「今日のコラム」(2018年 10月分)

10月1日(月) <免疫こそ心身の健康を保つ・・・>
免疫こそ心身の健康を保つための最重要ポイントでないか。素人なりにそう確信している。細胞レベルではあらゆる悪玉菌が体内に入って来たり生まれたりしているので悪い細胞に対して免疫細胞が活躍して除去しなければ身体が崩れる。「心」の面でも悪いこと意地悪なこと心を傷つけることに満ち満ちているとしても、それらを如何に無視し対応できるかの免疫力が問われる。周囲に敏感すぎると身が持たない。・・先ほど今年のノーベル賞の受賞者が発表されて、京都大学特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)氏(76歳)が米国のジェームズ・アリソン博士と共にノーベル医学・生理学賞を受賞したというニュース。「免疫を抑える働きを阻害することで癌を治療する画期的な免疫療法を確立した功績」とか。癌細胞は免疫細胞の監視や攻撃から逃れて大きくなる性質を持つ。これに対して免疫細胞の攻撃力を高める治療ということだろう。治療レベルの研究はノーベル賞学者に任せるとして自分の免疫力を高くキープするやり方がないものだろうか。


10月2日(火) <息子の月命日なので墓参り・・・>
息子の月命日なので墓参りに行った。スペイン旅行から帰ってまだ一週間も経っていないし、その後やるべきことが立て込んでいたので疲労が溜まっていたのだろうか、墓のあるお寺に着くと随分と久しぶりで周りの景色が珍しく思えた。実際には一ヶ月前には墓参りに来ている。今日のお墓で想定外であったのは、昨日の未明まで吹き荒れた台風25号の影響でお墓周りがものすごい量の落葉や樹木の破片、ゴミ類で覆われていたこと。いつもにも増してお墓周辺の大清掃。何十回となくごみ箱まで往復して爽やかにした。お寺の境内の大イチョウの樹がいま大量の銀杏(ギンナン)をつけている。妻はしばし銀杏拾いをして家への土産を稼いだ。
 
2018-10-02 九品仏浄真寺(世田谷区)の大イチョウ  右の写真には銀杏
10月3日(水) <表紙に「キューブ8個の変容(陶芸作品)」・・・>
表紙に「キューブ8個の変容(陶芸作品)」を掲載した。これは9月27日のコラムで経緯を書いた陶芸作品で、エッジの部分に釉薬が流れて盛り上がってしまったのでダイヤモンドヤスリで盛り上がり部分を削って仕上げ、一応写真のように組立てたもの。一辺100mmの立方体8個をベースにしてそれぞれに形を変えて色々な組合せが出来るようにしたもの。写真は立方体の花器にも出来るように組立てた。実用はともかくブロックをずらせば好きな組合せができるので使い方は自由。来週開催される陶芸展にも出展しようと思っているが、どんな形で展示するか、また作品名をどうするか悩んでいる最中だ。これまでの経験でアレモこれも使えますという場合、両方ともに使い勝手が悪いケースがあることは承知している。今回の作品は何とか上手い使い道を見つけたいと思っている・・。

10月4日(木) <引退した後は「キョウヨウ」と「キョウイク」が重要・・・>
引退した後は「キョウヨウ」と「キョウイク」が重要という言い方が流行ったのは数年前であったか。「キョウヨウ」は「教養」ではなく「今日用がある」、「キョウイク」は「教育」ではなく「今日行くところがある」。なるほど上手いことをいうと、一度聞いたら忘れられない。・・このところ来週に開催される陶芸展の案内を友人や知人に配布し、返事をいただいている。この際にほとんどの人が「キョウヨウ」、「キョウイク」に溢れているので感心してしまう。暇で困っている人などいない。”この日と、この日はこれこれの予定があるのでこの日に行きたい”という人ばかりだ。何とかやりくりをして来ていただける人のほか、決まっている予定でどうしても来られないという人もいる。1〜2年後には傘寿(さんじゅ)となる人たちであっても皆”老人”の呼名は相応しくない。そういえば今日は妻が昼食後外出して3〜4つの予定掛け持ち中。夕食抜きで帰宅は10時頃になるようだ。これも老人ではなさそうだ。
10月5日(金) <指を刃物で切る・・・>
指を刃物で切ることをいまだにやっている。今日は右の人差し指を鎌で切った。・・今朝はテニスに行く準備をしてまさに家を出ようとする頃から雨が降り出した。本降りにはなりそうもないが思案の末にテニスは止めてテニスウェアを着替えた。そして車で大田区の親戚の家に行き先日の台風で荒れた庭の掃除をした。小雨の中でも出来る掃除から草取り、中でも大風で倒れたレモンの木を伐採整理するのに手間取った。”鎌で指を切った”のは2時間ほど作業をしてくたびれた頃だった。休みながら作業をすればよいとか、無理せずにゆっくりやればよいなど事が起きてからいうのは簡単でごもっとも。自分でも分かっているけれど防げないのが”事故”。テニスでも似ている。ミスをしても”二度としない”とは言えない。繰り返し繰り返しミスをしながら勝負に勝つ事もある。”過ちは繰り返しません”と断言できないのが人間なのか・・。
10月6日(土) <今日は晴天の下・・・>
今日は晴天の下1時間半ほど歩き大汗をかいた。はじめに所用で自由が丘の陶芸教室に行き、その後天気につられて久しぶりに自由が丘熊野神社にお参り。それから駒沢公園まで歩いた。今日の最高気温は都心で29℃を越したようだ。このところ雨や曇天続きで歩く気にならなかったが、今日は気持ちよく歩けた。気温は高くなったといっても秋祭りに柿の実りなど随所に秋の気配。秋の到来を歓迎しよう・・。
  
2018-10-06 自由が丘熊野神社  右は自由が丘住宅街で見た柿の木
駒沢公園
10月7日(日) <明治神宮は何時行っても外人・・・>
明治神宮は何時行っても外人が目立つ。欧米人は外観で分かるが日本人の団体と思っていると話す言葉がアジア系だったり、絵馬には世界中の文字が書かれている。神様も願い事の言語を読むだけでも大変だ。今日は休日でもあり参拝客は特に多かったのだろう。明治神宮は確かに都心のオアシス的な癒しスペースで外人が好むのはよく分かる。それにしても二週間前にスペインの強烈な色彩と頑丈な石造建築に接してきた目で見直すと、この神宮の杜は何とおとなしく簡素なものか!外人の目では異国情緒だけでなく、どのようなところに価値を見いだすのか知りたいところ。・・今日は台風の影響もあり関東地方は季節外れの真夏日となった。東京・練馬でも32.2℃を記録。暑さの中で神宮内よりも更に大混雑している原宿駅周辺がお祭りのような雰囲気で、これもまたよかった・・。
 
2018-10-07 明治神宮にて
10月8日(月) <今日「体育の日」は休日・・・>
今日「体育の日」は休日で いつもの月曜日のテニスはできない。平日会員なので土日と休日はお休みとなる。何が「体育」だと反発すると「体育」の言葉自体が気になってきた。体育は英語ではPhyisical Education。つまり体育は「身体に関する教育」、「教育機関である学校での身体づくりの教育」であろう。現代の感覚では古めかしい文部省選定の休日名に思える。よく指摘されるように「スポーツ」は「体育」と全く別物。sportの語源はラテン語のdeportareで、”日常生活から離れた遊びの時間”の意味から、更に「気晴らし」、「休養」、「楽しみ」、「レジャー」の意に派生したとされる。私などは体育は好きではないがスポーツは大好きだ。「体育の日」を「スポーツの日」に改名する運動が起こらないものだろうか・・。
10月9日(火) <今朝ベランダ花壇のペンタスの花・・・>
今朝ベランダ花壇のペンタスの花にアゲハチョウが留っていた。最近はアゲハチョウをほとんど見ることがなかったので嬉しくなって写真を撮った(下)。そいえば蝶よりもトンボの姿を見なくなった。赤とんぼを前に見たのは”いつの日〜〜か”。蝶に好まれたペンタスは一週間ほど前に自分で花壇に植えたもの。勧められて初めて花壇の花として購入したが、これまではペンタスの名前も知らなかった。比較的丈夫で初心者向きとのことだが、星の形をした小さな花は可愛らしい。ペンタスの花言葉は流れ星にちなんで「願い事がかなう」、「希望の実現」とか。花に願い事をする趣味はないが、出来る限り長く元気に咲いて欲しいと希望しよう・・。
 
2018-10-09 右はペンタスの花クローズアップ
10月10日(水) <今日の一日・・・>
今日の一日を書いてみよう。5時30分起床、コーヒーを一杯飲んだ後約40分間自主トレ。6時25分〜35分はテレビ体操。その後はゴミ出し(今日は資源ゴミ)と道路掃除。ここまではほぼ毎日同じ。朝食後7時30分に家を出てテニスへ。帰宅は12時。昼食後明日から始まる陶芸展への出展作品(10数点)を搬入および会場でのセットに約2時間半。一度家に帰り、お茶を飲んで休息後、妻の小学校時代の友人(男性)の絵画展に行く(明日から始まる陶芸展のため今日しか行くチャンスがなかった)。約2時間半後帰宅する頃には日が暮れた。その後はコラムを書く時間も必要だし、就寝前にはWiiを使ったバランス計測もやる予定。本を読んだり啓発する時間がないねえと言われそうだが、色々な一日がある・・。
10月11日(木) <お手を触れないで・・・>
「お手を触れないで下さい」と今日から開催された陶芸展の展示物に注意書きがある。一般的には当たり前であるが、私の作品の場合「ご自由にお触りください」としたくなった。三角錐に見える作品が実は2分割されて全く別の形状になるとか、今表紙に掲載している「キューブ8個セット」なども自在に変容するのが私の作品の特徴であるので飾ってある形状だけを見ても一面しか見てないことになる。見ていただいている人にこちらで説明して形を変えると皆喜んでくれる。特別に私の作品に限ることはなく、自分も含めて人は目の前にあるものを見ているようで内容をとらえていないと気付かせてくれるのが展覧会の面白さでもある。私も時間があるので他の人の作品を何度も繰り返してみる。そうすると当初気付かなかった作品の意図が初めて見えたりする。一つの作品を30秒間じっくりと観察するだけでもかなり見えるが、これを3分〜5分見続けると更に新たな発見がある。モノや人の評価も同じことで”目に映った”だけで結論をだしてはならないということだろう。今日、陶芸展に来ていただいた方々に感謝・・。
10月12日(金) <陶芸展2日目・・・>
陶芸展2日目。陶芸仲間の多くの作品に触れながら時間を過ごすと色々なことを考えさせられた。お茶碗、お皿類も含めて作品全てが創作品であり一つとして同一なものはない。いわば世界にただ一つの作品ばかりである。値段を付けて販売する品が一切ない展覧会であるので売値もない。モノの価値は個人の価値基準で異なる。世間ではしばしば制作者の肩書きとか経歴で価値を評価されるがもちろん真の価値とは関係がない。柳宗悦は無名の職人の作になる日常雑器・日用品の美を発掘して民芸運動を創設し、それまでは全く評価されていなかった工芸の美を世に紹介した。民芸に限らず、名の知れていなかった江戸時代や明治時代の画家が発掘され再評価されることもあるし、生前権勢を誇っていた作者が死後忘れ去られる例も多い。真の価値とはそれほどに単純には決められない。陶芸展での作品群に囲まれていると、値段も順位もつけられない「世界に一つ」の気迫に圧倒される。
10月13日(土) <陶芸展3日目・・・>
陶芸展3日目。今日は土曜日なので多勢の知り合いが展覧会に来ていただいた。想定していなかった出会いもあった。学生時代の友人が娘さんとそのまた娘さんと一緒に来ていただいたがお孫さんが何と23歳。私の孫娘よりも数年年上で陶芸にも詳しい。そうかと思うと私の姉が子どもの頃近所で親しかった友人と来ていただいた。私も名前はよく知っている方だが随分お婆さんになった。小学生の頃の私を知っているといわれたがほとんど70年振り。会っても分からないはずだ。陶芸の作品を見ていただくだけでなく、このような出会いが楽しめるのが展覧会のいいところでもある。一方で知り合いに見せるだけでなく初めての来場者に自分の作品を説明すると色々な反応があるので参考になる。”一目にさらす”ことによって家に置いておくだけであると決して分からない第三者の見方が見えて来る・・。
10月14日(日) <本日、無事に陶芸展が終了・・・>
本日、無事に陶芸展が終了した。思った以上に多勢の人が見にきていただいたのがうれしい。それぞれの人がどのように思ったかは分からないにしても制作者としては非常に”やりがい”を感じたし、私自身、他の人の作品を見て大いなる刺激を受けた。この陶芸展の期間に新たなパワーを得たことは間違いない。全ての来場者に感謝・・。初めて会場に来た方がほとんど喜んでいただいた展覧会場について紹介しておきたい。「大塚文庫」といって今は貸しギャラリー専用の施設(自由が丘の高台にある、サイト=ここ)。大正建築の雰囲気を残した豪邸を活用したギャラリーで、展示場として使用する地階、二階以外に三階に小さな茶室(富士見亭)があり眼下に富士山や丹沢山系が望める。陶芸展は終了したが、このようなギャラリーで展示できたことにも感謝である。
2018-10-14左の最上階が茶室&眺望場  右は施設に常設の置物
10月15日(月) <気がつけば秋・・・>
気がつけば秋は確実にやってきている。昨日までは陶芸展が開催されており何となく余裕がなかったが、今日展覧会場の片付けを終え、会場から歩いて行ける距離にある九品仏浄真寺(世田谷区)にお礼参りを兼ねて墓参りに行くと、道端の草木は秋モード。下に写真を入れるがザクロ(石榴)の実がなっていると思うと、ハナミズキは沢山の真っ赤な実をつけている。至る所に銀杏が落ちており踏みつけそうになる。陶芸展という行事が終わり今日から日常に戻った。今日の月曜日のテニスは出来なかったが日常をとにかくも活気あるものにしなければならない。陶芸の作品作りも他の人から刺激を受けて新たなアイデイアも湧いてきた。心機一転とはこの時期か・・。
 
2018-10-15 九品仏浄真寺(世田谷区)にて  右は石榴とハナミズキの実
10月16日(火) <今日は「細胞」の絵手紙・・・>
今日は「細胞」の絵手紙を描いた(表紙に掲載)。孫娘Mieuへの絵手紙になぜ”細胞”かと思われるかも知れないが、細胞とかDNAについてはMieuの方が私よりはるかに知識が深い(その方面への好奇心も強い)。DNAについての今の中学・高校生の常識ですら私たちの年代は何も知らない。人間の細胞の数は約37兆個といわれる(以前は60兆個ともされた)。この膨大な数の細胞のごく一部は一生涯変わらないものもあるがほとんどの細胞はいつも死滅と生成を繰り返している。一週間、一ヶ月、数年単位と期間は違っても時期が来れば総入替えされる。生成よりも死滅の数が多ければ老化として機能が低下するのは当然だろう。このような一般論でなく、今日は絵に関連して色々と学んだので記してみよう。人間の全ての細胞には23対(計46本)の染色体がある<絵では上部・紫色の核の中>。染色体はDNAがヒストンと呼ばれるタンパク質に巻き付いた構造をしており細胞分裂時にも遺伝子情報が正しく伝達されるという。デオキシリボ核酸DNA(deoxyribonucleic acid)の構造は長いコイル状の二重螺旋(糖・デオキシリボーズとリン酸から出来た二本の鎖があり、4種類の塩基が対になって鎖の間をつないでいる)。塩基配列には遺伝情報を持っていない領域(=制御の情報)も多く、遺伝子と呼ばれる遺伝情報を持っている領域(=タンパク質合成に関連するところ)は1.5%。それでも一本の染色体には数百から数千の遺伝子が含まれるとされる。絵の緑色の部分がミトコンドリア。これも独自のDNAを持ち分裂・増殖する。・・学んだことを書けば切りがないです・・。

10月17日(水) <「日々新たなり」・・・>
「日々新たなり」という言葉は昔から多くの人に愛されてきた。江戸時代はもちろん、昭和の時代でも松下幸之助、土光敏夫といった名経営者が座右の銘とした言葉でもある。出展は古代中国の古典「四書五経」に中の「大学」。「苟日新、日日新、又日新」(=まことに日に新たなり、日日新たなり、又日に新たなり)。紀元前1600年頃の古代中国・殷王朝を創設した湯王(とうおう)が毎日顔を洗う青銅製の盤にこの9個の文字を彫りつけていた逸話が残る。湯王は政治とは民を新たにすること、そして自らも新たにならねばならないと顔を洗いながら毎日自分に言い聞かせたという。こんなところが現代の経営者にもアピールするのだろう。・・昨日のコラムでも書いたが、人間の細胞は毎日膨大な数が死滅し、そして再生を繰り返している(毎日何億個、神経細胞だけでも10万個など)。こうした現代科学の目で見ても「日々新たなり」が非常に的を得ているのは驚くばかり。日々新たな細胞を活用しなければ一挙に衰退する。余談だが、巨人軍の43歳の高橋監督が引退して新監督に60歳の原辰徳が復帰すると聞くと、巨人はもう駄目かと思う。恐らくは”よみうり”の組織が「日々新た」とはほど遠いのだろう。
10月18日(木) <今日は久しぶりに恵比寿ガーデンプレイス・・・>
今日は久しぶりに恵比寿ガーデンプレイスに行った。以前、恵比寿に住んでいた頃にはこのホームページにも地元の恵比寿ガーデンプレイスの記事を沢山掲載していたが、今は全て削除してしまった。何年間か足を踏み入れることもなかったこの地で今日は何とファッションショーをみた(2019 SPRIHG & SUMMER COLLECTION by HIROKO KOSINO @ザ・ガーデンホール)。ファッションにも洋服にも無縁である私にとっても光と音の演出を交えたショウはとても興味深かった。それに絵画や陶芸などよりも更に実生活に直結する着物にオリジナリテイーを絶えず注ぎ込むファッション業界の凄まじさを垣間みる思いもした。ブランドという名前に甘んじることなく毎年新たな創作活動を続けるエネルギーは尋常ではない。これぞ「日々新た」(昨日のコラム参照)と感動。
 
2018-10-18 恵比寿ガーデンプレイス   右はファッションショウフィナーレ
10月19日(金) <沢田研二さん(70歳)が・・・>
沢田研二さん(70歳)が一昨日(17日)にさいたまスーパーアリーナで開催される予定だった公演を直前に中止したことが話題になっている。観客数が9千人と聞いていたが実際は7千人で自身が求める満員にほど遠いので本人が中止を決断したという。”僕の意地を通させてもらいました”と報道陣にも語っている。こちらでどうこういう問題ではないが7千人が少ないと感じる70歳の歌手がいる現実に驚く。スポーツ選手ならばトップクラスの人でも年齢とともに引退するのは必然。70歳を超えて活躍する芸術家もいるが、若い日の実績など無関係に新たな創造力を発揮しなければ続かない。過去の栄光で自分の姿が見えなくなる人たちは山ほどいるが、沢田研二が”意地”に拘るのは意外だった。”意地”だけでは年齢とともに激減していく細胞を活性化できない。老残をさらさずに「日々新た」で過去にとらわれないで欲しいが・・。
10月20日(土) <今日は友人夫妻と熱海・・・>
今日は友人夫妻と熱海を訪れた。 友人が先ず案内してくれたのが「旧日向別邸」。ここはブルーノ・タウト「熱海の家」とも称され、重要文化財にもなっている(紹介サイト=ここ)。桂離宮など自然と融合した日本建築の美しさを日本と世界に紹介したドイツの建築家ブルーノ・タウトが設計して日本に残した唯一現存する作品をこの別邸地下で見られる。私の友人がブルーノ・タウトの多くの書籍を所持、愛読するマニアであることを今日初めて知った。タウトに関しては別邸専属のガイドさんよりはるかに詳しい友人の説明を聞き入った。その後、MOA美術館でもゆったりとした時を過ごす。熱海再発見・・そんな一日となった。
 
2018-10-20 旧日向別邸からみた海  右はMOA美術館からみた海
MOA美術館内のエスカレーター
10月21日(日) <文字を書く機会がますます少なく・・・>
文字を書く機会がますます少なくなる。あえて毎日の出来事をA5サイズのノートに綴ることにしているが、パソコン文字のように漢字が直に出て来ないので「ユウウツ」である。特別の漢字でなく日常よく使う言葉の漢字が結構難しい。そこはネットの時代で、「ユウウツ=憂鬱」の文字の書き方、覚え方を教えてくれるサイトを見つけた。「鬱」は”林缶ワ(カンムリ)、アメリカンコーヒー三杯飲む”で覚えるとある=ここ。「だんらん」なんていう言葉も日常用語の割に難しい。この「団欒」もインターネットで、「団地の木の上で言いました。二本の糸を持って来い」と覚え方がでていた(=ここ)。同じサイトで「挨拶」を「両手で無理矢理三個食った」と覚える方法がでており、これも傑作だ。読めるけど書けない漢字は限りなくあるが、ノートレを兼ねてこの種の記憶法で覚え直すのもいいかも知れない。
10月22日(月) <東京には坂が多い・・・>
東京には坂が多い。名前がついている坂だけでも800以上あるといわれる。今日は千代田区一番町付近に所用で行った時に続けて「坂」の標識を興味深く見た。まず「番町」の名の由来を書いた板があった。「番町」という地名は、徳川家康が江戸城に入ったとき城の西側を固めるために大番組に属する旗本たちを住まわせ一帯に付けられた名だという。この界隈には江戸時代には多くの武家屋敷があった訳だ。一番町は明治になると武者小路実篤、滝廉太郎、山田耕筰など多くの文化人が住んだ地域としても知られる。下に写真を掲載した坂の名前。「行人坂」は他にもいくらもある名前であるが元は「法眼坂」。「南法眼坂」共に江戸時代に斎藤法眼という医師の屋敷があった近辺なので「法眼」がついたという。東郷坂の「東郷」は東郷平八郎元帥(日露戦争の日本海海戦で大勝利した司令長官)。東郷元帥邸の屋敷であった西側にこの坂がある。これらの三つの名前に分かれているが古い地図をみると「法眼坂」のみが記載されていると坂の説明板にあった。普段はこのような都心とは縁がないが江戸城近辺の現代の姿として街並をみるのもなかなか面白い・・。
2018-10-22
10月23日(火) <今日、10月23日は明治改元の詔・・・>
今日、10月23日は明治改元の詔(みことのり)が発せられてから150年となる日。1968年10月23日(旧暦で9月9日)の前夜に天皇が宮中での儀式の後、自らが元号を決めるクジをひかれて「明治」と決まったという(元号の案はいくつかあった)。そして慶応4年をもって明治元年が発足した。江戸幕府の最後の将軍徳川慶喜が前年に大政奉還したが、明治の大変革にも拘らず当の慶喜は政権を離れても悠々自適で大正の世まで長生きをした歴史が何とも日本的。来年の今頃には、平成から新しい年号に変わることが決まっている。これはくじ引きではなく、有識者の意見を入れながら最終的には閣議決定とか。それにしても明治維新からわずか150年で世の中は激変した。科学技術に目をやると自動車、電車、飛行機、コンピューター、メール、インターネットなど驚異的な進化を見るが、一方で人間の本質は変わらないと思えることも多々ある。次の150年先を見ることが出来る人は今の地球上に一人もいないが、150年後もまた変わるものもあれば変わらないことも多いのだろう。
10月24日(水) <国立新美術館で開催されている公募展・・・>
国立新美術館で開催されている公募展(独立展)を見に行った。毎年、招待券をいただいているので独立展の様子は分かっているが今年は少し自分の感覚が変わっていた。先日、私が出展をした陶芸展が終わった後に、次なる陶芸作品のテーマを考え続けて今は具体的に設計に入っている時期でもある。どうせ創るなら10年〜20年前、いや、50年〜100年前には決して制作しなかったであろう文様や形状の作品、どんなにデタラメでもいいから今の時点が残せる作品の挑戦したいと思っているところだ。先日(10/20)、熱海でみた建築家ブルーノタウトの言葉「最大の単純のなかに最大の芸術がある」に反発するゴテゴテした文様の反芸術作品を創るつもりで設計図を描いている。そんな最中で、今日の独立展の絵画をみた。日本の家の中にはとても飾れない巨大な絵画ばかりが展示されているのは例年と同じ。直に感じたのは現代の画家の皆さんは今何をテーマにして描くべきか大いに悩んでいるのではないかということ。ほとんどの作品は2018年作でなく、2008年作、1968年作といわれても違和感がない。大変な労力とお金をかけて多くの人が描き上げる芸術作品とは何ものなのか。会場を訪れた人々を勇気づけ元気づけるものは勿論”大きさ”ではない。ブルーノタウトの言葉とあわせて”芸術とは何ぞや”の基本まで考えさせられてしまう。
 
2018-10-24国立新美術館
10月25日(木) <玄関脇にある「ヤマボウシ」の樹・・・>
玄関脇にある「ヤマボウシ」の樹に赤い果実が沢山ついている(下の写真)。ヤマボウシ(山法師)の名は5〜6月頃に花が咲く頃、中央の丸い実を坊主頭に、そして白い花びらを頭巾に見立てて「山法師」と名付けられたという。今の果実の時期は山法師は連想出来ないが、果実の後、次には紅葉を楽しめる。・・今日は終日気持ちのいい秋晴れが続いた。あれほど強烈だった暑さも時期が来れば確実に納まる。夕刻、お墓のある九品仏浄真寺まで歩いて行ってみた。紅葉にはまだ早いが葉は少しずつ色づき始めている。この二三日天気予報が外れたといってテレビの天気担当者が謝っていたが、自然は少々のズレは問題としない。太陽と地球はしっかりと廻り続けている・・。
 
2018-10-25 ヤマボウシの果実    右は九品仏浄真寺のカヤ(天然記念物)と百日紅
10月26日(金) <「喜」は”ごちそうを器に盛って神に捧げ喜ばす・・・>
「喜」は”ごちそうを器に盛って神に捧げ喜ばす様子を表した文字” であるという(高橋政巳著、感じる漢字より)。鼓舞の鼓にも同じ成り立ちがある。ラーメンの丼などに書かれた「喜」を二つ並べた「喜喜」もまた御馳走を表した文様でいわば大宴会で神を二重に喜ばせている様になるそうだ。宴会で美しい女性がいれば更に嬉しいに違いない。「嬉」はそんな文字。・・今日は”神様がお喜びになった”かどうかは分からないが、友人夫妻とランチを一緒にして大いに楽しみ喜んだ。やはり食べることが喜びと繋がるのは古今東西変わらない。それに勿論嬉しさも文字の通り・・。
<明日から小旅行、パソコン持参かは未定です>
10月27日(土) <いま、菅平(長野県上田市))の宿・・・>
いま、菅平(すがだいら・長野県上田市))の宿にいる。菅平高原は冬のスキー場で知られるが標高が1300~1600mで夏でも涼しいので夏場は林間学校や各種スポーツの合宿地として賑わう。今日は朝、車で東京を出た後、軽井沢に寄って紅葉を楽しんだ。軽井沢の標高は1000m前後でいま紅葉の真っ盛り。車で移動していると標高で紅葉の程度が異なるのがはっきりと分かり面白かった。明日は義兄家族とリンゴ狩りの予定・・。
 
2018-10-27 軽井沢にて、  左は昼食をした万平ホテル前

10月28日(日) <今日は朝から長野県上田市真田でリンゴ狩り・・・>
今日は朝から長野県上田市真田でリンゴ狩り。といっても、こちらは甥の子どもたちが競ってリンゴを採っているのを脇で見ながら採りたてのリンゴをかじっていただけ。何より雲一つない青空と周囲の山々の紅葉が心地よかった。その後は縄文遺跡を巡ったり、温泉に入ったりして非日常を楽しんだ。いまは同じく長野県佐久平の宿にいる。
 
2018-10-28 リンゴ狩り現場(上田市)にて


10月29日(月) <信州ドライブ旅行から先ほど無事帰宅・・・>
信州ドライブ旅行から先ほど無事帰宅した。今日は松原湖(南佐久郡小海町)や八ヶ岳高原などにも寄り、東京へは中央道(須玉IC)を経由したが東京近辺で渋滞もあり家に着いたのは夜の8時。絶好の日和に恵まれ紅葉を満喫した信州旅行であった。今日のところは本日の写真掲載まで・・。
 
2018-10-29 松原湖&周囲の紅葉
八ヶ岳高原近辺の カラマツ(落葉松、唐松)林
10月30日(火) <昨日までの信州旅行にノートパソコンを持参・・・>
昨日までの信州旅行にノートパソコンを持参して宿舎でこのホームページを更新できたしメールのチェックなど東京の家にいるのと同じ作業が出来た。今はほとんどの宿にはWi-Fi設備が整っている、今回は、佐久平の宿舎では部屋にWi-Fiがなかったが少し離れたロビーまで行けばWi-Fiを使うことができた。先月、9月末にスペインを旅行した際には全てのホテルの部屋でWi-Fiが使えたので日本の日常と変わらずメールの連絡等も支障なく出来た。規制がなければ世界中で国境に関係なく情報を得ることができる。思えば本当に便利になったものである。余りに便利になったので、あらゆる情報が自由に行き交う一方で、情報の信憑性や質の問題がでてくる。意図的なフェイクニュースでなくても公共的情報でさえ発信者の表現で世論の方向を左右するケースも多々ある。これからの若い世代は新聞、テレビほかネット情報を含めてどんな情報でも鵜呑みにしない知恵がつくのだろう。
10月31日(水) <テニスをしている時に空を見上げると・・・>
テニスをしている時に空を見上げると見事な鰯雲。ゲームを中断して写真を撮る訳にもいかず、すご〜いと言って皆で一瞬空を見上げた後、しばらくすると鰯はなくなっていた。俳句では鰯雲は秋の季語。正に秋到来の日和だ。「鰯雲 鰯いよいよ 旬に入る」(鈴木真砂女)。テニスの帰路、新宿の小田急百貨店で高鶴元展という陶芸の展覧会を見た(10F美術画廊にて11/6まで=ここ)。友人が紹介してくれたので会場にいた高鶴(こうずる)さんと色々と話しをすることも出来た。高鶴さんの作品は日本人の陶芸家にはない自由奔放さがあり色彩も派手。パワーに溢れた作品からこちらも何か新しいエネルギーと勇気をいただいた気持ちになった。アメリカのボストン郊外の窯で焼成するとかアメリカ暮らしの影響も大きいのだろう。陶芸の世界もまだまだ知らない分野が多い。


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