今日のコラム  2018-3月分


3月1日(木) <3月を待っていたように・・・>
3月を待っていたように昨晩からの大雨・大風が止んだ後に気温が急上昇。東京で20℃となった。この陽気に妻は花粉症で憂鬱そうだが私は全く問題ない。”にぶい”神経が有難いのかも知れない。・・どうでもいいことを書こう。何年か前に購入して本棚で眠っていた「般若心経の脳ドリル」の本を取り出した。この写経と読誦をして脳トレする本を少しは活用しようと”音読”し始めたのだが、前に知っていた般若心経と微妙に違う。一番初めの読み方は「かんじざいぼさ」とあり「菩薩」を「ぼさ」で終えている。インターネットのYou Tubeでお経の発音を見ると、やはり「ぼ〜さ〜」で「ぼさつ」ではない。こういうものであると納得。また「照見五蘊皆空」の五蘊を本では「ごおん」と発音していたがネットでは私が覚えていた「ごうん」だった。いろいろと流儀があるのか知らないが、自己流で本の仮名文字を読むよりも、まずはYou Tubeで本物のお経を倣うことにしてパソコンのお気に入りにYou Tubeの般若心経を入れた。
昭和初期の雛人形(勝浦にて撮影)


3月2日(金) <今日は午前中テニス・・・>
今日は午前中テニス。同年代の大ベテランとも言うべき仲間と必死で”戦う”。今でもパートナーや相手の技量に感心したり学んだりできるのがうれしい。先ず硬軟・強弱のバランスがみな巧みだ。パワーテニスで強打ばかりの球は怖くない。更に球のコース取りが上手い。深いボールかと思うとドロップショットなどの技もある。更に決め球が甘いと逆襲を食う。自分がミスをすると瞬間に原因を考えて反省するが、また同じミスをする。”過ちは繰り返しません”などと決して言えない。あれやこれやで、全力で戦えるのが一番楽しい。負けることがない勝負はつまらないだろう。相手が弱いだけだ・・。
今日は息子の月命日で午後はお墓参り。一ヶ月後が本当の命日で、毎年お寺の山門(下に掲載した写真)近辺の桜が満開になる。そう、桜の季節も一ヶ月後だ・・。

2018-03-02九品仏浄真寺   右は勝浦で撮影したひな人形
3月3日(土) <雛祭りとか桃の節句の行事・・・>
雛祭りとか桃の節句の行事とは全く関係のない生活となって久しい。我家にもささやかなお雛様があったが今年は飾りもせずに終わりそうだ。それでも例年と違って今週の月曜日(2/27)に千葉県勝浦で開催中の「ビッグひな祭り」を見たので、このところ毎日のコラムに勝浦の「雛人形」の写真を掲載して雛祭り気分である。2/27のコラム(=ここ)で書いたが、勝浦・遠見岬の60段の石段に飾られる1800体のひな人形は全国的にも有名になり、観光客が押し寄せるのみならず、全国から雛人形の寄贈が相次いだという。今の時期、石段のひな人形とは別に勝浦市芸術文化センターには全国から集まった8000体のお雛様が展示されている。一般家庭では今は段飾りのひな人形を維持するだけでも大変だ。それにしても勝浦市が1万体もの雛人形を保管するのも容易ではないだろう。今の時期は勝浦名物ともいえる膨大な数の雛人形は一見の価値がある。それならば一年間のうち今の一週間だけ展示するのでは”もったいない”。年間を通して1万体の雛人形で観光客を招致できるよう何か工夫はないものだろうか。
2018-03-03勝浦で撮影した雛人形
3月4日(日) <今も親しく年に何度か会う友人・・・>
今も親しく年に何度か会う友人から”ビックリ”とのメールが来た。この友人は高校の時の同級生。千葉の地元でテニスクラブの交流会があり、たまたま組んだパートナーと懇親会で歓談していて、お互いに私と知り合いだと分かり”ビックリ”したという。彼と組んだパートナーは私の勤め人時代に一緒に仕事をした仲間だった。”ご縁”とでも言うのだろうか、世の中には不思議で面白いつながりがある。・・「因縁」という言葉があるが、理屈ではありえない確率で結びつきがあったり物事が発展するケースがある。偶然で片付ければそれまでだが、人間の考えを越えた因縁の存在を思うこともある。私たちが今いるところは、義兄が住んでいた家を借りている。この時の経緯なども因縁なしでは語れない。私たちが転居を考えていて義兄も色々とアドバイスをしてくれている最中に義兄が急死。そして義兄の住んでいた家に転居するという想像もしていなかった事態となった。人と人の出会いから運命がはじまる。昔のご縁がまた今のご縁につながる・・。
 
2018-03-04 八雲神社の梅       右は勝浦で撮影した雛人形(今回が最後)
3月5日(月) <最近、陶芸についての見方が・・・>
最近、陶芸についての見方が少し変わってきた。私の場合、陶芸の面白さは粘土で自由に形が造れるところだった。機械加工では出来ない曲面や対称でないつぶれた形状なども容易で創作のテーマは無限大。ところが最近改めて再認識しているのは”人の力と自然の力との合体”した面白さだ。絵画や音楽などの芸術の場合は人の力が全てだ。人の鍛錬と感性の結果が素直に結果に現れる。ところが陶芸の場合には最後に焼成して窯から出すまで結果は分からない。市販されている食器のように形状、模様付け、焼成条件を均一にして大量生産をする技術は確かにある。ところが例えば国宝の曜変天目茶碗(=ここ=参照)と同じ結晶模様を再現することは現代の科学を持ってしても達成できない。何人もの人が生涯をかけて研究しても似た模様はできても国宝級の模様に至らないという。このような結晶は釉薬の成分はもちろん、釉薬をかけた時の厚み、焼成温度と保持時間、冷却温度、粘土成分との関連など余りに多くの要因で左右されるので結果は”神のみぞ知る”ことになる。特別な結晶釉薬でなくても焼成結果が思った通りでないことは私などは当然と解釈しているが、よくよく結果を見ると”自然の力”は想像していたものを越えて素晴らしいと思えることも多い。人の考えること以上に神様が助けてくれているか・・。
3月6日(火) <今日の初体験・・・>
今日の初体験は二つある。一つは自由が丘のイタリアンレストランで昼食に”ビゴリ”という極太のパスタを食べたこと。シェフが解説してくれたが、自家製で馬の鞍に乗るようにまたいで押し出し成型器を回して作るというパスタ。スパゲッティを数本合わせたほどの10mm近い極太ビゴリを特別なトマトソースを付けて食べたが、これが何とも言えず美味しかった。シェフによれば(イタリア人が日本語で説明)一時間ほど茹でなければならないので開店前から茹で始めて注文を受けた後で5分ほど更に茹でるという。・・昼食の後、以前の陶芸教室の仲間が開催している展覧会に行った。普通は展覧会でも見るだけで買うことはまずないのだが、今日に限ってすごく気に入った陶芸セットに心が動いた。一緒に行った妻の後押もあって思い切って購入してしまったのがもう一つの初体験。会場に行く前には考えもしなかった衝動買いだが後悔はしない。新たな体験は新たなエネルギーを生む・・。
3月7日(水) <テニスの開門を待つ間に・・・>
テニスの開門を待つ間に80歳半ばを過ぎた最高齢の男性会員としばし話しをするチャンスがあった。この先輩は一昔前に初期のスーパーコンピュータにかかわっていたとのこと。技術の進化の話題で盛り上がった。列車はもくもくと煙を吐いて走る石炭炊きの蒸気機関車からディーゼル車そして電気機関車、新幹線まで一挙に変化した。個人の家に電話のあるところが珍しかった時代から電話の普及、そして今ではケイタイで以前は想像もできなかった海外との自由な交信まで日常化した。少し前までは海外への電話は高額な通信費がかかり企業の中でさえ容易に出来なかった。コンピュータの進化は言うに及ばず。手回しの計算機から真空管式コンピュータ、そしてIC化。私の同級生で入社早々にICの開発に携わり日本のIC最先端を走った友人もいる。自動車にしても子どもの頃には手回しでエンジンを始動するバスに乗った。自家用車を持ち自分で車を運転できるようになるなんて夢にも考えなかった。驚異なのはこれが歴史の物語でなく人の短い一生の間に全て経験できていることだ。人類の歴史をどうみるかによるが新人類の登場が20万年前、産業革命が起こり科学技術が急速に発展を始めたのが500年ほど前であり、この100年足らずの間の科学技術の大発展を体験しながら生きた私たちはそれだけでも十分に楽しめたと思いたい。
3月8日(木) <名人気質の人が・・・>
名人気質の人が自分の作品で気に入らないモノができると”こんなものを残せるか”と壊して捨ててしまう話がある。私はこんなことはしない。捨てるなどとは出来上がったものに対して不遜である。出来の悪いものほど可愛いと言いたい。以前は陶芸作品で一度出来上がったものには手をつけることはなかったが最近になって昔の作品にもう一手間かけてリフォームしたくなってきた。そんなことで今日の表紙に掲載した「コスモス碗再焼成」は2014年に制作したものに釉薬を追加塗布して再焼成を行ったもの。当初の作品写真=ここ=に添付されている2014-05-24のコラム=ここ=をみると”会心作とはほど遠く”とか、”失敗があるから進化がある”などと可哀想な感想ばかり。釉薬がけも遠慮がちでビクビクしていたので、今回は内部に存分に釉薬を追加した。下には裏側の写真も掲載する。深遠なるコスモス中心部に新たな模様ができた。
  2018-03-08 再焼成の碗
3月9日(金) <表紙に「Integrated Circuit/mieuへの絵手紙」・・・>
表紙に「Integrated Circuit/mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を掲載した。ニューヨークに住む孫娘Mieuに絵手紙を描こうと思ったがテーマが見つからない。身の回りのスケッチは今年になって続いているので何か別のヒントがないかと、クレーの絵本を開いていると、これまでにない発見があった。パウル・クレーは色彩の見事な組合せ、抽象に見えて具象的表現など私の大好きな画家の一人だが印象派の画家とは違う私たちと同時代に近い画家のイメージを持っていた。けれどもクレー(1878~1940)の作品はほとんど100年前に描かれている。そうか〜、クレーの時代にない、今でないと描けないもの〜と描いたのが今回の「Integrated Circuit」。クレーがICを知らないことは確かだが、絵に活かすやり方は色々だろう。 ICはやり方によって無限の表現回路を形成するのでないか・・。

3月10日(土) <昔の陶芸教室の仲間だった女性・・・>
昔の陶芸教室の仲間だった女性の展覧会(3月6日のコラム=ここ=で書いた展覧会)で記念パーティーが開かれて昔の陶芸仲間が集まった。彼女はその展覧会が開催されたギャラリーで20年間働いてきたが、来月ギャラリーが閉鎖されることになったことを披露。諸行無常はここにもある。その後数人で夕食を共にした。集まったメンバーは陶芸に関しては皆さん私よりベテランで20~30年のキャリアがある。それでも実態は今は他の仕事が忙しく陶芸作りを止めてしまった人、新しい教室を探している人など様々。私は未だ16年ほどの陶芸歴だが続けられるのは幸いだろう。実は今日の午前中には陶芸教室で新作が焼成を終えていたのだが、かなり思惑と違った作品の仕上がりだった。これを今から如何にリカバーするかがこれからのテーマ。失敗を続けながら少しでも進化するのをよしとするか・・。
3月11日(日) <バスを乗り継ぎ1時間かけて蒲田・・・>
バスを乗り継ぎ1時間かけて蒲田に行った。蒲田(東京・大田区)には手芸用品、工芸材料、衣料、服飾材料などあらゆる手作り材料を揃えた「ユザワヤ」の店舗がまとまって(3店舗)ある。画材や陶芸用品などもここに来れば大抵は用が足りる。久しぶりに陶芸などの材料や用具を見て回ると面白くて予定にないものをいくつも購入してしまった。”道具”はモノづくりの原点で人は色々と工夫するものだといつも感心させられる。そして道具の善し悪し、精度が仕上がりを左右するのも間違いない。名人と言われる木工職人は鉋(かんな)が命だ。蒲田には電車で行くこともできるが時間がかかってもバスの方が街の風景を楽しみながら行けるので今日はバスの味を覚えた。矢口渡とか道道橋(どうどうばし)八幡神社とか安祥寺など途中下車して見物したい停留所も多かった。これからは機会を作ってバスで蒲田に行こう・・。
3月12日(月) <最近、何でもないことに感激する・・・>
最近、何でもないことに感激することが多くなった。終末を考える年齢のせいか、ゆとりと見るか分からないが、以前にはなかったことは確かだ。例えば今日はテニスの休憩時間に雲一つなく真っ青に晴れ上がった空を見て、それだけで幸せ感に浸る。100年、1000年、1万年前の人間も同じ空を見ただろうとか、わずか150年後、いま地球上に生きている全ての人が死滅した後も、同じ青い空が続くのだと思ったり、宇宙と自然に感激するのだ。今現在生きていることで本当に幸せと思うと同時に必然としてあの世に行くことに何のためらいもない。生きている間にやりたいことはいくらでもあるが、それらは、やらねばならないこと(must)ではない。誰も同じだが、やり残しても真に困る人はいない。歴史上の人物を含めて多くの人に元気づけられ勇気づけられながら自分の出来ることをやるしかない・・。ベランダに咲いているシクラメンの写真を下に掲載する。見慣れたはずのシクラメンの花もよく見ると感激的に美しい・・。
2018-03-12
3月13日(火) <「楽」は不思議な文字・・・>
「楽」は不思議な文字である。「らく」ならば、「楽あれば苦あり」とか、「楽は苦の種」とか、楽なことをしていると後で苦しく辛いことがあると警告される。今の感覚では「らく」は苦しくないけれども、必ずしも「たのしい」とは限らない。文字の成り立ちから見ると、象形文字の大小の鼓(つづみ)の楽器(ドングリ型をした鈴の楽器と見る説もある)と、それを受ける木の台から構成される楽器を表すという。楽器から音楽、そして喜び楽しむ意に転じたとされる。楽器を演奏して人に聴かせる仕事は決して「楽」ではないが、音を聴いた人は心が和み、落着き、気楽な楽しい時間となるのだろう。陶芸で使う「楽焼き」は焼成温度が低くて済むから「らく」なのだろうか。初代楽家の長次郎はそれほど楽をしていないけれども。千秋楽の「らく」はたのしいのか。・・色々な「楽」の文字を追求していくのは楽しそうだ。もちろん、「らく」なことではない・・。
3月14日(水) <今日、ホーキング博士が死去・・・>
今日、ホーキング博士が死去したと報じられた。享年76歳。車椅子の物理学者などと呼ばれたこともあるが専門分野のことは分からなくても我々に多くの感動を与えてくれた。スティーブン・ホーキングは1942年イギリス・オックスフォード生まれ,オックスフォード大とケンブリッジ大大学院で物理学や宇宙論を専攻。オックスフォード大学に17歳で入学したときには大学の教育内容が”ばからしいほど簡単”だったという逸話があるという。ところが1963年21歳の若さで身体の筋肉が動き難くなる難病「筋萎縮性側索硬化症」が発症。医者からは余命2年と診断されたが奇跡的にその後50年あまり研究成果を発表するのみならず、世界中の人に宇宙について語ったり意見を発信し続けた。ホーキングを見ていると人間の脳は身体が動くかどうか、声が出るかどうかなど全く関係なく物凄いポテンシャルをもって存在していることに驚く。そして伝達の道具があればその脳とコンタクトをとり知能を引き出すことができる。生前、「脳はコンピューターのようなもので、部品が壊れれば動作しなくなる。壊れたコンピューターには天国も来世もないんだよ」と語ったとされるホーキング博士。そうは言っても「合掌」しよう・・。
3月15日(木) <今日はバク宙(バック転)をする人型ロボット・・・>
今日はバク宙(バック転)をする人型ロボットの動画を見た日として記憶に残りそうだ。見たことのない人は是非You Tubeの動画(例=ここ)を見て欲しい。アメリカ・Boston Dynamics社で製作された二足歩行ロボットはこれほどまでに進化している。バク宙をするロボットの動画は2017年11月のものだが、Boston Dynamics社は二年も前に(2016年2月)に既に驚異的な二足歩行ロボットの動画を公開している(=ここ)。凸凹の雪道を歩いたり、荷物を仕分けする、これだけでも驚異的なロボットが二年も前に出来上がっていた!! 四足のロボットの動画を見ると、これもまた一昔前と全くレベルが違う凄さがある(例=ここ、or, ここ)。一時は日本のソニーの二足歩行ロボット・アイボが進んでいるように見えた時期があったが、今はアメリカのベンチャー企業が日進月歩で進化しながら最先端を走っている。ロボット動画を見ると人間の世界観が変わるのでないか。チェスや将棋のゲームで人間はAIを搭載したコンピュータに勝てなくなったように、人間の動きはロボットに及ばない。ロボットができないことを人間は考えなければならない・・。
3月16日(金) <「継続は力」・・・>
「継続は力」という。確かにその通りで、特に健康に関する理屈は山ほどあるが、どんなことでも「継続」しなければ意味がない。いま健康でいられるのは毎日のささやかな身体を動かす習慣のおかげさまと思う。このホームページにしても18年余続いている。ホームページの内容はともかく継続の重みは自分でも認めたい。一方で、何事もただ昨日と同じことを今日も続けるのでは進歩がない。人は変わらなければならない。"We must change."をスローガンにしたのはオバマ前大統領だった。それまでの生活のままで満足していれば人類の進化もなかっただろう。We must change. 個人的には新しいことに興味を持つことだろうか。知らなかったことを知り、見たことのなかったものを見る。新しいものを創作する。やってみる。これからは、I must change.をスローガンにしてモノツクリをやるか・・。
3月17日(土) <午前中は陶芸教室・・・>
午前中は陶芸教室で粘土の素材を削ったり素焼きが終わった作品に釉薬をかけたりした。教室を出て家に帰る時に改めて次の陶芸で制作するテーマが決まっていないことが気になった。数日前から陶芸のアイデイアを考えようとしていたが、どうしてもいい案が頭に浮かんで来ない。陶芸の創作を考えるとき一人静かに座禅を組んで瞑想するようなスタイルではアイデイアは浮かばない。これまでの例でみると、やはり美術館を訪れて歴史的な美術品をみるとか、美術書を繙いてみるとか、他からの刺激が有効だ。2000年以上前の中国で作られた青銅器を模して作った双羊尊とか饕餮文(とうてつもん)などは”創作”ではないが大仕事だった。更によき友人からのアドバイスも制作に弾みをつける。数学が趣味という先輩からの教えがなければ92面体の大作は生まれなかった。自分だけでは、12面体、32面体までが精一杯だったのが、その上を教えてくれた。今の科学で知り得たブラックホールなど宇宙の構造に関連する作品は昔の人は絶対に思いつかない分野なので、飛びついた覚えもある。・・こうしてみると、アイデイアの源泉は一様ではないが、とにかくも身体も頭も動いてみることだろうか。
3月18日(日) <表紙に陶芸作品「角形花器」・・・>
表紙に陶芸作品「角形花器」を掲載した。これは3月10日に焼成が完了し陶芸教室から持ち帰ったもので、この日のコラムに「思惑と違った仕上がり・・如何にリカバーするか」と書いた作品だ。試行錯誤の上、上絵の具でアクセントをつけて家の小型電気窯で焼き直したもの。反対面の写真も陶芸コーナーに掲載したが、はじめに”思惑と違い”線を描いた釉薬が流れたりしているのが整いすぎた模様よりも面白くなり、自分では結構好きな風に出来上がった。陶芸の専門家の展覧会などでは何度も焼成を繰り返して完成させた作品が少なくない。巨大な作品を何度も窯で焼き直すだけでも大変だろうと思うこともしばしばだが、完璧を期すプロとしては当然なのだろう。これまで、私は陶芸作品を再焼成することはほとんどしなかった。今回、上絵の具をうまく使うと”不本意な作品”もかなりリカバーできることを覚えた。ただし、どこまでやるかが問題だ。油絵でも描き込んでいくと際限なく描き続ける。そして加筆する後が必ずしも良くならない場合もあるとか。人間の主観は微妙だ。手間をかけるとベターになるかは分からないことを承知してこれからも適度に上絵の具を活用しよう。

3月19日(月) <今年から「ほぼ日手帳<A5:cousin版>」・・・>
今年から「ほぼ日手帳<A5:cousin版>」を使い始めたことは前に書いた。以前は20年間以上専ら「Bindexのシステム手帳<バイブルサイズ、171×95>」を使ってきたが、この3年間ほど 手帳なしで過ごした。今の「ほぼ日」の手帳はサイズが大きく、また書くスペースも豊富なので使い勝手が新鮮だ。時として陶芸作品のアイデイアを書き込んだり、身の回りのスケッチをしたり余白を存分に使える。予定の項目よりも日記として使っているので毎日の生活が面白いほどよく見える。毎日必ず書くのは起床時間と就寝前に行うバランス年齢計測(任天堂のゲーム機Wiiの台に乗って体重に続いて計測する)。起床は目覚まし時計なしで実に正確に5時30分前後と決まっているのは自分でも驚く。バランス年齢計測は内容によって結構バラツキがある。最近のデータでは20歳から70歳まで。これは長年やっているので腹一杯でお酒を飲んだ時には成績が悪いなど大体の傾向はつかめている。今日のようにテニスに行った時には誰とゲームをしたか仲間の名前も書く(メンバーはその日の成り行きで決まっていない)。お陰でたまに組む女性の名前もきっちり覚えるようになった。いまの「ほぼ日手帳」のカバーの色はカーネーションという赤系。これもまた元気が出るいい色で気に入っている。
3月20日(火) <雨の中、自由が丘のドコモショップ・・・>
雨の中、自由が丘のドコモショップにいきi-PhoneにD-マガジンを復帰させた。D-マガジンは200誌以上の雑誌が読める電子雑誌のソフトで以前バス中などで週刊誌などを読むのに使っていたが、ケイタイのシムカードを交換した後、読め込めなくなっていた。このソフトは妻のケイタイが親で(費用400円)私のケイタイは子どもなので、妻のIDとパスワードが分かればログインできるのだが、これがうまくいかなかった。もちろん、色々なケースにIDやパスワードをメモして残してはいるが、これまでも幾度となく分からなくなって困ったことがある(そこで新しいパスワードに変えると更に混乱する)。今回はドコモショップのお姉さんの指導で妻の数種類のパスワード候補の覚えと合わせて目出たく復帰させることが出来た。
今日の写真として陶芸で以前造り上げていた球体花器を再々度上絵でリニューアルさせたものを下に掲載する。陶芸コーナー(=ここ)にも以前の作品と並べて写真を掲載したが、以前と相当印象が変わって見える。
 
3月21日(水) <昼前から東京でも本格的な雪・・・>
昼前から東京でも本格的な雪が降り始めた。春分の日、しかも開花宣言直後の大雪で桜も驚いているだろう。 雪が雨に変わった夕刻、妻が渋谷でのコンサートに出演したので聴きにいく。最年長で演奏の機会を持てたことを素直に喜び、有難いことだと思う。レインシューズにオーバーを着込んだ外出から帰宅した後、暖房を入れてコンピュータを開き、このページの「今日の絵」を更新。表紙の絵、「Mieuへの絵手紙・シクラメン」(ペンと水彩)は午前中に窓から外の雪を見ながら描いたものだ。もちろん、室内のシクラメンのバックに青い空は見えていない。成り行きで背景をこんな形にした。それにしてもシクラメンは元気だ・・。

3月22日(木) <昨日、糸井重里さんの飼い犬・・・>
昨日、糸井重里さんの飼い犬(ブイヨン)が亡くなったことを「ほぼ日刊イトイ新聞」(=ここ)で知った。糸井さんらしく冷静に愛犬の旅立ちを記しているが、心の中ではさぞ寂しい思いをしているに違いない。ペットロスほどではないが今日の私はやはり喪失感というか後悔の念というか珍しく落ち込んでいる。それは長年(40年以上か)持ち続けてきた高級スピーカー(英国GOODMAN製)を処分したことによる。引取り業者が来て古いものなので機能するか確かめたいと言われて久しぶりにCDで大きな音を出したところ想像以上に素晴らしくいい音が響いた。ボックスの高さが70cmを越す大型のスピーカー2個を半分は終活的な意味もあって処分を決断したのだが、他では換え難い逸品だ!そうかといって業者をキャンセルもできず、スピーカーの新たな旅立ちを見守る。このスピーカーセットは必ずや次の愛用者に可愛がられることを信じて・・。失うことになって初めて本当の価値を知らされる、こんなことは繰り返したくない。
3月23日(金) <春風や闘志をいだき・・・>
「春風や闘志をいだき丘に立つ」。今の時節テニスコートに立つ時、高浜虚子のこの句を思う。最近のテニスは腕力でなく専ら技とか駆け引きが主力となったが、何よりもFighting Spiritはなくしたくない。というより、ある種の闘争心がなくては面白くない。もちろん、本質的にはお遊びで勝負に拘ることはないし、相手によっては適度に手加減もする。けれども今日のテニスのように同じようなレベルの仲間と必死に戦う緊迫感は得難い楽しみである。・・高浜虚子の句をもう一つ:「足もとに春の寒さの残りをり」。今日はまさにそのような気候だった。テニス開始前に新国立競技場の建設現場を見に行った時の写真を下に掲載する。
 
2018-03-23新国立競技場建設現場(左は代々木のドコモタワー)  右は神宮外苑で咲いている花
3月24日(土) <東京地方の桜が満開・・・>
東京地方の桜が満開と発表された。それではと昨日手に入れたスマホの魚眼レンズの試し撮りを兼ねて桜の撮影にでかける。インターネットで1000円プラスα程度で魚眼レンズと接写レンズ、ワイドレンズのセットが手に入るから嬉しい。i-Phoneのカメラレンズの前にクリップでこのレンズを取り付けるといつもの写真とはひと味違う画像が撮れる。魚眼レンズが面白いので何枚も撮影したがパソコンに入れて改めて画像を見ると少々飽きる。素直な画像のよさを改めて知る機会ともなる。接写は対象物の1cmほどの大接写を行うので用途によってはこれも面白い。ただし桜の花一輪を撮るならば接写レンズなしでi-Phoneのオリジナルで十分。接写レンズを付けるとおしべのサイズになって花全体は撮れない。いずれにしても、しばらくは魚眼レンズ、接写レンズで、これまでにない撮影の試みをしてみよう。
 
2018-03-24いずれも九品仏浄真寺(墓参)にて
3月25日(日) <お花見日和の暖かな日曜日・・・>
お花見日和の暖かな日曜日。蒲田のユザワヤまで出かけたが、買いたいものが見つからず、即帰路の電車に乗る。時間があったので途中の多摩川駅で下車し花見とした。駅から徒歩1分の多摩川台公園は晴れた日には丹沢山系や富士山も見える高台にあり、多摩川台古墳群でも知られるが、今は桜がまさに見頃。桜の背景に悠然とした多摩川を見るのもまた格別だ。何百年も前から日本人は毎年必ず訪れる桜の開花時期に花見をして楽しみ、歌を詠んだ。こんな繰り返しが途切れることなくこれからも続く。こんな当たり前のことに最近は妙に感激するようになった・・。
 
2018-03-25 多摩川台公園にて  右のバックに見える建物はカトリック田園調布教会
3月26日(月) <オルゴールの音を聴くと・・・>
オルゴールの音を聴くと認知症などの記憶障害の予防になるという説を紹介するテレビ番組があった。少々マユツバだが話しの内容は示唆に富んでいた。オルゴールと言ってもCDでは駄目。生のオルゴールの音で人間の可聴域を越える20000Hz以上の高周波が流れると脳の側頭葉が刺激を受けて活性化するというデーターがあるという。人間が五感で感知する以外の多くのことが健康や生命の根幹にかわっているのは間違いないであろう。耳では感知できない高周波の音と合わせて極低周波の音も飛交っているし、宇宙線や放射線、光子など人間の身体を貫通して流れている粒子は限りない。こうしたものが人間にどう影響しているかはまだまだ解明されていない。人が気を送ると相手が元気になる現象なども脳のどこかに影響を及ぼしているかも知れない。人の心理状況一つで自らの細胞の生き死に影響がでる。人体の神秘を追求していくと面白さ無限大か・・。
3月27日(火) <東京工業大学に妻と花見・・・>
東京工業大学に妻と花見に行った。私が東工大で桜を見るのは昨年に続いてであるが、妻は東工大のある大田区内で生まれ育ったのに花見は初めてだという。我家は東工大とは何かと親しみがある。今の住居の持ち主であった義兄は東工大の出身でその父親が東工大の教授だったとか、義兄は東工大でピアノコンチェルトをオーケストラ伴奏で弾いたことがあるとか、私の兄も東工大。東工大からそれほど遠くない北千束町に昔祖父母の家があり、60年以上前に初めて東京にでてきて宿泊したのがこの家だった。・・とにかくも、今日の東工大校内の桜はまさに満開で見事だった。昨年(4月4日=ここ)の花見と違った満開の桜の魅力が伝わるか、今日の写真を4枚掲載する。
 
2018-03-27東京工業大学にて
 
3月28日(水) <妻の手作りケーキを”上出来ね”・・・>
妻の手作りケーキを”上出来ね”と褒めたつもりが怒られた。”上出来”は上から目線で感じが悪いという。それから言葉の伝わり方が話題になった。妻は関西弁の”アホか”とか、”ドアホ”のニュアンスが理解できずただ不快に感じるという。私は関西生まれなので”アホ”の親しみを込めた微妙な言い方も分かる。一方で、東京人が”あなたはどう思うの”とか”君の考えは”などを頻繁に使うのには違和感を覚える。”あなた”は第三者から言われると目下に思われているように感じる。例えば黒柳徹子が対談で相手に対して”あなた”を繰り返す。ゲストが皆目下であることは確かだがお客様だ・・。それにしても親しい間柄であれば”上出来、上出来!”と一緒に喜んでもいいようにも思う。自分の陶芸作品を妻が”今回のは上出来ね”と言ってくれれば素直に喜ぶけれど・・。
今日の写真はテニスの開門待ちの時間に撮影した草花。
2018-03-28 草花にも春
3月29日(木) <今日は東京の最高気温24.2℃・・・>
今日は東京の最高気温24.2℃を記録し、しかも桜が満開という珍しい天候になった。毎年は4月2日の息子の命日に満開の桜の下で墓参りをするが一週間早く今日花見を兼ねて墓参りをした。来週の命日にはまた行くことも出来る。九品仏浄真寺(世田谷区)で墓参の後、今日は聖心女子大学の桜、そして目黒川沿いの桜と花見のハシゴ(下に写真)。桜はもちろん見ているだけで美しいが、私の場合、2009年に38歳の若さで亡くなった息子と桜が結びついてしまう。肺がんで2〜3月に終わりを告げられそうになったが驚異的なパワーを得て4月の桜の時期まで生き延びた。4月2日の日、妻は病院で息子の側におり、私は親戚と今日花見に行った目黒川沿いの桜を見ていた。妻からの緊急電話で病院に駆けつけた・・。その8年前に私が退社した記念日に息子を含む家族で花見をしたのも目黒川から少し高台に登った西郷山公園だった・・。息子と絡めて何度も書いた覚えのある西行の和歌をまた記しておこう。「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」。
 
2018-03-29 九品仏浄真寺境内にて  右は墓の直ぐ側の桜
 
左=聖心女子大学構内にて         右=目黒川沿い
3月30日(金) <今日もまた桜・・・>
今日もまた桜の写真を撮った。昨夜からの強風で満開の桜が散ってしまうかと心配したが、まだしっかりと花は続いている。午前中のテニスは強い風でまともなプレーにならなかったが、風は少し冷たく爽やかに感じられた。親鸞上人が詠んだとされる和歌:「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」を、満開のこの時期に必ず思い起こす。確かに桜の特性を実に巧みに捉えていて分かり易い。普通、和歌の意図を”今日出来ることは今日やろう”、”今でしょう”と教訓的に解釈される中で、私は逆にラテン系の考え方”アスタマニャーナ=明日がある、明日やればいい”にも魅かれる。明日になって桜が散ってしまったらそれはそれ。いずれは散る桜。今満開であれば今の桜を満喫すればよい。明日は明日の風が吹く。これもまた自然の流れだ。桜は散り際がいいから愛される。人がみな100歳まで生きながらえるとどうなるか、余計なことが頭をよぎる。
 
2018-03-30 目黒区宮前公園の桜など家の近所の桜

3月31日(土) <東京の桜は砧公園・・・>
東京の桜は砧公園(世田谷区)がお勧めと聞いた。陶芸教室で会った桜マニアの女性が教えてくれたもので、彼女は陶芸に来てはいるが、今日も早朝から桜見物をした他、連日、千鳥ヶ淵、新宿御苑、目黒川沿い、六義園の夜桜など 有名どころはもちろん都内中を花見のために巡っているという。砧(きぬた)公園は比較的家から近いので行くことも考えたが残念ながら今日は時間がとれない。この数年間は砧公園に行っていないが以前飼っていた犬の親子が元気な頃には公園内の広場で思う存分遊ばせたことを思い出す。公園の芝生の上をカラスが子どもの犬をからかって走り回る犬の先導をしながら低空飛行してくれたこともあった。行くことが出来ないならば写真で見ようとネットで調べると、確かに素晴らしい写真が並んでいる=ここここここ。砧公園の桜は種類が多いので比較的長い間花の期間が続くとの情報もある。この春に一度は砧公園に行く機会を作りたい・・。

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