これまでの「今日のコラム」(2016年 5月分)


5月1日(日)   <自転車で「向井潤吉アトリエ館」に・・・>
自転車で「向井潤吉アトリエ館」に行ってみた。東京‐駒沢大学駅から歩ける距離にあり、家から自転車で行く道も前から調べてあった。バス通りをほとんど使わずに細い脇道や路地を通って30分足らずで簡単に行くことが出来た。向井潤吉(1901~1995)は生涯日本の古い民家の絵を描き続けた洋画家。フランスに留学したにもかかわらず、抽象にも走らず古い藁葺き屋根の民家をリアルに描き続けて独自の世界を造り上げた。私は抽象も、野獣派も、日本画もそれぞれに好きであるが、最近は特に向井潤吉のような自然体で奇をてらうことのない絵画の前でホッとするようになった。向井潤吉が住居とアトリエを兼ねて使用したという「アトリエ館」(サイト=ここ)も落着いた雰囲気だった。帰りに寄った駒沢公園で競うように咲いていた藤とコデマリの写真を撮った(下)。
 
2016-05-01 向井潤吉アトリエ館             駒沢公園にて


5月2日(月)   <漢字の奇妙な使用法・・・>
漢字の奇妙な使用法に腹を立ててもしようがないが書いてみよう。最近テレビなどで熊本地震に関連してしばしば表記される「り災証明書」。もちろん、「罹災」の「罹」が当用漢字でないので、こんな表記がされるのだろうが、「り災」の単語では意味がない。「被害証明書」とか「災害証明書」ならまだ分かる。今日、たまたま「のむヨーグルト」の容器を見ていると、「はっ酵乳」と書いてある。これも「醗酵」の「醗」が当用漢字にないから、こんな書き方をしたのだろう。なぜ「発酵」としないのか。「迂回路」を「う回路」、「処方箋」を「処方せん」とするのも同じ。当用漢字を設定して歴史ある漢字に制限をつけるのはどのような思想に基づくのか。見直しを要望する世論が欲しい・・。
今日は息子の月命日で墓参。一ヶ月前の4月の命日には桜の花盛りであったのが今日は新緑。寺の境内を埋め尽くす緑に圧倒された。
 
2016-05-02 九品仏浄真寺にて
5月3日(火)   <50年振りか48年振りか・・・>
50年振りか48年振りか、正確には分からないが、とにかく久しぶりに知人と再会を果たした。20代半ばで新入社員の教育担当になり、ほんの短期間指導する立場で付き合った人と年賀状の交換すること何十年。こちらも、あちらも、とうの昔に企業の方はリタイアしている。その後一度も顔を合わせたこともなかった。たまたま大田区(東京)にある私の親戚と同じ街に彼も住んでいることを承知していたので、今日の休日、散歩がてら家を訪ねてみた。住所をiPhoneに登録しておくとGPSでいとも簡単に行き先を案内してくれる。予告もなく玄関ブザーを押した突然の訪問であったが、幸いに相手も在宅で会うことができた。顔だけでも見られればいいと思っていたのに、むこうさんもよく覚えていてくれて話が弾んだ。長い期間一緒に仕事をしても仕事を離れると直に音信不通になる人もいれば、ほんの一瞬のつながりが後々まで続く場合もある。人の縁とは微妙なものだ・・。
5月4日(水)   <ベランダ菜園・・・>
ベランダ菜園の一日。明け方は暴風雨、am9時頃には雨が止み晴れ間が見えはじめて午後は快晴。ただし猛烈な風が終日吹き荒れた。そんな中、長いプランターにゴーヤの苗を植えたり、ミニヒマワリを以前作った花壇スペースに追加して植えたり・・。ベランダ菜園初心者としては野菜を確実に育てる自信は全くない。土の成分や適正な混合法、水やりの程度なども勉強不足でほとんどが成り行き任せ。いい加減であるのに植物の生命力に助けられて感激することが多い。それでも土いじりは嫌いではない。むしろ地道な作業を積み上げる農業にはやりがいを感じる。どうせやるのならば、もう少し気合いを入れようかと思ったり、いや気楽なところがいいのだと慰めたり・・。
下の写真は今花が咲いている花壇の一部。
2016-05-04
5月5日(木)   <こどもの日の休日・・・>
こどもの日の休日。気持ちのよい晴天であったが車や電車を使った外出はしなかった。土曜日、日曜日しかテニスを出来ない人のために、平日でもできる私は土日のテニスを控えるのと同じ。ゴールデンウイークしか休みを取れない人たちになるだけ迷惑をかけぬように外出を控える。それでも今日は歩いて駒沢公園まで行ってみた。3月1日、17日のコラムでも書いた(=ここ)「駒沢オリンピック公園総合運動場・屋内球技場」の改築工事の進捗を見るためでもある。来春の完成を目指して工事は順調に進んでいるようにみえる。巨大な二本のアーチが合体して、このアーチから球技場の天井をワイヤで吊る構造(=球技場の内部に柱をなくす)が見えてきた。もし自分がこの構造を設計するとすると、天井の重量を吊るのは簡単であるが大暴風など風の影響をどう対応するのだろうなどと考えていると、半完成の構造体が更に親しく目に映る。まだこの先も工事の進み方を見る楽しみは続きそうだ.

2016-05-05
5月6日(金)   <古事記の中にでてくる日本の短歌の起源・・・>
古事記の中にでてくる日本の短歌の起源と言われる歌:「八雲立つ  出雲八重垣  妻籠(つまご)みに  八重垣作る  その八重垣を」(スサノウノミコトが詠んだとされる)。この歌を私の机の脇に張り出しており、今は暗唱して言うことが出来る。今住んでいる地元が「八雲」で、この歌を由来とした八雲小学校とかスサノウノミコトを祀った神社などが近所にあるので覚えた。今日、小学生向けの「古事記物語」を見ていると、この短歌に関連した大発見があったので書いておきたい。8世紀はじめに成立したとされる「古事記」は当時日本語の音と漢字を組み合わせて書き表された。冒頭の短歌を古事記の原文で記すと以下となる:「夜久毛多都  伊豆毛夜幣賀岐  都麻碁微爾  夜幣賀岐都久流  曾能夜幣賀岐を(”を”は”遠い”の”しんにょう”を外した文字)」。一つ一つ対応させてみると感動的! 編纂した太安万侶など当時の人々の苦労が偲ばれる。
5月7日(土)   <静嘉堂文庫美術館・・・>
静嘉堂文庫美術館(東京・世田谷区=ここ=)に行く。前回は今年の3月11日(大震災の日)に一人でバス乗り継ぎで行ったことを覚えているが、今日は妻と一緒に車で行った。連休中でも混雑しないだろうとの思惑通り、人は多くなくのんびりと午後を過ごすことができた。開催されていた展覧会は「よみがえる仏の美/修理完成披露によせて」。鎌倉時代に制作された木造十二神将立像のうち修理を終えた「寅神像」、「卯神像」、「午神像」、「酉神像」の4躯の仏像が何と言っても迫力があった(運慶の作かと議論になったという)。それぞれの頭に虎、ウサギ、馬、鶏の像が付いているのも愛嬌。この美術館では曜変天目茶碗(国宝)や油滴天目茶碗(重文)をいつでも見られるのもうれしい。
 
2016-05-07 静嘉堂文庫外観 & 庭園
5月8日(日)   <今日の表紙に「Mieuへの絵手紙/マーガレット」・・・>
今日の表紙に「Mieuへの絵手紙/マーガレット」(水彩)を掲載した。ニューヨークに住む孫娘Mieuへの絵手紙は以前は私の描いた絵の裏に妻が文章と宛先を書いて送っていたが最近は文章も自分で書いて出すようになった。絵の内容を説明することもあるし全く関係のない話題を書くこともある。今は世間の「絵手紙」というと同じ絵の画面に相手に伝えたい内容を一言大きく入れるスタイルが主流だ。文字も絵の一部として善し悪しの評価までされる。私の絵手紙は文章を絵の中に入れていないが、20年以上前に留学中の娘に出した絵手紙は少しだけ通信文を入れていた。この頃の絵手紙を今見ると(=ここ=)それはそれで懐かしい。娘や孫娘への絵手紙をみながら送るべき相手がいて本当によかったと思う。相手がいなければ描きたくても描けない。ただ感謝、感謝・・。

5月9日(月)   <テニス場の入口にラケットを置いて・・・>
テニス場の入口にラケットを置いて順番を決め20~30分ほど開門を待つのがテニスの日の習慣だ。今日は待っている間に入口の脇に美しい紫色の花を見つけたので写真を撮った(下)。雑草に混じって咲いていたこの花の名前が分からなかったのでテニスの仲間に聞いたところ「ムラサキツユクサ(紫露草)」。後で調べてみたが間違いないようだ。葉はツユクサ(露草)と異なり水仙種のようにストレートであり、花は露草と同じ3弁。露草も紫露草も花は朝露を受けて咲き始めて午後から夕方には萎んでしまう一日花。はかない生命であるからこそ紫色の花が際立って貴重に見える・・。今日の写真(下)にはもう一つ家で育てているピラカンサを掲載する。いま丁度、白い花が咲き始めた。
 
2016-05-09 ムラサキツユクサ  &  ピラカンサ
5月10日(火)   <一日中外出せず家に籠っていると・・・>
一日中外出せず家に籠っていると憂鬱になり気分が沈滞する。このことを比較的最近になって気がついたので雨であろうが特に用事はなくても家をでる。そうすると、それだけで元気になる。前にコラムに書いたことがあるが、このところ陶芸教室に通っていない。以前はテニスがなければ陶芸に行っていたので家に一日中家から一歩も出ないことはほとんどなかったことに気がついた。もちろん家で読書でもして見聞を広めることもできるだろう。けれども私の場合身体を使って外界と接触するのが性に合っているようだ。今はテレビでもインターネットでも情報だけは家の中にいても無制限に入ってくる。けれどもマスコミの情報は体験にはならない。どんな些細なことでもいいから自分の目で見て身体で感じることが「体験」であろう。これからの生活には新たな体験の積み重ねを目指そうか・・。
今日の写真(下)は今日初めて訪れた地元の公園。
 
2016-05-10 碑文谷公園(東京‐目黒区)にて
5月11日(水)   <11日は特別の日・・・>
11日は特別の日。2001年9月11日(アメリカ同時多発テロ)、2011年3月11日(東日本大震災)は言うまでもないが、私の場合2013年6月11日の義兄の死去(発見は12日)も大事件だった。現在、その義兄が住んでいた住居を借りて住まわせてもらっているのに奇跡のような縁を感じる。月命日、11日にはできるだけ義兄のお墓にお参りをする。今日も谷中のお寺に墓参り。昨夜来の雨が上がったばかりで谷中はしっとりと濡れていて、いつも以上に情緒が感じられた。ほぼ毎月谷中を訪れているので谷中の街にも詳しくなった。細い路地を通ってみたり、墓のあるお寺以外の色々な寺を訪れたりするのも谷中での楽しみ。「お墓参り」といいながら実は自分たちのレジャーにしていることは承知している。昔の「大山詣で」「熊野詣で」なども同じだったのだろう。
 
2016-05-11 谷中にて
5月12日(木)   <三菱自動車が日産自動車の傘下に入る・・・>
三菱自動車が日産自動車の傘下に入ることが発表された。日産自身も2005年にルノーの傘下に入り今のゴーンCEOがルノーから乗り込んできて業績を回復させた経緯がある。身近なところでは今の住居に移ってきた後何度も利用していた「ダイエー碑文谷店」が5月5日に閉店した。この店舗は日本型総合スーパーの象徴ともいわれ全盛期のダーエーの発展を支えたけれども、ダイエーを傘下に収めたイオングループが大改装して再開するという。万物流転。変わって行くのが世の常である。銀行にしても、明治時代に設立された、三菱、三井、住友など大銀行も全て再編成されて社名が変わっている。ただ一つ、120年以上前に創刊された朝日新聞だけは名前が変わっていないのは何故だろう・・。
5月13日(金)   <今日は、日本の古九谷、柿右衛門・・・>
今日は、日本の古九谷、柿右衛門、鍋島など磁器の名品や昔は世界一の名を誇った中国・景徳鎮の陶磁器に酔った。朝、NHKの連ドラが終わった頃に妻と”箱根にドライブに行こう”と話が決まり、箱根小涌谷に最近出来た「岡田美術館(=ここ)」に初めて行ってみたのである。この美術館は5階建ての館内に、日本と東洋の絵画、日本と東洋の焼き物、中国の青銅器など数多くの展示物がある。冒頭に挙げたのは私が中でも感動したもので他にも多くの美術品で溢れている。骨董品は本物を見なければ審美眼は養われないと言われるが、今回みた陶磁器には”これが本物か”と脳の奥底に叩き込まれたものが多かった。美術館の入場料は高い(¥2800)が再入場してたっぷりと鑑賞したので満足感は十分。付属している庭園や渓流散策コースも堪能した。美術館を建設したオーナーである岡田和生氏はパチンコ・スロット機器製造からスタートしパチンコ王とも言われた大資産家(一時期日本一の高額納税者)であるそうだが、美術館の建物・施設、収納品は品格がありどこにも劣らない・・。
 
2016-05-13岡田美術館

美術館庭園内の開化亭
5月14日(土)   <久しぶりに陶芸の新作・・・>
久しぶりに陶芸の新作を作り始めた。陶芸は発表の機会がなくなったし、昔からの仲間が教室に来なくなったりして、やる気をなくしていたが、役に立つか否かとか他人に見せるとか考えずに、とにかく自分の創りたい物を創ることにした。そこで今回取り上げたのが「92面体の花器」。正五角形が12個、正三角形が80個から構成される花器にするつもりだ。復帰第一作としてはまた難しいテーマを選んでしまった。これまで紙でも作ったことのない立体であるので、今日は一日陶芸教室で悪戦苦闘。制作方法を試行錯誤といえばもっともらしいが粘土板の固さが時々刻々変わっていくのを如何にサポートし形状を保つか、途中で何度もギブアップしようとした。今日の一日では未だ完成できなかったけれども、やったことは確実に経験として生きている。「失敗は成功の母」というが、失敗も一度で済む訳ではない。何度も何度も失敗して、そして成功を信じてまた挑戦する・・。
5月15日(日)   <伊藤若冲の展覧会・・・>
伊藤若冲の展覧会が東京都美術館で開催されているが行くのを諦めた。会期は5月24日までなので、そろそろ行きたいとは思っていたが・・。土曜・日曜日だから混雑するのでない。知人は一昨日の金曜日に開館時間9時30分の15分ほど前に行くと長蛇の列で入場できたのは昼頃であったという。早い人は朝の6時から並んでいるそうだ。昨日、やはり開館前に並んだ別の知人によると、長い間並んで待つ途中に給水ポイントがあり”水分取ってくださ〜い”とまるでマラソンのようだったと言っていた。もし、これから行くのなら余程の覚悟と身支度が必要とのアドバイス。都美術館での若冲展は諦めて、密やかな裏技を考えている。一昨日行った箱根の岡田美術館で9月5日から「若冲と蕪村」の展覧会が予定されている。この美術館は秋の庭園がまた素晴らしいと思われるので、箱根で紅葉を見ながら「若冲と蕪村」はどうだろう・・。
5月16日(月)   <遅まきながら「下町ロケット」を読了・・・>
遅まきながら「下町ロケット」を読了した。i-PhoneのKindle(電子図書)で、専らバスや電車の中など外出先で読んだので外出が待ちどうしく空き時間に退屈することはなかった。小説「下町ロケット」は2008〜2009年に週刊誌に連載されたあと、2010年に単行本となり、2011年に直木賞受賞とある。作者の池井戸潤さんは銀行勤めを10年もやり小説家になっただけあり実業の世界の描写に現実味がある。特に、現代のメーカーとか技術畑の葛藤をこれほど巧みに表現した小説は他に知らない。およそ小説家とか文学者と称される人たちは「モノづくり」と最も遠い位置にいるという偏見があるので、「下町ロケット」のような小説が世に出て、ベストセラーになるのはうれしい限り。それにしても、この物語がテレビでドラマ化されたときに見なくてよかった。小説での人物像は映像化されると大抵は幻滅するので本の中のイメージを大切に保っておきたい。
5月17日(火)   <フィンランドのファッションブランド「マリメッコ」・・・>
フィンランドのファッションブランド「マリメッコ」の創業者アルミ・ラテイアの生涯(1912〜1979)を描いた映画「ファブリックの女王」を渋谷の映画館でみた。最近自由が丘にあるマリメッコの店で可愛らしいデザインの壁掛けや雑貨を購入して使っている(=下の写真)。かつてケネデイー大統領夫人が愛用したというマリメッコデザインの服装(ファッション)には当方は無縁であるが、マリメッコには興味があり雨の中を妻と渋谷まで出かけて行ったのである。ところが、ユニークな世界的ブランドを立ち上げた創業者のストーリーは明るく元気になるだろうと期待したのが大違い。映画は暗く、暗く、あくまで暗い。アルミのデザインのセンスとか能力がかすんでしまうほど我が侭や被害妄想が強調され、「女王」ではなく、どうみても精神に障害のある人がもがく姿しかみえない。余りに暗く、マイナス思考が続くので、何故かを考えると思い当たった。「太陽」がないのだ。北欧であるせいかは分からないが、ストーリー以前に明るい陽光を浴びる映像が皆無。アルミの実像がどうであったのか知らないが、この映画を制作した監督が太陽を浴びたことのない人間でないかと推察した。
 
2016-05-17マリメッコデザイン
5月18日(水)   <日本一美味しいハンバーグ・・・>
日本一美味しいハンバーグと芸能人が折り紙をつけたという渋谷のハンバーグ専門店・ゴールドラッシュに行ってみた。そこで改めて自覚したのは自分では味の評価をできないということ。確かに美味しかったけれども”日本一”などとはとても言えない。比較するデーターがない。大体、私は外食をした際に”不味い”とか”美味しくない”と思ったことがほとんどない。どこで食べてもオイシイ。高級レストランでなくて、マクドナルド、デニーズ、バーミヤンなどファーストフードやファミレスでも十分に美味しい。最近は家で料理を作る機会がなくなったが、料理の材料購入に付き合うと、その種類の豊富さにやはり感心してしまう。お値段の高い安いはあるけれども何でも手に入る。家庭料理もまたバラエテイーに富んで美味しくなる。どうせならば奥さんの作った料理が日本一と言えばいい・・。
今日の写真(下)はテニスの開門を待つ間に撮影した。
 
2016-05-18
5月19日(木)   <表紙に「Mieuへの絵手紙/蕪村より」(水彩)・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙/蕪村より」(水彩)を掲載した。与謝蕪村の「若葉図」という掛け軸の絵を模写したもの。もちろん、原画には蕪村の「行く春のあとをよごさぬ若葉かな」という俳句は簡単には読めない達筆で描いてあるが、Mieu向けに読める文字としてみた。いっそのこと文字をもっと自己流で模様にしてもよかった。また原画は墨の滲み(しみ)を利用して木々を描く手法で巧みに描かれているが絵はがき用の台紙では思うように”にじみ”もだせなかった。いろいろと反省材料はあるがやってみたから分かる。「没」としないでこの絵手紙も使用させてもらう。それにつけても、孫娘、mieuさん、いつも喜んで絵手紙を受取ってくれてありがとう・・。

5月20日(金)   <「土に還る」・・・>
「土に還る」という言葉がある。人は土から生まれ土に還る。死ぬのでなく、元々の姿に戻るという考え方だ。陶芸をやっていると土は俄然現実のものになる。5月14日のコラムで陶芸教室に行き92面体を制作を始めて悪戦苦闘していることを書いた。いろいろと試行錯誤を繰り返して半分程度の形状は出来ていたのだが、やり直すことを決断した。今日半製品を家に持ち帰り形状をくずして元の”土に還す”作業をする。貫入土といういい土を使用しているので、半製品を廃棄処分でなく水を加えて柔らかい元の土に練り直す訳だ。教室で試みた方法とは全く違うやり方で新たに「92面体」の制作を開始する。自分で土に還した素材を使って、間違いなくベストのやり方で再スタートするのが楽しみになってきた。今回はもう出来上がりの”カッコいい姿”が目に浮かぶ。
5月21日(土)   <新たな産業革命とまで言われる「IoT」・・・>
新たな産業革命とまで言われる「IoT」が確実に進化しているようだ。IoT=Internet of Things、通常「モノのインターネット」と訳される。最近(=2016.4月20日)改正された法律(特定通信・放送開発事業実施円滑化法)ではIoTの実現として、「インターネットに多様かつ多数の物が接続され、及びそれらの物から送信され、又はそれらの物に送信される大量の情報の円滑な流通が国民生活及び経済活動の基盤となる社会の実現」と定義されているという。iPhone(or スマートフォン)はインターネットが自在にできる持ち歩くパソコンであり、行きたい店を検索したり、道案内を頼んだり、バスの待ち時間や経路を調べたりするのは今でも当然のこととなった。IoTでは更に離れた「モノ」の状態を知る。温度、気圧、などの環境の情報、振動、移動などの動き情報、位置情報など、ありとあらゆるモノの情報をインターネットで把握し、離れたところの「モノ」を操作する。対象は無限にあり今の生活のやり方が一変する可能性は十分にある。このような改革時には他人が考えつく前にアイデイアを実現すれば大きなビジネスチャンスになるだろうが、変化していく流れに身を任せるのもまた楽しいか・・。
 
2016-05-21 空の雲も自然、花の色も自然
5月22日(日)   <”今日の嬉しかったこと”・・・>
”今日の嬉しかったこと”を書こう。孫娘MIEUのブログ(=下にリンクあり)の「今日の感動/嬉しかったこと」に習うことにしたのだ。何よりMIEUのこんなブログを読めるのがうれしい。さて、今日の日曜日はベランダ菜園はやったけれども大した成果はない。うれしかったことは、新鮮な薔薇の写真を撮ったこと、それと夕日を眺めて日の入りの位置が昨日とも変わっていることに気がついたこと、92面体を陶芸で作るやり方で新たなアイデイアを思いついたこと・・。どんな小さなことでも、”うれしかったこと”を書ける日は幸い。
 
2016-05-22
5月23日(月)   <ジンバブエという国・・・>
ジンバブエという国について調べてみて今更ながらアフリカのことを何も知らないことを自覚する。何故、ジンバブエか。今日の早朝、ゴミ出しついでに道路を掃除している時にジンバブエのおばさんと挨拶を交わした。家の側にジンバブエ大使館があり何となく顔見知りになっている。その割にジンバブエの国を知らない。まずアフリカでの位置は、アフリカ南部で、モザンビーク、南アフリカ、ボツワナ、ザンビアと国境を接する。長年イギリスの植民地で今のザンビア、ジンバブエはローデシアと呼ばれていた。ジンバブエ共和国として独立したのが1980年。一時は白人との融和政策もとられたが現政権は反英国、反白人を徹底させる大統領独裁政権とか。一方で中国やロシアとは親しく国際政治の縮図がここでも見られる。人口は約1300万人ほど。Wikipediaによると国民の約3割がHIVに感染しており、平均寿命が1990年には62歳であったのが36歳と世界で最も短いという。一昔前にはジンバブエ出身の白人系のプロテニスプレーヤーが何人もウィンブルドン大会で大活躍したこともあった(大抵は白人の裕福な農園主の息子や娘さん)。・・地球は広い。
5月24日(火)   <雲南百薬をベランダ菜園に・・・>
雲南百薬をベランダ菜園に加えた。ベランダの西日が強烈なので成長して緑のカーテンとなるのが理想。プランターでの菜園は全てが初心者で雲南百薬を扱うのももちろん初めての体験だ。まだ丈が10cmほどの苗であるが夢は広がる。まず、この植物、生命力があり丈夫そうなのがよい。温度管理、天候条件、水の補給などデリケートな要求がある植物は苦手だ。収穫できれば「百薬」と名がつくほどに栄養価が高い。マグネシウム(レタスの8倍)、カルシウム(ピーマンの6倍)、亜鉛(ニラの2.5倍)、銅(キャベツの8倍)、葉酸などずば抜けた効能がうたわれている。雲南百薬の別名は「オカワカメ」。この名もいかにも摂取したい食材にみえる。いまのところ「捕らぬ狸の皮算用」であるが、実際の成果がでた時には必ずこのコラムに書くことにしよう。
明日から小旅行。ノートパソコンを持参してコラムを続けるか思案中・・。
5月27日(金)   <現職のアメリカ大統領として初めてオバマ・・・>
現職のアメリカ大統領として初めてオバマ米大統領が広島に降り立った時刻頃(pm5時過ぎ)に西伊豆ドライブ旅行から帰宅した(オバマ米大統領はG7伊勢志摩サミットを終えた後、米軍岩国基地を経由してヘリコプターで広島入りした)。人類の歴史の問題点に触れながら原爆や戦争を語るオバマさんの品格ある広島スピーチを聞くと観光旅行のコラムなど書き辛くなったので今日は旅行で訪れた一部の写真掲載だけで済ませる。
 
2016-05-25 韮山・反射炉(世界遺産登録)   修善寺・虹の郷
 
2016-05-26 松崎・長八美術館(漆喰芸術)  伊豆・堂が島
5月28日(土)   <韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)・・・>
韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)を訪れた時(25日)、その製造を江戸幕府に進言し、実際に責任者となって反射炉築造を推進した江川英龍(坦庵)の屋敷跡・江川邸(重要文化財)も見学し非常に興味深かった。英龍のような蘭学に通じた幕府の役人は欧米列強がアジア各地を植民地にし日本にも進出しようとしている状況に危機感を募らせていた。明治維新を迎える10年以上前に大砲などを鋳造するため反射炉を築き始める。英龍は反射炉以外に外国の艦隊から江戸を防衛するため湾の海上に砲台(台場)を築き大砲を並べる台場築城にも携わる。幕府側の人間であったので明治維新後の一般に知られる偉人ではないが英龍の後を継いで反射炉を完成させた息子の英敏など江川家の代々の働きは尋常ではない。江川邸に残されている資料を見ていると、諸々の発想や世界に対する好奇心が現代と変わらないばかりでなく、文化程度はむしろ現代を上回るのでないかと驚嘆する。
5月29日(日)   <表紙に「mieuへの絵手紙/ロムニー鉄道」(水彩)・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙/ロムニー鉄道」(水彩)を掲載した。先日、西伊豆を旅行したとき修善寺・虹の郷で乗った園内を走るイギリス製の15インチゲージ鉄道を描いたもの(ロムニー鉄道紹介=ここまたはここ)。虹の郷のイギリス村からカナダ村までの1kmほどを乗っただけであるが、小型とはいえ立派な蒸気機関車で煙も吐けば汽笛も鳴らす。すっかり気に入って降車後ボイラーを焚いている運転手さんと話をした。機関車の”缶焚き”話題にだすと、燃料は石炭でなくコークスを使用しているという。煙はコークスの方が少なくて済むと説明を受けた。運転席の機器類をピカピカに磨いて丁寧に使っているのがよく分かったので運転手さんには我が事のようにお礼を言った。虹の郷に行く機会があれば次回もロムニー鉄道に乗る・・。

5月30日(月)   <朝から大雨で・・・>
朝から大雨で月曜日テニスはお休み。代わりに陶芸教室に行くこともせず家の室内で粘土工作。正三角形の板を80枚完成させた。三角形の板といっても穴をあけ溝を切り部分的に化粧をしたので合計80枚は相当の労力だった。夕刻、雨が止んでいたので一時散歩にでた。駒沢公園で撮影したつつじの写真を下に掲載する。先週伊豆に旅行した帰りに熱海の「起雲閣」(=ここ)を見学した。このとき開催されていた”さつき展”で撮ったさつきの盆栽の写真も合わせて掲載してみる。”つつじ”は俳句では春の季語であるのに対して、”さつき”は初夏の季語(陰暦5月にて)という。「近道へ出てうれし野の躑躅(つつじ)かな」(蕪村)、「吾病んで猶別れうき皐月かな」( 子規)。
 
2016-05-30 駒沢公園にて      右はさつき展の盆栽
5月31日(火)   <ベランダのプランターに・・・>
ベランダのプランターに胡瓜(キュウリ)とコーヤの種を蒔いて一ヶ月もしないのに随分成長してきた。初めは土しか見えなかったところから芽がでて、ぐんぐんと成長する植物の様は家庭菜園の初心者としては神秘的にさえ見える。大袈裟に言えば、生命力では片付けられない地球という星の温度、湿度、太陽、水など全ての条件に恵まれた奇跡の結果に思える。人間もまたこの奇跡の星のもとに生存しているのだ・・。後で植えた雲南百薬の苗はまだ間に隠れて見えない。バックの西側の窓には「マジックミラー断熱フィルム」を張ったので写真では室内でなく外の景色が映っている。
2016-05-31


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