今日のコラム  2018-2月分


2月1日(木) <カレンダーをめくって2月・・・>
カレンダーをめくって2月の始まり。今年から画家ミロの描いたカレンダー(昨年末ニューヨークの土産として購入)を使っているので月が改まるとどのような絵が現れるか楽しみでもある。下に掲載した写真の左が1月、右が2月のカレンダーの絵である。・・今日は私の5人の兄弟姉と連れ合いを含めての食事会。長兄だけは90歳前に亡くなったが他は皆元気であるのが何よりだ。平均年齢で卒寿を越えて誰も”老いぼれ”を感じさせないのは素晴らしい。・・今晩は東京地方にも雪の予報。明日の朝、また雪かき仕事となるだろうか・・。
2018年カレンダーの絵(左が1月、右が2月)


2月2日(金) <表紙に「ハンドスピナー/mieuへの絵手紙」・・・>
表紙に「ハンドスピナー/mieuへの絵手紙」(水彩)を掲載した。ハンドスピナーは「ストレス解消などの目的のアメリカ生まれの手慰み玩具」(Wikipedia)と解説してある。私は絵手紙に描いたもの以外にまだ何個かのハンドスピナーを持っている(mieuの母親=娘からプレゼントされたものが多い)。別に”ストレス解消”のためではないが、手にもって軽く回すだけで実によく回転を続けるので楽しい(数分間回転が続くものもある)。回転体としても興味深く、構造を細かく考えてしまう。このような回転体に使っている小さなボールベアリングは日本のミネベア(株)製に違いない。ミネベアは超小型のベアリング部門では抜群の技術力を持ち、シェアは世界一(ミネベアは昨年ミツミ電機と経営統合して今の社名はミネベアミツミ<株>)。高精度のベアリングがあるからこのような回転玩具が存在するのだろう。You Tubeでハンドスピナーの実物を見ることができる。(例:セイキンのハンドスピナー検証=ここ)。
今日の写真(下)は息子の月命日の今日。墓参に訪れた九品仏・浄真寺。
  2018-02-02
2月4日(日) <昨日の土曜日は節分・・・>
昨日の土曜日は節分かつ大安。夜、以前の陶芸教室の仲間が9人集まり会食をして帰宅が11時になったのでコラムも書かずに就寝してしまった。この日は仲間の一人(陶芸家として自立している女の子)が開催している個展を皆で見に行った。若い女性であるのに独特の個性を維持して誰も出来ない陶芸作品を作り続ける彼女を心から応援している。・・今日の表紙には現在通っている陶芸教室で出来たばかりの陶芸作品「花器X」を掲載した。釉薬はこの教室で初めて使った「そば釉」。内部の仕上がりに不満はあるが”そば釉”部分はこれまで見たことのない味を感じる。昨日は陶芸仲間に大いに触発された。誰に遠慮することもなく、これから更にどのような陶芸作品を造り上げるか、自分で楽しみにしたい・・。
2018-02-04 駒沢公園では梅が開花
2月5日(月) <月曜日はテニスの日・・・>
月曜日はテニスの日。朝7時35分に家を出てバスと電車を三回乗り換えるけれども8時15分にはテニスコートの入口に着く。順番取りにバッグを置いて屋外の寒い場所で8時40分の開門を待つ。その間、私はi-Phoneで今日のニュースに目を通したり、COCOLOLOというソフトで体調を計測する。テニスの受付は8時50分。その場の成り行きで4人のチームを決めて乱打の後ゲームを行う。普通は4人の組合せを変えて3試合。今日はフルセットの熱戦が多かったので、休みなしにゲームをやったけれども、3試合が終了したのが11時30分を過ぎていた。コートに立った当初は寒さで身体が動かなかったのが、運動するに連れて暖まり動きが良くなるのが実感として分かる。終わった後の爽快さは何事にも変えがたい・・。
2月6日(火) <表紙に「花器X-2」・・・>
表紙に「花器X-2」(陶芸作品)を掲載した。一昨日掲載した陶芸作品を上下逆さまにして上に花を活けたもの。これまでに上下を逆さまにできる陶芸をいくつか制作したが、あまり実用的ではなかった。今回のは丸形ガラスが面白くつながるので、実際に飾ってみた。一般的には陶芸を展示して見てもらう時は陶芸単体がいいようだ。私はこれまで陶芸で玉を転がして遊ぶモノとか、水が流れるタワー、噴水など仕掛けものを沢山作ってきたが、展示会でこれらを動かしてみせると、陶芸の出来映えなどは目に入らず仕掛けだけに興味が行ってしまう。しかし、考えてみると陶芸はあくまで脇役であってよい。食事の皿や茶碗は食べるものの引き立て役、花器は花をいかに美しく見せるかの役割であろう。主張し過ぎない名脇役ができれば言うことはない・・。

2月7日(水) <最近は「マンネリ」という言葉・・・>
最近は「マンネリ」という言葉をあまり聞かなくなった。マンネリズム(mannerism)はmannerが語源で「行儀・作法・礼儀など決まりきった癖や作法を意味する」と解説されているが、一昔前は芸術や演芸の分野など多くの人の目にさらされるものに対して如何にマンネリを打破するかが、やる気のある人たちの考えどころであった。形式主義でワンパターンのものを作らずにオリジナルなものを創造することに意味があった。ところが近頃のテレビ番組などは完全にマンネリ化してしまった。マンネリという言葉でさえもマンネリ化したマスコミではあえて使用されない。いわば新しいアイデイアをだすことなく何も挑戦しない体質になってしまったのか同じような人まね番組ばかりが並ぶ。 かつてはビートたけしがテレビのマンネリを打破する役割を果たした。そろそろ芸能人を並べて時間をつぶすテレビ体質を変える若いアイデイアマンの出現を待ちたい・・。
2月8日(木) <毎日、何でもないことに時間を消費・・・>
毎日、何でもないことに時間を消費しているようで、励み、楽しんでいる。今日の午後は陶芸教室で息も付けない緊迫した3時間を過ごした。土練りから、板作り、板同士の接合など短時間でやり終えなければならないので前屈みの作業の連続で腰が曲がった。家に帰る時には背筋を伸ばすように上を向いて歩いた。今日はまた電位治療器という機器をセットし、試運転したことも一つのエッポック。他には、風呂上がりに愛飲している2013年自家製の梅酒がついに終わりとなったのも今日。明日からは2014年自家製に切り替わる。一つ一つの積み重ねが明日へつながる・・。
2月9日(金) <本棚を整理していると思わぬ出会い・・・>
本棚を整理していると思わぬ出会いがある。今日は「ヴィトゲンシュタインと禅」(黒崎宏著、哲学書房)の本でしばし中身を拾い読みしはじめて止まらなくなった。この本は9年前、38歳で亡くなった息子の書棚にあったもの。息子はこんな哲学も好きであった。ヴィトゲンシュタインは1889年オーストリアで生まれた哲学者。後にイギリスのケンブリッジ大学で教授を務めるが、第一次世界大戦では捕虜になったり、小学校の先生をやったり、尋常でない経験を経て、現代英米哲学の指導的役割を果たした(1951年没、62歳)。私は息子を通して名前を知ったが、ヴィトゲンシュタインがイギリスで学び始めた当初は航空工学を研究していたとか、数学の基礎に興味を持ち始めて数学の基礎として現代論理学を学んだとか、哲学に至る経緯からして非常に興味深く、更に細かく著作を読んでみたくなる。テレビやインターネットと距離をおいてヴィトゲンシュタインや禅と接触するだけで豊かな感覚になることは間違いない。
2月10日(土) <表紙に「mieuへの絵手紙/模様」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙/模様」(ペンと水彩)を掲載した。最近にしては珍しく具象でないテーマ。どうしてこのような絵手紙を描いたか、特に理由はない。絵に限らず創作は全てその場の思いつき、成り行き、カッコ良く表現すればヒラメキ。陶芸の作品でも完成した後で何のためにこれを作ったのだろうと自分で分からないことがある。どこかで刺激を受けて自分なりのデザインをして制作する。制作者は作品について能書きを垂れるものではないというのが私の信条だ。”世界平和のために描いた”という画壇の大御所の絵画が気持ち悪かったことを思い出す。・・コラムには書いていないが、今週は月、水、金の3日テニスに行き、木、土の2日陶芸教室に行った。その他のこともはかどっているので体調が余程いいのだろう。このところ、Kindleで”骨ストレッチ”の本を読んで実践するようにしている。骨ストレッチは要は”身体を芯からゆるめる”ことを基本としている。無理に筋肉を使うよりも力まない方が結果がいいことはテニスで毎回経験するところでもある。身体を緩めることは精神を緩めることにもつながるのでないか・・。

2月11日(日) <表紙に新作「球形花器1」・・・>
表紙に新作「球形花器1」(陶芸作品)を掲載した。昨日、「mieuへの絵手紙」を掲載したところだったので、この絵手紙を表紙から除くのは絵に申し訳ないが、そこは割り切ることとした。mieuへの絵手紙は1~2時間あればいくらでも描くことができるが、陶芸は完成までに随分時間が経っている。この球形花器も昨年の12月はじめに制作を開始したしたものだ。粘土で完成させた後、素焼を行い、更に釉薬をかけた後で本焼成をする。教室の窯の具合で1〜2ヶ月は十分に経ってしまう。今回の球形は地球の緯線、経線と同じように、上下方向を6本の緯線、径方向を12本の経線を引き、球体を72個のゾーンに分けた。それぞれのゾーンを全て異なる色模様にするつもりであったが、思う通りにはできなかった。計画としては大枠で四季の4色をまとめたゾーン(上部は玄冬、中間が青春、その下が朱夏、下が白秋)に分けた。それも釉薬の選択から容易ではなかったけれども、今回の色見本のような結果を見ながら、自分の勉強にはなったと思っている。球体花器は下部に高台を付けずに輪の形をした台を別に制作した。従って花器の口は真上にセットしなくても自在の位置に置いて裏の模様を見ることも出来る。
    
2月12日(月) <今日の月曜日は振替休日・・・>
今日の月曜日は振替休日。テニスもお休みなので、義兄の墓参りに行った。谷中にある義兄の墓には毎月出来る限りお参りに行く(11日が月命日)。今住んでいる家は義兄が元住んでいたところを借りているし、生前には一方ならず世話になった。昔はテニスも一緒にプレーをしたことがある。義兄は今の私ぐらいの年齢になった頃、”相手の嫌がるところばかりを狙って球を出す意地悪なテニス競技には飽きた”と言ってテニスを止めた。私は今も取り難いボールで相手を翻弄するプレースタイルでテニスを楽しんでいる。谷中は文京区から台東区の谷根千(谷中・根津・千駄木)と呼ばれる一帯の一つであり、東京下町の風情を残す地域として知られる。実際にお寺や細い路地、昔ながらの小さなお店などが魅力的だ。今日は谷中のお寺から根津方面に歩いた。根津駅(地下鉄千代田線)の近辺で昼食をとろうとしたが、外食店が極めて少なく適当な店がなかった。外食チェーンに店を貸すほど土地に愛着がない人がいないということか。他の理由があるのか知りたい・・。
 
2018-02-12 谷中から根津方面に降りる小径      路地の途中にあった店
2月13日(火) <昨日、谷中の帰りに智美術館・・・>
昨日、谷中の帰りに智美術館にいき「菊池ビエンナーレ展」をみた(=ここ、3/18まで開催)。そこには非常にハイレベルな陶芸の入選作品が展示されており大いに刺激を受けた。尋常でない集中力で制作された力作ぞろいで、正に”本物”を見たという感じ。中には焼成を5回繰り返して思うような色彩を得たという作品もあった。どれもが欠陥を”風情”などといってごまかさない完璧な仕上がりばかりだった。心底感服したのであるが、時間をおいて何か完璧過ぎて安心感がないことに気がついた。絵画で言えばダヴィンチやレンブラントの現代版で異存はないが、ゴッホやミロのような崩れた迫力とは別だ。それと普通の電気窯ではとても焼成できない巨大な作品など、一般の陶芸作りでは手が出ないものも多かった。人間は不思議なもので尊敬はするが親しみを覚えないという感覚がある。人を元気づけるにも多様性があるということだろう。
 
2018-02-13 息子の墓参に行った九品仏・浄真寺(世田谷区)の境内にて梅と巨木

2月14日(水) <税務署に提出する確定申告・・・>
税務署に提出する確定申告の時節。今は、紙に書いて提出するのでなくパソコンで申告書を作成してそのまま国税庁へ送信して終わりという「e-Tax」が利用できる。e-Taxが宣伝される割に実際に使用する時には戸惑うことも多い。去年も結局送信せずに印刷で提出とした。今年はどうなるか・・。e-Taxのために初めにパソコンの使用環境がチェックされるが今回もはじめから「推奨環境外」が続く。私の今のパソコンはMac-OS Xバージョン10.9.5 、そして、ブラウザはSafari、バージョン9.1.3。推奨環境はMacOS 10.10以上、Safari10.1以上でなければならない。その他にJavaの設定などいろいろと条件がつく。しかしながら、過去の歴史(大袈裟!)をみると、2008年から2013年までの6年分はe-Taxで申告した実績を持つ。e-Taxについてはいわばベテランであった。それが最近になって拒否されてしまうのは何故? 嘆いていても始まらないので、腰を落ち着けてe-Taxの条件を整えるか、それとも素早く印刷して終わらせるか、一両日中に決断しなければならない。
2月15日(木) <今朝4時頃にトイレに行った後・・・>
今朝4時頃にトイレに行った後、咳が止まらなくなり苦しい思いをした。起床してからもいつになくやる気がなく、テレビ体操も自己トレーニングも気合いが入らない。この2~3日喉の奥に違和感があり、風邪っぽかったが熱はなかった。何だか身体の中の免疫物質が必死に悪玉菌と戦ってくれている最中のような気がする。・・前に書いたが今年から「ほぼ日手帳」を使い始めて何でも書き留めるようにしたので生活のパターンがとても分かり易くなった。毎日就寝前にWii(任天堂のゲーム機)の台に乗ってバランス年齢計測を行うが(体重の変化なども同時に計測する)、その日のバランス年齢も手帳に記録している。例えば、2月8日から昨日までの7日間のバランス年齢は、34歳-61-20-24-38-46-23歳。ちなみにこの計測は2000数百回続けているので要領は熟知している。ついでに、もう一つ8日からの起床時間、5時29分、5時38分、5時17分、5時29分、5時34分、5時22分、5時20分。目覚ましはなく目が覚めて自分で起床した時刻だ。我ながらこんなデータを見ていると免疫細胞をもっと応援して風邪を早くやっつけなくてはと思ったりして・・。
2月16日(金) <山の動く日来たる・・・>
「山の動く日来たる・・・すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる」(全文例=ここ)。これは与謝野晶子が「青鞜」の創刊号(明治44年に平塚らいてうが発刊)の冒頭に掲載した詩”そぞろごと”として知られる。まさに「らいてう」が言った「元祖、女性は太陽であった」をそのまま表現したパワーをみせる。与謝野晶子(1878<明治11年>〜1942年<昭和17年>)というと「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」(みだれ髪)とか「君死にたまふことなかれ」などが有名であるが何万首もの詩歌を残しており、底知れない広さを持つ歌人であった。彼女はまた夫である与謝野鉄幹との間に、実に6男、6女の12人もの子どもを育てた(六男は生後2日後に死亡)。今の与謝野馨さん(衆議院議員)はじめ与謝野さん一族は晶子の孫の世代だ。女性はいまも生命の根源をつくる太陽であり続けている・・。Wikipediaの「与謝野晶子」を見ていると「数学が大変得意であり、女性も自然科学を学ぶべきと主張した」との文言が目についたことを孫娘Mieuのために追記したくなった。Mieuは最近アメリカでサイエンスオリンピックの代表となったとか。子育てをしながら社会で活躍する女性も多い。
 
2018-02-16 目黒区祐天寺にて
2月17日(土) <冬季オリンピック(平昌五輪)・・・>
冬季オリンピック(平昌五輪)、フィギュアスケート男子で羽生結弦が五輪2連覇を果たした瞬間をテレビの生中継でみた(午後1時45分頃)。二位(銀メダル)は宇野昌磨で日本人が金・銀で表彰台に並んだのは初めて。それにしても昨日からの羽生結弦のスケートは圧巻だった。右足首の靱帯損傷で一時は五輪出場も危ぶまれて練習も十分出来なかった条件で、しかも周囲から物凄いプレッシャーがある中で完璧な演技をする姿は正に感動的。ジャンプの回数や技術的な採点基準以前に羽生のスケートは滑りが真に美しい。今日はオリンピック以外に、将棋の最年少プロ・藤井聡太五段(15歳の中学生)が羽生善治棋聖と広瀬章人八段を連覇して棋戦優勝を果たした大ニュースがあった。藤井聡太は中学生初の六段に昇段する。藤井聡太それに羽生結弦(23歳)も人柄が非常に謙虚だ。こうした若き天才達が活躍する場があるのが本当にうれしい・・。
2月18日(日) <「めんどくさい」と言われて・・・>
「めんどくさい」と言われて一瞬ギョットした。「面倒ね」ならば聞き流していたかも知れない。なぜ「臭い」がつくのか。「○○らしい」の意味で強調する場合に「臭い」を使う。「嘘くさい」などという。「古くさい」とか「ケチ臭い」、「青臭い」もある。匂いが臭いとは限らないようだ。・・ある程度の年齢になったら、「めんどくさい」の言葉は老化の危険信号と思って注意しなければならない。「めんどくさい」と言い始めたとたんに心身ともに急激にガタがきた先輩を何人も知っている。外出が面倒、運動も面倒、日記も、年賀状も、片付けも、お付き合いも、みな面倒になってあの世に旅立つ。反対に他人の面倒を見ている人は元気だ。そう、「めんどくさい」とはおさらばして、面倒なこと引き受けましょうと思うくらいが健康に良いのだろう。
 
2018-2-18 駒沢公園(世田谷区)にて 春はもうそこまで来ている
2月19日(月) <昨夜開催された平昌オリンピックのスピードスケート女子・・・>
昨夜開催された平昌オリンピックのスピードスケート女子500メートルで、小平奈緒が金メダルを獲得した。一昨日の羽生結弦に続いて日本人二個目の金だ。試合直後のインタビューでテレビ局のアナウンサーが「闘争心あふれる正に獣のような滑り・・」と問いかけて、小平選手が苦笑したことが報じられた。女子に対して獣とは何事かとネットでも話題になった。先日は入賞を果たした直後の選手へのインタビューでアナウンサーが、いきなり「感謝の気持ちを先ずどなたに伝えたいですか」と聞いたのには驚いた。勝手に”感謝の気持ち”を選手に押し付けないで欲しい。「この喜びを誰に伝えますか」にしてもインタビュアーの言葉としては愉快ではない。言葉の訓練を受けているはずの、アナウンサーの話し方がお粗末なのに対して、インタビューを受ける選手達の受け答えの鮮やかさ、清々しさには感服する。自分一人の力ではない、支えてくれた多勢の人、応援してくれた皆さんのお陰などという言葉が心の底からでているのが分かる。マスコミ人は選手の謙虚さを少し学んだらどうか・・。
2月20日(火) <施設に入っている義姉に・・・>
施設に入っている義姉に会いにいった。一緒に行った妻ともう一人の義姉は仲のよい3人姉妹であった。3姉妹の思い出話は尽きなかったが長姉は会ったことも直に忘れてしまうと聞かされた。顔艶もよく表情も爽やかな義姉の脳内がどうなっているのか知る由もない。施設内では冬季オリンピックも関係なく、ただ静かな時が流れている。帰途、人間の記憶の不思議さ、脳の働きの不可解さに改めて思いを巡らせたが何の解決策もない。あれほど聡明だったのに、誰にも負けない頭脳であったのに・・何を言っても全ては過去の話。生々流転の中で如何に自分を保てるのか、神のみぞ知るか・・。
 
2018-02-20  埼玉県戸田市にて
2月21日(水) <表紙に「球形花器1e」(陶芸作品)・・・>
表紙に「球形花器1e」(陶芸作品)を掲載した。前に完成していた球形花器に陶芸用上絵の具で加筆して800℃で再度焼成したもの。下部の白ゾーンに少々色を追加した。特に意味なく模様も加えたが、ただの好み。誰かの評価を気にすることもない、自分のやりたいようにやった。この花器は上下の位置が決まっている訳でもなく口を真横に設置することもできる。花を活けないときには写真のように口を真下に置いても構わない。模様が多すぎると花器としては少々使い難いところもあるかも知れないが、いつの日かこの花器に花を活けて飾ってみたい・・。
     
2018-02-21    表紙    +       左=真下の模様   右=台座の輪(球体を任意の位置に置く)
2月22日(木) <「図に乗るな」はいつも自分に言い聞かせる・・・>
「図に乗るな」はいつも自分に言い聞かせる言葉である。テニスに行く時も、無理するな、図に乗るなと、つぶやきながらバスに乗る。これまでの経験で何らかトラブルを起こしたのは大抵図に乗ったときであった。体調がいいので思い切り強くサーブをしてテニスエルボを起こしたり、膝を痛めたり、運動以外でも調子がいいと思う時ほど問題を起こす。「図に乗る」の語源は「仏教の法会などで僧が唱える”声明”の転調を表す図のこと」と解説されている。転調は非常に難しく、うまく図に乗れるのは大成功のはずであったが、徐々に「図に乗るな」と相手を制する意味に変わったという。「調子に乗る」も同じことで「調子に乗り過ぎ」でなければ本来は好ましいことだ。・・「図に乗るな」の語源は以前のコラムにも書いた覚えがあるが、何故に今日また書いてしまったか。今日の午後、外出して早足で歩いたところ、近来になく脚の調子がよかったからである。自覚ではこの10年来一番快調と言っていいほど脚が軽く、また一直線に歩ける。どうして、これほど良くなったのか正確には分からないが毎日続けてきたいくつもの積み重ねの成果だろうか。この種のことは、明日がどうなるか、継続できるかがポイント。正に図に乗らぬようにして、やるべきことを続けよう・・。
2月23日(金) <85歳を過ぎたテニス会員・・・>
85歳を過ぎたテニス会員の男性と話をしたとき日常心がけていることをいくつか聞いて興味深かった。先ず掃除機を使わず箒(ほうき)で掃除をするという。箒がいかに両腕の運動になるか解説してくれた。確かに掃除機より箒の方が身体を使う。ましてや、ロボット掃除機に任せると身体を全く動かさなくなる。ワープロ(コンピュータ)での原稿書きや日記、メモを書くことは、できるだけやらずに、全てに筆記具を使うともいう。ペンや鉛筆で筆圧を感じながら書くことは体感にも良いし、もちろん、漢字を思い出して書くことはノートレにもなる。これも納得。そのご老人は特別にアスレチックに通ってトレーニングすることはないが、日常生活で家事全般を自分でやり、買物や歩きも毎日やるそうだ。歳を取ってからコンピュータでのワープロはあえてやらなくしたという男性は一昔前にはスーパーコンピュータに関連した仕事をしたとか。ロボットに仕事を任せた後に人は何をやるか。人間がやるべきことが問われる・・。
2018-02-23 新国立競技場(神宮外苑)の工事現場
2月24日(土) <表紙に「mieuへの絵手紙/宇宙」(パステル&水彩)・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙/宇宙」(パステル&水彩)を掲載した。前回、表紙に掲載していた陶芸作品「球形花器」では思い切り多くの色を使い派手に仕上げたが、その反動なのか次の陶芸では地味な色で色づけしようとしている。地味な仕上げの模様として宇宙とかブラックホールなどのデザインに興味をもった。今回のmieuへの絵手紙もこれまで絵手紙のテーマとして取り上げたことのない「宇宙」を描いた。宇宙といっても見たことはない。感情を超越した無味乾燥な世界かも知れない。けれどもこれまで人類が誕生以来興味を持ってきた目に見える自然界(太陽や星も含む)と全くかけ離れた次元の現代でなければ想像すら出来ないブラックホールや銀河系宇宙は現代科学の下に到達した新しい美の境地かも知れない。一方で細胞やDNAなどミクロの世界もまた同じことが言えるだろう。新たな美は現代の最先端科学の中に潜んでいる・・。

2月25日(日) <このところ陶芸で立方体の花器・・・>
このところ陶芸で立方体の花器を制作している。大物の作品を素焼にだして手が空いたので、残った粘土を使って一辺が70mm弱の小型立方体を作り始めた。先日、陶芸教室で土練りから始めて3時間かけて制作したが終わらないので家に持って帰り、続きの削り工程をやっている。同じ程度のお茶碗や花器を轆轤(ろくろ)で作るとしたら30分もかからないで完成する。「mieuへの絵手紙」を描くとすると、これまでかけた時間で数枚以上軽く描ける。モノは小さな立方体だが内部をくり抜く構造としたため、小さな彫刻刀で削っても削っても先があるのだ。時間の余裕があって楽しんでいるから続くけれども、とても経済的な売り物にはできない。いわばミニチュア彫刻をやりながら、小さなモノに全身全霊を注ぐ面白さが分かった。昔の”根付”を作った職人はこのような細かい模様作りを心底楽しんだに違いない。・・小さな立方体は未だ完成しない。途中であるが下に写真を掲載する。

2月27日(火) <昨日から千葉県の鴨川〜勝浦方面を・・・>
昨日から千葉県の鴨川〜勝浦方面を車で廻り、先ほど帰宅した。昨日は鴨川で温泉に入ったりして休息の一日、そして今日は専ら勝浦の「ビッグひな祭り」を楽しんだ。「ひな祭り」は私の育った文化とは無縁の世界。しかも考えられないほど膨大な雛集団は日本文化の奥深さを見せてユニークとしかいえない。また、個々には非常に美しく、すばらしいひな人形が並んでいるが大集団となると一つ一つの”個”は集団の中に取り込まれてしまうのが、ちょうど天上から人間社会を俯瞰(ふかん)した図に見えて面白かった。とにかくも、下に写真を掲載してみる。
 
2018-02-27 遠見岬(とみさき)神社の60段の石段に約1800体のひな人形

勝浦市芸術文化センターホールに飾られた約6000体のひな人形  右のようなホール外の人形を含めると約8000体
2月28日(水) <テニスの休憩時間(次の試合の待ち時間)に・・・>
テニスの休憩時間(次の試合の待ち時間)に仲間と思いで話に花が咲いた。これまで考えたことがなかったが、今のテニスクラブに入って40数年を超えている。その間に色々な仲間と出会い、別れがあった。10歳以上年上の先輩と組んで試合をやっていた時期もあったが、その先輩がNo.1コートで試合中に倒れてそのまま亡くなったのも一つの大きな出来事だった。その時私は現場にいなかったが翌日かに仲間に話を聞いた。大好きなテニスをやりながら命を終えて本望だろうとか、羨ましいなあなどの話ばかりで一人として悲しむ気配がなかった。 ・・誰もが自分の最期の予測がつかない。大抵は本人の考えなかった”まさか”で終わる。癌対策に腐心していた人が心筋梗塞になったり、全てに健康に見える人が誤嚥性肺炎で亡くなったり、先日の大雪の日に頭脳明晰で元気だった知人がたまたま転倒して打ち所が悪く死去したとも伝え聞いた。反対に”ピンピンコロリ”を期待していても、そうはうまくはいかない。それこそ、「ケセラセラ」 (Que Sera, Sera) =なるようになる。<今日から勝浦のひな人形をいくつか掲載してみる>
2018-02-28 勝浦のひな人形(江戸時代のもの)

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