「今日のコラム」(2019年 1月分)

1月1日(火) <明けましておめでとうございます・・・>
明けましておめでとうございます。
元旦からよく動いた一日。先ず明治神宮に初詣。本殿のお参りは混雑し案内のスピーカーがうるさくて情緒がないが有料(500円)の御苑に入ると静かで落着く。花菖蒲のない時期の菖蒲田もいいものだ。パワースポットとされる清正井(きよまさいど)も空いていた。帰途、目黒不動尊瀧泉寺にも寄った。更に、一度家に帰ってから墓参のため九品仏浄真寺(世田谷区)にもいく。年末のクリスマスには教会に行き、年が明けると神社、お寺と続くのは我ながら節操がなく思えるが、お願い事は健康だけ。全てはお礼参りと心している。実のところ身体のことを”神頼み”するだけで上手くいくのであれば苦労しない。身体が順調であるか否かは自己責任と承知しよう。さて、今年はどんな年になるだろう・・。
 
2019-01-01明治神宮南神門  右は御苑内の南池
 
目黒不動尊     右は九品仏浄真寺


1月2日(水) <穏やかな快晴が・・・>
穏やかな快晴が昨日の元旦から続く。余りに良いお天気なので今日も近所の神社巡りをしてしまった。どこの神社も初詣の人たちで長蛇の列。とてもお参りをすることができないので、列に加わらずに遠くから手を合わせて写真を撮るだけ。まさに巡っただけであるが、八雲氷川神社(目黒区八雲)、金蔵院(同左)、奥沢神社(世田谷区奥沢)、自由が丘熊野神社(目黒区自由が丘)を全て歩いて訪れた。これらの神社はみな江戸時代より前からの来歴があり、この辺りで古きを残す貴重な遺産である。氷川神社のある都立大学駅近辺から熊野神社のある自由が丘駅近辺までの広い地域が江戸時代には「衾村(ふすまむら)」であったことが神社にある説明板でも分かる。今は有名になった自由が丘の駅名・地名は昭和初期に電車が施設される時に地元の地名・衾町から衾(ふすま)駅と内定していたものをいわゆる文化人の要望に応じて「自由が丘」が採用された経緯はよく知られている(今も銀行の支店名などで碑衾支店=碑文谷と衾の合体=が残る)。随分沢山歩いたつもりであったが、「衾村」のほんの一角を歩いたに過ぎなかった・・。
 
2019-01-02 八雲氷川神社  右は奥沢神社
 
自由が丘熊野神社 右は熊野神社の脇飾り
1月3日(木) <正月も3日・・・>
正月も3日となり、お餅とお節から代わってパンとスープがでるとホッとする。それでも一方でこの時期にはやはりもっとお餅を食べたくなるから勝手なものだ。この正月は家での陶芸仕事が大成果を挙げているのだが、まだこのホームページに掲載できないのが残念でもある。昨年末12月25日のコラム(=ここ)でも書いたように陶芸教室で完成した「噴水」の仕上がりが不本意で如何に再仕上げをするかが課題だった。家に持ちかえった後、色々と検討した結果、オーブン焼き付けでの色づけが成功。更に小型ポンプの取付やら噴水装置まで完成させて、今日は水を入れて噴水のテストまで行った。まだ細かい仕上げが残っているが目処がついた。成果があると身体も軽くなるもので、今日もまた散歩の時間に神社とお寺を巡ってきた。昨日行った方向と逆に、等々力方面。玉川神社(世田谷区等々力)〜満願寺(同左)〜等々力不動尊(同左)というコース。正月の三日間でこれほど神社仏閣巡りを続けたのは初めてかも知れない。もし四国近辺にでも住んでいたら四国八十八カ所巡礼の旅を間違いなく喜んでやっただろう・・。
 
 
等々力不動尊にて(右も)
1月4日(金) <表紙にMieuへの絵手紙・・・>
表紙にMieuへの絵手紙「賀正」(ペンと水彩)を掲載した。NYに住む孫娘Mieuは昨年末、名門の大学への合格が決まったので、何かお祝いの絵を描きたかったが、アイデイアが浮かばず、ありきたりの日本の正月飾りとなった。今日の昼、作業の合間に描いたものだ。Mieuは今年の秋から多分ボストンに住んで大学に通うことになるだろうが、絵手紙はこれからも続けたい。今回の絵手紙はMieu宛としては257枚目。初めは娘への絵手紙からスタートして孫娘が生まれて成長してからは孫娘宛てに代わった。一昔前までは「娘への絵手紙」を何百枚も描いた人など沢山いた。今やメールやLINEでいとも簡単に”便り”ができる時代であるからこそ、「孫への絵手紙」を続けるのも面白いだろう。・・駒沢公園の広場で多勢の親子連れが凧揚げをしていた。どの凧も非常に安定してよく飛んでいる。凧を見ながらハッと気がついたのは、20~30人の凧を見ると、全て自作の凧はなくて買ってきた出来合の凧。私たちは自分で凧ヒゴを作るところから始まって凧の形状も試行錯誤をしながら飛ばしたものだ。その代わり上手く飛んだ時の感激は大きかった。時代とともに遊びもどんどん変化する。そんな中で子供たちには自分で本当に楽しい”遊び方”を見つけて欲しい・・。

1月5日(土) <今年初めての陶芸教室・・・>
今年初めての陶芸教室にいく。粘土を練り、新たに創り始めたのは「宥座の器」。孔子が中庸を説いた器と同じ名前だが伝えられる形状とは異なるオリジナルを狙っている。まあ、制作前に能書きは不要だから完成した後に写真と説明を掲載しよう。陶芸教室では他の人の制作中の作品を見ることが出来るから刺激になる。隣で作業をしている男性をみると見たことのない細かい文様を描いていた。何か聞くと、中国・雲南省に住む少数民族のに伝わる「トンパ文字」という。この象形文字は、古代エジプトで使われていたヒエログラフなど一時期のみ使用されて後世には読み手もいなかった文字とは異なり、少数民族の中でも「トンパ」と呼ばれる司祭によって現在でも受け継がれている文字で世界記録遺産にもなっているとか。面白いのは色によっても意味が変わる極めて珍しい文字であり、陶芸でも細かな色分けをして描いていた。このように教室では自分とは全く違った分野の人とも出会える。教室であっという間の三時間。充実感を感じながら急ぎ足で歩いて家に帰った・・。
1月6日(日) <昨夜の就寝前に行ったWii・・・>
昨夜の就寝前に行ったWii(任天堂のゲーム機)によるバランス年齢計測(台の上に乗り、BMI=体重相当=の計測と同時に二種類のテストを行う)で始めてから2900日目との表示が出た。何年も前に購入したWiiで今はゲームはやらないが、体重計測の時にバランス年齢計測だけは毎日続けている。初めに個人のデータを登録してあるので毎回、その日が何日目で実年齢と比べてどうのといったコメントが表示される。ちなみに、昨日のバランス年齢は24歳とでた。元旦は58歳、2日は20歳、3日は28歳、4日は26歳とこんな調子。元旦は少々成績が悪かったが、この週は全般に出来が良すぎる。実年齢より50歳以上若いと言われても実感は伴わない。長年この計測を続けているので慣れにより当然次に何を要求されるか予測できるところが大きい。それでも自分で非常に参考となるのが習熟ではカバーできない項目があるところ。判断力テストとか記憶力テスト、左右のバランステストなどは大抵いい成績がとれるが、静止にかかわるテストが苦手だ。身体の重心を一定時間一点に保持するテストや中心に重心を保った後に指示された位置に重心移動するテストなどが成績が悪い。丹田の鍛え方が出来ていないのではなどと思いながら自己観察すると食後直ぐの満腹の時にWiiに乗って計測すると大抵成績が悪い。そういえば、この一週間は夕食後一時間以上経てから計測したか・・。
1月7日(月) <今日の表紙には陶芸作品「噴水」を掲載・・・>
今日の表紙には陶芸作品「噴水」を掲載した。以前、何度かコラムにも書いた曰く付きの作品だ。陶芸教室で焼成が完成した時点で釉薬の色の仕上がり具合が想定していたものと大きく違っていたので、その後、如何に再仕上げするか悩んだもの。結論としては、修正用の色を塗布した後、家のオーブンレンジで定着させた。本来の釉薬の焼成温度は約1250℃、上絵の具といって、焼成後に色だけ付ける場合は約750~800℃で焼く。これらに使う釉薬とは別に今はオーブンで出来上がった陶器やガラスに絵を描ける塗料が開発されている。これを使用するとオーブンに入れて230~200℃の温度で20~30分加熱すると色を定着させることができる。我家のオーブンに今回の噴水をギリギリ入れることが出来たのでこの手法に踏み切った。オーブン用の塗料はネットで注文すると翌日には配達されるので便利だった。結果は自分ではまずまずに仕上がった。下にサイドの模様も一部掲載するが、もっと詳細に説明したいのを今は我慢(先端部にインベーダーの模様もあり)。この年末〜正月休みに噴水用のミニポンプや鹿威しなども取り付けて噴水の機能も成功した。いずれ、水が流れる様子を動画で紹介したい。
  
1月8日(火) <知人からいただいた賀状・・・>
知人からいただいた賀状に「・・役に立たない器は無駄なものの境地で断捨離に励んでいます」というのがあった。一昔前に”断捨離”がはやり、今も亡くなった後に余計なものを残さない身辺整理を”断捨離”と称して実行する年輩者は多い。初めに断捨離の言葉を使った人はヨーガの断行・捨行・離行の行法を応用して物への執着から離れることを提唱したといわれる。それはそれで良いことであるとは思うが、”役に立たないもの”、“無駄なもの”が引っかかる。私は本質的に役に立たないものはない、無駄なものはないと考える。役に立たないと思われていたものが後日想像以上に活用されたりするし、世の中に無駄は一切ない。無駄に歩いているのが筋トレになっていたという類のこともあれば、無駄と言われた中から多くの大発見がなされたりする。考えようによっては文化面の作業など全て無駄と片付けられるがそうはいかない。大袈裟にいえば、人類の文化・文明の進化は多くの無駄を経てこそ達成されてきたといってもよい。人についても同じこと。役に立たない人、無駄な人は決していないと心すべきだろう・・。
今日の表紙に噴水の別アングルの写真を掲載した。よく見ると噴水が流れている、鹿威しも動いている・・。

1月9日(水) <最近はテニスをする時に”ゆるめる力”・・・>
最近はテニスをする時に”ゆるめる力”を意識する。以前は、”無理しない”ことを言い聞かせた時期もあるが、今は”ゆるめる”に進化させた。「ゆるめる力」は松村卓氏の著書「ゆるめる力・骨ストレッチ」に影響された。「力を入れることより、力を抜くこと。身体を固めることより、ゆるめること」をモットーに厳しい筋トレと違う骨の使い方を追求するやり方だ。別の本を読んでいて、このような「力を抜く」身体技法については日本古来からの「能」の動きで実践されてきたものであることを知った。能を大成させた世阿弥は「捨力」を教えている。能は正に重心がしっかりとした安定した動きの中に力強さも自在。現代風に解釈すれば、表層の筋肉はゆるめながら、深層筋(大腰筋)を確実に使う動作であるという。このような能の技法は日本の武道にも引き継がれた。宮本武蔵も「力を抜く」ことの重要性を説き「柔よく剛を制す」が武道の極意とされたりする。一流のプロスポーツ選手が能の技法に注目してレベルアップするのが何とも面白い。ちなみに能楽師は深層筋を鍛えながら90歳を越えてなお活躍する人が多いという。

2019-01-09新国立競技場建設状況(テニスの待ち時間に撮影)
1月10日(木) <表紙に先日来紹介している陶芸作品・・・>
表紙に先日来紹介している陶芸作品「噴水」のサイド文様の一部をアップして掲載した。この文様を含めて今回の噴水全般はかなり”どぎつい”模様をつけた。白状すると、これは昨年9月のスペイン旅行の影響がある。バルセロナのガウデイーの建築(サグラダ・ファミリア)はその個性的で思い切りのよいデザイン・文様で有名であるが、もちろんそれはガウデイーに限ったことではない。スペイン南部で生まれたパブロ・ピカソはバルセロナの美術学校で学んだ。あのサルバドール・ダリはやはりスペイン・カタルーニャ地方(州都がバルセロナ)で生まれている。また、私の大好きな画家、ジョアン・ミロもまたバルセロナ生まれ。こうしてみると古典的な写実主義と真反対の自由奔放な世界的な画家はそろってスペイン(&南部)生まれだ。明るい太陽の下での自然がこのような元気な形態を生むのか理由は分からない。もちろん、スペインといってもイスラム文化の色濃い遺産もあるし、一様ではない。けれども、スペイン・バルセロナの歴史文化に触れると形式にとらわれない自由な表現に圧倒され、大いに触発されたのは確かだ。

1月11日(金) <「自律神経」のことを調べた・・・>
「自律神経」のことを調べたが、知っているようで知らないことばかり、調べても更に分からなくなったり・・。先ず、人間の神経には脳や脊髄にある中枢神経と身体全体に広がる末梢神経がある。末梢神経は自らの意図でコントロールできる体性神経(手足の痛みや運動神経など)と自分で自由にコントロールはできないが巧みに体調をコントロールしてくれる自律神経(胃腸など内臓器官の調整)に分けられる。自律神経の中枢は脳でコントロールされるが、末端のセンサーに当たる自律神経は心臓、肺、胃腸、肝臓、膀胱、唾液腺、汗腺、血管など多岐にわたる。更に複雑なのが自律神経が交感神経と副交感神経という二つの伝達経路があり身体の状況に応じて微調整をするところ。アクセルとブレーキの役目を交代して働かせるとの表現もあるように、外敵と対応したり、ストレス状態で働く時には交感神経全開、家に帰ってリラックスする時には副交感神経で補うという二面性を持つ。交感神経の伝達物質アドレナリンがでる一方では身体に異常を来すので、リラックス、休養、睡眠も必要となる。”コントロールできない”自律神経であるが人間の感情や生活習慣を大きく反映させるので間接的に自律神経をコントロールすることになるのかも知れない。人間の身体は不思議極まりない・・。
1月12日(土) <文字を書く機会が本当に少なくなった・・・>
文字を書く機会が本当に少なくなった。日記帳兼用の手帳にはボールペンで毎日の記録を書くが、”起床”とか”昼食”とか書く文字は大体決まっている。このコラムやメールは文字を自由に変換してくれるので苦労しない。ただし、同音異義でとんでもない変換をされることがあるので注意しなければならない。今日、「書けそうで書けない間違いやすい漢字」(漢字ドリル)という本を取り出して問題をやってみると余りにできないので愕然とした。”書けそうな漢字”が軒並み直ぐにでてこない。恥を忍んで例を挙げると、「ちつじょ」、「とまどう」、「つぶやく」、「あずき」、「ばくち」などなど。二行前に書いた「愕然」の漢字なども自然と変換されたけれども紙に鉛筆で書けたかどうか・・。漢字を見ると何故書けないのという文字ばかりで、考えて漢字を書く、思い出しながら書くという頭の働きが欠落してしまっているように見える。それでは、どうするべきか。筋肉と同じで使わなければ衰えるとすると、ドリルでのトレーニングも良いけれども、毎日の生活習慣にうまく取り込むことができないか。文字を書く習慣を楽しめれば一番だが・・。
(かな文字部の漢字=秩序、戸惑う、呟く、小豆、博打)
1月13日(日) <表紙に「今日の作品」として「Mieuへの絵手紙・カステラ巻」・・・>
表紙に「今日の作品」として「Mieuへの絵手紙・カステラ巻」(ペンと水彩)を掲載した。正月の年賀に文明堂の菓撰詰め合わせをいただいたので、この中から「カステラ巻」を二つ描いた。右側は”抹茶”のカステラ巻。カステラは子どもの頃からお馴染みのお菓子だが、今はこんな風に”巻いた”カステラもあるのだと初めて知った。ニューヨークに住む孫娘Mieuへの絵手紙にあえて描いたのはカステラがいかにも日本的な和菓子に見えるからである。けれども、「カステラ」の名はイベリア半島の「カスティーリャ地方のパン」を意味する"pão de Castela"が語源とされる。カステラの原型菓子は16世紀、室町時代にポルトガルの宣教師によって長崎や平戸に伝えられた説が有力であるようだ。そして、この南蛮菓子はその後日本で独自に発展して今のカステラになった。現在のポルトガルにはカステラの名の菓子はなく、また日本のカステラに相当する菓子もないという。それにしても、昔からの”和菓子”カステラは更に「カステラ巻」に今も進化している。抹茶の選択も出来る。またカステラ巻は一個ずつが袋に入っているのでカステラのように包丁で切る必要もないので便利。常に改善・改良を続ける人たちをもっと応援したい・・。

1月14日(月) <「知らぬが仏」・・・>
「知らぬが仏」というけれど、世の中便利になる一方で知らぬ間に個人情報が流失しているようだ。iPhone(スマホ)のカメラは手軽で本当に便利なので愛用する。最近は写真を撮ってパソコンに取り込むと日時は元より撮影した場所まで自動的に記録しておいてくれるので感心していた。GPSによる位置情報サービスは素晴らしい機能だ。ところが、こうした写真画像をインターネットに掲載すると無料ソフトを使って誰でもがその写真に組み込まれたデータを読み取ることができることは知らなかった! 自分の画像のデータを見てみると、画像の大きさから、撮影日時、撮影した機器(IPhone6sなど)、露出時間や絞りなど撮影条件、撮影地の緯度・経度、撮影方向(東西南北)などなど、みなオープンとなる。GPS情報がある場合は緯度経度を地図上にプロットまでしてくれる。追っかけやストーカーを受ける立場の人は、うかうか写真も掲載できないことになる。もちろん、撮影の時点でカメラの位置情報をOFFにしておけばいいが、一般的には位置情報は非常に便利なので気にしない。ケイタイを持ち歩く時には第三者が追跡できていることは周知であるが、掲載した写真からも詳細の情報が流出するのだ。もっとも、私などは撮影場所が知られたところで何も問題はないので、お墓参りにいった今日の写真はいつも通りに掲載しよう。
 
2019-01-14九品仏浄真寺境内(東京・世田谷区)
1月15日(火) <自動車運転免許の更新のため「認知機能検査」・・・>
自動車運転免許の更新のため「認知機能検査」を受けた。結果は問題なかったというものの、16種類のイラストの名前を記憶する設問の出来が自分では不本意。”野菜”とか”乗り物”がどうしても思い出せなくて悔しかったけれども、どうしようもない。元々、この種の記憶が苦手かなぁ・・。検査を受けた自動車教習場から歩いて数分の場所にある恵比寿ガーデンプレイスに久しぶりに行ってみた。小雨の中を歩き、タワー29階の展望台で東京の360°風景を見ていると、雨が止みあっという天気が変わる。雲が見る間に移動し、太陽が覗き始める瞬間に東京中を見下ろすという贅沢を味わった。初めは全く見えなかった北西部の山々や川崎方面のビル群などが霞の中から見え始め、やはり何も見えなかった南方面の東京タワーが顔をだすのは圧巻のドラマだった。
 
2019-01-15恵比寿ガーデンプレイスタワー29階より
 
1月16日(水) <新年恒例の歌会始・・・>
新年恒例の歌会始の日。天皇皇后両陛下にとっては今年が最後のお歌披露となるという。お題は「光」で、私には皇后陛下の次の歌が印象強かった。「今しばし生きなむと思ふ寂光に園(その)の薔薇(さうび)のみな美しく」(皇后陛下)。御所の庭でバラを育てながら、残された日々を大切に生きていこうという心情が心地よい。バラを「さうび」と呼ぶのは、唐から渡来したバラの仲間を「薔薇」を音読して「さうび」、「しゃうび」と呼んで、日本に以前からあった「薔薇」の原生種と区別したことに始まるという。俳句では薔薇(バラ)は夏の季語であるが、冬薔薇(ふゆさうび)とすると冬の季語になる。「冬薔薇一輪風に揉まれをり 」(高浜虚子)。短歌の例:「羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな」(橘曙覧)。「ああ四月 西の国にはさうび(薔薇)さく 日本の国にさくらにほふ日」(堀口大學)。皇后陛下の歌は「さうび」の世界を学ばせてくれた・・。
今日は東銀座のレストランで兄弟姉妹の食事会。その後、歌舞伎座周辺を見学した(下の写真)。
 
2019-01-16歌舞伎座前にて
1月17日(木) <全豪オープンテニス・・・>
全豪オープンテニスの男子シングルス2回戦、錦織圭とカロビッチの対戦をテレビで見た。オーストラリア・メルボルン(夏時間)と日本の時差はわずか2時間での生中継。錦織の相手のカロビッチ(クロアチア)は実に身長211cm、体重104kgという巨体。この男、歴代サービスエース数歴代一位(エース数13000本以上)という記録を持つ世界のサーブ王だ。試合の結果は、6-3,7-6,5-7,5-7,7-6というフルセットの大激闘の末に錦織が勝利した。この日のカロビッチはサーブも好調で今日の試合だけで59個のサービスエースを決めた(試合後、錦織は”僕が一年で打つ数”と言って笑わせた)。それにもかかわらず錦織が勝利したのは”凄い!”としか言いようがない。身長2mを越す大男が全力で繰り出すサーブが少しでも甘く入れば逆襲した。LIVEの放送を見ていて試合はどちらが勝つか全く予想がつかなかった。一球の微妙な、イン、アウトが勝敗を決める。こうなると勝敗は「運命」としか言いようがない。それにしても、生中継のテレビを見ているだけで疲労困憊。結果がよくて本当によかった。錦織さん、よくやった! ありがとう・・。
1月18日(金) <三浦雄一郎さん(86歳)が今日・・・>
三浦雄一郎さん(86歳)が今日、南米最高峰の「アコンカグア」に登頂を開始した。アコンカグアは標高6960m。NHKテレビによれば、先週から約4200mのベースキャンプで空気の薄い環境に身体を慣らすトレーニングを行ってきており、18日にヘリコプターで標高5580m付近まで移動し、登山を始めたという。順調にいっても山頂に到達するのは5日後、22日の予定とか。 三浦雄一郎さんといえば、若い時のプロスキーヤーとしての活躍以上に高齢になってからの行動力が凄まじい。2003年・世界最高峰のエベレスト(標高8848m)に世界最高齢 (当時)70歳7ヶ月で登頂、更に、75歳でエベレストに再登頂、そして、2013年・80歳で3度目のエベレスト登頂に成功した。私が三浦雄一郎さんで注目するのは、50代半ばまででやりたいことを全てやりきり、60歳前に目標を失ったとたんに一挙に身体が衰えたという話だ。身長164cmに対して体重は85kg超となり、北海道の低い山さえ登ることができなかったというエピソードがある。そこで、70歳でエベレスト登頂という新たな目標を立てて地道なトレーニングを積み重ねて前述の記録を樹立、今もなお挑戦をし続けている。人間は目標がなくなるとあっという間に身体も頭脳も衰える。三浦雄一郎さんはどんなに高齢になっても自分の「目標」とか生きがいを見つけて毎日努力すべきことを教えてくれる。さて、86歳でのアコンカグア登頂は成功するだろうか・・。
1月19日(土) <午前中、陶芸教室で粘土をいじった後・・・>
午前中、陶芸教室で粘土をいじった後、予約していた自由が丘のフランス料理のレストランに直行した。ジーパンと運動靴が許される程度の気楽なフランス料理店であったが、とても美味しくいただいた。そう、今日は私の誕生日。大学の同窓生で”喜寿記念”の文集を作ったのが一昨年だから、誕生日といっても特別な区切りではない。ただ、以前は別世界であった「傘寿」なんていう年齢が、近づいてきた感覚は避け難い。こちらとしては昨日コラムに書いた86歳にして今現在南米最高峰の山・アコンカグアで登頂を続けている三浦雄一郎さんを思い、若造の自分を甘やかす訳にはいかない。久しぶりに妻と二人だけの外食を楽しんだ後、自由が丘・熊野神社にお参り。更に、住宅街を抜けて家まで歩いて帰った。途中、バラの花が見事に咲いていたので写真を撮った(下)。ピンクのバラの花言葉は「感謝」、「幸福」。白いバラの花言葉は「純潔」、「尊敬」。バラの花を妻に贈るべきであったか・・。
 
2019-01-19 熊野神社にて
1月20日(日) <昼前に渋谷の東急ハンズ・・・>
昼前に渋谷の東急ハンズに行った。家から東急バスで渋谷駅前までいくと時間はかかるがシルバーパスなので交通費はなし。渋谷ではハチ公前からスクランブル交差点を渡り、渋谷センター街を通る。毎度気になるのがセンター街の電柱にいまだに「バスケットボールストリート」(通称バスケ通り)の名称が残っていること。2011年に渋谷センター街のメイン通りの名称を「バスケットボールストリート」に変更して地元が通りのイメージを一新するはずだった。ところが、何年経っても「バスケ通り」は全く一般に浸透しない。私なども何がバスケ?と、バスケットボールに違和感を覚える。また昼間しか通らないせいかも知れないが、センター街に悪いイメージはない。最近はスクランブル交差点と同じくセンター街でも通行人には外国人が多く、異国情緒さえ漂う。いっそのこと、「バスケ」の名版を外して新たに「センター街」でイメージアップを計ればどうだろう。渋谷駅周辺はいま大規模な再開発の真っ最中。「バスケ通り」をネーミングの失敗例として認めたうえで、新しい施設には、雰囲気とマッチする魅力的な名前を付けて欲しい・・。
<明日から名古屋〜三重方面に旅行の予定。パソコンは持参しよう>
1月21日(月) <いま、三重県の湯の山温泉の宿・・・>
いま、三重県の湯の山温泉の宿にいる。義姉夫妻と私たち夫婦4人での気軽な旅行。東京から名古屋までは新幹線。名古屋では熱田神宮に行った。今日は月曜日なので休館の個所も多く名古屋城などの観光は明後日にまわして、今日は名古屋駅から南に下り常滑まで行った。常滑はご存知の焼物の郷。招き猫に歓迎されて初めての「やきものの散歩道」を楽しんだ。その後、電車で名古屋まで戻り、更に四日市を経由して宿泊地の湯ノ山温泉まで来た。湯ノ山温泉は開湯1300年行事を開催するほど古い温泉地であるが私たちはみな初めての訪問だ。さて、明日はどうしようと今から予定を考える・・。
 
2019-01-21 熱田神宮  右は常滑の登り窯跡
1月22日(火) <今日は三重県桑名市の「なばなの里」・・・>
今日は三重県桑名市の「なばなの里」に行った。ここは、”日本最大級の花のテーマパーク”、そして、冬期には独特の”イルミネーション”で知られる(例=ここ=)。今日は夜のイルミネーションは残念ながら見られないので、昼に「なばなの里」を訪れたのだが、期待以上に素晴らしい場所だった。中でもベゴニアガーデンに驚嘆した。ベゴニアガーデンはこれまで色々なところに行ったことはあるが、これまでの最高だった。規模の大きさや花の種類の多さだけでなく丁寧な維持管理が見て取れる。「なばなの里」全体に”やる気”がみなぎっていて気持ちがよかった。その後は、桑名城址などの観光。今日もまた昨日と同じ、湯ノ山温泉に宿泊する。
 
2019-01-22 なばなの里にて
 
左は、なばなの里    右は、桑名城址(堀の跡)
1月23日(水) <いま、名古屋から東京へむかう新幹線・・・>
いま、名古屋から東京へむかう新幹線の中でノートパソコンのキーを叩いている。今日は朝、宿泊した湯ノ山温泉の宿(三重県)をでて、四日市を経由して名古屋に行った。名古屋駅のコインロッカーに荷物を預けて、名古屋観光の一日。「メーグル」という名称のついた名古屋を巡回して観光するバスの切符を買い、「ノリタケの森」、「名古屋城」、「徳川美術館」などを”巡る(メーグル)”。「ノリタケの森」は今や世界中で愛されている洋食器・ノリタケブランドの100年の歴史や優れた陶磁器製造の技術を見ることができて興味津々。名古屋城は、10年近くの歳月をかけた復元工事の末、昨年公開された本丸御殿が見所。徳川美術館も含めて全て初めての訪問で、いずれも機会があればもっと時間をとってゆっくりと鑑賞したいものばかりだった。旅行をすると毎回、これまでの自分の目にしたものが何と限られた範囲であることかと知らない世界の広さを思う・・。

2019-01-23湯ノ山温泉の宿から見た日の出(四日市の工場地帯から日が昇る) 右はノリタケの森の展示
  
名古屋城天守閣&本丸御殿の襖絵
1月24日(木) <久しぶりに秋葉原の電気街・・・>
久しぶりに秋葉原の電気街に行った。昔は電気部品を買うためによく秋葉原に通ったものだ。電気配線や抵抗など秋葉原でしか買えないものも多く、電気街は見て回るだけでも楽しいところだった。その後、完成品を売るヨドバシカメラなど大手店舗の進出が相次ぎ、メイド喫茶など電気と無関係の分野でも有名になるなど、街としては大発展した。けれども、今日訪れたところでも電気街の衰退は免れないと見える。ユニークな電気部品を扱う小さな店舗が並んでいたのが、閉まっているいる店も多く活気が感じられない。モノづくりの原点に部品が必要であるのに・・。私は目的とした部品を購入はしたものの、他の店よりも倍近く高い値段で購入させたれたと被害者意識を持って秋葉原を後にする始末。ネダンはともかくモノは悪くないのだからと言い聞かせてベストの使い道を考えるよう自分に言い聞かせている。それにしても秋葉原の”電気街”をもっと魅力的に、そして元気にする知恵はないものか・・。
1月25日(金) <全豪オープンテニス・・・>
全豪オープンテニスがテニス場でも話題となる。錦織圭は準々決勝でジョコビッチに敗れたが(途中棄権)、大坂なおみは決勝戦に進み、明日の夕方(日本とメルボルンの時差は2時間)チェコのペトラ・クビトバ選手と戦う。ちなみに、大坂の身長180cmに対して、クビドバの身長は183cm。昨日の準決勝で大坂が勝利した相手・プリスコバ(やはり、チェコ国籍)の身長は186cm。いまや、女子もずば抜けた体力がなければ世界で戦うことができない。真夏のオーストラリア・メルボルンでの試合を思いながら、我々は早朝から寒風の中を走り回って素人テニスを楽しむ。強力なショットが少なくなった代わりに凡ミスがなくなりラリーが長々と続くのが今のテニススタイルとなった。それにしても、私とほとんど同年代の仲間がみな実によく足が動く。テニスをすると毎回自分も更に体力強化を図らなければついていけないと鼓舞される・・。
1月26日(土) <大坂なおみが全豪オープンテニスで優勝・・・>
大坂なおみが全豪オープンテニスで優勝した。今日の夕方、メルボルンの会場での決勝戦が生中継され、LIVE-TVを初めから最後まで見続けていた。今は試合が終わり、表彰式が行われている。日本国籍の大坂なおみが全米に続き全豪を制覇し、世界の女子テニスのランキングでも一位になるという歴史的な瞬間を見た興奮は納まらない。それにしても、大坂なおみは決勝戦の相手のベテラン・クブドバ(チェコ)に一歩も引けを取らない素晴らしい出来だった。21歳の女子が大観衆の前で平常心で戦うことだけでも容易ではない。それが、技術面だけでなくメンタル面でも崩れることなく安定感があった。テニスは柔道やボクシングのように重量別の競技ではないので、体力のない日本人には世界のトップ選手になるには大きなハンディがあると思われていたが、日本人も多様化して世界は変わりつつある。大坂なおみをこれからも応援しよう、そして男子も錦織圭に続く人材を待とう・・。
1月27日(日) <昨日、陶芸教室で思わぬショック・・・>
昨日、陶芸教室で思わぬショックを受けた。昨日は全豪オープンテニスの話題でコラムには書けなかったので、ここで書いてみよう。単純なことであるが、教室に行くと制作途中の粘土作品のほか、素焼きが完了した作品がもう一つあった。ところが、この素焼き作品が全く頭の中になかったことに愕然としたのである。実物を見て、立方体の形状をした特殊な花器を制作したことは思い出したが、素焼きに出したことすら忘れてしまったのか、次に釉薬をかける工程など考えもしていなかった。認知症とはこんなものかと思うほどに見事な忘れ方。お粗末ながら、これほどまでに無視された「立方体花器」が可哀想になった。何故にこのようなことになったのか自分の心理分析をすると思い当たることはある。私の場合、通常粘土をこねて形状を創る際に、はじめに設計図を描いてアアでもない、コウでもないと検討をする。けれども、「立方体花器」の場合、設計図なしで、その場の成り行きにしたがって適当に制作を進めた。いわば、計画なしに瞬間に完成させた作品なので印象が薄らいだのかも知れない。昨日は粘土作品の削りだけを行い、素焼き作品に釉薬をかけるのは次回とした。”可哀想な”立方体花器には思う存分気合いを入れて良い仕上げとしてやりたい・・。
1月28日(月) <午前中はテニス、午後は陶芸・・・>
午前中はテニス、午後は陶芸、と趣味の仲間との楽しいお付き合いの一日。といっても午後は陶芸をした訳ではなく、銀座で開催されている元仲間の陶芸展を見に行ったのである。しかも”趣味”の仲間ではなく相手は陶芸のプロ。20年近く前に陶芸を始めた時に一緒にスタートした彼女は娘より年下のお嬢さんであったが、その後教室のアシスタントとなり、各種の作陶展で入賞を果たし、焼物の里・常滑市で作家としての修業もして今はユニークな作品で注目される陶芸作家として活躍している。陶芸展が開催されている銀座のギャラリーで働くスタッフも以前の陶芸仲間の女性。このような陶芸のつながりが生活を豊かにしてくれている。テニスも同じで、ある時間を一緒に過すことができる仲間の皆が実に有難く思えるようになった・・。
1月29日(火) <ようやくに自動車運転免許証の更新・・・>
ようやくに自動車運転免許証の更新が終わった。今日、夕方に世田谷警察署に行って、更新の手続きをすると、想定外に早く、数分で新しい免許証を受領することができた。今日の午後、目黒の自動車教習場で更新のための講習会を受けて、終了証書を持参して、即、警察署に行ったのであるが、それにしても警察署では費用を納入した後、写真を撮影、新規発行までほとんど待たされることがなかった。冒頭に”ようやく”と書いたのは、それ以前の手続き。まず半年前に更新の通知をもらい、直に後期高齢者に適応される認知機能検査と高齢者講習の受講を申し込むのだが、試験場が空いていない。”ようやく”目黒の教習場にキャンセル空きを見つけて、認知機能検査を受けたのがこの1月15日。その後の講習会が今日となった。講習会の後、車を運転する実技確認もあったが、車庫入れが我ながら恥ずかしくなるほど下手だった。実技で合否を決める訳ではないので問題はなかったが、普段、いかに狭い車庫に入れることをやっていないかが露呈したのか。・・自動車の運転に限らないが、高齢者は自信を持ち過ぎないことが必要といつも思う。運動で肘を痛めたり膝を壊したりするのは私の場合ほとんどが体調が非常に良いとき時と決まっている。慎重にやっていれば問題ないことを”調子に乗る”と怖い。自動車は走る凶器であることを忘れないでおこう。
1月30日(水) <「碑衾村」という地元の日本酒(焼酎)・・・>
「碑衾村」という地元の日本酒(焼酎)をこのところ愛飲している。「碑衾」は「ひぶすま」と読む。”地元”とは東京・目黒区。東横線の都立大学駅近辺でこのお酒を売っている。東京の真ん中で地元の名前がついた焼酎が飲めるのはうれしい。「碑」は碑文谷の碑。碑文谷は江戸時代以前からの地名で今の碑文谷八幡宮境内には室町時代のものとされる「碑文谷石」がある。一方、江戸時代には碑文谷の隣に「衾(ふすま)村」があった。今の自由が丘の名がつく一帯は昔は全て「衾村」で、自由が丘の駅名がはじめ「衾町」に予定されていた話は知られている。碑文谷村と衾村が合併して碑衾村〜さらに碑衾町となったが、その後目黒区の誕生でこの町名はなくなった。それでも今も銀行の「碑衾支店」とか、中華料理店「Hibusuma」なんていう名が都立大学駅の近辺にある。やはり、日本酒を飲むなら、「自由」よりも「碑衾」の名の方が格段に味がある・・。
1月31日(木) <間違いなく”支払済”・・・>
間違いなく”支払済”であるが、見積書も請求書も見当たらず、内訳が全く分からないので、コピーを再度入手しようと発行元に電話したところ「メール」でやり取りしたことが分かった。資料を一括して保存しているところをいくら探しても見当たらないのは当然だった。今やデジタルの資料だけしかないことも多いことを改めて認識させられるお粗末な一件。このホームページのデーターも、もちろんデジタルデータだけだ。以前、10年間分のコラムを印刷してファイルにしてみたこともあったが、これをどう使うというものでもない。今はパソコンで繋がるプロバイダーとの関係が崩れると全てはゼロとなる。パソコンの中のデーターも第三者が閲覧できるものではない。後世の人が昔の人の日記を蔵から発掘して研究材料にするといったやり方はデジタル化されたデータからは不可能になる。それにしても、メールデーターをエビデンスにするために紙に印刷するのも馬鹿げている。昨年はMacを使ってのe-Taxが上手く出来ずに、印刷して提出とした。今年はe-Taxが出来るだろうか。こんな時節となった・・。


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