今日のコラム  2018-1月分


1月1日(月) <あけましておめでとうございます・・・>
あけましておめでとうございます。今朝、6時47分に富士山からの初日の出をみる(テレビ生中継)。その前、6時25分からのテレビ体操の正月版では3種のラジオ体操をテレビに習ってやった。初代は昭和3年(今年はラジオ体操が始まって90年)で、今のラジオ体操は第3代目で戦後・昭和26年に始まったという。・・更に、昨日大晦日の夜9時頃に行ったWii(任天堂)のバランス計測でバランス年齢20歳を記録したことも特別だった。20秒間、計測具の上でウォーキングして左右のバランスを計る項目では右左共に50%で100%合格。こんなことは年に一度もない・・。とにかくも新年がスタートした。本年が良き年となりますように・・。
元旦に息子の墓参りのために訪れた九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の写真を下に掲載しておこう。
 
2018-01-01 九品仏浄真寺の山門&本堂


1月2日(火) <いたただいた年賀状の中に・・・>
いたただいた年賀状の中に「・・80歳も半ばを過ぎ来年からは年賀状を失礼させていただきます・・」というのがあった。アー、まただ! 3年ほど前に運動仲間で年賀状のやり取りをしていた男性から、”これからは義理の付き合いを止めることとしたので年賀状もやめる”と宣言されて賀状が一切来なくなったことがあった。年賀状は”義理”だったのですかと言いたかったが、こちらから出すことも止めた。その後、この80歳を過ぎたばかりの人は見る間に痴呆症が進行して年賀状だけでなく、パソコンメールの返事もなくなり、外出もできなくなった。それ以降、周囲との交流がノルマとか義理とか、過度に負担と感じるのは、痴呆への”危険信号”に見える。確かに嫌な付き合いを無理矢理続けることはないだろうが、それでは楽しくてしようがない仕事や趣味を持っているのか。生きていて何が面白いのと問われてどう答えるのか。人が一生で付き合える人間はほんの一握り。お互いにつながりを持つ確率は極めて少ない。つながり・交流は「縁」であろう。皆不思議な縁で結ばれていると考えたい・・。
1月3日(水) <久しぶりに「豊島園・庭の湯」・・・>
久しぶりに「豊島園・庭の湯」にいった。妻とこの3〜4年は来ていないねと話したが、3年半前に現在の住所に転居してからは一度も行っていないことは確か。「庭の湯」には温泉設備の他、水流や水圧で各所をマッサージをできる機能がついたプール(水着を着て入る)、屋外の庭、サウナなど色々な設備がある(HP=ここ=)。私たちが気に入っているのは「大人の湯処」と称するように幼児や子どもの入場者がいないところだ。騒がしくないので本当に別世界のような落着いた雰囲気の中での一時。正月でないと味わえないささやかな贅沢であった・・。
1月4日(木) <今日は家で陶芸の下作り・・・>
今日は家で陶芸の下作りを存分にやった。陶芸教室には明後日・土曜日に行く予定であるので、その前にある程度家で製作を進めておくつもりだ。実は粘土の土練りを大晦日にやり、風船に粘土を被せた球体を作っておいた。正月に適度に乾いたところで穴をあけて内部の風船(というよりビニールのボール)を破って取り出した。今日は球体の仕上げ(円筒を使用して”球”に研磨するテクニックがある)、更に模様の彫り込みなどに時間をかけた。今通っている陶芸教室には家から歩いて行くことが出来るので、このような家での”下作り”の芸当ができる。・・こんなことを書いたが、今日のように一日が充実し外部に見える成果(アウトプット)がある場合に限って、このコラムに何を書こうかと迷うことが多い。ほとんどアウトプットがなく一日、本でも読んでいる方がコラムは順調であったりする。世間、特にマスコミで自分では何も実行しないのに得々と評論する人がいる。受け取り側は語りだけで実践が伴っていないとウンザリする。コラムも出来る限り評論でなく成果報告にしたいなぁ・・。
2018-01-04こんな花をみながら作業をした
1月5日(金) <午前中は今年初めてのテニス・・・>
午前中は今年初めてのテニス。底冷えする曇天の下でのテニスも身体を動かした後の温もりで何とも幸せな気分になる。テニスの合間に仲間がやっているという”篠笛”の話を聞いたりするするのも楽しみの一つだ。午後は明日の陶芸教室での準備段階の粘土工作。球体の模様まで一部できたので素材の段階だが今日の写真として下に掲載してみる。前に「饕餮文(とうてつもん)」を陶芸で製作した際に素焼き前の段階では会心作と思ったけれど、釉薬をかけて本焼成すると意外にシャープさがなくなり凡庸にみえたことがある(饕餮文完成品=ここ=)。陶芸は1300度の高温を通して最終的にどのような状態になるのか完成するまで分からないところが面白さの一つでもある。「球体」が果たしてどのように仕上がるかまだまだ先の話となる。
2018-01-05球体花器(第二弾)粘土で製作開始
1月6日(土) <夕方から義兄夫妻、義姉夫妻が・・・>
夕方から義兄夫妻、義姉夫妻が我家に来宅して久しぶりの夕食会を開いた。みな夫婦共に揃って元気。86歳を過ぎた義兄がWii(任天堂の器具)を使って初めてバランス年齢計測を試みたら71歳とでた。義兄は今でも弁護士の仕事をやり、趣味では合唱団で歌うことも続けている。やはり80歳を過ぎた義姉の夫も今も執筆活動をやり講演なども頼まれるようだ。男性群としては一番若手の私も健康面だけは負けていない。けれども、今日も話題になったように誰にも”まさか”が待っているかも知れない。今日までは元気であっても明日がどうなるか分からない。私のテニスの経験でも体調がいい時に限って調子に乗り一瞬で肘を痛め、足首を捻挫する。兄弟姉妹が元気なことを先ずは感謝。そしてお互いに”図に乗る”ことのないように心しよう・・。
1月7日(日) <穏やかな快晴の日曜日・・・>
穏やかな快晴の日曜日、近所の神社巡りをして半日を過ごした。ウォーキングで一時間ほど歩くことはよくやるが、今日は二時間以上かけて神社・仏閣を巡って歩いた。初めは家から歩いて、熊野神社ー奥沢神社ー八雲(氷川)神社を廻り、その後バスで碑文谷まで行き、更に碑文谷八幡宮ー圓融寺まで歩いて廻った。碑文谷ではお寺や神社以外にサレジオ教会や”すずめのお宿緑地”などにも立寄ったが、”ご近所”でももったいないほどお参り箇所、観光コースがあるのに今更ながら感謝である。下には四つの神社の写真だけを掲載する。今日は表紙に掲載した「パフィオペディラム/mieuへの絵手紙」も描いたが、この絵手紙に付いては次の機会に書いてみたい。
 
2018-01-07 熊野神社(自由が丘)      右は奥沢神社
 
八雲氷川神社         右は碑文谷八幡宮

1月8日(月) <昨日とは打って変わって・・・>
昨日とは打って変わって朝から曇天。夕方からは雨が降り始めた。表紙に昨日「mieuへの絵手紙(蘭・パフィオペデイラム)」を掲載したが、今日も”パフィオペデイラム”を別のアングルから描いたので下に掲載する。蘭の名前は覚えづらいだけでなく名前の付け方が好みではない。一緒にいただいた蘭で別の種類は「ファイアービレッジ・ワインシャワー」とある。これは何だ!”胡蝶蘭”など夢のある名前を付けた先人と比べて今の名前は情緒も何もあったものではない。名前はともかく、蘭は細かく見れば見るほど不思議な形をしている。生物の形状は造化の妙と言って簡単には片付けられない。動物にしても植物にしても細胞から成り立つ生命のあるものには決して無駄なものは付いていない。全てが必要な機能を持っているし、全ての形が必然である。どうして袋状になっているのか、花弁の枚数や形はどうやって決められたのか、色は何故黄色なのか、観察していると際限なく”不思議”が続く。もちろん、これは蘭に限ったことではない。人は時々どんな植物でもよいから集中して向き合っていると自分の至らなさに気付くのでないか・・。

1月9日(火) <今日は一日ホームページの改訂・・・>
今日は一日ホームページの改訂に時間を費やした。毎日のコラムなどを今見直すつもりはなく、固定して継続だけしていた他のサイトの内容の見直しだ。年が改まった今の時期に毎年宿題のように内容を調整する。今日のメインは「SPECIAL」のコーナー。以前はこのコーナーには家の近所の話題などを含めて特別にアピールしたい項目を掲載していたが、現在はキャンピングカーで周遊したヨセミテ旅行だけになっていた。ヨセミテ旅行は2011年でいかにも古い。今回はヨセミテの写真は半分にカットし、他の海外旅行のトピックを加えることにした。最近はコラムに写真を掲載するパターンが増えているのでコラムにリンクするやり方でSPECIALに掲載する写真は最小限とした。どちらにしても、この種の改訂はいわば自己満足で、人が興味を持ってサイトを見ていただけるかは別問題。アクセス数を気にせず静かに改訂だけを行う・・。
今日の東京は気温が急上昇し最高16℃近くなる4月の陽気。夕方散歩で駒沢公園に行くと冬にはない珍しい雲を見た。
 
2018-01-09 駒沢公園にて
1月10日(水) <最近使い始めたウォーキングシューズ・・・>
最近使い始めたウォーキングシューズが余りに具合がいいので書いておきたい。ニューバランス製の黒のウォーキングシューズであるが、きっかけは靴ひもを結ぶことなくワンタッチでできるので購入した。これが使ってみると実に使い易い。センターのボッチを押して右に回すだけで締まる。脱ぐ時はボッチを引くだけで良い。それ以外に今まで経験したことのない軽さでしかも履き心地がよい。正に歩くのが楽しくなる。今まで靴の善し悪しなど考えたこともなかったが、積極的にウォーキングに出かけたくなる靴があることを初めて知った。・・今日のテニスは昔からのテニスシューズを使ったが、テニス用の同種のシューズがあるようなので遠からずテニス用の靴も”ニューバランス”にするか・・。
2018-01-10世田谷区にて
1月11日(木) <都心部には高層マンションが続々と建設・・・>
都心部には高層マンションが続々と建設されている。最近高層マンションに入居したテニスの仲間や、平屋から高層階に移り住んだ知り合いの感想を聞くと想像していなかった内容だった。20階の高層マンションに住んで眺めもよくて気持ちいいでしょうというと、確かに眺めがいいけれども、問題もあるという。当然、高層階にはエレベーターで上り下り、階段を使わない。部屋は冷暖房完備で快適、眺めがいい上に適度に陽光も入る。つまり、恵まれすぎていると”下界”に降りる気がしなくなるというのだ。特別の用事でもない限り、外出して歩くとか、公園に行って陽を浴びるとか、近所にでかける機会が失せるそうだ。引きこもりとはいわなくても部屋の中で十分に快適に過ごせると他人を含めて外界との接触が激減するのは何となく分かる。・・私の場合、幸いに強制もされずノルマでもなく外に行きたくなる。今日の夕方の散歩では梅がほころび始めているのを見つけた。こんな発見は快適すぎる部屋に閉じこもっているとできない・・。
表紙に「mieuの絵手紙/蘭2(ペンと水彩)」を掲載。前回の蘭と一緒に寄せ植えされている別種の蘭を描いた。

 
2018-01-11 駒沢公園にて
1月12日(金) <表紙に「mieuへの絵手紙/身欠き鰊・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙/身欠き鰊(ペンと水彩)」を掲載した。あえてタイトルを漢字にしたが、身欠き鰊=みがきニシン。Wikipediaによれば、身欠きニシンとはニシンの干し物のことと解説されている。江戸時代、ニシン漁が盛んだった頃には”内蔵や頭を取り除いて乾燥させる”のが一番合理的な保存法であった。「ニシンの頭と内蔵を取り除いて2~3日素干しした後、2枚におろして更に2~3週間素干しする」(ブリタニカ)という。こうして干し物に加工された大量の「身欠き鰊」が江戸時代には日本各地に流通した。今回絵に描いたものは、北海道前浜沖獲りと記載された北海道余市の産物。今では身欠きニシンは貴重な存在に思えて細かく観察して描いた。身欠きニシンの入っていた箱には北海道の「ニシン漬け」以外に、京都の「ニシンそば」、北陸の「大根寿し」、東北の「山菜とみがきニシンの炊き合わせ」など各地の料理法が紹介されている。これほど各地で身欠きニシンが重宝されていたと言うこと。さて、我家ではどうやって料理するか・・。

1月13日(土) <午前中の3時間、陶芸教室で釉薬がけ・・・>
午前中の3時間、陶芸教室で釉薬がけをやった。出かける時には今日の持ち時間の3時間で釉薬をかけ終わるつもりであったが、全体の半分しか進まなかった。今日の釉薬がけは球体状の花器の内外に釉薬を塗布するもの。球の外周、縦横に線を入れて全部で72箇所のゾーンに分けた。この72カ所を全て異なった色模様の釉薬で個別に塗布することを試みたのである。基本は青、赤、白、黒の4系統(四季の色でもある)として、それぞれニュアンスを変えて色を塗る。多くの釉薬の色合いテストをするような面白さもあるが、焼成して完成してみないと色調が予測できないところが陶芸の難しさでもある。一方で、この種の陶芸作業の楽しさは絶対的な善し悪しはどこにもなく、正しい、間違いも決められないところにある。最終的には”好み”であって、権威ある大先生が完璧に整った仕上げをしても面白くないケースはいくらでもある。というと、成り行き任せで未熟な仕上がりの予防線を張っているようにもなってしまうが、とにかくも、次回には釉薬がけの完了を目指そう・・。
 
2018-01-13 夕刻訪れた九品仏浄真寺にて
1月14日(日) <横山大観・生誕150年記念展・・・>
「横山大観・生誕150年記念展」を見た(@山種美術館、2/25まで=ここ)。丁度、今朝のNHK日曜美術館で同時代に油彩で注目されながら28歳で早世した青木繁(1882~1911)が放映されていたので両者を比較して興味深かった。横山大観(1868~1958、89歳没)は1889年東京美術学校に一期生として入学(同期に菱田春草、下村観山など)岡倉天心、橋本雅邦らに師事した。同校で助教授に就任していたが1898年校長であった岡倉天心の排斥運動に伴い職を辞し日本美術院の創設に加わり、後半生は日本画壇の重鎮として確固たる地位を築いたことは知られる。天才と称せられた青木繁は東京美術学校(西洋画・黒田清輝に師事)を卒業した1904年に描いた「海の幸」が大好評であったのに対して、その3年後に絶対の自信を持って制作した「わだつみのいろこの宮」が上位入賞できず、尋常でなく落胆。当時の審査員、画壇の大家を散々けなした上で以後見るべき作品を描けず28歳でこの世を去る。一方、日本画で画壇の”大家”となって後進を牽引する大観は文字通り”長老”となった。ただし、今の時代に見ると展覧会の絵に添えてある言葉がいかにも古い。”絵を描く芸術家としては歴史、文学、宗教などの教養とともに人格が重要である”云々は学校の生徒に教える言葉としてはいいかも知れないが、絵画の鑑賞者に対しては余計である。能書きだけ言っても内容が伴わなければ滑稽。思想を入れろというが、見え透いた作為はごめんだ。青木繁の数少ない作品は現代のパリでも評価が得られている。北斎や若冲は能書きなしで今や世界中で通用する・・。
1月15日(月) <mieuへの絵手紙<おこのみあられ>・・・>
「mieuへの絵手紙<おこのみあられ>」(ペンと水彩)を表紙に掲載した。いただいた中村屋(新宿)の「花の色よせ」という”あられ”の一袋を描いたのであるが、よく観察するとこの「あられ菓子」はすばらしくよく出来ている。中村屋の宣伝になるが少し書いてみたい。絵手紙として描いたのは袋に朝顔の模様がある「夏」の色よせ。他には、春の桜、秋の菊、冬の椿の袋があり、それぞれに異なった7種類の”あられ”が入っている。例えば、海苔巻き短冊、チーズ短冊、海苔、青のりなど風合いを変えたあられが楽しい。このような実に風情のあるお菓子であっても私などは絵に描かなければ何も気づかずにあっという間に食べて終わりにしてしまう。描くことは生活を豊かにしてくれる。今回描いた”あられ”は袋や形の優雅さに劣らず味もとても美味しく大満足だった・・。

1月16日(火) <今年から「HOBONICHI-TECHO」・・・>
今年から「HOBONICHI-TECHO」(A5サイズ、cousin)を使い始めて、今のところ順調だ。以前はBindex(B7サイズ)手帳を日記風に10年間以上使っていたが、この1~2年手帳日記を止めていた。前にも書いたが、そうすると文字を自分で書く機会がほとんどなくなってしまう。年末に2018年には手帳復活させる決心をして、はじめて「ほぼ日手帳」を採用してみた次第。ほぼ日手帳は糸井重里さんが昨年立ち上げた会社のメイン商品であるだけあって非常に種類が多く内容もよく考えられている。私が使い始めたのは1日1ページであるが、スケジュールページは別にもあり書くスペースに余裕がある。そのため、朝食前にどんなトレーニングをしたとか、食事の内容、歩いた先の出来事などをメモする以外に、空きスペースに毎日フリーの絵を描くことまでやっている。他人に見せる絵ではなく落書き風に手当り次第に描くことができる。「ほぼ日手帳:例えばこんな使い方」(=ここ=)にサンプルがあるが、何でもありのオリジナルを作れるところがいい。
今日の写真(下)は義兄の墓参りで谷中のお寺に行った際に撮った谷中の街風景。
2018-01-16 谷中にて
1月17日(水) <家庭の電力使用量・・・>
家庭の電力使用量をリアルタイムで見られるようになった。東京電力に登録しておくと毎月あるいは毎日の使用量(電力量kw/h、or 金額どちらでも)をインターネットの個人データとしてグラフで示してくれる。その他、前年との比較なども自由自在。興味があるのは時間別の使用量をグラフでみることができるところ。今日の例で見ると起床した5時30分に居間の暖房を入れたところで、それまでの3倍以上に急上昇(夜中に寝室の暖房をしている)。それも朝の行事が一区切りした8時30分には下降してそこそこに落着くといった具合だ。以前は請求書の金額をグラフにプロットして比較していたが今は過去にさかのぼってパソコンで実績をみることもできる。こうしたことを当たり前と片付けず、時には有難いと感謝したい・・。
今日は午後久しぶりの大雨。外出もせずに一日、家のいわばリフォーム仕事に奮戦した。自分で風呂場の床をフローリングに改造することにしたのだが、トイレの場所や配管の貫通部の加工に思いの外、手間取って夕方までかかってしまった。完成させてゆっくりと風呂に入ったのが何よりのご褒美・・
1月18日(木) <昼過ぎに妻と待ち合わせて・・・>
昼過ぎに妻と待ち合わせて珍しくランチを高級な外食とする。といっても、近所のフランス料理風フカヒレ中華店に行ったのだが、初めて訪れたレストランとしては大当たりだった。駅まで歩いて行く際に毎回その店の前を通っていたが、外観から高級、高価と決めつけて敬遠していた。実は庶民的というか適当価格でしかも美味しさ万点。レストランはやはり味わってみないと内容は分からない。今日の食事は明日が私の誕生日なので一日早くお祝いとしたもの。満年齢で喜寿になるが昔と違って喜寿など一つの通過点でお祝いをするほどでもない。けれども一つだけ、母が正に喜寿、77歳になったばかりで亡くなったことを思い出す。癌細胞さえなければ他は元気で頭も冴えていた。母の最期の頃には妻が懸命に面倒を見てくれたが私はほとんど何も出来なかった。そうか、その頃私は40歳半ば。その年に母と父を相次いで亡くし大きな岐路に立った・・。喜寿以降もいろいろとやりたいことが出来るのは、”御蔭さま”。またお墓参りにでも行くか・・。
1月19日(金) <午前中3時間をテニス・・・>
午前中3時間をテニス、午後の3時間を陶芸教室での作陶と誕生日には関係のない中身の濃い一日。今日は特に陶芸で充実感があった。金曜日の午後の陶芸教室は初めてであったので、面識のなかった教室仲間から昨年の展覧会での大きな作品(92面体)がとてもよかったと言われたり、製作中の球体の作り方を聞かれたりしたのもモチベーションのアップになったのだろう。陶芸教室に行かなければテニスの疲れで昼寝でもしている3時間に釉薬かけを完了させた達成感は大きい。相田みつおの「日めくりカレンダー」、19日の言葉は:「生きているうち  はたらけるうち  日のくれぬうち」。
1月20日(土) <人は「話し方」で変わる・・・>
人は「話し方」で変わる。好きになったり、嫌いになったり、仲間と思ったり、逃げたくなったり、元気になったり、落ち込んだり、人間関係が「話し方」一つで変わるのは誰もが経験するところだろう。話し方は聞き方に直結するとよく言われるが、本当に聞き上手な人に出会うと嬉しくなる。それだけ希少価値でもある訳だ。頭の回転が速く話が途絶えない人は相手の話を聞くのは苦手であったりする。話のプロである落語家が話し上手とも限らない。「鶴瓶の家族に乾杯」というNHKテレビでかなり昔であるが鶴瓶が漁村で通りがかりの人にインタビューしたところ鶴瓶に全く興味をみせなかったら、”天下の鶴瓶さまを知らぬのか”という態度で不機嫌になった場面があった。以降の番組ではみな鶴瓶さまをチヤホヤする人ばかりに編集してある。鶴瓶に限らず、世の中の大部分の人は落語の高座など見たことがないのにテレビで芸人としてでてくる落語家はどうして自意識過剰で高慢なのだろう。咄家がとても話し上手とは言えない。・・難しいことはさておき、先ずは”あいさつ”から話しを始めるか・・。
1月21日(日) <表紙に「mieuへの絵手紙・ピーナッツ」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙・ピーナッツ」(ペンと水彩)を掲載した。今年、1月になって6枚目の「今日の絵」。全てNYに住む孫娘Mieu宛の絵手紙であるが、昨年の絵が1月に1枚、2月、3月には零枚であったことを考えると見違えるようなペースだ。昨年は1月には白内障の手術をしてテニスを1ヶ月以上やらなかったり、以前の陶芸教室でやる気がなく停滞していたとか、いくつか原因らしきものが思い当たる。やはり健康と余裕がなければ創作の意欲が湧かないのか。それにしても今年は”ほぼ日手帳”も続いているし、陶芸も楽しみ、テニスは週に2~3回、そしてまだ空いた時間に絵も描きたくなる。絵手紙は大袈裟にテーマなど考えずに身の回りで目についたものをスケッチするスタイル。今日の絵・「ピーナッツ」もそのような中の一つだ。私はかつて香月泰男さん(1911~1974)の絵と文による「春夏秋冬」という本(谷川俊太郎編・新潮社)を愛読した。シベリアで抑留生活を送った体験から香月さんは日々接する何でもないものに目を注ぎ、生きている実感があふれる深い絵を描いた。画壇の大家の絵画より香月泰男の小さな絵がどれほど勇気を与えてくれることか。

1月22日(月) <朝から小雪・・・>
朝から小雪が舞ってテニスにも行けず、3年半前に転居して今の家に住み始めて以来、手をつけていなかった家の片付けにとりかかった。棚をつけて本格的に部屋の改造をしようと始めたが、こんなことはエネルギーがないと出来ない。最近の身体の調子の良いのには改めて感謝。作業をしながら窓の外を見ると東京では珍しい大雪になって既に数センチは積もっている。まだまだこれから夜になって積雪が増しそうだ。都心では更に10cmを越す雪となる予報。・・昨日の朝、評論家の西部邁さんが大田区の多摩川に飛び込み自殺したことが報じられた。家から比較的近くよく知っている場所なので、”こんなところで自殺できるの”と不思議な気持ちもある。保守論客とされるが東京MXテレビ「西部邁ゼミナール」などで見る歯切れがいい語り口は借り物でなく自ら熟考した思想として魅力があった。4年前に奥様を亡くし、自分の体調もあり以前から「自裁死」をすると語っていたという享年78歳。潔さ、実行力は凄いが、それにしても「自裁死」の手段として何か他の方法はないものか・・。合掌。
1月23日(火) <東京では積雪23cm・・・>
東京では積雪23cmを記録して夜明けを迎えた。今日は朝から雲一つない晴天。朝食後、家の周りの雪かきを始めると、ご近所さんが非常に協力的でうれしかった。自分の家の前に限らず隣近所の道路を元気いっぱい雪かきをしてくれるのでこちらも一生懸命にやりたくなる。普段は疎遠なご近所さんとコミュニケーションをとる貴重な機会ともなった。午後には強い陽射しを受ける場所の雪が見る間に溶けて少なくなっていく。やはり東京は雪国とは違う。いつもとかわらぬウォーキングスタイルで道路を選びながら小一時間雪景色の中を歩くと親子で雪だるまを作るとか雪合戦をするなど雪を楽しんでいる子ども達が目立った。
 
2018-01-23 駒沢公園にて  テニス場の影は私の撮影姿
1月24日(水) <表紙に陶芸の新作「四角皿」・・・>
表紙に陶芸の新作「四角皿」を掲載した。新しい陶芸教室に移ってから意欲的に作陶に励んでいるが、昨年末に掲載した作品の後、続く成果が見せられなかった。今日は昨日来の大雪の影響で屋外でのテニスなどの運動ができないので、家で3年振りに自分の部屋の模様替えをやった。机の位置を90度変えてパソコンや本棚などを含めて大掛かりな配置替えとともに不要なものを大整理。何時間もの作業の合間に陶芸教室で作品が完成しているという情報で「四角皿」を受け取るためだけに教室まで出向き持ち帰ったものだ。この作品では”イッチン”といってスポイドから釉薬を絞り出して点や線を盛り上げて描く技法を主に試みた。黒っぽい線状にみえる部分は溝の中に細い銅線を入れて焼成したところ予想より太めの線ができたもの。これまでにやったことのないことで結果を得ることはやはり面白い。
  横から見た四角皿(一辺約27cmで高台はつけていない)
1月25日(木) <今朝の東京の気温がマイナス4℃・・・>
今朝の東京の気温がマイナス4℃であったことが大ニュースになっている。朝の気温がマイナスになったのが今日で5日間続いたことになり、これは32年振りとか。それにしても東京は随分と暖かいのだとも思う。ニューヨークに住む孫娘が最近のニューヨークの気温のことをブログに書いている(=ここ)。ニューヨークでは連日マイナス12℃、マイナス13℃の気温とか。”マイナス10度まではわりと大丈夫なんだけど、マイナス12度以下になると急に寒さがものすごいキツくなる気がする”と記している。不思議なのは娘がニューヨークから東京に来た場合、東京の寒さの方が応えるとも言っていたこと。ニューヨークは乾燥しているのでマイナス4~5℃であれば、それほど厳しさを感じないこともあるようだ。体感的には気温だけで決められないかも知れなが、東京はニューヨークと比べると格段と気温が高く過ごし易いと思って外に出よう・・。
1月26日(金) <地球最期の日まで残り5分・・・>
「地球最期の日まで残り5分、終末時計冷戦期と並ぶ」とNHKが報じたのには呆れるよりも腹が立った。「終末時計」はアメリカの科学雑誌が1947年にアメリカと旧ソヴィエトの冷戦期に核戦争での地球滅亡を警告する意味で終末となる零時まで残り時間何分と象徴的に表した時計。今回、北朝鮮の核開発の要因を入れてこの雑誌が時間を進めたというからもう何をか言わんや。こんな70年以上前のお遊びに今何故付き合うのか。当時の警告はともかく、今になってみると「終末」の定義が非常に不遜に思える。元より地球はそれほどやわでない。人類だって滅ぶことはない(それほど愚かでもない)。「終末」などという言葉を安易に使って欲しくないのだ。奇跡の地球、生物、人類の歴史の概要を見てみよう。地球誕生は45億年前、その地球上に生物が誕生したのは38億年前(タンパク質の合成など)、単細胞生物が現れたのは35億年前、DNAの核を持つ生物が出来たのが15億年前、多細胞生物が生まれたのが10億年前・・時代を進めて・・人類は恐竜が隕石衝突で絶滅したとされる6500万年前のはるかに後、600万年前(チンパンジーと分化)に誕生する。現代人につながる祖先の誕生は20万年前・・。まだまだ続く壮大な歴史を知ると「絶滅」とか「地球最期」などを使えるものではない。
2018-01-26 大雪の後はじめてテニス
1月27日(土) <もの言えば 唇寒し・・・>
「もの言えば 唇寒し 秋の風」。余りに有名な松尾芭蕉の俳句だ。「秋の風」の季語を除けば、人の悪口を言うと災いを招くという諺の言い方になる。芭蕉自身も「人の短を言う事なかれ己の長をとく事なかれ」を座右の銘にしていたから、俳句にも”口は災いの元”、”人を悪く言わない”を意図していたと解釈されることが多いようだ。芭蕉の時代には庶民の間では教訓的なもの、諺的なものが好まれたという。明治時代に俳句の改革運動を志した正岡子規は月並俳句を指弾したが、教訓の詩歌もまた槍玉に挙げた。私などには何が教訓的か分からぬ句にも鋭い言葉で指摘している。同じく松尾芭蕉の名作とされる俳句:「道のべの 木槿(むくげ)は馬に くわれけり」。この句を「出る杭は打たれるという俗諺の意にて木槿の花も路の辺に枝突き出して咲けば馬にも喰われるよと人を諌めた」と解して”この句は文学上最下等に位する”と決めつけたという。作者が何を意図していたかは別で鑑賞者は好き勝手に色々と解釈することができる。7年間の結核との闘病生活の後、34歳の若さで亡くなった子規は怖いもの知らずで、まさに「もの言えば唇寒し」の感覚がない革新者であったのだろう。
<明日から小旅行にてコラム休みます>

1月28日(日) <今、箱根・仙石原の宿・・・>
今、箱根・仙石原の宿にいる。昨日、”コラム休みます”と書いたが、ノートパソコンを持参して来てしまった。宿ではWi-Fiが当たり前で使えるのでコラムの更新もできる。今回の旅行は大雪の後で凍結も心配なのでバスを利用した。東京・新宿の「バスタ新宿」(=バスターミナル新宿)で高速バスに乗る。東名高速を一路西へ。出発時満員であったが、ほとんどの客は御殿場のアウトレットで降りた。中国人か韓国人かの団体だった。御殿場駅から乙女峠を経て仙石原まで。妻や自分が車を運転するよりはるかに気楽な旅行だ。今回は箱根で観光するのでなく温泉にでも入ってゆっくりと休養しよう。


1月29日(月) <箱根ラリック美術館で一日・・・>
箱根ラリック美術館で一日ゆったりとした時間を過ごしたい。仙石原の宿から10分ほど歩いてラリック美術館へ。フランスの宝飾作家、ガラス工芸家であるルネ・ラリック(1860~1945)の作品を蒐集しラリック美術館を創設したのは?功泰 (はたかずやす)氏。?氏は日本の映画興行会社である?興行のオーナーで2005年に私設美術館としてラリック美術館をオープンさせた。美術館に隣接してルネ・ラリックの作品で内装が飾られている本物のオリエント急行が設置されているのも目玉だ。1928年に製造されて2001年まで実際にヨーロッパ各国を走行していたオリエント急行の車両を2004年に横浜港へ陸揚げし、その後トレーラーに乗せて箱根の山まで持ち込んだ。2005年のラリック美術館開館と同時にオリエント急行も公開されたという。今日はオリエント急行の座席でコーヒーとケーキ。周囲をラリックが制作したガラス細工に囲まれて贅沢なティータイムだった。ラリックのオリジナリテー溢れるガラス工芸が私の陶芸作りにも新たな刺激を与えてくれる・・。
 
2018-01-29 ラリック美術館への入口    右はオリエント急行の車両
 
オリエント急行の内部(壁の飾りがラリック作品)   右はラリック作品例
1月30日(火) <箱根は朝から雪・・・>
箱根は朝から雪。宿でタクシーを呼んで近くの「箱根ガラスの森美術館」(=ここ)にいった。かなり前に一度訪れたことがあるがほとんど記憶に残っていない。今回は時間をかけて詳細に展示物や庭の飾りを鑑賞して、前よりはるかに感動した。興味の対象が変わったのだろうか。この美術館は16〜17世紀に作られたヴェネチアングラスの蒐集品で知られるが、現代ガラス工芸の名品も見られる。関東地区を主体に幅広く料理店舗を展開する「(株)うかい」(会長鵜飼正紀)が1996年に創設したこの美術館は非常にユニークだ。何より美術館側が来訪者を飽きさせないように一生懸命にもてなそうとする気持ちが伝わってくるのがいい。・・美術館を見た後、雪の中で高速バスに乗り、夕刻には東京の自宅に着いた。今回はとにかくも無事に帰宅できたことを感謝・・。
 
2018-01-30 箱根・仙石原「ガラスの森美術館」にて
 
1月31日(水) <表紙に「たまねぎ/mieuへの絵手紙」・・・>
表紙に「たまねぎ/mieuへの絵手紙」(水彩)を掲載した。この絵手紙は1月中旬に描いたもの。まだ他にも1月に描いた絵手紙が残っているが掲載は2月になってしまう。前にも書いたが今年になって張り切って絵手紙を何枚も描いているのでニューヨークに住む孫娘mieuへ文章と宛名を書いて投函する妻の役割が追いつかない。まだ昨年末に描いた絵手紙が妻の机に残っているので早く出すように催促する始末だ。そんなニューヨークのmieuから今日、妻に電話がかかってきた。高校生になったmieuの学校の宿題で2親等以上の親戚から体験談を聴いてレポートする必要があるという。内容はその人が子どもの頃に転機となった出来事、子ども頃にやっておくべきだったと思うことなど(話の内容は録音される)。妻はあまりドラマチックな体験がないので困っていた。後で話し合ったのだが、妻も私も終戦直後の一番貧しい時期に生を受けて育ったから、親は苦労したであろうが、自分たちは成長の過程で一つも惨めさや飢餓感がなかった。今考えると貧しくても母親が作った食事がベスト。遊び道具はなくても全て自分で考えて思う存分に遊んだ。成長に伴ってモノが豊富になってくる時も全てが上り調子でとらえられた。バブルとは縁遠かったのも結果的にはよかったのだろう。他人との比較でなく自分の中では常に恵まれている・・。


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