分が動いて喜ばす相手ととらえれば「やりがい」となるのでないか。受動でなく能動!
今日は息子の月命日であるので墓参。墓地の一角に見事な梅が 咲いていた。
 
2016-02-02 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)にて
2月3日(水)   <友人夫妻と丸の内ホテル・・・>
友人夫妻と丸の内ホテルのレストランで昼の懐石料理を一緒する。遅まきながらの”新年会”の名目だったが楽しく話が尽きなかった。その後、友人の案内で有楽町・国際フォーラム地下の「相田みつを美術館」にいった。友人が縁があり館長の相田一人さんの案内までいただいて感激。「相田みつを」というと独特の書体と人間の本質をつく詩(文言)を思いつくが実は何も知らなかった。相田みつを(1924~1991)の平易な詩の源には道元の正法眼蔵を徹底的に学んだ基礎があったこと、一見拙劣にも見える独特の書体は独自の作風を懸命に試行錯誤した結果であって、20歳代で日本最高峰の書道展で連続入賞を果たすなど楷書を完璧にマスターした上に出来上がったことなど改めて認識させられた。相田みつをはどんなに上手い字を書いたとしても”うまいなぁ”と感心されるだけで感動させることは出来ないと独自の書体を模索し続けたという。「人間は理屈では動かない。どんなに頭で納得したとしても、感じないと動かない」と「感動」の意味を語っている。・・友人からの”感動的な”賜物に感謝。
7F懐石料理店の中庭

2月4日(木)   <高倉健の朗読・・・>
この日書いたコラムを保存せずに消去してしまいました。覆水盆に返らず。

ポイントとしたリンクだけ掲載させていただきます:
高倉健の朗読=ここ
正法眼蔵随聞記・現代語訳朗読=ここ


2月5日( 金)   <「プリムラ」を園芸店で買って・・・>
「プリムラ」を園芸店で買ってきて、ベランダの手作りした箱に植えた。プリムラはサクラソウ科のサクラソウ属の品種で寒さに強く冬にも花が咲く。プリムラ・Primulaとはサクラソウ属のラテン名であるそうだ。プリムラの種類は何百種類もあるので”プリムラ”の後に色々な名前がつく。購入してきたプリムラも何種類かを取り混ぜたので、これはプリムラ・オブコニカ、こちらはプリムラ・マラコイデス(西洋桜草)かと訳が分からなくなる。それにしても、これから咲き始めるプリメラの写真をアップで撮影すると何とも奇怪な構造だ。もう春はそこまで来ているかも知れないが、寒さなど全く問題にしない生命力に満ちている。
2016-02-05
2月6日(土)   <バスに乗ってiPhoneで岡倉天心・・・>
バスに乗ってiPhoneで岡倉天心著「茶の本」(新訳)を読んでいると興味深いフレーズに出会ったので引用する。「自分が偉大だとうぬぼれているものが実はちっぽけなものにすぎないことがわからない者は、ちっぽけと軽んじている他人のものが実は偉大なものであることを見過ごしがちである・・」。岡倉天心(1862~1913)は欧米人に対して日本文化が凝縮された茶道を紹介する「茶の本」を英文で書いた。逆に日本語に翻訳された文章を今日Kindle(アマゾンの電子書籍)で読んだのであるが触発されるところも多かった。実際、”お茶”などと極めてちっぽけな趣味の中に大きな宇宙や精神性をみる文化は独特のもの。欧米人と日本人との違いを指摘しながら「お互いに相手の長所を汲み取ろう」と茶の心を通して論ずるのは爽やかである。引用した文言は、このところ覚せい剤使用で逮捕されて話題となっている元プロ野球の大スター清原にも知っておいて欲しかった言葉にもなる。世の中には肩書きがなく知られていなくても実に偉大な人たちが大勢いる。自分をちっぽけだと思い他人を認めていれば全く違った道が歩めただろうに。・・一服のお茶を飲みたくなってきた。
2月7日(日)   <晴天に誘われて自転車で・・・>
晴天に誘われて自転車で動きたくなり、先ずこれまで行ったことのない東京工業大学を目指す。60年前に田舎の中学を卒業して東京の高校に入学した当初、東工大から歩いて行けるところにあった祖父母の家にしばしば寝泊まりをした。兄が東工大生だったこともありこの大学の正門は何となく目に焼き付いている。それ以来一度もこの近辺に来たことがなかった。今日は自転車で迷うことなく家から数kmほどの東工大に到着したが、これがビックリ!昔の面影はなくカッコいい建物(東工大博物館)が正門脇に建っている。大学の前の大岡山駅がまた立派な駅ビル。次にはiPhoneで自分の位置を確認しながら、洗足池まで行ってみた。ここもまた思っていたイメージと大違いで、”洗足池ってこんなに大きかったの”とただ感心。懐かしさよりも今現在の姿を存分に楽しめるのがいい。自転車でいくことができる名所がまだ数限りなくありそうだ。
 
2016-02-07 東工大正門                        洗足池
2月8日(月)   <テニス場には朝の開門前に着いている・・・>
テニス場には朝の開門前に着いているので、いつも扉の開くまで10〜15分は屋外で時間をつぶす。今日はその時間に何となく空を見上げていると雲が微妙に動いて形を変えていた。雲にみとれていると、ふとある思いが浮かんだ。この雲の風景は太古から少しも変化していない。明治の文豪も、江戸の庶民も、平安の貴族も、縄文人たちもみんな雲の動きに見とれたに違いない。どんな生活をしていても青空に漂う雲を見ている瞬間はゆたかだっただろう。何千年、何万年もの間少しも変わらない地球の自然に気がつくと今ここに生を受けていることさえ不思議に思える。特別にどこかへ出かけなくても良い。これからも時には広い広い青空と雲を見上げる機会を持ちたい・・。
2月9日(火)   <他人のコンピュータに入り込み・・・>
他人のコンピュータに入り込みデータを盗み取る人間は単に頭のいい悪人と限らず、国家間の機密情報取得の攻防に絡んでいる様相さえうかがえる。機密とは全く無関係な自分のパソコンであるが、外部から操作される体験をした。一部のホームページ材料を置いているプロバイダーにログインできる出来ないなどを電話で相談していると、あるソフトをダウンロードして相手のパソコンで私のパソコン画面を見えるようにして同時に操作しながら協議することとなった。結論はこちらも満足のいくようにうまく解決したのだが、リモートのパソコン画面を操作することがいとも簡単にできるのには感心した・・が、一息つくと怖くなってきた。リモートコントロールされる自分のパソコンはネット社会の危うさを警告してくれているように見えた・・。
下の写真はウォーキングで初めて訪れた公園。毎日最低1時間は歩くという友人に触発されて今日は少し遠くまで歩いてみた。
 
2016-02−09 田園調布・宝来公園にて(東京・大田区)
2月10日(水)   <減価償却の計算をはじめると・・・>
減価償却の計算をはじめると”モノの価値”について本筋と関係のないことまで考えさせられてしまう。今は確定申告の時期で減価償却の会計処理などサッと済ませてしまう人も多いだろうが。年数とともに価値が下がるモノが減価償却の対象となる。例えば住宅用に鉄筋コンクリートの建物を所持しているとその耐用年数は47年と定められており、新築時の資産価値は毎年価値が下がり47年を経ると価値ゼロ(正確には90%がゼロ)とみなすような会計処理がなされる。電気設備や給排水設備などは耐用年数15年とかモノによって細かく分類されるだけで、個々の品質とは全く関係がない。もちろん美術品とか骨董品など年月を経て価値が変わらないモノには適応されない。”年月と共に価値が下がる”となれば、人間の場合はどうなのだろう。人間は資産価値ではないし、価値とは何かの定義も絡む。耐用年数が過ぎた人間ばかりの社会を不良資産の山とは言わせたくないが・・。
2月11日(木)   <11日は義兄の月命日・・・>
11日は義兄の月命日。今月も谷中まで義兄の墓参りに行った。現在の住居は前に義兄が住んでいたところでもあり、年月を経て生活全般に義兄の”御蔭さま”を一層強く感じるようになった。今日は帰りに、千駄木から上野不忍池の辺りまでバスを使い、湯島天神に行ってみた。この神社は学問の神様・菅原道真公を祀っているので多くの受験生が合格祈願に訪れることで知られる。今日の休日もまた多くの人で賑わっていた。これほど有名で近場にある神社であるのに私は初めてのお参り。梅が咲き、受験生も多い今の時節に湯島天満宮を初体験できたこともまた”御蔭さま”・・。
 
2016-02-11 湯島天神にて
2月12日(金)   <「他力本願」は・・・>
「他力本願」は 仏教用語としては納得できる言葉であるのに、一般には誤用されて全く違うニュアンスになってしまう。自分が何もせずに「人任せ」、「他人依存」の場合には「本願」を付けないで欲しいところ。浄土宗では他力本願とは阿弥陀仏の力(他力)によって人々を成仏させようとする願いをいった。親鸞が「他力とは如来の本願力なり」として広めたとされるが、親鸞の師である法然は、厳しい修行に励み、功徳を積んで自力で悟りをひらき往生を果たそうとする僧侶を認めながらも、「私のような罪業甚重(すごい言葉だ!)な者は南無阿弥陀仏の他力でしか成仏できない」と語って、南無阿弥陀仏を説いたとされる。・・何にしても人間は最終的には自分の一存ではどうしようもないことがある。これこそ神頼み。だからこそ、いま自分でできることを可能な限り考えてやってみるしかない。人任せでなく傍観者でもない実行者でありながら南無阿弥陀仏を唱えるのもいいなぁ。
2月13日(土)   <山形の知り合いからいただいた啓翁桜・・・>
山形の知り合いからいただいた啓翁桜(けいおうさくら)の束を共用玄関の花器に差し込んでおいたら、最近花が咲き始めた。3週間前には小さな蕾だけであったのが日光の当たる場所ではないのに次々と花を咲かせる。1週間前にこれも蕾の状態で差し込んだ百合も大きく花開き、いまや玄関は急に華やかになった(下の写真)。今日の東京の気温は20℃に達し今年最高であったという。昼には義姉を見舞いに車で埼玉県まで行った。暖かで快適なドライブ。春はもうすぐそこまできている。このところ時が経てば確実に季節が変わるという当たり前のことに自然や宇宙の神秘を見る思いがして感動する・・。
2016-02-13 啓翁桜と百合の花
2月14日(日)   <毎年、今の時期にはコンピューター・・・>
毎年、今の時期にはコンピューターによる税の申告(e-tax)で苦労する。年に一回のことであるから詳細を忘れてしまっていることもあるが、何より通信機器の機種変更による煩雑さが最も大きい。今年の場合、コンピュータを新しくしたのでバージョンアップした0Sに合致した選択をやり直すとか、インターネットのブラウザの設定でも制限があるとか、e-tax用のソフトを色々と新たにインストールしなければならないとか、電子証明の期限が3年であるので証明を取り直すとか、データーを投入する以前の手続きで悪戦苦闘することになる。けれども冷静に考えると、これらをいやいややっている訳ではない。一種の脳トレとして楽しんでコンピューターと戯れているところもある。一つの自己診断としてe-taxが面倒でやる気がなくなると老化とみようか。それにしても以前から所持しているICカードリーダライタまで新しく買わずに済むようにもうひと頑張りしなければ・・。
2月15日(月)   <テニスから帰ると風呂・・・>
テニスから帰ると風呂が準備してあった。今日は昨日の暖かさから一転して気温が下がり、昼頃には5℃(昨日よりマイナス18℃)の寒さ、しかも細かい雨の中を自転車で帰ってきたので、風呂は本当に有難かった。家に着く1時間ほど前にテニス場から電話をしておいたので妻がタイミングを見計らって入れておいてくれたのだ。湯船で身体を温めながらしばし感激していた。昨日、2月14日のバレンタインデーは歴史的には家庭と結婚の女神ユノの祝日で、15日の豊年を祈願する祭りの日につながる逸話が始まりとの説がある。風呂もうれしいバレンタインデーの贈り物として、さてお返しをどうしようと思案する・・。
2月16日(火)   <人間がしゃべる言葉・・・>
人間がしゃべる言葉というものは実に不思議だと思う。不思議という意味は、使い方で恐ろしい刃となって相手を傷つけることもあれば、何事にも代え難い大きな報償とか勇気付けになることもある両面性。更に話された言葉は録音でもしない限りその場で消えてしまうので話した本人がどう話したかを認識し難いところが大きな特徴だ。目で見たり触って感じるものは何度もやり直すことができるが、口からでたおしゃべりは取り返しがつかない。子供の頃に先生から褒められた一言でその科目が好きになり、反対に些細な一言で先生と科目を一生嫌いになる。大人になっても好き嫌いや仲違いの源は大抵は不用意な言葉であることが多い。それほど他人を傷つけるものでありながら、話した本人は”悪気はなく”、”傷つけた認識もない”。「話し上手」と言われる人は話すより聞く方が上手と思うようになった。相手の言うことをじっくりと聞く人が話をはじめると落着いて話を聞きたくなるのは確かだ。
 
2016-02-16 久しぶりに訪れた六本木ヒルズにて
2月17日(水)   <冷たい風が吹く中で満開の桜・・・>
冷たい風が吹く中で満開の桜を見た(下の写真)。散歩で九品仏浄真寺までいき、お参りのついでに梅の写真を撮ろうと思ったら梅はほとんど散り始めており元気がなかった。帰りにこれまで通ったことのない住宅街の道を歩いていると遠くに大きな花の塊が目についた。それが満開の桜であった。河津桜ではないかと推測するが今の時期に本当に見事な花を咲かせている。桜という同じ品種であっても季節に対する感度がこれほど違ってくるとは、植物の持つ温度センサーの仕組みがどうなっているのか興味深い。梅の写真は撮れなかったけれども、表紙に今日の作品として「mieuへの絵手紙/これも梅」(ペンと水彩)を掲載した<今日、九品仏でみた梅を描いた>。 ヒコバエ(蘖、孫生え)と呼べるのだろうか、幹の途中から生え出た梅の花は生命力に溢れている。
 
2016-02-17 九品仏浄真寺境内 & 満開の河津桜
2月18日(木)   <「一字名句」の本・・・>
「一字名句」の本を持っている。日本の漢字は「一字」で意味をなすものが多く、そのような漢字を書とする「一字書」の書道まである。この「一字名句」の本でも文字の説明とともに、楷書、行書、草書、古代文字が記載されている。話は変わるが、ニューヨークに住む孫娘は英語が日常であるが、非常に分厚い(文字数が猛烈に多い)本を読む時には日本語の本の方が読むスピードが速いと言っている。英単語の速読よりも、日本語の速読の方が速いのは漢字の形を瞬時に見る方が速く理解できるのだろう。話は戻って一字名句。一般的に好まれそうな一文字:「寿、清、風、空、愛、心、花、力、道、光、美、幸」などと共に、この本では意外にも「機」の文字が載っていたのでうれしかった。「木製の機織り(はたおり)装置」の語源から始まり、機織りのしかけ、からくり(機械、機関)、更に、機能、きっかけ(機先)、しおどき(機会、好機)などに発展する。これからは、好きな一文字の中に「機」を入れよう・・。
2月19日(金)   <他の人の良いところばかり目につく時・・・>
他の人の良いところばかり目につく時は自分が少しは進化している時である。私の場合、テニスとか陶芸とかその他未熟な分野の話だから当然とも言えるが、他人の偉さが見えず欠点が気になる時は大抵は停滞した最低の状態であることに気づく。世の先人たちが、どれほど凄いかを実感するのもいいだろう。今日は外出時に撮影した「椿(つばき)」の写真をもとに種田山頭火の俳句をみる。まず「笠にぽっとり椿だった」。山頭火は笠をかぶり旅から旅を繰り返していた。ぽっとりと笠に落ちてきた椿。山茶花(さざんか)ならば花びらが散るが椿は丸ごと花が落ちる。昔の武士は斬首された頭を連想するので落ちた椿を嫌ったという・・。次「椿ひらいて墓がある」。今日も息子の墓のある方面を歩いていて椿を見つけたので何か響いた。「いちりん挿の椿いちりん」。いちりん挿にする椿が欲しい。・・「椿」は入っていないけれども、こんな山頭火の句があった。「花ぐもりピアノのおけいこがはじまりました」。「ひつそりかんとしてぺんぺん草の花ざかり」。朝ドラ「あさが来た」を思い出して”びっくりこん”・・。
2016-02-19
2月20日(土)   <我家の周りは「沢」だらけ・・・>
我家の周りは「沢」だらけだ。といっても、地名の話である。駒沢、深沢、奥沢、野沢、代沢、先ほどまで陶芸に励んでいたのが、下北沢(北沢の地名も)。一方で「谷」も多い。世田谷、碑文谷、以前住んでいた地区では、渋谷、鴬谷、千駄ヶ谷、最近お墓参りに行くのが、谷中・・。「沢」の地名は東日本に多く、西日本にはほとんど残っていないという。それに対して西日本では「谷」の地名は東日本よりはるかに多いとか。これは東日本の落葉広葉樹林を持つ地形を生活基盤とした縄文人と西日本に渡来した弥生人が徐々に東に生活圏を広げ縄文が弥生に移行した過程と関連があるとした解説からの引用だ(沢と谷は何が違う=ここ/非常に面白くお勧め!)。かつて、東京の郊外に田無市という興味深い地名があったけれども、今は「田無」でなく西東京市になってしまった。地名も貴重な遺産であろうに。「沢」、「谷」の地名と縄文、弥生とのつながりの可能性を思うだけで夢がある。
2月21日(日)   <今日は日曜日の休日・・・>
今日は日曜日の休日。神が天地創造を行なった7日目に休息をとったことに由来する安息日は現代の土曜日ともいわれるが、いずれにしてもキリスト教やユダヤ教での旧約聖書の創世記(天地創造)に示された週7日目の休日に関連していることは間違いないだろう。天地創造を今一度レビューすると:(1日目)神は光をつくり昼と夜ができた、(2日目)大空をつくった、(3日目)地と海をつくり地には植物をつくった、(4日目)太陽と月と星をつくった、(5日目)魚と鳥をつくった、(6日目)家畜をつくり神に似せて人をつくった、(7日目)休んだ。この創世物語をそのまま見ると、太陽が出来る前に昼と夜がでてきている。これどうしてという疑問に対してきっちりと考察して独自の解釈を加えたサイトがあった。これこそインターネットの時代でないと見られない。休息日であるからこんな論文を読む贅沢が出来る。=ここ
2月22日(月)   <「ゆっくり」の方が「はやい」よりもベター・・・>
「ゆっくり」の方が「はやい」よりもベターであることが世の中には沢山ある。けれども「ゆっくり」が認知されたのは比較的最近であろう。一昔前には何でも速い方がよかったし、「のろま」では生存競争にも勝てなかった。それが「ファーストフード」が余りに繁盛した反動なのか、速いだけでは魅力がなくなり「スローフード」で質を要求するようになり、更に「スローライフ」の生活習慣まで喧伝される。筋トレも「スロー筋トレ」の効果が注目されて「スロースクワット」などゆっくりした軽い運動の方が脳への刺激を含めて効果があることが実証されているようだ。最近、人の話に対するレスポンス(応答)もゆっくりの方がいいのでないかと思うようになった。次に自分が話をする前に3秒ほど時間を遅らせる。それだけの「ゆっくり」で、相手が何を言いたかったのか、その場の状況、相手が言って欲しいこと、何を話すべきかを判断できる。相手に対する失礼や失言、誤解を与えるのは大抵話を半分も聞かずに素早く応答する場合だ。Slow is wonderful. と心底思えるようになったのは年の功か。
2月23日(火)   <久しぶりに妻と渋谷で映画・・・>
久しぶりに妻と渋谷で映画をみた。「オデッセイ」という上映時間142分の大作だ。内容は火星にひとり取り残された宇宙飛行士のサバイバル物語。原作は全米で大ベストセラーになったアンディ・ウィアー(1972 生まれ,43歳)著の長編小説「火星の人」で、それが映画化されたもの。私は今まさにiPhoneのKindle(アマゾンの電子書籍)で「火星の人」の日本語版を読んでいる真っ最中。専ら外出した時のバスの中で読んでいるので読み終わるのを待っていると映画も終わってしまうので結末を知らないで映画を先に見に行ったのである(妻も自分のKindleで読んでいるが同じように未だ読了していない)。このSF小説が実によく出来ている。火星で探査中に嵐に巻き込まれてどうみても死亡したと推測された主人公をおいて仲間が地球に向かって発進した後、奇跡的に生きていた主人公が絶望的な条件の中でありとあらゆる可能性を駆使して生き延びようとする姿勢が感動的だ。空気(酸素)、水、食料など生き残るに不可欠な材料を獲得するために自らが考え工夫する。嘆く前にポジテイブに動く。その具体的な考え方や計算が私には非常に面白い。映画もよく出来てはいるが、原作ファンであった立場からは、映画はどうしても深さがなく表面的であるように感じたのは致し方ないか。
2月24日(水)   <表紙に「mieuへの絵手紙/寒カラス(蕪村より)」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙/寒カラス(蕪村より)」(墨・水彩)を掲載した。寒カラスは俳句では「寒鴉」の文字を使い「かんあ」とも読むそうだ。もちろん冬の季語。今日は冷たい風が吹き寒い一日であったがすぐにでもこの絵手紙を掲載しておかなければ季節外れになりそうなので描いて即表紙に入れた。絵は与謝蕪村が描いた「鳶・鴉図(とび・からすず)」の鴉図のまた一部を模写したもの。蕪村は一般的には俳人として有名であるが優れた絵画をも残している。京都の美術館が保管する「鳶・鴉図」も重要文化財に指定されているほどの名品だ。本来は人と同じように描いたり作ったりするのは好みでないが良い作品の模写は非常に勉強になるのは確か。模写するとそれまでに見たつもりでも見えていなかったところが限りなくでてくる。作者はこんな所にも気を配っていると次々発見があるのが楽しい。この絵をみて詠んだのではないかと思わせる俳句を見つけたので引用させていただく;「二羽寄れば二羽のさびしさ寒鴉 (谷野予志/1907~1995)」。

2月25日(木)   <最近、NHK教育テレビの・・・>
最近、NHK教育テレビの毎朝6時25分から10分間のテレビ体操・ラジオ体操の時間に一緒に体操をする習慣としてから、その前後の番組を見るようになった。語学や俳句などの番組もあるが水曜日6時からの「100分deで名著」は特に楽しみにしている。夜10時からの番組の再放送だが、こちらとしては朝の方が確実に見られる。この4週間は心理学者アドラーの「人生の意味の心理学」。アドラー(1870〜1937)は人間の心理を分析したり解説するだけでなく、自己と他者の心理を分析した後に「幸福になる方法」を提唱するところが従来の心理学と大きく異なる。アドラーは、他者を仲間と見なし、そこに”自分の居場所がある”と感じる「共同体感覚」が幸福とみる。「私は誰かの役に立っている」という貢献感を実感することがポイントという。そのための条件として、自己受容、他者信頼、他者貢献を挙げる。「ギブアンドテイク」でなく「人生ギブアンドギブ」がよいとか・・。人間の悩みの全て(死とか如何に生きるべきかなどを含めて)は「対人関係」(他者との比較)ととらえる視点にもハッとさせられる。
2月26日(金)   <朝のNHK教育テレビで「ニュースで英会話」・・・>
早朝のNHK教育テレビで「ニュースで英会話」という番組がある(土曜日am6:00~)。自分の英語力など元よりお粗末なことは承知しているが、英語ニュースを教材にしているので聞き取れない文章に加えて知らない語彙も多くて刺激を受ける。先日は「長期金利 初のマイナス」がテーマであった。私とは最も無縁な経済英語で恐らくはその方面では常識である言葉を教えられた。例えば、「マイナス金利」を「negative interest rates」と言うことなど。なるほど辞書を引くと、interestは、興味、関心、それが興味の対象、利害関係、そして、利益、利息、更に、利害関係を共にする「同業者」の意味ともなると解説がある。interestの使い方に今更ながらinterestingと言っておけば済むのだから気楽ではある。「ニュースで英会話」はなまじっかな脳トレよりも効果があるかも知れないぞ・・。
2月27日(土)   <今日は記憶が衰えたこと・・・>
今日は記憶が衰えたことを思い知らされた”記憶すべき日”となってしまった。以前から人の名前が直にでて来ずにイライラすることが増えたので何とかしたいと思っていたが、今日は「橋の名前」である。陶芸教室で中目黒駅の側の目黒川にかかる橋が話題になった。2年前に転居するまでは目黒川は散歩コースであったこともあり、その近辺の橋の名前を完全に暗記して何度も繰り返して確認していた。川沿いの1km余の間に10個以上の橋があるので覚えるのに手頃であったこともある。それが2年間のブランクを置くとほとんど名前がでてこない! 愕然としたが現実は受け止めなければならない。悔しいことに一度レビューし直すと次には以前暗記した調子で名前がでてくるのだ。ここで名前を言ってみよう。皀樹(さいかち)橋ー宝来橋ー日の出橋ー別所橋ー桜橋ー宿山橋ー朝日橋ー緑橋ー天神橋ー千歳橋ー柳橋ー南部橋ー中の橋・・。必要なこと以外記憶から消え去るとすると子供の頃のどうでもよいことが随分記憶に残っているは何故。記憶とはどういう仕組みなのか不可思議だ・・。
2月28日(日)   <東京マラソンでエチオピアのリレサが一位・・・>
東京マラソンでエチオピアのリレサが一位(七位まで外人招待選手)でゴールしたのをテレビで見た後、自転車で外出した。先は多摩川台公園と河川敷。多摩川台公園には多摩川台古墳群(1号〜9号)や亀甲山(かめのこやま)古墳などの史跡がある。亀甲山古墳は東京に現存する最大級の前方後円墳(全長107m)であるが、側に行っても樹木が生い茂り、案内板がなければ古墳とは気がつかない<関連サイト=ここ>。それにしても多摩川の流域、それも東京都側(多摩川の下流左岸が東京都、右岸が神奈川県)には古墳が多い。このところ機会があれば自転車で古墳を巡る。亀甲山古墳は4世紀後半から5世紀前半の築造とされるが、少し上流にも同時代の野毛大塚古墳(上野毛古墳)があり、ここでは発掘調査により兜、鉄剣、玉類など多くの埋葬品が発見されている。古墳時代にしばし思いを馳せて帰宅すると、まだテレビでは東京マラソンの一般ランナーが走り続けていた。
 
2016-02-28 多摩川  右は  多摩川台古墳群の一つ
2月29日(月)   <絵手紙と陶芸が最近の創作・・・>
絵手紙と陶芸が最近の創作の二本柱であろうか。木工で植栽用の箱を作ったり、人感センサーを使った照明を設置したりするが、”創作”ではない。大きなキャンバスに絵画を描くことも長年できていない。さて、その細々と続いている絵手紙と陶芸。絵手紙の方は少なくとも相手にMieuという孫娘がおり、喜んで受取ってくれているかは別として、受取人がいることは大きい。陶芸がどうも低調であるのは誰一人として関心がなく、認めてもくれないと思えてしまうところが問題だ。グループの絵画展では、出展する目標に合わせて張り切って創作することがよくあるが、このところ作陶展の予定もない。展示の機会もなく周囲が全く無関心の中で独り創作に励むのは案外に空しさを感じる。・・以上は、閏日の今日、朝の雨でテニスは止めて、陶芸教室に行き粘土に模様を付けながら思ったこと。それでも心を込めて制作に没頭するとことが創作のいいところだ、などと言い聞かせてみたものの、やはり誰かに見せたくなって陶芸教室で撮影したのが下の写真:
2016-2-29


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