「今日のコラム」(2019年 6月分)

6月1日(土) <土曜日の陶芸教室はお休み・・・>
土曜日の陶芸教室はお休みとして、今日は友人の絵画の展覧会に行った。10数人のグループが年に一度三鷹文化会館で展覧会を開催するので毎年楽しみにしてでかける。友人は杖を付き歩くのもままならぬほど痛々しかったが、絵には元気があった。見る人誰からも”いいですね”と評判の良かった絵が一点あった他に、以前描いた絵画を加筆して出展したという一枚が面白かった。指導の先生からは加筆しない方が良かったと言われ、本人も画面に小さな花を一輪画面に追加しただけで絵の雰囲気がガラリと変わってしまったと後悔している風。私も陶芸で後に手を加えるほど結果が悪くなることは何度も経験する。最終的には本人の感覚でよしとすれば完了とできるのが作品造りのいいところだ。・・夜は妻が所用で遅くなるとのことで、久しぶりに夕食作り。ボルシチ(ロシア風煮込みスープ)を初めて作ってみたが今は市販のボルシチ用のスープベースを使うと極めて簡単だった。カレーやシチューと同じように素材を炒めると、後は出来合の味付けが容易にできる。それにしても市販のスープベースの何と美味しくできていることか・・。


6月2日(日) <昔のことは記憶が定かでなくなる・・・>
昔のことは記憶が定かでなくなる。このところ、20~30年ほど以前の写真や作品のデータを整理していて記録にあるもの以外の経緯の記憶が曖昧で愕然としている。このホームページでも古いデータを掲載しているページの年代がハッキリせずに不親切であることも判明。例えば、当時留学中であった娘宛にだした「絵はがき」を掲載したページ(絵はがきギャラリー、POSTCARD GALLERY=ここ)は1994年版で25年前のものだが説明がない。一方で個別のはがきの記載を見ると、「1994年10月恵比寿ガーデンプレイスオープン」と書いてガーデンプレイスを描いた絵がある(=ここ)など、今見ても記念的に面白いところもある。ほとんど忘れていたが、ギャラリー項目の中の「今日の作品1993年以前」のページ(=ここ)に、1989-1990年に描いた女性像があった。実に30年前だ!と我ながら少々感動する。作品とか写真で残しているものは思い出すことができるから、記録とはありがたい。それにしても、このホームページを開設してから20年。昔の蓄積以上の新しい材料が求められる。ホームページのリニューアルも視野に入れよう・・。


6月3日(月) <われわれ素人テニスでは・・・>
われわれ素人テニスでは当然のことながら審判はいないのでアウト・セーフはセルフジャッジで、ゲームのカウントも仲間で確認しながら進行させる。ところが炎天下でプレーをするだけで疲労困憊している時にはゲームカウントでさえも間違えることがある。他人任せにしていると後で間違えていたとは言えない。自分なりにゲームポイントをしっかりと覚えておくように心掛けてはいるが思うようにはいかない。今日のテニスで私がかなり自信を持っていたカウントが結果的に間違えていたようでショックを受けた。私一人の記憶と他の三人の主張が違っていた。ハッキリさせるためには一つ前、二つ前、その前のゲームまでどうやってポイントが決まったかを説明できなければならない。暑さの中ではお互いに勘違いすることがあるが、今日は見事なまでに私の頭の中が抜けていた。テニスでは毎回他の仲間のミスを責めることはできない、自分も同じくミスをすることを思い知らされる。何事も他人の欠点が目につく習性が人にはあるが、鏡に映せば自分も同じ。今日のミスジャッジを教訓にしよう・・。


6月4日(火) <義兄の墓参りで谷中・・・>
義兄の墓参りで谷中に行った。命日は6月11日なので少し早いかと思ったが、お墓では2日前に既にお参りに来た人がいたようで、新しい花が供えられていた。そう、今年は義兄の七回忌。2013年に突然義兄が亡くなったときのショックは今でも忘れられない。私のホームページのコラム(2013-6月12日〜=ここ)でその時の状況を読み直すと、色々なことが思い出されて感無量。義兄が亡くなった時期に私たちは転居する必要があり義兄に転居先の相談までしていた。義兄の突然の死後、色々な経緯の中で何と私たちが義兄が住んでいた家に住むことになった(今も住み続けている)。想像すらできなかった事態の進行に特別の運命を感じない訳にはいかなかった。七回忌を迎えて今の生活基盤が全て義兄のお陰さまで成り立っていることを改めて心するよう我が身に言い聞かせる。谷中では今の時節紫陽花が随所で咲き誇っている。
 
  2019-06-04 谷中・瑞輪寺にて   右は他の寺境内


6月5日(水) <身体が思うように反応しない・・・>
身体が思うように反応しないほど悔しいことはない。一週間前に右の肩に異常を感じ、腕を上げるだけで違和感があったので整体で治療を受けた。その後少し復調はしたがまだ完全に治っていない。今日のテニスでは無理をせずにゲームは何とかできたが、悔しい思いばかりが続いた。今日気付いたのは右でサーブをやったり、高いボールをスマッシュで打つ場合に強く打てないということだけではなく、ラケットを動かす反応が鈍くなることだ。”重い”とか”痛い”という感覚以前に、無意識でボールに対して反応するスピードが遅くなる。そこで、変な話であるが身体障害者のことを思った。元来は運動能力が優れていても何らかの事情で障害ができた人たちは、どれほどの悔しい思いをしていることだろう。それにしても老化で身体が衰える方はまだ訓練でそれなりの復元ができる希望はある。今朝のテニスでの待ち時間に話しをしたベテラン仲間の一人は御歳90歳を越えている。若造の私などまだまだ弱音を吐けない・・。


6月6日(木) <六月六日というと・・・>
六月六日というと私は「かわいいコックさん」につながる。絵描き歌の名作(ネットサンプル=ここ)で「棒が一本あったとさ・・」から始まり、「六月六日(ろくがつむいか)に雨ザーザー降ってきて、三角定規にひびいって・・」と続く。いまだに記憶に残っているだけ、よくできた絵描き歌だと思うが、50数年前(1964年頃)の作だから歌詞がいかにも古く懐かしい。今時、「三角定規」を子供は使うのだろうか、「コッペパン」という言葉も今は余り聞かない。”雨ザーザー降って来る”梅雨入り時期であるのは変わらないけれども残念ながら今日は晴天。明日の夕刻からは雨ザーザーで梅雨入りとなりそうだ。・・今日は久しぶりに所用で新宿の南口近辺を歩いた。新宿の風景もまた懐かしい思いで眺めたので下に写真を掲載する。
 
2019-06-06 新宿駅南口方面


6月7日(金) <「ピラティスポール」を手に入れて・・・>
「ピラティスポール」を手に入れて”ゆがんだ体のリセット”を始めた。右腕が重く動かし難いのでテニスもしばらくお休みとしてリハビリに励むという訳だ。「ポール」は直径が15cm,長さが1M(100cm)ほどの円筒で、これを使って脊柱 (背骨) や骨盤の動きを調整する。整体で治療を受けた際に教えてもらい早速に購入して使い始めたが、とても気に入っている。「ピラティス」は人の名前で、必ずしも円筒型の道具を使うことなく、体感を鍛えるためのエクササイズとして「ピラティス・メソッド」は世界中に普及しているようだ。「ピラティス」は西洋のヨガとも呼ばれ、体幹やインナーマッスルを鍛えてバランスのとれた体にするという。ピラティスは1883年、ドイツで生まれ、1930年にアメリカの市民権を得て晩年はアメリカで活躍した。1967年没。ピラティス・メソッドは「身体のストレッチ、筋力強化、そしてバランス強化を目的としてデザインされたエクササイズと身体の動作法」と定義されている。私の状態であるとポール(円筒)を使うやり方が非常にマッチしていると思われるが今はインターネット(YouTube)で懇切丁寧に要領を教えてくれるのでありがたい。当面の右肩故障の対策だけでなく生涯利用できる「メソッド」を知った。
6月8日(土) <今日は二週間ぶりに陶芸教室・・・>
今日は二週間ぶりに陶芸教室にいき陶芸をやった。素焼きの完成したものに釉薬をかけて本焼成にだした後、小物を粘土で成形するなど、休みのない二時間半は毎度ながら充実している。陶芸の場合、粘土での成形が終わると、粘土を十分乾燥させた後、窯に入れ約800℃で素焼きを行う。素焼きが完成すると次に釉薬をかけて更に約1350℃程度で本焼成を行う。絵画などのように一気に完成させることが出来ない上に、細かな出来上がり状態は完成してみないと分からない。釉薬は1000℃以上の温度で溶融した結果、発色するので、”火の神様のご機嫌次第”で微妙な色合いが左右される。このような手間と仕上がりの危うさが陶芸の面白いところであるのだろう。とにかくも、余計なことを考えずに集中して一時を過すことができるのがいい。・・表紙には今日完成していた作品「球体花器」を早速に掲載してみる。表面には結晶が認められるがもう少し多く結晶を期待していたところでもある。大きさが分かり難いのでCDデイスクの上に乗せた写真を下にも掲載する。
 
 6月9日(日) <このところ、「カボチャの葉と花」を・・・>
このところ、「カボチャの葉と花」を連日楽しませてもらっている。コラムにも何度も書いたが、5月26日にベランダ菜園で育て始めたカボチャを妻がテレビのやり方に習って初めて葉の剪定を試みた。その時に伐採したカボチャの葉を一本捨てずに花器に入れてみたところ葉に活気が戻り、5月29日には大きな花を咲かせた。続いて水の交換だけはやりながら別の花を咲かせているのを見ていると、どんどん茎も成長して伸びてきた。今日はその先にまたまた花を咲かせている。今日の写真を下に掲載するが5月28~29日の写真(=ここ)と比べると、この一週間〜10日間での成長のすごさが分かる。 「剪定」とは他の茎により栄養分を豊富に与えて成果をだすために何も悪くない茎が犠牲となり伐採される。もし、花器に入れてやらずにごみ箱に捨てればそれまでの話。それが、ただ水が供給される環境に置かれるだけでこれほどまでに成長し花を咲かせる生命力に感動させられる。いち生物としての人間も置かれた環境で生命力をいかに発揮できるか、甘ったれたことは言えない・・。
 
2019-06-09 カボチャの花

6月10日(月) <久しぶりの本格的な雨・・・>
久しぶりの本格的な雨。気温も上がらず東京では最高気温17.4℃とか。午後は雨風が一層強くなり、我家のサンルームで雨漏りが発生し一騒動だった。一方で、室内トレーニングははかどらなかったが、いつもは出来ない部屋片付けにも励んだ。「梅雨寒」がぴったりの感覚だったので俳句を調べると、こんな句が見つかった:「梅雨寒や東京都心灰色に (稲畑廣太郎 )」。これは全くそのまま。灰色の都心もまたいいものだ。「梅雨寒の書斎に羽織る妻のもの(富川杵名男)」。部屋でパソコンを始めると半袖シャツでは肌寒いので同じようにちょっと拝借して羽織った。「梅雨寒や何もしないといふ不自由 (木戸渥子)」。私の場合は、外で何も出来ない分、部屋の中で何でも出来る自由時間を存分に満喫した。・・明日から信州方面に小旅行にでかける。雨ならば雨でも構わない。紫陽花がみられるか、楽しみにしている・・。


6月11日(火) <今は信州・蓼科高原(長野県茅野市)の宿・・・>
今は信州・蓼科高原(長野県茅野市)の宿にいる。義兄夫妻とのドライブ旅行は私の妻が運転係と決まっている。昨夜来の大雨が止み、ドライブは快適。山梨県南部の紫陽花が2万株といわれる「内船(うつぶな)公園」を経由して身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)へ行った。久遠寺の名前は知っていたが訪れたのは初めて。日蓮宗総本山の久遠寺は想像以上に壮大な規模で圧倒された。富士山の真西に位置し、太陽の日の出を富士の真上にみる身延山に居を構えた日蓮上人の偉大さを改めて思う・・。
 
 2019年 6月11日 うつぶな公園の紫陽花     身延山久遠寺・本堂
 
身延山久遠寺・祖師堂          身延山山頂から富士川&駿河湾方面を望む


6月12日(水) <今日一日、蓼科高原(長野県茅野市)・・・>
今日一日、蓼科高原(長野県茅野市)で色々な場所を訪れた。先ずは杜鵑峡(とけんきょう)。杜鵑(とけん)とは「ホトトギス」。杜鵑花(とけんか)はホトトギスの鳴く頃咲く花で「サツキ」を意味し、杜鵑峡にはそれぞれの趣があるとして名付けられた信濃十名所の一つ。次に行ったのは「御射鹿池(みしゃかいけ)。この池は鏡のような水面に周囲の山々が映り込み、東山魁夷が「緑響く」の名作絵画を描いた原風景として有名。その後には白駒の池に行った。この池は標高2115mにあり、駐車場から更に少々登山をしなければならない。登山道の周囲には「苔の森」がある。約500種類の苔がこの近辺で観察される貴重な苔の森であるという。更に、その後「バラクライングリッシュガーデン」(=約1万平方メートルの地に創園された本格的英国式庭園、net=ここ)にも行ったが写真を掲載するスペースがない。全て私にとっては初めての場所。そして二度と来られるか分からぬ地だった。とにかくも、今日もよく歩き、ご無事・・。
 
 2019-06-12 杜鵑峡(滝の湯川)   右は御射鹿池
 
白駒の池    右は苔の森


6月13日(木) <今日は蓼科高原からの帰途、入笠山・・・>
今日は蓼科高原からの帰途、入笠山(にゅうかさやま=標高1995m)の麓にある入笠(にゅうかさ)すずらん山野草公園や入笠湿原<長野県富士見町>などを訪れた。山の頂上までは行かなかったが標高1700mを越す高地を時間をかけて歩いた。山野草公園側からは八ヶ岳を背景にドイツすずらん、 入笠湿原には100万本といわれる日本すずらんが見頃だった。至る所で足元の珍しい山野草を観察する一方で、遠方に八ヶ岳の他に富士山や南アルプスの山並みを望む贅沢な非日常を過した。夕方には東京に帰着。同行した義兄夫妻はそろって80歳を越す高齢者であるが皆よく歩いた。先ずは共に無事であったことを感謝しなければならない。
 
 2019-06-13 ドイツすずらんと八ヶ岳連峰  右は入笠湿原(周囲は全て日本すずらん)
 
左は日本すずらん 右は幻の花「釜無ホテイアツモリソウ」


6月14日(金) <山野草の種類は・・・>
山野草の種類は非常に多い。例えば白色系の花でも似たような形状が沢山あり種類を特定するのは簡単ではない。昨日、信州富士見町の富士見パノラマリゾートにある「入笠すずらん山野草公園」を散策している時に偶然知り合った人がケイタイ(i-Phone)で山野草の写真を撮ると、画像からその種類を判別してくれるソフトを使って名前を教えてくれた。まだ市販はされていないが自分で実用性を確かめている様子。実際に本やインターネットの図録写真で花を比較して名前を知るのは容易ではない。このように画像認識の技術を使って即座に名前を識別してくれるソフトがあることを知らなかったが素晴らしいものだった。世の中は進化している。そして知らないことも多い。昨日撮影した白い花と名前を掲載してみよう・・。
 
  2019-06-14 マイズルソウ+ツバメオモト+ミヤマエンレイソウ+ヤマシャクヤク


6月15日(土) <東京は終日強い雨・・・>
東京は終日強い雨が降り続いた。一昨日までのドライブ旅行が天気に恵まれたことを改めて感謝。身延山でも蓼科高原でも雨であれば全く異なった旅行となったことだろう。今日は雨でも関係のない陶芸教室に行っての作業とした。素焼きが完成した部品に釉薬を掛けるまでは予定通り。時間が余ったので、ほとんど完成している小物部品で乾燥した粘土状態のところを最後の削り仕上げに取りかかった。そこで、またもや大失敗。毎回同じ失敗を繰り返しているようで書くのも恥ずかしいが、最後の仕上げ加工している時に薄い皮の乾燥粘土を割ってしまったのだ。いわば98%辺りまで順調に仕上げたところで、まさに油断。モノは直径20mm程度の小さな部品で破損した部分は1mmほどの厚さだから余程慎重を期さなければならないことは分かっていたが、思いの外調子良く微細な削りが進んだので、最後になってやり過ぎたのだ。想定外のミスではない。むしろ「図に乗る」、「つけあがる」ことによるミスと言っても良い。いくら経験を積んでもミスを繰り返すのを降る雨のせいにはできない・・。


6月16日(日) <ビートたけしさんの離婚・・・>
ビートたけしさんの離婚が成立したことが話題になっている。芸能界の大御所であるビートたけしさんが72歳にして40年近く連れ添った夫人と離婚。それも夫人に100億円とも200億円ともいわれる財産分与の上での協議離婚という。全く別世界での話で、どうこう言うものでもないが、いくら決まった愛人がいるといっても、72歳で莫大な財産分与をして離婚するエネルギーには驚く。当然、これからも現役として高収入を得て生活に不安はないであろうが、他人を一切頼りにすることなく自立が徹底しているところが気持がいい。今回の話題でビートたけしの経歴をみると、誕生日が私と一日違い(私が丁度6歳年上だ)で、若い頃に数学に興味があり機械工学科に進んだなどと個人的に親しさを覚えた。人間の幸・不幸は外見だけでは分からない。とにかくも高齢になると過去の栄光・経歴にこだわらぬこと、そして他人(夫婦や親子兄弟など全てを含む)の世話にならぬことが第一。陰ながらビートたけしの今後を応援しよう・・。


6月17日(月) <12日ぶりのテニス・・・>
12日ぶりのテニスは楽しむというより可笑しいほど慎重に取り組んだ。6月5日のテニスで腕を持ち上げるのさえ違和感があり思うように動けなかった。その後、マッサージをしたり、骨盤調整の運動をしたり、静養に努めて今日は試運転の如く様子をみた。ゆっくりとか無理をしないと言い聞かせながら、筋肉をゆるめるべく息を吐いて呼吸を整えるなど、出来ることは何でもやってみながら調子を整えた。結果は、そこそこにプレーが出来て、問題なく三試合を終えることが出来た。これからも試運転を続けるつもりで、しばらくは全負荷をかけないようにしよう・・。・・余力があったのか夕方には駒沢公園まで散歩に行った。その時に撮影した写真を下に掲載する。
 
2019-06-17 紫陽花、ガクアジサイ、キンシバイ、シモツケ


6月18日(火) <朝食前に珍しく散歩・・・>
朝食前に珍しく散歩にでかけた。6時25分から10分間のテレビ体操を終えた後に家を出て、朝日を浴びながら東へ約15分歩いて氷川神社にお参り。氷川神社は各所にあるが、今朝お参りしたのは東京・目黒区にある八雲氷川神社。何でもない日常の散歩をコラムに取り上げたのは神社でみた「令和元年六月(水無月)の言葉」に感動したからだ。「さしのぼる 朝日の光 へだてなく 世を照らさむぞ 我がねがひなる」(昭和天皇)。正に朝日の光を浴びながら神社に着いた時にこの言葉。今日一日この一言で、元気になるのだから人は単純だ。これまでは散歩・ウォ−キングというと夕方に決まっていたが、”さしのぼる朝日”の時間に歩くのも悪くはない・・。


6月19日(水) <ドクダミの花・・・>
ドクダミの花を至る所でみかける。今日はテニス場の入口脇の草むら、公園の外れの雑草地帯などでみた(いずれも都心)。親戚の家に行った時には庭のドクダミ除去が一仕事となるなど一般的には繁殖力の極めて強い嫌われ者だが花弁相当部(棒状花序先など)は可憐で十分に季節感がある。ドクダミは「ドク」のつく名前で損をしている。本来は「毒溜め」とか、毒を抑える意味の「毒矯み」からきた名称でドクダミ自体に毒はないというが「ドク」がつくと敬遠される。もちろん、ドクダミ茶とか生薬としての価値も知られているが希少価値はない。英語ではドクダミのことを、fish mint,fish herbなど魚の匂いに関連した名称となるそうだが、もしドクダミでない別の名前ならば印象が随分変わるだろう。「雑草」という呼名にも誠意はみえないが、雑草類に付けた名前には可哀想な名前がある。例えば、イヌノフグリ(犬の陰嚢)、ヘクソカズラ(屁屎葛)など。これらも美しい花を咲かせるのに・・。

2019-06-19
ドクダミ(左)の隣に近所に咲いていた花の写真を入れたが名前は分からない


6月20日(木) <生まれたばかりの赤ん坊は・・・>
生まれたばかりの赤ん坊は身体全体がしなやかでどんな方向にでも自在に曲がる。それが成長とともに姿勢が安定し同時に体が固くなって行く。昨日、テニスの待ち時間に90歳を超した仲間の男性がそんな話しをした。砲丸投げの室伏広治がそのようなしなやかな赤ん坊の体を目指して自分の体を柔軟にするトレーニングを続けて記録をのばしたこと、更に野球のイチロウ、相撲の白鵬など運動の一流選手はこぞってしなやかさを追求したことなどに話が及んだ。90歳を過ぎた人が私にそんな話しをしてくれたのが何か愉快ではある。私が右腕が上がらずに苦労したことを言うと、特に高齢になるとどんどん筋肉が固くなるので如何にほぐすかがポイントだと教えてくれたのだ。整体に通った時にも筋肉が偏って固くなっていることを指摘された。筋肉は多くの筋繊維が束ねられたものなので束が固まると柔軟性がなくなり痛みが出やすくなるのは理解できる。日常生活で体を動かす範囲が限られていると動かさなくていい筋肉は直に固着するので、日常で如何に満遍なく筋肉をほぐすかが重要であるのもとてもよく分かる。何事でも理屈で言うのは簡単。では、日常で何をどうするをどうするのかが問われる・・。


6月21日(金) <今日も午前中テニス・・・>
今日も午前中テニス。今週は月、水、金とテニスが出来た。その前二週間ほど右腕が上がらず静養したことを考えると上出来で、回復を感謝。・・全く別の話であるが、最近、他人事でなく漢字が書けないことを自覚する。先ほどテレビの「音声」だけを聞いていて「イタコ」、「イタコ」と言うので漢字を思い浮かべたが出て来ない。「潮来」とみれば簡単な文字で茨城県のアヤメや水郷で有名な土地。それが書けないのだ。ちなみに「いばらぎ」は書けるが「菖蒲」は書けなかった。最近は本当にノートに文字を書く機会が少なくなった。あえて毎日のメモをほぼ日手帳に書くようにしているが、それがなければほとんど文字を書かない。だから、このように如何に書けないかを記して文字を記憶するとしばらくは覚えていることが分かった。少し前に旅行した際。「タデシナ」が書けなかった。悔しい思いをしながら「蓼科」を何度か書くと今はまだ書くことが出来る。出来ないことを自覚するのは悪くはないようだ・・。


6月22日(土) <早朝に自由が丘・熊野神社・・・>
早朝に自由が丘・熊野神社まで歩きお参りをした。今週、火曜日(18日)にやはり早朝に八雲氷川神社にお参りに行き、朝早く散歩をするのも快適であることを知ったところでもある。パン屋さんが開いていれば朝食用にパンを買いたいと街中を廻ってみたが7時前でどこも未だ開店していなかった(最後にセブンイレブンで購入)。熊野神社では誰一人、人を見かけず静かに参拝できた。”お参り”といっても何をお願いする訳でもない。何はともあれ健康で歩き回れることを感謝する。人はいくら努力しても、節制しても人知を越えた天からのサポートがなければ正常な身体を維持することはできないとの思いは最近ますます強まる。熊野神社本殿の写真を下に掲載する。隣には境内に咲いていた「シモツケ」の花も入れた。「シモツケ」とは「下野」と書く。下野の国(栃木県)で最初に発見されたから「下野」と名がついたという。・・朝食後、改めて自由が丘の陶芸教室に出向いて陶芸。お参りが効いたのか、面倒な釉薬を掛ける作業も順調であった。
 
 2019-06-22 自由が丘・熊野神社  右は境内のシモツケ(下野)の花


6月23日(日) <秋葉原に行ってLED照明の部品を・・・>
秋葉原に行ってLED照明の部品を買い集めた。秋葉原に行くのは電気街に決まっているが、行く度に電気街の雰囲気が薄くなり寂しい思いをする。今日の日曜日でも電気街の中に休業している店があるし、活気がない。一方で、アトレとか家電量販店の大店舗が張り切っている。私の場合、アトレやヨドバシならば家の近所で十分間に合う。今日は一個80円のスイッチも買ったが、こういう部品が他では手に入り難いのである。東急ハンズでも売れ筋は置いてあるがマニア的な商品はないことが多い。そういえば陶芸用品は以前は東急ハンズで扱っていたが、最近は見なくなった。秋葉原にはモノづくりの原点となる部品を扱う気概をもって元気になって欲しいが、80円のスイッチが売れても”商売”にならないのかなぁ・・。「今日の写真」(下)は早朝に歩いて九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)まで行った時に撮った。朝の6時過ぎであったので本堂では丁度”ドンツクドンドンツクツク”と太鼓の音が鳴り響いていた。
 
 2019-06-23 九品仏浄真寺 太鼓の響く本堂&仁王門など


6月24日(月) <雨の中、半蔵門の国立劇場・・・>
雨の中、半蔵門の国立劇場に行き歌舞伎を見た。今の時期、国立劇場で歌舞伎を格安で鑑賞することが出来る「歌舞伎鑑賞教室」が開催されている(本日まで)。はじめに中村虎之介の解説による「歌舞伎のみかた」 が20~30分あった。これが非常に分かりやすく丁寧。休憩の後、福内鬼外作の歌舞伎「神霊矢口渡」(一幕もの)。「教室」と銘打つだけあって観客は大部分が中学生・高校生だが内容には手抜きがない。人類の無形文化遺産であることを納得させる本物の芸を披露してくれた。歌舞伎演目の「矢口渡(やぐちのわたし)」は東急多摩川線に今も駅名があり(大田区多摩川)蒲田に行く時などよく通る私にはお馴染みの名。近所にある「新田神社」は芝居の背景となった場所で、たまたま先月5月6日にここを訪れている(=ここ)。今日、芝居を見るまで知らなかったのは歌舞伎の作者・福内鬼外はかの平賀源内のペンネームであるということ。平賀源内は工学、医学、薬学だけでなく、小説、演劇、絵画などの創作も行った日本のレオナルド・ダ・ヴィンチのような人物であった・・。
 
 2019-06-24 国立劇場にて


6月25日(火) <今、陶芸作品としてLEDを使った照明具・・・>
今、陶芸作品としてLEDを使った照明具に取り組んでいる。今回、陶芸教室で焼成が完成したいくつかの部品を家に持ち帰り、組立・工作をした上で照明装置として完成させるため、陶芸教室で出来た作品を直ぐにこのコラムに掲載することが出来ない。今日は、家で一日工作仕事で時間を費やしたがまだ成果を「作品」として掲載するには至らない。工作というのは例えば磁石でON-OFFをさせるために細かな削りをやったりハンダ付けをしたりという類・・。作品の紹介は出来ないが、その点「今日の写真」は単純だ。一日のほんの瞬間をとらえた画像を掲載するのは何と易しいことか。今日は朝の散歩、夕方の散歩の時の写真を並べると偶然ぴったりと12時間違いであることに気がついた・・。
 
 2019-06-25 左=玉川神社(世田谷区)am6:15  右=駒沢公園(世田谷区)pm6:15


6月26日(水) <今日の表紙に「LED照明具部品」(陶芸作品)・・・>
今日の表紙に「LED照明具部品」(陶芸作品)を掲載した。昨日のコラムで、照明具の工作仕事をやっても作品が未完成で掲載できないと書いたが、それならば部品を並べて完成させる前の状況を披露しようと開き直った。中央の皿の下に磁石の入った玉の磁力でON=OFFをするように特別の手作りスイッチを入れる。また皿には浅く水を溜めるようにして光が映るようにする。三角形の柱と皿はワイヤでつなぎ、柱の内部にLEDの帯を挿入する。書けばそんなところだが、陶器で制作する浮き球は未だ焼成できていないので完成はかなり先になる。時間はかかるが、モノづくりは制作過程に楽しみがあることを実感する。


6月27日(木) <今日は珍しく終日体調が悪かった・・・>
今日は珍しく終日体調が悪かった。朝はアイスコーヒーを一杯飲んだだけで胃腸を壊し食欲もないので朝食を抜かした。その後、何かをやろうとしても体が動かない。外出してもよたよたと歩いていた。熱中症の気味があるかと冷房を入れても駄目。何度も横になって休息したがやる気は出なかった。夕方、時間をかけてゆっくりと風呂に入ってようやく少し気分は回復してきた。熱がある訳ではないのにこんなことがある。昨夜、油物を食べ過ぎただけでこれほど体調を崩すことはないだろう。原因はよく分からない・・。こんな経験も無駄ではないだろうと叱咤しながらコラムを書き終えた・・。


6月28日(金) <表紙に「LED照明具・半完成」(陶芸作品)・・・>
表紙に「LED照明具・半完成」(陶芸作品)を掲載した。文字通り”半完成”だがLED照明の明かりはついた。この照明具のミソは三角枠の中に磁石を内蔵した球体を二つ浮かせて、これを照明のスイッチとするところで、この部分がまだ未完成だ。後は焦らずに時が来れば完成するだろうの心境だ。・・昨日よりかなり体調が回復したので、駒沢公園(東京・世田谷区)で開催されている「全国大陶器市」を見に妻とでかけた。日本全国の陶芸産地からそれぞれの名産品が出展されているが、陶芸をやる立場からは立派なお皿や茶碗が特価といって300円、500円で販売されているのを見ると制作者が可哀想になってしまう。しかも、妻は佐賀の焼物ではなく佐賀名物「小城羊羹(おぎようかん)」(佐賀県小城市)を買う始末。陶器は出来上がると少々のことでは破損しないし、摩耗もしない。陶器産業を活性化させる知恵はないものかと思うが簡単ではない・・。


6月29日(土) <秋葉原に行って不良品の交換・・・>
秋葉原に行って不良品の交換をしてもらった。前の日曜日(23日)に購入したLEDの帯ランプと一緒に購入した電源用のプラグ(100Vを12Vに変換するトランス)が信じられない不良品だったのだ。初めに数分間は正常にLEDが点灯したが突然消えた。配線の接続が悪いのかと調べたが分からず、ふとトランスの電源ランプが消えていることに気がついた。念のためテスターでプラグのアウトプットを調べると12Vの電源が来ていない。普通は電源用のトランスが故障することなど考えもしなかったが、更にトランスのボックスを100V電源から抜くと、ボックス内でカチャカチャと音がする。ボックスを強引に開いてみると、三本足の小物部品がハンダ付け部が外れて転がっていた。いくら、Made in China にしてもこれはひどすぎる。現物を見せると、秋葉原・電気街のお店屋さんも稀にこういうことがあるのですよと、領収書は持っていなかったが直ぐに新品と交換してくれた(交換前に新品を数分間検査もした)。ちなみに、今、表紙に掲載している写真を撮るときには、別に所持していた正常品のトランスを使って点灯させたもの。今回の不良品は改めて”品質”の重要性を考えさせられた。日本の品質は世界で評価される。今日終幕したG20大阪サミット(世界37カ国の国や国際機関代表団が参加)をみてもある意味、日本の品質が示せたようにも思える。


6月30日(日) <昨日、G20サミットで来日しているトランプ大統領・・・>
昨日、G20サミットで来日しているトランプ大統領が、米国への帰途、韓国に立寄るので”北朝鮮の金委員長がこれを見るならDMZ(DeMilitarized Zone=非武装地帯、南北の境界)で彼に会い握手しても良い”とツイッターで書き込んだのがきっかけで24時間も立たない今日午後にこれが実現してしまった。トランプ米大統領が北朝鮮の金正恩の案内で現職米国大統領として初めて北朝鮮の領域に入ったことなどが報道されている。外交ルートではなくツイッターという個人の意志表示で即刻接触が進むところに新しい歴史を感じる。・・最近、テレビがいかにつまらないかという話をよく聞く。食事番組、健康番組、旅番組、芸能人のおふざけ番組、どれもワンパターンでモノマネ。工夫がない。一方で、インターネットで個人が発信するYou Tubeやインスタグラムの方がテレビより個性的で面白く内容もあるとか。トランプ大統領のツイッターの話からテレビに代わる個人発信の力を連想する。時代は着実に変化している。既得権にあぐらをかいているテレビは最早斜陽となる・・。




これまでの「今日のコラム」(総括版)に戻る

 Menu + Picture + Ceramics+ Gallery + Corgi + Special + Links