「今日のコラム」(2019年 4月分)

4月1日(月) <新元号「令和」が発表・・・>
新元号「令和」が発表された。午前中、11時25分にテニスの試合を終えて、直に11時30分からの新元号の発表をテレビで見ようとテニス場の休憩室に行ったが、10分ほど待たされての「令和」だった。その後、汗をかいたシャツを着替えて、帰途渋谷駅前のハチ公広場に寄ったら号外は未だ配布されていないのに「令和」と書いた紙を掲げて写真を撮っている若者がいた。ともあれ、一ヶ月後、5月1日から「令和」がスタートする。
表紙には「円柱型花器A(陶芸作品)」を掲載した。写真に解説まで入れてしまったが、細長い円柱の底に磁石を埋め込み安定させるようにしている。磁石に付く薄い鉄板をマットの下に敷くと一見鉄板なして円柱が立っているように見せることが出来る。
2019-04-01「令和」発表直後の渋谷駅前ハチ公広場


4月2日(火) <4月2日は息子の命日・・・>
4月2日は息子の命日なので妻と毎年墓参りをする。毎月命日にも墓参りをしているので墓はそれほど汚れてはいないが、この日は更に特別に清掃を徹底させる。家の墓の周り数メートルの範囲やごみ箱の近辺なども時間をかけて掃除するのが習慣だ。この日は桜の咲く時期。今年もお寺の境内ではまさに満開の桜が見られた。「さまざまの こと思い出す 桜かな」(芭蕉)を何度もこの時期のコラムに書いた覚えがあるが、やはり、桜〜お寺で息子のその時を思い出してしまう。これも何度も書いた西行法師の詩:「願はくは 花の下にて 春死なむ  そのきさらぎの 望月の頃」。満開の花の下で逝ったのは間違いない・・。
表紙には「Mieuへの絵手紙・桜満開(ペンと水彩)」を掲載した。今日、お寺で満開の桜を見て帰った後に描いた。

 
2019-04-02 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)境内にて
4月3日(水) <「美とは何か」・・・>
「美とは何か」、「人は何を美しいと感じるのか」を考えると際限がなく結論はでない。それぞれの人によって感性は異なり真の美を定義することはできないだろう。最近、「1/fゆらぎ」に興味を持って調べたりするが自分ではまだ十分納得ができていない。「ゆらぎ」はものの変化が不規則な様子のことであり、周波数(f)の大きさとパワーとの間に逆比例の関係が見られるものが、1/fゆらぎ。人間が自然界やもろもろの対象物に1/fゆらぎのリズムを感じた時に”美しさや心地よさ”を味わえるという説である。1/fゆらぎの具体例として、小川のせせらぎ、木の木目・年輪、バッハのブランデンブルグ協奏曲などが挙げらている。私の友人は井戸茶碗・喜左衛門(国宝)をじっくり見ていると、これこそ1/fゆらぎがあると感歎していた。その友人は自然とか無作為の中に生じる1/fゆらぎの美しさと、いわゆる芸術家が創造した芸術品とはまた異なるとみる。芸術品が必ずしも美とか癒しと一致しないことは確かだ。各人各様の美意識が尊重されて美の発見を楽しむことができるのがよい・・。
4月4日(木) <今日の最高気温は15℃・・・>
今日の最高気温は15℃程度(東京)。肌寒さを感じるが、開花した桜は花冷えで長持ちしている。今日は大岡山(東京・大田区)の東京工業大学校内の桜を見に行った。気温は若干低くても今まさに満開の桜を楽しむことが出来た。昨年も確か3月終わり頃にやはり同じキャンパスで花見をした。「今日の写真」に桜の写真を撮って、このコラムに掲載しようとして、アレレ・・。今日の写真と言っても昨年とも、一昨年とも区別がつかない。いや、桜に感激して撮った写真は50年前も同じ、100年後も変わらないだろう・・。1000年前の人が花を詠んだ歌に共感する人間の心情もまた変わらないか。では1000年の進化とは何なのか。こんなことを考えさせてくれるのが”桜”なのだろうか。ちなみに、桜はDNAの異なる品種が何百種類もあり、それぞれに寿命を持って代々生きながらえている。同じに見えて、同じでない。・・今日は大岡山の東工大から並木の桜を見ながら、緑が丘〜自由が丘まで歩いた。
 
2019-04-04東工大(東京‐大田区)校内にて
 
4月5日(金) <花見の時節になると・・・>
花見の時節になると、昔、勤め人であった時代には全く花見とは縁がなかったと、ある種感慨に耽る。勤め先のグループでも家族でも花見をした覚えがない。40年間に近い務めを終えて退職した年の春に妻と息子とが西郷山公園(渋谷区)で桜を見ながら”慰労”してくれたのが逆に強く記憶に残っている。リタイアする前、現役の頃に無頓着であったのが、もう一つ”食べること”。食事は専ら妻に任せていたが長年、料理を味わうこともなく、特に有難いとも思わずに過していた。考えてみると食べることは生きること、そして結婚以来50年間余特別に病気もせずに健康であったのは”食事”の質が良かったことに尽きる。最近になって美味しく栄養のバランスがとれた食事に感謝するものの、いくらなんでも気付くのが遅すぎた。もしリタイヤと同時に亡くなったとすると、花を愛でることもなく、料理の美味しさに気付くこともなく人生が終わっていたとは、恐ろしい。・・今朝、テニス場の開門を待つ間に撮影した写真を下に掲載する。最近は雑草の花を見るだけでも心豊かになる・・。
2019-04-05
4月6日(土) <建築家、隈研吾さんが外観設計・・・>
建築家、隈研吾さんが外観設計を手がけたという「スターバックス リザーブ ロースタリー」に行ってみた。根津美術館や新国立競技場の設計建築家として著名な隈研吾さんは木材を巧みに使うことでも知られるが、意外にもスターバックスなど小建築も多く設計している。今日、訪れたのは普通のスターバックスとは異なり、店内に焙煎機を持つ新しいスタイルのスターバックスで、シアトル、、上海、、ミラノ、ニューヨークに続いて世界で5番目の店舗が今年2月末に中目黒にオープンしたというところ。花見の名所の目黒川沿いで今まさに満開の桜の時期にまともに行っても入れないことは予想されたので、朝食抜きで妻と家を出て早朝開店の7時に合わせて7時少し過ぎた頃に店の前に着いた。ところが、ところが、この時間に既に長い行列ができている。順番待ちのカードを受け取ると”約一時間待ちです”・・。結局、新スタバへ入ることは諦めて、朝食はドトールコーヒーのモーニングとした。妻とも話したが、結果的には早朝の目黒川の花見を楽しみ、食事代もミニマム。帰宅してから改めて土曜日の日課で陶芸教室へでかけるゆとりも十分であった・・。
 
2019-04-06 中目黒の スターバックス リザーブ ロースタリー外観 右は目黒川沿いの桜
4月7日(日) <今朝のNHK俳句の題は「たんぽぽ(蒲公英)」・・・>
今朝のNHK俳句(テレビ6:35〜7:00/選者, 宇多喜代子 )の題は「たんぽぽ(蒲公英)」だった。その中で、こんな句が紹介された:「蒲公英の絮や眼下に太平洋」(三席)、「たんぽぽの絮よ宇宙の爆発よ」。「絮」は「わた」と読む(私は読めなかった)。「綿」の文字をあえて難しい「絮」の文字を使うように、俳句には独特のこだわりがよくあるが私は好まない。恐らくは季語で「たんぽぽの絮(わた)」が登録されているのかも知れないが、決まり事ばかりに拘る流儀には馴染めない。もっと分かりやすく自由な俳句が見たい。それはそれとして、”たんぽぽの絮(わた)”を”宇宙の爆発”と表現した句には共感する。「タンポポの綿毛」の凄い様(=この写真)はまさに宇宙の爆発だ。一席に選ばれた句も、発想が壮大だったので記しておこう:「黄たんぽぽ月と地球は兄弟か」。
 
2019-04-07 今日も九品仏浄真寺(世田谷区)に墓参をした
4月8日(月) <朝から本格的な雨・・・>
朝から本格的な雨。テニスの予定は即変更して、その代わりに陶芸作品の工作が進んだ。その成果が表紙に掲載した「照明具A」。以前に陶芸の焼成は終わっていたが工作が色々と多く、未完成であった。光源としてはLEDが列になって配列されている幅7mmの帯を使った。今はこのような便利な材料が市販されており、光源となる帯の長さは自在にカットできる。中央の球形ボールは中が空洞であり、二分割された陶器の中央をテープで止めて一体化した。中には強力磁石をはめ込んで、上下に引っ張り合うことで空中に浮かせている。下部の球体の先(根元)にはスイッチとなる導体を結んでおり、磁石で引き上げられる力でスイッチが入るようにした。従って下の球を下部にゆるめてやると電気が切れて照明は消える。このような構造の「照明具」がほぼ思惑通りに完成した。もちろん、陶芸も構造(しかけ)も全て初めてのことだったので試行錯誤をしながらの制作だったが久しぶりの満足感ある仕上がりができた。
  角度を変えた外観写真も掲載しておく

4月9日(火) <谷中の瑞輪寺に義兄のお墓参り・・・>
谷中の瑞輪寺に義兄のお墓参りに行った後、上野公園まで歩き花見をした。上野公園といっても広い。国立博物館とか都美術館にはよくいくことがあるが、今日は西側の上野東照宮の方面から公園に入った。東照宮にもお参りをしたが、妻と前に東照宮に来たのは20年以上前かなぁなどと話すほどに久しぶり。ましてや桜が満開の時期に来たのは生涯初めてか。今日のようなウィークデイの昼に上野公園に来ている人はやはり外人が目立つ。園内のカフェでお団子でも食べて休もうと妻と話していたが、混雑していたので結局何も食べずにベンチで休んで帰途についた。
 
2019-04-09 谷中ではどこのお寺も桜が満開
 
上野東照宮にて


4月10日(水) <世阿弥が能の奥義を記した・・・>
世阿弥が能の奥義を記した風姿花伝の最後に、「・・その風を得て、心より心に伝ふる花なれば、風姿花伝と名づく」とある。この「心より心に伝ふる花」について現代の能楽師・安田登さんが、「この”心”はこころではなくシンと読む。心は”芯”であり”神”でもある・・」と解説している。この安田登さんが著した「能に学ぶ身体技法」という本(ベースボール・マガジン社)を本棚からだして再読したら身体のトレーニング法について以前には気がつかなかった多くのヒントを得た。能においてはすり足をはじめあらゆる動作に力を抜くことを重要視した。世阿弥のいう「捨力は「柔よく剛を制す」の武術の極意とも通じるとされ、それは大腰筋(深層筋)を鍛錬することが基本となる。表層の筋力の鍛錬に偏らないことが強調されている。一ヶ月前に腰痛でさんざん苦労したが、このトレーニングをやっていれば防止できたのにと思い当たるところが多い。10年前に読んだことのある本に感銘を受けながら、体力作りの知識があっても実施できていないと知らないことと同じと改めて思う。今日は朝から雨で予定のテニスはできなかったが、読書情報を得た。これからのプラスとできるかは実行が伴うかどうかにかかる・・。
4月11日(木) <日本の文化・・・>
日本の文化の特徴は何だろう。強烈な個性を主張することはなく実に繊細な感性を見せる日本の文化は明らかに欧米や中国、韓国などと異なる独特のものがある。司馬遼太郎は文化の定義を「それにくるまれていて安らぐもの・楽しいもの」と定義した。個人の文化もあれば民族が共有する文化もある。大昔から島国であった日本は大陸からの輸入文化を見事に固有のものに変貌させて自分のものにした。仏教は誕生の地・インドでは衰退してしまったが、日本では現代でも生活と密着した形で隅々まで生き残っている。「孔孟の教え」(儒教)もまた現代では流行らないようにみえて、江戸時代の庶民まで含めて浸透した「教え」は現代でも身体にしみ込んでいると感じることも多い。今は余り使わないが孔子の道を表した「忠恕のみ」という言葉がある。忠は「真心・真面目」(忠義や忠君は後に加わった)で、恕は「思いやること・ゆるすこと」。忠恕はまた意識せずに日本人にしみ込み、周囲もそれにくるまれて大いに”安らぐ”。これからの地球規模の文化構築に日本的文化を浸透できれば地球は住みやすくなるのでないか・・。
4月12日(金) <任天堂のゲーム機Wii・・・>
任天堂のゲーム機Wiiで毎日計測を続けていることはコラムでも何回か書いた。いつもは就寝前に計測する習慣だが今日は夜の予定があるので夕刻に台に乗り計測を始めると、今日で2997日目と表示が出た。後3日で3000日だ。台上で計測の前に先ず体重の計測値が出る(正確には登録してある身長に対するBMI=Body Mass Index値を表示)。前回に対して体重が何kg増減したかも表示され、面白いことに今日のようにテニスをした日には必ず体重が減る(今日は0.7kg減、1kg以上減ることが多い)。今日のバランス年齢計測は、静止テストと動作予測テスト。日によって色々な種類の計測の組合せになるので毎日が同じテスト内容ではない。私は敏捷性のテストや記憶力テストの成績はいいが、重心を一点に集中させる静止テストは一番苦手な部類だ。今日のバランス年齢計測値は36歳だった。静止テストの時に余計なことを考えずに丹田に神経を集中したのが少しはよかったのかも知れない。3日後の3000日目には20代の計測値を目指そう・・。
4月13日(土) <散る桜 残る桜も 散る桜・・・>
「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠んだのは良寛和尚(辞世の句)。桜は古来、散り際の潔さ(いさぎよさ)、美しさが賞賛され多くの詩歌にも詠まれてきた。実際に、いまの桜が散る時期に、これほど見事な散り方をする、そして散った花びらにも風情がある花はないのでないかと自分でも思う。今年は四月に入って肌寒い気候が続いたせいか東京ではまだ桜がかなり残っているが、散り始めた桜も多い。東京では最後となるかも知れないと散歩のついでに家の近所・宮前公園(東京・目黒区)で桜の写真を撮った。桜に感動はするものの、昔の詩歌に接すると、先人たちの繊細な感性や表現力には所詮現代人は遠く及ばないと思ってしまう。伊勢物語の例をだそう。「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(在原業平)に対する返歌:「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」。
 
2019-04-13 宮前公園(東京‐目黒区)にて
4月14日(日) <東京・世田谷にある古民家・・・>
東京・世田谷にある古民家を見学してきた。妻の知人が以前、ここの古民家を描いた絵画を展覧会に出展していたので妻と機会を見て行ってみようと話していたところだ。場所は「次大夫堀(じだゆうぼり)公園民家園」(=ここ)。我家からバスを乗り継いで比較的簡単に行けるが、これまで一度も訪れたことはなかった。江戸時代末期から明治時代初期の農村風景を再現しているが、それぞれの民家は世田谷区が周辺の元農民から寄贈を受けた民家を解体・移築して復元したという。世田谷区の指定有形文化財とされたものもいくつかある。確かに、この場所に区が集約して維持しなければ、まず見ることのできない貴重な歴史的建造物といえる。写真だけを見ると、とても東京の一等地と見えないところがいい・・。
 
2019-04-14 次大夫堀公園民家園(東京・世田谷区)にて

4月15日(月) <「ハンダ付け」をする少年・・・>
「ハンダ付け」をする少年は今時いるのだろうか。表紙に掲載している陶芸作品のスイッチ部分を更に改良すべくハンダ付け作業をやりながらそんなことを思った。60数年前に少年だった私がハンダ付けを覚えたのはラジオの製作などの電気工作で、ハンダ付けは電気配線のための基本だった。今回の照明具の工作は考えてみるとまるで少年時代の延長にみえる。二個の丸い玉の中には磁石を入れて引き合うようにして下の球の糸の先端に鉄材を結び、引っ張られた時に鉄材がスイッチの役をして切れた配線を接続する仕組みとしている。照明具の下部に組み込んだスイッチや配線具にはハンダ付け作業の場所が沢山ある。そういえば今回初めて使用したLEDの帯もハンダ付けをすると自在の長さの照明帯を作ることができる。ICの時代であっても「半田ごて」はまだ廃棄できない・・。
今日は3日前にコラムに書いたようにWiiによるバランス年齢計測3000日目の記念すべき日だ。事前に準備して先ほどWii計測時にテレビ画面の写真を撮った。ちなみにバランス年齢は48歳と出た。苦手の静止テストがあり、相変わらず成績が悪い。
 
2019-04-15 Wiiによる計測
4月16日(火) <ノートルダム寺院が炎上中・・・>
ノートルダム寺院が炎上中というショッキングなニュースが早朝から流れた。フランス時間で昨日夕方6時50分頃(日本時間今朝午前2時頃)に出火したという火災は消火作業が進まず、かの世界遺産の中でも傑出した大聖堂の尖塔部分が炎に包まれやがて崩壊する過程を全世界にテレビで中継する事態。12世紀に着工し、約180年かけて完成したという大聖堂、19世紀には皇帝ナポレオンが戴冠式を行ったという大聖堂・・、事故原因はこれから究明されるであろうが、歴史や価値とは無関係に何と簡単に焼失するものか・・。余り海外旅行に行かない私でさえもパリのノートルダム寺院には何度か訪れたことがある。このホームページに1996年に訪れた際に描いたセーヌ川とノートルダム寺院の尖塔の絵を見つけて(=ここ)また言葉を失う・・。
4月17日(水) <艱難汝を玉にす・・・>
「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」。現在は余り使われないこの言葉は明治初期には小学生の教科書にも引用されて世間で知られた諺だった。まさに人は艱難辛苦を経験し克服すると、原石が磨かれて美しい宝石となるように人格が磨かれ立派な人間に成長する。先日のテレビでこの中国の故事から引用されたようなこの諺は実は英語の、”Adversity makes a man wise.”(逆境は人を賢明にする)の訳であると紹介されていた。原文が英語だったとは初めて知ったが、英文和訳とすると日本語の方が随分と深みがある諺を作ったものだ。英語との比較で、中学生の頃に習った忘れられない諺がある。「精神一到何事か成らざらん」の英語は”Where there is will, there is a way.”とか。相当する英語として深くは考えずに記憶していたが、今考えるとこれも日本語の方に深みを感じる。それにしても世界中で巧みな「ことわざ=言の業」が流通する。教訓的過ぎて敬遠したくなる”格言”もあるが、諺や格言にはそれぞれの文化が凝縮している。
4月18日(木) <東京は22℃を越す5月の陽気・・・>
東京は22℃を越す5月の陽気となった。これまでは余り出ることのなかった北側のベランダで妻が新発見。一年以上前に花が終わり処分に困ったので全く手入れをせずにベランダの隅に放置していた洋蘭が花を咲かせていたのだ。水も肥料もやらなければ日光にもあてない。冬の寒さにも耐えて花を咲かせているのに気がつきもしなかった。面倒を見られなくても見事な花を咲かせる生命力に敬意を表して一生懸命に写真を撮った。北側のベランダ花壇にはゼラニウムが今盛り。大好きだったテッセン(鉄線、クレマチス)は一度花は終わってしまったがまた蕾は膨らみつつある。暖かさとともに水やり装置を調整したり、花壇の枠を改造したり、花壇の仕事が急に増えて来たのもうれしい・・。
2019-04-18 上が洋蘭の花(パフィオペディルム) 下も花壇の花
4月19日(金) <先ほどまで、露天風呂につかりながら蔵王・・・>
先ほどまで、露天風呂につかりながら蔵王の山並みを眺めていた。今朝6時前に家を出て、東京駅から山形新幹線で郡山へ、それからはバスで”北関東・桜の名所巡り”。今日の圧巻は何と言っても「三春の滝桜」(国の天然記念物)だった。福島県三春町の三春は春になると「梅、桜、桃」の三つの花が同時に咲くことから名付けられた地名であるという。この三春に滝桜と呼ばれる樹齢推定1000年の紅枝垂(べにしだれ)桜の巨木がある。この滝桜がいま正に満開。その姿は言葉を失わせる迫力があり安易な表現はできないが、歴史とか自然の力とか人知を越えたパワーを肌で感じさせられた。その後、花見山公園(福島市)から船岡城址公園(宮城県柴田町)の桜の名所を巡り、いまは蔵王温泉(山形県)にいる。明日はどんな桜に出会えるか・・。
 
2019-04-19三春の滝桜
 
花見山公園近辺
4月20日(土) <今日も、福島県・喜多方・・・>
今日も、福島県・喜多方の1000本しだれ桜の並木道、会津若松(福島)・鶴が丘城など桜の名所を巡った。いずれでも今まさに桜は満開。しかも晴天の下お花見としてはこれ以上ない条件で桜を満喫した(他に、芦ノ牧温泉駅からローカル列車に乗るとか、茅葺屋根の民家が建ち並ぶ大内宿<重要伝統的建造物群=福島県南会津郡>の観光などもあり)。今は夜10時過ぎに東京の家に戻ったところ。まずは写真を掲載しておこう。「たぐいなき 思ひいではの 桜かな 薄紅の 花のにほひは」(西行)
 
2019-04-20 喜多方・枝垂桜並木   右は会津若松・鶴が丘城にて(下も同じ)
 
4月21日(日) <国立新美術館で開催されている春陽展・・・>
国立新美術館で開催されている春陽展を見に行った。会員である知人に案内をいただくので毎年この展覧会は欠かさない。今回は展示会の会場で行われたギャラリー・コンサート(ギターの演奏)を聴くこともできた。絵画の方は毎回と同じく、ある種の”闘い”で精力を使う。大型の絵画で表現される絵画は人様々で個性の集積場。大抵は我こそはという強烈な個性、主張、思想が絵画に現れる。それほど気張らずに自然体の表現ができないものかと思うけれども、そんな弱気でいると評価されないのかも知れない。生きていることの証として、ものすごい労力を費やして自分の絵画を造り上げている多勢の画家のエネルギーに対抗して鑑賞するだけでもパワーを要する。一方で感覚が一致する絵画に出会い、じっくりと絵を見つめていると、ホッとするだけでなく、こちらがエネルギーをもらうこともある。大きな絵画展ではいつも人の多様性が生で見られるから面白い。
2019-04-21国立新美術館正面口に「ガラスの茶室」
4月22日(月) <東京では最高気温25℃を越す・・・>
東京では最高気温25℃を越す今年初めての夏日となった。午前中はテニス、午後は家での陶芸にかかわる工作仕事。表紙に陶芸作品の新作「四角カップA」を掲載した。最近、陶芸の新しい作品はいくつかできているが、以前のように”出来の悪い子の方が可愛い”と何でもを喜べなくなった。一度焼成したものでも再度焼成し直すとか、上絵で仕上がりを変えるとか、プラスαの手をかけて、やり直す欲が出てきてしまった。結果的には駄目なものは駄目とか改良したつもりが改悪になったとか、思うようにできない。昔の職人が”こんなものを残せるか”と言って壊して捨てたという気持ちも分かる。今日、表紙に掲載した四角カップは陶芸教室で完成したそのままの作品。けれども、陶芸作品も写真の撮り方で印象が変わる。人間が写真写りが良いこともあれば悪くもなるように、、自分で写真を撮りながら驚くほど差がでるので、今回はもう一枚の「四角カップA」を下に掲載してみよう。どちらが良いかは好みだが、実物は中間の感じかなぁ。
  2019-04-22 
4月23日(火) <今はインターネットで自分の家の電気代・・・>
今はインターネットで自分の家の電気代(電力量)を即座に見ることができる。1月、2月と比べると4月になると電気の使用量は激減している。暖房をヒートポンプで行っているので冬は終日の暖房で電力を食うが今のシーズンはそれほど電気を使用しない。また夏場になると冷房のため電気代は増える。日本では春夏秋冬の四季に応じて冷暖房は当然であるが、世界的に見ると稀(まれ)であるようだ。寒い地域では暖房は必須であるが夏は窓を開けるだけとか、逆に、暑い所では冷房をするが暖房は不要というケースが普通。日本人は四季があるからこそ繊細な感性が育まれているのでないかと思うことも多い。諸行無常とか生々流転の感覚も四季の移り変わりを見ていると自然と納得する。あの言葉にならないほど見事に咲いた満開の桜が、あっという間に散り、川の上を流れて行く・・。時が経てば変わって行く、時を待てばやがて再会することもある。何よりも冷暖房と無縁の樹々・植物が気温に敏感に適応していくことに改めて感動する・・。ベランダに出しっ放しで何も面倒を見ていなかったテッセンが突如花を咲かせた(下の写真)。
2019-04-23
4月24日(水) <兄弟姉妹と連れ合い8名がお墓に・・・>
兄弟姉妹と連れ合い8名がお墓に集合して父母の墓参りをした。お寺の境内の桜はすっかり散り終えて、今は新緑とツツジが華やかだ。32年前(1987年)の4月に母、6月に父が相次いで亡くなったので、その中間時期に当たるこの日に墓参りを決めた。母は77歳だったが、姉も兄も私も既にその歳を越えている。全員でお寺から食事会の場所まで歩いて行き、更に二階の部屋まで急な階段を上る。フランス料理のフルコースを皆が完食。・・平均年齢80歳ほどになって兄弟がこうして集うことができる幸いを思う。一瞬一瞬が掛け替えのない歴史を刻んでいる・・。
2019-04-24 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)にて
4月25日(木) <丁度一ヶ月前の3月25日のコラムで・・・>
丁度一ヶ月前の3月25日のコラムで陶芸作品「宥座(ゆうざ)の器」について説明している(=ここ)。この作品の出来映えについて”不本意で手を加えるつもり”と書いているが、今日、再度外観を仕上げ直した作品を陶芸コーナーに掲載した(下に写真)。陶芸教室で再焼成するのでなく家で上絵〜らくやき(レンジ焼き)などで仕上げ直した。このような手間をかけている原因の一つは製作する新しいネタが貧困であることによる。このところアイデイアが不足。このコラムにしても本来は「今日の作品」、「今日の絵」など毎日のアウトプットを説明するのがスタートだった。ツイッターとか、つぶやくためのコーナーでなく、毎日の作品造りの報告を目指した。それが非常に疎かになっていることを今更ながら自覚する。不本意なものをやり直していると全てに二倍三倍の時間をかけても「完成」に至らないとも思う。初心に返って”新しいものに挑戦する”ことを考えたい。”数打てば当たる”こともあるだろう・・。

2019-04-25 宥座の器 ・再仕上げ分
4月26日(金) <表紙に陶芸作品「宥座の器」B-3・・・>
表紙に陶芸作品「宥座の器」B-3(うつ伏せ時))を掲載した。昨日のコラムでも触れたように出来映えを気にせずに陶芸の新作紹介だ。「宥座(ゆうざ)の器」の解説は前作にかかわる3月25日のコラム(=ここ)に書いたが、「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れると正常になり、水を入れ過ぎるとひっくり返る器」で孔子の中庸の教えに通じる。何もしなくても不可、しかしやり過ぎ、慢心も不可を見せる器である。ただし、製作した陶芸作品は全くのオリジナルで今回紹介するのは前作とも異なっている。今日、表紙に掲載したのは、その器をうつ伏せにした写真。普通の状態の写真を下に掲載するが、何だかうつ伏せの方が形として愛嬌があって面白いので表紙にした。やり過ぎも禁物だが何もやりたくないときにはうつ伏せになって寝るのがいいかも知れない・・。
  2019-04-26
4月27日(土) <このところアルバム作り・・・>
このところアルバム作りに励んでいる。連休となりテニスも陶芸教室もお休み、旅行の計画もないのでアルバム作りが進む。私の場合、パソコンに取り込んでいるデジタル写真データを元にしてPhotoshopのソフトを使い、A4サイズの写真用紙に適宜配置をして解説文字とともに印刷する。友人、親戚などと同行した場合はその分も印刷して献上することもある。一時期、アルバム作りと日記相当のノートを止めたことがあったが一年前のことでさえ何をやっていたかを見事なまでに思い出せくなったので再開した。今は誰でもがスマホで簡単に写真を撮る。You-Tubeなどでオープンになることもあるだろうが膨大な写真データーがどこかに眠っている。パソコンの中に保存されているデジタル写真はまず閲覧して楽しむことはない。利用することは極めて稀だろう。今の時代にアナログのアルバム作りはいかにも古いような気がするが、ではどのように写真データが生かされるか納得できる答えが見つからない。当面はアルバムを作り続けるつもりだが、”いつ、誰のために役に立つのか”は写真だけの話ではないと考えさせられてしまう・・。

4月28日(日) <ルッコラはイタリア料理などでサラダに・・・>
ルッコラはイタリア料理などでサラダに混ぜて使われる葉野菜。我家のベランダ菜園でルッコラがうまく育ち、葉を美味しくいただいていたが、あっという間に沢山の花を咲かせた。その花びらが4枚。花びらの枚数が4枚である植物は非常に珍しい。自然界の花びらの枚数はフィボナッチ数列にしたがうという説がある。フィボナッチ数列とは、0,1,1,2,3,5,8,13,21・・で、数字の0,1で始まり、それぞれ前の2つを足し合わせた数につながる。確かに、梅や桜などの花びらは5枚、テッセンの花びらは8枚,サザンカはどう数えるか難しいが21枚とか。けれども明らかにこの数列とは異なる枚数もある。ルッコラの花びらは間違いなく4枚。この際、数列には拘らないけれども、花びらの枚数がどのように品種によって定められるのだろう。同じような疑問は、たこの足はなぜ8本か、人間の指はなぜ片手5本なのか・・、自然界に疑問を持てば際限がない・・。
2019-04-28ルッコラの花びら


4月29日(月) <高等学校のホームカミングデー・・・>
高等学校のホームカミングデーと同窓会総会に出席した。これまで一度もこの種の集まりに行ったことはないが、今年が生涯で最後になるからと友人に誘われて出かけた。昭和34年に高校を卒業して60年経つ。今回招待されたのは我々卒業60年(10期)のメンバーからはじまり、卒業10年期毎に卒業50年、40年、30年、20年、10年、そして今年の卒業生まで。10年期毎だと次の10年後には確かに出席できないだろう。懇親会では友人以外に昔懐かしい名前のクラスメートに出会ったり、テレビのアナウンサーで有名人になった高校一年での同級生とも懇談(30年後の卒業生たちは彼の名も知らぬ)。歳の差30年の同窓生と話をするのも愉快だった。校内には昔なかった大樹が並び、学校の周辺は畑など田園風景であったのが今は商店街と大きな道路・・至る所で時の流れを感じる。60年の間隔を空けたけれども今日出席をして良かったと思いながら帰途についた。
4月30日(火) <今日は元号の「平成」最後・・・>
今日は元号の「平成」最後の日。2019年、平成31年は今日4月30日までで明日から元号が「令和」となる。平成天皇がこれまでの慣例を破って自らが退位したいと表明したのが3年前、実現まで法律の制定を含めて3年を要した。企業にしても一般社会では一度地位を得た人間は権力・地位にしがみつきたがる。世界を見ると血筋も何も関係なく独裁者が子ども、孫へと権力を引き継ぐ。そんな中で平成天皇が80歳を過ぎた段階で自らリタイアの意思を表明し、国会の定めた法律の下で実現できたのが85歳。これからは、どうかご自分の時間を存分にお楽しみくださいと申し上げたい。引退された後、体力が急速に回復され、今はテニスを再開されています・・などというニュースが聞きたい・・。



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