「今日のコラム」(2019年 2月分)

2月1日(金) <睦月(むつき)から如月(きさらぎ)へ・・・>
睦月(むつき)から如月(きさらぎ)へ。月が変わっても何も特別なことはなさそうだが、朝6時25分から始まるNHKテレビ体操の冒頭の時間に放映される動画(アニメ)が毎月1日に新しくなる。今日も新動画を見た後、テレビ体操をした。このところ毎日の起床時間は5時30分〜45分。目覚まし時計なしで確実にこの時間に起きる。起床してコーヒーを一杯飲んだ後、テレビ体操の時間まではいわば自主トレ。朝食を済ませた後。7時30分には家を出てテニスへ。バスと電車〜地下鉄を乗り継ぎ、8時過ぎにテニス場に着くが荷物を置いて順番取りをして8時40分の開門を待つ。実質のプレー開始は9時からだ。昨晩は久しぶりに雨が降ったが、雪にはならなかったのでテニスに支障はない。今日は朝から雲一つない快晴となったが、冷たい北風が吹き荒れたせいか、メンバーの出席率は低く、コートは比較的空いていた。寒風の中、存分に動けることが当たり前でなく、幸運で有難いと思うようになった。・・陰暦2月は、如月のほか「梅見月」ともいう。そうだ、今年こそこの2月に梅を見に行こう・・。


2月2日(土) <午前中に陶芸教室で釉薬掛け・・・>
午前中に陶芸教室で釉薬掛けをやった。素焼きが完了した作品が三点あったが、今日はその内の二点にしか釉薬を掛けることが出来なかった。陶芸では完成した時の第一印象は釉薬による仕上がりの如何で決まる。そのことは分かっているが、造形後の最後の”色塗り”に相当する釉薬掛けで失敗することが多い。失敗でなくても大抵は”想定外”となってしまう。本来は釉薬の時こそ気合いを入れるべきであるが、それが容易ではない。さて、今日の釉薬掛けはどうであったか。今日は完璧・問題なしと言い切れないところが苦しい・・。陶芸の後、妻と待ち合わせてお墓参り。今日は息子の月命日だ。墓のある寺の境内は一年中で今が一番”色”がない時節であるが、墓地に入ると鮮やかな八重の梅の花が目についた(下の写真)。八重唐梅(やえとうばい)というのだろうか。名は確かではないが見事な梅であった。そういえば別の場所ではコブシの芽を見かけた。春が少しずつ近づいている・・。「まはり道して紅梅の空を見し」( 細見綾子)。
 
2019-02-02 九品仏浄真寺境内(東京‐世田谷区)にて  右は墓地でみた八重の梅
2月3日(日) <「ケセラセラ」という言葉・・・>
「ケセラセラ」という言葉を知っている人も少なくなった。私は1956年に公開されたヒッチコック監督の映画「知りすぎた男」の中で、ドリス・デイが歌った「ケセラセラ」(=Que Sera, Sera=Whatever Will Be, Will Be=なるようになる)を忘れることが出来ない。というより、むしろプラス思考の原点として、「ケセラセラ」を使っている。<参考までに、You Tubeでの歌紹介=ここ> 世の中には、健康、財産、死に至るまで先々のことを心配して愚痴をこぼす人の何と多いことか。歴史を見れば分かるように、古代から絶大な権力を持ち全てを思うように出来た王様が”不老長寿”の薬を求めたが叶わなかった。今も大金持ちが長生きするとは限らない。寿命に関しては医者のアドバイスを守れば必ず長生きをするという保証は何もなく、結局個々の運命で決まる。先のことを考えすぎてクヨクヨするよりも、「ケセラセラ」、なるようになる、先のことなど分からないと割り切るしかない。ただし、”なるようになる”とは自分でやるべきことをやってみた後に、天命を待つ気持ちであって、何もしないことではない。もちろん、寿命だけ伸びてもしょうがない。何をやるのだと言うのが前段階にある。何をしたいのか、そして、”ケセラセラ”・・・。
2019-02-03駒沢公園にて
2月4日(月) <今日は立春の日・・・>
今日は立春の日に合わせたような暖かい陽射し。東京では18℃を越す4月上旬の気温となった。テニスも上着を脱いでプレーしたが大汗をかいて運動量はいつもより多かった。考えてみると、今のテニス場には50年間も通っている。神宮球場の隣という都心の恵まれた立地条件にあるコートであるので、いまや東京オリンピックの開催と絡めて先行きは不透明で、会員にもテニス場存続を求めた色々な動きがある。同じ場所にある秩父宮ラグビー場がサッカー場としても使用されることが決まるとか周辺の施設も流動的だ。オリンピックの開会式にも使用される新国立競技場もかなり建設が進んできた。「諸行無常」は好きな言葉だが、自分の通うテニス場が廃止されるのを不憫と思う勝手さを自覚しながら、果たしてどうなるのだろうと野次馬的な感覚で成り行きを見守る・・。「立春と思へば軽き身のこなし」(稲畑汀子)。
2月5日(火) <今日は妻と皇居東御苑・・・>
今日は妻と皇居東御苑に行った。東京駅で食事(ランチ)をしてから東御苑内の梅林坂で梅を見ようという計画。今日の東京は昨日の暖かい陽射しから一転して曇天、気温は昨日のマイナス10℃となり肌寒かった。天候だけは思惑通りにいかない。家の側のバス停で東京駅南口行きのバスに乗り、目黒通りを延々と東方面へ進み、目黒〜白金〜慶応義塾〜東京タワー〜日比谷など普段の電車では縁のない地域を観光気分で東京駅まで(ちなみに、パスを持っているのでバス代はかからない。また妻はこの全経路を乗ったのは初めて、私は以前乗ったことがある)。大手門から皇居の東御苑に入ったが、ほとんどが外国人と見えるほど外国人が多い。ところが東京生まれの妻が何と皇居に来たのは初めてと聞いて驚いた(私でも昔、天守台などに来た覚えがある)。目的の梅林坂の梅はまだ少し早すぎる感はあったが、皇居らしい梅林を味わう。桜か新緑の時節にまた来ようと話がまとまった。
 
2019-02-05 右は皇居東御苑梅林坂にて

2月6日(水) <朝から冷たい雨・・・>
朝から冷たい雨でテニスはお休み。一昨日のテニスでは暖かな陽射しを受けて上着を脱いでプレーしたけれども、昨日と今日は外出には厚手のコートが欠かせない寒さ。明日は一転、また暖かくなるとの予報だ。まさに三寒四温。・・こんな俳句があった;「まぎれなく三寒四温始まれる(五十嵐哲也)」。三寒四温を自然現象でなく”人の世”と結びつける発想が意外な句:「三寒四温ゆゑ人の世の面白し(大橋越央子)」。寒さがあるから温かさの有難さが分かるだろうに:「三寒を貶<けな>し四温を褒<ほ>めにけり(中瀬喜陽)」。・・理想をいえば、他人の俳句を紹介するのでなく自分のを掲載したいですね〜。
2月7日(木) <表紙に「Mieuへの絵手紙・模様いろいろ」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・模様いろいろ」(ペンと水彩)を掲載した。この絵は「1000PATTERNS/古代から現代まで世界の模1000選」(デザインエクスチェンジ刊行)という本の中の模様を適当に選んで描いたもの。この本は大英博物館ファブリック・コレクション fabric foliosシリーズの一冊で”国別・時代別・体系別模様インデックス決定版!”と銘打っている立派な本だ。たまたま本棚から引き出したのだが、この本は何と15年前の私の誕生日に娘家族からプレゼントされたものだった!裏表紙に「おたんじょうび、おめでとうございます・・」というメッセージ(2004年1/19)が貼付けてあったので分かったが、娘には悪いが本の履歴をすっかり忘れていた。今日の絵手紙の宛先のMieuさんは当時3歳。15年の歳月を経た後にこの本の模様を描いてMieuさんに送る絵手紙がいつも以上に縁深く感じられる・・。

2月8日(金) <記録的な寒波が北海道に・・・>
記録的な寒波が北海道に襲来している。今日の東京は冷たい北風が強かった。そんな中でのテニスは風との勝負。風は誰に対しても均等に影響するはずだが、球を打つ瞬間の風の具合で運・不運が分かれる。勝負に拘る重要なポイントでの幸運な風は”神風”となる。少々大袈裟だが、これを機会に「元寇の神風」を書こう。鎌倉時代中期の蒙古襲来。日本が元軍を撃退できたのは「神風」と呼ばれる暴風のお陰とされた。当時のモンゴル帝国は中央アジア、中国、朝鮮半島(高麗)はもとより西ヨーロッパまで、ユーラシア大陸史上最大の領土を保有していた。モンゴル皇帝フビライ・ハン(初代皇帝チンギス・ハンの孫)は日本国王に対して幾度となく元の属国となるよう国書を送るが無視されたため、高麗らの軍勢を従えて大船団で日本(九州北部)を攻めた。第一回目の元寇は1274年。第二回目の元寇は1281年。元寇(蒙古襲来)というと”神風”で救われたとされるが実際には時の執権 北条時宗を中心とした九州の地頭・御家人たちの奮戦が大きかったようだ。例えば、1281年弘安の役で攻めて来た元の軍は総計10数万人、軍船4400艘という数値を見ると少々の暴風雨だけでは撃退できるものではない。・・何事でも神頼みなどしない奮闘の末に「神風」が吹く・・。

2月9日(土) <今朝起きて外を見ると・・・>
今朝起きて外を見るとベランダにはうっすらと雪化粧。10時頃に小雪の中を陶芸教室まで歩いて行ったが、東京は予報ほどに大雪とはならず道路には雪は積もっていなかった。それでも今夜は路面の凍結の恐れがあると警告がでている。東京ではこの程度の雪や寒さでもいつになく緊張してビビっている。テレビの天気予報で北極の寒気団がシベリア〜日本方面とアメリカ大陸の二方向に南下していると解説していた。今現在、北海道の寒気は記録的であるようだが、娘や孫娘の住むニューヨークや北米でも猛烈な寒さとなったという。一週間ほど前にはニューヨークでは気温マイナス16℃(体感温度マイナス24℃)、シカゴではマイナス27℃(体感温度マイナス37℃)となったと孫娘Mieuがブログに書いている。昨日〜今日はニューヨークではマイナス5℃程度で楽な方とか。大都会で南極並みの気温の中で生活している人が沢山いる。ほとんどニュースで取り上げられない外国の寒波の情報を知ると”凍結”程度の寒さで震えている訳にはいかない。


2月10日(日) <趣味で絵画教室に通っている知人・・・>
趣味で絵画教室に通っている知人の展覧会に行った。10数人の生徒さんが80〜100号の大きなキャンバスに自由なテーマを描いていたが、それぞれに個性が表れていて面白かった。それ以外に、各自が3〜4号の小さな画面に自画像を描いたものがあり、そちらがまた興味深かった。多くの歴史上の有名画家が自画像を残しているが、技量以前に、その人の自意識とか性格が如実に現れるのが自画像だ。今回のアマチュアの絵画展では全員に自画像を描いて提出する宿題が与えられたという。普通に鏡で見たような自画像もあれば、横向きやの顔や景色の中にさりげなく姿を入れるなど様々。中にはあえて顔を覆い、目の部分だけをくり抜いて目だけを描いたものや、顔は一切見せずに瓶を描いて自画像の代わりにしたものもあった。同じ指導者に習いながらも10人10色で決して同じにならないのが良いところだ。もし、100号のキャンバスに好きな絵を描きなさいと言われたら何を描こうか。もし、自画像を描きなさいと言われたらどんな自画像にするか。こんなことを考えると”絵画”も結構面白そうだ。80歳を過ぎたら油絵を描こうか、なんて・・。
2月11日(月) <表紙に「Mieuへの絵手紙・日本の文様」・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・日本の文様」(ペンと水彩)を掲載した。日本茶の茶筒(茶入れ缶)の図柄が面白いので気楽な気持ちでMieuへの絵手紙を描き始めたら、意外に難物であった。描くのには”難物”だったが文様は非常に良く出来ていて見れば見るほど味がある。細かく観察すると微妙な色の変化や文様のバランスなど次から次に新しい発見があった。このような素晴らしいアートが日常の生活空間の中に転がっているのに、普段は何も気付いていない。「茶筒」に限らず”灯台下暗し”は多い。そんなことを教えてくれた”今日の作品造り”であった。参考までにモデルとした「茶筒」の写真を下に掲載しておこう。
   
2月12日(火) <昨日が世話になった義兄の月命日・・・>
昨日が世話になった義兄の月命日だったので、今日は妻と谷中の寺に墓参り。その後、小石川後楽園に梅を見に行った。小石川後楽園は江戸時代の初期に水戸徳川家の上屋敷に造られた日本庭園(大名庭園)で二代藩主水戸光圀の代に完成されたことで知られる。後楽園の名は先憂後楽(天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)から命名されたと解説があるが、こちらは天下と合わせて梅見学。この日、寒かったので小石川後楽園の入り口で先ず甘酒をいただく。園内は今の時期、梅以外は色もなく、寒々としていたせいか比較的人は少なく、ゆっくりと楽しむことが出来た。
 
2019-02-12 池の風景(バックには東京ドームがみえる)
 
右は今年初めて見た福寿草
2月13日(水) <競泳の池江璃花子さんが・・・>
競泳の池江璃花子さんが昨日ツイッターで自ら白血病と診断されたことを公表し世界中で反響を呼んでいる。誰もが”まさか”、”信じられない”と耳を疑った。池江璃花子さんといえば、2016年のリオ五輪代表選考会で16歳(高校一年生)で日本競泳史上はじめて7種目での五輪出場、9種目の日本記録保持者となったり、2018年のアジア競技大会(ジャカルタ)では史上初の6個の金メダル受賞など、現在18歳ながら余人を持って代え難い実績を持つ。誰よりも今後が期待される大天才だ。・・私は「白血病」というと50年ほど前に大学で親しくしていた友人が就職して間もなく白血病で亡くなったことを思い出す。当時は不治の病で原因は不明。友人の父親が別れの時に白血病について語った言葉を今でも忘れない。それと、池江璃花子さんの年齢18歳は私の孫娘Mieuと同じなので、どうしても孫娘と並べて考えてしまう。白血病は昔と違い”治る可能性が高い病気”であるとされるのが救い。ただただ完治することを祈ろう。彼女なら競泳に限らず何をやっても人を大感動させることが出来るように思える。
2月14日(木) <今日は六本木の東京ミッドタウン・・・>
今日は六本木の東京ミッドタウンにあるサントリー美術館に行った。ちなみに、最近までは、東京ミッドタウンとは六本木にあった防衛庁の施設跡を再開発して2007年に完成した複合施設だと思っていたが、昨年(2018年)3月に日比谷(有楽町)にオープンした複合施設が「東京ミッドタウン日比谷」の名であるのには驚いた。いまや”東京ミッドタウン”といってもどこだか分からない。サントリー美術館で開催されているのは「河鍋暁斎展」(3/31まで、案内=ここ)。河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831~1889)は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・日本画家。江戸時代末期に狩野派の絵画を徹底的に学んだ絵師が38歳で明治維新を迎え、大変革の時代に如何に生きたかが興味深かった。展覧会のサブタイトルが「その手に描けぬものなし」とあるように、狩野派伝統の筆法と画技をベースにした、仏画、花鳥画、美人画、風刺画、戯画など多岐にわたる絵画は時間を忘れさせてくれる。今の時代には”有名”でない過去の優れた画家や技能者が何と多いことか・・。六本木のミッドタウンに行った帰りには、必ず隣接する檜町公園(港区立)に立寄る。ここは毛利家の大名屋敷の庭園であったところで、都心の赤坂〜六本木にこんなところがという景観に出会える(下の写真)。

2019-02-14 檜町公園(東京・赤坂)にて
2月15日(金) <気温2℃の曇り空の下・・・>
気温2℃の曇り空の下で午前中はテニス。このような時には試合をする前のウォ−ミングアップを十分にやる。経験的にも寒さの中でいきなりガンガン打つと関節を痛める。それにしても今日は更に気温が下がったのか、試合の途中で身体が固くなった。11時過ぎには粉雪が舞ってきた。小雪の中を家へ帰る。午後は買物の他いくつか外出の予定があったが止めた。その代わりに明日の陶芸教室に行くための準備。大抵の場合、陶芸の基本設計は家で行う。このところ陶芸に関しては色々と閃き(ひらめき)があり、制作が半年先になりそうなアイデイアまである。教室で粘土をこねて制作するのも楽しいが、図面を描いて、ああでもない、こうでもない、と考えている時間がまた楽しい。ただし、図面では何でも描けるが実際に制作するとなると容易でないことも多い。机上の空論が許されないところが独りで設計・制作をやる厳しさでもある。
2月16日(土) <今日の昼色は「羽根つき焼小籠包」・・・>
今日の昼色は「羽根つき焼小籠包」と「担々麺」のセットランチ。・・というと、ゆとりがありそうだが、その前の午前中3時間は陶芸教室で粘土の練り作業からスタートする新作の制作を開始。時間が足りないので午後の3時間を続けて教室の予約して昼休みに急遽食事をとったのである。この陶芸教室で3時間+3時間の制作を行ったのは初めての体験。間にランチの休憩を入れたとしても6時間の作業はさすがにくたびれた。テニスの心地よい達成感とは違って、長時間の机作業は慣れてないこともあり、後には何もやらず横になりたいという疲労だった。制作したのはLEDの帯を組み込む照明装置であるが今日の範囲では思い通り制作が順調に進んだのが取り得。くたびれて夕刻の帰宅となったが、これはやはり元気とパワーがないと取り組めないと今になって思う。エネルギーのあるうちに何にでも挑戦する。結果を恐れずに行動できるのは健康の証を思っておこう・・。
2月17日(日) <グレープフルーツが大好き・・・>
グレープフルーツが大好きなので機会があれば自分でも買う。今日、スーパーマーケットでグレープフルーツを5個買ったが、 2個を南アフリカ産、3個をイスラエル産とした。他にはなかったので適当に混ぜたのである。日本へのグレープフルーツの輸入統計をみると一位がアメリカ、二位が南アフリカ、三位がイスラエルというデータがあった。今日のスーパーに何故アメリカ産がなかったのか分からない。世界の生産量でみると、一位は中国、二位はアメリカで、南アフリカは5位、イスラエルは9位である。日本の消費者としては産地がどこであれ価格次第であろう。今日買ったグレープフルーツは南アフリカ産、イスラエル産共に同一価格で138円(一個)であった。ちなみに、グレープフルーツの”グレープ”とは実がグレープ(ブドウ)のように密集して成るなることから名付けられたという。実はブドウも大好きで、特に日本産は非常に美味しく高級だが、コスパ(cost performance)からグレープフルーツを選んでしまう・・。
2月18日(月) <気温10℃、雲一つない晴天の下でテニス・・・>
気温10℃、雲一つない晴天の下でテニスをやる快感は何事にも代え難い。一つの試合毎にラストゲーム(10回目のゲーム、つまり、5対4となった次の最終ゲーム)までもつれる熱戦相手に恵まれてまた楽しさが倍加する。こうした当たり前のように思える普段の生活は実は非常に幸運に恵まれた結果であり、”神に感謝”すべきだろうと言い聞かせて毎回テニスから帰路につく。今日は午前中のテニスに加えて、午後もよく身体を動かした。銀行、税務署、スーパーなど所用を連ねて更に神社に寄り道までした。考えてみると、これはみな天候が良かったためと見える。もし、寒々とした曇天であればこうはいかない。「日日是好日」という言葉があるが、禅僧でない身としては「好日」であるか否かは天候で左右されるようである。
 
2019-02-18 自由が丘・熊野神社の梅 右は自由が丘のゴンドラ(@ラ・ヴィータ)
2月19日(火) <今日は坂東三十三観音・・・>
今日は坂東三十三観音のうち千葉県にある三カ所の札所を巡るバス旅行に行った。坂東とは関東地方。神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にある33か所の観音霊場が坂東三十三箇所と呼ばれ一番から三十三番までの札所が定められている。第四番札所の鎌倉・長谷寺や第十三番札所の東京(台東区)浅草寺など有名な寺もあるが、ほとんどは全国的には知られていない寺だ。今日訪れたのは、第二十九番札所・千葉寺(せんようじ、ちばでら)、第三十番札所・高蔵寺、第三十一番札所・笠森寺の三つ。札所巡りは初めての経験だったが、それぞれの寺が非常に特色があり面白かった。どの寺でもバスのグループ40人余のメンバーが案内の尼さんに合わせて本堂で念仏を唱えるとか、昼食の時には食事作法(じきじきさほう)にしたがって食前に偈(げ)の文を唱えるなど普段は出来ない体験を交えて充実した一日となった。
 
2019-02-19  千葉寺(手前のイチョウは推定樹齢1300年) 右は笠森寺(日本唯一の61本の柱で支えられた四方懸造構造)
高蔵寺(高倉観音・木更津市)
2月20日(水) <般若心経は・・・>
般若心経は解説書も多いし、写経の材料もあるので誰もが一度は親しむお経であろう。昨日、千葉県の札所のお寺巡りの際にバスの中や本堂前で何度も般若心経を唱えた。この時に痛感したのは声を出して般若心経を唱えたことがほとんどなかったこと。そして自分で声を出さなければお経の意味がないと悟った。「色即是空 空即是色 受想行識亦復如是・・」など言葉を理解しても単なる知識でしかない。お経が人間の脳に対して作用するのは知識でなく音波のリズムや波動。文章の意味をその都度考えるのでなく何も頭の中で意識することなく暗唱したリズムが流れるのがお経の力となるのだろう。人の感性はまだ完全に分かっているとは言い難い。宇宙からの波動、地磁気、光の波長(目で見る色)、耳で聴く音(音楽)、聴力を越えた範囲の音波などあらゆるゆらぎ(波動)が身体の細胞や脳に影響を与える。般若心経もこの種の脳細胞を刺激してくれるリズム源と考えると是非暗唱しなければならない。「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」・・。
2月21日(木) <今のお坊さんは・・・>
今のお坊さんは気にすることなくお酒をたしなむが、僧侶の飲酒が禁じられていた時代には「般若湯」と呼んで密かに飲酒していたことは知られる。同じように、僧侶は殺生戒から魚や肉も食べることを禁じられていたので、鰻(うなぎ)を「山の芋」と称して蒲焼きを嗜んだ(ちなみに、「山の芋が鰻になる」は起こるはずのないことが起こることの喩え)。また、蛸(たこ)は「てんがい」と呼んで食したとか(仏像の天蓋の装身具の様が蛸のゆであがった足に似ている)。昔は直接そのものの名前を言うのは卑しいとして、ソフトなニュアンスの言葉に代えて使用した心情と相通じるところがある。例えば、便所(トイレ)=はばかり(憚っている)、水=おひや、刺身=おつくり、雨降り=おしめり etc. 言葉に歴史あり。このような言葉を大切にしたいものだ。今晩もこれから軽く般若湯で身体を温めようか・・。
2月22日(金) <今日の大ニュースは日本の小惑星探査機「はやぶさ2」・・・>
今日の大ニュースは日本の小惑星探査機「はやぶさ2」が地球と火星の間にある小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したこと。「はやぶさ2」が打ち上げられたのが2014年12月3日。2018年6月にはリュウグウの周辺まで到達していたが小惑星の実態を接近して観察し確実な着陸作戦を立てるのに半年余をかけて今日着陸を成し遂げた。小惑星「リュウグウ」の表面物質(土や砂)を採取するミッションも成功。リュウグウから離陸した後も、更にこの小惑星の近傍に今年11月頃まで滞在して、その後地球への帰途をとり来年2010年末に地球に帰還の予定だ。このようなプロジェクトを推進するための個々の技術を想像するだけで人間の考える力の凄さに驚嘆する。ただ一つ、人類がこれまで成し遂げられなかったことがらを現代の日本人のチームが見事に成功させている様をマスコミはもっともっと大きく報道してもいいのでないかと思うほどにマスコミの取り扱いが地味なのが気に入らない。テレビなどより、JAXA(Japan Aerospace Exploration Agency)のホームページをみると「はやぶさ2プロジェクト」の詳細が分かるのでお勧めだ=ここ
2月23日(土) <科学技術は着実に進化・・・>
科学技術は着実に進化している。けれどもテレビで相次ぐお笑い芸人の”芸”をみていると人は進歩しないのでないかと勘違いする。昨日の小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星への着陸に成功したニュースに触発されて、今日は先端技術に目を向けよう。18歳の世界的競泳選手である池江璃花子さんが白血病であることを公表して反響を呼んだのに続き、昨日は往年のスター堀ちえみさん(52歳、7人の子育て中)が舌ガンの手術を行うなど、知名人の治療の話題が伝えられるが、言うまでもなく医療技術の進歩は著しい。ただしニュースで伝えられる案件は結果が全てであるので完治を祈るのみだが・・。一般的には、カテーテル治療、集束超音波治療などの治療法から今後のiPS細胞を使った臓器の移植など広範囲の治療分野で日進月歩が続く。最近、中国のRoyoleや韓国のサムソン電子が折りたたみ式スマートフォンを発売して話題になっているがソニーは先に80μm厚さの有機ELデイスプレーを発表していた。この分野などは基本的な革新ではなく過渡的な競合にみえる。・・”先端技術”に目を向けるのは小さなコラムの中ではどうしようもないことが書き始めて直に分かった。人類が蓄積してきた膨大な歴史遺産があると同時に個々の人の一生の長さは古代の人とさほど変わりがない。それだけに今現在の最先端技術を知ると歴史の蓄積に触れて幸せになれる。
2月24日(日) <久しぶりにオーケストラの生演奏・・・>
久しぶりにオーケストラの生演奏を聴いた。知人から切符をいただいた東京アマデウス管弦楽団の演奏会。この楽団は老舗のアマチュア・オーケストラで大半はサラリーマンとか。メンバーの年代は20代から70代までと幅広いと紹介されているが、演奏のレベルは高くプロ以上に迫力を感じた素晴らしい演奏会だった。ベートーヴェンの交響曲第7番を生演奏で聴いた中では最高に感動したと言おう。演奏会場が板橋区立文化ホールであったので、この機会にと雑司ヶ谷近辺のお寺を巡った。といっても、鬼子母神堂とか法明寺などに行っただけ。この近辺には10個所以上のお寺や神社があるので改めて時間がある時に来訪することとした。

2019-02-24 左は鬼子母神堂脇の大イチョウ  右はガーベラ(& 最近完成した陶芸・一輪挿し )
2月25日(月) <駒沢オリンピック公園に行く・・・>
駒沢オリンピック公園に行く度に来年の東京オリンピックの後、この名前はどうするのだろうと余計な心配をする。駒沢オリンピック公園は東京都の管轄で場所は世田谷区と目黒区の両方にまたがる。1964年のオリンピック東京大会では、第二会場としてレスリング、バレーボール、サッカーなどの会場として使用された。現在は12の体育施設を持つ総合運動場になっている。・・今日の天気予報は午前中は雨。朝は雨はまだ降っていなかったが7時の予報でも雨なので迷った末にテニスに行くのは止めた。結果的には予報は外れで少しの雨も降らず。東京は広いけれどもテニス場のある港区方面でも降っていない。言い訳なしの”外れ”でないか。そこで、午後の薄日の中を駒沢公園方面にウォ−キングに行った次第。公園内の広場では東京農大の学生が応援の練習をしていたので写真を撮った(下)。公園内の梅も満開。テニスは出来なかったが速歩1時間は快適であった。
2019-02-25駒沢オリンピック公園にて
2月26日(火) <昨日の夕食に食べた生牡蠣・・・>
昨日の夕食に食べた生牡蠣が合わなかったのか昨晩は胃腸の調子が悪く良く寝られなかった。今朝起床した後も腹を抑えたまま全てにやる気が出ない。こういうことは極めて珍しい。妻は何ともないので牡蠣の中毒ではなく私の体質的なアレルギーであろう。胃腸の中にあるものが排出されてようやく身体が動くようになった。いつにない経験をして日頃スクワットとか筋トレ、ウォ−キングなど筋肉や腰回りの鍛錬に気をつけているが内蔵が正常であることが根本として必要であることを思い知らされた。人それぞれが抗体を持ち免疫応答も異なるとすると”鍛錬”では対応しきれない要素も多い。神が与えてくれた体質を大切にして最大限の活用を心がける以外に道はない。夕方、散歩に出られるほどに回復したので九品仏浄真寺(世田谷区)まで歩いてきた。
 
2019-02-26 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて
2月27日(水) <表紙に「立方体花器A(陶芸作品)」を掲載・・・>
表紙に「立方体花器A(陶芸作品)」を掲載した。久しぶりの陶芸作品の掲載とは思ったが、陶芸コーナー(=ここ)で見ると今年二つ目の新作であるのは意外であった。陶芸にはもっと時間を割いているが、それだけアウトプットが少なかったことになる。この作品には少々いきさつがある。1/27日のコラム(=ここ)に書いたが、陶芸教室で素焼きが完了した段階で、これを造ったことをすっかり忘れていたほどに気合いを入れずに何となく制作していた。作品に対して申し訳ないのでその後手間をかけて写真のように完成させたが他にはない作品にはなった。”花器”の名称にしたが上部の逆四角錐状の溝に水を溜めて花を活けることができる。周囲は全てやはり逆四角錐状の穴を彫り、いわばオブジェに近い。立方体の中心部には貫通穴があり、そこに小さな球体を飾った(下の写真)。また、細かく言うと上部の小さな四角穴は底近くまでの深い穴で水が溜まる構造なので一輪差として花を差すこともできる。花器としてどのように使うかアイデイア次第なので、これから好きに挑戦してみるつもりだ・・。

2月28日(木) <最近、身辺で元気だった人が・・・>
最近、身辺で元気だった人が急に身体の衰えをみせるケースが相次いでいる。兄は重傷ではなさそうだがパーキンソン病の症状がでて治療中とか。90歳を超える最高齢のテニス仲間がプレーする姿を昨日久しぶりにコートで見たところ、余りの動きの悪さに心が痛んだ。半年前には年齢の割に驚くほどの反応を見せていたのに・・。つい最近まで一緒にテニスをやっていた仲間の一人はめまいで医者に通いながら静養中だ。老化や寿命は如何ともし難く、私の場合、老化のメカニズムを教えてもらうと自分も例外でなく成り行きに任せようと覚悟が出来る。生物の基本は細胞。細胞は分裂増殖を繰り返すが分裂寿命があるし細胞にも寿命がある。細胞死による神経細胞の老化が進むと様々な神経疾患が発症する。現代の細胞レベルの知見をみると興味が尽きない。人の細胞の核内にあるDNAとタンパク質の複合体である棒状の対となす染色体(テロメア)は全部で23対(48本)あり、対の一方は母親から、もう一方には父親から受け継いだDNAのヒモが入っている。この二本のヒモがねじれた二重螺旋の構造であるDNAをつなげると細胞一つ分で全長約2mにも達するとか。人の場合、一組の遺伝情報は計約30億対。老化した細胞のテロメアは若い細胞のテロメアより短くなるという。人間の細胞の数は37兆個(60兆と言われたこともある)。このようなレベルの生体の動向は運命というか自然の成り行き。個人的に健康であれば、その幸運を感謝するだけであろう。


これまでの「今日のコラム」(総括版)に戻る

 Menu + Picture + Ceramics+ Gallery + Corgi + Special + Links