これまでの「今日のコラム」(2017年1月分)


1月1日(日)   <2017年(平成29年)酉年・・・>
2017年(平成29年)酉年。年賀状には例によって雌鶏がピアノを弾き、雄鶏がパソコンのキーボードを叩く絵を描いたが、鶏たちは少々不自然で迷惑そうだ。・・元旦といえどもいつもの通り6時前に起床。テレビで舞楽を見ながらコヒーを一杯飲んで筋トレ。6時25分からはテレビ体操(今年で開始60周年とのことで特別番組)。朝食前にたまたま故障したトイレの修理までやる。妻が頑張って作った正月料理の朝食をとった後、車でお墓参りのハシゴをした。初めに父母と息子が眠る九品仏浄真寺の墓。山門に巨大な門松が飾っていあるのが以前は異様に見えたが今回はお寺に門松も悪くないと思えるようになった。その後、妻の父母が眠る小平霊園へ。ここでも作業用具を持参して大掃除。とにかくも存分に動きまわれる身体に恵まれているのに感謝。こんな新年のスタートを切った。


2017-01-01 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて


1月2日(月)   <甥が家族で家に・・・>
甥が家族で家にきてくれた。連れてきた子供たちは小学生の3年生と1年生。二人とも驚くほど成長している。独楽やパズルで一緒に遊んだり陶芸作品の土産を自分で選んでもらったり、前回(1年半前)に会った時には考えられなかった客人として過ごした。子どもの一年の進歩は著しいが、一年の歳月は実質時間では老齢者にとっても同じ。「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と詠んだのは一休宗純。室町時代の僧侶であった一休(1394年生)は天皇の御落胤といわれるだけあって、物怖じしない剛胆さと共に少々ひねくれたところもあり、こんな歌も詠んだ:「世の中は起きて箱して(糞して)寝て食って後は死ぬを待つばかりなり」。”冥土の旅”とか”死を待つ”などという割に、一休自身は当時としては超高齢の88歳で亡くなった。言葉だけ”すねて”みせるが、自分は余程好き勝手にストレスなく余生を送ったのだろう。
1月3日(火)   <早朝のNHK教育テレビで・・・>
早朝のNHK教育テレビで「日野原重明104才 篠田桃紅103才の対談」をやっていた。現在、日野原さんは105歳(1911年生)、篠田桃紅さんは103歳(1913-3生)だから、再放送かも知れないが、感動的な対談だった。私は篠田桃紅さんのファンでその書(というか絵)を玄関の入り口に飾ってある。篠田さんは30歳で肺結核を患い死にかけたのに100歳を越してまだ元気なので”日野原さんを前にして失礼だけれど、医療なんて当てになりませんね”とおっしゃった。日野原さんはある時点から終末治療よりも患者さんが如何に心置きなく静かに息を引き取るかに気を配るようになり、手を取って最期を看取った人は4000人を越えるという。その日野原さん、毎年何か一つは新しいことを始めることがモットーとか。98歳で俳句を始め、100歳ではFacebookを始めたそうだ。命は与えられたもの。この命を誰か人のために使いたいという姿勢がお二人の共通であるようにみえた。
1月4日(水)   <人類の技術の進化・・・>
人類の技術の進化はすばらしいと思う一方で、古代の人間の英知は現代人と比べて決して遜色がないことにも驚かされる。正月のテレビで東大寺の七重の塔を探る番組があったが、もし1200年前に生まれて大仏殿、五重の塔、七重の塔の建造を任されたとして何が出来るだろう・・。考えるだけでも当時の”スゴサ”が身にしみる。エジプトでは実に4500年も前にあの巨大なピラミッドを造り上げている。こうした例を挙げれば切りがないが、いずれも権力者が”作れ”と命令したら出来る訳ではない。衆知を集めて徹底的に議論を重ねた上で、GOとなったと見るべきだろう。それでも建造物ではまだ現代技術で昔を凌駕することはあるが、美的感覚となると”進化”したとは断言できない。諸々の美術・芸術については歴史の蓄積量がMAXと考えると現代はそれだけでも豊かで恵まれている・・。
2017-01-04 カラスの合唱
1月5日(木)   <新しい朝が来た 希望の朝だ・・・>
「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空をあおげ・・」。この何とも素直で汚れのない歌を一瞬聴いた後ラジオ体操(テレビ体操)がはじまる。ラジオ体操は戦前から行なわれていたが、戦後一新されて、今の「ラジオ体操の歌」(作詞=藤浦洸、作曲=藤山一郎)は1956年(昭和31年)に制作されて今に至るまで使用されている。60年間絶えず聴くことが出来る希有な歌だ。私は数年前までは絶対にやらなかったラジオ体操(テレビ体操)であるが、最近は朝の6時25分には必ずテレビの前で体操をするようになった。人にも是非やった方が良いと効能を説明する。ラジオ体操の歌にも毎日美空ひばりの歌を聴くような時代を超越した良さを感じるようになった。この歌が作られた60年前には自分も含めて皆が質素な暮らしをしながらも決して貧しいとか惨めな感覚はなかった。新しい朝に希望を持てたのだろう。今は新しい朝をどう感じるかでその日の体調が分かる。朝は健康のバロメーターとなる。
<明日から三日間「いわき市」にいく予定。パソコンを持参するので出来ればコラムは更新したい>
1月6日(金)   <福島県いわき市に夕方・・・>
福島県いわき市に夕方着くため、これから東京を出発しようとしている。まだ時間があるのでパソコンのキーボードを叩く。いわき市は福島県の浜通り(福島は)南に位置する福島県最大の人口を有する市。ちなみに、福島県は太平洋側(東)の浜通り、内陸中央部の中通り(福島市、郡山市など)、それに日本海側内陸の会津、阿武隈高地などの地域に分かれて非常に面積が広い。いわき”には前に一度訪れたことがあり、いわき市の名所である「アクアマリンふくしま」や「白水阿弥陀堂(国宝がある)」などにも行ったが今回は決めていない。”いわき”で一つ気に入らないのは何故「磐城」の漢字を使わないのかということ。パソコンでなければ磐城の文字も書けなくなってしまう。・・ともあれ、今晩はいわきでの音楽会。
1月7日(土)   <ニース国際音楽アカデミー・・・>
「ニース国際音楽アカデミーin いわき 2017」が福島県いわき市で開催されている。昨夜のオープニングコンサートは、フランス・ニース生まれの世界的ピアニスト、オリヴィエ・ギャルドン(=ここ)のピアノ演奏があった。ギャルドンの弾くプロコフィエフは実に圧巻だった。今日は、ギャルドンと同年生まれで10代の頃からピアノの仲間&ライバルであった日本のピアニスト、須田眞美子先生とギャルドン先生の二人が講師で終日ピアノのレッスンをみた。私にとっては正に”見た”というほかないが、世界的な演奏家を鍛えるやり方を目の当たりにした。私はどちらかというと、”いい加減”な文化も嫌いではないが、世界のトップとか”完璧”を目指すパワー にも大いに刺激を受ける。
下の写真は会場の側で行なわれていた消防の出初め式。こんな”いわき”でないと味わえない空気も楽しんでいる。
2017-01-07 いわき芸術文化交流館アリオス前にて
1月8日(日)   <今日も一日”いわき”・・・>
今日も一日”いわき”での音楽アカデミーに参加。こちらは音楽に門外漢であるので、講師である世界で活躍するピアニスト・須田眞美子さんのレッスンで印象に残った言葉を記してみよう。”音符(和音、メロディー)は世界遺産”、”全ての音に感動がなければばらない”、Beautiful を越えた、Sexyな美しさが欲しい”、”イマジネーションがない”、”音が泳いでいない”、”どういう音にしたいのか”、”日本語は抑揚がなく、ピッチが低いので、余程意識して強弱、艱難を表現しないと通用しない”、”日本人の内面的で主張しない気質を突き破る・・”、相手によって表現の仕方が変わるが、ただの評論家やコーチ的指導でなく、本人が言葉以上の実践者であるので、発散するエネルギーが強烈でかつ爽やかだった。
2017-01-08 いわきのホテル14階から見た日の出
1月9日(月)   <”いわき”を朝出て昼には東京・・・>
”いわき”を朝出て昼には東京に帰着。今回の旅行は妻の負担は多かったが私は動き回ることもなく十分静養することが出来た。喉の風邪気味で具合が悪かった体調も回復した。帰路、特急ひたちで常磐線の車窓風景を見ながら東京へ戻る時に、何か身体の中から新たなエネルギーが湧き出るように思えたのが成果と言っておこう。・・表紙に「正三角形板25(92面体素材)」(陶芸作品)を掲載したのは、昨年から続いている素材作りに決着をつけて92面体の組立て開始としたい願望を表明したのであるが、どうも道は容易ではない。家での陶芸仕事はある程度はかどるが、陶芸教室で制作している大型部材の方が遅々として進まないのだ。あせることはないが、いつまでも時間があるとは限らない・・。

 
2017-01-09 常磐線車窓風景
1月10日(火)   <表紙に陶芸作品「正五角形板1」・・・>
表紙に陶芸作品「正五角形板1(92面体素材)」を掲載した。92面体の素材として正三角形の板80枚が必要で、これまで正三角形板の完成した一部を紹介してきたが、更に、正五角形板が12枚必要となる。これらの組合せで92面体が出来上がる。ようやく正五角形板の一部が完成し始めたのを今日の作品として掲載したものである。正五角形は完成品の寸法で一辺が16cm、頂点の距離で26cmほどある。粘土での制作時にはこれの15%ほど大きいので、我家の電気窯には入らない。費用も時間もかかるが、正五角形は全て陶芸教室で焼成している。正五角形も正三角形と同じく基本の色は春夏秋冬の4色に等分して制作する。春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒。今日掲載したのは冬の黒で正五角形の黒ベースは合計3枚作ることになる。ちなみに正三角形はそれぞれの色を20枚ずつ制作する。かくして、92面体の全体像が少しずつ見えてきた。組立の楽しみまではもう一息・・。

1月11日(水)   <今日は義兄の月命日・・・>
今日は義兄の月命日。谷中にあるお寺に墓参りをした。息子の墓にお参りをするのも同じであるが、最近は毎月の墓参りを口実として妻と外食をしたり都内観光を楽しむようになった。自分たちでお墓参りを行事化して納得したのであるが、古来、世界中の人が宗教心を口実にしながら「巡礼」を公認された行事として楽しんだのではないか。日本では四国八十八カ所の巡礼、熊野詣、大山詣など仏教の霊場を巡る箇所は数知れない。大山詣の落語もあるほどで、江戸の庶民が大山への巡礼を公認レジャーとしていたことがよく分かる。キリスト教の聖地エルサレムへの巡礼やイスラム教のメッカへの巡礼などを同列に並べると異論があるかも知れないが、宗教に基づく巡礼は少なくとも仕事以外の行動として認められるので、苦行でなく楽しい修行に違いない。フランスからスペイン北部を通るサンティアゴへの巡礼路は今は観光旅行のルートだ。・・今日の墓参りでは昼食は谷中のレストランでイタリアン・・。
 
2017-01-11 墓のある瑞輪寺・本堂正面の彫刻
1月12日(木)   <一ヶ月間テニスをやっていない・・・>
一ヶ月間テニスをやっていない。今日、木曜日のテニスもお休み。こんなことは、この10年いや30年来、初めてかも知れない。先月12月16日に白内障手術をして年が明けた今頃からは普通に運動が出来る予定だったけれども、手術後の検査の結果、再手術をすることになったことは以前書いた。その再手術が明日に迫った。事前にやることは目薬を差すだけであるが、さすがに体調を整えたい気持ちではある。考えてみると、私の人生で「手術」と名のつく治療をしたのは初めてだ。それだけ幸運であったとしか言えない。しかも比較的リスクの少ない白内障手術であるので、これも初体験として甘んじて受ける。再手術をするのも新たな体験。人は死ぬまで初体験の連続であるという。70歳となる初体験もあれば80歳の初体験もある。それぞれの年齢でみな初めての年を過ごす。毎年同じことよという人は意図して初体験を作って楽しむのが良い。更にスパンを縮めれば、瞬間を人は初めて体験している。なるようになる明日であるが、為せば成るか・・。
1月13日(金)   <今は左目に眼帯をしたまま・・・>
今は左目に眼帯をしたままキーボードを叩いている。明日、もう一度通院して眼帯を外して検査してもらうが、今日の二度目の白内障手術、といっても前回挿入した水晶体の角度を修正するだけの手術はひとまず無事終了した。今日は他にも色々と進展があった。従来使っていたiPhone5sをiPhone6sに機種変更したこともその一つ。前のiPoneはガラスにひびが入り破損するまで風前の灯であったので交換するのは当然であったが、この際はiPhone7の必要なしとみて”6s"とした。問題は前のデータのバックアップをとり、それから新たにニューiPhoneにデータを復元する作業だ。少々苦労したがデータの復元が成功してホッとしている。それにしても今はインターネットで復元や移行の情報がいくらでも入手できるのがありがたい。”要領が分からないときにはインターネット検索”が今の仕事のマニュアルとなった。
1月14日(土)   <ラジオ体操ごとき・・・>
ラジオ体操ごときと軽くみてはいけない。今朝はラジオ体操(テレビ体操)をやらずにゆっくりしたストレッチだけで済ませた。白内障の手術をした後、挿入した水晶体の角度がズレたので、昨日角度修正の再手術をした。水晶体が動いた原因の説明はなかったが、思い当たる一つにラジオ体操を欠かさなかったこと。もちろん、激しいスポーツ、運動は禁止されているのでやらなかったが、ラジオ体操など軽い動きと解釈していた。しかし、改めて動作の内容をみると、頭の上下左右の動きなど眼球に影響を及ぼしそうな動きは結構多い。ラジオ体操に限らず、床掃除、棚の上にある荷の上げ下ろしなど、素早く作業をする時には眼球も速く動く。普段は生活の中でこうした頭や腰の上下などの動作を頻繁に繰り返すから健康でいられる。静々と身体を動かすようでは老化が進んでしまいそうだが、ここはガマンしてしばらくは養生に専念しよう・・。
1月15日(日)   <今日、15日の日めくりカレンダーに・・・>
今日、15日の日めくりカレンダーに、「大河は近道をしない ゆうゆうと曲り ゆうゆうと折れ ゆうゆうと海に向かう」とあった。いや、河は自然や地形に忠実で最も合理的な流れをしていると言いたくなるが、そんな理屈は云うまい。河の流れに任せて無理な抵抗をせずに過ごすのは生活の知恵でもあろう。妻が通っている女性用のトレーニング施設の今年のカレンダーが面白い。「筋トレは三文の徳」(早起きは三文の徳)」、「筋肉は一日にしてならず」(ローマは一日にしてならず)」、「成果の道も一歩から」(千里の道も一歩から)など。こうしたふざけたカレンダーを見ながら筋トレに励むのは悪くない。今現在は白内障手術後の養生で静かにしているが、今年の新たなターゲット作りの時期である。何をやるにしても基本は身体の健康。筋トレはその中でも基本中の基本か。筋トレなくして脳トレなし。やはり、近道をせずにゆうゆうといこう・・。
1月16日(月)   <さらばソニービル!・・・>
さらばソニービル! 東京・数寄屋橋に1966年に建設され、銀座界隈でも名物建築(設計:芦原義信)であった「ソニービル」が建替えられることとなり、今年の4月1日から解体工事が始まる。今日このビル7階のレストランで開催された食事会に出席したが、これが50年間親しんできたソニービルとのお別れになりそうだ。この機会に1階〜4階で開かれている「It's a Sony展」も見た。70年に及ぶソニーの歴史的展示物に接すると正に私の人生と同期している。この間の録音装置、ビデオ、テレビなどの進化は常に私の生活と共にあった。残念なのは最近はソニーの神通力がなくなったのか、あまりソニー製品と縁がなくなったこと。ソニービルの跡地には、2018~2020の間地上部分にソニーパークができて、2022以降に新ソニービルが誕生する予定とか。東京オリンピックの頃には地上には公園のみという大胆な構想だ。私がどこまで目にすることができるか、全く予測は出来ません・・。

2017-01-16 ソニービル7階からみた数寄屋橋とソニーの歴史例
1月17日(火)   <「mieuへの絵手紙」・・・>
「mieuへの絵手紙」を久しぶりに描いて、表紙に掲載した。ニューヨークに住む孫娘mieu(美友)は16歳になり、子ども相手の感覚ではなくなった。そうかといって年齢で描く内容が変わる訳はなく、マイペースの絵しか描けない。今日は居間にある鉢植えのシクラメンを描いたが、確か昨年もmieuへの絵手紙でシクラメンを描いた。最近のシクラメンの種類の多さは驚くほどだ。今年のシクラメンはやや変形品種で花弁の縁に細かい切れ込みがある。描くために細かく観察すると実に複雑な形の花だった。このシクラメンとは別に、今年は我家の南側のベランダ花壇にミニチュアのシクラメンを植えた。このところの寒さにも負けず小さなシクラメンたちは元気に花を咲かせている。シクラメンは室温が高すぎると早く花を咲かせるが直に散ってしまい長続きしない。我家ではあまり環境に恵まれないのか辛苦に耐えて例年5月頃まで花を咲かせてくれる。時に、人間も同じだなと思う・・。

1月18日(水)   <今日も一日冬日和・・・>
今日も一日冬日和(ふゆびより)。部屋の中から外を見ていると本当に穏やかに晴れている。けれども外出すると襟を立てて手袋をする寒さだった。それでも風はなく陽射しが暖かく感じられる正に冬日和。家では昨日コラムに書いたベランダのミニチュアシクラメンに水をやり剪定もする。気温は低いけれども元気に育つ小さな花を見ているだけで気持ちがよい。高浜虚子のこんな句を見つけた;「照り曇り心のままの冬日和」。虚子にはこんな句もある:「吾も老いぬ汝も老いけり大根馬」(大根馬とは大根を運ぶ馬で、冬の季語)。「吾」は明日、また一つ馬齢を重ねることになる・・。
 
2017-01-18 東京の日の出(東京スカイツリーと東京タワーの変化)上はam6:24、下は 6:54
 右の写真はミニチュアシクラメン(花は普通の大きさの約二分の一)
1月19日(木)   <猛烈に混雑したラッシュアワー・・・>
猛烈に混雑したラッシュアワーの電車を乗り継いで白内障再手術後の検査をしてもらいに眼のクリニックへ行った。今のところ経過順調で問題なし。実感としても視界が別世界のように明るくクリアに見えるようになった。けれども昨年末の第一回目の手術では、術後、二週間経ったときの検査で水晶体のズレが分かり、再手術となった経緯があるので、今回はまだ安心はしていない。運動を控えておとなしくしているのは我ながらかなり努力が必要となる。一方で陶芸も釉薬の粉を混ぜる時に粉末が舞ったり飛沫も飛ぶので、防護眼鏡なしでは作業が出来ない。今更ながら片眼だけでも安全を保つのは想像以上に苦労する。・・ニューヨークの娘家族から誕生日祝いが届いた。そう、今日はMy Birthday。今晩の食事は妻が外食をセットしてくれたので今から着替えて外出だ。
1月20日(金)   <大寒の日の今日・・・>
大寒の日の今日、東京でも粉雪が舞った。白内障の手術をした直後であるので激しい運動は控えているが、どんなに寒くてもできるだけ外に出て歩くようにはしている。下に掲載した写真は自由が丘の熊野神社。外出のついでに寄り道をして参拝した。このところ陶芸教室はお休みなので、家でシコシコと92面体の組立て準備を行なっている。表紙に掲載した「正五角形2」は陶芸教室の窯で完成した後、家で再度手を加えたもの。粘土の作品を焼成すると約15%縮む。そうすると家の小型の電気窯にギリギリで入る(25cmまで)ので、改めて釉薬をかけて再焼成をした。教室で完成したものは、ほとんどが気に入らないので再焼成をするケースが増えた。正五角形と正三角形を組み合わせる92面体の組立て準備の写真も掲載してみる。


 
2017-01-20 自由が丘熊野神社   右は組立て準備・正五角形が正三角形を介して12個つながり球体となる
1月21日(土)   <今晩は陶芸仲間の集まり・・・>
今晩は陶芸仲間の集まりがある。以前は陶芸教室を中心にした集まりがあったが、今は教室と関係のないつながりで会う。今日のメンバーも半数以上は現在の教室とは関係ない。けれども、かつては陶芸をやりながらお互いに刺激・啓発し合った仲間だ。今回の集まりの名目は少し前にご主人を亡くされた方を慰めることだが、そのご主人とも皆親しかった。合掌。・・陶芸に関連して家で始めた92面体の組立て模様の写真を掲載してみよう。前にも書いたが、92面体は12個の正五角形と80個の正三角形を組合わせて球形とする。掲載した写真は裏の接合を始めたところ。裏から見ると元の粘土の違いがはっきりと見える。完成品でない途中経過もまた味があると独り思っている。
2017-01-21
1月22日(日)   <久しぶりに駒沢公園まで・・・>
久しぶりに駒沢公園までウォーキングで行ったところ、改築中であった「屋内球技場」がほとんど出来上がっていた。この建物は巨大なアーチ状の鋼管からロープを下ろして球技場の天井を吊り、屋内には柱のないスペースを作るというユニークな構造だ。昨年(2016)、建築が始まった時期からこの「駒沢公園オリンピック公園総合運動場・屋内球技場」の建設経過を適宜写真で紹介してきた(2016.3月1日コラム=ここ=参照)。今年の春の完成予定であるから、外観が出来上がって見えるのは順調な工事の進捗なのだろう。改めて春の完成まで更に詳細を追いかけてみたい。今日、駒沢から世田谷の住宅街を散策していると、梅が咲いているところがあった。春はもうそこまで来ている・・。
 
2017-01-22 駒沢公園・完成間近な屋内球技場
1月23日(月)   <表紙に陶芸作品「正五角形板3」・・・>
表紙に陶芸作品「正五角形板3」(92面体素材)を掲載した。正五角形板は素材として12枚必要で、これは陶芸教室の大きな窯でないと焼成できないので、出来上がるまでに時間がかかる。現在、5枚が焼き上がったが、残りは教室の都合で2月にならないと完成しない。同じ92面体の素材である正三角形は80枚必要であるが、家の小型の電気窯で焼けるので、全てが完成している。昨日に続いて正五角形と正三角形の組合せを始めているので、一部組み上がった状態の写真を下に掲載してみる。自分でも予測できなかった仕上がり。同じ模様は二つとない三角形と五角形の組合せが最終的にどうなるか、まだ先は遠い。
  2017-01-23
1月24日(火)   <テレビやマスコミで今スターのように扱われる・・・>
テレビやマスコミで今スターのように扱われる人々、高い地位で名声を得ている人々、ほとんどの人は亡くなればあっという間に過去の人となる。一方で、生前には名が知られてなくても、死後、評価されて長年私たちに大きな影響を与え続ける人もいる。画家のゴッホが生前一枚しか絵が売れずに37歳で亡くなり、後に独特な絵が認められ世界的に有名になったことはよく知られている。私が日本人で直に思いつくのは、金子みすゞと宮沢賢治だ。金子みすゞ(1903〜1930)の詩(例えば、=ここ=)は時代を超えて今も感動的。本人は26歳の若さで亡くなった後90年を経て多くの人に慕われるとは思いもしなかっただろう。同じように、宮沢賢治(1896~1933)も今でこそ有名であるが、生前得た原稿料は5円だけだったとか、決して名前が知られている存在ではなかった。「銀河鉄道の夜」は賢治の死後、未定稿のまま遺されていたというし、あの「雨ニモマケズ」は病床生活をしている際に手帳に記していた詩だ。37歳で病死した賢治もまた100年間も我々に勇気、元気、感動を与え続けている。生前に造り上げられていた宝を発掘してくれた人々に感謝しなければならない。
表紙の作品を更新。これから新しい陶芸素材を毎日掲載してみる。
   
2017-01-24 九品仏浄真寺(世田谷区)  梅も寺の墓場にて
1月25日(水)   <20年以上続いているテレビの「開運! ・・・>
20年以上続いているテレビの「開運! なんでも鑑定団」が終わってしまうのでないか。番組の顔でもある鑑定士・中島正之助氏が「曜変天目に間違いございません」と断言した茶碗がどうみても偽物くさい。曜変天目茶碗は日本にある国宝に指定されている3点があるだけで、中島正之助は4番目の国宝級とまで言い切ってしまった。異議を唱えた陶芸家・長江惣吉氏は先代から曜変天目の復元に一生を捧げてきている方。ほとんど国宝の 曜変天目に近い模様ができても、まだ本物には遠いとして更に追求を続ける研究者でもある。実は私も陶芸で現在製作中の正三角形板に油滴天目釉薬を使い、色々と条件を変えて少しでも曜変の模様が出ないか試みたが、直に諦めた。何万枚をテストしても確実に再現することは不可能ということを教えてくれたのが長江氏の解説だった。長江氏の友人の中国の研究者は「鑑定団」で登場した茶碗と同じようなものは中国の骨董街で数千円で売っているとやはり偽物説。テレビの画像で見る限り素人の私の眼にも静嘉堂文庫(世田谷区)でみた国宝の輝きには遠く及ばない。再鑑定をして白黒ハッキリさせなければ、鑑定団の番組は成り立たない。
表紙に掲載した正三角形板は80枚制作した中の一つ。何でもありで、こんなデタラメ模様も創った。
     右は1/26表紙掲載分
1月26日(木)   <我家の北東方向に見えるNTTドコモ ・・・>
我家の北東方向に見えるNTTドコモ代々木ビルは周辺に高層ビルがなくひと際目立つ存在だが、今朝はその東側のビルに朝陽が当たり大きく太陽を反射していた(下の写真)。時刻は6時52分。今日の東京の日の出は6時45分だから日の出の数分後の光だ。このようなビル全体の反射はビルと太陽の角度がたまたま条件に一致したときだけ見られる。数分もすれば反射はなくなるし3日後には見られないかもしれない。とにかく今日も素晴らしい日和の始まりだった。もう一枚の「今日の写真」は以前も掲載したが表参道駅の直ぐ側にある善光寺(別院)。撮影時刻は9時23分。今日はこの前を通過して、クリニックに行き、白内障手術後の検査を受けた。結果は特に問題なく一安心。それにしても手術をした左目はウソのように良く見えるようになった。今更ながら医療技術の進化に感動。今晩はこれから外出して横浜での音楽会に行く。この歳になって「キョウイク」(今日行く所)が充実していることを幸せと思おう・・。
表紙には陶芸作品「正三角形板26」を掲載。もうしばらく、92面体素材の作品の掲載を続ける。
 
2017-01-26
1月27日(金)   <約40日振りにテニス ・・・>
約40日振りにテニスに行った。白内障の手術をした後1ヶ月は激しいスポーツはしないで下さいと云われているが、昨日、お医者さんからテニス程度なら問題ないとお墨付きをもらったので二度目の手術後2週間の今日、早速テニスにでかけた次第。それにしても40日間のブランクで身体は明らかに鈍っていると自覚する。そこそこには筋トレやウオーキングをやってはいるが、素早く動き反応することをしなければ身体も精神も衰えることを実感したのも手術の成果だ。眼鏡を外してテニスをプレーしながら、なるほど一般的に”激しいスポーツ”を禁止しているのは柔道や空手、相撲などの格闘技、スキー、水泳などを考えたのだろうと納得。素人テニスの程度であれば心配はない。久しぶりのテニス仲間、思う存分に力を入れたり、コントロールする駆け引きなど、本当にほんとうに楽しい時間を過ごすことが出来て感謝・・。
表紙の作品は鉄赤釉薬の厚さの違いを出したもの。同じ釉薬でも中央部の三角形部は薄く塗布したので黒っぽい。
   右は1/28表紙掲載分
1月28日(土)   <思いやりと過保護の境界・・・>
思いやりと過保護の境界は非常に微妙と思うこの頃。被災地から避難してきた子供たちを住宅から学校門前までバスで送り迎えをしていると、子どもは歩くチャンスがなくなり見る間に体力が落ちたという。テニス仲間のおばさん(おばあさん)は毎日の買物で荷物を持ち歩くのが腕のトレーニングになると云っていた。親切心で荷物を持ってあげるとせっかくの筋トレの機会をなくすことになる。高齢者の介護も楽をさせるだけでは本人のためにならないことが多い。年寄りの生活優遇策も下手をする甘くなり過ぎる。保護が必要なくても自分が得することに人は遠慮しない。子どもでも老人でも結局は自立の精神を求めるべきだろう。その上での思いやりに限度はないか・・。
表紙に掲載した今日の作品はまた陶芸素材の新作。制作過程に色々と経緯のある作品だが後日まとめて説明する。
1月29日(日)   <表紙に掲載した陶芸作品・・・>
表紙に掲載した陶芸作品「正三角形板31(92面体素材)」は約1mm径のアルミ線を使った試行錯誤の一つ。アルミの融点は660℃で、釉薬の焼成温度1200℃と比べるとずいぶん低い。アルミが溶けた状態で釉薬に模様を付けようと思ったが、初めはほとんどが蒸発したような状態でカスだけが残った。溶解の影響が出る場合は線の太さの10倍以上の範囲が黒化することもあった。掲載した作品は最終的に白色のマット釉を盛り上げて線の模様をトレースして焼成したのでアルミの痕跡はほとんど見られない。正三角形の板の上であれば、この種の試みが何でもあり。まともな陶芸釉薬の手法ではあり得ない試みをしながら何かを学ぶ・・。
    右は1/30表紙掲載分
1月30日(月)   <新しい試み・・・>
新しい試みがなければ進化はない。時と場合により実績を重視することも必要だが、冒険を許容する社会の方が活気がある。今日の写真(下)に掲載した建造物の場合は”冒険”ではなく確実な技術の裏付けのもとに従来にない構造を採用している。この駒沢公園オリンピック公園総合運動場・屋内球技場の建設経過を約1年間追い続けたが、ほぼ完成した現段階でも迫力ある外観を楽しめる。構造の詳細は工事業者・銭高組のレポート(=ここ)に詳しい。・・今日、表紙に掲載した陶芸作品「正三角形板32」の場合はいくらでも失敗が許される”新たな試み”。渦巻状の箇所には0.05mm程度の非常に細い銅線を置いた。銅の融点は約1000℃であるので通常の焼成温度(1230℃)以前に溶け出すのだろう。極めて細い線にもかかわらず数mmの線痕を残した。
  2017-01-30
1月31日(火)   <今日は31日の月末・・・>
今日は31日の月末。明日から月が改まっても、どうということはないが、何故かこの日にカレンダーをめくると改まった気分になる。2月の予定を記入しているのもあるし、日付と曜日だけのカレンダーもある。今は紙のカレンダー以外に、i-Phoneのカレンダーがある。予定がそれほどタイトでないせいもあるが、詳細のタイムテーブルはまず必要としないので、私の場合は紙のカレンダーで十分。i-Phoneの場合、設定によってこの日は誰々の誕生日とか記念日だとか、一方的に知らせてくるので少々うるさい。半日早く2月にした紙のカレンダーは4カ所。これで明日、1日は大安であることを知った。よし、明日はテニスに行こう・・。
表紙に掲載した陶芸作品「正三角形板33」は昨日と同種の極細の銅線を渦巻状に置いて焼成したもの。



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