これまでの「今日のコラム」(2017年9月分)


9月1日(金)  <他人を気にするよりも・・・>
他人を気にするよりも”自分の足元をみなさい”という教えは昔からの定番だ。先日の仙台旅行で観光している時にもこんなことがあった。初めは大崎八幡宮(伊達政宗が現在地に造営、社殿は国宝)では高さがバラバラの長い階段が続く。それは足元をよく見ながら登るようにあえて高さを変えてあり、同時に頭を下げてお参りするようにしてあると解説してあった。また、松島海岸の瑞巌寺の寺院である五大堂に渡る橋が下部に透かしがあり海が見えるようになっている。下を注意していないと足を踏み外す。それは「脚下照顧」の教えのためと説明があった。自分の足元、自分自身を見ることは言うほどに簡単ではない。座禅を組むのなら「「脚下照顧」で自分を見つめるのも良いかもしれないが、今は「あなたの言うことを録音して聞きなさい、ビデオであなたの姿を撮影しなさい」というのはどうだろう・・。


9月2日(土)  <アスペン土産のジグソーパズル・・・>
アスペン土産のジグソーパズルを完成させた(1000ピースのフクロウデザイン=下の写真)。ジグソーパズルは確かに上手く嵌め込みができた時の快感がある。何をどう関連づけてピースを選ぶかなどのテクニックもあるが、行き詰まった時には全く別のところから攻めるとか、気分を変えると見方が一変して順調に進展するとか、細かいところに拘らず大局をみるなど、これまでの社会生活を凝縮したようなやり方を思い出しながら進める面白さもある。それにしてもジグソーパズルを完成させたからといって”今日の作品”に入れる訳にはいかない。やはりパズルはゲームと同種の娯楽なのだろう。
   
2017-09-02 1000ピースのジグソーパズル完成
9月3日(日)  <息子の墓参り・・・>
息子の墓参りに行った。 お寺の境内で今年初めての「鷺草」をみた。この世田谷区にある九品仏浄真寺は鷺草の名所とされているのに最近は鷺の形をした花をほとんど見なくなっていた。今日もかろうじて写真を撮った二輪の花だけ。以前はもっと沢山の鷺の姿が見られたのに・・。天候のせいか環境のせいか分からないけれども残念至極。一方で「パンパス」が派手に咲いていた。日本のススキは秋の風情であるが、アルゼンチン原産の西洋ススキ・パンパスにはいかにも熱帯の強さを感じる。
 
2017-09-03九品仏浄真寺にて
 
鷺草            右は パンパス
9月4日(月)  <地下鉄を降りて地上にでると・・・>
地下鉄を降りて地上にでると雨だった。家を出た時には曇ってはいたが雨の気配はなかったのに・・。それでもテニス場の開門を待ち雨の様子を見守る。9時前には雨が小降りになったのでテニスを始めた。メンバーは丁度4人。その後雨は止んで午前中の3時間、プレーできた。それにしても最近の天気予報はよく外れる。今日の東京地方も曇りマークで雨の予報はなかった。月曜日から30℃を越す暑さが戻ると予報されていたが今日の気温は22〜23℃。・・こんなことだけを書いている世は正に天下太平。弾道ミサイルや核実験に明け暮れる北朝鮮のニュースが歴史的にどのような位置づけになるか・・。
9月5日(火)  <このコラムは「今日の作品」を補完する・・・>
このコラムは「今日の作品」を補完することが主な役割と考えていた。それが今のように絵でも陶芸でも新しい作品がほとんど生まれない事態となると毎日何を書くのか迷ってしまう。最近大流行りのtwitterとは別のものにしたい。そうかといって政治談義もやりたくない。どんな意見でも政治が絡むとまず同調を得るより反発を受けるのは昔からの習性だ。枕草子を書いた清少納言はかなり深刻であった身内の政治情勢に一切触れなかったので枕草子が歴史を経て読み継がれているとテレビの講座で研究者が話していた。・・ということで今日は南青山でみたショーウィンドウのデイスプレー写真を下に掲載する。
2017-09-05
9月6日(水)  <最近の東京郊外の商店街・・・>
最近の東京郊外の商店街はどこでもセンスがよく都心とほとんど変わらない。神奈川県との県境に位置する二子玉川の洗練された街並や店舗で扱う商品は銀座や日本橋に勝るとも劣ることはない。多くの郊外で銀座のモノマネでなくそれぞれの地域の特徴ある気持ちのいい空間を作り出している。同じことが地方についても言える。東京のモノマネではなく独特の清潔で活気のある街が地方にも多い。先日訪れた仙台なども都会としては東京と変わるところはない。それにしても、どこに行っても道路や乗り物を含めて”不潔”と無縁。何とすばらしいことか。街並だけでなく日本の田園風景は”絵に描いたような美しさ”である。・・都心の恵比寿で珍しくレトロ(retrospective)な「駄菓子バー」という店があったので写真を撮った。古めかしい汚れたところを”売”にしたのであろうが、これもまたデザイン化された味だけが見えて不潔感が全くないのが面白かった。
2017-09-06 恵比寿にて
9月7日(木)  <今日、女子テニス元世界ランク4位・・・>
今日、女子テニス元世界ランク4位の実績を持つ伊達公子選手が引退会見を行った。彼女の年齢は46歳(9/27には47歳になる)。伊達選手は1996年に一度引退会見を行っている。当時の世界女女王シュテフィ・グラフと大熱戦をした全盛期の伊達の26歳での引退は大いに話題となった。その後、2001年にドイツ人のレーシングドライバー・クルムさんと結婚し、2008年に37歳でクルム伊達として現役復帰。この日までプロテニスプレーヤーとして活躍してきた。知らなかったが昨年、2016年9月にクルムさんとは離婚したそうだ(子どもはいなかった)。世界レベルのプロのアスリートが激烈な体力、筋力を必要とするかは言うまでもない。女子アスリートとしては更に想像以上の辛苦があったことだろう。大リーグのイチロー43歳)を越える年齢まで現役を続けたことを含めて伊達公子の大記録を記憶したい。
9月8日(金)  <テニスでは試合が終わると必ず握手・・・>
テニスでは試合が終わると必ず握手をする。勝っても負けても握手がけじめ。ダブルスの場合パートナーと相手二人、計三人と握手するから組を変えて3ゲームの試合をすると合計9回の握手をすることになる。考えてみると私の場合テニス以外で他人と握手する機会はない。友人や親戚と久しぶりに会ったとしても握手をすることはない。スポーツの握手は勝敗を越えたフェアプレーの象徴でもあろう。柔道やレスリング、高校野球での握手、さらに表彰台で1-2-3位が握手する様にはルールに従って全力で戦った爽やかさがある。その点、握手のないプロ野球は一試合にかける緊迫感がない。握手はやはり貴重なチャンスと言えそうだ。これからはテニスでの握手をもっと丁寧にやろう・・。
9月9日(土)  <奥澤神社の「大蛇お練り神事」・・・>
奥澤神社の「大蛇お練り神事」を初めて見た。奥澤神社は東京・世田谷区の奥沢にある神社で室町時代に奥沢城を築城するにあたり守護神として勧請したと伝えられる由緒ある神社。明治期に他の近隣の神社を合祀して今の奥澤神社ができたという。奥澤神社の「大蛇お練り神事」は江戸時代中期にこの地区に疫病が蔓延した際、「藁で作った大蛇を村民が担いで村内を巡行」して厄除けしたことに始まる。今は東京都の無形民俗文化財に指定されている。息子の墓がある九品仏浄真寺(=境内に奥沢城址がある)を含めて近隣を練り歩いた藁の大蛇が昼過ぎに神社に戻ってきた時の写真を下に掲載した。この大蛇は今は本殿に安置されているが神社の鳥居に前年の大蛇と交代するかたちで鳥居に巻き付けて一年間飾られる。
 
2017-09-09 大蛇のお練り

本殿に安置された大蛇  右は子どもの蛇(?)
9月10日(日)  <先日、早朝のNHKテレビで湯川秀樹さん・・・>
先日、早朝のNHKテレビで湯川秀樹さんの古い映像をみた。湯川秀樹(1907〜1981)が中間子理論で日本人初めてのノーベル賞(物理学賞)を受賞したのが1949年(昭和24年)。私は当時小学生だったから大ニュースの騒ぎはかすかにしか残っていないが、テレビで語る湯川秀樹さんが妙に親しく思えた。奥様の湯川スミさんの映像もでたが、なるほどとこれも感心して見入った(湯川さんは結婚して婿養子で湯川姓となったが前は小川姓であったことは知られる)。1945年の終戦からわずか4年後に日本人がノーベル賞を受賞したインパクトは想像できないほど大きかっただろう。湯川さんが映像の中で語っていたこと、「少数派の中にこそ独創性が宿る」との話が興味深い。理論物理ならば全てが筋の通った理屈で納得させるものと思ったら、中間子の存在を予言した理論を発表した当時は、そのような理論は少数派だったという。独創を目指す芸術もまた少数派を気にすることはない・・。
9月11日(月)  <11日は義兄の月命日・・・>
11日は義兄の月命日。今日も午前中のテニスの格好のまま、半ズボンと半袖シャツで谷中の寺に行き墓参りした。残暑で暑い暑いと言ってはいるがお寺の一角には彼岸花が咲き始めている。
9.11というと2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の日でもある。この日、日本時間の夜10時頃たまたま家に来ていた娘夫妻とテレビを見ていてニューヨークの早朝の大事件を目の当たりにしたことを思い出す。もしやと思い、このコラムでその日を見ると12日のコラムで触れていた(=ここ)。 9.11事件というと最近になって事件がアメリカの自作自演だとか謀略だとか奇妙な情報がインターネット上ではびこるのが、いかにもネット社会らしい。現代の情報網は根拠がなくても無責任であろうが面白そうな情報が飛び交う。歴史の真実などと言いながらあっという間に創作物語に入れ替えられる可能性があるのはいつの時代でも同じだ。
 
2017-09-11 墓のある谷中の瑞輪寺
9月12日(火)  <表紙に「布草履/mieuへの絵手紙」・・・>
表紙に「布草履/mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を掲載した。何か絵手紙を描きたいと思って、初めに足元を見たとき目にした布草履だ。いままで余り細かく観察をしたことはなかったが、描く時にみると実に良く出来た草履であることに気がついた。恐らくは余り布を使ってより合わせて編んだのであろうが巧くできている。絵手紙も描く対象がなくて新作ができないこともあるが、正に”灯台下暗し”。身の回りをみるといくらでも絵手紙の題材になるものはありそうだ。
今日は雨上がりの夕焼けが見事だったのでこの写真も掲載する。
  2017-09-12
9月13日(水)  <午前中テニスで・・・>
午前中テニスで汗を流した後、家で昼食。続いて新しい陶芸教室に行った。このコラムで最後の陶芸作品を掲載したのが5月24日であるのが最近新作が皆無である陶芸事情を表している。その後、8月に前に通っていた下北沢の陶芸教室を退会した。その前後に他の陶芸教室をいくつも見学したり人に聞いたりした結果が、今日行った家から徒歩10分のところにある陶芸教室である。前の教室を何故止めたかを細かく書くつもりはないが、私にとっては制作した作品を発表する展覧会がなくなったことが一番の理由かもしれない。昔からの陶芸仲間が次々と退会したのも皆それなりの理由がある。教室も運営者の個性と会員の相性が問題となるのは言うまでもない。今日作った陶芸作品が上手くできて長く続くことを期待しよう・・。
9月14日(木)  <久しぶりに家の近所の八雲氷川神社・・・>
久しぶりに家の近所の八雲氷川神社に立寄った。氷川神社は以前住んでいた恵比寿〜渋谷にもあり、東京都、埼玉県の近辺には約200社もあるそうだ(総本山は埼玉県大宮とか)。八雲氷川神社の本殿脇に今月の言葉として、「虎にのり かたはれ舟に のれるとも 人の口には のるな世の中」(荒木田守武)」という詩が掲示してあった。作者の荒木田守武は室町後期の俳諧師で伊勢内宮の神職でもあった人物だと言う。家に帰って調べて分かったのであるが、更に、この荒木田守武が詠んだ俳句が20世紀初頭に翻訳されて現代詩として欧米に紹介されたというから驚く。その俳句:「落花枝(らっかえ)に かへると見れば 胡蝶(こちょう)かな」=The fallen blossam flies back to its branch:A batterfly. はじめの「口車に乗るな」という詩にしても500年を経た現代に同じ警鐘を鳴らしても全く違和感がないのをどう見よう・・。
 
2017-09-14 八雲氷川神社  右はモミジアオイ(紅蜀葵)
9月15日(金)  <一昔前には考えられなかった”お年寄り”・・・>
一昔前には考えられなかった”お年寄り”に最近のテレビではお目にかかることができる。84歳の黒柳徹子さんが司会をする番組「徹子の部屋」で迎えるゲストは60~70代でも若く見える。「やすらぎの郷」(倉本聰のオリジナル脚本)では86歳の八千草薫さん、85歳の有馬稲子さんら往年の大スターと共に、石坂浩二、浅丘ルリ子、加賀まりこら、私たちと同年代のスターが共演する。81歳の野際陽子さんが番組途中で亡くなるアクシデントがあったが、みなさん元気。倉本聰の脚本が実に巧みで個性を活かしている。80~90歳で組織にしがみついている老害経営者にはお引取りいただきたいが個人の役者はそれぞれに味が出る。・・たまたま寺山修司の本を読んでいて経歴を調べると47歳で亡くなっていた。生きていれば82歳。若き頃には石原慎太郎や永六輔と行動を共にした年代だった。そういえば今日は息子の誕生日か。息子は40歳前に亡くなった・・。
9月16日(土)  <新しく通い始めた陶芸教室で・・・>
新しく通い始めた陶芸教室で珍しい飲み物を頂いた。先日サウジアラビアで行われたサッカーW杯のサウジー日本戦の応援にサウジアラビアまで行ったという教室仲間のお土産でカルダモンコーヒーの一種だった。隣の席で陶芸をやっていたその人(男性)はサッカーの応援のために世界中を巡ったが、サウジアラビアだけは観光ビザがなく非常に入国の難しい国だったなどとサウジの話していた。入国した後もお酒はもちろん駄目、日本で当たり前のイラスト模様のTシャツも駄目。膨大な石油収入は全て王族のものとなるが代わりに税金はゼロ、教育や医療費は無料。国民のほとんどは公務員となり労働者はフィリピンなどからの外国人だという。世界には色々な国がある。石油大国は電気自動車の時代が目前となりどう動くのか。日本を含めて世界は流動的だ・・。
9月17日(日)  <人は学得底よりも体得底・・・>
人は学得底よりも体得底を身につけなければならない。これは臨済宗の山川宗玄老師が今朝のテレビ対談番組(NHK早朝5時〜6時)で話した言葉。学得底(がくとくてい)は外から頭で学んで得たもの。白隠禅師の問答では学得底に対して見得底といって、自分の本性を追求して得たものがあるか、心の目で見ているかを問う場面があるが、体得底は同じように自らが体験をして得たものを言うのであろう。直に連想してしまうのが最近マスコミを賑わす国会議員さんたち。最高学府を卒業したエリートたちが傍若無人な言動を発するのが信じられないが”学得”だけでは済まないということだろう。世の中には知能指数が高い、頭のいい人は沢山いる。学んだことを世のため人のために活かすために座禅をするか寺で修行をするか、自ら体得する機会を作るシステムはないものだろうか・・。
9月18日(月)  <台風一過の秋晴れ・・・>
台風一過の秋晴れ。快晴のもと最高気温が昨日より10℃高い33℃の暑さとなった。朝10時の開館に合わせて南青山の根津美術館へ。いつもは月曜日休館であるが今日は敬老の日の祝日であるのでオープンしていることは調べてあった。開催中の企画展は「ほとけを支える=蓮華・霊獣・天部・邪鬼=」。仏教の多種多様なほとけを、花や動物の視点からみる展覧会であるが、美術館へ行った主目的は常設の饕餮文(トウテツモン)方?という紀元前12〜13世紀の青銅器をみることだった。展示物を見た後、いつものように美術館の庭園を一周し、同じ南青山にある「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」の店「TOBICHI」に立寄ったりして昼過ぎに帰宅。夕方には駒沢オリンピック公園で開催されている肉フェスにも行ってみた。これら全て”お天気”がいいので外出したまで。もし、昨日と同じ大雨であると肉フェスも昨日に続いて中止となったのだろう。お天気次第はいつの時代も変わらない・・。
 
2017-09-18 南青山の店舗(入口は真ん中)  右は根津美術館の庭園にて
9月19日(火)  <散歩は英語で・・・>
散歩は英語で何と言うか。take a walkか・・。同じ歩くにしても、ウォーキングは”散歩”とはニュアンスが違う。ウォーキングは歩くことによる有酸素運動という感じで歩き方にも色々と注文が付く。”散歩”は私の場合、ノーベル賞を受賞した物理学者が散歩をしながら考察する姿を連想したりゆとりとか優雅さが思い浮かぶ。今日、夕刻の散歩では、できるだけ大股の急ぎ足で歩きながら、それでも少しは散歩の要素を保ちたいと興味のある花や景色を写真に撮る。その時々の風景の違いや季節を感じるのは”散歩”。・・そして写真を掲載する段になって気がついた。これらの写真、3年前、5年前でも、来年でも同じ写真が撮れたかも知れない・・。今の今しか見られないものはどこにあるのか・・。
 
2017-09-19 駒沢オリンピック公園にて
9月20日(水)  <表紙に「mieuへの絵手紙 /きのこ」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙 /きのこ」(ペンと水彩)を掲載した。秋の味覚というが最近はシメジ以外にきのこを食べたことはない。きのこ狩りには子どもの頃にいった思い出はあるものの大人になってからは一度も経験がない。それでも我家の本棚にはきのこに関する本が何冊もある。立派な写真集であったり、何万円もする豪華本であったり・・。今回の絵もその中から描いたもの。それらのきのこ本はみな息子の遺品である。息子は生前どういう訳か、きのこの絵を集めるのが大好きで本も蒐集した。自分で作った会社にはmushroomにmをつけてsmushroomという名をつけた。そんな経緯があるから、きのこの本をみたり、きのこの絵を描くと少し感傷的になる。描き終えた後、”おりん”を鳴らして合掌した。
  2017-09-20 テニスコート入口にて
9月21日(木)  <世田谷区から渋谷区そして千駄ヶ谷・・・>
世田谷区から渋谷区そして千駄ヶ谷の側のテニス場へ。途中、碑文谷や鴬谷も通る。・・「谷」のつく地名を並べた。月に一度は谷中のお寺に墓参もする。「谷」と同じく、「沢」の側も沢山通る。奥沢、深沢、駒沢、野沢、下北沢・・。人名でみると「谷沢」と谷も沢も含んだ名前がある。そういえば、きょう一緒にテニスをやった仲間が、谷口さん。大谷、中谷、長谷川、谷川など、谷(あるいは谷川)が沢になっても成り立つ名字も多い。地名や人名だけ見ても日本は緑の自然と水が豊富で至るところに小さな川が流れていたのだろうと納得する。
9月22日(金)  <ベランダの花壇の写真・・・>
ベランダの花壇の写真を撮って画像処理をして遊んだ(下)。写真の本来の面白さ・楽しさは対象をいかに切り取るか、どのような現実に目を向けるかであろうが、現代の技術では意図的に”真実”らしき虚構を作り上げるのも容易である。私は普段掲載する写真に画像処理をすることはしないけれども、図案として写真技術を使えば新しい挑戦が出来るかも知れない。それにしても図案でも写真でも何が美しいかは個々の人で感じ方が全く異なって来る。テレビで見る芸能人や政治家にしても虚構で作り上げられた人物像を好きとか嫌いと言われる。案外に欠点もある現実像の方が好ましいかも知れない・・。
 
2017-09-22 左が実際の花壇    右は画像処理してバックに空を入れる
9月23日(土)  <饕餮文(とうてつもん)・・・>
饕餮文(とうてつもん)の容器を陶芸で作り始めた。根津美術館に重要文化財の「饕餮文方?(とうてつもんほうか)」という中国・殷の時代(紀元前12~13世紀)の青銅器3盃がある(=ここ)が、これをコピーするべく詳細を写している。形状のオリジナリテーはないが、3000年前に人類が制作した青銅器を細かく観察していると現代アートを見る以上に造形について考えさせられる。名前の「饕餮」は初めて見る文字でとても「とうてつ」と読めない。解説によれば、饕餮(とうてつ)とは中国神話の怪物で、饕(とう)は財産を貪る、餮(てつ)は食を貪るの意とある。そういえば「食」の文字が饕餮の両方に見える。何でも食べる猛獣から転じて魔を喰らう、”魔除け”の意味を持つようになり、古代中国の王が神事に使用する器として饕餮文方?が制作されたという。今の時点で何故トウテツモンを陶芸で作るのかは問わずに制作に励もう・・。
9月24日(日)  <初めて老人になるあなた・・・>
「初めて老人になるあなたへ」という本がある。米国の心理学者B・Fスキナー著の翻訳本(成甲書房)で”老い”についての考え方、向き合い方が述べられているが、そのタイトルがいい。年寄りは人生を若者よりも少し長く過ごしただけで経験が豊富と思い込んでいたり、新たに教わることを拒絶して自分の考えを変えることができない。これらを初めて学校に入る小学生と同じように初めての年齢を経験しようとしているのですよと教える。”初めて”は老人に限らず、20歳でも50歳でも同じこと。生きている限り皆が毎日、毎日、一瞬ごとに初めての”時”を迎えている。さて、二度とない今日一日の成果は何?・・。
9月25日(月)  <今朝の秋朝精進のはじめかな・・・>
「今朝の秋 朝精進の はじめかな」(蕪村)。涼しくなってきたので朝の動きが良くなってきた。目覚ましはかけないが、ほぼ毎日5時30~35分に起床。コーヒーを一杯飲んだ後、6時25分のテレビ体操の時間まで、昔購入した家庭用のマシーンで腹筋と背筋のトレーニングをゆっくり10回、レッグマジック(道具)で脚力トレーニングをこれもゆっくり100回、それから、最近手に入れたトランポリンを50回ほど。テレビ体操はシーズンに関係なく続けているが、丁寧に決まった運動をするとその日の体調が分かる。関節がスムースでない場合などテレビ体操(ラジオ体操)だけで直に検知できるのは見事といえる。朝食前にはもちろんゴミ出しなど、朝精進の種は尽きない。今日は7時半には家を出てラッシュアワーの電車を3回乗り換えてテニスへ行った。・・こんなことを書けるのは誠に恵まれた状態で”感謝”であるが、明日も同じである保証は何もない。何はともあれ”朝精進”を続けよう・・。
9月26日(火)  <料理の上手な母親の子ども・・・>
料理の上手な母親の子どもは不幸だと言われる。少々料理が得意な女性と結婚しても連れ合い食事がまずく感じられてしまう。その点、私などは妻が作る料理は何でも美味しい。・・というと母親が作る食事が不味かったように聞こえるが、それは時代のせいだ。子どもの頃は敗戦直後で日本中がどうやって食べていくかが問題で”うまい”の”まずい”のと味を語るどころではなかった。更に母親も父親もどんな時でも決して食べものの味を悪く言うことはなかった。だから、北大路魯山人が”こんな不味いものが食えるか”といって料理人の作った料理を放り投げたという言う逸話が非常に不遜にみえる。最近はテレビでも料理番組が多く、みな本当に上の上の味を目指して料理を紹介する。舌が肥えるのは結構だが、この場合”感謝”がベースになければならない。そうでなければ舌の肥えた人もまた不幸であろう。
2017-09-26 お好み焼きを食べた二子玉川にて
9月27日(水)  <このコラムを18年間も続けてきた・・・>
このコラムを18年間も続けてきたことに我ながら感心することがある。毎日、何か話題を書く場合に、前にも同じようなことを書いたかなと思うこともしばしばだが、余り気にしない。これが継続の秘訣かな。新しくて重複しない話題に拘らなくしたのは一つの契機があった。それは室町時代の浄土宗の僧侶、蓮如のエピソードを知ったとき。本願寺の中興の祖とも呼ばれる蓮如は当時としては極めて長寿で、85歳で亡くなるまで寺の仕事を続けた。しかも生涯第5夫人まで5回の婚姻をして儲けた子どもが計27人という怪物であった。そんな蓮如が死ぬまで続けた説法は40年間以上変わらなかったという。蓮如に限らずどんなに偉いお坊さんでも悟りを開いて他人に教えるのに毎回新しい表現など出来るはずはない。同じことの繰り返しでも意味がある・・。モノづくりや絵画などの創作でもそれほど独創性のあるテーマが思い浮かぶとは限らない。何千年もの人類の歴史上誰もやらなかったものを目指すのならばやはり最先端の科学技術がいい。そうでない分野ならば、そこそこの”繰り返し”の中に他人の喜びを期待するか・・。
9月28日(木)  <制作途中の陶芸作品「饕餮文方盃」・・・>
制作途中の陶芸作品「饕餮文方盃」の写真を表紙に掲載した。9月23日のコラムで陶芸で作り始めた「饕餮文(とうてつもん)」について書いた(=ここ)が、新しく入会した陶芸教室で制作・焼成するまでに家で半分ほど粘土で成形しておこうとスタートしたところ思った以上に複雑怪奇な文様なので止められなくなった。中途半端に乾燥させて教室に持っていくとその先の加工で割れる可能性があるので細かな文様まで手をつけることになったのだ。それにしても3000年以上前に中国で制作された青銅器の饕餮文造形の繊細さには圧倒されっぱなし。この素材を明後日、新しい教室に持参する予定だ。
今日の写真には夕方の散歩の時”秋の七草”を探して撮影したものを掲載。クズ、フジバカマ、ナデシコの三つはまたいつの日か見つけよう・・。。


 
2017-09-28  ハギ、キキョウ、オミナエシ、オバナ(すすき)
9月29日(金)  <午前中は今週3度目のテニス・・・>
午前中は今週3度目のテニス。レベルの高い人たちとのゲームは思い通りに身体が動かない悔しさも味わいながら終わってみれば爽快な気分になる。変わらず元気にテニスを続けられる幸運は誰に感謝すべきか・・。テニスの仲間でも政治談義の好きな人がいる。コイケがどうした、アベ、マエハラは・・など肩書きも敬称もつかない呼名が飛交うところが素人の政治談義の特徴だろう。私は好みではないのでこの種の話には加わらない。英国のパブでは原則として政治と宗教の話はしないという話を聞いたことがある。兄弟でも親しい友人でも当然のことながら考え方に差がある。そういえば、好きな芸能人、嫌いな芸能人でも人によってみな違いがある。自分の考え、センスが一番正しいと主張すると全てに会話が成り立たなくなるだろう。
9月30日(土)  <外出前に財布が見当たらない・・・>
外出前に財布が見当たらない。財布の中には自動車の免許証、保険証、東京都の乗り物パス、銀行など各種のカードなどが入っているので、一大事。どうしても見つからないとただ事では済まない。探すと同時に必死に記憶をたどり、もしかすると昨日帰宅時のバスに座った時にポケットから脱落した可能性があるかも知れないと、バス会社に電話した。そうすると何と直ぐに遺失物として保管されていることが分かった! バスや電車で座る時にはズボンのポケットに入れた財布が滑り落ちないように、いつもは特別に気をつけている。ところが昨日はi-Phoneでバスの時刻を調べていたので電車の駅からバス停まで一生懸命に走り、ようやくバスに乗った経緯があった。ようやく乗れたバスで座ったとたんに目をつぶり財布の収まり方に気を回す余裕はなかったと見える。一生の不覚とはこの程度のことで起きるのだろう。後は”再発防止”をどうするかをしっかり考えよう。それにしても、これほどの(現金もはいっている)拾得物がきちんと届けられる東京、日本の有難さを改めて思う。ニューヨークに住む娘に話すとニューヨークなどではあり得ないと言われた。拾って届けてくれた人には伝えられないが、本当に感謝感謝!!


これまでの「今日のコラム」(総括版)に戻る

 Menu + Picture + Ceramics+ Gallery + Corgi + Special + Links