これまでの「今日のコラム」(2016年 6月分)


6月1日(水)   <今日から6月、水無月・・・>
今日から6月、水無月(みなづき)。今日初めて月が変わったと気がついたのは、朝6時25分からのテレビ体操スタート時、画面のバックがこれまでと変わり夏らしい模様になった時だった。早速にカレンダーのページを変えて月の予定を書き込む。6月は祝日がない唯一の月であるそうな。1日には衣替え(衣更)といっても5月中から夏日が続いているのでずっと前から夏衣だ。「更衣 草の葉 木の葉 皆動く」(正岡子規)。今も昔も諸々が目に見えて変動するのも今の時節なのだろう。今日の日の入りは18時52分頃(東京)。10日ほど前に掲載した日の入り写真(5/22コラム=ここ)と比較すると下のように日の入り位置も随分変化している。
2016-06-01


6月2日(木)   <2日は息子の月命日・・・>
2日は息子の月命日で出来れば墓参りをすることにしている。今日は墓に供える花にとしてミニヒマワリを事前に準備して持って行った。ヒマワリの花で墓の雰囲気が一挙に明るくなる。今回は墓周りの躑躅を思い切り剪定をしたり持参した耐水ペーパーで墓石の汚れをとったりしたほか、いつものように周囲10mほどの掃除をする。他人の墓周辺や道路などの清掃をするようになって、これまでは誰か他の人が時々に掃除をしてくれて墓周りがきれいに保たれていたのだと気がつく。家の前の道路も同じこと。自分で掃除をする以外にお向かいさんが思わぬ時にこちらの分も掃除してくれていることがある。お互い様で出来る時に目立たぬように他人様の領域をも掃除する程度がよい。避けることは掃除などをノルマにしたり規範にすることだろう。密やかに他人には分からぬ程度を楽しみながらやるのが気分的にも一番よい。
2016-06-02 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて

6月3日(金)   <朝の9時頃テレビの速報・・・>
朝の9時頃テレビの速報で、北海道の山中で行方不明になっていた小学2年生(7歳)が6日ぶりに無事に保護されたとのニュース。連日200人の大捜査をしたにもかかわらず全く手がかりがなかっただけに、信じられないと誰もが思っただろう。行方不明のいきさつが善意の「しつけ」のため一時置き去りにした経緯も一般にはショックで成り行きに関心を持っていた。それでも分かってしまえば薮の中にも入らず林道をどこまでも歩き(約7km)自衛隊の演習場内にある無人の宿泊施設にたどり着いたという最も単純な行動にみえる。風雨をしのぎ、一週間近く水だけ飲んでじっとしていたのでたまたま自衛隊員に発見されるまで体力を消耗せずに6日間を過ごすことができた。小学2年生のサバイバルは海外でも報道されたという。このところ明るいニュースがほとんどないところで、自分たちとは直接は関係がなくても”よかった、よかった!”。この小学生はきっとたくましく成長するだろう。


6月4日(土)   <今日の成果を書きたい・・・>
今日の成果を書きたいが、作業をやったのは家庭菜園とか家での陶芸などがあるけれども見せられるものがない。ベランダの花壇にサフィニア、サンパラソル(各サントリーフラワーズ)、ペチュニアなど夏から秋にかけて続けて咲くように大掛かりな植え替えをやったけれども、花の写真入りで成果を見せられるのは一ヶ月後か。陶芸の方も細々と進行している。こちらも完成品となると一ヶ月以上先の話となる。そこで、思い直して陶芸の途中経過を記録する意味も含めて掲載することとした。最終目的は92面体の花器。これを組立式で制作することとして、今日は半製品のパーツを紹介する(下)。正三角形は80個(予備を入れて81個)の素焼きが完了している。もう1グループ、正5角形が12個。これは今のところ粘土の段階(一部色づけ)。80個の正三角形+12個の正5角形を接続すると見事な球体になるはず・・。これは制作の途中の方が楽しいのかも知れない。
 
2016-06-04 92面体の材料


6月5日(日)   <つくづくと 見れば不可思議・・・>
「つくづくと 見れば不可思議 「婚」の字に 昏(くら)くたたずむ 女がひとり」。これは今朝のテレビ・NHK短歌で紹介された一つ。「婚」の題で入選した短歌の中でも余りに意外な観点があり面白いので引用させてもらった。これまで「結婚」、「婚活」、「婚姻」などの文字を気にすることなく見過ごしていたが、言われてみると全てに「女」がつく。何故に「女性」が主役なのか、しかも黄昏(たそがれ)時。・・「つくづくと見れば不可思議○○に(は) 」は他にも色々と応用ができそうだ。目を開けていても見ていないもの、見えていないものは多い。


6月6日(月)   <アドラー心理学の本・・・>
アドラー心理学の本をKindle(電子図書)と新書の両方で読んでいるが、今ひとつ納得できないところがある。フロイトの幼児期に受けた心的外傷(トラウマ)が精神に重大な影響を残すなど原因論の心理分析に対してアドラーは過去ではなく人は今の目的に沿って生きているとしてトラウマを否定する。アドラーによれば個人が目的に向かって行動することによって、いつでも変化、変容することが出来るととらえる。また人間が抱える問題は全て対人関係上の問題だとか、いかに幸せを感じて生きるかは個人の捉え方一つなど納得させられるところも多い。けれども、今日もテニスをやりながら無条件でわき上がる闘争本能、負けるものかの心理は何なのかうまく理解できない。将棋でも碁でも誰もが勝つために戦う。個人として勝ったところで共同体の仲間が喜ぶことはないが個人はその瞬間は”幸せ”を味わう。以前、心理学を学ぶ意味は何か疑問を持っていた。フロイトやユングを学んだところで学んだ本人が変わり幸せになるとは限らない。そういう意味ではアドラーをもっと理解すると本人が”変容できる”という特徴がありそうだ・・。
 
2016-06-06 テニスの開門を待ちながら撮影
6月7日(火)   <製作中の陶芸作品「92面体花器」・・・>
製作中の陶芸作品「92面体花器」については6月4日のコラムで経過を掲載したが、今日もその続きを書いてみたい。92面体は正三角形80個と正五角形12個で構成される。前回、正三角形の素焼きが完了したところで写真を掲載したが今回はこれに釉薬(透明)をかける直前の状態を示す。写真ではほとんど分からないがポイントは次の三つ。1)下部には釉薬をかけたくないので、下底を梱包用のテープに接着させて置いた。2)接続用の穴には爪楊枝を切断して釉薬が入らないように処置(穴の数は五角形の分を合わせて360個+α)。3)稜線の溝部分には黒化粧の上に事前に透明釉をたらし込んで溝を埋める。前回、粘土の状態だった正五角形も素焼きを終えて、釉薬をかけるために正三角形と同じ処置をした<各々、下に写真掲載>。釉薬は霧吹きで上から丁寧に吹き付けることになる。これほどのことを陶芸教室でなく家で作業するのは初めてかも知れない。個々の部品は小さいので家の窯でも焼ける。必要なのはただ忍耐。余計なことを考えずにただ手を動かしていると仕事は確実に進捗する・・。
 
2016-06-07 92面体部品(釉薬掛け前)
6月8日(水)   <久しぶりに二子玉川・・・>
久しぶりに二子玉川(東京‐世田谷区)の園芸店(高島屋別館)にいった。3~4年前にいまは亡き義兄と食事がてらよく訪れたことのある店。その頃と比べると最近は自分で家庭菜園をやるようななったので興味の持ち方が変わった。ジョウロだけでも何十種類もある。何も見ても面白い。結局、購入したのはジョウロ一個だけであるが、園芸店にいつまでいての退屈しないことは新発見だった。夕方、訪れた九品仏浄真寺風景と合わせて写真を掲載する。
 
2016-06-08 二子玉川・高島屋別館の屋上
 
九品仏浄真寺(東京‐世田谷区) 山門と上品阿弥陀仏など
6月9日(木)   <人は口先だけならば・・・>
人は口先だけならばいくらでもいいことを言える。ただし自分で実行するかどうかは別問題。このところ公私混同疑惑で連日テレビを賑わせている東京都知事の舛添さんを見ていると、そんなことを思う。いまテレビでここぞとばかりに正論をまくしたてているコメンテーターや評論家先生と同じく舛添さんもかつては政治家の公私混同を諌め、公用車などいらぬと公言し著作でもいいことばかり言っていた。今回の場合何百億円を着服したとかスケールの大きな話でなく、家族で音楽会に行った経費とか美術館に行ったなど極めて”みみっちい”不適正で呆れるばかりであるから、せめて自分の反省材料にする。他人を非難する時には自分も同じことをやっていないか、自分が不快になる時には他人にも不快を与えていないか・・。そもそも人間は原罪を負って生まれてきているとの考えに対して自分は全く罪など犯していない、いいこと、正しいことだけをやっています、と言われると少々恐ろしい。
2016-06-09 碑文谷にて 左=サレジオ教会、右=円融寺
6月10日(金)   <今日は朝から快晴・・・>
今日は朝から快晴。このところ雨ばかり続いていたので、この梅雨の晴れ間は貴重だった。金曜日には通常テニスには行かないが今朝は7時半には家を出て自転車でテニスへ。強力な相手とプレーを楽しんで、帰路も自転車45分。家で着替えだけしてバスと電車を乗り継ぎ新宿へ。妻と京王デパートで待ち合わせて遅い昼食。その後新宿三丁目のギャラリーで開催されている知人の絵画展へ。帰途に新宿高島屋中にある東急ハンズとユザワヤに寄って買物など。久しぶりの新宿で気がついたことはデパートでの大勢の中高年おばさん、おばあさんたちの元気な姿と旺盛なお金の使い方。マスメデイアでは世の中景気が良くならないとの話ばかりだが、もしかすると今まさにバブルの真っ盛りでないか・・。

2016-06-10 新宿高島屋からみた新宿御苑(左)&ドコモタワー(右)
6月11日(土)   <今日、6月11日は・・・>
今日、6月11日は世話になった義兄の命日。11日は9.11(2001年米国同時多発テロ)とか3.11(2011年東日本大震災)など事件や災害の日として記憶されるが、私たちは出来る限り毎月11日の月命日に義兄の墓参りをすることとしている。今日は墓のある谷中で昼食をとり義兄の墓に行ったところが、午前中に他の人が来たのであろう、新しい花が花立てに入っていた。そうだ、今日は本当の命日。私たちが持参した花を加えて墓前はいつになく華やかになった。今日の写真として墓のあるお寺・瑞輪寺の本堂の写真を掲載する。正面の彫り物をクローズアップしてみると像の上に獅子が乗っている。これまで何度も本堂にお参りをしているが、彫り物の詳細までは気がつかなかった。ここでも直ぐ目の前のものでさえ見えていない愚かさを教えられる。
表紙には「Mieuへの絵手紙/胡瓜の花」(水彩)を掲載する。我家のベランダ菜園の現在の胡瓜の様子を描いた。

 
2016-06-11 瑞輪寺(谷中)にて
6月12日(日)   <”お客さんを迎える”心理・・・>
”お客さんを迎える”心理は独特のものらしい。特別に格好付けるとか、いいところを見せようと思わなくても最低限で室内を掃除したり片付けを行なう。我家の場合どんな人でも家にきて下さる方は本当に有難いと妻とよく話をする。その瞬間だけでも部屋が少しはきれいになる。今日のお客さんはケーブルテレビの業者さんでいつもと違ってパソコンの部屋など普段の客人は立ち入らない部屋に入るので私の机周りも事前に懸命に掃除をした。御蔭さまで今はいつになく綺麗な環境でキーボードを打っている。もう半世紀以上昔の話であるが終戦後の日本復興期に、天皇陛下が地方に行幸されるとその地域の道路や施設が見違えるほど整備された。同じように先月末に開催されたG7伊勢志摩サミットの時に世界の首脳の来訪に合わせて伊勢志摩地方が大幅にリニューアルしたという話があった。いまや観光目的の外国人は日本中に溢れている。外国のお客様を意識するまでもなく日本は元来が清潔だ。そのままの姿を見てもらって暖かくオモテナシできるのは実は希有な特性と見るべきだろう。
6月13日(月)   <今日も朝から雨・・・>
今日も朝から雨。テニスの準備は万端整っていたが諦めた。代わりに家で陶芸をやった・・と言いたいところだが、粘土をこねることもなし、轆轤(ろくろ)を回すこともなし。やったのは「工作」である。陶芸で92面体を作っている。正三角形80個、正五角形12個を組み合わせると球形の92面体になる。それぞれの部品は既に焼成が完了し、後は組立てるだけ。これはどう見ても「陶芸」ではない。組立はビーズやワイヤを使って頂点を合わせて固定していく。ワイヤを通す穴だけでも360個あるので、忍耐のいる工作仕事だ。最終的には花器としても使えるようにしたいけれども具体的にどうするかの設計は出来ていない。大体、直径がどれほどの球体になるのかも把握できていない。”工作”をやりながら成り行き任せで完成に近づくのもまた楽しい。
 
2016-06-13 左=組立前の全部品  右=一部組立て状態
6月14日(火)   <テレビが面白くない・・・>
テレビが面白くない。今更何を言うか、テレビなど見ている方が遅れていると言われそうだが、今日はテレビをつけっぱなしにして工作仕事を続けているとテレビを見ている(実は聞いている)のが苦痛になるほどだった。考えてみると、これまでは食事前後にテレビを見ることはあっても連続してみたことはほとんどなかった。芸能人に限らず出演者が自分たちだけではしゃいでいる、内容がワンパターンで独自性がない(報道番組もまた同じ)、超高額な出演料をもらっている特殊人である出演者が庶民の代弁をする振りをするなど、気にしてもしょうがないことばかりであるが、マスメデイアの中でも新聞に続いてテレビの存在感が薄れて行くのでないかと改めて感じた。特に民放はスポンサーが第一のお客で、視聴率が評価の全て。視聴者へ供給する「品質」は関係がないとの話がとてもよく理解できる。結局は大金を出すスポンサーさまを生かしているのは広告に釣られる庶民ということになる。

6月15日(水)   <梅雨が一休み・・・>
梅雨が一休みした貴重な一日と思って朝7時半には家を出てテニスへ。ところが9時頃から雨がポツリポツリ・・。幸い降ったり止んだりしながら、テニスには支障なかったので午前中存分にプレーを楽しむことが出来た。明日から2泊3日で信州をドライブ旅行する。宿泊地以外にまだ細かい予定を何も決めていないので、テニスの合間に仲間に相談すると、みなが実に詳しく信州を知っている。御蔭さまで具体的な訪問地の候補がほぼ固まった。翻って私が余りに観光地を知らないことを思い知らされる。明日から旅行先にノートパソコンを持参するか思案していたが、今回は持って行くつもりだ。こんな時に限って宿にWiFiがなくてホームページの改訂はできないことを覚悟はしているが、さて・・。
6月16日(木)   <今は長野県・佐久平の宿・・・>
今は長野県・佐久平の宿にいる。ノートパソコンを持参したけれども部屋にはWiFiの設備はない。ただし、別棟のゴルフ場のクラブハウスにはWiFiがあるというから、機会を見てこのHP更新をするつもりだ。今日は軽井沢の石の教会にも行った。前回は見学できなかった教会内部を十分に見ることができた。室内の写真撮影が許可されなかったので、すばらしい造作を紹介できないのが残念。石の教会(内村鑑三記念堂)と同じ星野エリアにある星野温泉・トンボの湯にも行った。とても”いい湯”でこれはお勧め。
 
201-06-16 軽井沢・石の教会
 
軽井沢・雲場池          星の温泉・トンボの湯
6月17日(金)   <今日は長野県の小諸城址懐古園・・・>
今日は長野県の小諸城址懐古園(小諸市)〜湯ノ丸高原つつじ平(東御市・とうみし)〜別所温泉(上田市)などを車でまわった。私たち夫婦にとっては初めての訪問地ばかり。これまでいかに旅行をしていないかを痛感するが、逆にどこに行っても初体験となるのは楽しい。今日訪れた場所もいずれも興味津々。懐古園では島崎藤村記念館も面白かった。湯ノ丸高原ではスキーリフトで頂上まで上り、つつじ平でいま花咲き誇るレンゲツツジを堪能した。
  
2016-06-17 小諸城址天守閣跡   城址から千曲川をのぞむ
 
湯の丸高原・つつじ平

6月18日(土)   <夕方、信州ドライブ旅行から・・・>
夕方、信州ドライブ旅行から無事帰宅し今は家のパソコンを叩いている。今日は帰路、主に美術館巡りをした。奥村土牛記念美術館(長野県南佐久郡)、小海町高原美術館(長野県南佐久郡)、清春芸術村・清春白樺美術館(山梨県北杜市長坂町)など、どれもが元気をもらえる美術館だった。中でも、「安野光雅展」が今日から開催されているのを知り是非と思って訪れた高原美術館は安藤忠雄氏設計の建築と合わせて、”来てよかった”。また昔見た教会の中に飾られたルオーの絵をまた見てみたいと行ってみた清春芸術村の教会と美術館のルオー作品はやはり”再会できてうれしい”。梅雨時期に比較的天候にも恵まれたことを含めて全てに感謝である。
 
2016-06-18 奥村土牛記念美術館 (左)   高原美術館から見た風景(右)
  
ドライブの道からみた八ヶ岳(左)  清春芸術村風景(右)
6月19日(日)   <朝食にベランダ菜園で採れたキュウリ・・・>
朝食にベランダ菜園で採れたキュウリがでた。美味しくいただきながら妻とも話したのであるが、我家で自家製のキュウリを食べたのは初めてかも知れない。もちろん子供の頃には終戦直後の食料難の時代で、どこの家でも野菜を育てた。地方で庭があったので父が麦、トマト、キュウリ、ナスなど何でも世話をして大収穫したことを思い出す。結婚後は都内の便利なところに住むことができたが菜園とは無縁だった。妻とベランダ菜園に取り組んだのは70歳過ぎて現在の陽の当たるベランダのある家に転居して、更に2~3年の歳月を経てからだ。まことに遅まきながらであっても自家製の野菜を育てることのできる環境に恵まれたことに感謝しよう。これほど立派な記念すべきキュウリは食べる前に写真を撮るべきであったと反省して、キュウリの隣で今成長中のゴーヤの写真を撮った(下)。
2016-06-19
6月20日(日)   <久しぶりの月曜日テニス・・・>
久しぶりの月曜日テニス。今日はレベルの高いグループに加わった。要するに、相手が強くてうまい、ミスが少なくスキがない。ダブルスの組合せを変えてプレーするのだが、一人でミスを連発して少なからず消沈した。テニスの心理というのも非常にデリケート。碁や将棋などの勝負事も同じだろうが相手が弱すぎても強すぎても面白くない。適度に強敵であるのがいい。今日などは絶好の相手なのだが、こちらの調子が悪すぎた。負けた気分を味わうのも時には必要と言い聞かせるのも何だか負け惜しみ。負傷すること無く元気に走り回れただけでも有難いと思おう。
6月21日(火)   <6月21日は「国際ヨガの日」・・・>
6月21日は「国際ヨガの日」であるそうな。この日(夏至でもある)を前に20日アメリカ・ニューヨークのタイムズスクエアにヨガをする人々が何千人(?)も集まったと報じられていた。タイムズスクエアにシートを引き詰めて大勢がヨガをやる光景は何か奇妙だ。テレビの健康番組でストレスが血圧、心臓、ガン、その他諸々の疾患に如何に悪影響を及ぼすかを解説していたが、それは最早常識であろう。予防法として運動と新しいところで「瞑想」が挙げられていた。ヨガは運動と瞑想を合わせたものとも言えるだろう。徐々にではあるが瞑想の効果が科学的にも実証されつつある。瞑想による脳内物質がどう作用するかなど理屈とは関係なく、紀元前5世紀の仏陀は「瞑想の知」を悟った。仏陀にしてもほぼ同時代の古代ギリシャの哲学者ソクラテスにしても自分で書いた著書はなくても弟子に伝えた思想が現代に至るまで人類の知として伝承されているのは改めて凄いことだと思う。ソクラテスが言うところの「無知の知」もまた現代でもそのまま通用する。「瞑想」も最新科学でさえ完璧には解明できない無知の領分と心得て生活習慣に取り込みたいところではある・・。

6月22日(水)   <雨続きでテニスにも行けない・・・>
雨続きでテニスにも行けないので久しぶりに陶芸の組立て作業をやった。以前に紹介した「92面体花器」で正三角形と正五角形の陶板素材は出来上がっていたが組立が中断していたもの。手間のかかる作業だが何とか上下半々の状態までを組立てたのでまだ未完成であるが表紙の「今日の作品に掲載した。この上下を合体させるのがまた一工夫、一苦労だ。家の中ばかりだと身体が鈍ってしまうので夕刻に外の散歩へ。特に意識はしなかったけれども何となく墓のある九品仏浄真寺まで歩く。そう、昨日が父の命日であった。途中で撮影した「半夏生(はんげしょう)」を「今日の写真」として掲載する。葉の半分が化粧しているように白くなる半夏生はまさに梅雨の植物。季節(七十二候)では夏至から数えて11日目、7月1日が半夏生だから今はまだ少し早いことになる。更にもう一枚、梅雨どきの紫陽花も入れた。

 
2016-06-22 半夏生 & 紫陽花


6月23日(木)   <午前中は土砂降りの雨・・・>
午前中は土砂降りの雨。木曜日はテニスの日であるが悩むことなくお休み。その代わりに家でやりたいことがはかどる。午後になると雨は止み、夕刻には快晴になった。それではと駒沢公園方面をウォーキング。久しぶりに「駒沢オリンピック公園総合運動場・屋内球技場」の改築工事の進捗も確認した。3月から機会があれば工事状況を写真に撮っているが5月は今日が初めて。順調に工事が進んでいるようであるが、ダイナミックな建造物の面白さは当初ほどでなくなってきた(写真下左)。散策中に花の写真を撮るのも楽しみ。遠目には木槿(むくげ)かと思ったけれど白い花は芙蓉だろうとか(いや、立葵にも似ている)、昔一生懸命覚えた記憶がある金糸梅の黄色い花を見つけたとか、花の名前を思い出すのはノートレになる。
 
駒沢公園にて屋内競技場工事  右は芙蓉&金糸梅
6月24日(金)   <今日は歴史に残るニュース・・・>
今日は歴史に残るニュースを書いておかねばならない。英国の国民投票でEU離脱派が勝利。直前の予想だと拮抗しているけれどもEU残留派がわずかの差で勝利するのでないかとの見方が一般的であった。結果は、51.9%の得票率でEU離脱が決定した。英国はこれから新たな道を進む。EUもまた大きな試練を迎え、世界の先行きは不透明だ。こんな時、友人が面白い話を教えてくれた。東の島国・日本に対して西の島国・英国。昔から比較されて、こうも言われた。「日本人は愛されるが、尊敬されない」、「英国人は嫌われるが、それでも尊敬される」。日本人は情を重んじる余り、原則に徹しきらないのに対して、英国人は行動規範を明確にして原理原則を曲げないという国民性は分からないではない。今回EU残留という原則を明確にする作戦が裏目に出たのか。”それでも尊敬される”かは疑問だ。日本の場合、厳しい基準に従った指導力で尊敬されるよりも、情緒たっぷりな創造物で文化を愛する世界の人から尊敬されるのが相応しい。
6月25日(土)   <千曲川というと島崎藤村・・・>
千曲川というと島崎藤村の「千曲川旅情の歌」が思い浮かぶ。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ・・千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ・・」。弘田龍太郎の作曲の歌はかつては数少ない私の愛唱曲の一つであった。そんな叙情的な千曲川にいくつもダムがあることを先々週の信州ドライブ旅行で初めて知った。小諸の懐古園(小諸城址)を訪れた時に園内の高台からちょうど千曲川のダムの付近を眺めることができた。「今日の作品」として掲載した「Mieuへの絵手紙/千曲川」(水彩)はそこの風景を描いたもの。 ダムの名前は「西浦ダム」といい、東京電力の発電用のダムであると言う。千曲川は信濃川水系の一つで千曲川を含めた信濃川水系は日本屈指の水力発電地帯。日本ではどんな奥地・山の中に入っても治山治水が整っているのに心底感動する。余りに当たり前で一般的には有難さを感じなくなっているのでないか。冒頭に挙げた藤村の歌で、次ぎにくる「濁り酒 濁れる飲みて草枕しばし慰む」の歌詞が大好きだったことも思い出した。

6月26日(日)   <今日は珍しく黒の背広に白ネクタイ・・・>
今日は珍しく黒の背広に白ネクタイの一日。甥の結婚式・披露宴に招待されたのだが、最近は結婚式にはほとんど縁がなくなっていた。黒ネクタイで葬式にでる機会ばかりであったのは如何ともしようがない。普段はジーパンにTシャツであるのが盛装して鏡の前に立つと別人のようになるのが不思議だ。晴れ舞台に立つまでいかなくても、たまにはネクタイをすることは必要に思えた。普段使いの居間にお客様を招待すると緊張して元気になるのと同じ心理か。これから結婚式を期待することは無理だから時には盛装をしてデイナーをするチャンスでも作ろうか・・。緊迫感が脳を活性化する。 ・・「今日の写真」として結婚式があった都内のホテルのロビーで撮った写真を掲載した。左側の豪勢な樹木は「ゴンスケハゼ」との名があった。別名「夏ハゼ」といい夏に葉が赤くなるという。
 
2016-06-26 左=ゴンスケハギ  右= 紫陽花の上に七夕
6月27日(月)   <多数決が最適な意思決定・・・>
多数決が最適な意思決定のやり方とは限らない。ヒットラーが政権を奮取した後、国民投票をして国民の意思だとして強引に政策を押し進めたことはよく知られる。英国のEU残留か脱退かを選択する国民投票は全く拘束のない自由投票であったにしても単純に賛否を問う前にどれだけ内容を議論したかは疑問だろう。EU離脱が決まって3日経った今日になって英国内でも戸惑いがでてきているようだ。投票前に離脱派が勝利すると思っていた人は19%であったという。だから、残留派に投票せずに、よく分からないけれど離脱に投票したとか、離脱に投票してしまったけれど、やり直しがあるなら次には残留にするなど、安直な意見がインターネット上では飛び交う。そんな事を言っても”覆水盆に返らず”。さて英国はこれからどうなるか。・・国民投票を拡大させた形で世界中の人が賛否を問う投票をするケースを考えると恐ろしくなる。これは中国やインドが圧倒的に優勢となる。日本は中国の十分の一の少数派だ。
6月28日(火)   <表紙に「今日の作品」・・・>
表紙に「今日の作品」として「Mieuへの絵手紙/ゴーヤ」(水彩)を掲載した。我家のベランダ菜園でいま育っているゴーヤをそのまま描いたもの。少し前にゴーヤの隣に咲いていた「胡瓜の花」を描いて掲載したが、ベランダで収穫したキュウリとトマトは既に美味しくいただいた」。ゴーヤは前に(6/19)写真は撮ったがまだ食していない。近々、食卓に上るのを楽しみにしている。以前にも書いたが、いわば晩年になって初めて自家栽培の野菜を食べる事が出来るのを素直に喜びたい。ベランダの菜園だけでもこれだけ充実感があるのに、世の中には庭や土地があるのに何もしない人が大勢いる。最近は放置されている土を見ると何か野菜を育てるお手伝いをしたくなる・・。

6月29日(水)   <今日テニスで組んだパートナーの女性・・・>
今日テニスで組んだパートナーの女性が元オートバイのライダーだったと知って驚いた。”女性”と書いたが70歳後半(80近いか?)の元気なおばあさんだ。このおばあさん、日本中の温泉や観光地の事を実によく知っている。私たちが少し前に行った軽井沢の温泉のことも、あそこは設備はいいけれど値段が高いとか、山陰の城崎温泉はどうだとか、詳しいので車で行ったのか尋ねたところ、若い時に日本中をオートバイで廻ったとの話。大きなオートバイは脚が着かないので高速道路を走れる最低の排気量である250ccのバイクを使ったという。オートバイは駐車スペースが少ないので地方にフリーで行った時には便利だとも言っていた。・・テニスで一つのボールを打ち合っているゲーム中は誰もが同じように見えるが、その職業、元の職業を聞くと本当に多種多様、バラエテイーに富んでいる。これまでも、美容師、ジャーナリスト、画家、教師、学者、医者、建築家、レストラン経営者、店舗経営者、更に会社員、公務員を含めて際限ないくらい多くの職種の人とプレーした(なにしろ40~50年のテニス経歴だ)。それにしても、元女性ライダーには脱帽。
6月30日(木)   <久しぶりに智美術館・・・>
久しぶりに智美術館(東京・港区虎ノ門)に行った。「秋山陽・アルケーの海に」と題する陶芸展(7/24まで=ここ)が開催されており、以前から行くチャンスを伺っていたが、今日は梅雨空の下、暑過ぎず美術館巡りは絶好だった。秋山陽の陶芸は実用的な陶芸とは別世界で抽象的な彫刻のイメージ。巨大な作品が多く、2m~3mに及ぶものもある。電気窯は言うに及ばず、穴窯や登り窯でも中に入りきらない大きな物をどうやって焼成したのか会場で問うたところ、別々に焼いて組合わせたものもあるとのこと。「アルケー」とは「原初」とか「根源」を意味すると解説されていたが、黒褐色で亀裂や断層を荒々しく表現した巨大な塊は地球創成時に神が創りたもうた創造物のようにも見える。無用の用というが、実用の食器や花器と異なる焼き物の大塊もまた人を元気にする。
 
2016-06-30 智美術館・西洋館  右は美術館の玄関


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