「今日のコラム」(2019年 5月分)

5月1日(水) <今日から「令和」がスタート・・・>
今日から「令和」がスタートした。ちなみに、パソコンでは「れいわ」をインプットしても「令和」の文字がでない。それだけ令和が新鮮なのだろう。今日は新天皇の即位の日として特別に祝日にも制定されている。新天皇即位の儀式も滞りなく終えられて令和の時代となった。昨夜の「平成」最後の夜中から「令和」に変わる時間に、日本中で踊ったり騒いだり花火をあげたりする、祝福ムードの映像が放映された。更に天皇即位の儀式に合わせて多くの人が新年を迎える以上に晴れやかな歓迎を見せている。5月1日は一昔前は「メーデーの日」。メーデーでは多勢人が集まったと言っても組織が動員した人数であった。即位の日で参加している多くの人は義務も強制もない自由な集まりであるのが気持ちよい。私などは余り理屈をいわずに、「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」などといって物語の中でしか知らない三種の神器が引き継がれるのを見て、ただただロマンを感じてしまう。


5月2日(木) <スーパーでイスラエル産のグレープフルーツ・・・>
スーパーでイスラエル産のグレープフルーツを買うことが多い。自分で買物をする時には好みで果物を探すが、こちらの感覚ではとにかく皆値段が高い。その中でイスラエル産のグレープフルーツは100円を切る。テニスの仲間の女性からプレーの途中でグレープフルーツをいただいたことがあるが、その時、カリフォルニア産のをいただいたのでイスラエル産のことを話すとあれは美味しくないと言われた。私は毎度イスラエル産をおいしくいただいているのだが、今日は試しにアメリカ製のを買ってみた。アメリカ産のものはイスラエル産と比べると価格がほぼ倍。今日買ったのはフロリダ産だ。味覚には自信がないがフロリダ産は確かに美味しい。けれどもイスラエル産の二倍の美味しさかは何とも言えない。松茸や鰻の味と価格の相関と同じで、美味しければ売れるものなのだろう。それにしても葡萄もオーストラリア産。グレープフルーツにしても葡萄にしても日本産は見かけない。シーズンがあるにしても日本産が高価すぎて手が届かないようでは寂しい。
ベランダ花壇に咲いたテッセンの花が余りに美しいので写真を撮った:
2019-05-02

5月3日(金) <久しぶりに晴れ上がり暖かくなった・・・>
久しぶりに晴れ上がり暖かくなった今日、息子の墓参りに行った。お寺の境内のツツジ(躑躅)は満開のものもあったが、我家のお墓周りのドウダンツツジは花が咲き終わっていた。ドウダンは漢字で「満天星」と表すように花が咲いている時にはまさに満天星だった。ドウダンの剪定は花が散った後早い方がよいと聞いたので、妻と思い切って剪定を始める。気温が高くなっていたので大汗をかきながら小一時間かけて最低限の剪定を終えた。お寺の仁王門の仁王サマ達が”ご苦労”と声をかけて送り出してくれたような・・。
表紙に陶芸作品「小型花器」を掲載した。このミニチュア花器は実は何年前に製作したかも分からない。陶芸作品として「陶芸コーナー」に掲載されることもなく部屋の隅に放置されているのが可哀想になって最近花を活けた。このように作品として認知されていないようでも時間が経過してみると見直すものがいくつもある。人を簡単に決めつけてはならないと思うのはこんな時だ。

 
2019-05-03九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて


5月4日(土) <今日は久しぶりに陶芸教室・・・>
今日は久しぶりに陶芸教室で陶芸の新作に取り組んだ。家でかなりの時間をかけて、ああでもない、こうでもないと設計図を何度も書き換えた「LED帯を使った照明具第二弾」の制作を始めたのである。土練りから造形まで休憩も取らずに懸命にやったが3時間で制作予定の半分もできなかった。毎度のことであるが、集中して土をいじっているとあっという間に時間が経過する。時間が来たので残りの制作は別の日として教室を出ると気がつかなかったが雨上がりだった。夕立が降ったようだ。歩いて帰路につく時にはいつにない充実感を覚えた。家に着いてベランダから外を見ると西の空が素晴らしい夕焼け・・。
2019-05-04
5月5日(日) <夏も近づく八十八夜・・・>
「夏も近づく八十八夜・・」と歌われた「八十八夜」は立春から88日目、今年は今日の3日前、5月2日であった。この日はまだ夏は遠い寒さだったが、今日になって真夏のような暑さ。東京は25℃を越す程度だったが福岡や京都では28~29℃となったようだ。冒頭にあげた文部省唱歌「茶摘み」の歌詞は八十八夜の後、次のように続く:「・・野にも山にも若葉が茂る  あれに見えるは茶摘みぢやないか  あかねだすきに菅(すげ)の笠」<You Tubeでの歌例=ここ>。正に周囲の樹々には若葉が茂り夏は間違いなく近づいている。それにしても、「茶摘み」の歌ができたのが1912年(明治45年)というから、100年以上前。このような小学生唱歌を明治〜大正〜昭和〜平成、そして令和と時代を経て、今インターネットという道具で聴くことができるのが感動的だ。
5月6日(月) <今日は月曜日であるが休日・・・>
今日は月曜日であるが休日。テニスができなかったので代わりに妻と非日常の寺社巡りをした。家からは1時間もかからない比較的近場で妻も私も訪れたことのない寺社ばかり。「樹齢700年の御神木・大ケヤキがあり、毎年新緑の季節には青々とした葉を繁らせます」という案内に魅かれて、先ず「新田神社」(東京・大田区矢口)に行った。室町時代、新田義貞の次男・義興を祀った神社で、義興は多摩川の「矢口の渡」で船に乗ったところを敵に襲われ命を落としたとされる。御神木はさすがに風格があった。神社で言われる通りに御神木にたっぷりと触れたのでご利益を授かるだろう。他に訪れた寺社とともに下に写真を掲載する。それぞれの社寺にはそれぞれの縁起があり、歴史に触れるところが楽しい。
 
2019-05-06 新田神社(大田区矢口)       右は御神木
 
八幡神社(東部八幡・大田区久が原)                 安祥寺(大田区久が原)
5月7日(火) <SNS=Social Networking Serviceとは・・・>
SNS=Social Networking Serviceとは「インターネットを使って社会的ネットワーク(ソーシャル・ネットワーク)を構築可能にするサービス」と定義されている。広義にはブログや、電子掲示板も広義的も含まれるようだが、狭義には「コミュニティ型の会員制のサービス」という。140文字以内の短い”つぶやき”を投稿するTwitterは広い意味でのSNSの1つといわれることもあるがTwitter社自身は、「社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワーク」(通信網)であるとしてSNSではないとしているという。基本実名制をとっている交流系SNSのFacebookや携帯によるメッセージ系SNSのLINE、動画系SNSのYouTube、写真系SNSのInstagram、その他数えきれない多くのSNSが存在し、今も日進月歩で誕生し続けている。世界中をつなぐネットワークで人は一体何を望んでいるのだろう。このホームページにしてもSNSの言葉すらなかった20年前から、今ではBLOGというべき1Way型(一方向発信)のコラムを続けてきた。何のために何をしたくてと問われても返答に困る。他人様を喜ばせるなどとは間違えても言えない。あなたは何のために何をしたくて生きているのと問われて他人を納得させられる人がどれだけいるだろうか。迷惑をかけない範囲でやりたいことをやろう・・。
5月8日(水) <久しぶりのテニスに行った・・・>
久しぶりのテニスに行った。過去に例のないゴールデンウイークの10連休の間にはテニスができず、数えてみると16日振りだ。テニスの開門を待つ間に会員の最長老というべき男性と話しをした。今回の令和改元に伴い上皇となられた前の天皇が昭和8年(1933年)12月生まれであられることから、登山家でプロスキーヤーである三浦雄一郎(昭和7年10月生まれ)がテレビに出演して今年の1月に86歳で南米最高峰のアコンカグア(標高6961m)に登頂しようとして途中断念した経緯を話していたこと、更には私の義理の兄がやはり昭和7年生まれでまだ元気に活躍していることなどに話が及んだ。すると、かの最長老さんは自分が幼稚園の時に今の上皇様がお生まれになったと日の丸の旗を持ってお祝いしたのを覚えていると言った。そう、彼は90歳を過ぎてなおテニスを続けている。テニスに限らず色々な分野で80歳代、90歳代の人が活躍しているのを見聞きすると私などは弱音を吐けない。爽やかな五月晴れのもと3試合・3時間を存分に動いた。何と言っても楽しくゲームのできる仲間がありがたい・・。
5月9日(木) <このところ「すり足」を試みて・・・>
このところ「すり足」を試みている。以前、コラムに書いたことがあるが「能に学ぶ身体技法」(安田登著)という本を愛読しているが、能舞台でみる動きがアスリートにも非常に役に立つとある。「すり足」はその中でも基本の動き。結局は大腰筋といわれる深層筋(表層の筋肉でない)をいかに活性化させるかがポイントとされる。「すり足」のステップを、(1)足を出す(2)爪先が上がる(3)爪先をさげるの、3ステップで説明されているが、ゆっくりだから簡単かと思うと真反対でゆっくりだから難しい。足裏をすって一歩踏み出す動作をする際、上体が左右に振れず安定した上半身を保つために股関節を意識する。大腰筋によって股関節が少し引き上げられるのをイメージして自然に足が前に出るのがよいという。私などこの第一歩から重心がふらついてしまう。今日はウォ−キングの際に「すり足」のステップで爪先を余分に上げて道路を歩いてみたが、やはり身体の”ブレ”は修正できない。それでもスポーツで重要な太ももを上げる働きをする大腰筋を、「すり足」で鍛える感覚がやってみると少し実感できた。
九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の阿弥陀如来像(上品)
2019-05-09 今日はお寺の墓地で小一時間墓掃除をした
5月10日(金) <旅行に行った時の写真をアルバム用に・・・>
旅行に行った時の写真をアルバム用にA4サイズに印刷するようにPhotoshop(ソフト)を使って整理する作業をしている最中にほとんど完成しているデータを間違って消去してしまった。何枚もの部分写真があるので不要なものを消去する際に、誤って本体を「消去・OK」を押してしまったのだが、OKを押すと後ではどうにもならない。このような失敗や苦労はあるけれども、一時中断していたパソコンでのアルバム作りを今は再開している。子どもや孫にアルバムを残すためではない。妻と自分で時にアルバムを見て懐かしむためだけと思っている。作家、曾野綾子さん(87歳で健在)の対談本を読んでいると、死んだ後に写真を残したくないとご主人(三浦朱門)と一緒に別荘で数千枚の写真を焼却処分した話が出ていた。確かに今は親の代のアルバムを子どもが引き継ぐのは容易ではない。写真の撮影が極めて簡単になった反面、写真に歴史的な価値があるものは極めて少ないだろう。地球上で見れば、いわば毎日何億枚もの写真データが蓄積され廃棄もされている。江戸幕府最後の将軍であった徳川 慶喜が大政奉還、そして明治政府となって完全に引退した後に、カメラによる写真撮影を趣味としたことはよく知られている。当時は写真は再先端技術であり、絵画でなく写真によって残された映像は歴史的な貴重な資料にもなった。個人の記録が泡沫のように消え去る中で極々一部が歴史の記録として残っていくのはいつの時代も同じか・・。
5月11日(土) <土曜日は陶芸・・・>
土曜日は陶芸をやる。陶芸教室での陶芸で毎回同じような愚痴をこぼすのだが、予定した作業のほぼ半分程度しか進捗しない。今日は既に粘土でラフな形状は制作を終えているので仕上げの削りや調整作業は簡単に終わる、残った時間に何をやろうか、と考えていた。ところが3時間の枠で完成せず、また別の日に最終仕上げをやることにした。今回制作しているのは組立式の大物部品であるので、私の場合事前に細かい設計図を準備している。けれども作業をする者が設計しているから設計図を厳密に守って制作することはない。変更は自由自在。現物を見ながら、気分によって適宜変更を行う。より良いものを求めて時間を2倍、3倍かけても誰も文句を言わない。そこが今の陶芸の面白いところでもある。・・老後の生き方、過ごし方などでも”こうあるべき”、”ねばならない”に従順にしたがう必要はないのでないか。目標を定めて取り組むとやりがいがでるという。けれども目標なんていくらでも変えれば良い。やりたいこと、好きなことがあれば時間がいくらあっても足りなくなる・・。
5月12日(日) <今日は千葉に住む友人夫妻と・・・>
今日は千葉に住む友人夫妻と私たちと一緒に一日「沼津散策の旅」をした。先ほど帰宅したところで何も整理できていないがi-Phoneで歩数を確認すると14000歩を越えていた。巡り歩いた順番に、訪れた場所を記載すると、若山牧水記念館、沼津倶楽部、千本浜公園、沼津御用邸記念公園、白隠禅師が住職であった松陰寺ほか・・。中でも沼津倶楽部は明治末期にミツワ石鹸社長が三千坪の土地に建築した近代和風の別邸をベースにした国の有形文化財にも登録されている場所(インターネット紹介=ここ)が圧巻だった。事前に予約をして昼食はここでいただいた。他のどの場所でも、知らなかったところ、そして素晴らしいところが何と多いものか・・。ほんの一部であるが写真を掲載して今日はお休み・・。
 
2019-05-12 沼津倶楽部  右は松陰寺
5月13日(月) <脚本家の橋田壽賀子さん・・・>
脚本家の橋田壽賀子さんがいまだに現役で仕事をされていることを知って驚いた。先週、5月10日に橋田壽賀子さんが理事を務める橋田文化財団によって設立された「橋田賞」の授与式に出席された様子をテレビで見たが、橋田壽賀子さんは、まさにその日が誕生日で94歳になったはずだ(1925年生まれ)。橋田賞とは「日本人の心や人の触れ合いを取り上げ、放送文化に大きく貢献した番組や人物に贈られる」とあるが、選考は橋田さんは絡まずに選考委委員がやるようで、橋田さんと受賞者のやりとりが面白い。橋田さんは何年も前に、”今の俳優さん達、名前も分からない”とこぼしていたというが、今回の授賞式でも正直に受賞者の名前を知らないこと、ドラマも見ていないことなど白状したので逆に式が盛り上がった。菅田将暉さんが自分の名前を全く知らない橋田さんに覚えてもらおうと「すだまさき」ですと連呼するので同じく知らなかった私まで名前を覚えた。けれども出演したドラマを見たことはないか・・。それにしても、1993年に創設以来27年間も毎年何人かの人に100万円を授与する賞を維持されている橋田壽賀子さんの姿勢は、年齢を超えてまた驚きである。
5月14日(火) <久しぶりに「ケセラセラ」の歌・・・>
久しぶりに「ケセラセラ」の歌をYouTubeで聴いた(例=ここ)。ヒッチコック監督の映画作品(1956)「知りすぎていた男」の劇中で「ケセラセラ」を歌ったドリス・デイが昨日97歳で亡くなったという。ドリス・デイはアメリカの女優で歌手だが、私などは「ケセラセラ」以外知らない。映画「知りすぎていた男」も見たことは確かだが内容はほとんど記憶にない。ただ、「ケセラセラ」はその後の大ヒットと合わせて私にとっても生涯忘れられない希少な歌となった。「Que Sera, Sera」=「Whatever will be, will be」=「なるようになる」はどの言語にしても楽曲とぴったりとマッチする。何よりも深刻な割には暗さがなく開き直った希望が見える。私も先行きが分からず落ち込みそうになると「ケセラセラ」、「なるようになる」と唱えて乗り越えてきた。・・ドリス・デイが死去したことを書き始めたところで、京マチ子さんが一昨日95歳で亡くなったとの報。こちらはまた伝説の大女優だ。ドリス・デイは4度目の結婚をした後、離婚して晩年は動物愛護に力を注いだそうだが、京マチ子さんは生涯独身を通した。合掌・・。
5月15日(水) <朝7時半に家をでてテニス・・・>
朝7時半に家をでてテニスに行き、12時半に家に帰り、昼食後1時半にまた歩いて陶芸教室に行き、5時まで陶芸。帰宅は夕方という忙しい一日だった。テニス場は神宮球場と秩父宮ラグビー場の中間にあり、来年のオリンピック、更にその後にはこの一帯が再開発される予定であるので、テニスの環境も期間限定となってきた。今日、秩父宮ラグビー場の前を通っていると、下水道の蓋が新しいデザインになっていることに気がついた(下の写真)。それは今年の秋に日本で開催されることが決まった「ラグビーワールドカップ」の宣伝のために東京都が特別に更新した蓋であった。ラグビー情勢については疎いので「ラグビーワールドカップ2019」について調べてみると、これも複雑。「2019年9月20日から11月2日に日本で開催」はいいとして、9/20開幕戦が東京スタジアム(調布市),11/2決勝戦が横浜スタジアムで、その他12都市で開催予定とか。秩父宮ラグビー場は試合には使用されないとか。ラグビーを実際にやる人口は極めて少ないと思われるし、ラグビー人気がどのようなものか知らぬが、オリンピックの開催に先だって日本はラグビーのために大サービスをしようとしている・・。
2019-05-15下水道の蓋
5月16日(木) <散歩をする時に・・・>
散歩をする時に、その時々の体調がはっきりと自覚されるので面白い。散歩、あるいはウォ−キングはやりたくなければ止めればいい。ただ、一旦家を出ると歩き続けなければならない。一歩一歩が重く叱咤激励しながら何とか一時間ほど歩くこともあれば、足を全く感じることなく周囲の花や景色に見とれながら時間が経過することもある。今日は初めは昨日のテニスの疲労を引きずっている感覚であったが、途中から陶芸で制作する作品の作り方を考え始めると脚のことは忘れてしまった。ゆっくりとした散策歩きは身体のトレーニングとしては余り良くないと言われるが、何もしないよりは増しだろう。私の場合、考え事をしながらでも一歩を大きくとることは意識している。京都に哲学者の西田幾太郎が散策したとして名付けられた「哲学の道」があるが、欧米の一流学者や音楽家などが歩きながら思索したエピソードも多い。歩きながら頭脳を活性化させるのは理にかなっているのだろう。私もアイデイアを求めながら歩くことができる時は体調がいいと解釈している。考える以外に、美しい季節の花があれば写真を撮ろうと思っていたが見つからなかった。下には家のベランダで可愛く咲き始めたミニ薔薇の写真を掲載する。
2019-05-16
5月17日(金) <以前の陶芸教室で懇意にしていた女性・・・>
以前の陶芸教室で懇意にしていた女性から展覧会(三人展)の案内をいただいたので出かけて行った。午前中はテニスで駆け回っていたので、かなりくたびれていたが、展覧会場に着くと疲れが吹き飛んでしまった。場所は田園調布駅(東京・大田区)から歩いて数分の住宅街の中。案内がなければギャラリーとは気がつかない入口を入ると趣のある庭。その一角の竹を組んだ門を下って行くと地下にギャラリーがあった(下に写真)。展示されている作品のレベルはかなり高く、もちろん鑑賞していて刺激を受けたが、それ以外に展示物の台が朝鮮・李朝時代の高級家具など骨董的な価値があると思われるものばかりで、台座を見ているだけでも飽きない。ギャラリー全体の飾り付けは案内していただいたギャラリーのオーナーが自ら行ったようで何から何まで新鮮だった。ギャラリーの雰囲気にこれほど感動したことは珍しい。この「ギャラリー余白」をインターネットで見つけたので書いておこう(今の展覧会は5/20まで開催中)=ここ=。<アクセスはネットで検索可>
 
2019-05-17 左=田園調布駅舎   右=ギャラリー前庭
ギャラリーへの階段 右は水滴の波紋を壁に反射させた仕掛
5月18日(土) <今日の陶芸は思いの外順調・・・>
今日の陶芸は思いの外順調に進んだ。陶芸は予定していた作業の半分ほどしかできないケースが多い中で、今日スタートした制作は難しい作業内容だったにもかかわらず予定通りに進捗。しかも、細かい寸法や段取りは定めずにぶっつけ本番で成功した。物事はこのように綿密な計画を立てたものが順調にいかず挫折する一方で、やってみると心配するほどのことはなくうまく運ぶことも多い。古代中国で杞(き)の国の人が天地が崩れ落ちてきはしないかと心配した故事から「杞憂(きゆう)」という言葉ができたほどに何事も心配をしだすと切りがない。陶芸に話を戻すと今回は図面では表さなかったが、散歩の最中とか、寝床の中で制作をする時に起こりうる問題点を頭の中では検討していた。そのために少々の思惑違いがあっても”想定内”として制作をどんどん進めることができた。”こうすべき”を厳密に守る理由はほとんどないと承知していると気楽である。他のことでもフレキシブルに、つまり柔軟性を持って対応するに限る。陶芸で何を作り始めたか、完成はまだひと月先になりそうだ・・。
5月19日(日) <「Mieuへの絵手紙」をもう一ヶ月以上描いていない・・・>
「Mieuへの絵手紙」をもう一ヶ月以上描いていない
ことに気がついた。従ってこのページの表紙の絵も更新されていない。今日は旅行に行った時の写真をアルバムにするためにパソコンで整理し、印画紙に印刷するなど休みなく作業をしているうちに一日が終わりそうだ。ゆっくりと「Mieuへの絵手紙」を描く時間をどうやってとろうか・・。ニューヨークに住む孫娘Mieuは間もなく高校を卒業し、この秋から大学生となる。今は思う存分遊べばいいのに、下のMieuのブログを見ても余りに頑張りすぎて余裕がないのが心配。これからの絵手紙はどのようなものを描こうか・・。ホッとするような絵、力の抜ける絵など容易に描けるものではないが、とにかくも気が休まる絵を描きたい・・。大袈裟に考えずに、この先独立したMieuへも絵手紙を続けられたら幸いだ・・。

2019-05-19 今、ベランダに咲いている花をみているだけで気が休まる
5月20日(月) <還暦(60歳)が引退でなく、古希(70歳)まで働く時代・・・>
還暦(60歳)が引退でなく、古希(70歳)まで働く時代が到来しようとしている。楽しく働くのは大いに結構として傘寿(80歳)になっても自ら引退したくない人は多い。
画家などの芸術家や小説家は個人として生涯の仕事を続けるのが当たり前で問題はない。けれども組織のトップになって自分の引退を自分で決めるべき人は、止める決断は容易ではない。そして、”不本意ながら”引退をする人は、精神に異常を来す確率が多いという話を聞く。これまで周囲からチヤホヤされ、部下に指示していた生活が一変して誰からも注目されなくなると、余程考えを転換しないと生きがいがなくなる。私の周辺でもあれほど調子が良かった人がという人に限って引退後間もなく亡くなったりする。一方で、うまく転換した人は人生を倍生きている感じで元気だ。傘寿でさえ一つの通過点で、卒寿(90歳)を目指すようになった時代。男性も進んで組織に頼らない生活へ舵を切るべきだろう・・。

5月21日(火) <表紙に「mieuへの絵手紙・テッセンの花」・・・>
表紙に「mieuへの絵手紙・テッセンの花」(ペンと水彩・パステル)を掲載した。今日は午前中、今年最大と云われる大雨と強風の中、陶芸教室へ行き粘土の削り仕事をやった。雨靴に大風用の特別の傘を準備してでかけたが、バスの停留所まで行くだけで一苦労する強い風雨だった。午後、家に帰り昼食を済ませた後、描いたのが、今日表紙に掲載した「mieuへの絵手紙・テッセンの花」。このテッセン(クレマチス)は昨年もベランダで花を咲かせてくれたのであるが、今年もまた何も世話をしていないのに見事な花を咲かせている。振り返ると、昨年の4月19日にMieuへの絵手紙で「鉄線花」を描いていた(=ここ)。今回、描き終えるまで一年前にも描いたことをすっかり忘れていた。テッセンの花は昨年と今年で色合いが全く違って見えるが、観察すると花が咲き始めて開いていく間に毎日のように色を変える。今日描いた花の色は赤ピンクが強いが見る間に紫が強くなるなど変化が激しい。またテッセンといっても白やブルー系もあるなど種類が豊富だ。今回は赤系統の色合いが微妙で水彩絵具では色がでないので、242色のパステルを取り出して一部にパステルで色を補足した。久しぶりにパステルを使うと、せっかく持っているパステルをもっと使わなければ”もったいない”という思いが募ってきた。やはり、描くことも楽しい・・。


5月22日(水) <NHK-Eテレビ「100分de名著」で5月には「平家物語」・・・>
NHK-Eテレビ「100分de名著」で5月には「平家物語」が放映されている。私は水曜の午前5時30分〜5時55分の再放送でみるのであるが(本放送は月曜日10時25分〜10時50分)、講師の安田登さんがヌニークで適任だ。私は安田さんの著書「能に学ぶ身体技法」を持っており日々愛読しているので非常に親しく番組を見ている。安田登さんは高校教師であった25歳の時に能を初めて見て感動し、弟子入りをして27歳で舞台に立ったという経歴の能楽師であり、考え方がフレキシブルで知識も幅広い。番組では解説以外に琵琶の演奏に合わせて朗読も安田さんがやるが、能楽の舞台で鍛えただけあって朗読がまたすばらしい。「平家物語」を人間学や組織論、歴史に対する洞察などのヒントの宝庫であると捕えて、現代社会と関連づけて解説されるところも面白い。名著の解説は理屈だけの学者以上に実践者のほうが説得力がある・・。(TV番組案内=ここ
5月23日(木) <表紙に「Mieuへの絵手紙・花(ルドンより)」を掲載・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙・花(ルドンより)」を掲載した。一昨日に「Mieuへの絵手紙・テッセン」を掲載した時にコラムに書いたようにテッセンの花の色が微妙で水彩では色が出し切れず242色のパステルを取り出して描いた。パステルがそのままあるので、何かパステルを使って描きたいと思って、たまたまルドンの画集を開いていると、花を描いたパステル画を見つけた。それではパステルでルドンの模写をしようと思い立って描いたのが今回のMieuへの絵手紙。ルドン(1840~1916)は100年前のフランスの画家で、当時、フランスで全盛を極めた印象派の仲間には入らず、幻想的な絵画や暗いモノクロの版画などを制作していたが、50歳を過ぎた頃から急に鮮やかな色彩の絵画を描くようになった人物だ。独特の色彩表現が素晴らしく、明治時代には日本の画家がルドンの模写をして学んだという記録もある。私もルドンの晩年の作品は大好きだが、今回うっかりと模写しようとしたのは大間違いだった。ルドンの花の原画は高さが78cmもある大きな絵でこれをパステルで描いている。高さ15cmのハガキに模写などできるはずがない。バックの色合いはパステルで描いたが細かいところはペンや筆を使った。模写とは言えないが、ルドンの細かな描き方を凝視するだけでも面白かったことは確かだ。

5月24日(金) <食事の前に「いただきます」・・・>
食事の前に「いただきます」という。子どもの頃からの習慣であるが歳を重ねるにしたがって、言葉により心がこもるから面白い。最近は本当に心底「いただきます」を唱える。お米や野菜、果物を作るのに携わった農家の人々、魚、肉を提供してくれた人々、料理を作ることに関わった人たち皆への感謝の気持もあるが、私の場合、生き物を食すること、つまり”命いただきます”の意味が一番重い。食肉用の牛にしても子牛の何と可愛いことか、目をぱっちりと開けて汚れなく泳いでいる魚を捕獲して食材とする。人間は自分が生きるために殺生を繰り返す。人がこの世に生存していること自体が「おかげさま」。自分一人で生きている人はいない。「いただきます」は日本独特の言葉で、諸外国では食事の前のこんな習慣はないと言われる。日本では神や仏に感謝するのと同等レベルで「いただきます」の感謝をするように見える。数年前かに給食費を払っているのに学校給食の際に「いただきます」をいうのはおかしいと言った父兄が報じられてあきれ果てたことがあった。「いただきます」の習慣はいつまでも続けて欲しい・・。
5月25日(土) <「マスゴミ」という言葉・・・>
「マスゴミ」という言葉が世間を賑わしている。きっかけは一昨日(23日)に国民民主党の玉木代表がツイッターで「いい加減な臆測記事を書くな。だからマスゴミなんて呼ばれるんだよ」と投稿したことに始まる。批判が殺到して玉木氏は直ぐに投稿を削除したが、その後も、「マスゴミ」がネットを飛交っている。「マスゴミ」を知らなかったが以前から「マスゴミ朝日」のように使われていた言葉のようだ。私は何年間も前から新聞を購入することは止めており、専らインターネットでのニュース(新聞社の記事もある)を見るので新聞事情は知らないが、テレビも含めた最近のマスコミは余りにノーテンキで危機感がないように見える。どこの番組もお笑いと時間延ばしに終始して、工夫がない、新鮮味もない。欧米では”まともな人”はテレビは見ないとか。新聞は内容ではなくても毎日膨大な量の古新聞と言うゴミを排出しているし、テレビの電波でも瞬間瞬間にゴミの山。もちろん、一部に有用な情報とか刺激になる番組もある。視聴者側の対抗策はチャンネルを消す以外に、気に入らない番組や芸人のスポンサーを覚えておいて決してその商品を購入しないことでないか・・。
5月26日(日) <今日の東京の最高気温は33℃・・・>
今日の東京の最高気温は33℃となり5月であるのに3日続けて30℃を越す夏日となった。北海道サロマ湖では何と最高気温39.5℃となり年間を通しての史上最高気温を記録したという。こんな猛暑の中、米国大統領・トランプさんが国賓として来日中で、千葉でゴルフをやるとか大相撲の千秋楽で大統領杯を授与するとか、安倍総理のオモテナシも大変だろう。暑さの中、「Mieuへの絵手紙・カボチャの葉」(ペンと水彩)を描いたので表紙に掲載した。今朝のNHKテレビ「やさいの時間」で山口もえさんがミニカボチャの摘心を習っている様子が放映されていた。我家でもベランダでミニカボチャを栽培し始めているので、早速同じように妻が剪定を試みた。ここで伐採したカボチャの葉をそのまま捨てるのがもったいないので自家製花器に入れて飾ってみたものを描いたのが「今日の絵」。カボチャの葉は初め萎れ気味であったのが、しばらくすると張りが戻り元気になった。カボチャの葉だけでも十分に飾りとなって楽しめる・・。

5月27日(月) <今日も東京は夏日(練馬で34℃)・・・>
今日も東京は夏日(練馬で34℃)。午前中、テニスをやったが今日は先週の金曜日(やはり夏日)よりはるかに厳しい暑さを感じた。水を飲み、休憩を入れて3時間プレーを続けると、さすがに”無事を感謝”。仲間同士でも熱中症で倒れる前に危なければ中断しようと話がついている。このような日は午後も休息時間が長いが、家では昨日切り取ったカボチャの葉(表紙の絵で掲載中)が水を吸ってますます元気になっているので昨日とは別のショットの絵を描いた。掲載は明日以降とするが植物の生命力には驚かされる。今日はこのカボチャの葉の写真を掲載する(あえて逆光写真としたが、カボチャの葉が伸びきっている)。使用している器は陶芸で制作した「宥座の器」(=ここ=参照)。こうしてみると表紙の絵手紙の「カボチャの葉」がいかにも元気がない。明日にでも絵手紙も更新しよう。
2019-05-27
5月28日(火) <表紙には新しい絵手紙作品・・・>
表紙には新しい絵手紙作品「Mieuへの絵手紙・カボチャの葉2」(ペンと水彩)を掲載した。一昨日、昨日と続けてコラムで触れたように、ベランダ菜園で育てているカボチャの茎から剪定のため切り落とした分を器に入れて楽しんでいる。初めは萎れていた葉が水を吸って見る間に元気になる様子を目の当たりにした。下に器に入れた状態の写真を掲載するが、全ての葉の元は一本の茎で、剪定したのはこの一本だけ。その先にこれほど多くの葉が伸びている。この一本の切断されて水を吸って更に伸びようとしているエネルギーは今は本体に残った茎に養分としてより多く供給されていることになる。剪定とは残酷なものだと毎回思う。切り落とされる方は特別に劣っている訳でも生命力がない訳でもない。ただ他をより大きく伸ばすために人間サマが勝手に決めて切り落とす。切り落とされた”廃物”でもこの写真のように元気に美しく生き続けることができる。しかし、考えてみると本体で優遇されたにしても、やがて実をつけ収穫された後には廃物となり次の代に生を託す。人間社会でも同じような歴史だなぁと、カボチャの葉を見ながら妙な感慨に耽った。
  2019-05-28
5月29日(水) <朝5時30分起床・・・>
朝5時30分起床。外は雨で今日のテニスは休みに決まり。コーヒーを飲みながら、初めに気がついたのが食卓に置いていた「カボチャの葉」の蕾部分が黄色い花を咲かせたことだった。昨日は表紙に掲載した通りの蕾であったのが一晩で花を咲かせた。下に昨日絵に描いた部分の写真(今日撮影)を掲載するが、描いている時に、まさか翌日に花が開くとは全く考えもしなかった。このような”まさか”は大歓迎だ。昨日の絵は一昨日に描いた「カボチャの葉」が余りに活気がないので、蕾と葉の部分を新たに描いたものだったが、今日になると花が咲いた時の絵を描けば良かったと思うから勝手なものだ。とにかくも、より成長して変化を続けるカボチャがうれしい。・・今日はテニスに行けなかった代わりに、右肩の治療に整体に通った。調子のいいことを言いながらも右腕でボールを強打をすると身体にひずみが出るのか。カボチャのように”成育”を続けられる年齢でない身体をどうすれば萎れさせないか。自分の身体の扱いは難しい・・。
2019-05-29
5月30日(木) <”迷惑メール”はなくならない・・・>
”迷惑メール”はなくならない。私の場合、大抵は英文の迷惑メールがパソコンメールに入る。その発信者を「迷惑メール」に登録すると次からは無条件で迷惑メールの場所に入るので、以後、メインの受信で開くことなく定期的に廃棄できる。一ヶ月以上前に今度は「なりすましメール」が入った。なりすましとは、自分のメール番号が発信者になって着信する。これも英文で”あなたのメール番号は既に我々の手の中にある。この番号を使って悪いことをされたくなければ、金をよこせ”といった趣旨の脅しが記載されている。メールを管理する会社に電話をして相談するとコンピュータを使って色々なメールアドレスの組合せを試行錯誤するやり方があり、合致したアドレスを見つけると、そのメール番号者になりすまして”ゆすり”をするのだという。対策は無条件に「迷惑メール」へ登録して無視するのが一番という。アドレスを変更するのも知り合いがメールアドレスの変更をする手間がかかり、それこそ迷惑だ。こうしたメールに関する迷惑行為はもちろん全てコンピュータ操作で個々の人は関知していない(ちなみに、初期の頃、英文を比較して読んだが毎回全く同じ文面だった)。コンピュータでなりすましをいつまで続けるように設定されているのか。二ヶ月近くもゆすりを続けて成果がなければそろそろ止め時でないかと期待をしながら廃棄を続ける・・。
5月31日(金) <炎天下待ち行列に草生える・・・>
「炎天下待ち行列に草生える」。この俳句の作者はKis-My-Ft2・玉森裕太。先週の木曜日のテレビ番組「プレバト!!」俳句査定の番組でこの一句が披露されて場が大炎上した。この句での「草生える」はネット用語で「笑っていること」を意味する”www"を草に見立てた言い方。「笑い」、「笑える」、「爆笑」などとコメントしたい時に、インターメットでは書きやすいようにwww,wwwww,wwwwwwwwなどと表すのを”草が生えているように見える”として、「草生える」とか「大草原」という言葉が「笑い」の意味で通用するという。番組では夏井いつき先生や梅沢富美男らもネット用語とは知らず、しばし「草生える」議論が続いた。この俳句の査定は最下位だったが、意味を知った後の夏井先生の添削がすごい:「炎天下待ち行列にwww(ルビ:草生える)」。「草生える」が一般的に認知されているかは疑問だとしても言葉は常に変化している。ネット用語も取り入れる許容度があるからこそ俳句もまた進化する・・。



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