これまでの「今日のコラム」(2016年10月分)


10月1日(土)   <今日から10月・・・>
今日から10月。先ず月が変わった事を教えてくれたのが、朝6時25分からはじまるNHKテレビ体操。タイトルバックが昨日までの夏模様から紅葉した秋の画面に変わった。このNHKテレビ体操は毎日一緒に体操をする親しい番組だが、一つだけ気に入らないところがある。それは男の先生が体操のポイントを教える時に、自分で悪い例をやってみせること。だらしなく手を曲げたり不細工な動きのマネが実にリアルなので、後から悪い例の残像が尾を引き感じが悪い。下手な例を見せなくても美しいお姉さん先生の姿を見ているだけで十分であるのに・・。マスコミは同じように悪いモデルを懇切丁寧に報道する。点滴の用具に注射針を使ってどのようにすれば毒物を混入できるかなど犯罪の手法を必要以上に細かく解説することは、社会に害毒を流すのと同じと思わないのだろうか。マスメデイアは犯罪の手口を事細かに伝えるよりも隠れた善行でも探して欲しい。悪い手本はもう結構・・。
<今日も表紙に新しい正三角形(陶芸作品)を掲載>


10月2日(日)   <今日は息子の月命日&・・・>
今日は息子の月命日&娘の誕生日でもある。妻は今日になって娘の誕生日プレゼントを送るため郵便局(日曜日であるので本局)にいった。ニューヨークに住む娘の所に届くのは一週間後か。外出と合わせて墓参りもする。今回は墓のある寺の風景でなく仁王門(山門)の中にいる金剛力士像と境内の仏像の写真を掲載する。久しぶりに晴れた穏やかな日曜日。昼を外食にして親戚宅に立寄ったところ、話が弾んで夕食まで一緒にした。
今日、表紙に掲載した新しい正三角形板(陶芸作品)はどちらかというと不本意な部類。元来、色々条件を変えて焼成しているので思った通りにはならないけれど、意外にいい場合と、思った以上に悪い出来がある。過度には期待しすぎないこと、これが落ち込まない秘訣・・。

2016-10-02九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて
10月3日(月)   <午前中は小雨の中を・・・>
午前中は小雨の中をテニス、午後はベランダ菜園で植え替え。今年はじめてのベランダ菜園一年生として夏の花は大成功だった。特にサフィニアという花は箱庭をはみ出るほどに増えて今でもまだ咲いている。その生命力にただ唖然とするばかりだが、いま、秋ー冬用に新たな花に転換しようとしている。小さな菜園をあらためて近くで見るとサフィニアとかサンパラソル、ニチニチソウのように派手ではないが小さなパンジーやコリウス(?)などが密やかに生きているの気がついて写真を撮った。
今日の表紙に掲載した正三角形板(陶芸作品)はただ一色の仕上がりであるが、テスト内容としてはそれなりに成果があったもの。粘土の種類によって同じ釉薬でも色調や模様の出方がガラリと変わる。もちろん、焼成温度や釉薬を溶かしている時間にも左右される。人間もあらゆる生物も、そして焼き物も全て”環境の子”・・。
2016-10-03
10月4日(火)   <今年のノーベル医学生理学賞・・・>
今年のノーベル医学生理学賞に大隅良典さん(71歳)が選ばれた。細胞内で古くなったり傷ついたタンパク質を分解し細胞を再生する「オートファジー」(自食作用)という仕組みをクリアにした業績。例によって20年以上前に成果を出していた研究がノーベル賞受賞とともに一夜にして日本中で注目を浴びる。大隅さんへのインタビューで、研究を開始した当時は人気のある研究テーマでなく、どのように社会のためになるか分からなかったけれども個人的に興味を持ち面白いと基礎研究にのめり込んだのが、結果的に幸運にも世界が認める成果を得たと語ったのが印象的。ノーベル賞受賞者には心底おめでとうといいたいが、一方で社会では大きく騒がれなくても、ほとんど同じようなレベルの研究や開発が山ほどあることを心しよう。
今日の作品として表紙に「Mieuへの絵手紙・葉など」(ペンと水彩)を掲載した。このところ毎日陶芸作品を表紙に掲載していたので、随分前に描いた「絵手紙」を失念していた。また「今日の写真として三軒茶屋の「ゴリラ」を下に掲載。このビルはゴリラビルとして知る人ぞ知る。
2016-10-04 三軒茶屋・太子堂(東京・世田谷区)のゴリラ


10月5日(水)   <今開催されている「楽天ジャパンオープンテニス」・・・>
今開催されている「楽天ジャパンオープンテニス」(@有明の森)で期待の錦織はポルトガルのソウザ選手と対戦し、第一ゲーム、ドロップショットを決めていきなる相手サーブをブレイクした。試合は結局、錦織が途中棄権で敗退(腰と左腹辺り負傷とか)したが、鮮やかなドロップショットを決める錦織を見ていて思いだしたことがある。かなり昔の話であるが、少々動きが鈍くなった年配者とゲームをやっている時に私がドロップショットを決めると”卑怯者”と言われた。年配者にはそれなりに手加減はしていたが、それ以来自分の技を最大限出せない相手との試合はあきらかに面白くなくなった。「卑怯者」とはどういう意味か。ちなみに英語で、dastard,coward などとある。口語では、chikenの語も使うようだ(憶病者とか、腰抜けのニュアンスも強いのか?)。技を決めた相手を”卑怯者”呼ばわりしていると、ルールに則った全てのスポーツやゲームは成り立たない。今の私は相手にドロップショットを決められることもあるし、稀にノータッチとなるケースもあるが、うまいショットには心底”お見事”と感心して爽快になる。
10月6日(木)   <今日、東京では30℃を越す真夏日・・・>
今日、東京では30℃を越す真夏日となった。恐らくは今年最後の真夏日と思って我慢ガマン。先日のコラム(9/25=ここ)で世田谷区立の「ねこじゃらし公園」に行ったけれども「猫じゃらし」を見なかったことを書いた。けれども少し注意すれば都内でも今は色々な場所で「猫じゃらし」を見かける。子供の頃は田舎に住んでいたので「猫じゃらし」はもっと身近にあり実際に猫をじゃらしたり、手で繰り返して握ったりして遊んだ。いつの時点かで「ねこじゃらし」は俗名で正式には「エノコログサ」という植物と教わった。更に、「エノコログサ」は、花穂が犬の尾に似ていることから「犬っころ草」が語源と知ったのは比較的最近である。植物の名前は多種多様。覚え難い名前も多い。語源を調べるとそれぞれに履歴はあるにしても、犬のつく名の野草「イヌノフグリ」などもう少し別の名前を付けてあげられないのと思ってしまう。
2016-0-10-06
10月7日(金)   <昨日、突如、全身にじんましん(蕁麻疹)が発症・・・>
昨日、突如、全身にじんましん(蕁麻疹)が発症した。一晩寝ると直るだろうと思っていたが、夜中に目が覚めるほどひどくなり今日は医者で見てもらった。かなり昔にはサバに当たってじんましんが出た事はあるが、私は食べ物のアレルギーもなく今回ほどのじんましんがでた記憶はない。一昨日の水曜日に7日間続けたピロリ菌除去の薬を、飲み終えたたところで、その次の日の発症だったので、ピロリ菌退治に絡んだものかとも推測したが、お医者さんは抗生物質など薬の関連であれば飲み始めた直後にでるだろうといい、原因はハッキリしない。私は幼少時に清潔さとは無縁であった事には自信がある。終戦で何もない時に不潔な環境で育ったので大抵の免疫は出来ている。胃の中には当然ピロリ菌はいるし、小学校の頃には定期的に回虫の駆除もやった。もしかすると、今回のピロリ菌の除去によりある種の免疫がなくなる事がないのか疑問に思ったが、お医者さんは、それはないという。いずれにしても普段は気にもしなかった全身の皮膚がこれほどデリケートなのかと驚くばかり。発症してはじめて正常の有難さを知る。
10月8日(土)   <小学校の担任の先生が100歳・・・>
小学校の担任の先生が100歳で亡くなったとのことで妻が昔の同級生と連絡を取り合っている。今年になってその先生の100歳を祝うクラス会を開いたばかりだという。それにしても卒業から60年を経て教え子たちが集まり祝ってくれる先生は幸せものだ。ある男の子(といってもお爺さん)は地方へ旅行したお土産を先生に届けることまでしていたとか。その女の先生は生涯独身で過ごし、子供はいなかった。卒業した子供たちとのつながりは先生と生徒というより母親と子供たちの関係であったのかも知れない。それもお互いに人間として信頼で結ばれた関係だったのだろう。今時、100歳を越えて亡くなる人は珍しくないが、大抵は親族だけの密やかな葬儀で澄ます。この先生の場合には、多くの元生徒と言う仲間に見送られてあの世への逝く。人生それぞれ、旅立ちもそれぞれ・・。
10月9日(日)   <表紙に陶芸作品「正三角形板12」・・・>
表紙に陶芸作品「正三角形板12<92面体素材>」(陶芸)を掲載した。92面体用の素材を釉薬模様のテストピースとして色々と条件を変えて試みているので、まだまだ続く。これまでは主に油滴天目とか茶天目など天目茶碗に使われた釉薬をベースにして釉薬の塗布厚さを変えたり部分的に他の釉薬と混ぜたり焼成温度を変えたりしてきたが、今回掲載したものは「ワラ灰白萩」という灰系の釉薬を使った(土は赤土系、焼成時間は特別に設定)。いま、ノートに一枚焼き上げる度にどのような条件で焼成し、結果がどうであったかを細かく記録に残している。当然の事ながら同じ釉薬でも土で変わり、塗膜の厚さ、温度条件などで仕上がりの色合いが随分異なる。ピークの温度(例えば1230℃)からどこまで温度を下げて保持するかでも変わる。現在は出来合の釉薬を適宜混ぜて使用するが、成分ごとの混合比を測定してきちんとデーターをとるケースもある。とにかくも確実にそして狙いを定めた結果を得るためには研究室並みの地道な作業が必要となる。ただし、当面は釉薬の個々の原材料成分までは立ち入らないつもり。”陶芸作品”として割り切るならば、むしろ偶然に期待して神のなせる業を楽しんでいるほうが気楽である。

10月10日(月)   <陶芸教室の昔からの仲間と食事・・・>
陶芸教室の昔からの仲間と食事をしている時に、”○○さんの奥さんもひらせさんの奥さんのように役に立たないものを作るように言ってくれればいいのに・・”と言われた。男性が陶芸でお茶碗とかお皿などを作って家に持ち帰ると、奥様から有り余ったものばかりでもう結構、置く場所もないからいらないと言われるケースがある。実際に家に持ち帰れなかったり陶芸自体が続かなくなったとはよくきく話だ。私の場合、はじめから役に立たないものを前提に妻が認めてくれている話をどこかで仲間にしたのだろう。今は生活に必要な食器類は大抵用が足りている。あえて手間ひま、費用をかけて余分に作る事はない。私が作るものは、はじめから実用品でない、無駄なものと宣言して家に収納もしてもらっている。先日ノーベル賞を受賞した大隅さんが基礎研究の場合、”何の役に立つの”と問われると研究ができないという趣旨を話していたことを思い出す。実益は見えなくても”何か面白い”と思えるものを作り続けられるのは妻のサポートが重要であったことを陶芸仲間が教えてくれた。
「今日の表紙」に陶芸作品「正三角形板13<92面体素材>」を掲載した。黒地は油滴天目釉。写真では見づらいが軽く油滴模様がでている。


10月11日(火)   <サントリー美術館、根津美術館・・・>
サントリー美術館、根津美術館、国立新美術館、五島美術館、静嘉堂文庫など行きたい美術館を調べると今日は全て休館。休日の月曜日の翌日である今日(火曜日)はそういう特別の日であった。・・ということで美術館行きは止めて家の仕事をする。最近はノコギリやらドライバーを使う大工仕事が際限なくある。DIY仕事はアウトプットがはっきり見えるので楽しい。さて、今日は風呂で読んでいた加島祥造(昨年12月に92歳で没)著の「求めない」から一部引用しよう。これは「求めないーすると いま持っているものが いきいきとしてくる」などの言葉を連ねた詩集だ。「求めないーすると 自分の好きなことができるようになる」、「求めないーすると 判断がフェアになる」、「求めないーすると 失望しない」・・。表紙には新しい陶芸作品「正三角形板14」を掲載した。写真では黒い地に見えているが織部という緑系の釉薬をかけたもの。粘土として鉄分の多い赤土を使ったので黒が勝って表れた。陶芸作品の出来映えも、独りよがりの理想を求めているとまず失望する。無理に求めずに素直に見ると、どれもが実に趣がある仕上がりにみえる。求めなければ全てが美しく、はるかに面白くなるのは本当だ。

10月12日(水)   <昭和記念公園(東京・立川市)に彫刻展・・・>
昭和記念公園(東京・立川市)に彫刻展を見に行った。4年前に亡くなった彫刻家・渡辺隆根さんの回顧展。渡辺さんは個人的にもつながりがある彫刻家だったので国立新美術館など何度も展覧会には行ったことがあるが、今回は広い屋外に渡辺さんの作品だけが展示されており、秋晴れのもと、これまでになく気持ちのよい贅沢な雰囲気で鑑賞した。渡辺さんの彫刻は抽象的なシンプルな作品であり、私の好みとも一致しているので、見ているだけで創造脳が刺激される。彫刻というのは極めて多様であり、どのような場所に設置されるかも意見が分かれるところだろうが、私は渡辺さんの作品は今回のような屋外に常設して欲しいと思った。できれば渋谷とか六本木など街の通りの中に置いてみたい。作品によっては自由に座れる椅子としても馴染むのでないか。芸術品として室内に鎮座しているのでなく、人々の日常の中で多くの人を癒す・・、それはそれで彫刻家の本望でないか・・。
 
2016-10-12 昭和記念公園入口近辺
 
渡辺さんの彫刻作品
10月13日(木)   <木曜日テニス・・・>
木曜日テニスは久しぶりに昔からのメンバーが顔を揃えた。最高齢は84歳の先輩であったが、以前に増して安定したショットを打つのに感心した。むやみに力を入れないけれども実に切れのよい球だ。何よりミスが少ない。われわれのテニスは3回に1回強力なショットが決まるより3回ともに確実につなげる方が勝つ。この大先輩と組んで圧勝した後、休憩時間にはその元気の秘訣を聞き出す。この先の自分の目標ともいえるプレースタイル、それを可能にする体力は全て生活習慣がベースであることは間違いない。。それにしても健康に関するガイダンスは今時目移りするほど数が多い。結局はどのような健康法にしても理屈でなく実践あるのみ。それも継続しなければ意味がないだろう・・。
今日の表紙には新しい陶芸作品「正三角形板15」を掲載。これも粘土と釉薬、温度など相関データ採取の一つ。

10月14日(金)   <国立新美術館(東京・六本木)に独立展・・・>
国立新美術館(東京・六本木)に独立展を見に行った。友人から秋のこの時期になると独立展の招待状をいただく。絵の展覧会を見ることは大好きなのだが、国立新美術館で開催される展覧会には毎回絵の多さに圧倒されて食傷気味になる。今回も同じで楽しむ以前に、絵画とは何か、人間とは何かなど本質的なことを考えさせられてしまった。先ず出展している画家の数が700人余、絵の大きさが巨大で500号(約3m×2m)を越すものも多い。しかも絵はよくいえば思索的かつ個性的だが”独りよがり”に感じるものばかり。人間の醜いところをえぐり出すとか、骸骨や肉体をリアルに描いてみたり空想の世界に浸るのだが、どれもが新鮮味がなくワンパターンに見える。画家はみなさん全く自由で制約がないと無理矢理に独善的な思想を持ち込みたくなるのか。どうして美しいものを素直に描かないのか。生きている事に感謝する姿勢がない表現では他人を感動させることができない。・・好きなことを書いてしまったが招待状をいただいた人の絵はほとんど唯一静かな落着いた絵画でホッとした。人それぞれであろうが、絵画の山の中で、何もない空白が一番と思わせるなら”描く”とは一体何なのだろう。
 
2016-10-14 国立新美術館 右は帰途に立寄った東京ミッドタウンの檜町公園
10月15日(土)   <秋到来・・・>
秋到来。どんなに酷暑が続こうが、長雨ばかりであっても時期がくれば確実に涼しい秋晴れが訪れる。こんな当たり前のことに感動するようになった。一方で昨日鑑賞した絵の展覧会の後遺症が残る。多くの人間が芸術の名の下に物凄いエネルギーを使う。それが他人を元気づけるのなら大いに結構なのだが”理解できない”われわれには不愉快で気が沈むだけなのに・・。何もしないか、あるいは、そのエネルギーを他人が喜ぶボランティア活動でも割ければどれほどか人のためになる・・。そんなことを考えていると自分の作品づくりもできなくなった。こんな時には自然が一番。人工物の怪しさや虚構から目をそらすと自然は正直だ。
今日の写真としてススキ(薄)と小菊を下に掲載する。「おもしろさ急には見えぬ薄かな」(上嶋鬼貫)。
 
2016-10-15
10月16日(日)   <「初」の漢字は、「衣(ころも偏)+刀」・・・>
「初」の漢字は、「衣(ころも偏)+刀」。刀で衣服を裁断することを意味し、これは衣服を作る手始めの作業であることから「はじめ」となったと知った。今朝、朝の6時からのNHK短歌(Eテレ)の題が「初」で、文字の成り立ちを教わった次第。この短歌の時間のゲストが俵万智さんだった。俵万智さんの「サラダ記念日」が発行されたのが1987年だから、ざっと30年前。私など短歌と無縁の世界にいたけれど「サラダ記念日」だけは愛読した。今も本棚にはサラダ記念日の英訳本(カーペンター訳)まで持っている。俵万智さんのその後の人生は薄々知っていたが、今はシングルマザーとして小学生の息子さんを育てながら元気に活躍されているようだ。東日本大震災までは仙台に住んでいたが、震災を契機に沖縄の石垣島に住んだり宮崎に移住したりとご苦労を重ねながら・・。今の時代、インターネットのtwitterによれば親しく近況を垣間みることができるのもうれしい(twitter=ここ)。  "This tastes great" you said and so the sixth of July - our salad anniversary.
10月17日(月)   <表紙の作品を陶芸の新作「正三角形板16」・・・>
表紙の作品を陶芸の新作「正三角形板16<92面体素材>」に入れ替えた。毎回同じような三角形板ばかり掲載するが、内容は異なっている。一枚ずつ条件を変えて同じものは二つとないのだが一見その差は分かり難い。この正三角形の板は一辺が17cm足らずの寸法であるので家の電気窯で焼成することが出来る。92面体を作るためには、正三角形につなげる正五角形が必要で、これは家の窯に入らないので陶芸教室の窯で焼く。・・今日の月曜日は朝から雨。テニスには行けないので、家での陶芸仕事がはかどることとなった。下に正三角形板の整理状況の写真を掲載してみよう。全てに番号をつけて、その粘土の種類、釉薬の種類と塗布条件、焼成温度条件などを別のノートに記録している。何だか実験ノートのようであるが、最終的な作品がどこまで面白くなるか、見応えのあるものが出来るかは全く別問題だ。
2016-10-17
10月18日(火)   <一般に「太子堂」とは「聖徳太子の像を祀った仏堂」・・・>
一般に「太子堂」とは「聖徳太子の像を祀った仏堂」をいうが、東京・世田谷区には三軒茶屋に隣接して太子堂の地名がある。1丁目から5丁目まである大きな街で西太子堂駅とか太子堂中学校など太子堂は地元に密着している。今日は下北沢の陶芸教室から三軒茶屋まで歩いて帰る途中で、太子堂の町名の元となった寺・円泉寺に立寄った。本堂は変哲もない寺だが境内にはケヤキの巨木がある。太子堂の横の屋内に聖徳太子像があったが品格がない像なので写真掲載は止めた。全国では寺の数は75000余(東京でも2800余)。寺社は税制上は随分優遇されているというものの、何か前向きの活動を取り込まなくては将来はないと直感で感じてしまう。逆に、お寺もまたやり方一つでもっともっと元気になるのでないか・・。
 
2016-10-18 円泉寺境内      右は円泉寺内太子堂
10月19日(水)   <先のことは分からない・・・>
先のことは分からない。色々なケーススタデイーを行なって将来を予想したところで想定外のことが起こるかも知れないし何もないかも知れない。地震など自然災害、自分や周囲の人の健康、生死など心配すれば際限がない。今住んでいる借家は親戚との奇跡的なつながりで極めて満足して使用させていただいているが、ただ幸運を感謝するのみで事前に計画とか予測は全く出来なかった。最近、知人の中にも「終活」といって身辺を整理する人がいるが死んだ後のことを考えながら長生きする人が何と多いことか。私が陶芸で大きな作品を作っていると亡くなった後どうやって処分するのか心配してくれる友人がいた。そんなことを考えていては”創作”はできない。格好をつけると、「無心に励む」とでも言うのだろうか。生きている間はいうまでもなく、死んだ後のことなど、”なるようになる”、”ケセラセラ”・・。
10月20日(木)   <明日から穴窯の窯焚き・・・>
明日から穴窯の窯焚きが始まる。陶芸教室の有志が茨城県石岡市での窯焚きに参加するのであるが、明日から窯を焚き始めて、24時間通して薪を供給し続けて丸3日かかる。交代で薪を焼(く)べるのが仕事で設定の温度になるようにコントロールする責任を負うことになる。今回は私は明後日からの参加、それも夜中のシフトはなしとして昼間だけとしてもらった。穴釜の面白さは燃え方、つまり灰や炎の流れ方などがその都度変化するので、結果を見なければ焼き上がりの模様が予測できないところにある。窯の中の場所が変わればまた仕上がりが変わる。自然にお任せ、まさに”なるようになる”ところが今時の電気窯の焼成と異なる所だ。今から英気を蓄えておかなければならない・・。
今日の最高気温は28度(東京)。これも今日限りの特異日であるようで、明日からは涼しくなるだろう。今日の写真は晴れ上がった駒沢公園近辺にて。
 
2016-10-20 左は建設中の駒沢・屋内球技場
10月21日(金)   <「花鳥風月」という言葉・・・>
「花鳥風月」という言葉があるが、なるほど美しい自然の造形物を鑑賞し自然の不思議さに感動する言葉として見事な取り合わせだ。花は見れば見るほど美しいし、鳥はいくら見ていても飽きがこない形で昔から絵画に描かれたのがよく分かる。風は見えない痕跡の妖しさ、月は毎日変化する宇宙・・。しかし、考えてみるとこんな感慨を持つに至ったのは現役をリタイアして余裕ができてからと思える。以前は自然には目もくれずトラブルの処理に追われた。今日、ベランダ菜園に新しくコスモスの花が咲いた。これまでは園芸にも縁がなかったので花が咲くだけでも感激してしまう。今回はコスモスを高く伸ばすのでなく。半分は地中にとどめて背を低くするようにした。一時花が駄目になったかと思ったが、徐々に花芽が育ってきた。周りを見ると次々と新しい花もみえる。コスモスの花を写真にとる瞬間は何とも言えない幸せを感じるから家庭園芸はやってみるものだ・・。
明日は茨城・高岡市で穴窯合宿。パソコンは持参せずにコラムも休みます。
2016-10-21
10月23日(日)   <先ほど、夜の9時過ぎに帰宅・・・>
先ほど、夜の9時過ぎに帰宅した。夕方、4時過ぎまで筑波山の見える茨城県石岡市の窯で穴窯を焚いていた。最後は1000℃を越える温度のまま窯を封印して自然の冷却に任せる。窯出しは来週の土曜日だ。今日のところは写真を掲載して雰囲気を語ってもらおう。
 
2016-10-23 回廊窯 穴釜の風景
 
今朝、宿舎からみた風景      右は窯場からみた筑波山
10月24日(月)   <縄文土器にみるように・・・>
縄文土器にみるように10000年前の縄文時代に日本でも土器が焼かれた歴史がある。土を煉り固めて成形して野焼きで固めたものが土器と呼ばれ、世界最古の土器は中国で発見された土器片で約2万年前とものという。一方、「窯」の技術が日本に伝わったのは5世紀の古墳時代(1500年前)とされる。「野焼き」では温度が600~800℃程度にしか上がらないが、くぼみを掘って焼成するための部屋を設けた「穴窯」ならば木材を燃やして1000℃以上の高温で焼成できるようになった。・・昨日まで参加した「穴窯」では 1000年前と同じように何十時間も薪を燃やし続けた。あらゆる面で技術が格段に進化している現代において、こんな「穴窯」が何故存在できるか。自動操作の電気窯で大量の陶器を生産するものと違った手作りの味を求める以外に今でも「焼き物」は窯から出してみないと結果が確実には分からない面白さも大きい。今の日本には国宝の「曜変天目茶碗」(例=ここ)が三椀あるが、いずれも約900年前・南宋時代に中国で制作されたもので、現代の科学技術を駆使して陶芸家が一生をかけて研究してもその類い稀なる模様を完全には再現できないとか。焼き物の偶然性が理屈を越えているので現代でも陶芸が生きている。
今日の表紙に掲載した正三角形板17(陶芸)もまた随所に思惑と異なる結果が生じた作品。

10月25日(火)   <一昨日の穴窯での窯焚き・・・>
一昨日の穴窯での窯焚きの時の話。炉内の温度を監視しながら、一つは焚き口から薪を数本(その都度、本数も変わる)投げ入れること、もう一つは薪の束を焚き口に長さをそろえて積み上げておき、時間とともに何度かに分けて炉内に押し込んで行くこと、この二つの作業の繰り返しが主であった。初め私は薪を投げ入れる時に腰が引けていると注意されたが火に馴れると直ぐにうまくいくようになった。指導の先生は全ての手順を見て覚えるようにくどく言った。言葉での説明を順次引き継いで行くと、どこかで自己流の作業に変わってしまうので言葉に頼り過ぎるのはよくないと経験を語った。そして作業はリズムが重要だという一方で、状況を見て臨機応変に作業を変える必要もあるとも言った。炉内の灰の蓄積など燃焼条件は刻々変わるので同じことの繰り返しだけでは炉内の温度を上げたり維持したりできない。リズム通りの作業と臨機応変な対応のミックス・・窯焚きに限らず何にでも応用できるノウハウなので喜んで納得。
今日の表紙には久々に「Mieuへの絵手紙」を掲載した。今ベランダで咲いているコスモスを描いたもの。

10月26日(水)   <鈴木其一の展覧会・・・>
鈴木其一の展覧会を見た。サントリー美術館で開催されている「鈴木其一・江戸琳派の旗手」展は会場入口に”あと5日”と表示があった(10月30日まで)。そのためか朝10時の開館前に美術館に着いたが、既に大勢が並んでいた。鈴木其一(すずききいつ・1796~1858)は江戸時代後期に琳派の画風を基盤にしながら独創的な作品を多く残し、伊藤若冲など並んで最近特に注目されるようになった。俵屋宗達や尾形光琳らが確立した琳派を江戸の地で再興を図ったのが酒井抱一。抱一の一番弟子が鈴木其一とされる。同じ琳派の流れといいながら、それぞれが先人の模倣でなくオリジナリテイーを存分に発揮しているのが日本絵画の伝統か。其一の絵にも琳派の枠を飛び抜けた自由さと思い切りのよさがある。先日、国立新美術館で開催された現代画家の展覧会を見に行って、すっかりくたびれたことを思い出した。それと真反対に鈴木其一の展覧会で大いに元気をいただくことを何か素直に喜べない・・。
2016-10-26 六本木・サントリー美術館脇にて
10月27日(木)   <外出する時にケイタイ(i-Phone)を・・・>
外出する時にケイタイ(i-Phone)を持っていくのを忘れた。まず、バスの待ち時間をいつものようにチェックできない(バスナビ)。 待ち時間や電車の中で最新ニュースが見られない(ニューズパス)、週刊誌も読めない(dマガジン)。毎回テニスの待ち時間に行なう体調の確認も出来ない(cocoloco)。時計を持っていないので時間が分からない(時計)。何より家に帰宅時間を連絡できない(電話)。写真を撮りたくても写真を撮れない(カメラ)。・・こうして書き出してみると、不便なようだが生活する上で大勢に影響はないともいえる。今やケイタイを「携帯」するのは当たり前であるが、たまにはケイタイなしで、生活するのも悪くはない。そうするとケイタイの便利さをあらためて再認識することになる。
10月28日(金)   <「風呂敷」は・・・>
「風呂敷」は最近は海外でも「FUROSHIKI」として通用するようになりつつあるという。単なる正方形に近い布を使い巧みに物を包んだり収納するやり方は奈良時代から伝わる日本独自の文化遺産。日本の国内でもエコで優れた機能性を有する風呂敷が見直されて色々と風呂敷の普及活動がなされているようだ。・・風呂敷のことなど書き始めたのは今日のテニスで久しぶりに組んでプレーした女性が風呂敷の専門家あることによる。以前から時々テニスを一緒にやってはいたが、最近まで彼女が風呂敷の普及活動を行っている専門家であることを知らなかった。彼女のテニスはなかなかの腕前で、テンポがよく、しかもミスも少ない。”風呂敷”とはなかなか結びつかないところが面白い。風呂敷文化研究家である彼女のホームページを紹介しておこう(=ここ)。ただし、私はホームページに掲載されているような彼女を見たことがない。いつもテニスウェアスタイルで日よけで顔も覆っている。
10月29日(土)   <渋谷に所用ででかけた・・・>
渋谷に所用ででかけたのでハロウィンのにぎわいを少しは期待していたが、真っ昼間であったせいか、いつもとほとんど変わりない人出にみえた(下にスクランブル交差点の写真)。多くの外人に出会ったがこの地区では普段も同じだ。ところが今午後7時のニュースでは渋谷でハロウィンの仮装をした人が増えてきており、今夜の深夜から明日にかけて最高の人出が見込まれるので警戒体制がスタートしたという。秋の収穫祭であるハロウィンと合わせた訳ではないだろうが、駒沢公園ではラーメンショーをやっていた。東京ラーメンショーとして10日間も開催されて何万人かの来場者があるようだ。こちらはいわばラーメン祭り。それぞれの”お祭り”に参加は出来ないが祭りが盛り上がることは歓迎だ。オリンピックもまたお祭りの一つ。祭りは非日常のイベント。人間社会では祭りもまた生きがいの一つだろう。
 
2016-10-29 左は今朝の雲   右上は渋谷・スクランブル交差点、右下は駒沢公園・ラーメンショー
10月30日(日)   <「脳が一番喜ぶことをする」・・・>
「脳が一番喜ぶことをする」のが健康の基本との見方がある。「脳にいいことだけをやりなさい」(マーシー・シャイモフ著・三笠書房)という本にも書いてあるが、脳で何事もポジテイブに考える習慣を付ける、そして色々なことに対して「いいこと」に目をやり、ありがとうと感謝すると脳が喜ぶのだという。また脳には睡眠の質が大きく影響するので、睡眠時に何でもよいからその日のいいことを思い、感謝するとよいとされる。私は特別に脳を意識をする訳ではないけれど、実際に就寝する際に布団とベッドの心地よさにただ感謝感謝。今の場所に転居してから新たにベッドも布団も購入したのであるが、本当に気に入っており、心底有難いと思いながら床に入るとあっという間に眠りについてしまう。対人関係を思ったり、作品の出来不出来などを考えると、その時々で雑念が入る。寝心地に勝る幸せ感はないから、健康法としても安上がりだ・・。
10月31日(月)   <表紙にドーナツ型花器・・・>
表紙にドーナツ型花器(陶芸作品)を掲載した。先日、茨城県の窯場で行なわれた穴窯イベントに仲間と一緒に参加して焼成した作品の中の一つ。自分たちで薪を穴窯に投入し続けて温度を1200℃余まで上げて焼成した結果だ。窯から出してみて初めて、完成具合が分かるのだが、色の出方や、灰のかかり方などで表情が全く異なってくる。掲載した「ドーナツ型花器」も反対側からみると色合いが違うので下に反対から見た写真も掲載した。追って他の穴窯作品を掲載する予定だが、極端に灰をかぶった作品もあれば、色が赤くなっただけで灰分が少ない作品もある。元の素材は同等であっても炎の影響をいかに受けるか、灰がどれほどかかるかで、出来上がりが大きく変わるのが穴窯の醍醐味だ。炎のご機嫌で焼成されるものは多種多様に変化するが、どの結果もが二つとない”景色”であり、善し悪しの順位はない。
 


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