「今日のコラム」(2018年 12月分)

12月1日(土) <いそがしく 時計の動く 師走かな・・・>
「いそがしく 時計の動く 師走かな」(正岡子規)。師走の声を聞いた途端にやるべきことをリストアップしてみる。クリスマスカードに年賀状、忘年会準備、年末整理と大掃除、アルバム整理など期限のあるもの、ないものを日常のテニスと陶芸の合間に入れる程度であるから大した負担ではない。来年の年賀状の図案作りはむしろ楽しみで今回はもう案が出来上がってしまった。年末の身辺整理も思いつきでやるが拘らない。私は”終活”が好きではない。誰の例を見ていてもそうであるが、自分の身の回りを一生懸命に整理しなくても亡くなった後にはそれなりの人があっという間に不要品は処分してくれる。ただし保存スペースの面から自分で処分すべきものは多くある。先日、今使っているほぼ日手帳のことを書いたが、以前何十年にも渡って使用してきた能率手帳を一年前にほとんど廃棄した。手帳といっても30~40年分の量は相当に多く、自分で過去の手帳を見ると懐かしい部分もあるが他人にとっては先ず意味が無い。小学生、中学生の頃の通信簿を保存しておいてもしようがないのと同じで、手帳類は気が向けば生前に処分しても誰も困らない。健康診断の結果などもファイルが満杯になっている。この年末には10年以上前の健康診断の結果は廃棄しようか。「街師走 何を買つても むだづかひ」(稲畑汀子)。


12月2日(日) <掃きよせて落ち葉焚く間も銀杏の樹・・・>
「掃きよせて落ち葉焚く間も銀杏の樹 やまずしこぼす黄なるその葉を」(福島泰樹?)。九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の境内にある大銀杏の樹の下にこんな句碑がある。今日は息子の月命日なのでこの寺に墓参りに行った。境内はまさに紅葉の真っ盛り。多勢の観光客やスケッチをする人々で境内はにぎわていた。今は落葉で焚火をすることはできずに銀杏の落葉は山と積もったままで、これはこれで風情がある。それでも大銀杏の近辺では強烈なギンナンの匂いが漂っていた。一方で墓の周辺には人は少ないけれども落葉の量は半端でない。家の墓周りの満天星(ドウダン)の落葉掃除は簡単に済ませたが、少し離れたところの大きな桜の樹の落葉が一帯の地面が見えなくなるほど積もっていた。見過ごす訳に行かないので落葉掃除をはじめると終わらない。塵取りに何十杯をごみ箱に運んだことか。毎度ながら墓参りは墓掃除と近辺も含めた道路掃除の機会でもある。それにしても月命日に墓参りに来て見事な紅葉(下に写真)を目にすることが出来た幸運に改めて感謝・・。
 
2018-12-02 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて
家の墓の満天星(ドウダン)も紅葉
12月3日(月) <表紙に「Mieuへの絵手紙・阿修羅像」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・阿修羅像」(鉛筆とパステル)を掲載した。初めは鉛筆画だけのつもりだったが最後に少しパステルの色をつけた。ニューヨークに住むMieuにとって阿修羅像がどれほど馴染みか知らないが、奈良・興福寺の阿修羅像(国宝)は日本では余りにも有名。三面六臂(さんめんろっぴ=三つの顔と六本の腕)の像の形状と合わせて一般に最も注目され、また評判となるのが”紅顔の美少年が眉をひそめて遠くの方を見つめているような表情”である。今回模写をしてみて小さなハガキサイズではこの表情を的確に再現するのは極めて難しいことを思い知らされた。できれば原寸大の大きな用紙に顔だけでも描いてみたい。それにしても孫娘Mieuさんには絵手紙を送るのも良いけれども、帰国した際には1200年以上前に制作された仏像の現物や日本の文化遺産を是非見せてやりたい・・。

12月4日(火) <過去に拘ったり、悔やんだりしない主義・・・>
過去に拘ったり、悔やんだりしない主義としているが過去の作品でも手が入れられるものは話が違って来る。昨日、表紙に「MIeuへの絵手紙・修羅像」を掲載した際、「今日の絵」(2018年)コーナー(=ここ)を見ると最近の絵手紙で不本意な絵の仕上がりが気になった。既に投函してしまったものはしょうがないが、前にも書いたが絵手紙に文章を書いてニューヨークの孫娘Mieuへ送るのは妻の役割としているところで、最近何ヶ月もの絵手紙数枚分が妻の机の上に留まったままであることを知っていた。これ幸いと中から2枚の絵手紙を取り出して加筆した。その前後でどう変わったかは示せないが今は今日加筆した絵手紙に入れ替えてしまった(上記コーナー参照)。こういうことで思い起こすのはフランスの画家ルオー(マチスと同年代、重厚なキリストの顔などの絵画で知られる)が絵画を売った後、一旦仕上がった作品に何年にも渡って加筆をしたという逸話。晩年ルオーは「未完成で、自分の死までに完成する見込みのない作品は、世に出さず、焼却する」とまで言って画商とトラブルを起こしたという。何を持って完成とするかは難しい。こういうレベルでなくても、ここに書いているコラムなども読み直す度に”アラ”がみえるなど日常のこと。絵に加筆をしたり文章を推敲したりしても所詮完璧とはほど遠い。だからやることが際限なくある・・。
12月5日(水) <今日も午前中はテニス・・・>
今日も午前中はテニスを楽しんだ。先週は月、水、金、そして今週は月、水と、テニス。雨が降ったり、祝日になるとできないので連続してこのように予定通りテニスが出来るのは珍しい。テニスの日には朝の7時30分に家を出て、帰り着くのが12時30分頃なので約5時間の時間を使う。プレーをする実質時間は2~3時間。試合仲間がみなよく身体が動くのには毎度感心する。最近はメンバーは固定していなくて適度に入れ替わり色々な人と付き合える。先日久しぶりに一緒にプレーした人は長年母親を自宅で介護していて、そのためにテニスも欠席しがちだったが、ついに母親が103歳で亡くなったとか。95歳から8年間自宅介護をしたので、この経験を話してほしいと役所主催の講演会で先週の土曜日に講師として招かれたそうだ。今朝は開門を待つ間にテニス仲間で最高齢90歳の男性と話をした。極力誰の世話にもならないように務めているが全ての動作が鈍くなっているので親切心で周りの人が手を貸してくれるのが問題だといっていた。一旦楽をするとまた楽をしたくて身体が衰えるとか。テニスのプレーだけでなく、こうした先輩方の話を聞ける貴重な機会にもなる。
12月6日(木) <昨日の温かな天気から一転・・・>
昨日の温かな天気から一転して今日はコートが必要な寒さとなった。人は”天の気”でさえ文句を言いたくなる。ある調査によれば人が一日に漏らす不平の数は平均一日70回もあるとか。こうした不平、不満、愚痴などをグッと抑えて言わず意識的にプラス思考をしていると脳の神経細胞の働きで身体の調子にまで良い影響を与えるという話を聞いたことがある。脳細胞と免疫細胞が絡み合って健康を作り上げるのか。また人が自分のためでなく他人が喜ぶことにより満足感を覚える習性なども脳から発する細胞の活性化と関連するのか。心理学や脳の構造の研究は格段に進歩してきたといっても人間の脳の働きと身体との絡みはまだまだ謎は多い。人の気持ちの持ち方が身体中の細胞の働きに影響を及ぼすところなど非常に興味深い・・。いよいよ冬本番。シクラメンの花も引き締まってきた。酷暑の夏もあり、これからの冬の寒さがあるところが日本のいいところだ・・。
12月7日(金) <年賀状を準備する時節・・・>
年賀状を準備する時節となった。来年は2019年、亥年。十二支でこれまでの古い資料などを整理しようとメモをとってギョットした。十二支が直ぐには書けない。子(ね)とか、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)あたりは出て来るが、牛、虎、兎、・・、羊、猿などと動物の漢字ばかりがイメージされてしまう。パソコンの場合は余りに便利で簡単に正しく漢字変換できるので自分はどれほどか書けないかが分からなくなっている。今更ながら十二支は:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。ちなみに干支(えと)の組合せとなるもう一つの十干(じっかん)は:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。十干と十二支を組合わせた干支が60個であり、還暦は60年で暦が元に戻ることから60歳のお祝いとした。今は干支の名前をつけることはしないが、1868年、戊辰の年に倒幕派と幕府派が戦った戦争には戊辰戦争の名がつき、1924年、甲子の年に完成した球場には甲子園球場の名がつけられた。2020年のオリンピックのために建設される競技場を庚子(かのえね)競技場あるいは庚子園(こうしえん)としてもおかしくはない・・。
 
2018-12-07 建設中の新国立競技場(今朝7時15分、テニスの開門を待つ間に撮影)
12月8日(土) <土曜日は陶芸・・・>
土曜日は陶芸の日。今日は11月になってから作り始めた噴水(11/24に粘土での噴水本体写真をコラムに掲載)の釉薬掛けを完了させて、後は本焼成の結果を待つばかりとなった。実は今回の噴水造りは素焼きの段階で一部にひび割れを起こすなどトラブルがあり、最終的に焼き上がりがどうなるか”賭け”を待つ心境だ。釉薬で割れた部分が如何にカバーされるかがポイントで結果は誰も予測出来ない。けれども自分としてはどのような状況になっても次の手が打てると思っている。失敗の経験だけは豊富であるので何が起こっても平気と言っておこう。・・どんなモノづくりにも失敗は付きもの。人は失敗から学ぶ。何度も何度も失敗を繰り返して良いモノを作る。モノづくりとは異なるけれどもテニスのプレーでもミスが付きもので私などは同じミスを何度も繰り返す。こういう個人が集まる集団でも同じこと。「過ちは繰り返しません」は”宣言”としてはいいとしても、現実は過ちを繰り返す習性が人間にはあることを知らなければならないだろう。”再発防止に努めます”と頭を下げる映像を見る度に何か同情的に見てしまうほどに、再発防止は容易ではない・・。
 
2018-12-08 本焼成に出す前の噴水(陶芸) 右は透明釉薬を掛ける前の噴水先端部
12月9日(日) <ケルヒャー(高圧洗浄機)を使って年末の特別洗浄・・・>
ケルヒャー(高圧洗浄機)を使って年末の特別洗浄を試みる。先日、ベランダのコンクリート溝をケルヒャーで掃除したところ信じられないほど見事に汚れが落ちたので、今日は普段ほとんど使わない半屋外のユーティリティの洗浄を試みたのだが、今回は思うように綺麗にはならなかった。洗剤を使えば違うかも知れないが10年以上蓄積された強力な汚れは高圧洗浄でもとりきれないものがあることを知った。それにしても真冬の寒さになった今日、飛沫を浴びながら長時間ケルヒャーで洗浄した自分を褒めてやりたい。午後にはまだパワーが残っていたのか九品仏浄真寺まで歩いて行って紅葉を見てきた。健康であることは有難い・・。
 
2018-12-09 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)境内
12月10日(月) <午前中は寒風の中でテニス・・・>
午前中は寒風の中でテニス。帰途、久しぶりに渋谷へ寄った。ところが、スクランブル交差点を渡り、道玄坂方面へ歩いて以前から知っている銀行の場所にいったが見当たらない。そこは全く関係のない商業施設の工事中だった。苦心の末に移転先の銀行を見つけ出して用事は終えた。次に昼食を食べようとこれも前に何度か通ったことのある東急ハンズの側にあったカレー屋さんにいったところ店が変わっている。カレーには拘らないので別の通りの店でオムライスを食べた。ほんの半年の間にこの街はどんどん変化する。変わるのは悪いことではない。変わった結果も一つの過渡期に過ぎないがどこまでを見届けることが出来るか。センター街を歩いて往き交う多勢の人の中に自分より年長の人がいるかをチラチラ注意してみても、なかなか見つけられない。これだけは昔と変わりがなかった。
2018-12-10 こんな色も数日後には変わる
12月11日(火) <谷中に墓参り・・・>
谷中に墓参りに行った。毎月一度は義兄の墓参りをする(今日11日が月命日)が、墓参りの口実で夫婦一緒に”谷根千”(谷中・根津・千駄木)を散策する絶好の機会としている。今朝の東京は今年一番の冷え込みで気温が2℃に達しなかったというだけあって、日中も寒々としており、いつもの谷中の賑わいはなかった。今日は墓参りをする寺の近所に巨大な金の観音様があるのが以前から気になっていたので写真を撮って家に帰ってから何ものかを調べてみた。この観音様・谷中大観音は平成三年に完成した非常に新しいものだった。作者は長崎の平和祈念像を制作した北村西望氏。観音様があるお寺は「全生庵(ぜんしょうあん)」といい、幕末から明治にかけての幕臣、山岡鉄舟が明治維新に殉じた人々を弔うために1883年(明治16年)に創建した寺だ。(山岡鉄舟、1836~1888=ここ=は勝海舟とともに西郷隆盛と接触し江戸城無血開城を成し遂げた)。この寺に何故平成の時代に大観音が建造されたかは不明だが、谷中にはこのようなお寺や名所がごた混ぜに並んでいる。
 
2018-12-11 左は瑞輪寺本堂の正面模様   中央が谷中大観音
12月12日(水) <師走恒例の「今年の漢字」には「災」・・・>
師走恒例の「今年の漢字」に「災」が選ばれたという。その年を象徴する漢字一文字を公募(ハガキやウェブサイト)で決めたもので、今日の午後2時過ぎには「災」の字を京都・清水寺の貫首が大きく揮毫したことがニュースになっている。同じく師走恒例の吉本興業が主催する漫才師発掘コンテスト、M1グランプリの結果がどうであっても関係ないけれども、「災」を今年の漢字にしてしまう風潮には少々驚きだ。もちろん、豪雨や台風、猛暑などの自然災害やスポーツ界などの人災があり個々には災いで苦労した人もいるだろうが、歴史的な視点で見ると今年の日本もまた何と平和・平穏であることか。「災い」とはほど遠い。自分のことを不幸、不運、恵まれないと思いたがるマイナス思考は人間の一面ではあるが誰も愉快にならないし元気をもらえない。今年を「災」の年と見ること自体が天下太平で平和ボケの証拠でないのか。東日本大震災のあった2011年の漢字は「絆」であった。国難というべき災害を被ったときにはプラス思考の漢字となる。
12月13日(木) <今日のコラムを書こうとパソコンに向かった・・・>
今日のコラムを書こうとパソコンに向かったが、いつになくやる気がない。原因は自分でも分かっている。今日の東京の気温は真冬並みに寒かった。午後にパソコンをやろうとして部屋が寒いので今日に限ってパソコンを持って暖房のきいた居間に移動した。ところが暖かい居間で座ってパソコンを操作しているうちに嫌になるほど疲労を覚えた。いつもの自分の部屋ではパソコンを立ち仕事できるようにしている。立ってキーボードを操作すると何時間やってもくたびれない。それが習性になってしまったのか、逆に床に座り背中にクッションなどしてノートパソコンをいじっていると身体も脳もおかしくなったのだ。夕方、風呂に入って気分転換してからコラムを何とか書き続けたのだが、こんなこともある。今日の教訓:パソコン仕事は習慣通りに立って行うのがベスト。もちろんパソコン部屋には個別の暖房を入れよう・・。
12月14日(金) <孫娘のMieuがハーバード大学に合格・・・>
孫娘のMieuがハーバード大学に合格したとの知らせ(下のMIEUのブログ=ここ=参照)。アメリカの入学試験のシステムは日本と違い学力テストだけの一発勝負でないので全く予測がつかなかった。暗記ものではない思索のテーマを論文形式で提出したり何をやりたいか何に興味があるかなどを細かに聞かれたりもしたようだ。全米でずば抜けた学力テストの結果をとっていた学生が選抜されなかった話を何度も聞いた。しかもMieuの場合は短期留学とは異なり日本国籍での入学試験であるのでどのような扱いになるのかは相手次第だった。大学で何を専門に学ぶのかは知らない。Mieuは数学や物理に非常に興味があると思えば、また生物やアートの世界にも強い。バイオリンの実力は相当とは思う。けれども世の中にはそのような人がまた山ほどいるのも確かであろう。何はともあれ”おめでとう!”を伝えたい。2~3日前にMieuへの絵手紙を三枚ほどまとめて投函したのがよかったのか。今度は「おめでとう」を書いて絵手紙を送ろう・・。
12月15日(土) <ニューヨークで頑張っている孫娘のMieuは18歳・・・>
ニューヨークで頑張っている孫娘のMieuは18歳。今、日本のスポーツ界で若手の活躍が目覚ましい。女子卓球選手では、伊藤美誠、平野美宇、早田ひなが揃って18歳。いずれも”世界”トップレベルの選手だ。ご存知、男子卓球の張本智和15歳。女子フィギャースケートでは紀平梨花・16歳、本田真凜・17歳。競泳女子で今年のアジア大会で6個の金メダルを獲得し、現在21個の日本記録を保持しているという池江璃花子は18歳。こうして見るとMieuの同世代の女の子が世界のトップで戦っている。一方でスポーツ選手は華々しく活躍するが現役の期間は少ない。長い人生でどのような経路を歩むかはそれぞれであろうが、どのような分野にしても若手が世界の頂点で活躍できる場があることが世の中を活性化する・・。

12月16日(日) <今日の起床は5時29分・・・>
今日の起床は5時29分。先の水曜日からの起床時刻を記してみると、5:30,5:35,5:49,5:20。目覚まし時計は全く使わずに目が覚めた時に起きるが時刻はほぼ5時30分で、これは夏から変わらない(時刻は起床後トイレで見た時刻をノートに記録している)。夏は日の出の時刻であったが、今は日の出まで一時間も間があり、外はまだ暗い。起床して直ぐにコーヒーを一杯。その後、スクワットや軽い筋トレをして6時25分からのNHKテレビ体操の時間を待つ。10分間のテレビ体操(日曜日はラジオ体操第一&第二)を丁寧にやるとその日の体調が分かる。体操の後、ゴミ出しの日にはゴミ出しを済ませる。ここまではほぼ毎日同じパターンだ。今日の特別な事項と言えば、起床直後のコーヒを飲んでいる時にどういう訳か陶芸の作品造りのアイデイアが浮かんだこと。忘れないように直ぐに紙に図を描いて残した。時々、このような朝のヒラメキがあるが、睡眠時に特に意識をして考えることをしている訳ではない。けれども、自然とアイデイアが浮かぶ時は大抵身体も脳も調子が良い。生活習慣を工夫してもそう簡単に結果と結びつくとは限らない。体調が良くてやる気がでるのは全て”お陰さま”・・。


12月17日(月) <牡蠣(かき)の美味しい季節・・・>
牡蠣(かき)の美味しい季節となった。牡蠣は月の名に「R」がつかない月には食べてはいけないといわれた。5月(May)、6月(June)、7月(July)、8月(August)、9月(September)と確かに「R」がないが、10月(October)、11月(November)、12月(December)、1月(January)、2月(February)、3月(March)、4月(April)には「R」がある。実にうまく見つけたものである。日本では彼岸から彼岸まで(秋9/23〜春3/21頃)は牡蠣を食べてよいとされた時代もあった。実際にはそれほど単純ではなく今では主に太平洋側で養殖される真牡蠣の旬は冬であるが、日本海側で産出する岩牡蠣は夏が旬。牡蠣の種類、育つ期間、出荷の時期などにより”食べごろ”は大きく変動するという訳だ。もう一つ、「生食用」と「加熱用」の牡蠣の区別も微妙。鮮度で区別されるのでなく養殖された海域と浄化のやり方(細菌数)の違いとか。どんな料理にするかを決めた後で材料の牡蠣を選ばなければならない。それほどまでしてもやはり牡蠣を食べたいのだ・・。
 
2018-12-17 孫娘Mieuの大学合格お礼に墓参(世田谷・九品仏浄真寺にて)
12月18日(火) <年末ということで古いノート整理・・・>
年末ということで古いノート整理をしながら中身に目を通すと止まらなくなった。その時々の新聞、雑誌、本の中で面白いと思ったフレーズや内容を日付を付けてメモしてある。例えば、「手っ取り早くカネを作る方法」=サルの毛を抜け。MONKEYからKを抜くと、MONEY。これは15年前、2003年4月1日の読売新聞からの引用。こんな調子で感動した名言とか喩え話、数値データなどがつらなっている。いずれも、その時々の自分の興味の対象が見えて懐かしい。ある歴史学者が言った「人間の価値は60歳から90歳までに何をしたかで決まる」という言葉があったが、これは2001年11月29日のコラム(=ここ)でそのまま引用していた。毎日の予定や出来事を記載した日記は20年以上積もり積もっているので廃棄処分としたが、ノートはそのまま保管することにした。たとえ孫引きであっても良い言葉は時代を超えて宝物となる・・。
 
 2018-12-18 夕方散歩に行った駒沢公園(世田谷区)にて
12月19日(水) <朝、テニスの開門を待つ間に90歳の男性仲間・・・>
朝、テニスの開門を待つ間に90歳の男性仲間に興味深い話を聞いた。その男性は20歳代で肺結核にかかり休職して一年間治療をした。当時、結核はまだ若くして命を落とす例が多い恐ろしい病気だった。そう、結核で亡くなった有名人は思いつくだけでも、俳人・正岡子規(7年間患い34歳で死去)、小説家・樋口一葉(24歳)、詩人・石川啄木(26歳)、詩人・八木重吉(29歳)ほか切りがないほど挙げられる。テニスの男性にすれば命に関わる深刻な病気。70年前の当時はまさにストレプトマイシンなど結核の新治療薬が続々と発見・開発されている時代で、入院中に医者から新薬を処方されて飲み始めた。ところが三ヶ月ほど経過したところで余りに体調が悪化して身体が薬を受け付けないので医者には言うことも出来ずにそっと窓から薬を全て捨て続けたそうだ。そうすると間もなく復調して結核も完治した。医者は他の患者にこの人のように薬をしっかり服用すると治ると宣伝したのが心苦しかったとか。更に病院を去る時に窓から薬を捨てた外をみると雑草がはびこっている草むらで薬の蒔かれた箇所だけが草が生えていなかったという。その人は以後自分の免疫力に頼る方針として、薬を飲まず、検査を受けず、90歳でテニスを続けている。
12月20(木) <日本の古典芸能では「間」が非常に重視・・・>
日本の古典芸能では「間」が非常に重視された。能楽や歌舞伎などに西洋の芸能にない独自の香りが漂うのは「間」の取り方。この「間」が芸能に限らず現代の言語に広く浸透しているのは驚くばかりだ。「間がわるい」、「間のび」、「間合い」、「間違い」、「間抜け」・・。いずれもが「間」の善し悪しを言っているが基本的に否定をしていないところが日本的か。「間抜け」はバカや愚か者とは微妙にニュアンスが異なるので英語ではどう表すのだろう。芸能と関係ないところでは、人間、世間、仲間から普通の空間や昼間、時間に至るまで”瞬く間”に広がる。誰だって失敗は”間間”あるものよと言われれば「間」はありがたい存在になる・・。
”間もなく”クリスマス。夕方、クリスマスミサに行く途中で東京ミッドタウン(六本木)に立寄った時に撮影したイルミネーションの写真を下に掲載する。
 
2018-12-20  東京ミッドタウンにて
12月21(金) <時としてホームページの改訂が思うようにいかない・・・>
時としてホームページの改訂が思うようにいかないことがある。昨晩はこの表紙に「東京ミッドタウン」の写真画像の二枚目がどうしても掲載できなかった。Dreamweaverソフトでローカルデーターをリモートに「PUT」しようとすると、「FTPエラーが発生しました。○○画像をPUTできません。この処理を実行するにはディスク容量が足りません」ときた。ちなみに、表紙でなくコラムのコーナーには同じものがそのまま掲載できた(=ここ)。表紙関連のサイト(プロバイダー)は以前デイスク容量が限界とのことで、別の新たなサイトにコラムのコーナーなどを移し替えた経緯がある。表紙関連サイトの容量は蓄積のないよう、更新しても毎日同等の容量を入れ替えるだけにしているけれど・・。年末なのでプロバイダーが許容容量の見直しをしているにしても写真一枚はPUTできたところが分からない。とにかくも本日のところは写真なしとして表紙の更新をトライする・・。
12月22(土) <土曜日は午前中から陶芸・・・>
土曜日は午前中から陶芸。陶芸教室での平穏な年末を迎えると思ったら、親しいスタッフが今年いっぱいでリタイヤすると挨拶をされた。別に仲間が入院したとか、教室内は新しい話題で持ち切りだった。教室のような小さな世界でも常に変化を続ける。スーパーに行って買物をすると、少し前までは普通の現金払いであったものが、現金でも機械に入れて清算する方式に変わっていた。一昔前には電車の駅改札口に切符きりの名人のような乗務員がいた。切符を差し出すと0.1秒で切符を切り渡された。それが今はカードを当てるだけで改札を通過できる。名人芸は不要となった。昨日のコラムでホームページの改訂が思うように出来ないことを書いた。その後、更に調べると、ローカルサイトとリモートサイトの設定が間違えていたことが判明。自分のミスで数ヶ月前から徐々にリモートサイトの不要な画像容量が増えて限度を超してトラブルとなったのだ。・・・諸行無常。世の進化があり、また一方で進化とは無関係に死滅するもの廃棄物が蓄積されていくものもある。人間の細胞約60兆個のうち一日で3000~4000億個の細胞が死滅し、また再生を繰り返す。”無常”の世界はまさに生々流転。変化することを見極めて楽しむしかない・・。
12月23(日) <年賀状を書いていて、つくづく”人の縁”・・・>
年賀状を書いていて、つくづく”人の縁”を思う。人と人のつながりは親兄弟、親戚の関係以外はほとんど偶然の出会いと言ってよい。学校で同級であったとか、たまたまの遊び友達、趣味での知り合い、仕事の縁など出会いは色々だが、その出会いが人の一生の色づけとなっている。中には”出会い”がなくてもインターネットで知り合って長年顔を知らずに親しくしている人もいる。人によって交流の深さは異なるが相性の善し悪しも長年の付き合いの中から分かって来る。毎年クリスマスの時期に家族を含めた細かな状況を交換し合うスエーデンに住む友人がいる。エンジニアの先輩であったそのスエーデン人(85歳)とは仕事での付き合いが始まりであったが、仕事とは全く関係がなくなった以降も家族ぐるみの交流があり、昔の仕事に絡んだ人の中では一番親しい。以前、テニスで親しくしていた知人が、70歳後半になった頃、「義理の年賀状の交換は止めることにする」と宣言して自分では賀状を一切出さなくしたことがあった。そのせいでもないだろうが、間もなく彼は急に認知症が進行して混乱を来した。今ではテニスも出来ないが私は賀状を一方通行で送ることにしている。断捨離とか不要な人間関係を捨てるとかいうが、何が不要で何を捨てるのか。人間は所詮独りでは生きていけない。縁の中で生かされている・・。
12月24(月) <クリスマスイブに東京駅から丸の内近辺のイルミネーション・・・>
クリスマスイブに東京駅から丸の内近辺のイルミネーションをみてきた。今の時期どこでもLEDを使ったイルミネーションが盛んで、東京駅・丸の内も以前より遥かに大掛かりに飾り付けを行っている。ちなみに丸の内で使用されるLEDは約100万球で、従来品の電球と比べると電力は65%削減されたLEDを使用していたが(2009年データ)、その後2014年から更に30%使用電力をカットしたエコ電球が使用されているという。東京駅丸の内北口をでると「東京ミチテラス2018」(=ここ)と称するイベントに誘導されてしまう。何か大混雑する初詣のような大袈裟な案内と指示でいささか興を削がれる。「立ち止まらないで下さい、前につめて下さい・・」と大声で注意されながらイルミネーションを見たくもない。どうして日本人は個人の自由に任せず一律に行動をさせたがるのかと思ってしまう。とはいえ、クリスマスイブにここに来たからしようがないと割り切って、非日常のクリスマス飾りを堪能した。
 
2018-12-24 東京駅丸の内口


12月25(火) <陶芸教室に行くと焼成に出していた「噴水」が・・・>
陶芸教室に行くと焼成に出していた「噴水」が出来上がっていた。構造や周囲の文様作りにかなり苦心した上に釉薬がけもこれまで実績のない大胆なやり方を試みたので、結果を楽しみにしていたが期待通りに(!)メタメタだった。といっても一番根本の焼成はまず実用的には問題ないので、これから仕上がり結果とやったこととの因果関係を追求しようと思っている。想定外の結果については、それを許容するか更に新たな対応をするかを検討し始めた。陶芸では思い通りに完成しないところで次にどのような手を打つか考えるところが一番のやりがいでもある。具体的には下に掲載した写真のように全体が濃い茶系になったのが最大の誤算。茶系の釉薬の上に白系の釉薬を重ねたのだが、白が格段に弱かった。今の仕上がり状況を詳細に写真で記録しておき、次に再完成させた時に比較したい。あらためて噴水完成写真を掲載できるのは何時になるだろうか・・。
2018-12-25噴水の陶器部(一時完成、噴水機能は別途)
12月26(水) <いのちなき砂のかなしさよ・・・>
「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」(石川啄木:一握の砂)。日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹はこの啄木の詩を「自然界の真理をつかもうと、どんなに努力をしても、砂のようにさらさらと指の間から抜けていってしまう」自分の感覚と比べたという。年末の慌ただしい生活の合間に、余りに有名な詩を残した啄木という人物の作品以外の人生に触れると知らぬことばかりでハッとした。石川啄木(1886/明治19年〜1912/明治45年)は19歳で結婚し、26歳で肺結核で亡くなっている。この時代、樋口一葉(1872/明治5年〜1896/明治29年、24歳・肺結核で没)なども同様であるが、歴史に残る素晴らしい作品を残した詩人・小説家が非常に若くして亡くなっているのには改めて驚く。この人たちの3倍も生きていて我らは何を残したなどとは言うまい。今でも共感できる啄木の詩をもう一度:「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」、「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」。
12月27(木) <市ヶ谷の教会で開催された・・・>
市ヶ谷の教会で開催されたピアノのコンサートに行って今帰宅した。時刻は夜の11時。いつもは寝床の中の時刻だ。昼間は年末仕事で休むことなく動いていたので心地よく音楽を聴くゆとりの時間となった。作曲された年代が240年前(モーツアルト)とか、177年前(メンデルスゾーン)、こちらは117年前(ラヴェル)などと解説書を見て歴史の遺産を思うのもこんな時。これから就寝前にはバランス年齢計測もやらなければならない。今日はこんなところとしよう・・。
12月28(金) <今年最後のテニスに行くため・・・>
今年最後のテニスに行くために、都立大学駅(東横線)7時47分発の電車を利用するといつもは乗るのに苦労するほど混む電車であるのに今日の電車はそれほど混雑はしていなかった。この時間帯は年末のこの時期でなければ人と接触しながら押し合って乗車するのが当たり前だ。渋谷で乗り換えて次に乗る半蔵門線の電車も猛烈なラッシュアワーの様相とは違って今日だけは押し入らなくても乗車できた。ほとんど報道されることも苦情がでることもないが東京のラッシュアワーの混み方は今でも尋常ではない。テニスのための乗車はあえて少し早い時間帯に乗ることとしているが8時〜8時半頃のラッシュ時間は女性や子どもは可哀想なほど押し合わないと乗車できない。感心するのは多くの人が猛烈な混雑の中で、喧嘩も言い合いもせず、譲り合い、弱きを助けながらの通勤・通学を毎日繰り返していること。いつもラッシュアワーの電車に乗り込み黙々と通勤している人々に日本は支えられているとさえ思う。みなさん、年末休暇にはぜひともゆっくりと休養してください。運動バックを背負って遊びにいく自分は毎度ラッシュ時の電車に乗るのは申し訳なく思いつつ奥の奥に入り込む努力をする・・。
12月29(土) <年末、本屋さんでゆったりとした時間を過ごす・・・>
年末、本屋さんでゆったりとした時間を過ごすと贅沢な気分になる。ネット販売が進化してあらゆる分野で現物を並べた店は衰退するようにも言われるが、日本では店舗を持つ本屋は姿を変えつつ確実に継続していくのではないか。決まった本を購入するだけならばネットを利用すればよい。けれども今どんな本が出版されているのか時々手に取りながら色々と見て回ることは店舗でないと出来ない。本は購入して読むだけでなく同類の本を並べてみるだけでも楽しい。本は社会の反映であるから、これほどまでに現代人の好奇心が旺盛であるのかと感心するほど広い分野の出版物が並ぶ。政治・経済・技術・天体・宗教・医療・芸能・スポーツ・家事・趣味といった分類だけではなく、趣味ならば旅行、俳句といった細部の内容が世相を反映するようにみえる。・・こんなことを書きながら今日は結局本屋さんで一冊の本も買うことをしなかった。それで、普段は、i-Phone を使ってKINDLEやD-マガジンを読んでいる。それならば本に対してどう対処するべきか何とも言えない。よい本との巡り会いを祈るばかりの気まぐれの読者であることを悟った・・。
12月30(日) <年末の大掃除が早めに終わった・・・>
年末の大掃除が早めに終わったこともあり、この日になって家での陶芸活動に精を出す。12月25日のコラムで書いた陶芸作品「噴水」の仕上がりがどうしても不本意なので如何に手を加えるかを色々と検討した。その結果、釉薬を再度やり直して1230℃で焼成し直すことはやらず、安易ではあるが低温で色を焼き付ける手法を使うつもりだ。今は楽焼きで着色するなどの延長で、家庭用のオーブンを使って色絵具を定着させることができる。結果を見なければ何とも言えぬが、この作品に関しては何が何でも相応のモノにするつもり。暮れも正月もなく、ネバーギブアップを貫こう。・・気分転換に外出すると近所にも玄関に正月飾りをした家が急に目につくようになった。豪勢な門松でなくても小さな松飾りがあるだけで心が和む。「幾霜に 心ばせをの 松飾り」(芭蕉)。
2018-12-30 散歩に行った駒沢公園にて
12月31(月) <大晦日・・・>
大晦日。この一年を振り返ると、やはり感謝の言葉しかない。宝くじが当たった訳ではない、作品が認められた訳でもない。ただ、健康に恵まれたことが有難い。身体の具合はいくら本人が努力しても限界がある。健康であるからテニスをやり作品を創り他人のために何かやろうと思う。このホームページにしても体調がいいから継続できるのだろう。神のみぞ知る健康を持続できることは神に感謝である。今年も何人かの友人、知人が亡くなった。みなさん”モッタイナイ”と思うような人ばかりで理不尽を感じるがどうしようもない。来年の抱負など改めて考えなくなって久しい。それでも、このところ何にしてもやりたいことを直ぐ始める実行力を持ちたいとは思っている。今日は、少し時間が出来たので近所の散歩でなくバスで二子玉川まで行き、多摩川沿いをウォーキングしてきた。面倒くさいの真反対を進んで実行するパワーを来年も持ち続けたい。「大晦日さだめなき世の定哉」(井原西鶴)。
 
2018-12-31 二子玉川の多摩川 右のビル中央が楽天本社ビル


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