「今日のコラム」(2018年 8月分)

8月1日(水) <いのちなき砂のかなしさよ・・・>
「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあいだより落つ」、「友がみな我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ」。明治時代末期に石川啄木が詠んだ歌が今の時代でも気持ちを落ち着けてくれる。このところニュースで報道されているアマチュアボクシング界のドンである連盟会長の不正や強権的なやり方がまかり通っているのをみると、権力を持つとある種の人はブレーキがかからなくなるのは時代に関係がないのだと思い知らされる。オウムの麻原彰晃やヒットラーになる特性を供えている人間はどこにでもいるか。地球上には独裁者がなくならない。それにつけては26歳の若さで亡くなった啄木の心情が何分の一でも分かる感性があれば人は変わるのでないか。周囲がみな”我よりえらく”みえる程度のほうがいい・・。


8月2日(木) <今日も東京で最高気温37.3℃・・・>
今日も東京で最高気温37.3℃を記録するなど日本列島は猛暑が続く(岐阜・多治見で40.2℃)。暑さとは関係のない冷房の効いた部屋で「ひとりじゃなかよ」(西本喜美子著・飛鳥新社)を読んだ。この本はテレビでも話題になったようだが、1928年生まれ90歳の西本さんの初作品集(出版時で88歳)。西本喜美子さんは72歳で初めてカメラを手にして、74歳のときにはパソコンを購入したという写真家。おばあちゃんが撮影した写真に熊本弁で簡単な文章を加えた一ページ、一ページが非常に面白い。おばあちゃんがゴミ袋に入ったり、オートバイに乗った自撮りの写真が人気になったようだが、私は自撮りでない写真も好きだ。90歳のおばあさんとは思えないほどアイデイアが新鮮で感性が若い。<紹介ホームページ例=ここ、ご本人のホームページ=ここ(メンテが不足にみえます)> 西本写真に影響されて何でもありで撮影した「今日の写真」が下記:
2018-08-02
8月3日(金) <東京国立博物館で開催されている特別展「縄文・・・>
東京国立博物館で開催されている特別展「縄文ー1万年の美の鼓動」を見に行った(@平成館、9/2まで、案内=ここ)。以前から写真やテレビなどでは何度も見ている縄文土器や土偶が想像していた以上に素晴らしく感動の連続だった。やはり実物の迫力には心底圧倒される。そして1万年続いた縄文時代に対しても子どもの頃にインプットされたイメージが大きく変わった。何千年も前に生きた縄文人の文化、活力の大きさが創造物の中からほとばしっている。恐らくは発掘時にはバラバラの破片であったものをパズルを組むように綿密に組上げた人たちにも感謝しなければならない。明日は陶芸教室で何を制作しようかと思案しているタイミングで縄文人のパワーに接すると少し冷却期間を置かなければ”創作”などおこがましいと思うほどのショックでもあった。
2018-08-03 写真撮影可の場所にて(@展覧会)
2018-08-03 息子の墓参に行った九品仏浄真寺での鷺草
8月4日(土) <午前10時から3時間、陶芸教室・・・>
午前10時から3時間、陶芸教室で作陶に励んだ。教室は冷房が効いているので暑さを忘れて集中できる。今日は粘土を捏ねるところから二個の形作りまで一気に進めたが文様をつけるところまでは出来ず、ビニール袋に入れて次回までお預けとした。そこまでは体調は良かったけれども、夕方親戚の家に行って2時間ほど庭の草取りを手伝った。大汗をかきながらの作業で、無理をしたつもりはないが、家に帰ってからどっと疲れがでた。珍しく腰の一部が痛くなり眠たくなってきた。夏場の草取りは短時間で終わらせなければならないと反省・・。
8月5日(日) <最近のテレビでは健康に関する番組・・・>
最近のテレビでは健康に関する番組が多くなった。実際にダイエットの食事を指導したり、運動のやり方を細かく指定して、サンプルとなる人がどれほどの効果を達成したかを経過とともに見せる。一週間でこれだけウェストが変わりました、トレーニングで体重がこれだけ下がりました、体脂肪率、内臓脂肪もこれほど変わりました・・と数値を得意気に示す。一週間、二週間、あるいは一ヶ月であっても生活習慣を確実に管理をしていれば、ある意味で変わるのが当然であろう。細胞は休むことなく死滅と再生を繰り返しているし血流は滞ることなく環境に適合している。問題はいい生活習慣が自らの意志で継続してつづけられるかどうか。一週間で改善される内容は3日で改悪される。いくら体調が良くても、ほんの一瞬で壊される。旅行に行って長時間飛行機に乗るとか車で移動するだけで身体が変調を来すことは当たり前だ。今朝のテレビでライザップのトレーニング方法が紹介されていた。目標を定めて個人的なトレーナーがついて目標を達成させる。目標を達成できなければ全額を返却するほどの意気込みだからトレーナーも必死になり、やる方も二ヶ月で40万円の金額を払ってやる気になる。一度目標を達成した後、自分でコントロールしなければまた40万円と考えればリバウンドさせずにいい生活習慣を続けるのも納得。健康にお金が絡んでいるのが可笑しくもある。
8月6日(月) <本物を見なければ話しにならない・・・>
本物を見なければ話しにならない、とテニスの休憩時間に仲間の一人がいう。隅田川の花火大会、長岡の花火大会を見てきた人で、たまたまテレビ中継の画像をみたが、本物の花火大会の迫力とはほど遠いお粗末な映像に見えたという。今はテレビの画像でも写真でも情報を伝える手段は多いが確かに本物との差が大きい。私の場合、スポーツにそれを感じる。野球中継にしてもピッチャーが投げるスピード感は球場でみるとまるで違う。キャッチャーの位置からカメラを写していると球のコースは分かるが、スピード感は伝わらない。打球のスピードも選手の球さばきも”本物”を見るとテレビの野球はスポーツの面白さを伝えるのでなく点数結果だけを伝える機能に見える。テニスにしてもサッカーにしても、また陸上競技にしても一度本物の迫力を見るとテレビ観戦はスポーツ観戦とは言えない。昔から骨董の鑑別能力を養うにはただ”本物”を見るに限ると言われる。そう、先週見た本物の縄文土器は細かな文様に至るまで脳裏に叩き込まれて忘れることが出来ないほどの凄まじさだった・・。
8月7日(火) <求めよ、さらば与えられん・・・>
「求めよ、さらば与えられん」は言うまでもなく新約聖書「マタイによる福音書7章」にでてくる言葉で、イエス が「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」といった初めの部分(文語)。「神に祈り求めなさい。そうすると神は正しい信仰を与えて下さる」と解説されてもいるが、与えられるのを待つのでなく自ら求める姿勢が重要とする教えの源である。・・いくら”求めても”どうしようもなかった猛暑が台風の接近で今朝は10℃近く気温が下がり、冷房も必要なくなった。終日の雨でもあり「求めない」という本(加島祥造著、小学館)を繙き、冒頭のマタイ伝を思い出した。加島祥造さん(1923~2015)は「求めない」の詩集の中で、「求めないーすると心が静かになる」、「求めないーすると自分の時間が生まれるんだ」などと表現しているが、実際には60歳を過ぎるまで求めに求めた生活をした上である時「求めない」とはこれほどに自由なのだと気がついたと話している。「求めないーすると自由を感じる。その自由からエナジーが湧く」。
8月8日(水) <俳優の津川雅彦さんが亡くなった・・・>
俳優の津川雅彦さんが亡くなったと報じられている。私が入学した高校の一年生の時に隣のクラスに津川雅彦さんがいたこともあり、その後も何となく親しみを覚えていた。彼は新聞記者に憧れてこの学校に入ったそうだが、入学間もなく石原裕次郎の弟役で大ブレイク。学校を転校してスター街道を駆け上がった。ちなみにこの時の私のクラスには後にフジテレビのアナウサーとして人気があった露木茂さんがいた。私は田舎の中学を卒業してこの高校に入ったので英語の発音の巧みだった露木さんや中学で浅丘ルリ子さん(当時既にスターだった)と同級だったというクラスメートもおり、周囲が都会的に見えて眩しかったことを思い出す。考えてみると、この高校一年生の時に一番親しかった友人と60歳を過ぎて再会したが間もなく彼は急死してしまった。誰もが通るあの世への道であるが、やはり縁あった人の死は何かを考えさせる。合掌。
台風接近中の今、今日の写真は陶芸作品で遊んだ(陶芸コーナー参照)。
  2018-08-08
8月9日(木) <表紙に「MIeuへの絵手紙・無題」(水彩)・・・>
表紙に「MIeuへの絵手紙・無題」(水彩)を掲載した。文字通り”無題”で特に意味はないが、今日、台風余波の中で外出もできず何かを描きたかった。窓のような幾何学模様をベースにしたのは今製作中の陶芸でこのような文様を考えているので同じになってしまったもの。陶芸ではここに描いたような色合いは出来ない。水彩絵具では色でも筆のタッチでも思うように好き勝手に表現できるところが陶芸と大きく異なる。反対に、陶芸は焼成の成り行きで思わぬ色のニュアンスが生じるが絵具は全て描く人の責任だ。今日は描く以外にも、以前制作した陶芸作品を使って”デタラメな”写真を撮って遊んだ。下に掲載する陶芸部品は組立てれば「三角錐」となる(陶芸コーナー=ここ=参照)。
  2018-08-09
8月10日(金) <起床して外を見ると・・・>
起床して外を見ると雲一つない晴天。テニスに行く用意をしていたが最高気温32℃の予想ならば直射日光下でのテニスでは40℃の体感になる。迷いに迷った末にテニスは止める決断をした。その代わりに谷中に義兄の墓参りに出かけた。お盆には少し早いが明日が義兄の月命日。墓参りであれば太陽に照りつけられても日陰を選び、適当に休息をとることも出来る。朝食まではテニスに行く勢いを持っていたので今日は上野に近い谷中の瑞輪寺で墓参りをした後、谷中霊園の中を歩き、更に大田区の親戚の家まで行って草取りをした。結果的にはテニスと同じ程度歩き、汗をかいた。都心で予想より高い最高気温34.5℃を記録したという今日、テニスでなくても夏は外で汗をかくに限るという”古き”流儀を押し通した。
 
2018-08-10 左=これもお寺(谷中にて)    右=谷中霊園の樹木
8月11日(土) <芸術は長く人生は短し・・・>
「芸術は長く人生は短し」は誰が言った言葉だろうと調べた。古代ギリシャ時代の医者、ヒポクラテスが医術について語った言葉が始まりであるようだ(紀元前400年頃)。原語ではartに相当するラテン語(ars)が”芸術”と訳されているが本来はartであるから医術を含めた技術、芸術全般をカバーする表現であろう。今の時代はアート、芸術家というと特殊な意識が感じられて抵抗を感じるが、”あらゆる技術・芸術を極める道は長い”と解釈すれば同意できる。・・こんなことを思ったのは、今日の午前中に陶芸教室で陶芸の仕上げを3時間行ったが、いつもながらアッというまに時間が経過してタイムリミットになってしまったからである。芸術なんていうものでなくても自分の思うように仕上げるだけで際限がない。多くの人が”人生は短し”と言いながら妥協の産物が蓄積されていく。それが貴重な歴史遺産にもなっていると思いたい。
8月12日(日) <表紙に掲載した「Mieuへの絵手紙・ホオズキ」・・・>
表紙に掲載した「Mieuへの絵手紙・ホオズキ」(ペンと水彩)を描きながら、今日はテレビで歴史に残る高校野球の名勝負を見てしまった。試合は甲子園での第三試合、星稜(石川県)vs済美(愛媛県)。7回まで星稜が7-1でリードしほぼ決まりかと思われたが、8回に済美は3点を奪い3点差まで追い上げて二死満塁。更に2点を加えた後に逆転ランで7-9と二点差をつけてリードしてしまった。ところが9回に星稜は2点を加えて9−9の同点に追いつき延長戦。延長13回には星稜が2点を入れて11-9と勝ち越した。ところが、その裏済美は満塁でホームランを放ち14-11と死闘を制した。このような筋書きはどのよな人間でも想像できない。神のみぞ知るストーリーがこの世にはある。・・表紙の絵の「ホオズキ」は今日いただいたものを描いた。ホオズキは鬼灯とも書くように今のお盆の時期に死者の霊を導く提灯に見立てて、”枝付きで盆棚に飾る”とある。単品で絵は描いたが枝付き鬼灯は息子の写真の脇に飾ってある。

8月13日(月) <盆入りの今日・・・>
盆入りの今日、テニスに行くため電車を三つ乗り換えたが、いつもはラッシュアワーで混む電車がどれもガラガラに空いていた。その代わりにテニスでは普段ウィークデイに来られず土日曜日にプレーをしている人が多勢来ていたので待ち時間が多くなった。それでも最高気温33℃を越した日中に、いつも通りに三試合を無事に終えて”お疲れさん”。・・我家には仏壇がない。息子の位牌など適宜にテーブルや棚などに置いている。毎月墓参りは欠かさないがお盆の行事を特別にすることはない。それでも昨日描いたホオズキ(鬼灯)もあるので、「今日の写真」として仏具の一部を写真に撮ってみた(下)。位牌の他、香炉立て、台の皿類、おりん棒の台、花器などほとんどは自分の陶芸作品だ。
 2018-08-13
8月14日(火) <「フィンランド陶芸」・・・>
「フィンランド陶芸」を見に行った(@目黒区美術館、9/6まで)。目黒区美術館は以前住んでいたところからは歩いて行ける距離でお馴染みだった。今日は何年振りかで美術館のある区民センターの中を懐かしく歩いた。展覧会は「日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念」と仰々しいが。私はフィンランドを訪れたことはない。それでも我家にはアラビアの食器やマリメッコの飾りなどがあり、フィンランド製のデザインはみな気に入っている。北欧のフィンランドは今は平和に見えるが常に周辺諸国からの侵略、覇権争いが絶えずロシア傘下から独立してまだ100年しか経っていない。「フォンランド陶芸」は食器だけでなくデザインの国らしく独特のセンスが光っていた。下に掲載した図柄のものなど色々な「陶板」が私には特に興味深かった。陶芸で新たなインスピレーションをいただいたのは間違いない。
2018-08-14フィンランド陶芸展にて
8月15日(水) <今日は終戦の日・・・>
今日は終戦の日であるが、敗戦で日本という国はなくならなかった。議会制民主主義の元祖とされるイギリスで民主主義が真に機能できたのは政権が変わっても前の政権を担当した権力者の命が保証されたことが大きいと言われる。今でも政権を失うことが命を失うことになる国は多い。日本で極めて珍しいと思われるのは明治維新での政権交代。260年以上続いた徳川政権を徳川慶喜が大政奉還し、江戸城を無血開城した。明治の世になって慶喜は政治には全く関与せず、趣味の写真や囲碁をして生き延びて、実に大正時代に77歳で亡くなった(墓は谷中霊園にある)。もちろん、明治維新前後に政権交代の戦いはあったが、”無血”の政権委譲に近い。世界はそんなものでなくデータを見るだけでゾッとする。中国共産党(毛沢東)が革命により政権をとったとき粛正された犠牲者は6000万人とも8000万人ともいわれる。スターリンの旧ソ連革命で粛正された人は2000万人とか。正確な数値は把握し難いものであろうが、とにかくも桁違い。中華人民共和国は建国70年にもなっていない。
8月16日(木) <山口県で行方不明になって・・・>
山口県で行方不明になって三日間の捜索でどうしても見つからなかった二歳の幼児をボランティアで捜索に参加した78歳の男性が昨日早朝独りで山中を捜索し始めて30分で元気な幼児を発見したことが大ニュースになっている。以前から全国各地の被災地を”人の役に立つなら”とボランティア活動をしているというこの人は正にスーパーボランティア。幼児の命がひとりの神懸かり的な行動で救われたという現実は奇跡を目の当たりにした思いがする。それにしても、この78歳のご老人、一切見返りを求めない謙虚さが際立っていて爽やかだ。78歳と言えば、日本ボクシング連盟の前会長も同じ歳。昨日、会長職以外に関西や奈良のボクシング連盟の会員も辞任すると報じられた。助成金の不正流用や反社会勢力(暴力団)との交友問題以外に、今の世にこれほどの高圧的なリーダーが存在できる会派があることを知った。ボランティアと真逆の世界もある。そういえば先日亡くなった津川雅彦さんも78歳だった、それに・・、もう止めよう。
夕方、散歩に行った駒沢公園(東京・世田谷区)での写真を下に掲載する。
 
2018-08-16  左は屋内球技場の屋根
8月17日(金) <「ゆるめる力・骨ストレッチ」・・・>
「ゆるめる力・骨ストレッチ」(松村卓著)の本をkindle(アマゾンの電子書籍)で読み直している。身のこなしについて”筋肉ではなく「骨」を意識して動かすこと”とか、”力を入れることよりも、力を抜くこと。体を固めるよりも、ゆるめること”といったポイントが自分のテニスや運動にぴったりと思い当たる(今日の午前中もテニスだった)。この本の中で著者が「骨」に関して面白い指摘をしているので少し引用させていただく。「コツをつかむの”コツ”とは実は”骨”」、「”気骨がある”とか”骨抜きにされる”など昔の人は骨が如何に重要かを認識していた」、「”骨を折る”、”骨折り損のくたびれ儲け”も骨が中心」、「元来、骨が豊と書く”體”の文字が”からだ”であった」。なるほど、最近は何かと「筋トレ」が話題になるが、”骨”に着目して”ゆるめる力”を引き出すのは斬新だ。骨ストレッチも更に継続しなければならない・・。
8月18日(土) <「薮枯らし」の正式名称・・・>
「薮枯らし」の正式名称は何だろう、とヤブガラシを駆除しながら妻に聞いたが分からなかったので調べると「ヤブガラシ」が標準和名だった。義姉の家に行くと必ず雑草採りを手伝う。ヤブガラシは雑草の中でも一番の難敵。名前の通り”薮を覆って枯らしてしまう”ほどに生命力が強い。ヤブガラシの別名はビンボウカズラ(貧乏葛」。”庭の手入れどころではない貧乏な人の住処に生い茂る”、”あるいはこの植物に絡まれた家屋が貧相に見える”などの意味だと解説されている(by Wikipedia)。雑草と一言で片付けられる植物の名前は可哀想なぐらい疎外された名称が多い.ヤブガラシの他、ドクダミ、イヌノフグリなど・・。一方で雑草を相手にしていると「雑草のように生きよ」の意味がよく分かる。いくらいじめられ、バカにされ、除外され、見捨てられようとも、雑草はしぶとく生き抜く・・。
8月19日(日) <久しぶりに”碑文谷”を歩いた・・・>
久しぶりに”碑文谷”を歩いた。「碑文谷(ひもんや)」は東京・目黒区の環状七号線沿いの地区。地名の由来は鎌倉時代に創建された神社(碑文谷八幡宮)にある「碑文」を彫った里(谷)など諸説あるようだ。かつての碑文谷村一帯が今の碑文谷地区になり一丁目から六丁目まで約1平方キロある。今日は初めて訪れた田向公園から圓融寺、サレジオ教会、碑文谷公園などを支離滅裂に巡り歩いた。一週間前の暑さであるととても歩く気はしなかったが今日はそれだけ気温が高くなかったということになる。東京の街は同じように見えて決してワンパターンではない。訪れる度に、通る度に、新しい発見がある。灯台下暗しという。まだまだ都内の各所を歩いて東京のパワーを見たい。
 
2018-08-19  圓融寺の本堂  右はサレジオ教会
碑文谷公園にて
8月20日(月) <「まごわやさしい」・・・>
「まごわやさしい」は日々の食事に取り入れるべき食材の覚え方。ま=豆類、ご=ゴマ、わ=ワカメなど海草類、や=野菜、さ=さかな、し=シイタケなどきのこ類、い=イモ類。この語呂合わせをどういう人が思いついたか知らないが、昔から実に良く出来たと思われる数え唄が沢山あったが時代とともに忘れ去られている。私は男子としておはじきで遊ばなかったが、幼少の頃に聞いたおはじき唄で今も耳の残るこんな唄がある;「いちじく、にんじん、さんしょに、しいたけ、ごぼうに、むかご、なぐさ、はじかみ、くねんぼ、とんがらし」。6)”むかご”は山芋のあかちゃん(付け根にできる球根)、7)”なぐさ”は菜草、8)”はじかみ”はショウガ、9)”くねんぼ”は昔の柑橘類。江戸時代の手鞠唄として数え唄が大発展したようだが、平和な文化遺産として昔の数え唄を蒐集、保存することができないだろうか。
8月21日(火) <甲子園での高校野球・・・>
甲子園での高校野球は今日の決勝戦で大阪桐蔭が秋田の金足農を13-2で破って優勝し幕を閉じた。恐らくは日本の90%の人が東北勢初の優勝をと金足農を応援しただろうに、こればかりはどうしようもない。試合を見ている時には分からないが、”朝日新聞社”と大きく文字がある深紅の大優勝旗を大会会長の朝日新聞社長が授与する様子を見て、これは朝日新聞と高等学校野球連盟の主催であることに気がつく。今の高校野球はプロ野球が発足する20年も前、1915年(大正4年)に朝日新聞社が新聞の販売促進を目的に旧制の中等学校野球大会を開催したのが始まり。その後、大学野球の人気にも影響され、1934年末に読売新聞社の正力松太郎が読売新聞の販売促進と新たな事業展開のために日本初のプロ野球チーム・読売巨人軍を発足させた(発足当時は大日本東京野球倶楽部の名称)。新聞・マスコミの力は絶大でプロ野球は大発展したが、今の”読売ジャイアンツ”は日本野球機構傘下の一チームに過ぎない。その点、高校野球は100年も経過して朝日新聞が大きくのさばっているのが少々うるさい。
8月22日(水) <トイレで「TOTOウォシュレツト」・・・>
トイレで「TOTOウォシュレツト」を使う度に、この開発に携わり見事に完成させた技術者達を思い感謝する。いまや温水洗浄便座には日本中どこでもお世話になる。昔と比べると何と清潔でトイレの感覚が変わったことか。温水洗浄便座は50年以上前に米国で医療用・福祉施設用に病院で使用されていた実績はあるようだが、TOTOが1980年に国産化し「ウォシュレツト」として発売を始めた。その後、日本独特の細かな改良や機能を加えて今では世界の中でも日本のトイレは一番清潔で高機能でないか(最近でも米国の一般トイレで温水洗浄便座をほとんど見ることはない)。私が感激するのはこのような日常必需品の改善・改良が普通の勤め人エンジニアによって非常に丁寧に完成されていることだ。青色LEDの発明者たちがノーベル賞の栄誉と高額の報償を得たのとは訳が違う。名も知らぬエンジニアの努力のお陰で何千万人もの私たちが日々気持ちよく暮らせる。お陰さまで、ありがとうとTOTOのエンジニアに伝えたい。
8月23日(木) <「けりをつける」・・・>
「けりをつける」の「けり」が短歌や俳句の終わりの「けり」が語源であることを知った。”終わりにする”とか”決着を付ける”意味で「けりをつけよう」とか「けりを付けろ」と言っても、普段は語源まで考えない。確かに俳句でいえば、「道のべに 木槿(むくげ)は馬に 食われけり」(芭蕉)、や「降る雪や 明治は遠く なりにけり」(中村草田男)など名句にも「けり」で”終わり”の句も多い。同じように「腰折れ」も和歌の術語が日常語になった例であるという。和歌の五七五七七の三句目の五音(腰句)が弱くて次に続きが悪い場合に”腰折れの句”とされる。それにしても、俳諧の言葉が一般庶民の日常言葉となって普及する文化はすばらしい。・・陶芸の仕上げがどうしても上手く出来ない状態が続いている。そろそろ「けりをつけて」次のステップに移りたいと思うこの頃だ。
8月24日(金) <台風20号の余波・・・>
台風20号の余波で東京も朝から風雨が強い。台風は徳島県に上陸後北上、淡路島〜姫路(私の故郷だ)を通過して日本海に抜けた。台風の規模の割に被災者は少なかったが私の一番の関心事は淡路島の風力発電(高さ60m)が根元から倒壊したこと。徹底的な原因究明がなされるべきだろう。今日は京橋の画廊で開催されている友人の絵画展を見に行き、久しぶりに銀座を歩いた。絵画展はリタイアした人たちが集まって水彩、油彩、ペン画淡彩、日本画、iPad画など何でもありで絵を描いているグループの展覧会で見るからに楽しい。それにしても少し前は10人ほどいたグループが今回は6名。趣味のグループも”いつまでもあると思うな”とは、少し寂しい・・。京橋から銀座まで歩き、銀座4丁目の木村屋でパンを買って帰り、家で昼食とした。

2018-08-24 左の下部には「京橋」の文字がある。「きゃうばし」は明治8年創建時の京橋の親柱
8月25日(土) <土曜日の10時から13時まで・・・>
土曜日の10時から13時までは陶芸教室。今日は行く前から気合いを入れて大物の釉薬がけをやるつもりであったが、モノ(合計8個のブロック組合せ)は、まだこれから素焼きに出す棚に載っていた。粘土のかたまりの部分もあるので安全を見て余分に乾燥させてくれているようであった。この素焼き前のブロック素材を改めて見ると変形やら粗い仕上げなどアラが気になる。そこで乾燥した素材一式を改めて取り出してだめ押しの仕上げを始めた。やり始めると次から次に削り直したり修正したりする箇所が出てきて結局3時間フルに時間をかけた後に素焼き棚に戻した。結果的には今日の追加仕上げができてよかったと思う。一週間完成が遅れても何の支障もない。不本意ながらの妥協の産物を脱するためには時間にとらわれない執念が必要かも知れない。今日の追加の手間ひまは自分の姿勢の大いなる反省点となった。
2018-08-25 朝顔は陶芸教室の側で撮影、ミニトマトは我家のベランダ
8月26日(日) <表紙に「Mieuへの絵手紙・教会(陶板模写)」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・教会(陶板模写)」(ペンと水彩)を掲載した。これは先日、目黒美術館で開催された「フィンランド陶芸展」でみた陶板の模写。陶板の作者はルート・ブリュック(1916~1999、女性)。彼女はフィンランドのアラビア製陶所の美術部門に50年間在籍してオリジナルアートを続けたという。その間ミラノ・トリエンナーレでグランプリを獲得している(1951)。彼女の作る陶板はまるでキャンバスに絵を描くように自由自在な模様、そして色づけを行う。油絵や水彩画のようにその場で色合いや筆のタッチが分からない陶芸で実に繊細で的確なニュアンスを表現するのには驚きだ。私などは陶芸は微妙な釉薬の混ざり具合、焼成する温度加減でどのように仕上がるか分からない、”神のみぞ知る”ところが陶芸の面白さと思っていたが、自在なコントロールで陶芸でもこんなことができると教えてくれる。新たに「陶板」に挑戦してみるかと考えはじめた。

8月27日(月) <昨日の夕刻、東京の北方(埼玉方面)に見られた雲・・・>
昨日の夕刻、東京の北方(埼玉方面)に見られた雲の写真を下に掲載する。天空の城ラピュタにちなんで”ラピュタ雲”とツイッターなどで評判になったようだが、頂上付近が平になっている積乱雲は「かなとこ(金床)雲」と呼ばれるようだ。この雲の勢いに押されたのか今日は朝から快晴で気温が高い。”予想最高気温が 36℃を越し、かつ、朝から雲一つない快晴である場合”にはテニスは原則休みとすることにしている。炎天下にテニスで汗をかくことはなくても家で動き回って大いに汗をかいた一日。暑い暑いと言いながらもうすぐ9月。秋は確実にやってくる・・。
昨日、夕刻の雲
8月28日(火) <郵便局の前を通ると大きく「〒」・・・>
郵便局の前を通ると大きく「〒」の記号が目について、突如”アレ、この記号は何を表しているのだろう”と気になった。調べてみるとこの郵便記号は1887年(明治20年)当時の逓信省(初代逓信大臣は榎本武揚)が考案・発表したもので日本独自のマーク。「〒」は「テイシンショウ」のカタカナの「テ」を図案化したという説とか、漢字の「丁」の文字とかローマ字の「T」(Teisin)をベースにして初めは「T」に決まっていたものに上に一本棒を入れて最終的に「〒」と決定したとか、詳細については諸説あるようだ。いずれにしても130年前のお役所・逓信省の名前をデザインした記号がそのまま愛用されている。・・このところ以前には興味がなかったり、どうでもいいことが気になって調べてみることが多くなった。世の中知らぬことばかり。知ったところで何の役にも立たないが、独りで感心したりする。記号に限らず、土地の名前、姓名など文字も人の歴史を引き継いでいる・・。
8月29日(水) <今日のようにテニスに行く日・・・>
今日のようにテニスに行く日には朝7時半に家を出て最寄りのバス停からバスに乗って東横線の「都立大学駅」までいく。「都立大学駅」の周辺には今は都立大学はないし、「都立大学」との名は(付属高校も含めて)全く存在しない。沿線にあった都立大学は1991年に多摩ニュータウンに移転し、その後2005年に大学は首都大学東京と改称・再編されて「都立大」は消滅した。ところが小池都知事が数日前(8/24)に首都大学東京の名称を2002年4月からに「都立大学」に戻すと発表した。とにかく「首都大学東京」の名前は末尾に「大学」もなく学生や父兄から極めて評判が悪かった。全国的にも「首都大学東京」の知名度はなく優秀な学生が可哀想なほどだ。今回の名称変更はほとんどの人から大歓迎だろう。東横線の「都立大学駅」の名も大学は移転したが歴史を語るものとして残る。ちなみに「都立大学駅」の隣の駅は「学芸大学駅」で学芸大学はやはり小金井市に移転してしまったが、東京学芸大学付属高等学校は最寄り駅となっている。そういえば、私が中学生の頃、田舎から東京に来て初めて連れて行ってもらった多摩川園という遊園地が同じ東横線の「多摩川園前」であった。今は遊園地はなくなり、駅名も「多摩川駅」になっている。駅名をどの時点でどう変更するかは難しい・・。
8月30日(木) <「初心忘るべからず」・・・>
「初心忘るべからず」は世阿弥(1363~1443?)が「花鏡」に記した能楽の奥義で知られる。”初心”にも、是非の初心、時々の初心、老後の初心の三か条を挙げているが、最近はやはり「老後の初心忘るべからず」の言葉が気になる。あえて、”老後の初心”といったところが強烈だ。「初めて老人になるあなたへ」という本を読んだことがあるが、誰もが初めて老人を体験する。80歳、90歳になる人は例外なく初めての年代突入。小学校に初めて入学する子どものように人生初の入口を通る。問題は時々の初心をどのように磨いてきたのか、老後になって初心といえる中身があるのかどうかだろう。歴史上あれほどの業績を残した世阿弥は晩年には権力者(足利将軍)が変わると左遷されて佐渡国に流刑されたという。老後の初心を忘れないこと自体極めて恵まれた環境のお陰さまと感謝すべきかも知れない。
8月31日(金) <”あいうえお”を何度繰り返している・・・>
”あいうえお”を何度繰り返していることか。恥ずかしながら未だにパソコンのキーボードでブラインドタッチができないので、基本に戻ってF-Jをベースにブラインドのトレーニングを再開したのである。パソコン歴は長いけれども、毎日必ず書き続けるこのコラムを含めて、これまではほとんどをキーを見ながらインプットしてきた。その方が文句なしに早かったのである。一時、ブラインドタッチをはじめたが、時間の限られた中ではどうしても安易に走ってキーを見てしまい、ブラインドは続かなかった。今回は”本番”とは別にトレーニング用の時間を確保して指が覚えるほどまで繰り返してみようと最近スタートした。一日、30分ならば時間がとれるだろう。左の人差し指はベースのF以外にGRTVB(数字は4,5)、右の人差し指はベースのJ以外にHYUNM(数字は6,7)とテリトリーが多いので、指使いの基本では”人差し指”の範囲を頭に叩き込む。そんな脳トレを兼ねたブラインドタッチ習得は焦らず楽しくやりたい・・。



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