今日のコラム  2018-5月分


5月1日(火) <今日から5月・・・>
今日から5月・皐月。月日の経つのは早いものとは言うまい。”光陰矢の如し”、”歳月人を待たず”と人は千年以上昔から嘆き続けた・・。このところ今年のアルバム整理に時間を割いていて、私の場合は写真を「今日の写真」としてこのコラムに掲載する機会があるだけでも恵まれていると思った。今はケイタイの機能を使って簡単に写真が撮れる。お互いに画像を見せ合ったり、SNSに掲載する若者も多いが使用される写真はほんの一部で大部分は膨大なデータの中に埋没する。アルバムを整理したところで、身内の家族しか見るチャンスはない。アルバムに入れても誰も喜ばないかも知れないが自分だけ得意になった写真を今日撮影したので掲載してみよう。初めて通る道をウォーキングしている時にお寺で見つけた風景。日蓮上人のバックに鯉幟が泳いでいる!
2018-05-01目黒区立源寺(りゅうげんじ)にて


5月2日(水) <ゴールデンウイークの中間・・・>
ゴールデンウイークの中間の水曜日。いつもは押し入ってようやく乗車する朝8時50分頃の電車が今日はそれほど混雑しなかった。ところがテニス場はいつになく満員。プレーをしているとそのコートだけで8人が試合の終わるのを待っていた。平日の会員としては月・木・金が休日で使用できないので今日は今週最後のテニスのできる日で混む訳だ。とにかくも午前中大汗をかくチャンスを持てたことに感謝。・・夕方にはまた息子の墓参りに行った。今日は月命日に当たる。”また”という通り、この一ヶ月の間に4回目の墓参となる。春の桜の季節で桜を見ながらの墓参を繰り返した。今日の墓や境内はすっかり葉桜だったが、初夏を思わせる新緑が鮮やか。ツツジが散り始めており、散ったツツジの花の掃除が一仕事だった。今日の写真(下)は我家のベランダに咲いていた鉄線花が連日の強風で散ってしまったのを拾って部屋に飾っているところを撮影。
2018-05-02
5月3日(木) <就寝前にWii・・・>
就寝前にWii(任天堂の家庭用ゲーム機)でバランス年齢計測を行うことを習慣としている。計測台に乗り、体重に続いて数種類のバランスチェック項目の二種類が自動選択されて計測を行い、その時の成績(バランス年齢)が表示される。もう2600日以上続けているので計測の要領、得意分野と苦手分野など十分に承知している。例えば三種類の数値が変化していく中で一番大きな数値がでた時に身体を反応させる記憶テストは集中すれば満点が取れる。苦手なのは、一点に重心を集めて維持する関連のもの。2~3のテスト項目があるが、意外に重心を動かさないのは難しい。経験から言えば、食後直ぐにこの種のテストをやると成績が悪い。胃腸が少し落着かなければ重心が狂う。足踏みをして左右のバランスをチェックするテストも出来不出来が大きく変わる。足踏みの重心がズレると左右の足のバランス以前に芯がずれる。ちなみに、バランス年齢計測の結果は一昨日20歳、昨日は72歳(今年最悪)。この落差はなんだ! 今日はどうなることか・・。 <この日の計測結果は20歳でした>
5月4日(金) <休日でテニスの・・・>
休日でテニスの平日会員としてはコートが使えない。天気がいいので多摩川の河川敷を歩きたくなった。今日はこれまで行ったことのないルートをとることにして、上野毛まではバスで行き、事前に地図で見当をつけておいた道を歩く。初めて訪れた多摩川自然公園などを楽しみながら多摩川辺へ。河川敷は家族連れなどいつになく人が多かったが、それでも広い空の下で存分に深呼吸できた。水辺に行く途中の至るところに小さな紫の花が咲いていたので写真を撮ったが名前が分からない。後で名を調べると「弱草藤=なよくさふじ)」のようだ(下)。少し散歩するだけでも知らないことを覚える。
 
2018-05-04 左の写真は多摩川上流方面を臨む  右は下流側(川崎方面)
    
左は帰真園(日本庭園)からみた二子玉川ライズ    花の左が弱草藤 
5月5日(土) <午前中は陶芸教室・・・>
午前中は陶芸教室に行き陶芸。新しい角皿を土練りから初めて一応の粘土形状を完成させたが当初は二枚のセットを制作する予定であったが一枚がようやくだった。今回は事前に紙で形を確認するなど用意周到に準備をしたつもりであったが本番では思ったよりも時間がかかった。イッチンといって粘土をスポイドで絞り出しながら模様を付ける作業に悪戦苦闘した事情もある。陶芸をやっているとあっという間に時間が経過する。気がつくと昼も過ぎて午後の一時。終わった後の充実感があることは確かだ。今日の表紙には陶芸教室で焼成が完了していた作品「カップX」を掲載した。外側を彫刻刀でラフに仕上げて釉薬での味を出そうとしたが思ったニュアンスではなかった。この種のものはもっとシンプルなのがいいかも知れない。

5月6日(日) <目黒区の鷹番・・・>
目黒区の鷹番にある鷹番郵便局に行ってニューヨーク宛の荷物を送った。この郵便局は本局で日曜日でもやっているのでありがたい。「鷹番」にいくと「三鷹」とあわせて江戸時代に鷹狩りをした名残の町名として親しくなる。歴史を残す地名は貴重である。鷹番は鷹狩りの狩場である鷹場がなまって鷹番になった説と鷹狩りの番人からきた説があるようだが、どちらにしても江戸の御鷹場(おたかば)であった。三鷹も江戸時代に世田谷領、野方領、府中領の三領にまたがる鷹場の村が明治時代に合体してできた三鷹村が語源だ。鷹番の近くには「碑文谷」とよばれる地域があるが、明治時代に碑文谷村と衾(ふすま)村が合併して碑衾村となり、これが目黒区の母体となったそうだ。その衾(ふすま)村に東急電鉄の駅ができたときに駅名が衾町駅に決まっていたが当時この周辺に住んでいた文化人が新駅名を「自由が丘」とするように運動を起こし、駅名と共にやがて町の名も自由が丘になったという。古い歴史ある地名はよいものだが、自由が丘は衾(ふすま)町なら随分とイメージが違う。一方で「衾町」の名のままであると、どんな発展をしたか想像するのも面白い。
5月7日(月) <ゴールデンウィーク明けの月曜日・・・>
ゴールデンウィーク明けの月曜日の電車は猛烈な混雑に戻った。渋谷駅で丁度8時頃に乗り換える電車でテニスに通う。ラッシュアワーの渦中にいると毎日毎日このような身動きもできない電車で通勤・通学する皆さんには正直頭が下がる。実際に不平も言わず喧嘩もしない。こちらは仕事でもないのにテニスバッグを抱えて混雑する電車に押し入るのが申し訳ないほどだ。考えてみると私は現役時代にはこれほどのラッシュを毎日は経験していない。ラッシュの大変さは経験しなければ分からないと今にして思う。部下のことを罵詈雑言で叱る代議士や高慢な芸能人達には、真面目な庶民が毎日どのような通勤を続けているのか是非ラッシュアワーを体験することを勧めたい。
今日の写真(下)はテニスを待っている時に前庭に咲いていた草花を撮影したもの。
2018-05-07 ムラサキツユクサ
5月8日(火) <人の意志と関係なく働く頭脳・・・>
人の意志と関係なく働く頭脳に驚くことがある。先日来、陶芸の新作として皿を考えて、絵や図面を描いてみるのだがどうもピンとこない。そんなとき明け方の床の中で突然今まで全く思いつかなかった角皿のアイデイアが浮かび起床して直ぐに絵にした。その後、図面を描いたり模型で確認したりして陶芸教室で直に粘土の形が出来上がってしまった。<単なる皿の形状で悩んだ訳でなく、釉薬の流れと厚さの違いでの色の変化を持たせたいと考えた>  どうも脳は睡眠の時間でも働く箇所はあるようだ。就寝時に特別そのことを考えていたのでもなく自分では熟睡している。睡眠中のヒラメキがどのように記憶されたか知らないが、起床した後、直にメモをする程度に覚えている。一方で、睡眠中に人間関係の悩みや恨みつらみが脳に残っていれば疲労が蓄積されそうだ。脳には過去を思い煩わせることなく未来の創造のために働いてもらうようにしたい・・。
2018-05-08  自由が丘 熊野神社
5月9日(水) <朝から冷たい雨・・・>
朝から冷たい雨が降り水曜日のテニスはできない。昨日に続いて今日も最高気温が15℃未満とのことですっかり風邪を引いてしまった。昼食後に風邪薬を飲んで三鷹芸術文化センターで開催されている「グループ創美展」を見にいった。勤め人時代の友人が出品しているが、この13~14人の小さな絵画グループの展覧会はもう20年以上続いている。毎年楽しみに見に行くが、それにしても皆さん”お歳を召された”。友人は杖を付いている。平均年齢は80歳ほどだろうか。けれども毎回感動するのは指導者であるプロの画家(独立美術協会)が極めて上手いアドバイスをすることだ。抽象も具象も印象派風でも何でもありだが、決して否定しない。随分細かいアドバイスをするかと思うと、自分はこんな風に表現できないと素直に感心する。・・体力的にはいつになく疲労してようやく家にたどり着いたが、やはり創作物からパワーをいただいたのは確かだ。
2018-05-09 三鷹八幡大神社
5月10日(木) <表紙に「Mieuへの絵手紙・お茶の缶各種」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・お茶の缶各種」(ペンと水彩)を掲載した。今日は午前中雷雨となり気温も予想が外れて寒さが続いた。昨日来の風邪気味が抜けずに何もやる気がしないところで「Mieuへの絵手紙」を描き始めると身体の具合の悪いことを忘れた。目の前にあったお茶の缶を三つ並べて描いただけだが、描いていると毎日目前にあるものでも実はほとんど見ていないことがよく分かる。中央のジャスミンティ(中国製)の模様など改めてよく見ると何とも不思議な文様に飾られている。左側のマリアージュフレール マルコポーロ(フランス紅茶)も円内の模様だけを拡大して描くと面白い絵になりそうだ。右は京都・一保堂の日本茶。これも絵はがきにはとても表現できなかったが、細かな花の模様が無数にある。・・目の前にはよく見れば素晴らしいものが山ほどある。灯台下暗しで余りに身近であると気がつかない。人間同士の付き合いでも同じ。親しすぎるとその価値に気がつかない・・。

5月11日(金) <朝から気持ちのよい晴天・・・>
朝から気持ちのよい晴天。気温も昨日までの季節外れの寒さから一転、暖かくなった。今日のテニスも同じような年齢、同程度の腕前の4人が揃って組合せを変えて三試合をやった。”年齢”からみると一発の剛速球で決めるスタイルでなく、お互いに少々のことではミスをしない。一つのポイントを決めるのに延々とラリーが続く。しかも単純なラリーではなく神業のようなミラクルショットを交互に続けて最後に決着がつくゲームとなる。三試合がゲームのカウントでは5-5,6-4,4-6などの接近試合だ。9時過ぎから始めた試合が終わってみると12時近い。皆さん本当に良く身体が動く。口では”くたびれた”と言ってはいるがスタミナがある。みな後2~3年で80歳とはとても思えない。私などは手足が吊ることもなく転倒もせずに身体が言うことを聞いたことにただ感謝のみ。午後は専ら養生している。
5月12日(土) <今日は”マサカ!”を体験・・・>
今日は”マサカ!”を体験した。一週間前の5日・土曜日に陶芸教室で角皿を一枚制作(5/5コラム=ここ=参照)。翌日の日曜日に教室に立寄り、乾燥中の角皿を家に持ち帰り削り仕上げをすると同時に、もう一枚同じ角皿を家で制作した。今朝10時に陶芸教室の予約にあわせて二枚の角皿を箱に入れて(間にタオルなど緩衝剤)持っていったのであるが、教室について開けてみると二枚とも大きく割れている。半分乾燥しているのでとても修復できる状態ではない。できる限り薄く軽く仕上げた皿だったので運搬はもっと慎重でなければならなかった・・といっても後の祭り。駄目なものは駄目なので即全てを細かく砕き再度粘土に戻して後日リベンジとした。・・表紙に掲載した「内部に球体花器」(陶芸作品)は今日完成した作品。内部の球体は固定しているが陶芸仲間からは球体が動くのも面白いと言われた。陶芸は色々な可能性を見せてくれるのでやりがいがある。”マサカ”の失敗もまた無駄ではない。

5月13日(日) <陶芸で面白いことの一つは釉薬・・・>
陶芸で面白いことの一つは釉薬の微妙な変化を見極めることである。素焼きの後に釉薬をかけるが、色の調子や結晶模様の出方が釉薬の厚さ、粘土の材質、焼成温度、焼成のやり方(酸化・還元)、冷却の時間など多くの条件で変わるので思った通りの結果を得るには試行錯誤が必要となる。現在の陶芸教室(自由が丘)に移ってまだ半年。教室によって釉薬の種類が異なるので今はこれまでの教室で経験したことのない釉薬をなるだけ選んでトライしている。今の表紙に掲載している「内部に球体花器」の内部には「ナマコ」という釉薬を初めて使った。「海鼠釉(なまこゆう)」は青系統であるが、表紙の写真では上手く現れないので底の仕上がりをアップで掲載してみる(下左)。最近の「コスモス花器」として掲載した作品は「ソバ(蕎麦釉)」を使用した。蕎麦釉薬は鉄融の一種で茶系統〜黒系統であるが、条件によって鉄分が黄色い結晶になって見事に発色することもある(下右)。「ソバ」はこれまで何度か試みているが、その都度ニュアンスが変わり奥が深い。更に形状を変えたもので「ソバ」を追求してみるつもりだ。
<明日、能登方面に小旅行の予定。コラム休みます>
 
2018-05-13 ナマコ釉薬             右はソバ釉薬
5月15日(火) <能登空港を夕方の4時45分に出発・・・>
能登空港(のと里山空港)を夕方の4時45分に出発した飛行機が正確に5時46分羽田空港に着陸。能登〜東京は飛行機で1時間だ! 初めての能登半島旅行。これまで金沢には何度か行ったことはあるがどういう訳か能登半島には機会がなかった。今回はツアー旅行で半島の南〜北〜東〜西と全てを巡った。有名な輪島や七尾はある程度知っていたが半島先端の珠洲(すず)市も実にすばらしかった。今回もまた日本の地方の美しさ、文化の豊かさを知る旅行となった。
 
2018-05-15 能登半島最先端の禄剛埼(ろっこうさき)灯台   白米千枚田(輪島市)

5月16日(水) <今日の東京、11時の気温が27℃・・・>
今日の東京、11時の気温が27℃を越えた。こんな中でのテニスは特別に熱中症に注意した。1時間ほどゲームが進行した頃、いつもと違い頭を上下させるとふらつく感覚になった。直に膝を曲げて頭を低めに保ち2~3回大きく深呼吸する。もちろんゲームの合間には水分補給を欠かさない。そんなことをやりながら2時間ほど経過して休憩を少し余分にとって再試合。その時、初めの頃と比べると頭のふらつきもなく、動きが急に軽快になった。身体が暑さに慣れたのか、その後はスムースに3試合完了。毎度、帰宅する前に妻に”無事です”と電話する。
午後、亡き息子の中学・高校時代の友人が家にお参りにきてくれた。2009年4月に息子が亡くなって9年。彼は今でも墓参にもきてくれる。息子のことだけでなく音楽や美術など話が尽きず気がつくと夕刻だった。良き友人に感謝。
5月17日(木) <草木さわぐ歓びきくや・・・>
「草木さわぐ歓びきくや籠枕」。これは渡邊水巴(わたなべすいは= 1882~1946)が俳句短冊に自らの俳句を描いた一句。水巴は高浜虚子と同年代の俳人・画家であるが、父親は渡邊省亭(わたなべせいてい=1852~1918)という日本画家だった。昨日来宅した息子の友人は仕事の傍ら、今はそれほど名が知られていない渡邊省亭をもっと世の中に知ってもらおうと情熱を注いでいる。現在斎田記念館(東京・世田谷)で開かれている「花鳥礼賛」の展覧会(=ここ)も紹介してくれた。実際の画力は横山大観よりもはるかに優ると彼は力説していたが、渡邊省亭の絵画は1878年に開催されたパリ万国博覧会にも出品され現在日本での知名度は少ないがむしろ外国での評価が高いようだ。時代とともに画壇閥や一部評論家の意見が変わると過去の評価がガラリと変わる。埋もれた宝物を発掘するだけでなく広く世の中に知らしめようと努力している息子の友人を誇りに思う。亡き息子も応援しているだろう。
5月18日(金) <アメリカンフットボールの試合で・・・>
アメリカンフットボールの試合で日大の選手が関学の選手に対して極めて悪質で危険なプレーをしたことが問題になっている。日大の監督の指示とも言われるが選手個人の裁量ではとても考えられないラフプレーにみえる。マスコミで色々な解説者がコメントをするが歴史をもっと語ってもらいたいと思う。アメリカでできたこの格闘技ともいうべき試合で1905年だけでアメリカンフットボールでの死者18人、重傷者159人となり廃止論が国会で議論されたという。そこで保安用具の義務づけとかルールの見直しもされた。それにしてもルールを守らなければ死に近い負傷の要素をはらんだゲームといえる。相手の選手のスキをついて再起不能にでもさせなければ出場をさせないと示唆されたとしたら若き選手はどうするか。関学では昔、名選手が試合中の事故で半身不随になってしまった歴史があるという。大学スポーツの覇権を続けるため相手の有力選手の芽をつぶす発想が監督にあったと考えるだけでおぞましい・・。
5月19日(土) <兄弟姉妹と連れ合いが墓の前・・・>
兄弟姉妹と連れ合いが墓の前に集まり墓参、その後、会食した一日。長兄は亡くなったが他はみな元気だ。兄はほぼ男性の平均寿命(81)であるが女性の平均寿命87歳には全員がまだ達していない。本当に今はみな長寿になったと感心する一方で、早くこの世を去ってしまう人も多い。3日前(16日)に亡くなった西城秀樹さんは 63歳、星由里子さんは74歳だった。昨日朝のテレビで作曲家・ジャズピアニストの中村八大の思い出番組があったが、中村八大は61歳で亡くなっている(1992)。中村八大が作曲した「上を向いて歩こう」を歌った坂本九は43歳の時日航機墜落事故(1985)で帰らぬ人となった。誰でもが死を免れることはできない中で多くの人に惜しまれながら亡くなった人はある面で幸せでもある。長寿となったのはよいが、友人・仲間はみな先に逝ってしまったとか、”遺族の悲しみ”とは全く無縁に葬儀を迎えて忘れ去られる人は数知れぬ。亡くなった後に、誰かに勇気とか元気を与える人はそれだけ長く生き続けている・・。
5月20日(日) <久しぶりに丸の内の三菱一号館美術館・・・>
久しぶりに丸の内の三菱一号館美術館に行った。「ルドンー秘密の花園」展。ルドンの展覧会が開催されていることは知っており、さていつ行こうかと今朝になってネットで調べてみると”会期終了まで0日”。今日が最終日だった。それからの行動は素早かった。何はさておき、直に外出して開館10時の直前には会場に着いていた。ルドンの絵は華やかな色使いの花の絵が親しみ易いが色を使わない石版画や黒の時代の絵も独特の雰囲気がある。50歳を過ぎてから鮮やかな色彩表現に移行したというが76歳で亡くならずにもっと長生きをしていたらどんな作品が生まれていたのだろう・・。
 
 2018-05月20日  三菱一号館美術館 右は中庭&ルドンの花
5月21日(月) <津川雅彦さんが妻の朝丘雪路さん・・・>
津川雅彦さんが妻の朝丘雪路さんの死去に伴って会見で語った”全てに感謝”が印象的。一切愚痴を言わず、妻に感謝、そして妻が先に逝ったことにも感謝・・。認知症で反応が定かでない妻の看護の大変さはいかばかりか。自分が先に逝った場合、その後面倒を見る人の大変さをも分かっている・・。一方で曾野綾子さんのように夫を自宅で介護しながら看取り、げんきに「夫の後始末」をするケースもある。私の廻りを見ていると夫が先に亡くなった後で妻が生き生きと活動的になる人が多い中で、妻に先立たれた夫は大抵可哀想なほど惨めになる。こればかりは運命に任せるしかないか・・。津川雅彦さんは私が高等学校に入学したとき、実は隣のクラスに在籍していた。親しくはならなかったが、当時兄の長門裕之と並ぶスター候補として知る人ぞ知る存在であった。奥様のご冥福をお祈りします・・。
5月22日(火) <斎田記念館に行った・・・>
斎田記念館に行った。家からはバスを乗り継いで行ったが東京でも交通量が多いので知られる環状7号道路の直ぐ脇にある。東京の美術館・記念館などは大抵訪れたことがあるが、この「斎田記念館」は今回が初めて。幹線道路から記念館の入口の方へ進むと世田谷の中心部とは思えぬ別世界となる(下の写真)。この記念館は昔の代田村に”世田谷の斎田家”として知られた名主であった斎田家(三千坪の土地に二百坪の建物があり、世田谷の文化財に指定)が敷地の一角に設立(財団)して公開しているものだ。斎田記念館(=ここ)で今開催されているのは「花鳥礼賛=渡邊省亭・水巴 父と子、絵画と俳句の共演=」。5月17日のコラム(=ここ)で書いたが、亡き息子の友人が渡邊省亭をもっと世に知ってもらおうと努力して開催にも一役買ったことから、この展覧会を知った。斎田記念館にしても渡邊省亭にしても今まで知らなかったことが恥ずかしくなるほど中身が濃い。マスメデイアだけの情報では極めて偏りがあることを改めて思う。
 
2018-05-22 斎田記念館(東京‐世田谷)
5月23日(水) <午前中、テニスをした仲間の一人・・・>
午前中、テニスをした仲間の一人が最近親を亡くした。自宅で奥様と一緒に 看病し最後に息を引き取る瞬間まで看取ったという。親の享年なんと104歳とか。以前、看病の都合でテニスができないと何度も聞いたが、これからはテニスの出席率も上がるのだろう。老老看護は珍しくもないけれども、看護する側が前向きに動けば身体に悪くはない。今朝、同じくテニス場で91歳の男性と雑談をしたとき、”江戸時代のような生活を心がけると健康が保てる”と言っていた。省力化、楽な仕事、手伝いをなるだけ排除して身体を動かすとのこと。掃除機を使わずに箒やハタキで埃をとる、エレベーターやエスカレーターを使わずに階段を使う、重いものでもキャリアを使わず手で運ぶ、できれば薪割りから火をおこせばよいが、畑仕事だけでもよい・・と例を挙げていた。そうだ、バリアフリーもなるだけ使わずにバリアを越す方がいいとも言っていた。90歳を超えてテニスを楽しんでいる人の話なので説得力があった。過保護は本人のためにもならないが、自分のことは自分でやる考えの高齢者はどうやればできるのか。本人がそうしたいと考えても現実は異なる場合も多いだろうが、高齢者は楽をし過ぎないことを心しておこう。
5月24日(木) <”説教”は非常に難しい・・・>
”説教”は非常に難しい。たまたま家にお坊さんの書いた言葉(絵付き)の日めくりカレンダーと相田みつおさんの日めくりカレンダーがあるので比較してみた。今日、5月24日のお坊さんの言葉:「人の悲しみを自分の悲しみに、自分の幸せを人の幸せに(Be sympathetic to other people's sadness.Spread your hapiness to others.)」。相田みつおさんの言葉:「考えてばかりいると日がくれちゃうよ(If you spread all your time only thinking, the sun will set.)」。もう一つ、27日分では、お坊さん:「損得でなく善悪で判断しなさい(Judge good or evil,not advantages or disadvantages.)」に対して、相田みつおさん:「批判はしたけれど自分にできるだろうか(It is easy to criticize others, but it is important to ask myself whether I can do that.)」。有楽町にある相田みつお美術館(=ここ)で書を見たことがあるが、最高級の達筆で書くことが出来るにもかかわらず、あえて稚拙に見える独特の書体で表現する相田みつおの言葉は素直に心に響く。一方のお坊さんが筆で書いた言葉の何と味気ないことか。自分だけ分かったような上から目線での説教は有難味がない。
5月25日(金) <このところ般若心経・・・>
このところ般若心経を見直している。先日、奥能登を旅行した際に曹洞宗の總持寺祖院(輪島市門前町)にも行った。今は總持寺というと横浜・鶴見の「大本山總持寺」が親しいが、かつて、移転するまでは大本山がこの輪島市にあり、今はそこが「祖院」と呼ばれているという。この總持寺祖院を案内してくれたお坊さんが案内の途中で2分足らずで般若心経を全て唱えた。余りに見事だったので家に帰ってから身の回りの般若心経の本を取り出したのである。何年前に買ったのかも忘れてしまった「脳ドリル」で般若心経の写経と読誦の本が一つ。活用しないともったいないと「読誦」を風呂に入ってやってみたが、以前読んだことがあるはずであるが意味の解説がピンとこない。そこでもう一冊。玄侑宗久著の「現代語訳・般若心経」(ちくま新書)を読んだ。これも以前読んだはずであるが、とても新鮮で面白かった。昔読んだ内容をこれほど忘れるものかと、ショックもあるがお経のように何度も繰り返して読むのも悪くはない。般若心経は意味が分からなくてもただ暗唱するだけでもいいともいう。脳トレとして続けてみようか・・。
5月26日(土) <土曜日は陶芸教室・・・>
土曜日は陶芸教室に行く。10時10分前に教室に着くように家をでて歩く。雑談をしながら準備をして10時にスタート。前にも書いたことがあるが、それからの3時間があっという間に経過する。途中で12時を過ぎた頃に軽くお茶を飲み気分転換をするが1時までにどう区切りをつけるかを考えながら集中して作業を行う。終わってから、昼食はこれからだと気がつくほどに充実した時間は何ものにも代え難い。けれども、この時間が有難いのは嫌ならばいつでも止められるところ。体調が悪かったり、やる気がなければ家で寝ていることもできる。”ねばならない”がない自由さがあるから余計に集中できる。更に制作する作品にも”ねばならない”がない。”売れなければならない”、”役に立たねばならない”、”高い評価を受けなければならない”がないとは何と恵まれていることか。こうして書きながら、”何をしてもいい”とすると、もっともっと思い切り良く、とんでもない作品に挑戦することが出来るのだと改めて思う。恵まれた環境を活かすかどうかは己の問題だ・・。
5月27日(日) <表紙に「Mieuへの絵手紙・ニューロン」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・ニューロン」(ペンと水彩)を掲載した。ニューヨークの高校に通い、今は大学入試の準備に忙しい孫娘Mieuは好奇心旺盛で物知りである。今日は妻とラインで般若心経のことを延々と話しているのでこちらも話しに加わった。表紙に掲載した「ニューロン」はまたMieuの得意分野。「ニューロン」とは神経細胞のことで、人の脳は千数百億個(大脳=数百億個。小脳=千億個)の神経細胞で構成されているといわれる。実際に見たことのない細胞の絵を「今日の絵」にしようと描いたのは、”細胞と宇宙が酷似しているとの記事と写真を見て興味を持ったからである。初期の宇宙で星団が相互につながっている様が神経細胞のつながり方に似ている・・。人体は小宇宙・・。機会があればMieuにニューロンのことも教えてもらおうかと思う。仏教思想とニューロンが結びつくかも知れない。

5月28日(月) <陶芸の専門家の展覧会で・・・>
陶芸の専門家の展覧会で大きな作品を3回、4回と焼成し直したと解説があるので驚いたことがある。絵画では骨太のキリスト像などを描いたルオーが一度完成した絵に対して何度も加筆を繰り返すことが多く、購入された絵をも取り戻して加筆したというエピソードを思い出すが、陶芸の場合は絵具を上塗りするだけでは済まず、窯の中で高温で焼成をやり直すのだから手間がかかる。最近になって自分でも小さな電気窯をつかって完成した作品を手直しすることを覚えた。昔の作品が気に入らないので上絵の具で一部の色合いを変えて850℃で焼成するとか、普通の釉薬を重ね塗りして1250℃で焼成をやり直すことをやる。いくつか手直しの焼成を試みて、結局は私の陶芸作品群としては大差ないと思うようになった。一発勝負だからこその勢いがあればそれが一番だ・・。今まで生きてきた人生をやり直したいと改めて生きたとしてどれほどに変わるか。要はその場その場で出来る限りのことをやる、思い残すことなく生きていれば後悔はしない。陶芸でも何でもそれと同じだ・・。
2018-05-28 テニス場脇の草むらにて
5月29日(火) <等々力(東京‐世田谷区)をウォーキング・・・>
等々力(東京‐世田谷区)をウォーキングしたら意外に面白かった。家からバスに乗ると15分ほどで等々力に行ける。等々力渓谷や等々力不動尊はこれまで何度か訪れているが。今日は等々力渓谷をでて更にバスで通過する道沿いに歩き、満願寺とか玉川神社など行ったことのない神社仏閣に立寄った。それぞれに「せたがや百景」に登録された場所で世田谷区の解説碑があるので地域の歴史が分かる。東京では住んでいる直ぐ側に歴史遺産が残っていても気がつかないことも多い。その気になれば遠方に旅行に行かなくても珍しい材料はいくらでも発見できる。等々力近辺はまた古墳が多いことでも知られる。多摩川沿いに住んでいた縄文人に思いを馳せるだけでも大いに気分転換になる・・。
 
2018-05-29 等々力不動尊    右は渓谷内の日本庭園にあったザクロ
 
 満願寺 (致航山)          右は玉川神社
5月30日(水) <ドクダミの花・・・>
ドクダミの花をいたるところで目にする。今朝はテニス場の入口脇の空き地に白い花を咲かせたドクダミを見ながら開門を待った。この前の日曜日には親戚の家で庭の草取りを手伝ったが、専らドクダミに占拠されたスペースの”ドクダミ採り”だった。この庭では機会があるたびにドクダミ退治をするが、採っても採っても直に復活する。少々の地下茎を採ってもへこたれない生命力には感心してしまう。この際、ネット辞書でドクダミを調べると色々なことを教えてくれた。漢字では「「毒矯み」(毒を抑える)、別名、「毒溜め(どくだめ)」、「十薬(じゅうやく)」など。英語ではfish mint, fish herbなど魚の匂いかかわる名前があるという(他にもあり)。十薬と呼ばれるほどにドクダミには薬効が高いことは知られているが、余りに強くてうるさい植物だからこれまで薬効を活用する発想はなかった。その生命力に敬意を表して、これからは今の時期、ドクダミ茶でも作ってみるかと思い始めた・・。
5月31日(木) <どんよりした梅雨空・・・>
どんよりした梅雨空の下、九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)まで歩いた。仁王門をくぐる際に、今日は左右の阿形像(あぎょうぞう=口を開いている仁王様)と吽形像(うんぎょうぞう=口を結んだ仁王様)の写真を撮った(下)。この寺は夏に「鷺草」が咲く寺として知られているので、まず境内の池に寄ってみたが鷺草はまだ気配もない。その代わりに水辺に「半化粧(半夏生)」(はんげしょう)」が文字通り葉を半分白くさせて紐状の花も伸びてきていた。墓参りをした後、直ぐ側にあるアンズ(杏)の樹の下に落ちている杏の実を拾って集めた。軽く100個ほどを土産にして散歩は終わり。アンズジャムができるのはまだ先だろう。
 
2018-05-31九品仏浄真寺仁王門      阿形像(右)と吽形像(左)
半化粧

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