これまでの「今日のコラム」(2017年4月分)


4月1日(土)   <4月になったというのに今日は一日細かい雨・・・>
4月になったというのに今日は一日細かい雨が降ったり止んだりして気温が上がらない。桜の開花も進まないようだ。孫娘たちもニューヨークに帰って一段落した所で昨日は妻が私に続いて白内障の手術を受けた。そんなこともあって今日は私がバスで碑文谷のスーパーに行って野菜や肉、魚などを買いだめしてきた。ついでにウオーキングの代わりに碑文谷近辺を散策して写真を撮ったものを下に掲載する。ソメイヨシノはまだ3分咲き程度なので早咲きの桜を選んで撮影した。陶芸や絵画など創作仕事はこのところ停滞している。まあ、こんな時もあるさと割り切って、ひたすら時期を待つ・・。
 
2017-04-01東京・碑文谷にて(サレジオ教会)


4月2日(日)   <今日は息子の月命日・・・>
今日は息子の月命日。先日、娘婿らと墓参りをしたが、今日もまた墓参りに行った。前に供えた花がまだ元気なので新しく篭花を1セット中央に加えると俄然華やかになった。8年前、息子が入院していた病院に駆けつけたときは桜が満開だった。今日はまだ3分咲きか。・・墓参とは別に夕刻駒沢公園近辺を散策していると桜よりも辛夷(こぶし)の花が目立った。公園西口(駒沢大学側)で遠目には白い大きな桜の樹木があると思って近づくと、これも辛夷の巨木だった。世田谷区の名木の一つとか。これほどの巨木に咲き誇る辛夷の花を見たのは初めてだ・・。
 
2017-04-02 九品仏浄真寺山門前の桜  右は駒沢公園の辛夷
4月3日(月)   <新年度のスタートの今日・・・>
新年度のスタートの今日、テレビのアナウサーの顔ぶれが変わり、朝ドラも新しくなる。朝のテレビ体操のタイトルやNHK短歌やNHK俳句の講師は新年度でなく4月初めから変わっている。今日の午前中は快晴だった。テニスの帰りに渋谷に所用があり、スクランブル交差点の近辺を歩いていると、数台のレンタルカートと表示のあるゴーカートが一般道路を駆け抜けて行った。運転していた外人女性のうれしそうな顔が忘れられない、夕方、6時10分頃に東京の空が急に真っ黒になりピカッと光ったと思ったら雷鳴が轟いた。続いて猛烈な雷雨。これが春雷と言うものか。東京には昨日桜の満開宣言が出された。正に春到来・・。
4月4日(火)   <電車で二駅先の大岡山駅・・・>
電車で二駅先の大岡山駅(大井町線)までいき、東京工業大学の桜を見てきた。メインのソメイヨシノはまだ7~8分咲きで満開には少し早かったが、今日はこの大学の入学式が行なわれており大勢の人で賑わっていた。ここの大学の構内には多くの桜の古木があり桜の名所として知られる。花見に対する学校の対応も感じがよくお勧めだ。広い校内を歩くと電車で一駅分ほどはを歩くのでいいウォーキングにもなる。桜とは別に大学の施設で昨年ノーベル賞を受賞した大隅良典さん(東京大の特認教授)のノーベル賞メダルが公開されていたので、これも見せてもらった。
 
2017-04-04

いずれも東京工業大学大岡山キャンパスにて、右はノーベル賞メダル
4月5日(水)   <散る桜 残る桜も・・・>
「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛伝)。これから満開になる時期にこんな詩を掲載することはないかも知れないが、桜ほど散り際の潔さを賞賛される花はない。「散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき」(伊勢物語)というのもある。桜に限らずいつまでも咲き続ける花は存在しないし、仮に永遠に咲いている花があれば、造花のようなもので感動も何もない。だから「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」(林芙美子)ではなく、”花の命は短いから何よりも尊く美しい”とでも言って欲しい。・・ベランダ菜園に植えた植物が暖かくなったせいか急に大きな花を咲かせている。ほんの一瞬かもしれないが、見れば見るほどよく出来た花たち。思わず、カメラで今の花の写真を撮って掲載する(下)。
 
2017-04-05
4月6日(水)   <千葉の友人と成田山・・・>
千葉の友人と成田山を散策した。成田山新勝寺は真言宗智山派の寺で大本山の一つ。創建が940年とされ1000年以上の歴史を持つ名刹。正月の初詣客が東京の明治神宮に次いで全国二位とか、節分では横綱が豆まきをするなど話題の多い寺ではある。江戸時代に歌舞伎役者の初代市川団十郎が成田不動に願った末に跡継ぎの息子を授かり帰依して成田屋の屋号を名乗った経緯なども今日のお寺参りで知った。以前、大本堂や仁王門辺りを訪れたことはあるが、今回は成田山新勝寺に隣接する広大な成田山公園にも歩いて行った。丁度桜も見頃。満開の桜、穴子丼そして名刹の寺で言うことはなし・・。
 
2017-04-06 成田山新勝寺 大本堂&仁王門
 
三重塔  右は公園のさくら
4月7日(金)   <銀座にも桜・・・>
銀座にも桜はある。今日、たまたま銀座一丁目〜京橋近辺を歩いた際、銀座の桜を楽しんだ。メインの目的は京橋にあるギャラリー「加島美術」で開催されている「蘇る! 孤高の神絵師 渡辺省亭(せいてい)」展(=ここ=4/9まで)を見ること。先日8年前に亡くなった息子の友人から突然メールをいただいた。生前はよく名前を聞いたし、親しくしていたのは承知していたが、その彼が渡辺省亭の回顧展を企画・調整してようやく開催の運びとなったという内容だった。渡辺省亭は江戸末期から明治時代、大正までを生きた画家。例によって、日本の画壇ではそれほど有名ではないが、私は生の渡辺省亭の作品を見て衝撃を受けた。丁度、近年になって急に評価されるようになった伊藤若冲や鈴木其一などの作品を見たときも同じだった。歴史の中に埋没してしまいそうな芸術家を発掘するのは凄い事だ。ちなみに、今月の4月2日は渡辺省亭の没後100回忌だったという。息子の命日は同じ4月2日である事を友人は覚えていてくれた。<絵の一部を掲載させていただく>
 
2017-04-07 渡辺省亭展
 
京橋近辺の桜
4月8日(土)   <この二三日咳が止まらない・・・>
この二三日咳が止まらない事があり体調も悪い。昨夜は食欲がなく夕食を三分の一にして早く床に就いた。こんなことは数年に一度あるかないかだ。今朝起きると昨夜のやる気のなさが嘘のように元気になった。ただし、まだ咳が残り我慢している。午前中は雨模様であったが午後には雨が止んだので思い切って千鳥ヶ淵の花見にでかけた。千鳥ヶ淵に行くのは5年振り。少し前にテニス仲間が東京の花見は千鳥ヶ淵が一番と言っていた。一番かどうかは分からないけれども、お堀端の水と緑の背景がよい。今日、再認識したのは千鳥ヶ淵の直ぐ向かい側にある国立劇場の桜も見事であること。国立劇場の前庭正面にあるヤマザクラの一種で高知の仙台屋から持ってきたという桜の写真を一葉下に掲載してみる。
 
2017-04-08 東京・千鳥ヶ淵の桜
 
左は千鳥ヶ淵の桜  右は国立劇場のヤマザクラ「仙台屋」

4月9日(日)   <雨の日曜日・・・>
雨の日曜日。東京では丁度桜が満開で見頃だけれど天は容赦しない。今日の花見は諦めて、昼食をはさんで久しぶりに下北沢の陶芸教室に行った。家で設計図を作成して粘土の段取りもして陶芸教室に臨んだが結果的には疲労困憊して家に帰り着いた。要因は自分でも分かっており、今更、どうこう言っても始まらないが、今後の事もあるので書いてみよう。先ず、数ヶ月振りの陶芸教室には知り合いの仲間が一人もいなかった。先生と話すチャンスもない。結局、陶芸に集中して数時間、全く雑談もなく、水も飲まず、休まずに作業をすればこれはくたびれる。それと陶芸の作業は姿勢が悪くなる。腰に良くない。更に、このところの体調不良がまだ直りきっていない。テニスではどんなに身体を使っても心地よい疲労感となる。今日の陶芸では達成感がない所が最大の問題と認識している。それはそうとして、今日の成果は何らかはある。今に見ておれ、仲間をギョットせせる作品を創ってやると密やかに思えるところが救いでもある・・。
4月10日(月)   <教養としての読書・・・>
教養としての読書の一環として聖書を読んだとか、般若心経を覚えたとか、仏教教典に親しんだ人は多いだろう。けれども信仰心を持ち、読む度に新しい発見をし理解を深めるのは別のレベルとなる。逆の立場で神父様や牧師様、お坊さんのお説教はその都度内容が変わる訳ではない。何十回、何百回と同じ説教を繰り返して教えを説く。そんな話は前に聞いたよ、といえばそれ以上進まない。人は同じ事を聞きながら新たな悟りの道を模索する。前に読んだとか聞いたという利口な頭脳は生活を豊かにはしない。・・「求めない」というタイトルの本(著者=加島祥造<1923~2015>)を久しぶりに繙いて(ひもといて)、アア、この本は聖書や仏典と同じだなと思った。”前に読んだ”と言ってしまえばそれまで。たまたま自分の感性に響く所があればうれしい。「求めないーーすると、いまの自分が大切になる」。
4月11日(火)   <今日も終日小雨・・・>
今日も終日小雨が降り続く。春の暖かさはどこに行ったか、肌寒い中で桜はまだ花を開いたまま雨に濡れても散ることはない。夜中に咳が止まらない症状が完治していないので、一挙に直してしまおうとインターネットで”咳を止める対処法”などを調べる。中で「咳を止めるツボ」を教えてくれるサイトがあったので早速試みたところ、やり方が下手だったのか、逆に猛烈に咳が出始めて止まらなくなった。近来これほど苦しい思いをしたことはない。後でハチミツをなめると、この方がはるかに優しく喉に気持ちがよかった。まさに生兵法への警告。人間の身体は本来自然に任せるのが一番。やたらと薬など飲み過ぎないようにして、身体が本来持っている生命力に任せるのがよいとの教えを思い起こした。
4月12日(水)   <久しぶりの晴れ・・・>
久しぶりの晴れ。午後、谷中の寺に義兄の墓参りに行く。昨日の11日が義兄の月命日だが、春が戻ってきたような陽気の今日、思いの外すばらしい花見もできてしまった。谷中の街も、お寺の境内も、谷中霊園も、東京の他の街と同じように外人が目につく。昨日の雨でも桜は散らずにほぼ満開。外国人も桜を多いに楽しんだに違いない。・・義兄の墓参りをしながら、桜を見るとやはり4月2日の桜の時期に亡くなった息子と合わせて西行の和歌を思い起こす。「願はくは 花の下にて 春死なむ  その如月の 望月のころ」と詠った西行は思い通りに桜の下で春亡くなった。またこんな和歌をも詠んでいる:「仏には 桜の花を たてまつれ  我がのちの世を 人とぶらはば(=弔ってくれるならば)」(西行)。
 
2017-04-12 谷中にて
 
谷中霊園にて
4月13日(木)   <今日も家の近所で花見・・・>
今日も家の近所で花見を楽しんだ。花見をしながら花見が出来る幸運を思う。誰でもが花見を出来る訳ではない。花見が出来る”ゆとり”に感謝・・。今朝は8時前の通勤ラッシュ帯の電車を3路線(東横線、半蔵門線、銀座線)乗り換えてテニスにいく。電車はいずれも押し合いへし合い、足の踏み場もないほど混む。こうして通勤する人たちは暗くなってから帰宅し、花見どころではない。考えてみると私も勤め人時代に花見をした記憶がない。会社で勤務後に夜桜を見る習慣もなかった。もし、リタイヤ前にこの世を去っていたとすると一度も桜に感動することもなく一生終えた事になる。たかが桜、されど、桜にはただの花を越えた霊的なパワーを感じるようになってきた。
 
2017-04-13 宮前公園(目黒区)にて
4月14日(金)   <4年前に亡くなった義兄の趣味・・・>
4年前に亡くなった義兄の趣味の一つがテニスだったが、70歳半ばでテニスを止め専ら楽器の演奏を楽しむようになった。テニスを止めた理由に”相手が嫌がる球をだしてポイントを稼ぐゲームをやりたくなくなった”と言ったことが忘れられない。私などは未だに相手が捕れない厳しいコースにボールをだして翻弄するのがテニスの持ち味、容赦はしない。確かに他人が喜ぶことをすることは本人の生きがいともなる。けれども、持てるものは分け与えるのが当然、強いものは助けるのが当然・・と、ありがたいとも思わない相手であるとやりがいも何もない。”他人を喜ばせる”のは決して簡単な事ではない。テニスの勝負に負けたとしてもスーパーショットを相手が見せてくれれば私はうれしくなる。甘やかしたり、手抜きをするのでなく、どんな事でも良い、自らのスーパーショットを見せられれば他人も喜ぶに違いない。
2017-04-14 今日も桜満開@北沢川緑道(東京)にて
4月15日(土)   <好きこそ物の上手・・・>
「好きこそ物の上手なれ」。「好き」なことに取り組める人は幸せである。”好き”という言葉は室町時代に数奇・数寄の漢字が当てられたように、色好みのほか、好事家、風流な人(茶人など)まで幅広く好き者として是認されていた。この「好き」について司馬遼太郎の本に興味深い指摘があった。「修身斉家治国平天下」を指針とする儒教には「好き」を認める精神はなかったので、20世紀初頭まで圧倒的な儒教の影響を受けた中国・韓国では「好き」など不埒で許されなかったという。その点、儒教の影響を受けたと言っても室町時代に「好き」を認める文化を築いた日本では芸術的創造の基盤として数奇が発展した。今も世界の文化を支えているのは”好き者”であろう。
2017-04-15母の命日。親戚が九品仏浄真寺の墓に集まった
4月16日(日)   <2017年春の完成予定・・・>
2017年春の完成予定であった「駒沢オリンピック公園総合運動場・屋内球技場」が出来上がっていた。さすが日本の工事業者(銭高組)、日程は確実だ。昨年3月1日のコラムで巨大なアーチ状の建造物の工事が始まった事を書いた(=ここ)。それ以降、工事の進捗状況を適時コラムでも取り上げたが、最後の2ヶ月はフォローできなかった。この屋内球技場は天井を巨大なアーチで吊り上げる構造としており室内内部に柱がない(構造説明=ここ)。完成してみるとアーチの構造がユニークではあるが他の建築デザインは案外に革新性は少ない。次なるは室内での球技を見てみようか・・。
 
2017-04-16 駒沢・屋内球技場  内部には柱がない
 
4月17日(月)   <今朝テニスに通う電車・・・>
今朝テニスに通う電車の渋谷到着が10分間遅れた。3分間隔ほどで運行されているラッシュアワー時の10分の遅れは更に最悪の混み方となる。週に何度かはラッシュアワーの電車に乗る習慣となって車内は毎回新しい経験をする場ともなった。ほんの5cm,10cm身体をずらすだけで巧く収まる所を自分だけは絶対に譲らない若い男性、どんなに混合ってもスマホを見続ける人、ラッシュアワーに乳母車を持ち込んだ人、何を間違えたのか身動きできない電車に乗ってしまった外人さん・・。混雑する電車に乗り合わせた色々な人間模様をみながら、それでも毎日大きなトラブルもなくスムースに乗り降りする様はやはり日本人独特なのかとも思う。外国の人が見れば考えられないのでないか。スクランブル交差点以上に身体を接触しながらすり抜ける技の連続である。一人一人の自由度はわずかであっても集団としてベストの状態とするために何をやるべきか、こんなことまで鍛えられているのかも知れない。
4月18日(火)   <今日は何がなんでも表紙・・・>
今日は何がなんでも表紙の今日の作品(今日の絵)を改訂すると起床した時に言い聞かせた。夜中の咳が止まり熟睡できたのでようやくやる気が出てきたのかも知れない。久しぶりに絵手紙を描こうとしたが、何を描くか決まらない。たまたまビニールの袋に入れられた正体不明の植物が目につき、訳も分からず描いたのが「今日の作品」。ほんの短時間で描き終えて、妻が帰ってきた時に何かを問うと、親戚からいただいてきた「雲南百薬」でこれをベランダの菜園に植える予定だという。そういえば袋の中に他に数個の種もあった。オカワカメともいわれる雲南百薬ならば大きな葉の部分を黄味の色でなくもっと緑を濃く描けば良かったかとも思ったがこれが現実。我家でオカワカメ(雲南百薬)が大きく育ったならば改めて描いてみようか・・。

4月19日(水)   <東京は今日で4日連続で夏日・・・>
東京は今日で4日連続で夏日(気温25℃以上)を記録したという。今日の午前中は半袖シャツとなり2時間テニスで汗を流した。・・「ほぼ日刊イトイ新聞」をみていると、この3月に東大を退官した物理学者である早野龍五さんが「ほぼ日」に加わる記事があった(=ここ)。そして、この早野さんは同時に才能教育研究会「スズキメソード」の会長に就任とある。スズキメソードには我家でも昔深くかかわったことがあり、最近はどうなったのだろうと噂をしていたところだった。「ほぼ日」はコピーライターであった糸井重里氏が個人商店的に通販も手がけていたのが。この3月にジャスダックに上場されて大いに話題になった。商売とは無縁の人材を糸井さんがどう活用するのか、また物理学とは全く無縁の幼児教育を早野さんがどういう方向に進めるのか。いずれも以後注目。異分野の才能を現状打破の起爆剤とするのは大いに賛成だが、全てが結果次第の厳しい世界ではある。
4月20日(木)   <自分の経歴を書く・・・>
自分の経歴を書くことになりそうなので、下書きをしていると妙な気持ちになった。全く赤の他人である人が私の事を判断しようとする材料に”経歴”をみる。大体、50年、60年前の学歴に何の意味があるか。40年近く一つの会社に務めたとして過去の話。今現在やろうとしていることと過去の歴史は直にはつながらない。それでも世の中には人間を”経歴”で評価したり、ありがたがる人は多いと見える。しかし、一方で人があの世へ往く時には経歴などは関係がない。どんなに立派な肩書きもこの世だけの仮の名札。そう考えると、何でもいいから経歴を書いて人と付き合っているのは生きている証でもあろうか。気にしない事にしよう・・。
<明日は小旅行でお休み予定>
4月22日(土)   <先ほど夜の7時過ぎにドライブ旅行から帰宅・・・>
先ほど夜の7時過ぎにドライブ旅行から帰宅したところ。信州では昼間は晴れていい天気だったが東京に戻って来ると雨が激しく降っていた。妻の姉夫妻との気楽なドライブ。決まった計画もなく、昨夜、軽井沢の宿でたまたま見たテレビで長野県の須坂の桜が紹介されていたので、今日は須坂まで行くことに決めた。須坂の臥竜公園には以前行った事はあるが桜の時節は今回が初めて。東京では桜は完全に終わっているが、出発時には考えもしなかった花見を楽しむことができた。それにしても250km余の距離を数時間のドライブで確実に移動できる諸々の環境に改めて感謝。

2017-04-21軽井沢アウトレットの中庭
 
2017-04-22長野県 須坂市臥竜公園にて
4月23日(日)   <千葉の友人から竹の子・・・>
千葉の友人から竹の子をいただいた。圧倒されるような立派な風格。早速にカメラで「今日の写真」を撮った(下)。今住んでいる東京‐目黒区は一昔前には「目黒のタケノコ」で知られたという。明治〜大正、昭和初期まで目黒には竹林がたくさんあり、碑文谷村、衾(ふすま)村(=現在の自由が丘の名となる以前は碑衾町だった)などでは農産物としてのタケノコが大きな収入源であったようだ。今でも目黒区の一部あるいは世田谷区には竹林が残っている場所があるがタケノコは収穫していないだろう。竹の子は俳句では夏の季語。芭蕉にこんな句がある:「竹の子や稚き(おさなき)時の絵のすさび」。おさない時でなく今でも時間が許せば竹の子の絵を描きたくなる。もう一つ芭蕉の句:「鶯や竹の子薮に老を鳴く」。分かり難い句だが、タケノコの季節の夏になって鳴く鶯は初春に鳴く鶯と違って老いを鳴いているようだとでもいうのだろうか。我が身に合わせると余り感じのいい詩ではない。
2017-04-23
4月24日(月)   <月曜日にはテニス・・・>
月曜日にはテニスに行く。前にも書いたが、以前は自転車で45分ほど時間をかけて通ったが、最近はバスと電車を三路線乗り継いで行く。電車は丁度ラッシュの時間で混合うが、これが現役の通勤時と同じような緊張感を与えてくれるので脳を刺激する意味でも非常に良い。テニスはもちろんゲームを楽しむのがメインであるが、勝ち負け以外にその時々で変わる仲間に教えられる所も多い。そしてテニスのゲームをやれば自分の体調が直に分かる。身体の調子はその場で出来るものではなく、そこに至るまでの結果として表れる。膝、腰は痛くないか、脚力、筋力、眼力、反応力は・・。因果応報と大袈裟に言わなくても、日頃の鍛錬を欠かすと結果で表れるのは見事でさえある。一方で”老化”は神の摂理で避け難い。・・そんな諸々の思いはあるけれども、仲間と思う存分ゲームを楽しめるのは無条件にありがたい。
4月25日(火)   <「軽量石粉粘土」を・・・>
「軽量石粉粘土」を渋谷の東急ハンズで購入した。粘土を高温で焼成する事なしに、乾燥させるだけで形が決まり、しかも色づけも簡単。この種のものは今は選ぶのに迷うほど非常に多くの製品が販売されている。食品サンプルの制作とかモデルの工作などにも簡単に応用できるので便利な材料だ。はじめは紫外線を照射すると固化する樹脂(レジン)を購入するつもりだった。宝飾物を手作りできる材料としてやはり重宝されている。ただし、私の場合は高級なモデルを作る訳ではないので、売り場で比較検討しながら石粉粘土を選んだのである。紫外線レジンの場合は紫外線照射用の機器まで含めると高価になってしまう。それにしても、石粉粘土も紫外線レジンも20年前には決してこれほど容易に手に入らなかった品々。このような進化は日本では当然のように思われてしまうが実は世界でも極めて稀で有難いことと思いたい。
2017-04-25 ベランダの花壇は今黄色
4月26日(水)   <いまのNHK朝の連ドラ「ひよっこ」・・・>
いまのNHK朝の連ドラ「ひよっこ」のストーリーにはほどんど興味がない(申し訳ない)。けれどもテレビを見るチャンスがある時には、そのタイトルバックに引きつけられる。ミニチュア人形が日常品の中で動き回る姿が何とも言えず魅力的で感動する。この作品を作っているのは鹿児島在住のミニチュア写真家、田中達也さんであることを知った。この田中達也さん、カレンダーに合わせて毎日ミニチュアアートをインターネットで今も発信している。毎日異なったネタを考えて写真を撮り掲載するのは、どれほど大変なことか、そしてどれも面白い(=ここ 、Twitter=ここ)!!。「ひよっこ」のオープニング映像はミニチュアの人形が動いているが、動きを付けたのはCGアニメーターである森江康太さん(Twitter=ここ)。やはり、動きがあるところでタイトルバックの魅力は倍増している。この二人の共同作業で出来上がっている訳だ。テレビもこのようなオリジナリテイーのある”作品”が見られるのならまだまだ将来がある。
4月27日(木)   <朝早く家の近くのコンビニ(セブンイレブン)で・・・>
朝早く家の近くのコンビニ(セブンイレブン)でインターネット購入代金の支払をした。この時の女店員さんの対応が神業に見えたので書いておきたい。こちらはi-Phoneのメモで払込票番号を店員さんにみせた。番号は13桁もあるので読み上げようと思ったが店員さんの女の子はあっという間に全ての番号を打ち込んで払込先だけを確認して下さいと画面をだした。余りの早業だったので感心して凄いですねと言ったら”慣れていますから”との返事。私なら二度三度確認しなければ間違えそうな13桁もの数字をいとも簡単にインプットしてみせた。余りに感動的な早業だったので今日一日わたしもやる気がでたことを白状する。こんな女店員さんのような人がこれからの日本を支えるのだろうというと大袈裟か・・。
今日の写真は駒沢公園で撮影。連休の行事に供えたテント作りが始まっていた。
 
2017-04-27 駒沢公園(東京・世田谷区)にて
4月28日(金)   <新聞紙が未だになくならない・・・>
新聞紙が未だになくならない。私は数年前に新聞を止めて専らインターネットでのニュースや情報を見ることにしているが、新聞はしぶとく生き続けている。メールで用は足りても場合によっては手紙を使うのには大賛成だが、毎日膨大な不要な紙を作り出す新聞紙はどうみてもムダだ。今日、仲間と話している時に、”まともな”家庭ではテレビを見なくなっているとの話題がでた。親が長時間テレビを見る家の子どもは駄目になるという。それにしても世の中急速に変化する中でどういう訳かジャーナリストと自称する人たちはスター気取りでプライドが高い。昔を考えると瓦版が唯一の情報紙であった江戸時代に当時のスターを題材に役者絵を出版した蔦屋重三郎のセンスが抜群だった。浮世絵のDNAはいまアニメ作家に引き継がれている。新聞、テレビが滅んだとしても新たな「蔦屋」が続くに違いない。

2017-04-28 新国立競技場の建設状況<千駄ヶ谷・東京体育館側から撮影>
千駄ヶ谷駅前
4月29日(土)   <友人が出展している「春陽展」・・・>
友人が出展している「春陽展」(公募展)を見に国立新美術館に行った。隣の企画展では「ミュシャ展」(国立新美術館10周年、チェコ文化年事業)が開催されているので、これを見るのも目的であった。「ミュシャ展」(=ここ)は今ここでしか見ることが出来ないと思われる大作揃いで圧倒される。ミュシャ(Muchaのフランス語読み)はパリで活躍したアールヌーヴォーを代表する芸術家の一人として知られるが、50歳を越えたところで故郷のチェコに帰り、以後スラヴ民族の苦難と栄光の歴史を巨大なカンヴァス(6m×8mなど)に描き続けた。ムハ(Muchaのチェコ語読み)の生涯(1860~1939)やこれほどの作品群についてほとんど何も知らなかった。ヨーロッパの小国であるチェコは東西南北の隣国から攻撃を受け征服される歴史。巨大な戦争の絵画には楽しげなところが一つもないのが哀れだ。1939年にはヒットラーのナチスドイツがチェコを侵略して”スラヴ叙事詩”を描いていたムハ自身がナチスによって牢獄に入れられて間もなく死亡した。きれいごとでは片付かない人類の戦争の歴史はまだ続いている。
2017-04-29 国立新美術館前庭(草間弥生展に合わせて飾り)
4月30日(日)   <時間をかけてゆっくりと・・・>
時間をかけてゆっくりとやる。そうするとどんな仕事でも楽しくなる。いま、このことを実感している。お金をもらってやる”仕事”ならば期限があり効率を要求されるので、ゆっくりなどできないが、切迫した期限がなく自分でコントロールできる”仕事”は”ゆっくり”の気持ちを持つだけで幸せ感が違う。花への水やり、植物の剪定などはゆっくりとやると対象が愛おしくなる。ノルマでやるべきではない。以前、陶芸で一度完成させた作品を修正しようと思ったが、どうしてもやる気が出なかった。ある時、急がずにゆっくり、ゆっくり試みていると面白くなってきた。昔は典型的な日本人として「今日出来ることを明日に残すな(Leave nothing for tomorrow which can be done for today.)」でやってきたが、今ではラテン系の明日があるさ、また明日(Hasta manana=アスタマニャーナ<スペイン語>)になってきた。テニスでも勝負を焦ると自滅する。slowly,slowlyで全てを楽しもう・・。




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