「今日のコラム」(2019年 11月分)

11月1日(金) <人は余り自分の体調を気にし過ぎない方が・・・>
人は余り自分の体調を気にし過ぎない方が良いようだ。老人になると何かと自分の身体の不調を見つけたがる。生理的なことも気にすると脳がそれに合わせて反応する。体の痛みでも気にし始めるとあらゆるところに異常を感じるが、他のことに集中していると忘れてしまうという。ウォ−キングする際にノルマとして歩こうとすると足の動きや歩数ばかり気になるが、調子のいい時には歩いていることを忘れて周囲の花や景色の違いに感動して時間を感じない。意識的に外界に目を向けることも必要であろうと、今日はベランダの花の写真を掲載することにした。ベランダの花壇に一年以上”放置”していたテッセンが今花を咲かせている。台風対策として蔓を少しは固定したりしたが風雨を乗り越えて咲いた見事な花。その生命力を見ていると自分も元気になる。
2019-11-01


11月2日(土) <ラグビーワールドカップの決勝戦・・・>
ラグビーワールドカップの決勝戦、イングランド-南アフリカの対戦が今liveで中継されている。日本でラグビーのワールドカップを開催して観客が入るのかといった当初の見方が逆転して日本チームの活躍と相まってあっという間にラグビーは大人気になってしまった。実際にラグビーをプレーする人はまだ極めて少ないであろうが、私はラグビーで必ずでてくる「One for all, All for one」という言葉で好印象を持っていた。一つの目的に対して皆が心を合わせることと、一人の重要性を実に的確に言及していると思った。ワールドカップの機会に実戦を見るとやはり体と体をぶつけ合い、タックルをして倒す肉体の戦いが一番の魅力に思えて来る。・・今、中継では55分時点でイングランド9-南アフリカ15。結果を見ずにコラムは閉めよう・・。
11月3日(日) <10月の陶芸展に87歳の義兄が・・・>
10月の陶芸展に87歳の義兄が来てくれたことをコラムにも書いたが、一方で、この10月に以前親しくしていた従姉妹のご主人が死去した。更につづいて数年前まで隣同士で一緒に住んでいた義姉が亡くなったことを知った。身の回りの訃報にも大騒ぎしない自分が少し寂しい気もする。大学時代の友人が亡くなったことをお子様からの連絡で知ったこともある。歩くのに苦労したり、何らかの病を抱えていると伝え聞く友人は何人もいる。今週末に大学の同窓会が予定されているが出席できる人は一部の”恵まれた人”になってきたようだ。80歳前後で集まる同窓会なのでこれが最後という噂も聞く。身体のことは自分でも予測は難しい。この瞬間は元気であっても明日は我が身でどうなるか。健康のために何かをやるのでなく、健康をベースに何をやり続けるかを考えたいが・・。
11月4日(月) <穏やかな快晴となった休日・・・>
穏やかな快晴となった休日、午後、妻と息子の墓参りに行った。月命日は一昨日の2日で私はその2日前にも一人で墓の掃除をしたりしてきたが、今日は気持のよい秋晴れで墓のある九品仏浄真寺(世田谷区)の境内は多勢の人でにぎわっていた。このお寺は世田谷区の「区の花」である「鷺草」が自生する場所として知られる。サギソウと白鷺に関わる昔話(お伽噺)にも絡んでいるので最近お寺の境内に願いを叶える鷺の姿まで設置されている(下の写真)。墓参の後、妻は境内の名物銀杏の樹(天然記念物)の下でギンナン拾い。今の季節、家でおやつに浄真寺のギンナンを食べることが出来る・・。
 2019-11-04浄真寺にて
11月5日(火) <今日も秋晴れ・・・>
今日も秋晴れのいい天気が続く。今年の10月は台風やら大雨が多くて何事にもやる気がでなかったのが、このところの快晴で身体も元気になってきた。天の気は間違いなく人の気力にも影響する。午後、久しぶりに駒沢公園までウォ−キング。公園に着いた後、園内を一回りするだけでかなり歩数が増える。公園の出入り口などで「駒沢オリンピック公園」という正式名称が目について来年のオリンピック以降名称をどうするのか気になった。1964年(昭和39年)の東京オリンピックの第二会場として使用された施設も2020年の東京オリンピックを契機に”オリンピック”の名前を外しても構わないとも思うが・・。駒沢公園はオリンピックの名称と関係なく周辺の人々の大切な憩いの場所となっている。それにしてもオリンピック記念塔(下の写真中央)の前にある池(写真左)にはいつも親子の鴨が何羽もいるのに今日は姿が見えなかった。鴨も天気につられて散歩にでかけたか・・。
 
2019-11-05駒沢公園にて
11月6日(水) <今日もまた朝から夕方まで雲一つない快晴・・・>
今日もまた朝から夕方まで雲一つない快晴。午前中はテニスそして午後は陶芸と充実した一日であった。けれどもテニスの場合は全力を尽くすといっても三試合をこなす中である面スタミナの勝負であるので、必要なところ以外では極力無駄な力を使わないことを考える。勝負の後は疲労感とともに心地よい達成感がある。2時から5時までは陶芸教室で粘土で成形が終わった「流川香用の香炉」(新型)の仕上げ工作をやったが、無心で集中して作業したところあっという間に3時間が経ってしまった。疲労もなければ完了しなかったので達成感もない。明日もまた特別に陶芸の時間をとることとして教室を出て暗い夜道を家に帰ってきた。陶芸に限らず絵画などでも同じだが作品造りには勝負事のような明確な区切りがない。”これで完成”はある意味妥協点であって本当に満足しているかは別であろう。創作はエネルギーを存分に注ぎ込んだという自己満足から達成感を得るものかも知れない・・。
11月7日(木) <昨日に続き今日も午後陶芸教室・・・>
昨日に続き今日も午後陶芸教室に行った。やったのは粘土で制作中の「香炉」の仕上げ。無言で集中して作業を行ったが、周りの陶芸仲間の話は聞こえる。陶芸をやっているおばさん達や先生(教室のスタッフ)との話の成り行きで、”石炭はいわば植物の化石であるのに対して、石油は生物の遺骸が絡む”という高尚な話の展開になった。その時に若い教室のスタッフが「自分は石炭を見たことがないけれど・・」との言葉がでた。もちろん蒸気機関車も知らない。話には加わらなかったけれども私にとっては少々ショッキングだった。子供ではなく現在働き盛りの青年が石炭も蒸気機関車も見たことがない。そういう時代なのだ。風呂のために薪割りをして風呂を沸かしたとか、バスのエンジンをスタートさせるにはクランクの工具をバスの前に持っていき手で回してエンジンをかけたなどと昔を語ればきりがない。電車に乗る時に切符を切っていたことも既に歴史の中に入るのだろう。それぞれの過去は自慢にもならないが、私などの時代はコンピュータの初期の頃からの思い出を語り合える仲間がいると時を忘れて長話ができる。けれども「現在のコンピュータより一億倍速く計算できる」といわれる量子コンピュータが出現すると全く話も出来なくなるかも知れない・・。
11月8日(金) <自分では「老人」という感覚がほとんどない・・・>
自分では「老人」という感覚がほとんどない。体力の衰えは実感するが周りには5歳〜10歳年上でまだまだ元気に活躍している人たちが多勢いる。それでも明日の同窓会の平均年齢が傘寿(80歳)と聞くと若い方の自分でも昔ならかなりの「老人」の部類だ。「初めて老人になるあなたへ」という本(スキナー博士著、成甲書房発行)を持っている。以前買った当初には”当たり前でしょう”という内容ばかりで印象が薄かったが、最近また目を通すと前ととらえ方が違って面白いと思う個所が増えた。老人を”演じる”ときの注意事項にこういう項目があった。「十年以上前の話は封印しよう」、「同じ話は絶対に繰り返さない」、「避けたい話は病気と説教」。当たり前のアドバイスであっても実は自分で気がつかずにやっていることばかりだ。理屈で分かっていても容易には実践できない。注意事項でなく少し希望のある記事を引用しよう。「世界中の優れた叙事詩について創作された時の作者の年齢を統計グラフにすると、2 5歳から29歳までがひとつのピークであり、さらに80歳から84歳にもう一つのピークが見られる」という。これから叙事詩にでも挑戦するか・・。
11月9日(土) <今日、2年振りに大学の同窓会が開催された・・・>
今日、2年振りに大学の同窓会が開催された。はじめに、この2年の間に亡くなった7名のために黙祷した。機械工学科110名余の同窓生のうち逝去が判明している人が31名。連絡のつかない不明者13名。同窓生の場合、友人などを通して事務方に情報がなければ生死も分からなくなる。結局、今日の出席者は20名だった。健康に恵まれ、しかも会場に通える地の利もある人だけが出席できていることを改めて実感する。出席者のスピーチを聞いていると、幸運に恵まれていると言っても色々な病気を克服した人もいるし、何より皆が前向きな活動を続けている様子が印象的だ。専門的に何を学んだかは全く無関係で人としての関心事、生き様が多彩であるのがいい・・。
11月10日(日) <令和天皇陛下の即位を披露・・・>
令和天皇陛下の即位を披露する「祝賀御列の儀」パレードの今日は雲一つない快晴となった。パレードのコースは私にとってお馴染みの道であったが現場に出かけることもなく、専らテレビのLIVE中継で見学。テレビでは時々刻々、正確な時刻が分かるので、パレードのスケジュール通りの正確な運営に感心した。3時ジャストに出発点の皇居・宮殿の玄関前で自動車に乗り込み、3時1分に車が出発。3時30分に赤坂御所の門を通過。3時31分に玄関前に到着。事前に発表されていた時刻とピッタリ同じ。余りに正確なので逆にもう少しルーズでも構わないのにと思うから勝手なものだ。この几帳面さはある面日本人の”象徴”でもあるのだろう。5分や10分ズレても何の問題もない。もちろん天皇、皇后陛下とは無関係の周囲の習性であるが、極度の正確さに拘るのは両陛下にとってもストレスとなるだろう。両陛下にはこれからも激務が続く。どうかお役人方、もう少しフレキシブルに、融通性を持たせる余裕のスケジュールを組んで欲しい・・。
11月11日(月) <「バスキア展」・・・>
「バスキア展」に行ってきた(@六本木ヒルズ森タワー52階、森アーツセンターギャラリーにて、11/17まで)。バスキアは1960年ニューヨークブルックリン生まれの画家。ハイチ系移民のアメリカ人で17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などスプレーペインテイングを始めていたがアメリカのポップアートの巨匠、キースへリングやアンディ・ウォーホルなどに認められて世に知られるようになったが、27歳の時(1988年)に麻薬の依存症で亡くなった。今回のバスキア展に展示された作品例を下に掲載するが、中央の作品はZOZOTOWNの前沢友作氏が約123億円で落札したことで知られる。今やバスキアの作品の市場価値はこれほどに別格である。絵画としては私も好みのタイプ。自意識がなく自由で延び延びとしていて元気が出るのはもちろんだが、色の組合せなども意外に細やかで巧み。いくら時間をかけて見ていても飽きない。生前は絵画が一枚しか売れずに37歳で自殺したゴッホは死後、多くの人に感銘を与える大画家として評価されている。バスキアもまた27歳で亡くなったけれども彼の絵画は間違いなく多くの人にインパクトを与え続けるだろう・・。
   
2019-11-11
11月12日(火) <今日は上野の東京都美術館・・・>
今日は上野の東京都美術館に行った。今週開催されている公募展・中美展(中央美術協会)に義姉の絵画が展示されているというので見に行くのが主目的であったが、メインの美術展として「コートールド美術館展」が開催されているので、こちらも鑑賞してきた。コートールド美術館はイギリス・ロンドンにある美術館。創設者のサミュエル・コートールド氏(1876~1947 )はレーヨンの製造・取引で財を成した実業家で印象派やポスト印象派の絵画を中心に広く蒐集されている。都美術館に今回展示されている絵画はルノワール、ゴーガン、セザンヌなど巨匠たちの作品を始め、マネの最晩年の傑作<フォリー=ベルジェールのバー>など思った以上に見所は豊富だった(会期12/15まで)。美術館の後、東京芸大の脇にある上島コーヒー店でサンドウィッチの昼食。続いて谷中の瑞輪寺まで歩いて墓参。墓に眠る義兄の月命日は昨日11日だった。・・一日、よく歩いたけれども歩数にすれば1万歩足らず。妻も特に問題なく歩けたので安心した・・。
11月13日(水) <”芸術の秋”か・・・>
”芸術の秋”か・・。昨日、一昨日に続いて美術館へ行った。今日は国立新美術館(六本木)で開催されている公募展の日展(11/25まで)。夕方4時過ぎの格安チケットで入場したが今年もまた全てを丹念に鑑賞する以前に疲労困憊してリタイアした。親しい友人の知り合いの画家(97歳とか)が今年も日展に出展したとスマホで絵を見せてもらったので日展にいったのであるが、余りに作品数が多すぎる。日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書のジャンルに別れており、それぞれの部門の点数がまた膨大。はじめに絵画を見たが日展作の典型ともいうべき大作が次々に現れるので食傷気味。彫刻へ行くとまたまた相変わらずの裸婦像が林立しており逃げ出したくなる。工芸にも興味があるが、やはり大変な手間隙をかけた大作ばかりであるが持ち帰って身近に置きたくなる作品は見当たらない。日展という一つのグループだけで芸術のために費やされている時間と労力は驚異的だ。それにしても、それで鑑賞者が共鳴し、新たなエネルギーを得て元気になることがなければ何の意味があるのか。一体「芸術」とは何ものなのだろうと、作品以前のことを考えさせられてしまった・・。
2019-11-13 国立新美術館にて
11月14日(木) <久しぶりに表紙にNaho向けの「絵手紙」・・・>
久しぶりに表紙にNaho向けの「絵手紙」を掲載した。昨年スペイン・バルセロナを訪れた時に見たガウデイーの建築の一つ。その一部をクローズアップして色を勝手につけたものだ。ガウデイーの設計による建築は有名な教会、サクラダ・ファミリアの他どれもユニークで見るだけで楽しくなる。描いたのはバルセロナにある「バトリョ邸」の屋上近辺の屋根模様。ガウデイーの形状や色合いは、いわば常識はずれの発想を現実化しているので、”これもあり、あれもあり”で見るだけで大いに影響を受ける。今回は瓦の色合いを陶芸に応用できないか下絵として冒険しようと試みたが絵としては単純になってしまった。これまではニューヨークに住む孫娘Mieu宛てに長年絵手紙を描いたが(約200枚)、みゆうはこの9月からボストンでの学生生活を始めたので、今後は娘のNaho宛てに絵手紙を出すことにした。状況によりまたMieuへも出すかも知れない。何でもいいから理由をつけて「絵手紙」は続けたい・・。
2019-11-14
11月15日(金) <全く知らない人から信じられない親切・・・>
全く知らない人から信じられない親切を受けた話を書こう。3日前に美術館に行く際、寒くなったにもかかわらず薄着で外出してしまった。山手線で座席に座っていても寒気を感じて口に手をやって震える格好をしていると前に立っていた女性がホットカイロを二枚渡してくれたのだ(妻が隣にいた)。お礼を言って直ぐに腹辺りに入れて暖かさを感じた。見ず知らずの人からカイロをいただき暖かくなるという経験は人生初。自分がそれほどに無様に震えていたのかという反省もあるが、私ならばそこまで行動は起こせない。他人からの親切がこれほどまでに”感動”を呼ぶものであれば、私も積極的に人に出来ることをしたくなる。大都会のバスや電車の中での座席の譲り合いを越えて更に他人を思いやる連鎖。住み良い社会とはこのようにして出来上がるのかも知れない・・。
11月16日(土) <迷惑メールが見事に激減・・・>
迷惑メールが見事に激減した。パソコンへ受信したメールの中に、ある時から発信者が私のメールアドレスを使ったものが入るようになり、”このようにお前のアドレスを自由に使える。ついてはお前のアドレスを使われたくなければ金を出せ”といった趣旨の文章が英文で何度も送りつけられた。管理者のitscomに電話をして相談をしたがメール番号を変更しても同じことが繰り返されるので無視するに限るとアドバイスを受けた。無視はしていたがしつこく迷惑メールが入るので辟易していたが、最近(11/12),itscomが迷惑メールの防止のため海外からのメールをカットする対策を実施したとたんに私のメール番号で私宛に入る奇妙なメールは完全にシャットアウトされたのだ。海外から自分でメールを使いたい場合はそれなりの設定をすればできる。私の場合は海外で使うことはないので全く問題ない。海外を拠点にした詐欺の電話が少し前にニュースになったが、今や通信関連の犯罪は海外を拠点にしていることを改めて納得させられた。
11月17日(日) <樹木葬を初めて体験・・・>
樹木葬を初めて体験した。千葉県いすみ市のお寺まで行き、従姉がご主人の遺骨を樹木葬で弔う埋葬に立ち会ったのである。お寺は樹木葬専門のお寺で広大な土地があり、まだ新しい樹木を沢山植えることができるように見えた。埋葬を行う樹木の脇に直径が20cm、深さ80cmほどの穴が掘られていた。そこへ瀬戸物の骨壺に納められていた遺骨をサラシの織物袋に移し変えて袋を穴に埋める。遺骨はやがて繊維袋とともに土に返るという。参列者が順に土を埋めていき埋葬終了。今回はその後、樹木の周囲で、オカリナやギターの演奏、更に歌を歌って故人を偲ぶ。何よりも故人を思う暖かい雰囲気が素敵だった。

2019-11-17 樹木葬の樹   右は周囲の風景
11月18日(月) <朝5時30分に起床・・・>
朝5時30分に起床した時にはテレビの天気予報は午前中「曇り」で午後は「晴れ」あった。朝のトレーニングと朝食を済ませて7時30分にテニスの準備をして家を出ようとすると突然雨が降り始めた。テレビで確認すると東京地方の天気は午前中「雨」に変わっている。それではとテニスを諦めて外出を止め普段着に着替えた。ところが朝の9時頃には雨は完全に止んで晴れ間が見える。天気予報は”外れ”であろうが文句を言っても始まらない。外出を止めたので表紙に掲載した「Nahoへの絵手紙・山法師の実」を描いた。玄関脇の山法師の樹には今”実”が山ほどできているので採ってきたものだ。山法師(ヤマボウシ)は白い花が咲いた時には名前の通り、坊主頭と頭巾が見られて面白いが、赤い実となると全く違った姿となる。ヤマボウシの赤い実は食べることが出来るそうだが、食べたことはない。今回の絵は珍しく色鉛筆で描いた。ペンを使わない方がリアルに描けるのは確かだ。これからは絵手紙でも色々な試みをやってみよう・・。・・テニスはなし、絵手紙だけでは運動不足なので午後にはウォ−キングで駒沢公園まで行き園内を一周した。身体を使わなければあっという間に衰えるのを実感できるのが年齢相応で悔しいところか・・。

11月19日(火) <三途の川を渡り・・・>
三途の川を渡り閻魔さまにお会いしてお言葉を聞いた。墓のある九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の境内に最近新しく「閻魔堂」ができた。三途の川の上にかかった橋をわたり閻魔堂に入ると賽銭箱がある。”お賽銭を入れると閻魔さまのお言葉が聞けます”と書いてあったので賽銭を入れてみたが無言。ところが直ぐ後の人が賽銭を入れると自動的に閻魔さまの言葉が流れる。次の人も、その次の人も賽銭に正確に反応して別のお言葉・・。私の入れた賽銭が少なすぎたのか、そうでないとするとセンサーが何故か反応しなかったことになる。閻魔堂(下の写真)の入口の左右には「うそはつくな」、「わるいことはするな」の赤い旗があった。閻魔さまのお言葉といっても同じような当たり前の内容だが、声が聞こえるところがいいのだろう。賽銭を入れるところで見ず知らずの人とも親しく話をしたが、今はお賽銭に反応して声を出すのは浅草など他のお寺でも見られて珍しくないという。私の初めての”声を聞くお賽銭”が無視されたのが 不満だったが、ふと気がついた。そうか、閻魔さまは私には注意するお言葉がなかったのだ・・。
 
2019-11-19 閻魔堂(橋の下が三途の川の表示) & 閻魔さま
11月20日(水) <明治神宮外苑の銀杏並木・・・>
明治神宮外苑の銀杏並木の色付きが悪い。テニスの時に遠方に銀杏並木を見ることが出来るので黄色く色づくのを楽しみにしているが、今年は遅れている。昨年は塩害で各所の銀杏の葉が早く落ちてしまったとか報道されたことがある。今年の関東地区は台風の襲来が多く銀杏並木の塩害は昨年以上だろう。神宮外苑の「いちょう祭り」は11月15日(土)から12月1日(日)で今は色付きも真っ盛りであるはずが下の写真のようにまだ紅葉は進んでいない。塩害だけでなく気温の差など葉が色づく条件もズレているのだろう。今日は快晴であったが冷たい風が一日吹き荒れた。黄色い色付きはなくても太陽を浴びた銀杏並木は存在感があることは確かだ・・。
 
2019-11-20 神宮外苑の銀杏並木 右は青山通りに面した土手の草花
11月21日(木) <今日は想定外の「大嘗宮(だいじょうきゅう)」の参観・・・>
今日は想定外の「大嘗宮(だいじょうきゅう)」の参観をした。予定としては東京都美術館で開催されている「都展」に知人の絵画が展示されているのを見に行くことにしていた。家を出る時にせっかく上野まで出かけるのだから帰りにどこかに寄りたいと考えた。これまで全く思いつかなかったが今日から「大嘗宮の一般参賀」が始まるとのニュースを聞いて、それなら帰途に皇居に寄ろうと決めたのである。展覧会を見た後、東京駅から皇居に行ったのであるが結果は大正解だった。たまたま午後も遅かったので並ぶこともなく大嘗宮をじっくりと観ることができた。大嘗宮は天皇陛下のご即位に関連した儀式「大嘗宮の儀」のために造営されたもので、先の11月14日の夕方から夜にかけて「悠紀殿供饌の儀」、翌15日の暁前に「主基殿供饌の儀」が行われた。既に用済みであるのでこれからは取り壊されるという。それにしても天皇の儀式として使用される建築物の質素なこと・・。派手な贅沢品や飾りは一切なし。よくいえば日本的なシンプルな美。欧米人がみると馬小屋で儀式をやるのと言われるかも知れない。”国民の税金を使って儀式用の建物を造る・・”などとクレームをつける人は是非この大嘗宮の実物を見るべきだろう・・。
 
2019-11-21 大嘗宮の遠景  右は南神門
 
11月22日(金) <今日の東京は真冬のような寒さ・・・>
今日の東京は真冬のような寒さで我家ではこの冬初めて暖房を入れた。朝8時頃から雨が降り始め終日冷たい雨の一日。つくづく昨日皇居に大嘗宮の参観に行ってよかったと思った。今日であればとても行かなかっただろう。大嘗宮のことは昨日のコラムで書いたが、どうしてももう一つ触れておきたいことがある。下に昨日撮影した写真を掲載するが、このようなフェンスを何箇所か見かけた。フェンスの飾りに自然の葉つきの樹木を差し込んだユークなもので昔からの伝統なのか特別の呼名のあるやり方か分からないけれども感動した。自然の素材を使い華美ではないけれども誠意が見て取れる。しかも長期間使用するという魂胆もなくほんの一瞬を飾る心情がうれしい。何か日本文化の源流には最高の地位の人間に至るまで簡素な美を愛する感性があり、同時に「驕れるもの久しからず」、「諸行無常」の思想が流れていると思えてならぬ・・。

11月23日(土) <静岡までバイオリンのコンサートを聴きに・・・>
静岡までバイオリンのコンサートを聴きに行った。久しぶりに聴く姪のバイオリンはこれまで以上にのびのびとした演奏が光り、しかも力強さや音楽性も豊かで感動的だった。ロシアの作曲家の曲ばかりを集めた演奏曲目がまたユニークで興味深い。プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、チャイコフスキー、ストラヴィンスキー、ヴィエニャフスキの作曲家たちの曲目が演奏されたが、ロシアの歴史に思いを馳せることとなる。ロシア革命からソヴィエト連邦への変貌時に音楽家達も大きな運命の転機を経験した。ソヴィエト連邦さらに新生ロシアの時代には世界に影響を及ぼす作曲家は生まれていないが、ロシアのポテンシャルはこれらの作曲家を見るだけで素晴らしいものだと認識する。音楽だけでなく芸術は国家のイデオロギーでコントロールされる環境では萎んでしまうことは確かだ・・。

2019-11-23新幹線で見た富士山
11月24日(日) <表紙に「小型花器(陶芸作品)」を掲載・・・>
表紙に「小型花器(陶芸作品)」を掲載した。一週間以上前に陶芸教室で焼成が完了し、家で使っていたもの。以前、同じような取っ手付きの小型花器を制作したことがあるので、新鮮味がなく掲載が遅れてしまったのかも知れない。それでも細かく観察すると手造りの陶芸では同じものは二つとないと分かる。写真では分かり難いが取手の部分には釉薬を重ね掛けしてニュアンスを変えた。私は焼成を終えた完成品を見た時に”重ね掛けした部分がわざとらしくて失敗だった”と先生にいうと、先生は”私はその部分がとても巧くできたと思う、このままが好きだ”と言われた。同じものでも人により見方も変わる。表紙の作品にはヤマボウシ(山法師)の実を入れて写真を撮ったが、何もなしの作品も下に掲載してみる。改めてこの小型花器をじっくりとながめていると、これはこれでいいと思い始めるから勝手なものだ・・。
 
11月25日(月) <早朝には濃霧・・・>
早朝には濃霧で家の周囲がみえない。7時を過ぎても濃い霧と小雨が残っていたのでテニスは諦めた。このところ先週も月曜日、金曜日とテニスの日に雨でテニスは出来なかった。今日もまた午前中雨の確率が20~40%の曇りと微妙な天気予報で、昼頃からは雨の予報でもあった。ところが昼前には恨めしくなるような青空となった。それならばと、テニスのために蓄えたエネルギーをベランダ花壇の大掃除から新しいパンジーの植え付け、給水タイマーの修繕まで家仕事に活用。午後には買物ついでに駒沢公園までウォ−キングへでかける。余力がある時には歩きながら紅葉を愛でるゆとりがでる。
・・一昨日、11月23日の夕刻ローマカトリック教会のトップ・フランシスコ教皇が東京・羽田空港に到着した後、24日には被爆地の長崎と広島を訪問。今日25日には東日本大震災被害者との集い、天皇陛下との会見、更に東京カテドラル大聖堂での集い、東京ドームでの大規模ミサ(5万人)などハードスケジュールが続いている。明日、上智大学での講話などの後帰国されるというが、82歳の法王の行動力には驚嘆する。アルゼンチン出身のフランシスコは以前から他宗教との対話に積極的に取り組んだとか、庶民的な感覚で質素な生活を好むなどの話を聞くと好感度が増す。今回は長崎、広島での法王のスピーチをテレビのQRコードからケイタイに読み取り全文を読んでみた・・。
 
2019-11-25駒沢オリンピック公園の紅葉
11月26日(火) <高麗茶碗の展覧会・・・>
高麗茶碗の展覧会に行った(@三井記念美術館 12/1まで=ここ)。Wikipediaから引用すると「高麗茶碗は、16世紀半ば頃から、日本の茶道で用いられた茶碗の分類の一つであり、朝鮮半島で焼かれた日常雑器を日本の茶人が賞玩し茶器に見立てたもの。高麗茶碗の”高麗”とは”朝鮮渡来”の意であり、高麗茶碗と称されるもののほとんどは高麗時代ではなく、朝鮮王朝時代の製品」とある。朝鮮には日本のような茶道の風習はなく「茶碗」として作られた器ではなかった訳だ(井戸茶案などは15~16世紀の日常雑器)。もっとも後には御所丸、御本茶碗など日本からの注文で作られたものもある。「茶の湯」の文化が日本独自で実にユニークであることは茶碗に対する感性で如実に示される。日常で使用される何でもない器や出来損ないのような器に対して極上の美を見いだす。足りないものを美しい、満足だと思う「わび・さび」の精神は外国では理解され難い。完璧では面白くない、欠陥に見えるものでも”景色が良い”と評価する。考えてみると、これらは日本人が画一性にとらわれない希有で、喜ぶべきDNAを持っているとも思えて来る・・。
11月27日(水) <いわゆる「終活」を好まない・・・>
いわゆる「終活」を好まない。終活なんていう言葉は昔はなかった。「終活」は2009年頃に週刊誌が作った造語であるようだ。高齢化社会を迎えて自分の人生の終末のために活動する「終活」が一種のブームになった。自分の葬儀や墓、介護、遺言、相続、さらに身辺整理に至るまで、考えたり準備することは勝手だが私の周囲で見る限りマイナス面が多いと感じることが多い。”終活によって残された人生をより良く生きる”なんてデタラメだ。それまでに自分のやっていることが役に立つとか意味があるとかは一切関係なく前向きに行動していた人が死を意識して身辺整理をはじめると一挙に意欲がなくなり衰えるケースが何と多いことか。人の死後はなるようになる。こうありたいと願ってもそうとは限らない。財産がある人が遺言や相続整理をするのはいいかも知れないが、死後を考え過ぎると生命力が明らかに衰える。一面では生命力が衰えて「コロリ」と逝くのが周囲のためでもあろうが、終活でやることがなくなり準備した長期の療養に入るなんていう図式はいただけない・・。
11月28日(木) <表紙に「Nahoへの絵手紙・かりんとう」・・・>
表紙に「Nahoへの絵手紙・かりんとう」(色鉛筆&水彩)を掲載した。和菓子店・銀座鹿の子の黒蜜味の「かりんとう」をいただいて、その袋の文様が面白いので絵手紙に描いてみたもの。自分ではこの種の和菓子を買うことはまずない。ましてや、銀座・鹿の子など高級な和菓子には縁がない。けれども、いただいたものは有難く味わう。今回の”かりんとう”も黒蜜の味が程よく美味しかった。袋の表示は何故か「かりんと」になっており、「う」の字がない。これもデザインなのだろう。鹿の親子や紅葉など秋の雰囲気を、前回に続いて色鉛筆で描きながら、色鉛筆と用紙の相性や色鉛筆の種類など、これまでの水彩画にない経験をしている。今は写実的な”写し”を試みているが最近は色鉛筆の表現にも無限の可能性を感じるようになってきた。

11月29日(金) <新国立競技場が明日(11/30)完成・・・>
新国立競技場が明日(11/30)完成する。オープニングイベント(開場式)が12/21に開催されて、それ以降は「国立競技場」が正式名称になるそうだ。今日は最高気温10℃の寒い日であったが久しぶりの快晴。神宮でのテニスのついでに新国立競技場の周囲に行ってみた。下に写真を掲載するが、これまでの”競技場”のイメージと異なり、高級マンションの外観を見るような緑の植栽が目立ち、落着いた雰囲気であった。この新国立競技場の建築経過は極めて複雑。当初、イラク出身のイギリスの建築家ザハ・ハディド氏(女性、1950~2016死去)の設計案が国際コンクールで最優秀賞に選ばれて一旦は決定したが、諸事情で白紙撤回され、再コンペの結果、隈研吾他のチームのデザイン案が採用された。その間の”諸事情”は余りに複雑であるが、結果的には木材を多用する隈研吾設計はユニークで素晴らしいと思う。ザハ設計であると全く別のインパクトがあるであろうと興味はあるが日本を代表する競技場としては隈研吾設計がうれしい。チャンスがあれば競技場の内部にも入って見たいと思いつつ銀杏並木の方面に歩いて行った。・・。
 
2019-11-29

植栽部分のアップ                      右は神宮外苑銀杏並木
11月30日(土) <11月も今日で終わり・・・>
11月も今日で終わり。明日から師走か・・。今日は久しぶりに陶芸教室で素焼きができあがった作品に釉薬をかける。釉掛といってもケースバイケース。お茶碗やお皿の場合は一つの釉薬にドボンと作品を浸したり、柄杓で釉薬を流して、10分、15分で完了させることもあれば、細かい絵付けに時間を割く場合もある。今日釉薬をかけた作品は大きくはないが3時間休みなしで作業したが完了せずに別の日にまた続きをやることとなった。釉薬で思う存分遊んで楽しもうと、数色の色を筆で描きまくるというスタイルを通した。最近は陶芸でも自分の作品造りは作業効率を考えなくてよいと割り切れるようになった。利潤を上げるために量産するとか短時間で多くを制作するという世界とは別で、一個の作品にどれだけ時間がかかっても構わない。その代わりに唯一のモノができる。自己満足であろうが他から評価されなくても自分の面白いと思うものを作る。そうすると自分でも更にその先に挑戦したくなることが分かってきた・・。


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