これまでの「今日のコラム」(2016年 4月分)


4月1日(金)   <今日の表紙に「24面体型花器」(陶芸作品)・・・>
今日の表紙に「24面体型花器」(陶芸作品)を掲載した。これは陶芸教室に行った際、完成(=本焼成完了)していたので持ち帰った作品。写真では分かり難いが、24面体の稜線だけを生かして下部に四角錐の水溜を作ったもの。この花器については後日補足して説明したい。この作品は出来上がっているとは思いもしていなかったが、もう一つの大型花器が昨日(または一昨日)に素焼きが終わると聞いていたので、釉薬をかける仕上げを行なおうと今日陶芸教室に出かけたのである。ところが教室のどこにも見当たらない。問い合わせると窯の中で冷却中とのことで軍手を付けて窯から取り出してくれた。陶芸用の電気窯は炉内温度が100℃以下であると扉を開けることができる。それでもまだ素手で触れないくらい熱い素焼品に対して部分的に釉薬をたらし込む作業をした。今日は陶芸に当てる時間は1時間しかとれなかったので、無理をして作業をしたが1時間後には風呂の温度程度には下がっていた。第二ステージの釉薬かけはもう少し余裕を持ってやるつもり。釉薬掛けは陶芸の中でも特に面白い工程の一つで楽しみだ。


4月2日(土)   <今日は息子の命日・・・>
今日は息子の命日。満開の桜の下38歳で逝った日から丸七年が経過した。毎月、月命日に墓参りをしているが今日も九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)の墓にお参りをした。毎年、この日には決まって境内の満開の桜と共に息子の事を思う。他の月命日とは明らかに異なる鮮明な思い出になるのは、やはり桜との縁。私が会社を退社した年の春、息子は桜の下で私のために”卒業祝い”をしてくれたりもした・・。今年もまた墓前には缶ビールが供えてあった。友人たちが今もなお気にしてくれるのも有難い・・。
 
2016-04-02  九品仏浄真寺にて
4月3日(日)   <陶芸で”それは何ですか”と問われた時・・・>
陶芸で”それは何ですか”と問われた時に”花器です”と答えることが多い。見かけは何か分からないので用途を聞かれるのが”何ですか”で、大小にかかわらず水を溜める容器部分ががあれば「花器」となるから間違いない。一昨日掲載した「24面体型花器」もこのようなタイプの花器で、今日の表紙には実際に花を生けた写真を掲載した。24面体の稜線で構成したこの花器の特徴は花器の形状が見る位置によって大きく変化するところだろうか。普通の生け花は見る位置が変わっても花の姿がよいことをアピールする。24面体型花器の場合、花とともに花器の姿の変化を楽しめるとしたい・・。見る角度を変えると外周が四角にもなるところの写真を陶芸コーナーに追加した(=ここ)。

4月4日(月)   <人が幸せであるかどうか・・・>
人が幸せであるかどうかは第三者には計り知れないものらしい。少なくとも社会の名声、お金、地位と「幸福」とは単純には結びつかない。外部からは溢れるほどの幸せの材料があると見えても、あればあるほど”もっと、もっと”の不満が募るものらしい。大スターであった野球選手の清原が麻薬に溺れた経緯は知らないが、彼も幸せではなかったのだろう。本人の「名声」が家族の幸せと結びつくかは更に複雑だ。最近、誰でも知っている知的な小説を残した作家が離婚歴があり前妻の子供がいるけれど、前妻に育てられた子供は父親である作家を全く認めていないという話を知った。私も敬愛する作家であったが、家族さえ幸福に出来なかった人間が立派なことを書いていても素直に受け止められなくなる。人は自分のためだけには生きられない。他の人を喜ばせる(感動させる)何かが欲しい。喜んでくれる”他の人”の中にまず家族がいる人は幸せなのだろう。
4月5日(火)   <「散る花を惜しむ心・・・>
「散る花を惜しむ心やとどまりてまた来む春の誰になるべき」(西行)。満開だった桜が一部はもう散り始めている。実際に近所の緑道の桜を目の前で一輪ずつ観察すると、あと半日、一日で散ってしまうかと見える花も多く、心を動かされる。たかが桜の花が散る程度のことに同情に似た感情を覚えるのは、人の世の諸行無常、驕れるもの久しからずを連想するからであろう。それだけ満開の桜が豪華絢爛であるという裏付けにもなる。そして桜の散り際の見事さもまた確かに見れば見るほど感嘆に値する。散った花びらが決して用済みの廃棄物でなく、他に例もがないほど風情がある。望むらくは人としても散り際が見事でありたいが、こればかりは何とも思い通りにはいかない・・。
2016-04-05
4月6日(水)   <人は生きている間にどれだけ進化・・・>
人は生きている間にどれだけ進化できるか・・。進化というと定義が難しくなるので「変われるか」とした方がいいかも知れない。子供や若者の特権は日に日に進化し変われることだ。それが、どこかの時点から経験、経歴、実績をベースにして変われなくなる。そうすると後は腐ってなくなるだけとなる。「習って覚えて真似して捨てる」ことが必要とされる。出来るようになったことを「捨てて」新しいやり方、自分オリジナルの手法を造り上げることが出来るかどうかが問われる。年寄りは強情だと言われるが大抵はワンパターンに刷り込まれた信念を変えられないだけだ。一方で、私の周辺にも年齢と関係なく進化している人がいる。70歳、80歳になってもフレキシブルな考えを持ち、新たな分野に興味を示して挑戦できるのは素晴らしいと思う。先ずは学んだことを「捨てる」ことからでもスタートしてみるか・・。
4月7日(木)   <来週、富士山の見えるところに行く・・・>
来週、富士山の見えるところに行く予定なので写真を見て富士山を描いてみた(表紙に掲載した「mieuへの絵手紙」)。「絵手紙」ほどの簡単なものでも、富士山を改まって描いたのは私としては初めてかも知れない。これまで大昔から数えきれないほど多くの人が富士山を描いただろう。広重や北斎の時代だけでなく近年の名のある画家たちも色々な富士山を描いている。私は横山大観風のリアルな富士よりも片岡珠子のようなデフォルメした富士山の絵が好きだが、今回の絵手紙はおとなしく見たのままに描いてみた。毎回のことではあるが「描く」ことによって漠然と見ていた対象物が隅々まで生き生きと見えてくる。富士山とはこんな成り立ちなのだと改めて感動したりもする。出来ることなら本物の富士を目の前にして存分に描いてみたいが、果たしてどうなるだろうか。

4月8日(金)   <「パキラ」という観葉植物・・・>
「パキラ」という観葉植物を居間で育てている。春になって暖かくなったので太陽に当ててやろうとベランダに出したとたんに葉が焼けてしまった(下に写真)。熱帯植物のくせに太陽が苦手なのか! また直射日光の当たらない場所に置き直して新しい葉がでるのを待っている。植物の場合、”よかれ”と思ってやったことが裏目に出ても結果が直に表れるからやり直しがきく。人間関係でも”善意で”やったことが全く逆の結果を生むことが何と多いことか。小学生の先生の教え方一つで、算数嫌い、音楽嫌いになる。しかし、一方で教師の一言で一生の仕事にするほど大好きになることもある。大人になってからの会話でも、やはり”悪意のない”一言で傷つけられる。”他人のことを少しは考えなさい”と説教する人ほど相手の気持ちを考えていない人はいない。「相手のため」といいながら実は独りよがりの思い込みで、パキラに過剰に陽光を当てるようなことのないようにしよう・・。
2016-04-08
4月9日(土)   <昨日のテニスでパートナーの反射神経・・・>
昨日のテニスでパートナーの反射神経が素晴らしくて感服した。彼は私と同じ70代半ばの年齢であるが休憩時間に聞いてみると動体視力の計測の時に20代と言われたと話していた。お互いの身体が1mも離れていない時の接近戦であったので、”勘”も含めた反射神経の問題で動体視力とは少し異なるようにも思えるが、それは素早い反応だった。今日、インターネットのサイトに”反射神経の年齢を診断するゲーム”を見つけた(=ここ=)のでやってみたら、私は30代半ばとでた。彼ならば20代であろう。同じテニス仲間で脚力やパワーは明らかに衰えている80歳過ぎの人が接近戦になると往年の反応をするので驚くことがある。元気な先輩達を見ていると、こちらもパワーをもらってうれしくなる・・。
下の写真は3月28日に掲載した「備前一輪挿し」をベースにした”お遊び写真”。
2016-04-09
4月10日(日)   <私の名前には「孝」の字・・・>
私の名前には「孝」の字がつく。「タカオ」の漢字を説明する場合に「孝行」の「孝」ですと言ってきた。今では余り人気のない「孝」であるが、「感じる漢字」(高橋政巳著、扶桑社発行)という本で、「孝」の字は「年老いた人を背負う子、これぞ親孝行の姿」と漢字の語源を解説してあるのでうれしくなった。この本によれば、「孝」の上部は長いヒゲをたくわえて杖をついた人の姿、老人を表しているという。その老人を背負っている姿が「孝」の語源という訳だ。そこで思い出すのが父の晩年、医者に行くのに父は自力で歩けないので私が背負って二階から車の場所までつれて降りた時のこと。自分で肩をつかむ意志がない形では重さが倍ほどに重く感じた。私がつぶれそうになりながら何とか連れて降りたことが忘れられない。父をおぶったことはこれ一度きりで、他には何も親孝行が出来なかった。来週末には父の二ヶ月前に亡くなった母の命日がくる。父母には名前に反して「孝行をしたい時には親はなし」となってしまったなぁ・・。
4月11日(月)   <11日は義兄の月命日・・・>
11日は義兄の月命日。今日の午前中は1ヶ月ぶりに月曜日のテニスを楽しんだが、その後一旦家に帰り、服を着替えて谷中にある義兄の墓参りへ。谷中の墓参りも最近は馴れてきたのでやり方が決まってきた。先ず、最寄り駅である日暮里駅の構内の花屋さんで妻が花を選んで買う。お線香や剪定鋏、一部の掃除道具などは家から持参する。墓のあるお寺では桶に水、大きな掃除道具を借りる。義兄の墓周りだけでなく周辺の墓を含めて大掃除するのが楽しみでもある。もちろん、お参りの後で谷中の風情ある街並を歩くのも非日常。谷中近辺でも行き交う人は日本人より外人が多い。このところ、原宿や表参道(青山通り)などでは中国人、韓国人の観光客が多いのには驚くが、谷中では外人でもほとんどが欧米人であるところが何とも面白い。今日の写真は義兄の墓のある瑞輪寺で撮影<日蓮上人の頭上で雀さんが黙想していた>。
 
2016-04-11 谷中の瑞輪寺にて
4月12日(火)   <今日は先ず記録として・・・>
今日は先ず記録として一つ書いておきたい。ほぼ毎日続けているWii(任天堂のゲーム機)を使った計測で、一昨日、11日が丁度はじめてから1900日目となり、その日のバランス年齢計測結果が20歳であったこと。今年の元旦に計測した結果が、たまたま1800日目で相当年齢20歳の結果であったのでコラムにも書いた。(1/3コラム=ここ)。ちなみに昨日の結果も一昨日に続いて20歳であったが、連日20歳となるのは稀で油断すると75歳にもなるので威張れる話ではない。毎日、就寝前に計測するので今日の結果はまだなし。
さて、今日の表紙には「mieuへの絵手紙/ペチュニア」(水彩)を掲載した。”今日の絵”と言っている割には、孫娘mieuへの絵手紙はまだ200枚余。その前に、留学中だった娘へ絵手紙を出したのが始まりで、娘へは100枚程度描いただろうか。世の中には1000枚、2000枚の絵手紙を描いている人もいるので、まだまだこれからだ・・。

4月13日(水)   <今年もまた千葉の友人からタケノコ・・・>
今年もまた千葉の友人からタケノコをいただいた(下の写真)。こんな巨大なタケノコを自分で掘り起こすのはさぞ気持ちがいいだろう。一度やってみたいが私にはチャンスがない。私が今住んでいる東京・目黒区は昔(大正時代)は「目黒のタケノコ」と言われるほどタケノコの栽培が盛んだったという(目黒のタケノコ解説=ここ)。そのつもりで探索するといまでも「すずめのお宿緑地公園(目黒区碑文谷)などに竹林の形跡が残っている。明治時代を代表する文学者・俳人である正岡子規が「タケノコ」に関連した多くの俳句を残しているのにも驚く。「ほきほきと筍ならぶすごさかな」、「筍に雲もさはらぬ日和かな」、「筍を剥いて発句を題せんか」、「筍に木の芽をあえて祝ひかな」などはほんの一部<=ここより>。正岡子規は結核を患い34歳の若さで死去したが、亡くなる前の7年間も病床で過ごしているので何かとタケノコは身近でもあったのだろう。それにしても子規の俳句にはどれも暗さがないので救われる。
2016-04-13
4月14日(木)   <今日は久しぶりに生で蛙の合唱・・・>
今日は久しぶりに生で蛙の合唱を聴いた。箱根・湿生花園での話だ。妻の姉夫妻との旅行。今現在は山中湖の宿に落着いている。この宿では、Wi-Fi接続サービスも出来る。今回はノートパソコンを持参したのでコラムを更新することができる。今日のところは湿生花園での写真を掲載してみよう。

2016-04-14 箱根湿生花園にて

4月15日(金)   <今日も旅行中・・・>
今日も旅行中。快晴に恵まれて気持ちのいいドライブを続けている。山中湖から富士吉田、中央道、長坂、清里、佐久などを経由して今は軽井沢まできた。途中、八ヶ岳高原音楽堂などにも寄り、雄大な八ヶ岳連峰の風景を満喫した。今日もまた写真に語ってもらおう。
山中湖畔から富士山
八ヶ岳連峰
 
2016-04-15 八ヶ岳高原音楽堂              軽井沢の辛夷
4月16日(土)   <北陸新幹線の中で・・・>
北陸新幹線の中でこのコラムを書いている。夕方からの陶芸教室での食事会に出席するため、ドライブを中断し軽井沢駅まで送ってもらい、車と分かれて先に新幹線で一人帰京することとしたのである。食事会を終えて家に帰るのは遅くなるので先ずはコラムを書き始めた次第。今日は朝から軽井沢近辺を周遊した。私は軽井沢にはこれまで余り縁がなかったので、どこもが興味深かった。白糸の滝のような自然もよかったが、ユニークな教会群も面白かった。今日も写真を掲載してこの日の足跡とする。

2016-04-16 石の教会(内村鑑三記念堂)    聖パウロ教会

白糸の滝
4月17日(日)   <雨が激しくガラス窓に・・・>
雨が激しくガラス窓に吹き付けたと思うとサッと陽の光がさしてみたり、直ぐその後にまた雨と、めまぐるしく天気が変わった今日の日曜日。猛烈な風だけは終日変わらなかった。昨日までの旅行中、14日の夜に九州熊本で発生した地震はその後、更に規模の大きな地震へつながり、震度3以上の余震は400回を越すなど今もなお経過を注視する事態が続く。人間が少々進化したといっても地球の動きは元より天気でさえコントロールすることはできない。天と地の御気分次第のわれわれの命運。やはり”生かされている”・・。
4月18日(月)   <大地が揺れ動く・・・>
大地が揺れ動くことなど信じられないという人は世界の中では多数派だろう。スエーデンのストックホルムに行ったときに、地震の話をすると地元の人は「地震」の意味すら分からなかった。地面が動くなんて理解できない。恐らくは一生地震を体験しないのだろう。先週発生した熊本地震の後に続く地震がまだ続いているが、日本人ならばほとんど誰もが地震を体験する。ただし、程度はいろいろで私も命の危険を感じるほどの地震には幸い遭遇してはいない。5年前の東日本大震災の際にも割合に気楽に歩いて帰宅するなど危機感はなかった。私の母は子供の頃体験した関東大震災(1923年)の話をよくしていた。そんな母が亡くなってからもう30年になる。今日は親戚一同で母の墓参り。同じ墓地に母の父母の墓もあるのでそちらにもまわった。母が亡くなったのは77歳、母の父母は80,78歳。参拝者はほとんど同年齢なのにみな元気だ。
 
2016-04-18 九品仏浄真寺
4月19日(火)   <熊本地震の余震・・・>
熊本地震の余震がまだ続くのには驚く。つい先ほど、17時52分にも熊本地方でマグニチュード5.5の地震を観測したという。それにしても天災の最中に心ない人災が飛び交うのはやりきれない。16日未明の地震で実家が全壊するなどの被害を受けた女性タレントがブログで状況を発信していたが、ネットで中傷され、ブログを止めたという。「愚痴りたいのはお前だけでない」とか「食べるものもないのに電池使ってブログ更新か」などと書き込まれたとか。インターネットの世界では顔が見えないのをいいことにして実に卑劣で無責任な言葉が行き交うのは周知のことではある。ただ、勝手な思い込みかも知れないが、日本人は本当の非常時、困っている人に対して”情け”がかけられると信じたい。自分が中傷される立場になる前に書き込み者は謝罪したらどうか・・。
今日の表紙には「mieuへの絵手紙・ビオラ」(水彩)を掲載。

4月20日(水)   <高級トースターが話題・・・>
高級トースターが話題になっている。予約で注文してもなかなか手に入らないという。パン焼器などいわばローテク商品で開発され尽くしていると思われていたが、スチームと温度コントロールにより従来にない最高の味を実現したそうだ(私は使ったことはない、メーカー・バルミューダのサイト=ここ)。同じように100年以上前からの遊び道具であるコマ(独楽)について最新技術で驚くべき進化をしていることを体験した。最近のコマは従来のものより格段に回転時間が長く保たれる。日本のコマ技術は世界最高レベルであるようだ。もちろん超精密加工技術を駆使するコマづくりは玩具だけでなくジャイロなど実用的なハイテク分野と結びついている。私が回してみたのは「長野県岡谷市のモノづくり集団・ネクスト(岡谷市新世代経営者研究会)」という団体が作った精密コマ(サイト=ここ)。コマの世界一記録は10分以上でしばしば記録の更新があるようだが、素人の私がNEXT-URANUSという機種を回しても簡単に5分台の記録がだせた(YouTubeによる7分41秒記録映像=ここ)。ICやケイタイ、コンピュータだけでなく、このような分野での技術革新を知るとホッとすると同時にもっともっと応援したくなる。
4月21日(木)   <妻が買ってきた「暮しの手帖」最新号・・・>
妻が買ってきた「暮しの手帖」最新号(2016-4-5月号)を読んだ。今放映中のNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のヒロイン、「暮しの手帖」を創った”しずこさん”(大橋鎮子さん)を特別企画で取り上げている。暮しの手帖社さんには申し訳ないが「暮しの手帖」を読んだのは本当に久しぶり。昭和30年から40年頃には母がよく購入していた。当時は編集者の花森安治さんが編集者として有名であったが、この雑誌を創刊し暮しの手帖社の社主、編集者であった大橋鎮子さんのことは知らなかった。それにしても「暮しの手帖」が今もなお継続していることが驚異。以前は洗濯機の比較評価などユニークな記事をた見た記憶があるが、今の内容もテレビの芸能番組のチャラチャラした雰囲気が微塵もないので安心した。”とと姉ちゃん”のモデル、大橋鎮子さんが花森安治さんと「暮しの手帖」の前身となる雑誌を創刊したのが26歳の時であったという(=ここ)。これからもテレビでのとと姉ちゃん・小橋常子さんの活躍を見なければならない。
4月22日(金)   <国立新美術館で開催されている公募展・・・>
国立新美術館(港区六本木)で開催されている公募展を見にいった。親しい知人が一点出展しているのだが広い部屋5室に展示されている絵の総数は膨大なものになる。はじめは、じっくりと一つ一つ鑑賞していくが、その内にくたびれてきて丁寧に見なくなる。国立新美術館の展覧会では毎回こんなことを繰り返す。年に一度の晴れ舞台での発表の機会に合わせるのだろう、気合いの入った大作が並ぶのも毎年のこと。それらが見事に多種多様で、人間の感性や好みがどれほど異なるかを教えてくれる。善し悪し、上手下手ではない根本的な価値観の違いが面白い。それぞれの人がベストとする表現が自分の価値観とどれほど異なるかを”味わいながら”鑑賞する貴重な機会でもあった。それにしても、”人は何故絵を描くのか・・”。下には久しぶりに楽しんだ”六本木”の写真を合わせて掲載。
 
2016-04-22 国立新美術館    前庭には躑躅
 
六本木ミッドタウンに鯉のぼり              桧町公園にはフジの花
4月23日(土)   <ボストン美術館所蔵・俺たちの国芳、わたしの国貞・・・>
「ボストン美術館所蔵・俺たちの国芳、わたしの国貞」展を見た(@Bunkamuraザ・ミュージアム、6/5まで、案内=ここ)。江戸末期に活躍した浮世絵師、歌川国芳(1797~1861)と歌川国貞(1786~1864)の浮世絵約350枚の里帰り展。明治11年(1878)に明治政府のお雇い外国人として来日したフェノロサは日本美術の真の理解者として有名であるが、フェノロサの友人でもあったビゲロー(1850~1926)は7年間日本に滞在して膨大な数の日本美術品を収集してアメリカに帰国した。彼は帰国後、コレクションをボストン美術館に寄贈し、数万点といわれる版画の一部が今回里帰りして展示された訳だ。国芳の豪快で大胆な構図の武者絵、国貞の美人画や役者絵などは個々に感動的であるのはもちろんだが、私は通して鑑賞しながら江戸末期の日本文化の質の高さに圧倒される思いだった。それとこの時代の何と平和なことか!天保の改革で表現の自由は制約されたかも知れないが、残忍な殺し合いもなく風刺画で反攻して楽しんでいるように見える。ボストン美術館での完璧な保管にも感謝しなければならない・・。
4月24日(日)   <余りに便利で何でも簡単に手に入る環境・・・>
余りに便利で何でも簡単に手に入る環境にいると有難味がなくなると同時に欲求が鈍化する。こんな甘やかされ過ぎると子供が駄目になるのと同じような感覚を、私の場合iPhoneの「本」で体験している。私のiPhoneには豊平文庫とKindle(アマゾン)の電子書籍が入っており、移動中の電車やバス、待ち時間など、どこでも、いつでも何でも読める。もちろん、家でも読む材料には際限がない。豊平文庫には源氏物語や枕草子などの古典から夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治、太宰治など何でもあり、Kindleでも上橋菜穂子であろうがNHK100分で名著であろうが即座に読める。そうなると明らかに食べる前からお腹がいっぱい状態。素晴らしいごちそうを目の前に積まれて食傷気味である。何にしても有り余る贅沢には無縁で馴れていないなぁ・・。
4月25日(月)   <亀戸天神に藤の花・・・>
亀戸天神に藤の花を見に行った。菅原道真公をお祀りする下町(江東区亀戸)の天神さまとして知られるのが亀戸天神。菅原道真公の神社と言えば九州の太宰府天満宮だが亀戸はその支社にあたり「東宰府天満宮」とも呼ばれるという(サイト=ここ)。この神社は、梅・藤・菊など四季折々の花でも知られる。今の時期は「藤の花」ということで連休前の今日を選んで行ってみたのである。実は私も妻も亀戸天神を訪れたのははじめて。60年以上東京に住んでいても有名どころで行ったことのない地域は多い。亀戸天神はスカイツリーから歩けるほどの距離なので藤の花を写真に撮るとスカイツリーがバックに入るのもユニーク。都内を探索すると際限なく面白いところが見つかる・・。
 
2016-04-25

4月26日(火)   <国宝・燕子花(カキツバタ)屏風・・・>
国宝・燕子花(カキツバタ)屏風(尾形光琳)を見たいと思って根津美術館に行ったところ、美術館の庭園ではカキツバタが丁度見頃だった。根津美術館の庭は大好きなのでいつもゆっくり散策するが今回はその場に行くまでカキツバタが咲いているとは思ってもいなかった。想定外の本物のカキツバタに2倍得をした気分になる。昨日は天神さまの藤をみたが、今日、この美術館の庭でも藤棚には藤も咲いていた。初夏を思わせる陽気のもと、半袖シャツでしばし新緑を満喫。もちろん美術館の展示物も楽しんだので、こちらは美術館のサイトをリンクしておこう(=ここ)。<行く前にこのサイトを見ておけば、”いまの庭園”の様子をみることができた>
 
2016-04-26 @根津美術館庭園にて

4月27日(水)   <表紙に「大型花器」(陶芸)を掲載・・・>
表紙に「大型花器」(陶芸)を掲載した。久しぶりの陶芸作品。この花器は2月13日のコラム(=ここ)で書いた「啓翁桜(けいおうさくら)」の束をいただいた時に使えるような大型花器がなかったので制作を始めたもの。もちろん今年の桜には間に合わないので来年からの桜の時期にでも大きな枝ものを入れることを考えた。高さが約33cmの花器であり、これまでは飾れなかった大きな枝木などを入れて共用の玄関に置くことも出来そうだ。それにしても最近は陶芸が低調。この作品の後に何も手が着いていない。原因はネタ切れ、発表の機会もなく動機付けがないこと、多くの教室の仲間が止めたこと、その他いろいろと思い当たるのだが、原因を承知していても”やる気のなさ”を解消することは出来ない。当分は何も考えずに細々とでも続けて行こうかと思っている・・。

4月28日(木)   <出光美術館の開館50周年記念・・・>
出光美術館の開館50周年記念として開催されている「美の祝典」を見に雨の中を出かけた。「やまと絵の四季」展が5/8までなので、明日からの連休は美術館も混雑するとみて、木曜日のテニスを中止にしてくれた雨を機会に今日は朝から”出光に行く”と決めていた。重要文化財に指定されている10点以上の屏風や絵巻物とともに、やはり特別展示されている国宝「伴大納言絵巻」がインパクトがあった。以前、鳥獣戯画の本物(国宝)をみて絵筆のタッチに感動したが、今回の「伴大納言絵巻」も平安時代の複雑な人物模様が丹念に描かれており、見れば見るほど迫力がある。極めて細い線で表情や動作などを微妙に描き、リズミカルな絵巻を見事に造り上げている先人の才能はどこからきたのか。
日比谷の出光美術館からの帰りに皇居の二重橋近辺まで行ってみた。中国人の観光客はいたけれども静かな都心が別世界に見えた。
 
2016−04−28皇居二重橋近辺
 
4月29日(金)   <今日は国民の祝日「昭和の日」・・・>
今日は国民の祝日「昭和の日」。以前は昭和天皇の「天皇誕生日」だった。昭和元年は1926年だから今年は昭和90年に相当する。昭和元年に生まれた人は今年90歳になる訳だ。昭和天皇は昭和64年・1989年の年初めに崩御されて年号が平成となった。昭和一桁も遠くになりにけりの感もするが、昭和一桁はもちろんのこと、大正生まれでもまだまだ元気な人は多い。先日もテニスの仲間が親の介護の話をしていたが、親御さんは103歳と言っていた。私の周囲にも昭和一桁生まれの人は多いが、この昭和の日に何を思うのだろうか。以前読んだ「初めて老人になるあなたに」という本(アメリカの心理学者の著)にあった、「老人を初めて演じるに当たって心すべきこと」を思い出す。”避けたい話題は病気と説教”、”10年以上前の話はするな”などなど。確かに過去の話をしない老人は魅力がある・・。
4月30日(土)   <妻の姉夫妻と共通の知人夫妻・・・>
妻の姉夫妻と共通の知人夫妻を招待して食事をご一緒した。昨日コラムに書いた話ではないが、昭和一桁生まれの人たちと交わした会話が過去の思い出や自慢話が一切でなかった。では、どんな話題であったかというと例えば「ロゴマーク」の話。今朝の朝日新聞に五輪エンブレムの記事があり、その中で「ロゴマーク」は本来「ロゴタイプ」というべきで和製語だ断定しているがそうとも言い切れない。実際にドイツ人の書いた文章に、”logomark”があるとコピーを見せてくれた。実は「和製語」か否かはどうでもいい話で、ベルリン・フィルハーモニーの「ロゴ」を見せてくれたのである(サイト=ここ=)。オーケストラのロゴとしては斬新でベルリンフィルの建物の入口にもこのマークがあるという。そして正五角形を組み合わせたようなこのロゴを使って制作したユニークな箱まで見せてくれた。それぞれに80歳を越えても好奇心旺盛でやりたいことが山積している様子に大いに触発される。見習わなければならない・・。



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