これまでの「今日のコラム」(2017-12月分)


12月1日(金)  <千日の稽古を鍛とし・・・>
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。よくよく吟味あるべきもの也」。これは宮本武蔵の「五輪書」に記された極意として知られる。「鍛錬」とは全く無関係であるが、私が毎日続けて来たWiiのバランス年齢計測が今日、開始して2500回との表示が出たので武蔵の言葉を思い出した。約7年間続けたことになるので長いようだが、武蔵の言う「鍛錬」の世界は別格だ。今では剣術はなくなったが「芸」に関しては同じような鍛錬が必要でないか。今の世の中、芸人と称する人は多いが、本当に芸の鍛錬をした人はどれだけいるのだろう。・・鍛錬とは関係がない気楽な”バランス年齢計測”では、今日のバランス年齢は実年齢のマイナス35歳とでた。調子のいい時には実年齢マイナス55歳になるので今日の成績はいいとは言えない。計測基準がそれほどに甘いので続いているのかなぁ・・。


12月2日(土)  <鏨(たがね)の華・・・>
「鏨(たがね)の華(はな)」というタイトルの展覧会を見た。サブタイトルが「光村コレクションの刀装具」(@根津美術館、12/17まで)。タガネ(鏨)は漢字で書くと難しい字だが、ハンマーで一端を叩くことによって金属を彫ったり削ったりする工具をいう。今回の展覧会では日本刀の鍔(つば)だけでなく、柄(つか)や鞘(さや)に付属する部品も展示されていた。例えば、柄(つか)の中間部の目貫(めぬき)と呼ばれる箇所に付ける金属の目貫飾りとか、鞘(さや)の小柄(こずか)、笄(こうがい)など、日本刀の構造とともに今回初めて知った呼名も多い。タガネによって金属に細密な加工を施した様々な部品はもはや武器の付属品ではなく職人が心血を注いで作り上げた美術品である。拡大鏡がなければ見えないほどの細かな模様を削りだす技量も凄いけれども、鍔の文様に寒山拾得の絵をデザインするセンスと文化に感服。刀も工芸品となるほどに平和な時代であった。
 
c2017-12-02根津美術館の庭園にて
12月3日(日)  <表紙に「花器」(陶芸作品)を掲載・・・>
表紙に「花器」(陶芸作品)を掲載した。9月から新しい陶芸教室に通い始めたが、焼成が完了した作品を掲載したことがなかった。今回掲載したのはウォーミングアップ的に制作したもの。その後、”意欲作”に取り組んだせいか、大物はまだ完成していない。それでも掲載した花器以外にも小物は出来上がっているものがいくつかあるので順次掲載したい。陶芸コーナー(=ここ)には同じ作品で写真を撮影する際に敷物だけを変更したものも掲載してみた。どちらの写真がいいとは断定できない。ただ趣味の話であるとは思う。写真写りに拘っても、作品の真実は何も変わらないのが、やってみるとよく分かった・・。

12月4日(月)  <いいことは おかげさま・・・>
「いいことは おかげさま わるいことは 身から出たさび」と今日の日めくりカレンダーにあった。御蔭さまで体調が良いが、自分でも不思議なのは朝の起床時間が正確であることだ。目覚ましもかけず、早朝の騒音もなく静かであるにもかかわらず、毎日5時35分頃に目が覚める。前日に10時に床に付いても10時半でも、目が覚めるのが数分と変わらない。この時刻に起床すると6時25分からのテレビ体操まで時間があるのでコーヒーを飲んだ後にウォーミングアップとして軽い筋トレや運動をすることが出来る。もちろん月曜日のゴミ出しとか掃除仕事も日課。そして朝食の後、7時35分にはテニスに向けてバスに乗る。・・身体が健康であることは本当に”おかげさま”でありがたい。ただし、明日がどうか、一ヶ月後どうなるかは分からない。それこそ神のみが知る。人間の身体は一日3000~4000億個(=約200グラム)の細胞が死滅する(総計は約60兆個の細胞)とか、大脳皮質では一日10万個の神経細胞が死滅する(150億個の神経細胞)と言われる。24時間休まずに死滅・再生を繰り返している身体の不思議は個人の節制とか努力の範疇を越している。生きていること自体が”神に感謝”と思うようになった。
12月5日(火)  <昨日のコラムは不味・・・>
昨日のコラムは不味かった。書く時には大して考えずに、また推敲もせずに掲載してしまうが翌日になってうまくなかったと反省することは今回に限らずよくあることではある。昨日は「いいことは おかげさま わるいことは 身から出たさび」と対応させて「健康」を持って来たところが間違いだった。健康であることの”御蔭さま”を言いたかったのであるが、健康でないのを「身から出たさび」とは言えない。身体の具合が悪い人や病気の人に対して失礼であろう。・・最近は、インターネットで個々人の発言が簡単に出来過ぎるから後で本人でさえ”まずい”と思う内容が平気で拡散する。ブログやツィッターで気楽に発せられる言葉が想像以上に影響を及ぼす場合もある。毒にも薬にもならぬならいいとしても、言葉はしばしば毒になるので気をつけなければならない。
2017-12-05 東京・駒沢公園での最後の紅葉
12月6日(水)  <テニスのゲームの合間・・・>
テニスのゲームの合間の短い休み時間に雲一つない青空を見上げて心底感激した。少々大袈裟であるが、このような天気をもたらす地球上に生を受けて、気持ちのよい陽光を全身で浴びている幸せを思う。澄み切った空の「青」はどこから来るのだろうと考えたり、先週まではまだ黄色い葉が多かった銀杏並木がほとんど枯れ色となった彼方の風景に生々流転を思ったり、何か満ち足りたゆとりの瞬間でもあった。今日のような晴天に限らず、天候というものに感激するようになったのは比較的最近である。人間を含めた生物が生存できる地球は正に奇跡の星。空気の存在から始まり、気温、雨、風、陽光、全ての条件が少しでも外れると人は生きることが出来ない。陽の光はありがたいが、雨もまた必要。自然に感謝するだけでは済まなくなる現実もある。やはり、地球の環境をキープすることは全てに優先するべきだろう・・。
12月7日(木)  <東京・世田谷区の行禅寺・・・>
東京・世田谷区の行禅寺というお寺に初めて行ってみた。二子玉川に住む友人が勧めてくれたお寺で、二子玉川の駅から歩いて7~8分の高台にある。この場所から富士山や多摩川を展望できたので江戸時代には玉川八景と呼ばれた人気のお寺であったという。境内には「行禅寺八景」と刻まれた碑があった。お寺の建物は明治時代に火災で焼失したとのことで鉄筋の近代的な作り。それと、今の眺望はニコタマの燗屋や街並が目立って多摩川でさえよく見ず、とても風光明媚とはいえない。それでも境内の紅葉が美しく落着いた中にも華やかな雰囲気をだしていた。
 
2017-12-07 行禅寺からの眺望(左のビルは燗屋)   山門は江戸末期の建立
 
12月8日(金)  <最近スマホ(i-Phone)で覚えた・・・>
最近スマホ(i-Phone)で覚えたのは、訳が分からない時には一度OFFにして再スタートをかけること、そして古い項目は極力消去すること。電話をしようと電話マークを押すと画面の全てがぼやけていて何も出来ない(電話以外の項目は問題なし)。このとき電源を一度切って再スタートすると正常に戻った。同時にこれまで画面で見た項目を何十項目かを消した(スタートボタンを二度押しをすると以前に見たページが表示されるので上にスライドして消去)。要するに前に見た画面を適度に消去しないと蓄積されすぎてよくないことがあるようだ。・・何だか人間の脳も同じ傾向があるなぁと連想して面白かった。人は何年も前、30年、40年前でさえ他人に傷つけられたことを覚えていて恨んだり憎んだりする。それが相手の些細な言葉一つでも死ぬまで記憶したりするから始末が悪い。けれども、その嫌だったことをあえてリセットして忘れてしまうか許してしまえば平穏で幸せな生活ができる。脳には不要なものを溜め込まないこと、リセットをかけること(特に許す)に限る。記憶量が多いのは自慢にならない・・。
2017-12-08 二子玉川にて
12月9(土)  <一ヶ月ほど前にニューヨークを旅行・・・>
一ヶ月ほど前にニューヨークを旅行した時の写真がようやく整理できた。「50周年記念ニューヨーク旅行」と名をつけたアルバム。原版をPhotoshopのソフトを使いA4サイズ40枚ほどの写真集にして世話になったニューヨーク在住の娘家族の分と二部を完成させた。アルバムといえば、以前は正月から大晦日までの写真集を毎年必ず作っていたのが、いつの頃から止めてしまった。昔のアルバムは家族の行事の記録としても懐かしくまとめていたものが、最近は夫婦で国内旅行をしたり、リンゴ狩りに行ったりしても写真が残っていない。正確に言うと写真はパソコンの中に山ほど残ってはいるがアルバムがない。パソコンの中の生の写真は年月が経つとほとんど見ることはないので写真をみて過去を楽しむことがなくなってしまった。・・結婚50周年のアルバムを整理してみて、やはり写真を撮るだけでなくアルバムとしてまとめる意味を再認識させられた。来年からは心機一転、またアルバム作りをやってみようか・・。
12月10(日)  <忖度(そんたく)し斟酌(しんしゃく)する・・・>
「忖度(そんたく)し斟酌(しんしゃく)する」という言葉を今朝のテレビで生に聞いた。といっても、いまは亡き作家の武田泰淳さん(1912~1976)が生前講演をした時のビデオ番組であったので本当の生放送ではない。忖度はどういう訳か今年の流行語にもなったが普段の会話でまず使うチャンスはない。斟酌も聞かなくなった。忖度(そんたく)は「他人の心を推し量ること」。忖(そん)は長さを測る「寸」に心がついて心をはかる、「度」は物差し、はかるの意だ。斟酌(しんしゃく)は「相手の事情や心情をくみとること、また、くみとって手加減すること」とある。共に社会の中で人間関係をスムースに運ぶために生み出された知恵に思えるが、武田泰淳さんは「忖度し斟酌することが裏目に出た」例を挙げていた。相手の心を推し量ることはいいことで以心伝心など日本人でないと通用しないデリケートな感情伝達のベースにもなる。けれども確かに心を推測するのは危険を伴う。特に今や外国人相手であれば推測でなく確認をしなければ理解し合えない。「誤解」を生じさせないためにはお互いに推測させることなく真意を伝え合うことだろう。

12月11(月)  <今朝テニスの開門を待つ間・・・>
今朝テニスの開門を待つ間に新国立競技場の建設現場を見に行った。前に見た時には基礎工事中であったのが今はかなり本体が立ちあがってきていた(下の写真)。そんな進捗に刺激を受けた訳でもないが、その後9時から12時まで休みなしのテニスが大熱戦(ダブルス戦)であった。今日は皆が熟達のメンバーでミスが少ないので長いラリーの連続。勝ち負けにかかわらず達成感十分の三試合だった。・・このテニスコートのメンバーになって50年近くになる。その間いろいろとメンバーが入れ替わった。亡くなった方、引退された方、身体を悪くして止めた方など数えきれない仲間との出会いがあった。最近、名前を忘れないようにするためもあってi-Phoneのメモに今も会員で対戦したことのあるメンバーの名前を書き出したところ30名以上になった。余り意識をしたことがなかったが考えると皆さんが本当に貴重な仲間だ。改めて対戦相手にも感謝。
2017-12-11 新国立競技場建設状況


12月12(火)  <来年の年賀状・・・>
来年の年賀状を考える時期となった。私の場合、大抵はその年の干支(えと)をデザインして賀状をつくる。実は年賀状のデザインをするのはノルマでも義務でもなく非常に楽しい仕事である。来年は戌年(いぬ)。どんなアイデイアで「戌」を使うか、考えているだけでワクワクする。干支は12年周期であるので昔のデザインも振り返ってみた。我ながら感心したのは10年以上前の賀状のデザインは非常に気合いが入っている。どちらかというと最近よりも昔の方がよく見える。例えば、このホームページに掲載した初めの賀状は2001年巳年のもの(=ここ)。このような巳年デザインは今はできない。干支の絵をあれこれ考えながら、もし「戌年」がなくて西暦だけの賀状ならばどんなになるだろうと想像してみた。クリスマスカードと同じような毎年お決まりの挨拶だけでは少々寂しい。干支の絵と共に平成30年と元号を入れるのもまた時代を表して好ましく思える。
12月13(水)  <表紙に陶芸作品・・・>
表紙に陶芸作品「饕餮文(とうてつもん)付属の笛」を掲載した。3000年以上前に中国で制作された青銅器・饕餮文(とうてつもん)をモデルとした陶芸を試みているが未だ完成していない。饕餮文については、10月14日のコラム(=ここ)でも触れている通り、この時に素焼きに出し、その後釉薬をかけて本焼成までいっているが、まだ窯からでてこない。そろそろ完成品を見たいと思いながら、一足先に「付属の笛」を掲載した次第。この「笛」は本来の饕餮文とは全く関係がない。上部に注ぎ口風のノズルがついているので、そこに別に製作した笛を差し込み饕餮文の器を反響させるとどうなるか、単に遊びで制作したものだ。以前、笛を陶芸で作ったことがあるので、調べると10年前、2007年にはドーナツ型の笛(=ここ=)、2008年には一輪指しに笛(=ここ=)などがあった。今回の笛は単体では大きい方が低音、小さい方が高音が響く。さて、饕餮文に接続するとどんな音がでるだろうか・・。

12月14(木)  <役に立たないものの視点・・・>
「役に立たないものの視点で見る」という言葉が忘れられない。人としてどのような視点で他の人や世の中をみるか、それは価値観の基本をなすものだろう。私の場合、「人」でなく物でも音でも絵でも、やはり”役に立たないモノ”の立場を考えてみる。役立たずを認めると身近にあっても安心できる。最近、陶芸などモノツクリは役に立たないモノばかりを作っている。実用的なお茶碗やお皿は名人が溢れるばかりに取り組んでいるので今更出番がない。役に立たない分野は無限である。ゴッホが描いた絵画は生前はお金にもならず全くの役立たずであったのが、死後世界中の人を勇気づける。その時代の権威者が役に立たないと決めつけたものが後に宝物となり感激を伝える例は芸術分野では枚挙にいとまがない。考えてみると、この宇宙の森羅万象”役に立たないもの”はないのでないかと思う。時として可憐な雑草が大輪の花よりも心を和ませてれる。
2017-12-14 
12月15(金)  <人の名前や固有名詞が出て来なくて・・・>
人の名前や固有名詞が出て来なくてイライラする。以前、画家の「中川一政」の名前が思い出せなくて困った末に何とか名前を頭に叩き込んだけれども、次には中川一政の美術館のある「真鶴半島」(神奈川県)が言えずに恥をかいた。”あの、伊豆半島の根元、熱海の手前の・・”と言っても「真鶴(まなずる)」の単語が浮かばない。今日はテニスの昔の仲間の名前が何人も思い出せないので愕然とした。最近は全く交流がないけれども一時は親しくゲームをした仲間だ。電車の中で時間があったので「あいうえお、かきくけこ・・」と「あ」から順にゆっくりと思いつく名字を並べてチェックしてみた。その結果、何人かは思い出すことができた。それでも出て来ない名前はあったが、初めの一文字で該当する名字を羅列するのは有効ではある。あれこれとやってみながら、結局は現役での付き合いがなくなり過去の思いでとしての名前や固有名詞は風化するのが自然かとも思う。過去ではなくこれから先の活動で必要な固有名詞はしっかりと覚えよう・・。
12月16(土)  <妻がこの2~3日寝込んで・・・>
妻がこの2~3日寝込んでしまった。このところの数年間、これほどダウンしたことはないので心配したが医者でみてもらうとインフルエンザだと診断された。昨晩の夕食は久しぶりに私が(二人分の)シチュウをつくった。タマネギやジャガイモが思ったところにないので探し出すだけで時間を取ったことからみても、最近いかに夕食の担当をしていないかが分かる。一時期、妻だけが旅行でいない時にグッチ裕三の料理本でいろいろとトライしたことがあるが、本を見ないでしばしば作ったのが、シチュウとカレーだった。我ながら駄目だと思うのは、自分で作ったものは何でも美味しく食べるが、他の人が美味しいと思う料理を作る自信は全くないこと。体裁も含めて人がどう思うかを気にすると料理ができなくなる。・・そして反省。妻が作った料理には口に出して”美味しい”とか感謝を表明すべき。更に、これからはとにかくも遠慮せずに料理を分担しよう。
表紙には今日完成した陶芸作品「饕餮文(とうてつもん)」を掲載。追ってコメントする予定だ。
     2017-12-17掲載分
12月17(日)  <昨日に続き「饕餮文・別面」・・・>
昨日に続き「饕餮文・別面」<陶芸作品>を掲載した。「饕餮文(とうてつもん)」はこれまでにも書いたが中国で3000年以上前に制作された青銅器を模して陶芸で制作したもの。根津美術館(東京‐南青山)にある本物の巨大な青銅器を知っているから今回の作品は可愛らしくみえる。饕餮文は四方に怪物を配して一種の魔除けとして使用されたといわれるが、粘土の段階でいろいろな魔物を細かく描き、彫り込んだものの釉薬をかけた後が少し緩慢な仕上げになってしまった。線で削った箇所には白地をつけて釉薬は透明釉薬を柄杓でかけたのであるが、透明釉が厚すぎたかも知れない。表面に光沢のある釉薬をつかったけれども光沢のないマット釉にするとどうなったかとか、今にして思うところはあるが、完成した物はこれとして受け止めよう。焼成に関しては問題なく焼き上がったことに感謝。魔物の模様のアップを下に一枚掲載してみる。
左右を見下ろす魔物たち
12月18(月)  <スエーデンの友人からクリスマスのメッセージ・・・>
スエーデンの友人からクリスマスのメッセージが届いた。メールのメッセージには”結婚56周年”を迎えたといって夫婦の写真が添えてあった。私たちはこの11月で“the 50 anniversary"ですと、早速返事を書き始めている。この友人とは 昔(40年ほど前)、技術提携先のエンジニアとして出会った。来日した時には列車で一緒に旅行し、買物にも付き合った。こちらがスエーデンに行った時には彼の家に泊めてもらったりもした。話が合って家族ぐるみの付き合いとなり、彼の娘さんや娘婿さんがオーケストラの楽員として来日したときに案内したこともある。今は彼のお孫さん、私たちの孫娘も絡んだ話題で盛り上がる。考えてみると、勤め人時代の日本人仲間とはほとんど付き合っていない。日本人同士でなければ理解し合えないとか、外人とはどこかで価値観が異なるなどという一般論がデタラメであることをスエーデンの友人は教えてくれる。
<今日の写真は昨晩行われた陶芸教室の忘年会での生ハム切り取り>
2017-12-18
12月19(火)  <表紙に「瑞輪寺(ガラスペンにて)」・・・>
表紙に「瑞輪寺(ガラスペンにて)」を掲載した。一昨日の陶芸教室の忘年会でプレゼント交換をした際、私にたまたまプレゼントをいただいたのが「ガラスペン」だった。今日の絵はこのガラスペンを使って義兄の墓のある上野・谷中の瑞輪寺を描いたもの。ガラスペンをプレゼントとして選んだのは中国の人で日本で陶芸や芸術を学んでいる。京都の大学院に合格したので来年は京都に住むと言っていた。感心したのはガラスペンの入れ物(箱)を特別に手作りをしてあったこと。日本の正月の模様を織り込んだ布を使い丁寧に作っている。ガラスペンをもらっても人によっては戸惑うだろうけれども私は大当たりの運命的なものを感じて早速ガラスペンで描いてみたのである。久しぶりに「今日の絵」を描いてみて改めて今年は絵の作品が少ないことに気がついた。一昨年が39点、昨年が23点、そして今年は今日の作品を入れて15点(虎の絵のダブりを除くと12点)だ。これを機会に「今日の絵」をもっともっと描きたい・・。

12月20(水)  <今日の写真・・・>
「今日の写真」として”すっかり葉の落ちたイチョウ並木と空”の写真を掲載する(下)。神宮のテニス場で休憩時間にこんな風景を見ながら幸せ感を味わうことが多くなった。空の青は宇宙の彼方までつながっているとか、千年、二千年前でも同じような雲と空を人は眺めていたのだとか、以前には余り考えなかった思いが頭の中を廻る。写真を撮った2017年12月20日午前8時50分は二度と来ない瞬間であり、この年月・時刻に自分がその場に居ることは生涯に一度だけであるにもかかわらず、悠久の時の流れの中で写真の風景は100年前でも100年後でも同じに見える・・。テニス場にたどり着くまでには人並みにラッシュアワーの電車を乗り継ぎ、まともに息をできないような混雑をも経験する。だからこそ 空が、自然が輝いて見えるのかも知れない。
2017-12-20
12月21(木)  <表紙に「今日の絵」・・・>
表紙に「今日の絵」として「にんにく<ガラスペンにて>/mieuへの絵手紙」を掲載した。一昨日にガラスペンで描いた寺の絵に続いての作品。一昨日のコラムでも書いたように陶芸教室の忘年会でのプレゼント交換でいただいたガラスペンを早速に使い始めたものだ。このところ「今日の絵」はしばらく途絶え勝ちだったのが復活した。このような絵ならば毎日でも描ける。身の回りにあるものを手当り次第に描いてみるのが「今日の絵」の本来の趣旨であったからこの復活はうれしい。面白いのは年末の忙しい時に限って毎日でも絵を描こうと思ったこと。賀状は未だ出していない、掃除もしなければならない、その他やることが目白押し。今日はこれから親戚の家により、その後、夜はクリスマスのミサに行く。こんな時にニンニクやジャガイモ、ニンジンが絵になれば言うことはない・・。


12月22(金)  <昨夜「グレゴリオ聖歌によるクリスマスのミサ」・・・>
昨夜「グレゴリオ聖歌によるクリスマスのミサ」(下の写真)で色々なことを考えてしまった。歌の歌詞とか間の言葉はラテン語かなにかで意味は分からない、しかもこちらは信者でもないので不遜ながらイエスキリストの生涯に思いを馳せた。それも三位一体としてもキリストでなく紀元前に生きた”人間”としてのキリストがどのような人であったのかを考えようとした。キリストが生誕したときの多くのエピソードに比べて幼児から少年期の話は聖書でもほとんど出て来ない。ヨハネから洗礼を受けその後宣教活動を始めるのは30歳近くであろうから、その間どのような教育・環境で育ったのだろうか。弟子や後世の教典で神となったキリストは、それだけの影響を残す強烈な”人生”を送ったのは確かだろう。いろいろと考えながら自分はキリストに関して全くの無知であることを再認識した。これ以上余計なことは言えない・・。今日は「東方の三博士」の形をしたネズミ人形を棚からだしてきてガラスペンで絵を描いた。「今日の絵」として表紙に掲載する。
    
12月23(土)  <陶芸教室で最高齢の会員である94歳・・・>
陶芸教室で最高齢の会員である94歳の男性が間もなくリタイアするとのことで話題になっている。元来は機械加工などを行っていた職人さんで町工場を経営していたが60歳を過ぎて陶芸を始めたという。先日(10月)の陶芸の展覧会で私の創った「92面体」にも非常に興味を持っていただき話をしたが、とにかく好奇心・探究心が凄かった。92面体の内部がどうなっているか、どうやって接続したかなど、事細かに質問された。陶芸で今私は球体の置物を作っているが、粘土の球体は直径より少し小さい円筒(瓶の口など)を使って真球に形を仕上げる技を使う。今日、陶芸教室で、そのご老人は何十年か前に鋼の球(ベアリングの球などであろう)を真球に仕上げることを要求されて粘土の球仕上げと同じように円筒を使い鋼球を研磨するやり方を自分で工夫したという話を聞いた。エジプトに旅行をするとピラミッドをどうやって造ったかを議論してくるというそのご老人が陶芸からリタイアするのが残念でならない。混雑する電車で通うのが不安になったのが止める理由らしいがお迎えにでも行きたいとまで思う・・。
12月24(日)  <年賀状の宛名印刷・・・>
年賀状の宛名印刷で悪戦苦闘するのは今の時期だ。無用な”戦い”ではあるが、宛名印刷のソフトが古くて言うことを聞かない。まとめて印刷を行っている途中で一時停止をして”再開"とすると、一番初めのスタートから印刷を初めてしまう。停止した先から印刷をしていると思うと大間違いで沢山のダブり印刷をしてハガキをムダにする。今年はいつになくこんな失敗が多くて我ながら”老化現象”でないかと心配をした。”刷り上げし 賀状そろえて お茶を飲む”という雰囲気で完了。少しずつでも何か行動すれば前に進む。年の瀬の恒例の行事も一つ一つが生活感に満ちた内容で好ましく思えるようになった。
12月25(月)  <クリスマスと関係なく・・・>
クリスマスと関係なく所用で久しぶりに銀座に行くと珍しくて”お上りさん”のように写真を撮りまくった。以前の銀座は東京の他の街がどんどん変貌し洗練されていくのに対して取り残されたように昔の名前だけを頼りにした薄汚い感じであった。それが様相を一変してリニューアルされている。松坂屋跡に出来たギンザシックス(6丁目)、周辺の欧米のブランド店などを含めて銀座にこんな活気があったのかと妙な感心をした。銀座8丁目の天国(てんくに)で天ぷらを食べたのは20年振りか・・。銀座の後、上野・谷中へまわり、義兄の墓参り。年末の墓掃除をクリスマスに終えたのは上出来・・。
 
2017-12-25 銀座にて
 
12月26(火)  <年末になって我家の雨漏り対策・・・>
年末になって我家の雨漏り対策工事が始まった。3ヶ月も前であったか大雨と大風が同時に襲来した時に天井から雨水が漏れて来た。その後、普通の雨は何度も降ったが問題はなかったので修理のタイミングをみていた。建物は鉄筋コンクリート造りであるが築30年ともなると少々のメンテナンスは当たり前のようだ。考えてみると今世界中で100年前に最先端技術で建造された国家のインフラが大修理の時期を迎えている。鉄橋、舗装道路(高速道路やトンネルを含む)、高層ビルなど、どのようにメンテナンスを行い、リニューアルするかは大問題である。何もない状態から新たに作り上げるのは自由で楽しいが、今はそんな時代ではない。あるものを維持し修理することは面白くもないが、やらねばならない重要な仕事なのだろう・・。我家のささやかな修理工事をしている現場の側にシクラメンとポインセチアが元気に咲いていたので写真を撮った。
2017-12-26
12月27(水)  <今日の午前中は今年最後のテニス・・・>
今日の午前中は今年最後のテニス。年末のせいか待ち時間もなく第一コートで3ゲームを続けてプレーできた。”来年もよろしく”の挨拶がそのまま素直な気持ちだ。それにしても今日もまた何という快晴、青空、それに風もない。東京の空がこれほどに澄んでいることをありがたく思わなければならない! テニスの後、帰路100円ショップに寄るとか、昼食後休みもなく車で出かけるなど、年末ならでの動きだった。そういえば、ゲームは一緒にやらなかったが、今朝のテニスの前に90歳で最高齢のメンバーの男性と話をしたとき、日常生活でとにかく同じ姿勢で休息をとらないように”動くこと”を心がけていると言っていた。特別な筋トレをやらなくても、アスレチッククラブに通わなくても、家事をすること、そして階段を上り下りすることがいいという。90歳でテニスを続ける秘訣を聞いて少々影響を受けたか・・。
12月28(木)  <来年から手書きの日誌を復活・・・>
来年から手書きの日誌を復活させることとしてウォーミングアップで12月中旬から日記風のメモを続けている。以前は10年以上”能率手帳”を続けて来たが何年か前に止めてしまった。再開して改めて分かったのは日誌でも付けないと本当に「書く」チャンスがなくなり、漢字が書けなくなること。それに2~3日前に何をして過ごしたか、思い出せないことがしばしばあることも再認識する。今日は都立大駅の近くの肉のハナマサに初めて行ったとか、自由が丘のピーコックストアで松飾りを買ったことなどメモすれば記録に残るが年末に忙しく動いたことしか記憶には残らない。毎日コラムを書いていれば記録になりそうだが、その日の出来事を書くとは限らない。それにコラムを書く時にはキーボードを叩けば漢字が出て来るが、自分で書くとなると「鴬谷」とか「御徒町」の駅名でさえ書けなくて愕然としたこともある。手帳の”予定表”を埋めて満足するといった生活とは無縁であるが毎日の日誌のつもりでA5サイズの手帳を使うのが楽しみになって来た。
12月29(金)  <ホームページの大掃除・・・>
ホームページの大掃除にほとんど今日一日を費やした。このホームページは継続はしているものの細かくみると色々と欠陥があることは承知していた。主にはリンクが狙い通りにつながらない箇所がいくつかあることなどだ。一年も前から徹底的に直したいと思いながら時間ばかりが経過してしまった。元はといえば”塵も積もれば”でホームページの容量が増えてきて小さなサーバーで処理できずに古いデーターを消去したり、別のサーバーと合体させて維持していることによる。19年前にホームページをスタートさせた当初と比べると今はサーバーの保存容量は桁違いに増えていると思うが個人としては昔と同じささやかな使用枠を使っている。画像も決して大きくしない、解像度も極力下げる。改めて我がホームページを見直してみると”創作物”以外のものがほとんど残って来ない。一部に旅行の写真やコーギー犬の思い出写真はまだあるが、お気に入りだった写真集や記録写真の類は随分処分した。・・5年~10年経過しても保存しておく意味があるのか、更に50年~100年経っても必要なのか、そう考えると年末大掃除でみな処分しても誰も困らない。ただ自分の都合のみで身の回りのものが存在する。
12月30(土)  <早朝から夕方まで年末・・・>
早朝から夕方まで年末の修繕や掃除に精を出した。朝食前に脚立を部屋に持ち込んで準備して、食後直ぐに天井近くの壁をペンキ塗り。つづいて共用玄関まわりは蒸気の掃除機で清掃。更には駐車場のシャッターの拭き掃除などなど。掃除とか修繕はやれば際限なく次々とテーマが出て来る。どこかで諦めるか、割り切るかだろう。・・このホームページにも今年最後の作品を掲載することとし「三角形花器(陶芸作品)」の写真を撮った。これは陶芸教室で以前出来上がっていたものだが、釉薬の状態がイメージしたように仕上がらなかったので、一部(下部三角部)の釉薬を追加して家の電気窯で再焼成した。釉薬の仕上がりも、やはり諦めるか、割り切るかなのだろうと思いながら・・。
 三角形花器・釉薬仕上がり詳細
12月31(日)  <今年は年末になって・・・>
今年は年末になっていくつか心境の変化が見られた。来年からは手書きの日誌を復活させようと手帳を購入したし、この3~4年途絶えていた年毎のアルバム作りも来年には再開するつもりだ。アルバムには最後にその年の家族の10大ニュースを書き出していた。今日は大晦日になってアルバムとは別に今年の10大ニュースをメモしてみた。年の初めに妻と夫婦揃って白内障手術をした。妻は孫娘と一緒のリサイタルを開催し、私は作陶展に大作を出品した。米国に住む娘家族とドライブ旅行そして(結婚)50周年記念の旅行も出来た。10大ニュースを書き出してみると、それなりに充実した一年との思いを新たにする。何より健康に恵まれたことを感謝しよう。



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