「今日のコラム」(2018年 11月分)

11月1日(木) <朝の8時30分から胃がん検診・・・>
朝の8時30分から胃がん検診を受ける。鼻からの内視鏡で自分の胃の中をモニターでじっくりと見ることができた。我の胃ながら胃の中は実に綺麗だ(検査結果はまだ未定)。食事は検査後30分以降というので、陶芸教室にサンドウィッチを持参して教室で朝食とした。そう、今日から陶芸の新作の制作開始。今回の作陶は設計にずいぶん時間を割いた。今回は久しぶりにメカと組合わせた噴水を計画している。周囲の目を気にせずに思う存分好き勝手な造形をしようと思う割には毎回どこか枠にはめられたところが出る.今回はどこまでデタラメ(出鱈目)ができるか。出鱈目の語源は賭博でサイコロの目が”出たらその目”だという。まさに出鱈目を期待している。


11月2日(金) <今日2日は息子の月命日・・・>
今日2日は息子の月命日。午前中のテニスの後、午後は九品仏浄真寺(世田谷区)に墓参りに行った。東京は紅葉にはまだ少し早いが、それでも大銀杏が色づき始めている。この九品仏浄真寺の境内にあるイチョウとカヤの巨木は東京都指定の天然記念物に指定されている。九品仏の大カヤは幹周り548cm、樹高30mで、大イチョウ(幹周り420cm、樹高10mとされるが現在はもっと高いのでないか?)よりも大きいが、人気は圧倒的にイチョウである。カヤには可哀想だが今日掲載する写真のように見栄えはイチョウが優る。巨木の定義は地上1.3mの位置で幹周3m以上というが、定義に拘らず巨木は見上げるだけで地球とか歴史の壮大さを感じさせてくれる。いつも息子の墓参りをしながら巨木からエネルギーを供給されるようにも思う。今日、墓参りの後、妻は大イチョウの下でしばしギンナン拾いを楽しんでいた・・。
 
2018-11-02 左三つが大イチョウ、右端がカヤの巨木
11月3日(土) <今日の陶芸教室で男性のメンバーが・・・>
今日の陶芸教室で男性のメンバーが金沢の土産だといって和菓子を教室に持参してきた。金沢は金沢マラソンに出場するために行ったもので、マラソンに参加できる地域を探して申し込むのだという。ちなみにマラソンの参加者は地元より他の地区の人の方が当選する確率が大きいそうだ(東京マラソンでも同じとか。地元の人が走るより他の地区からの参加者の方が地元に経済効果を及ぼすのは間違いない)。隣で粘土をいじっていた女性は今朝も駒沢公園でランニングをしてきたし、毎日ランニングを欠かさないという。更に何年か前にはフランスのボルドー地区でワインマラソンに参加したとのことで、フランスワインにまで話しが及んだ。私はマラソンを走った経験はないので、昨年甥がニューヨークマラソンに参加したときマンハッタンで手助けをしたり応援をした話しをした<そうだ、今年のニューヨークマラソンはまさに今日か明日か>。それにしても、陶芸教室で土を捏ねているだけでなく、みなさん他のことにも活発だ。”作品造り”も幅広い視野と健康が必須であると納得・・。

11月4日(日) <表紙に「Mieuへの絵手紙・鼠人形」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・鼠人形」(ペンと水彩)を掲載した。久しぶりの絵手紙の更新だ。 少々言い訳をしよう。絵手紙の絵は私が描くが裏の宛名書きの下に文章の便りを書いて投函するのは、原則、妻の役割としている。絵を描くと絵手紙を出した気分になるが実際には多忙な妻のところでストップしていることはよくある。今回、気がつくと絵手紙数枚がまだ家に滞っている。正確にチェックすると8月9日に掲載した「無題」から以降に描いた絵手紙が全て妻の手元に残っている。「ホオズキ」や「教会」、「九品仏山門」などいま見ると懐かしい絵がそのままあった(今日の絵2018参照=ここ)。それならば便りも私が書けばいいのだが、絵を描く手間は何でもないが、文章の方が直には進まない.習慣とは恐ろしいものだ。”多忙な妻”と書いたが妻もハガキに文章を書くぐらいは体調がよく元気であれば何でもない。元気度と余裕度を計るバロメーターとして絵手紙投函の進捗を見るとすると妻と私共に本調子ではないぞぇ・・。

11月5日(月) <5時半に起床してミルクなしのインスタントコーヒー・・・>
5時半に起床してミルクなしのインスタントコーヒーを一杯飲んだ後、円筒型器具で軽くストレッチ。小雨模様であったがゴミ出しついでに近所のセブンイレブンに牛乳を買いに行く。朝7時から夜11時までの営業時間でセブンイレブンの名が付いたコンビニが今は朝の6時でも開店しているのが有難い。家に帰り今度は牛乳入りのコーヒーを飲んで別バージョンのストレッチや筋トレをするとテレビ体操の時間。6時25分から10分間の体操が終わると朝食の準備にかかる。・・ところが、7時頃になると雨音が大きくなり大粒の雨が降ってきた。テニスウェアを着込んで7時半には家を出てテニスに行く予定であったのが一挙に崩れて、今日のテニスは止めると決断したのは朝食も済ませた7時45分。今更”天気予報は曇りだぞ”とはいわない。今日はその代わりに久々に代官山を巡った。昔の地元であるが最近はすっかりご無沙汰している。知人の陶芸展を開催している画廊に行くと”お久しぶりですね”と女主人が顔を覚えてくれていたのがうれしい。元の住所に案内を出しても戻ってきてしまうので"転居されたのですね”と言われた。画廊の後は蔦屋書店近辺を楽しむ。代官山T-SITE(蔦屋地区)ではたまたま「代官山蚤の市」が開催されていた。代官山・恵比寿地区から今のところに転居したのが4年前。その後、ほとんど訪れる機会がなかったが”故郷”がますます発展している様を見てやはり嬉しくなった。
 
2018-11-05 代官山・蔦屋書店前&T-SITE
11月6日(火) <日本の歴史的な文学作品には無常観・・・>
日本の歴史的な文学作品には無常観を謳った名文が多い。平家物語の冒頭:「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ」は何度読んでも心に響く名調子だ。平家物語の場合、天下をとった平氏が源氏に敗れるドラマがベースであるからまだ分かるが、更にそれ以前、今から800年前に鴨長明(1155~1216)が方丈記の冒頭:「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と棲(すみか)と、又かくの如し」。余りに有名な文章であるが、800年前の文化を如実に語った素晴らしい文化遺産であるとの思いが以前に増して強くなる。現代の世でも全く違和感がないのは驚くほどだ。今でも人と住処が久しく留まりたるためしはない。・・年末が近くなったせいで喪中はがきが届く時節となった。全く知らなかったが大学で付き合いのあった友人が死去したとの娘さんからの通知があった。諸行無常では割り切れない流れもある・・。
11月7日(水) <今日は立冬・・・>
今日は立冬。二十四節気の立冬などの名はどうする訳でもないが四季のある日本独特の季節感があってよい。東京は気温20℃と比較的温かいテニス日和だった。午前中のテニスから帰宅すると午後は陶芸のデザインの検討。陶芸は10月は一度もやらなかった反動か、11月になって先週の土曜日に続いて昨日火曜日にも教室に行き、また明日も教室の予約を入れている。新しい噴水の周辺を思い切りゴテゴテ文様を付ける算段をしているが、いざ粘土に描き込む段階になると猛烈に時間がかかってしまうのでやり方を考えている。そもそも文様といっても今回はインベーダーを検討している。インベーダーのキャラクターは正方形のブロックが基本なので私の趣味と一致している。それと今年はインベーダーゲーム(株・タイトー製)が発売されてから40周年という記念すべき年でもある。インベーダーのキャラクターは公式にはカニ型(CRAB)であるが、他にタコ型(OCTPUS)、イカ型(SQUID)、更にUFOなどのキャラクターをも取り込もうとしているので準備が大変だ。制作以前、完成以前にネタバラしをしてしまった・・。
11月8日(木) <今朝も5時半に起床・・・>
今朝も5時半に起床。いつものように軽いストレッチや筋トレをやった後、珍しく”青竹踏み”をやってみた。部屋の隅っこには何年間も使っていないイボ付きの青竹が転がっていたのでこれを使った。そうすると足裏の一部の場所でこれまで経験したことのない痛さを感じる。ある種、気持ちのいい刺激なので適度に繰り返してやったところが、終わった後で脳天が驚いているような感覚が残った。今までの体操やストレッチでは経験しなかった脳の反応だ。足裏には全身のツボが集まっておりツボを刺激することにより血行が促進されたり自律神経を整えるなど多くの健康効果があることは知られている。それにしても自分の足裏でこれほどの反応が出るのはショックだった。そこそこには健康で体調も良いと思っていても気がつかない劣化は至る所であるだろう。今日から”竹踏み”をしばらく続けてみることにした。今は立ち姿勢でパソコンのキーボードを打ちながら、足裏には”竹”がある・・。
11月9日(金) <今日も雨模様でテニスはお休み・・・>
今日も雨模様でテニスはお休み。その代わりに東京・ミッドタウンのサントリー美術館で開催されている「京都・醍醐寺ー真言密教の宇宙」展を見に行った(=ここ、11/11まで)。1000年以上前に仏師たちが綿密に彫り上げた仏像の表情を見ているだけで別世界に浸ることが出来る。このところ家では陶芸の文様デザインをどうするか、考えがまとまらないままにワンパターンなテレビなど見て安易に時間が経過することが多かったが、全く異なった仏像や書に接していると逆にインスピレーションが湧くことを実感した。仏像の台座にしても現代にも通用する四角なブロックが敷き詰めてあったり、描かれたモダンとも言える文様の迫力のあること。人間の感性は時空を超えて変わらない。今日ほど家に閉じこもらずに外出してよかったと思ったことは珍しい。50年以上前に「書を捨てよ町へ出よう」を著したのは寺山修司(1935~1983)だが、今は「テレビを消せ、町へ出よう」と言いたい。
 
2018-11-09 東京ミッドタウン・ガレリアにて
11月10日(土) <「ポツンと一軒家」というテレビの番組・・・>
「ポツンと一軒家」というテレビの番組がある。日本各地の人里離れた場所にポツンとある一軒家にテレビのクルーが訪問してどのような人物がどうして辺鄙なところで生活するのかをレポートする番組。普通だと絶対に探し出せない山奥などの一軒家を見つけるのが「衛星画像」である。衛星からの写真をクローズアップすると一軒家は勿論、周囲の状況が極めて鮮明にみえる。今は軍事目的でなく一般の誰でもが衛星画像を活用できる時代となった。今日はGoogle EarthやGoogle Mapを使って、私がこれまで経験したことのない衛星からの写真を楽しんだ。何を見たかというと、私が小学生〜中学生まで育った兵庫県姫路市の更に地方である地域を見たのである。小学校、中学校の名は勿論、地名はほとんど昔と変わらない名前である。中学生まで過した社宅区域の名前も変わらなかったが、長年親しんだ社宅の様子はすっかり変わっていた。どう見ても以前住んでいた庭付きの家の敷地は4軒の家に建て替えられている。社宅地は全て売却されたのだろう、建て売り住宅風に変わっていた。一方で、山陽本線を横切って毎日通った通学路など鮮明に跡を追うことが出来る。この地を離れたのは15歳で東京の高校に入学したときだ。以来、60年以上一度もこの故郷には帰ったことはない。故郷の今の姿を見るのにはGoogle Mapが絶好だ。
11月11日(日) <小春日和の今日・・・>
小春日和の今日、昼間は外出するチャンスがなかったので夕方ウォーキングで駒沢公園まで行った。日曜日の公園は親子連れが多い。親子でキャッチボールをしたり、ランニングをしたりする姿を見ていると微笑ましいと思う一方で、私は子供たちに何もしてやれなかったなぁと後悔の念が浮かぶ。休日に公園で遊ぶこともなければキャッチボールもやれずに気がつくと子供たちは成人。子育てをしなかったのか・・。ともあれ、小一時間早足で歩き汗びっしょりとなった。・・小春は言うまでもなく俳句では秋の季語(小六月=ころくがつ=も同じ)。今朝のNHK-TVの俳句の番組でも題が「小春」だった。ネットで「小春」の俳句を検索すると、何と敬愛する寺田寅彦(戦前の物理学者、夏目漱石らとも親交があり随筆家としても知られる)が小春の俳句を残していることを知った。例えば: 「人群がる動物園の小春哉( 寺田寅彦)」。他には、こんな句を見つけた:「句を愛し小春を愛し人愛し( 星野立子)」。
 
2018-11-11 駒沢公園(東京・世田谷区)にて
11月12日(月) <今日は谷中の寺に義兄の墓参り・・・>
今日は谷中の寺に義兄の墓参り。午前中のテニスに続いて午後に墓参する予定であったが今日もまた朝から雨となったのでテニスは中止。先週の月曜日、金曜日に続いて今日もまた雨でテニスができないとは・・、お天道様には文句を言えないが。その代わりに谷中では普通の墓参の時には通らないルートを歩き、岡倉天心宅跡の向かいにあるレストランで妻と昼食をとるなど、これまでに知らない谷中を開拓した。義兄にはさんざんお世話になり、今の住居も義兄の縁で住まわせてもらっていることもあり、月に一度の墓参を欠かさない。墓参というと何か義理とかノルマの雰囲気があるが、私たちの場合は月に一度の谷中巡りができる楽しみの機会でもある。谷根千といって谷中・根津・千駄木と東京の下町風情が残るこの一帯は人気の観光スポットともなり外人の観光客ともよく出会う。こんなチャンスを今なお与えてくれている義兄には改めて感謝感謝・・。
 
2018-11-12 いつもと違う谷中風景(雨は上がった)
11月13日(火) <人間は効率化を求めて進化・・・>
人間は効率化を求めて進化してきた。効率化とは最小のエネルギーで最大の効果を得ること。そのために狩りの道具など諸々の道具を発明した。自動車や飛行機が移動のためのエネルギーをどれだけ節約しているかは言うまでもない。今でもエンジンのエネルギー(ガソリン)をより減らすための改良を欠かせない。少し前には、家の中の無駄な動きのないように台所や部屋の配置を考えるのが一時期流行った。ところが、人の動きを無駄として最小限にする考えは肥満など不健康の源となると最近気がつき始めた。楽をし過ぎると体力が落ちる。日常生活の中では”動き”は無駄ではなく必須であると分かった。人間の考えるエネルギーを最小限にするのも問題になりそうだ。あれこれ苦労して考え悩むより人工知能にお任せにすると何が起きるか。考えない方が”楽”となれば、人間は何のために生きているのか。無駄と思える動き、無駄とみえる考えが人間の真の生きるエネルギーとなるのであれば”効率化”の意識を変えなければならない・・。
 
2018-11-13 日暮れ時の自由が丘(左は熊野神社)
11月14日(水) <「自分という人生の長距離ランナー」・・・>
「自分という人生の長距離ランナー」という演題で増田明美さんの講演を聞いた。大手町の日経ホールでのチャリテイー講演会。増田明美さんは明るく話し上手でサービス精神も旺盛だった。彼女はもう54歳になる(来年の元旦で55歳)。マラソンで日本記録を出すなど大活躍したのが30数年前。講演の中でも一番インパクトがあったのは1984年のロサンゼルスオリンピックのマラソン本番で16km付近で中途棄権という挫折を味わった時の話。何ヶ月も、何年間も挫折の後遺症が続き、そこで”人生の長距離ランナー”であることを悟って復活した経緯が生き生きと語られた。短距離でどれほど成功しても後が走れない人生となると暗くなる。挫折や失敗が人を成長させることを体験したのは大きいだろう。「知」よりも「好」、それより「楽」、つまり「知好楽」が重要と知ったのも引退後だとも語った。スポーツに限らず理屈ではない、好きで楽しむことが一番・・。分かっていることでも、増田明美さんが話すと何かホッとした。
2018-11-14 日経ホール前の風景
11月15日(木) <今晩の11時からテニスの錦織圭選手・・・>
今晩の11時からテニスの錦織圭選手が出場するNITTO ATP ファイナルズの第三試合のテレビ放送(生中継)が予定されている。11月12日に行われた第一試合で錦織はあのロジャー・フェデラーにフルセットの上勝利した。今はピークは過ぎたかも知れないがフェデラー(37歳)の安定した強さは抜群で、私の最も敬愛するテニスプレーヤーでもある。そのフェデラーに勝った錦織に驚嘆していたら、13日に行われた第二試合ではケビン・アンダーソンに0-2であっさりと完敗した。フェデラーとの戦いの勝利で余計な自意識が出たのかも知れない。一流のプレーヤーでも”無心”になってフルに力を発揮するのは容易なことではない。今、ロンドンで行われているこの大会は複雑であるのでこの際自分で調べ直した。そもそも世界男子テニスツアーはATP(=Association of Tennis Professionals)という組織によって管理・運営される。世界中の大会がグレード分けされており上位の大会ほど獲得できるポイントが高い。Nitto ATP FinalsはATPワールドツァーの年間最終戦でポイント獲得数の多い8名(シングルス)が選出されて年間王者を決定する。ちなみにNittoは昨年から日本の日東電工がスポンサーになったので2020年まではNittoの名がつくという。さて、今晩の錦織の試合はどうなるか、生中継はあきらめて明日の早朝のニュースでみるか・・。
11月16日(金) <秋晴れのもと午前中はテニス・・・>
秋晴れのもと午前中はテニスを楽しんだ。11日のコラムでは”小春日和の今日”と書いたが、今日もまさに”小春日和”であった。それでも趣味から言えば私は”小春”とか”小六月(ころくがつ)”の表現より、”秋晴れ”の方が好きだ。俳句では普段はあまり馴染みがない言葉を季語として得意になって使う流儀もあるようだが、小春も小六月も俳句の世界での”どうだ!”感が漂う。素直な秋晴れがいい。・・テニスは4人のグループで組を変えて3試合行う。一試合は6ゲーム先取のルールで5−5となった場合はそこまでとする。最高で10ゲームを三回行うのだが、今日はどの組合せでもほぼ10ゲーム。それだけグループのメンバーの力が接近しているということだ。同年代のメンバーの誰もが実によく身体が動くし、ベテランらしくミスが少ない。皆が古希はとうの昔に過ぎ去って傘寿(さんじゅ)間近な歳ながら年齢の言い訳を一切しないところがまた気持ちがいい・・。
 
2018-11-16 神宮外苑のイチョウ並木(am8:20テニス開門を待つ間に撮影)
11月17日(土) <今日も爽やかな秋晴れ・・・>
今日も爽やかな秋晴れ。この「爽やか(さわやか)」は俳句では秋の季語だという。初夏の爽やかな日もあるだろうに、季節に関係ない形容詞が俳句の世界では秋に限られるのが形式の煩わしさではある。それでも、「響爽か いただきますと いう言葉」(中村草田男)など分かり易い。「爽やか」な俳句では次のような俳句も見つけた。「爽やかに轆轤(ろくろ)の自在見てをりぬ」( 鈴木真砂女)。そう、今日の午前中は陶芸教室で土いじり。轆轤(ろくろ)は使わなかったが教室でも爽やかな時間を過ごした。俳句の約束事である季語や五七五を無視した自由律俳句を詠んだ種田山頭火が今も俳人として存在感があるのがうれしい。「「お天気がよすぎる独りぼっち」(山頭火)。
 
2018-11-17 我家の干し柿&駒沢公園での写真(右はアメジストセージ)
11月18日(日) <表紙に「Mieuへの絵手紙・九品仏の秋」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・九品仏の秋」(ペンと水彩)を掲載した。墓のある九品仏・浄真寺(東京‐世田谷区)でも秋本番。こんな絵手紙を描く余裕ができた。最近はやりたいことをやって楽しませてもらっているが、真理の探究を一生の仕事としなかった気楽さを思う。宇宙の構造を研究し始めると一昔前よりも随分解明されてきたかも知れないが一生かかっても宇宙のほんの少しのことしか分からないだろう。もっと身近に人間の細胞を研究すると人間が60兆の細胞から構成されているところで一日に3000~4000億個の細胞が死滅し一方で死んだ分の細胞が補われると知る。脳全体の細胞は1000億個、大脳皮質は150億個の神経細胞があり、大脳皮質では一日に10万個の神経細胞が死滅する・・。こんなレベルでの細胞に関する真理の探究は面白いかも知れないが奥底は無限大とも言ってよいほど深い。一生、細胞を追求したとしても解明されたこと以上の新たな不明な疑問が生じるだろう。人間の好奇心もまた際限がないところで人類は進化する。真理の探究には一生は余りに短い。だからこそ価値がある・・。

11月19日(月) <自分の記憶は当てにならない・・・>
自分の記憶は当てにならない。居間の本棚に「人間国宝・濱田庄司展」の図録を見つけた。普段は余り目をやらない本棚の角にあった本であるが、どこでいつごろ手に入れたのか全く記憶になかった。最近、陶芸で次の作品に使う釉薬を色々と検討している。一昨日の土曜日にはインターネットで調べた濱田庄司の作品の釉薬の掛け方について教室の先生に意見を聞いたりしている。こんな時に濱田庄司の図録であるので全ページを細かく目を通した。それにしても自分の手元にこんな図録を持っているとは・・。記憶にはなかったが、図録の余白に購入した年月をサインする習慣があるので、この図録を2008年11月9日に川崎市市民ミュージアムで購入したことが直に分かった。そこで、このホームページで当日のコラムをみると間違いなく「濱田庄司展」に行っていた。コラムは日記の役割も果たしている。ちなみに、その前前日11月7日のコラムに書いた”一柳慧とオノヨーコが結婚していた”話題も自分には全く記憶にない。”記憶にございません”はしばしば悪いことをした人が逃げ口上に使うが、自分の記憶も本当にいい加減であることを思い知らされた。「動かぬ証拠」となるコラムを大事にしなければならぬ・・。
11月20日(火) <埼玉県にある老人ホームで・・・>
埼玉県にある老人ホームで暮らしている義理の姉に会いに行った。車椅子で半分居眠りをしながらの雑談だったが何より義姉の表情が非常に穏やかであった。話題をどうつくるかで苦心しながら妻が甲斐甲斐しく興味のありそうな質問をすると直ぐに話しに乗って来るがどれほど中身を理解しているかは分からない。義姉のことをみていると、若い頃の優秀な知能とか成績、仕事の内容などと一切関係なく加齢とともに認知機能が劣化する恐ろしさを思い知らされる。最近は脳の働きを低下させる病気の対応や予防法も多く報告されているがまだ完全に解明されているとは言い難い。義姉も治療できるレベルではないが、救いは昔の張りつめた表情と比べると現在は本当に穏やかな表情で微笑みがあることだ。ホームでは誕生日にはお祝いのカードをいただいたり、手の爪に若者のようなネイル模様を付けてもらったりもしている。もしかするとストレスから開放されて以前より幸せなのかもしれない・・。
11月21日(水) <今日は古いアナログ型のテスターが・・・>
今日は古いアナログ型のテスターが大活躍した。テスターとは交流や直流の電源に応じて電圧や電流を計測したり導通をチェックしたりする計器。ほんの一年前にニューヨーク近代美術館(MOMA)で購入したテーブタップ(電源タップ)が突如使えなくなったので原因を調べるためにテスターを使った。MOMAで販売するほどにデザインがユニークなテーブルタップではあるが、普通は故障するようなものではない。デザインだけは優れているこのテーブルタップは中国製かベトナム製かなどと言いながら、テスターで調べると元電源スイッチの箇所が焼損していることが直ぐに判明した。実際に日本製のテーブルタップならば100年使っても故障はしないだろう。実は使用したアナログ型のテスターは私が中学生の頃から使用しているもので60年間以上全く問題がない。デジタルの最新型のテスターに魅力はあるが買い替えるチャンスがないのだ。考えてみると私が小学生の高学年から中学生の頃の遊びの一つがラジオを組立てることだった。今の子どもはまた別種の遊びがあるだろうが、こどもの遊びは大人になって役に立つこともある。昔の遊び感覚で修理をしてMOMAのテーブルタップは再使用できるようになったのは言うまでもない。
11月22日(木) <来年の干支は亥(いのしし)・・・>
来年の干支は亥(いのしし)。そろそろ年賀状のデザインを考えなければならないので今日は”イノシシ”を色々と調べた。それにしても十二支の最後に「亥」があるのはなぜだろう。全ての十二支の中で辰(龍)のように想像上の動物もあるが、イノシシが一番馴染みが少ない。日本では「亥」といえばイノシシだが、中国では豚を指すという。中国語でイノシシは野猪。孫悟空の猪八戒はブタであった。ちなみに、英語では猪(いのしし)はboarあるいはwild boarで、「亥」の漢字は日本ではboar,中国ではpigと解説がある。ともあれ、亥年にブタの絵を描く訳にもいかないので、イノシシの絵画や図案がないかを調べたが、極めて少ないことが分かった。定番であるのは花札の「萩と猪」ぐらいで名画といえるものはほとんどない。それでは12年前の年賀状ではどんな絵をデザインしただろうかと自分の2007年の年賀状のを見てみると立派なイノシシを二頭描いていた(=ここ)。ここでは、「猪」の字が付く植物「猪独活(ししうど)」と「猪子槌(いのこづち)」の絵まで描く力の入れようで我ながら脱帽。12年前には元気があったなぁ。負けてはならぬ、さて、どんなイノシシを描こうか・・。
11月23日(金) <今日は勤労感謝の日・・・>
今日は勤労感謝の日で休日。ということは、いつもの金曜日のようにテニスができない(平日会員であるため)。雲一つない秋晴れのもと、家に籠っている訳にはいかないので、朝から南青山の根津美術館に行った。今の時期は根津美術館の庭園の紅葉が素晴らしいので紅葉狩りには絶好のチャンスと見た。はじめに庭園を美術館行きの目的としたが今開催されている特別展「新・桃山の茶陶」ももちろん興味あるところではあった。私は最近の陶芸では単独の花器は今でも作るが、抹茶茶碗とか茶道具はほとんど作らなくなった。現代の陶芸作家さんがいくら頑張って制作しても茶道具の分野では安土桃山・江戸の時代の名品には遠く及ばないのが可哀想になるほど昔の作品には迫力がある。「桃山の茶陶」展の作品も驚くほど作者の自由奔放さが目立った。使用する側、権力者側がそれをよしとして認めた度量、美的感覚があった訳だ。欧米の支配層の感覚と比べて異質な”侘び寂び”を尊ぶ日本の伝統的な美意識がどうして生まれたのか不思議に思うこともある。ともあれ、展覧会を楽しんだ後、美術館の庭園内にあるレストランで紅葉を見ながら食事をして、更にゆっくりと庭園内を散策した。今年の都内の紅葉は台風や大風がもたらした潮風のせいで色付きが今ひとつとの話しも聞くが、陽光を浴びた樹々は十分に美しかった。
  
2018-11-23根津美術館(東京・南青山)の庭園にて
11月24日(土) <一週間振りの陶芸・・・>
一週間振りの陶芸教室。今日は11月になってから集中して制作してきた「噴水」を粘土の状態で最後の仕上げを行い素焼きに出した。まだこれから乾燥した上で窯に入れるので釉薬をかけた後の完成は来年になるかも知れない。11月7日のコラムでこの噴水の陶芸について製作中のネタをバラしてしまったが、更に中身を書くと、周囲の文様にはインベーダーのそれぞれのキャラクターや北斗七星、アミノ酸の構造式、噴水のタワー部分にはDNA構造など支離滅裂に形を彫った。陶芸は釉薬の掛け方でいかようにも変化する。細かい文様など釉掛けの結果次第で予測出来ないことも多く、完成前に能書きを垂れることは厳禁と承知はしているが、最近はそれもどうでもよくなった。良いか悪いか誰が決めるか。全てなるようになる。素焼きが出来た後の問題であるが、釉薬掛けも遠慮せずに思う存分デタラメをやってみたい。デタラメはサイコロで”出たらその目”。何も悪いことはない。
2018-11-24陶芸の噴水本体粘土<約30×40cm>
11月25日(日) <無伴奏ヴァイオリンの演奏会・・・>
無伴奏ヴァイオリンの演奏会にいって先ほど夜11時近くに帰宅した。プログラムはプロコフィエフとバルトーク、最後に、バッハとそれぞれの作曲家による「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ」の演奏。プロコフィエフもバルトークもバッハが亡くなってから100年以上後に生まれた作曲家で、恐らくはヴァイオリンソナタを作曲する際には嫌でも大作曲家バッハを十分に意識したであろう。音楽を楽しむのとは少々ズレるが作曲家を比較する意味でもこのコンサートは非常に面白かった。バッハが何と言っても素直に耳に融け込む。プロコフィエフやバルトークは作曲家として好きなタイプであるがバッハと並べて鑑賞すると、バッハが一番と思ってしまう。私は以前、楽焼きの創始者である長次郎から始まり、江戸から明治、大正、現代に至るまで15代の歴代の楽家当主が制作した茶碗の展示を見たとき、結局、初代の長次郎に優るものはないのでないかと感じたことを思い出した。演奏を聴きながら自分の陶芸の釉薬掛けのことを連想してしまったことも白状しよう。プロコフィエフやバルトークの時には思い切り斬新に、驚かすような配色にするか、バッハになるとやはりシンプルで落着かせるか・・。創作の世界はどちらにしても容易ではない・・。
11月26日(月) <今日の新体験は護国寺で紅葉・・・>
今日の新体験は護国寺で紅葉を愛でたこと。今日は一日とにかくよく動いた。朝の7時半に家を出て午前中はテニス。その後、代官山のギャラリーで開催されている絵画展「光の日本画家・奥村厚一展」をみた。これは知人が無名に近い画家だけれど著名な日本画家より遥かに素晴らしい絵を残しているから是非見て欲しいと案内をいただいた展覧会だ。奥村厚一(1904~1974)の名は知らなかったが、これまで名が知られてなくても没後何年も経過した後作品で再評価されるのは絵画の分野では珍しくない。まさに歴史の評価だろう。展覧会の後に故(ゆえ)あって護国寺を訪れた。東京都心で地下鉄の駅名にも「護国寺」の名があるが、これまで訪れるチャンスがなかった。都内随一とされる元禄時代に建造された本堂(観音堂)はさすがに迫力がある。仁王門、不老門、惣門など門も立派。周囲の紅葉と相まって護国寺の秋はお勧めだ。その後.地下鉄で一駅乗り江戸川橋まで行き、また歩いた。夕刻に家に帰る頃にはがっくりとくたびれたが、少々の達成感はあったかなぁ・・。
 
2018-11-26護国寺本堂
 
護国寺境内  山門前で猫もお休み
11月27日(火) <インターネットで注文した来年の手帳・・・>
インターネットで注文した来年の手帳が届いた。「ほぼ日手帳」のA5サイズ(1日1ページ・カズンタイプ)2019年版。私は社会人になってから長年(何十年間だ!)A5サイズの能率手帳を使ってきた。それが丁度一年前に”ほぼ日手帳”を使ってみることを決断し、今年2018年には初めてこの手帳を使ってみた。何が”決断”かというと、能率手帳や他の一般手帳と比べると”ほぼ日手帳”は非常に高価であるので、それだけの価値があるかを考えてしまったのだ。単純比較で2〜3倍のお値段。カバーが特殊であると1万円を軽く越すものもあり、私の常識からは信じられない価格だった。ところが使ってみると随所に高価なだけの品質を造り込んであった。書くために左右にページを開いた時の開き具合がきっちりしているとか細かいところでも非常に使い易い。品質が良ければ値段が高くても売れるとはこういうことかと納得。ちなみに糸井重里さんが経営する「ほぼ日刊イトイ新聞」(株式会社ほぼ日)は昨年上場を果たして順調らしいが、この会社の収益の中心は「ほぼ日手帳」の売上であるという。「ほぼ日刊イトイ新聞」(=ここ)は1998年に開始されたウェブサイトで、私のこのホームページをはじめた1999年当時には数少ない毎日更新されるサイトであったので大いに参考にしたことを思い出す。表紙のエッセイを毎日更新しがらコピーライターであった糸井さんは20年間商才もまた大いに発揮している。
11月28日(水) <人が生きる意味・・・>
人が生きる意味は何か・・、を考えるアプローチは様々であるが、生物学的にみるとまた際限なく深い。これまでヒトの老化や寿命に関連した本を何度も読んでいるが読めば読むほど不思議が募る。生きていることは同じ状態の継続ではなく変化の繰り返しである。細胞の入れ替わり、新陳代謝によって生命は維持される。胃腸の細胞は約5日周期、肌の細胞は約28日周期、筋肉の細胞は約2ヶ月周期、骨の細胞は約3ヶ月周期で新しく生まれ変わる。死滅する細胞の数でいえば一日に3000億個〜4000億個! 毎日約200グラム分の細胞が死んでいるときくとゾッとするが、人間の身体は約60兆個の細胞で出来ており、死んだ細胞はその分再生されるのが新陳代謝である。新陳代謝に必要なことは食事と運動そして睡眠と当たり前のことではあるが、これが適性でないと病となる。また細胞再生が十分でないところで老化現象が起きる。一方で、分裂と増殖の機能を持つ大部分の細胞に対して、生命の維持に非常に重要な役割を果たす脳の中枢の神経細胞、心臓の心筋細胞は生まれてからずっと同じ細胞が生き続けるという。といっても大脳皮質では一日約10万個の神経細胞が死滅するというから加齢とともに劣化する要素は避け難い。細胞の死滅は全て生物に組み込まれたメカニズムで寿命は確実にやってくる。「生きていること」は奇跡的であるとも言えそうだ・・。
11月29日(木) <東京・雑司ヶ谷にある鬼子母神・・・>
東京・雑司ヶ谷にある鬼子母神に初めて行った。先日訪れた護国寺は文京区にあり、鬼子母神は護国寺から遠くないが豊島区になる。この近辺には早稲田、学習院、日本女子大など学校も多く、また都内で唯一都電(荒川線)が残っているとか魅力的だが、これまでどういう訳か鬼子母神には訪れるチャンスが無かった。「雑司ヶ谷鬼子母神堂」は安産・子育ての神様である鬼子母神をお祀りするお堂として知られている。それにしても鬼子母神とはすごい名前である。インドの伝説で仏教を守護するとされる女性の鬼神(夜叉)鬼子母神であるが、釈迦に諭されて帰依する以前は自分の500人ものこどもを育てるために人間の子どもを捕えて食べる夜叉として恐れられていた存在であった。釈迦の教えで仏法の守護神そして子どもと安産の守り神となったというが、私などは以前人間の子どもを食べていた過去の行為など関係ないのか疑問に思ったりする(宗教ではしばしば神の寛大な赦しがでる。聖書の放蕩息子のたとえ話なども同類だろう)。ともあれ、鬼子母神堂や稲荷堂、境内の樹齢600~700年といわれる大イチョウなどをゆっくりと楽しんだ。なお、江戸時代の狂歌「恐れイリヤの鬼子母神・・」と詠まれた鬼子母神は台東区入谷(上野の側、鴬谷近辺)の新源寺のことで、また場所が変わる。
 
2018-11-29鬼子母神堂
 
 武芳稲荷堂(たけよしいなりどう)への道  &   大イチョウ
11月30日(金) <今、東京でフェルメール展が開催・・・>
今、東京でフェルメール展が開催されている(@上野の森美術館、2019.2.3まで、その後、大阪で開催予定、案内=ここ)。このホームページでリンクしているのがコーギー犬とフェルメール関係の項目であるように、私はフェルメールに特に思入れが強い。リンクのページに書いているが(=ここ)、1996年にオランダ・ハーグの美術館にフェルメールの作品23点が集められた展覧会を見る機会があり、これが契機でフェルメールにハマったのである。その当時、フェルメールの世界中に現存する全作品35点の内23点が集結する機会は歴史上もう無いだろうと言われた。その後、世界的なフェルメールブームが起きて他の美術館には絶対に貸し出さないとされたフェルメール作品が日本の美術館でも見られることになった。2008年の東京都美術館で開かれたフェルメール展では7点のフェルメール作品が日本に集められたと大評判になった。今回、上野の森美術館で開催されているフェルメール展には日本美術展史上最大の9点が来日したと喧伝されている。それにしても、私は20年以上前であっても23点をまとめて見た経験は 今でも誇らしい。17世紀オランダ黄金時代の画家であるフェルメール(1632~1675)は、晩年、借財をかかえて苦労し40代半ばで亡くなった。死後300年を経て彼が残した全ての絵画が世界の宝と賞賛されていることを伝えてやりたくなる・・。


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