「今日のコラム」(2019年 7月分)

7月1日(月) <今日から7月・・・>
今日から7月。雨模様でテニスはお休みとしたが”歩き”は続けている。歩く時に”ノートレ”を兼ねて目につく花の名を口に出して言ってみる。更に漢字での書き方を考えてみる(カタカナ名称も多いけれど)。ところが前に覚えたつもりの花の名が出て来ないことがよくある。それが歩き続けているうちに5分後に突如思い出したりするから記憶とは不思議だ。今日、出て来なかった名前の一つに「アガパンサス」がある。このようなカタカナの名前が最近多くて困る。「紫君子蘭=アガパンサス」であれば記憶に残るのに・・。我家の玄関にある「ヤマボウシ(山法師)がいま満開。これは白い頭巾をかぶった山法師という名前のいわれから忘れ難い。ヤマブキ(山吹)は春の花だが今は似たような黄色いキンシバイ(金糸梅)が咲いている。紫陽花(あじさい)とか蓮(はす)は名前よりも漢字が書けるかどうかが問われる。それにしても、一年を通して多様な花に出会えることは幸せである・・。
 
2019-07-01左の蓮は早朝、九品仏浄真寺の境内にて、中央の山法師は玄関脇、右のアガパンサスは夕刻の散歩道にて


7月2日(火) <中町天祖神社(世田谷区)に・・・>
中町天祖神社(世田谷区)に初めて行った。天祖神社という名の神社は各所にある。世田谷・上野毛駅の近くで上野毛通りのバス停に「天祖神社」があるので何度も前を通ったことがあるが、これまで一度も訪れたことはなかった。朝食前のウォ−キングで家から30数分歩くと神社に到着。家を出る時には小雨で傘をさしていたが丁度神社に着く頃に雨が止んだ。帰途、バスに乗ることも出来たが歩いて帰った。家に帰ると直ぐにシャワー。朝食前のいい運動となった。午後は車で妻と九品仏浄真寺(世田谷区)へ墓参。今日は息子の月命日なのでお参り以外に墓掃除にも精を出した。神社もお寺も身分証明書の提示を要求されることもなく自由に出入りできるスペースであるところが良い。公園とはまた違ったくつろぎの場所ともなる。
 
2019-07-02 中町天祖神社  右は九品仏浄真寺本堂
7月3日(水) <水曜日はテニスの日であるが・・・>
水曜日はテニスの日であるが早朝迷った末にテニスは休みと決断した。梅雨空であるが午前中は雨の確率は40%。テニスは出来ると思われたが、休みと決めたのは以前からの右肩が本調子でないことによる。”無理をしない”ことを言い聞かせるのは元よりであるが、試合となると瞬間的に無理か、無理でないかなど言えないのは経験で承知している。せっかく回復しつつある右肩をこの一日養生させることにしたのだ。テニスを休みにしたので朝食前に駒沢公園まで散歩に行き、そこで大収穫があった。7時過ぎに10数人でストレッチの体操をしているグループに遭遇したのだ。ラジオ体操のグループはよく見かけるがストレッチは珍しく少し離れた場所で一緒にやってみた。タオルを使って左右の肩を交互に開くなど今の肩の故障のリハビリに最適なことが直感で分かった。”養生”だけでは運動を続けらるない。ストレッチを取り入れて再スタートを計ろう・・。
7月4日(木) <”老残をさらさない”・・・>
”老残をさらさない”が昔の恥の日本文化にあった。日本文化と言わなくても、確かにオードリー・ヘップバーンやエリザベス・テイラーのお婆さんの姿を見たいとが思わない。けれども最近は日本の女優さん、男優さんなどかつてのアイドルが平気でテレビに現在の姿を見せる。司会をする黒柳徹子さん自身が85歳の今日の「徹子の部屋」で中原ひとみさんと江原真二郎さんご夫妻がゲストだった。お二人は同年齢で82歳。この場合何と言っても女性の中原ひとみささんの元気さが光る。続くテレビ番組「やすらぎの刻(とき)」では石坂浩二(78歳)、浅丘ルリ子(79歳、元石坂浩二の妻)、加賀まりこ(75歳)が出演している。私はこの人たちとはほぼ同年齢であるが、いずれも”老残”を見せないのが凄い。普通、歳をとると男性が女性より衰えが目立つが石坂浩二は年齢の重厚さだけが際立つ。加山雄三(82歳)とは異なるタイプの高齢俳優だ。80歳になって”女優”であるのは勇気がいることと思うが男性でもだた歳を取るだけでは俳優は務まらないだろうと陰ながら応援する・・。
7月5日(金) <今日は岸恵子さんのこと・・・>
今日は岸恵子さんのことを書こう。昨日、若かりし頃、スターとして活躍した女優が高齢になって現在でも活躍していることを書いたが、岸恵子さん(1932年生まれ)はその中でも大先輩格。今回、取り上げたのは妻が借りてきた今年の5月に発刊された本、岸恵子著「孤独という道づれ」(幻冬舎)出会ったからである。私が漠然と持っていた岸恵子さんのイメージは60年前にパリにあこがれ、フランス人にあこがれた美しい女優がフランス人映画監督イブ・シャンピに口説かれて諸手を上げて結婚した末に、やがて離婚させられたという程度であったが、本を読むとかなり見方が変わった。一つは岸恵子さんは女優のみならず今では文筆家として才能を発揮していること。現在、86歳の岸恵子さんはエッセイ集を多くだしているが80歳を過ぎて小説も書いている。1957年、25歳の時に11歳年上のイブ・シャンピと結婚して1973年、41歳の時に離婚したのであるが、その間、夫以上に対外的に活躍し、イブ・シャンピは冴えぬままにイタリア人の愛人のもとに走り離婚に至ったようでもある(詳しくは知らない。イブ・シャンピは離婚の5年後61歳で死去)。岸恵子が書いた文章を読むと、日本女性の教養とか生命力のたくましさを見る思いがする。彼女は日本とフランスの二重国籍とか。日本の国籍があってよかった・・。
7月6日(土) <”変わりゆくもの”と”いつまでも変わらないもの”・・・>
”変わりゆくもの”と”いつまでも変わらないもの”を毎日目にしながら時が流れる。いつも行くテニス場の側で建設が進められていた新国立競技場が全体の9割が完成したとして先日報道陣に公開された。昨日には久しぶりに東京‐渋谷の街を歩くと、渋谷駅近辺の風景がこれまでと違っていた。今までにない高層ビルがそそり立っていたり、スクランブル交差点では従来よりも更に外人を多く見かける。散歩に行った駒沢公園(世田谷区)では、公園周辺の瀟洒な平屋建ての住居が取り壊されて4階建ての建築工事が始まっている・・。都会は常に変貌することがエネルギーの証のように見える。一方で、道端の草花や樹木、空や雲、太陽や星に至るまで100年、1000年、1万年を経ても変わらない姿は数知れない。もちろん、厳密には”いつまでも変わらない”のでなく、人間の時間スケールでは変化を感知できないのかも知れない。草花のように常に変化を続けながら季節が来れば同じような花を咲かせているものもある。人間もまた今日は昨日と同じではない。多くの細胞が毎日死滅と再生を繰り返しながら入れ替わるが、全てが再生されるとは限らずに生命はいつか絶える。自らが変わりながら変化を楽しめればいい・・。
7月7日(日) <今日はアルバム整理・・・>
今日はアルバム整理に精を出した。先月義兄たちと蓼科高原をドライブ旅行した時に撮影したデジカメ写真をアルバム用に印刷するようにPhotoshopを使って整理したのであるが、合計A4サイズで9枚となった。2~3年前にアルバム整理を止めてデジカメで撮影した写真をパソコン内にしまい込んでいる時期があったが、パソコン内の写真はまず見直すことがなく死蔵されるだけであることに気がついた。それを印画紙に印刷してアルバムにすると何かと見開いて思いでを楽しむことが出来るので今は極力アルバムを作るようにしている。海外旅行の場合も同じであるが家に帰ってから旅行の写真を整理すると改めて旅の印象が強く残る。それをしないと、時を経ると驚くほど記憶が曖昧になり、どこに行ったかも忘れてしまうことすらある。アルバムも今は代々引き継ぐ要素はなく、一代限りの趣味かも知れない。それでも写真データをパソコンの中に眠らせているよりも時にアルバムをみて懐かしむだけでも撮影したものが活かされるだろう・・。
7月8日(月) <最近、父親が息子を殺すとか・・・>
最近、父親が息子を殺すとか、子供が親を殺すなどの悲惨な事件の報道が相次ぐ。あるテレビ番組の解説では日本で殺人を犯した加害者と被害者が親子など姻戚関係にあるケースは全体の40%以上で、加害者−被害者のつながりの中では一番大きいという。これは意外で大いに考えさせられてしまった。赤の他人であれば許せるものが親子だと許せないのか・・。親も子も成人した後でも、自分の所有物と思ったり、反対に自分を保護するべき存在と勘違いしたりするのか・・。子離れしない親は注意しなさい、親離れしない子は独立しなさいとか巷で言われながらもケースバイケースで色々な親子関係がある。事件になるケースは余程特別なケースであったとしても、「可愛さ余って憎さ百倍」、「愛憎は紙一重」が諺にあるほどに血縁関係は微妙なものなのだろう。・・今朝の7時頃散歩で訪れた駒沢公園の池で鴨の親子をみかけて写真を撮った(下)。鳥たちも成長すると親とは全く無関係に巣立ちをする・・。
2019-07-08駒沢公園(東京‐世田谷区)にて

7月9日(火) <最近、新しい贅沢を覚えた・・・>
最近、新しい贅沢を覚えた。これまでは夕刻、風呂上がりにビールを一杯飲むのが楽しみであったが、今はビールに代わってウィスキーを覚えたのである。オンザロックでシングルかダブル。ウィスキーの水割りというと私の父のことを思い出す。40年ほど前の父の晩年、80歳を過ぎていた頃だと思うが、近所に住んでいた私がご機嫌伺いに夕食時に家に行くと父は必ずウィスキーの水割りをやっていた。けれども、私も付き合ってをウィスキーを飲んだ覚えはほとんどない。当時はウィスキーは恐れ多い贅沢品だったのかも知れない。ジョニーウォーカーの赤とか黒は海外旅行の貴重な土産品であった。オールドパーなども懐かしい名前だ。今、私が飲んでいるのもスコッチ・ウィスキーで、”Ballantine's-17years old”というもの。隔世の感があるのは、今ではスコッチウィスキーも特別の贅沢品ではなくなったところか。世界で最高級のウィスキーが日本製であったり、日本製もなかなか手に入り難かったり・・。それはともかく、私は銘柄にこだわることは一切ない。ただ、風呂上がりのオンザロックが至福の時となる。


7月10日(水) <失敗の許される職業・・・>
失敗の許される職業と許されない職業がある。役人とか教師、医師などは失敗は許されない。ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんが大学の医学部を卒業した後、初め整形外科に務めた時の思いで話をしていた。不器用で外科の手術は他の人の何倍も時間がかかり、周囲からヤマナカでなく”ジャマナカ”と呼ばれる。そこで自分が外科医は向いていないと悟り、研究職に転向し色々の経緯の後に成果をだした。これまでの知識や技能をベースに新たな挑戦もなく処理をするのではない”研究開発”は未知の分野への挑戦から始まる。実験をしても失敗が当たり前で、失敗をしながら新たな手法や知見が得られる。モノツクリもまた失敗から学ぶ。上手くいかなければ修正すれば良い。trial and errorとか試行錯誤なくして新しいものは生まれない。・・人にはそれぞれに適性があるので、どちらが良いとは言えない。私などはどうみても失敗を繰り返しながら自由にモノを作るのが好きだ。それでも「失敗は成功の母」を実感できるほどに”成功”は容易ではない・・。
7月11日(木) <今日の表紙に陶芸作品「球が連なる花器」・・・>
今日の表紙に陶芸作品「球が連なる花器」を掲載した。何とも奇妙な花器が出来上がったが、自分でも何故、どういう意図で制作したのか定かでない。私の場合、設計図を描いて陶芸を作る場合も多いが、この時は思いつきというか勢いで一気に制作してしまった。結果的には他に余り見かけない花器として、これはこれで構わないとしよう。仕上げの釉薬も左側のブルー系統が土丸青磁、右側の茶系がソバと、釉薬を掛ける段階になってその場で選んだ。釉薬が球の上部から流れる様を見せようとたっぷりと乗せたところ、一番下部まで流れてしまった。そのために裏返すと裏の景色がむしろ面白くなった(下に写真)。ひっくり返してオブジェとできそうだ。花器として使う場合は白い花を活けるか、あるいはとんでもない発想で花を選んで活けてくれるとうれしい・・。

7月12日(金) <今日も朝から雨模様・・・>
今日も朝から雨模様で最高気温は22℃(東京)。都心では今日まで8日間連続で気温が25℃に届かず、梅雨寒と言われている。昨年は今年と真反対で猛烈な暑さが続いた。一年前のコラム(=ここ)を見ると、7月11日=35.2℃、7月13日=36℃、7月15日=35.4℃、7月18日=35.4℃と気温の話題ばかり書いている。昨年の酷暑を考えると今年の7月にこれほど涼しいことが信じられない。気象予報士にしても今日から明日への雲の動きは予測できても一年先の気象はつかめない。今年はこれほどの寒い気温と大雨が続いたので、来年の東京オリンピックの時期の天候がどうなるか。下手な予測なしに、”なるようになる”と承知した方がよさそうだ。・・今日の写真として小雨の中を所用で奥沢を訪れたついでに立寄った「奥沢神社」(東京・世田谷区)の写真を掲載する。この神社では「厄除けの大蛇」が祀られている。大蛇の力で来年のオリンピックの天候も何とかなるだろう・・。
2019-07-12 奥沢神社(東京・世田谷区)
7月13日(土) <今日は朝10時に小雨の中を陶芸教室・・・>
今日は朝10時に小雨の中を陶芸教室に行った。本日の作業は前回粘土で制作した板皿に細かな文様を彫り込むこと。集中してやったにもかかわらず、2時間半も時間がかかった。予定では1時間ほどでこの作業を終えて、新しい制作を始める予定であったが今日はここまでとした。この間、前のめりになって細かい作業を続けたので最後には背筋が曲がってしまった。教室の先生と陶芸を職業にすると、粘土をこねたり、轆轤(ろくろ)を回したりして一日中前屈みの姿勢で身体に良くないですねなどと話しをしながら、背筋を伸ばした。陶芸家に限らず、普通のオフィス仕事をする人、作家、棋士など多くの職業の人が自己管理をしなければ数時間前屈みを続けることになりかねない。自分で時に上を向いてみたり、歩いてみたり、身体をほぐすことは必須だ。・・今、こんなことを書きながらパソコンのキーボードを打っているが、これは”立ち仕事”で行っている。以前、自分で台を作成してキーボードとモニターディスプレイを立って仕事をするようにセットしたもの。これだけは今も会心作と自負している・・。
7月14日(日) <今日も一日雨が降り続き・・・>
今日も一日雨が降り続き、外出はほとんどなし。雨を見ながら何かはやったが、あらためて考えると、”どうでもいい”ことばかり。陶芸でLED照明具を製作中だが、組立て仕上げる作品であるので工作仕事が入る。6/28、6/28のコラム(=ここ)で書き、陶芸コーナーに半製品の写真(=ここ)も掲載したが、このLED照明具の最後の仕上げに、照明のスイッチとするため磁石を内蔵した二個の球体を取り付けようとした。この際に、直径20mm程度の球体(粘土で作製し焼成したもの)を改めてみると、どうも球体が気に入らない。球の形状はわずかなアンバランスでも見栄えが悪いとダイヤモンドヤスリで部分的に修正し始める。二個の球体を三角の枠の中に一度吊り下げてセットしたが、上下の位置がこれも気に入らずに苦労してやり直す。こんなことに時間を使って完成させるとまた次の”アラ”が見えて来る。修正できたものでも、見る人が気付いてくれるとも思えぬ細かな違いでしかない。普通は自分で満足できるようにやり直しができれば達成感があるものだが、”どうでもいい”ことに時間を費やしたと思えてしまうのだ。”どうでもいい”と思い始めると全てがどうでもよくなる・・。早く明るい陽を浴びて前向きになりたい・・。
7月15日(月) <谷中にある義兄の墓にお参り・・・>
谷中にある義兄の墓にお参りに行った。墓のある寺へは日暮里駅から15分ほど歩くのでいい運動になる。一方で途中にいくつもお寺が並んでいるし、昔のままの街並が谷中の雰囲気を醸し出しているので歩きながら周囲の風景を見るのも楽しい。毎月、義兄の月命日前後に墓参りをしているので、谷中を歩くのも慣れたが、昔からの街並がその都度微妙に変化している。1~2ヶ月前には普通の住宅だった家先に小さな食べ物屋さんができていたり、いつのまにか小物の店がオープンしていたり・・。広場に果物を広げて販売しているところがあったが、よくみると紙に書いた案内が全て英語であった。そう、谷中では欧米人のカップルがよく歩いている。今日は休日なので日本人の通行人も多いなぁと思っていると、話す言葉が日本語でなかった。それにしても、今日も終日太陽を目にすることはなかった。涼しくて楽ではあるが、もう7月も半分過ぎ去ってしまった・・。
 
2019-07-15 墓のある瑞輪寺  右は瑞輪寺境内の日蓮の像&谷中からみた東京スカイツリー
7月16日(火) <朝から気温が上がらず雨・・・>
朝から気温が上がらず雨が降り続く。東京の最高気温は何と22℃とか。外出は止めて今日は以前プレゼントされてそのままになっていたジグソーパズルを造り上げた。ジグソーパズルは色々な種類があるが最近はオリジナルな図案や文様があり、今回取り組んだものもユニークな絵柄であった(作家名入り)。それと昔の単純な形の切断ではなく凝りに凝った形状のピースも多い。久しぶりのジグソーパズルは165pieces。時間をかけて細かなピースを一つづつ組立てるのが何が面白いのと言われれば、一つの達成感であろうか。うまくはめ込める時と、なかなか進まない時があるが、突然、続けてどんどん出来ることもある。適度に難しいのでやりがいがある。今日、完成させたものを下に掲載するが、これはモデルとなる完成図がなかったので最後まで周囲の仕上がりがどうなるのか分からなかった。絵のタイトルは、「Islands of Life」。
 
2019-07-16 ジグソーパズル完成   右は部分
7月17日(水) <表紙に「LED照明具B」(陶芸作品)を掲載・・・>
表紙に「LED照明具B」(陶芸作品)を掲載した。6/26、6/28に写真入りで未完成の写真を表紙に入れるほどに待ち望んでいた作品の完成となった。未完成であったのは中央に吊るした二個の球体が遅れたからである。球体も他の陶器部品と同時に制作していたけれども、最後に球体の修正を行う過程で破損させてしまったので粘土から作り直した経緯がある。粘土で芯を空洞にした球体を作り、それを半分で割る。そして内部を出来るだけ肉厚が薄くなるように削る。半球状のものを素焼き、更に本焼成を行う。こうして完成させた半球の一方に円形の小型磁石を入れて接着剤で固定する。その後、二個の半球同士をまた接着剤でくっつけて球体が完成。最終的にはひも付きで完成させた球体の形状を整える。二個の球体が磁石で引き合い、接触しない状態で宙に浮かせるようにセットすると全体の完成となる。いうまでもなく、下の球が上部に引き上げられる時にLEDの電源がONとなるように皿の下に電源装置を備えている。今回の照明具は前回のLED照明具Aと比べると下部に水を溜められる皿を作ったところが大きな違い。そのために”カバさん”などを置いて遊ぶことも出来る(下に写真)。
 
7月18日(木) <最近、朝食前に軽く散歩する・・・>
最近、朝食前に軽く散歩することを覚えた。今朝は家から歩いて約10~15分の八雲氷川神社とその別当寺で、玉川八十八ヶ所霊場の第53番札所という金蔵院(こんぞういん)にも行った。金蔵院の縁起に曰く:「新義真言宗にて、等々力村満願寺の末なり。本堂6間に5間、本尊不動明王長3尺の木像を安置す」。等々力の満願寺には行ったことがある。等々力村と言われた時代にはこの辺り一帯(今の自由が丘一帯も全て)は衾(ふすま)村と呼ばれていた・・などと、お寺の縁起を知ると地元の歴史が思い出されて面白い。金蔵院の付近にいつもになく花が目についたので写真を撮った。名前が分からないのもあるが下に掲載してみる。

2019-07-18  八雲金蔵院にて 
7月19日(金) <今日は何が何でもテニスに行く・・・>
今日は何が何でもテニスに行くと決めていた。東京地方の天気予報では午前中9時から12時までは曇り。7時25分には少し雨が降っていたが家を出た。神宮外苑のテニス場前に8時過ぎに着いたが誰一人荷物を置いて待っていない。こんなことはこれまでなかった。どんなに早く行っても誰かの荷物が置いてあるのが普通だ。私が8時に着いても10番目であったりする。今日は相変わらず小雨は降っていたが少し様子を見ることにしてケイタイで遊んでいた。テニス場の開門は8時40分で、いつもは開門時には20人ほどが並んで待っているのだが、今日は8時25分まで待っても誰も来ないので帰宅することにした。帰る途中で女性が一人自転車で来たので話したが、他に誰も来ないのでそのまま帰宅。・・期待して外出するとこういうこともある。それではと、家で筋肉トレーニングに励んだが気分が晴れないのは止むを得ない。次に3日前にやったジグソーパズル(165pieces)に続いて巨大な591pieces(!!)のジグソーパズルに取りかかった。これは雑念がなくなり集中できるけれども、いくら時間があっても終わらない。これも焦らずゆっくりと気分転換のためにやることにした・・。
7月20日(土) <家の側に「しどめ坂」の名・・・>
家の側に「しどめ坂」の名がついた坂がある。目黒区の宮前小学校の脇を呑川緑地へ下る急坂。昔、「しどみ」と呼ばれる木(バラ科でとげのある木、赤い花が咲く)がこの近辺に群生していたので坂の名になったと解説されている。シドミとは馴染みがないので調べると日本名=クサボケ(草木瓜)でボケ(木瓜)と同じような花を咲かせるようだ(=ここ)。別名「シドミ」は酸っぱい実を意味する「酸ドミ」転訛したという説明もある。「しどめ」の名を私は初め「汐留(しおどめ)」と関連させて記憶したが汐留と赤い花では余りにかけ離れていた。それでも「クサボケ坂」なんていう名前よりもいいかも知れない。余談だが、東京の坂の名前を追求すると歴史が豊かなネーミングが山とあり面白そうだ。目黒の関連でも、権之助坂、行人坂、茶屋坂、なべころ坂、ばくろ坂(馬喰坂)など思いつくだけでも切りがない・・。
7月21日(日) <「Mieuへの絵手紙」が転機・・・>
「Mieuへの絵手紙」が転機を迎えている。ニューヨークに住む孫娘・美友(Mieu)へ絵手紙を描き始めたのが2004年、Mieuが4歳で両親とニューヨークに住み始めた時。それ以来、このホームページの「今日の絵」に掲載しているが、昨年、今年共に他に絵を描かなくなって「今日の絵」というとMieuへの絵手紙だけになってしまった。今年は5月28日以来一枚も描いていない始末(5月に4枚も描いていた!)。それでも、ざっと数えるとMieuへの絵手紙はこれまで250枚ほどになっている。Mieuは今年6月にニューヨークの高校を卒業。9月からはボストンに独りで住んでハーバード大学に通う。少なくとも”To MIEU-SAN in N.Y."で始まる絵手紙は8月まで。それでは9月以降は「To MIYU-SAN in Boston」(アメリカではMieuよりもMiyuの方が可愛く響くと聞いたので、これからはMiyuとするつもり)で新たにボストン宛に出すかどうか・・。絵手紙が貴重な描く機会であるだけに、どうしようかと迷い続けている・・。
7月22日(月) <宮沢賢治の「雨ニモマケズ」・・・>
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を久々に読み返すと、以前にない感動を覚えた。何と言うか汚れがなく心が芯から清められるような感覚。これは日本の貴重な文化遺産・宝に思える。宮沢賢治(1896〜1933)は生前には無名に近く、刊行された詩集もほんのわずかであったという。37歳で亡くなる2年前(1931年)に使用していた手帳に鉛筆で記されていた「雨ニモマケズ」は没後に発見された。「雨ニモマケズ」の「東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲の束ヲ負ヒ」の価値観は良き日本社会の根底を成すものだろう。世界中が「雨ニモマケズ」の精神になれば平和になるかも知れないなどと思っていると、今は「雨ニモマケズ」の英訳版まであることを知った。東日本大震災を悼み米国・ワシントンの大聖堂で行われた追悼式には雨ニモマケズの英訳が朗読されたという。インターネットの時代、いろいろなスタイルで「雨ニモマケズ」に触れることが出来るので、記してみよう。日本語全文例=ここ、You-Tubeの朗読例=ここ、英語訳例=ここ
7月23日(火) <ようやく大型ジグソーパズルが完成・・・>
ようやく大型ジグソーパズルが完成した。出来上がった寸法で、460mm(横)×610mm(縦)。全部で591ピースの大作だ。組立を始める時には完成時のスペースの倍以上の場所が必要となるのでテーブルを独占してしまう。寸暇を惜しんで少しずつパズルを進めても3~4日かかってしまった。図柄は鏡に反射した模様をデザインしたもので普通の絵画のような線がハッキリしないし、色の特徴も少ないのでジグソーパズルとしては難しい部類だろう。ジグソーパズルを一部始めた後で、電車に乗る機会があり、周囲で何人もの若者がスマホでゲームをしている場に遭遇した。そこでジグソーパズルはスマホのゲームと同じ感覚でないかと気がついた。色々とトライしながらどこかで必ずうまくいく。その達成感が快くてまた続ける。余計なことを考えずにゲームに集中すると自分だけの世界に浸れる。そしてパズルを完成させ、ゲームをクリアしたところで、”それがどうした”と言われれば返す言葉がない・・。
 
2019-07-23 左=パズル完成品  右=ピースの見える部分アップ
7月24日(水) <一年後の今日、7月24日から東京でのオリンピック・・・>
一年後の今日、7月24日から東京でのオリンピックが始まる。今日は朝から神宮外苑のテニス場の上をヘリコプタ−が飛交って騒々しかった。一年後に開会式が開催される新国立競技場を上空から中継している様子に見えた。今回の東京オリンピックが決定した時に私の知人の何人かが”オリンピックなんて前に1964年の東京で見たからもういい・・”と話したのに驚いた思い出がある。老人でなくてもオリンピックなんて何の役に立つのかと言う人もいる。このような言い方をする人は例外なく”お祭り”と無縁な人であることに最近気がついた。日本のお祭りは地域社会の伝統を引き継ぎ神輿を一緒に担ぐことにより結束を固める。実は私も地域のお祭りと無縁に育った。祭りを通して地域と結びつく体験がないけれども、子供、孫の時代まで祭り文化が引き継がれる社会の方が望ましい。オリンピックもある種のお祭りである。 競いながら親睦を深める。こんなチャンスを若い世代に引き継ぐべきであろう(競技内容などは時代に合わせていくらでも変更すれば良い)・・。
2019-07-24駒沢オリンピック公園にて
 1964年に東京オリンピックの第二会場としてサッカー、レスリング、バレーボールなどの会場として使用された
7月25日(木) <たまたま本棚に年寄り向けの本が三冊・・・>
たまたま本棚に年寄り向けの本が三冊並んでいた。「野垂れ死にの覚悟(曾野綾子・近藤誠共著・KKベストセラーズ)」、「孤独という道づれ(岸恵子著・幻冬舎)」、「すぐ死ぬんだから(内館牧子著・講談社)」。妻が知人に勧められて手に入れたのか、いただいたのか、著者は全て女性だ。それも、曾野綾子さんは87歳(1931年生まれ)、岸恵子さんは86歳(1932年生まれ)、内館牧子さんは70歳(1948年生まれ)とみなさん高齢でも元気な現役。本の内容はそれぞれとしても、みな従来の高齢者のイメージを破るバイタリテイーが溢れている。内館さんの本のカバーには”人生100年時代の新「終活」小説!”と謳っているが、主人公は「終活」なんてしない。「すぐ死ぬんだから」と自分に手をかけないのは自己放棄だとする。中身以上に「外見」を磨くことを堂々と主張できるところが女性の強みに思える。女性の高齢作家といえば、佐藤愛子(95歳)、瀬戸内寂聴(97歳)らが直ぐに思いつくけれども、男性は出て来ない。”男”は天国でのんびりしているのかなぁ・・。
7月26日(金) <今日は久々に朝から快晴・・・>
今日は久々に朝から快晴。同時に気温も上がり東京でも今年最高の33℃を越す暑さとなった。こんな中でテニスにも万全を期して臨む。日焼け止め、水分補給、そして適度な手抜き。それでも今日は隣のコートでプレーしていた女性が具合いが悪くなり事務所で横になっていた。よく知っている元気なおばさんだが初期の熱中症だとか。無理をしないに越したことはない。私は真夏日にテニスを終えて帰宅する際には、家に先ず”無事です”とケイタイで電話をする。今日もテニス場のロッカールームで話題になったのは、何年も前の話であるが第一コートで試合をしていたお年寄り(男性)が倒れてそのまま息を引き取ったこと。誰もがあの人は幸せだったという。好きなことをやりながら、患うことなく息を引き取った。私は20年以上昔にその人と時々ゲームをやったことがあるが、その場は知らなかった。死に際が見事だったと後に言われる人はそれほど多くないのは確かだ・・。
7月27日(土) <今日は土用の丑の日・・・>
今日は土用の丑の日でこの日に鰻を食べる習慣がある。これは江戸時代に平賀源内が知り合いの鰻屋の商売がうまくいくように「本日丑の日」の張り紙を店先に出すことを発案したところ大当たりして鰻屋は大繁盛したことから広がったというのが通説。平賀源内(1728~1780)のことは、このエピソードやエレキテル(静電気発生器)の修復など一部の逸話は承知していても全体像は見えていなかったが、先日見た歌舞伎の戯作者であることを知り、あらためて調べてみると、日本の歴史上稀に見る大天才、大変な人物であった。Wikipediaでは、本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家と紹介されている。6月24日のコラム(=ここ)で書いた「神霊矢口渡」という歌舞伎は源内が福内鬼外の名で書いた芝居で新田神社(今の東京・大田区)が舞台であるが、平賀源内はさびれていたこの神社に人を呼びたいと破魔矢の元祖を作り茶店で販売することを発案しこれも大成功したという。このような特異な才能が江戸時代にある程度発揮できる土壌があったことに驚くと同時に誇らしく思える・・。
7月28日(日) <朝6時25分から10分間のテレビ体操・・・>
朝6時25分から10分間のテレビ体操(ラジオ体操を含む)をやると、その時々の体調が非常によく分かる。脚や腕の上げ下ろしが軽くできるか、左右のバランスに偏りがないかなど身体の”違い”を検出するバロメーターとして有効だ。外出してウォ−キングとか早足で歩くことも足腰の調子を見る指標となることは言うまでもない。こうした身体の調子を計るのとは別に精神的なやる気を計る道具としてこの”ホームページの更新”がある。調子がいい時にはコラムに書く材料はいくらでもあるし、直に書くことが出来る。ところが、今日は何を書こうかと迷いつつ進まないこともある。私の場合、原則は夕刻から夜にかけてパソコンに向かってコラムの更新をすることが習慣であるが、明らかにモチベーションの高い時と低い時がある。一生懸命に制作に励んだ日でもコラムで紹介するほどのアウトプットが得られていない時には、やることはやったけれども書くことがないということにもなる。余り立派なことを書こうとすると続かない。考えてみると、今年末にはコラムを始めて20年が経過する。ブログという言葉もなかった頃から何かをつぶやいて20年・・。これからも低気圧でも大雨でもよい、”やる気”のバロメーターを見ながらコラムの更新を続けてみよう・・。
7月29日(月) <私たちは今はこの世にいない先人達の働きのお陰・・・>
私たちは今はこの世にいない先人達の働きのお陰で現在の豊かな生活が成り立っている。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画とかゲーテの著作などのように歴史的な偉人が残した業績ももちろん多いが、作者自身が自分の作品が後世に残り、世界中で愛されるとはゆめゆめ思っていなかったといケースもあるから面白い。作者でない人物が真の価値を発見して世界に遺産を残すことも多い。画家のゴッホ(1853~1890)は色々と病を抱えた上で37歳で自殺したが、生前は画壇では全く認められず売れた絵画は一枚だけだったという逸話は有名だ。後世ゴッホの絵画が認められるきっかけとなったのは、ゴッホの弟テオとの書簡集を出版したテオの妻であることは知られている。日本人で無名だった人を後世に知らしめた人物としては詩人・金子みすゞ(1903~1930、明治36~昭和5)を発掘した児童文学作家・矢崎節夫が先ず一番に思い浮かぶ。何とも理不尽な家庭の事情のため26歳で自ら命を絶った金子みすゞが生前に残していた遺稿集を世に出した矢崎の仕事がなければ金子みすゞの詩(例=ここ)にも出会えなかったことになる。更に、7月22日のコラム(=ここ)でも書いた宮沢賢治(1896〜1933)もまた37歳の若さで亡くなった時にはほとんど無名であったのが、草野心平らの尽力で広く作品が知られるようになった。こうしてみると、今もマスコミに乗っている有名人でなく、隠れた宝がすぐ隣に隠れていたりするかも知れない・・。
7月30日(火) <都心の最高気温が33℃・・・>
都心の最高気温が33℃を越えた。梅雨が空け夏本番だ。テニスは月、水、金の週3回としているので今日は休養の日。家のクーラーをつけた部屋で先日完成させた591ピースの大ジグソーパズルを糊で固定しフレームに入れる作業をした。今は何でもインターネットで注文すると直ぐに手に入る。ジグソーパズル用のフレームも専用のりもアマゾンに注文すると翌日には運賃ゼロで家まで配送してくれた。バスや電車で買いにでかけるより手間隙、それに交通費がかからない。フレームに入れて完成させたジグソーパズルはこの際、共同玄関の壁に飾らせてもらった。今住んでいるところは5軒の共同住宅(義兄が住んでいたマンションを借りている)。共同の玄関には今LED照明(表紙に掲載しているもの)とジグソーパズルが並ぶ。他にも私の作品を適宜飾らせてもらい玄関を展示場とできるのがありがたい。
 
2019-07-30 左=ジグソーパズル 右=LED照明具
7月31日(水) <今日は午前中テニス・・・>
今日は午前中テニス。東京の最高気温が35℃を記録した今日、朝から陽射しも強かった。テニスの場合、気温以上に湿度が問題となる。今日はほとんど無風でボールは変化しないのでいいのだが、体力的には蒸し暑さが最悪だった。今日の炎天下でのテニスの収穫をプラスとして挙げるならば、自分の身体でも条件が悪ければ決して思うようには働かないことを実感できたことだろうか。普通ならばあり得ない凡ミスをする。集中力とかフォーム以前に体が言うことを聞かない。下を向くと野球帽のひさしからボタボタと汗が流れ落ちるような条件で思い通りのプレーが出来ないことを思い知らされたのは悪くはない。休憩時間に水筒に入れた氷水を飲んだ時の幸せ感はこの暑さでなければ味わうことが出来ないものだった。いつもは3時間近くはテニスをやるのだが、仲間同士お互いに熱中症に気をつけて、今日は2時間余で終了。今日も無事を感謝・・。


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