「今日のコラム」(2020年 9月分)

9月1日(火) <月が改まって今日から8月・・・>
今日から9月。月が改まった途端に暑さが和らいだ。今日の東京は一日中曇り空で最高気温が30℃にも届かない。猛暑日が続いた8月と比べると涼しくさえ感じる。九品仏浄真寺(東京・世田谷区)に息子の墓参りにいくと、境内で幾人もの人が持参した椅子に座って写生をしていた。昨日までの猛暑の下ではとてもスケッチはできない。今日は墓参の後、テニスのラケットのガットを張り替えを専門店に頼みに行った。昨日のテニスプレーの最中に強打した途端にガットを切ってしまったのだ。その後、仲間のスペアラケットを借りて(私はスペアを持っていない)プレーを続けたが、プレー中にガットを切ったのは数年ぶりだった。普通は切るまで使用せずに適当な時期に張り替えを行う。とにかくも、張り替えを今日中にやって欲しかったので、初めの店で、できるかどうかを確認すると今日中に終えるには特別に2200円プラスになるという。考えた末に、もう一軒の別のテニスショップに寄ってみた。そうすると当たり前で今日中に張り直しができるし値段も変わらないという。依頼するとなんと2時間足らずで完了させてくれた。テニスショップにも色々ある。二軒のショップを比較することができたのは幸いだったが、初めの店には二度と行かない・・。
2020-09-01九品仏浄真寺にて


9月2日(水) <今朝は5時前に起床・・・>
今朝は5時前に起床。いつもの習慣でコーヒーを飲んでいると5時10分頃に突然雨音が始まった。と思うと続いて物凄い豪雨。ところが5時30分になると急に雨音が少なくなった。天気予報では9時までは雨、そして激しい雨の様子を見たので6時の段階で今日のテニスは休みと決めた。普段、テニスの時に家を出る7時30分には雨は止んで晴れ間も見えた。その後の天気をみていると午前中はテニスはできたと思われるが、休むと決めたことを悔やんでも始まらない。・・テニスを休んだこともあるが、今日は妻の誕生日なので昼食を外食にしようと家を出た。墓参りの途中で食事をしたことはあるが、この半年ほどは改まった外食の機会はほとんどなかった。ささやかな食事であったが久しぶりの非日常であった。・・今は午後の6時。天気が急変した1日が暮れようとしている。夕陽が沈む西の空が今日の天候を象徴しているように見える(下の写真)。
2020-09-02夕陽
9月3日(木) <表紙に「Mieuさんへの誕生日祝いカード」を掲載・・・>
表紙に「Mieuさんへの誕生日祝いカード」(ぺんと水彩画)を掲載した。孫娘のミユウは明後日、5日に20歳となる。丁度、2000年生まれだ。本来なら今ボストンで大学生活を送っているはずだが、アメリカでのCOVID-19騒ぎで学生寮が閉鎖されて全員実家に戻ることになり、母親(私の娘)のいるニューヨークで暮らしている。大学の授業はリモートで厳しい勉強もしているようだ。9月からの新学期、新学年もリモート授業が続くとのことで、大学での友人との交流が十分出来なのが可哀想ではある。今回の誕生日祝いカードはいつもの絵手紙サイズの倍ほどの大きさの画用紙に描いた。妻が買った誕生日プレゼントにカードをつけて今日発送したが、アメリカ宛であるので明後日にはもちろん届かない。かなり、遅れてしまった誕生日カードになるので、このHPの表紙で先に掲載とした。Mieuは二十歳の誕生日、コロナ下の誕生日など一生忘れることのできないであろう体験をしながら成長している・・。

9月4日(金) <今朝のテニス場に行くまでの動き・・・>
今朝のテニス場に行くまでの動き。7時30分に近所のバス停でバスに乗る。バスで二停留所。東急東横線・都立大学駅で電車に乗るのは7時41分。渋谷駅で降りて地下五階のホームから地下三階に移動。階段を上りきり地下三階のホームに着くと同時に半蔵門線の電車がホームに到着。この電車で一駅。表参道駅で下車するとホームの反対側に銀座線の電車が間髪を入れず到着する。この地下鉄に乗って神宮外苑前駅まで。駅から数分歩くとテニス場につく。週に二、三度このコースでテニスに通うが、毎回ほとんど同じタイミングで乗り換えができる。電車で1〜2分のズレもない。このような交通機関の驚くべき正確さを当然だと思っている人は多いが実に有難い。よく指摘されるが日本以外の諸外国ではあり得ない話だ。何でも日本は悪く、外国が良いと言いたい知識人は、外国のようにルーズであっても支障ないと弁護する。けれども、このような正確さは日本の貴重な財産であるように思える。決められたことをきっちり守る姿勢、几帳面さ、他人のために働く態度などある種の文化遺産が根底にある。お互いが暮らしやすくしあう思想が広く浸透しているからこそ実現できているのでないか・・。
9月5日(土) <来月開催される陶芸展に合わせて・・・>
来月開催される陶芸展に合わせて私の「陶芸作品集」の編集を進めている。昨年の陶芸展で簡単な「作品集」のファイルを会場に置き、「ご自由にご覧ください」としたところ好評だったので、今年はこれを更に充実させたい。昔の陶芸作品を見直す時に、このホームページが大いに役に立つ。陶芸を始めたのは2002年の4月。退社してから約1年経過した頃に妻が近所の陶芸教室を薦めてくれたことがスタートだった。初めは軽い気持ちだったが相性が良かったのか、すっかりハマってしまい現在に至る。振り返ると18年間という実績はやはり大きい。陶芸は絵画のように2次元の世界でなく3次元。立体でしかも形状に縛りがない。平面でも曲面でも自由。また粘土で制作した形が素焼きで完成した上に、釉薬を自在に塗布して文様をつけることができる。今でもまだ陶芸の創作が継続できるのは無限に可能性が広がっているからだろう。ホームページに掲載した以外にもまだ作品があることにも気づく。10年以上前に撮影した陶芸作品の写真の原板を探し出していると、作ったことも忘れていて、こういうのも制作したのだといって感激する作品も結構多い。まずは作品集を完成させるとして、過去を振り返るだけでなく、これから先に続けるエネルギーが欲しい・・。
9月6日(日) <”つれづれなるままに”、鉛筆で書く「徒然草」・・・>
”つれづれなるままに”、鉛筆で書く「徒然草(つれづれぐさ)」を始めた。最近は、鉛筆やペンで文字を書く機会が少なくなった。このコラムもそうであるが、大抵はキーボードを打つと漢字への文字変換も含めて全てパソコンがやってくれる。その代償として漢字を書こうとすると文字が頭に浮かばないことがしばしばだ。ノートレのために始めた訳でないが、今回のテキスト「えんぴつで徒然草」には徒然草の中から50日分の文章が抜粋されている。楷書で薄く文字が印刷されており、鉛筆でそれを上から書き写すもの。徒然草の作者とされる兼好法師(吉田兼好)は鎌倉時代末期・1283年頃の生まれ。和歌の名手とされたが30代前半で出家。隠遁人生の中で全244段からなる随筆・徒然草を残し、80歳前に亡くなったとされる。当時としてはかなり長生きだったのだろう。ここで徒然草の内容に立ち入るものではないが、700年も前に周囲を見る目が実に素直で表現も自由であるのに驚く。今読んでも違和感がない。楷書で書くことによって一字一句を味わうことができそうだ。今日の夕刻、東京で撮影した写真を下に掲載した。700年前に兼好法師もまた同じような雲と虹を見たのだろうか・・。
2020-09-06駒沢公園にて
9月7日(月) <大型の台風10号は・・・>
大型の台風10号は今日の午後には九州をかすめて北上。日本としては当初危惧された大被害がなくて済んだようだ。台風からはかなり離れているが東京地方でも一日中不安定な天候で雨が降ったり、止んだり、晴れたりの繰り返しだった。午前中のテニスはもちろんお休み。ステイホームの一日だったが夕方雨は止んでいたので駒沢公園に散歩に行った。昨日のコラムに駒沢公園で見た”虹”の写真を掲載したが、昨日のコラムでは触れることが出来なかったので、今日はこの”虹”のことを書きたい。昨日の写真を見れば分かる通り、これはただの”虹”ではない「逆さ虹」。太陽より上の空に氷を含む雲がある時に発生する珍しい虹だ。普通の虹はアーチ型で太陽と真反対の方向で見られるが、逆さ虹は逆アーチ。普通の虹は外側(上)が赤で青ー紫が内側であるが昨日見た逆さ虹は太陽側の下が赤、上が青ー紫だった。「逆さ虹」は学術的には「環天頂アーク」という(Wikipediaで詳細の説明が見られる=ここ)。太陽の位置と雲の条件がマッチしなければなかなか見るチャンスがない。昨日の写真を大切にしよう・・。<昨日の写真も下に並べて掲載する>
       
2020-09-07昨日、環天頂アークを見た時とほぼ同じ時刻の駒沢公園(右は昨日夕刻撮影した写真)
9月8日(火) <徒然草を毎日少しだけ「えんぴつで書き写す」・・・>
徒然草を毎日少しだけ「えんぴつで書き写す」ことを始めたことは前に書いた。今日の書き写しの箇所は「法師ばかりうらやましからぬものはあらじ」で始まる。「法師ほどうらやましくないものはない」といって、清少納言が「(法師は)他人からは木の端のようにつまらないものに思われていることよ」と書いているのがもっともだと共感した文章が続く。アレ、徒然草を書いた兼好法師は自分が”法師”でないか・・。そうか、自分が良く知ってるからコメントしているのだ。法師が権勢盛んで世評が高いのも心苦しいとの言葉も続く。現代の仏門もまた”世捨て人”の場ではない。お寺で発行した毎日の”ためになる”言葉が書いてあるカレンダーを持っているが、どれもが上から目線で、説教調であるので馴染めない。坊さんはそれほど偉いのか・・。「神も仏もない」といっていた瀬戸内寂聴さんは50歳を超えて得度、尼僧となった。現在98歳。仏門に入った以降も以前にも増して大活躍だ。普通の介護施設で過ごすよりも遥かに充実した生活が送れるのだろう。実は「法師ほどうらやましいものはない」のかも知れない・・。
9月9日(水) <今日は「相田みつを」のこと・・・>
今日は「相田みつを」のことを書こう。相田みつおさん(1924~1991)は書家・詩人などと紹介されるが、一般的には簡単な言葉を独特の書体で書いた作品で知られる。東京・有楽町の国際フォーラムの中に「相田みつを美術館」がある。そこの美術館でも展示されているが、十代後半に書いた素晴らしい達筆な書を残している。最高の書道展に何度も入選を果たして書の本流の文字を書いていた。その後、苦闘の末に作り上げたのが相田みつをしか書けない独特の書体。 「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」などと独特の文字で綴られる作品には人を引きつける力がある。真に苦労人であった相田みつをの残した言葉とお寺のお坊さんの書いた言葉を比較してみよう(昨日のコラムでお坊さんのことを書いた)。相田みつを=「いまから ここから」、「なるべくなら うそのないほうがいい」、「一番わかっているようで一番わからぬこの自分」、「感動いっぱい、感激いっぱいのいのちを生きたい」・・。お坊さんの日めくりカレンダー(いま我が家にある)の言葉=「損得でなく善悪で判断しなさい」、「自分は手も出さないで人のやったことに口を出すな」、「人生に失敗はつきものです 問題はそのあとだ」・・。お坊さんの達筆な文字で書かれた説教調な言葉に触れると相田みつをの文字と言葉の魅力が際立つ・・。
9月10日(木) <このところ駒沢公園まで散歩・・・>
このところ駒沢公園まで散歩に行くことがほとんど習慣になってきた。正式には駒沢オリンピック公園総合運動場(=東京・世田谷区&目黒区)と呼ばれる公園までは我が家から歩いて片道30分足らずで行くことができるので、ウォーキングに丁度良い。コロナ騒動で電車やバスに乗れない時期には近所の神社やお寺巡りをしたけれども、散歩コースとしては定着出来なかった。その点、駒沢公園は毎日行っても公園の中で色々なコースをとることができるので飽きることがない。公園の外周を一周するジョギングコースやサイクリングコース(一周約2000m余)もある。これらのコースは反時計回りに出来ているので、これまで何となく反時計回りで公園の中を歩いていたが、今日はあえて時計回りのコースをとってみた。これだけのことでも気分が変わり景色が新鮮になるから面白い。以前は散歩の時に見かける花の写真をよく撮ったものだが、今は花といえば百日紅(サルスベリ)しかない。その代わりに空と雲が魅力的だ。夏の雲がまだ頑張ってはいるが、もう秋がそこまで押し寄せている雰囲気が見える・・。
 
2020-09-10駒沢公園にて
9月11日(金) <今日も残暑の中で朝9時からテニス・・・>
今日も残暑の中で朝9時からテニス。いつもながら仲間は傘寿を過ぎているのに皆よく身体が動くのに感心する。昼前にはプレーを終わり電車とバスを乗り継いで帰路につく。ところが、バスを降りたところでパラパラと雨が降り始めて、信号待ちをしている間に土砂降りになった。疲労困憊している体を叱咤激励して走って家に向かったが、かなり濡れてしまった。外は激しく雨が降っているのに東京の北には青空も見えた。雨は15分ほどで止み、しばらくすると日差しが出てきた。前にも書いたが最近は空や雲が神秘的で美しく見えてしょうがない。空や雲をみていると、100年前の人、1000年前の人、いや、10000年前の縄文人もまた、全く同じ空や雲を見ていたことに気がつく。大昔の人もまた空や雲を見て感動したに違いない・・。

今日の東京の空(午後1時頃)

9月12日(土) <今日は義兄の墓参り・・・>
今日は義兄の墓参りに行った。土曜日は陶芸の日だが教室には欠席届を出した。陶芸はこのところ小休止だ。午後は雨が本降りとなる予報だったので早目に家を出る。墓のある谷中にはバス〜電車を何度か乗り継いで日暮里駅まで行き、そこから歩く。谷中のお寺までは家から1時間半ほどで行くことができる。ところで、義兄の月命日は昨日の11日であるので1日遅れの墓参りだった。9月11日はアメリカの同時多発テロ事件の日(2001)。そして、3月11日は東日本大震災の日(2011)と11日には大事件が重なる。月命日に義兄の墓参りを習慣としているので11日は私たちにとっても忘れられない日となっている。今日は墓参りの後、御徒町のアメ横に立ち寄り、昼食も御徒町。このような非日常を楽しむことができるのも墓参りに行くチャンスがあるからだ。改めて義兄に感謝・・。
 
2020-09-12墓のある瑞輪寺 右は谷中の道路脇で見られた朝顔
9月13日(日) <可愛くはないけれど強靭・・・>
「可愛くはないけれど強靭」。サルスベリの花を見るとそんな言葉がでる。夏の猛暑の中を100日間も咲き続けるサルスベリを漢字で「百日紅」と書くのには納得させられる。「散れば咲き 散れば咲きして 百日紅」と加賀千代女が詠んだように、ほとんどの花は枯れてしまう夏の終わりでも咲き続けるサルスベリの生命力にはある意味元気付けられる。いつもウォーキングで行く駒沢公園の一角にはサルスベリ(百日紅)の大きな林があるので写真を撮って下に掲載した。花のあとでできる実がかなり大きくなってきた。「炎天の 地上花あり 百日紅」(高浜虚子)。
・・表紙には「水盆<制作過程>」(陶芸作品)を掲載した。400mm??200mm程度の水盆で、この段階で焼成は一度終わったものだが、釉薬をかけ直して現在再度焼成中だ。この作品は焼成完了後、さらにこれまでやったことのない糸でのアクセントを付けてみるつもり。その仕上げ過程を順次掲載してみる・・。

 
2020-09-13 駒沢公園のサルスベリ
9月14日(月) <朝の8時40分にテニス場がオープン・・・>
朝の8時40分にテニス場がオープンする。開門を待っている時に脇の雑草地に珍しく紫色の花が咲いていたのでiPhoneで写真を撮った。早速にPictureThisのソフトで花の名前を調べると「オオムラサキツユクサ(大紫露草)」とでた。少し離れたところにあった花の咲いていない葉の部分を同じく写真を取り調べると「ムラサキツユクサ(紫露草)」(下に掲載の右)。大紫と紫の違いがどこにあるのか、こちらでは分からない。普通の青い花をつける「ツユクサ(露草)」は俳句では秋の季語。万葉集にも登場するなど、古来、日本人に親しまれて、朝咲いた花が昼には萎んでしまうことから”はかなさ”の象徴とされたという。現代の俳句で面白い句を見つけた。「港区に つゆくさ咲けり ひとつ咲けり 」(平井照敏 )。今朝見た紫露草は正にこの様だった、そして、テニス場の場所は”港区”だ・・。
2020-09-14
9月15日(火) <今、箱根・仙石原の宿・・・>
今、箱根・仙石原の宿にいる。義兄夫妻とのドライブ旅行で、わずか一泊であるが本当に久しぶりの宿泊旅行。箱根に来る前に御殿場のアウトレットに立ち寄った。御殿場アウトレットには何度か訪れたことがあるが20周年を迎えたアウトレットは新たな設備も増え一層上質なショッピングリゾートに変貌していた。仙石原のススキ草原は秋の訪れを感じさせる風情。広い温泉にも入った。非日常を楽しみながらエネルギーを充電中だ・・。
 
2020-09-15箱根。仙石原ススキ草原
9月16日(水) <夕刻6時前に無事に帰宅・・・>
夕刻6時前に無事に帰宅。わずか一泊だけの箱根へのドライブ旅行だったが、本当に久しぶりの旅行を楽しむことができた。今日の午前中は箱根湿生花園で過ごした。ここは日本で初めての湿原植物園。1700種の植物が四季折々の。花を咲かせるとのことで、今日も他ではみることのできない花の写真を存分に撮った。箱根でもコロナの影響か、やはり観光客は以前より少なく見えた。今日は湿性花園での写真掲載まで・・。
 
2020-09-16箱根湿生花園にて
 
彼岸花・アザミ・コウホネ(河骨)
9月17日(木) <子供の頃、絵日記が夏休みの課題・・・>
子供の頃、絵日記が夏休みの課題であったりした。このところのコラムを見るとまるで”写真日記”だ。コラムは日記ではないでしょうと叱られそうだが、私の場合、特に政治に関わるテーマをコメントする趣味はない。菅義偉新内閣が発足したといって、マスコミ情報以上のコメントをできるものでもない。自分が何もしないで辛辣な評論だけする先生は好きではない。元来、個人的な好みで撮影する写真日記も他人が見ればどうでも良いものかも知れない。それを承知で、今日もまた駒沢公園(東京・世田谷区)で撮影した写真を掲載する。それにしてもiPhoneSEでの写真は実によく撮れると、最近、感激ばかりしている・・。

2020-09-17駒沢公園にて (休息中のカルガモたち&キバナコスモス)
9月18日(金) <表紙に陶芸作品「水盆・制作過程2」を掲載・・・>
表紙に陶芸作品「水盆・制作過程2」を掲載した。前回掲載していた水盆は教室で釉薬をかけて一度完成したものだった。けれども釉薬の仕上がりが気に入らなかったので再度釉薬を追加して陶芸教室で再焼成した。ところが全く思い通りに仕上がらず、家に持ち帰った後、一部に楽焼用のペンで色の修正を行い、レンジを使い230度の温度で焼き付けた。毎度のことであるが、どうも釉薬の掛け方は下手で不本意な仕上がりとなってしまうことが多い。釉薬の種類によって流れ易さが異なるので厚さや量を慎重にコントロールしなければならないのが、つい間違えてしまう。”誤ちは繰り返しません”と私はとても宣言できない。釉薬掛けはこの程度と割り切って、その先の飾りの工作を始めた状態の写真を今日掲載した。まだ制作過程で左に見える二個の球体も改めてセットする予定だ。更に仕上げをやった後に、また詳細を掲載しようと思っている・・。

9月19日(土) <今日の午後は「ヤブガラシ(藪枯らし)」と・・・>
今日の午後は「ヤブガラシ(藪枯らし)」と悪戦苦闘。我が家にはベランダ菜園しかないが義兄の家には庭がある。義兄夫妻は80歳を越して庭の手入れもままならぬ様なので、私たちが草取りに出向いた。雑草の中でも一番のさばっているのが「ヤブガラシ」。蔓(つる)植物なのでどんな樹木やフェンスにも巻き付いて伸びる。いくら除去してもキリがないほど多い。ヤブガラシについてWikipediaに面白い解説があったので紹介しよう。ヤブガラシは別名「ビンボウカズラ(貧乏蔓)」とも呼ばれる。その意味は「手入れどころではない貧乏な人の住処に生い茂る」、「ヤブガラシに絡まれた家屋が貧相に見える」、「ヤブガラシの茂ったことが原因で貧乏になってしまう」などだという。とにかくヤブガラシは少々取り除いてもすぐに蔓延る(はびこる)。その生命力には感服するほどだ。ヤブガラシはぶどう科の植物だけあって直径3mmほどの丸い花盤を多くつける。適度であれば鑑賞することもできるがやはり徹底的に取り除かなくてはならない。今日の東京は終日曇りで最高気温26℃程度であったが2時間余の雑草とりで夏日にテニスをやるよりもはるかに多い大汗をかいた・・。
9月20日(日) <久しぶりに渋谷センター街・・・>
久しぶりに渋谷センター街を通った。半年ぶりか、いや、今年初めてかも知れない。私がセンター街を通るのは渋谷の東急ハンズに行く時と決まっている。今日も東急ハンズでしか買えない部品(ステンレス製鋼線)が欲しかったのだが、考えてみると渋谷も新宿も銀座もコロナ騒ぎ以降無縁だった。バスや電車には乗っているが買物で繁華街を歩いたことはなかった。渋谷センター街は一時「怖い、危ない」イメージがあったと言われるが、以前、私は頻繁に利用したが危険な経験をしたことは一切なかった。もっとも昼間しか歩いていない。密で清潔な感じがいかにも日本的で若者が目立つ商店街だった。行き交う人を観察するとまず自分より年配の人を見かけることはなかった。今日は正午頃に通ったのであるが人影はまばら。前には外人の姿をよく見かけたが外人もいない。、休日の昼にはもう少し賑わいがなければ商店街は大変だろう。コロナはまだまだ終息していないことを思い知らされた街歩きだった・・。
9月21日(月) <敬老の日で休日・・・>
敬老の日で休日。月曜日はテニスに行くのが恒例だが休日であると平日会員である私はプレーできない。今日の東京は最高気温25~26℃程度の過ごしやすい気候。テニスはできなかったが家で冷房も入れずに陶芸工作(=変な言い方だが陶芸の完成品に対して工作でプラスアルファの装飾を加えること)がはかどった。ステイホームでは運動不足になるので妻を誘って、午後、息子の墓参りに出かけた。9月の初めにも墓参りをしているが、墓のある寺まで歩くと丁度良いウォーキングになる。帰路、寺から色々と寄り道をして家まで歩いて帰ると、歩数計で11000歩を超えていた。敬老の日といって何をする訳でもなし、元気に歩けるのが一番だ。そういえば、敬老の日は自分とは関係ないと思っていたら、目黒区から傘寿になるとして祝金をいただいた。正直な感想を言えば、今や余りに”老人”が多い時代。”老人を敬う”ことができたのは希少価値があった時代の話だ。今の老人はむしろ老害やら社会の迷惑にならぬように謙虚でなければならない。公の祝い金も社会全体にとって妥当であるのか考えさせられてしまう・・。
9月22日(火) <世は定めなきこそいみじけれ・・・>
「世は定めなきこそいみじけれ」は徒然草の中の言葉。今日はこの徒然草の”定めなきこの世”の段を鉛筆で書き写した。「いみじ」はすばらしい、優れているの意で「この世は定めなく変わる(無常である)からこそ素晴らしいのだ」という訳だ。兼好法師はその前の文章では「いつまでも人が死ぬことなく生き続けるならば、”もののあわれ”(無常感)も無くなってしまう」の意味の言葉を使っている。かげろうや蝉の命と比較をして人間の死をも当然の移り変わりと捉える兼好の死生観には現代でも違和感がなく書き写しもスラスラと進んだ。
今日は秋分の日の休日。久しぶりに訪れた自由が丘・熊野神社と街の風景を”今日の写真”とする・・。

2020-09-22 自由が丘・熊野神社  右は街中の風景
9月23日(水) <水曜日はテニスの予定だが・・・>
水曜日はテニスの予定だが台風接近による雨模様で”お休み”。昨日に続いて「徒然草」といこう。今日、鉛筆で書き写した言葉は「命長ければ辱(はじ)多し」。「長くとも、四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」と言われても、自分はその倍も生き続けて恥をさらしてばかりだがどうしようもない。兼好法師は「もののあはれも知らずなりゆく」年寄を嘆いているが、「もののあはれ」を知るか知らぬかは歳とは関係ないだろう。・・午後、小雨の中を、これまた”昨日に続いて”息子の墓参りをしてきた。9月だけでも3回目だ。息子は正に”四十に足らぬほどにて”この世を去った・・。
 
2020-09-23九品仏浄真寺(東京。世田谷区)の総門と総門直後の境内
右の松は寺の墓地の一角にて、彼岸花は浄真寺に隣接する猫じゃらし公園にて撮影
9月24日(木) <台風は予想の進路よりも東のコース・・・>
台風は予想の進路よりも東のコースを通り、房総半島に上陸することなく北上中。東京の風雨もそれほど激しくならずに済んだ。それでも今日は一日外出せずに家で過ごした。終日、20℃程度の気温となり一挙に秋の到来を思わせる。外出をしなかった代わりに室内で身体を動かすことを努めた。トタンポリンは特別に400回ほど跳ぶとか、いつもは余り使用していない背筋のトレーニングマシーンを使うなどやったが、歩数計では4000歩を越す程度しか行かない。家にいると創作が進んでもいいが、こちらも思うようには進まない。それでも、わずかな成果として表紙に掲載している水盆(陶芸作品)のその後を掲載した。白い球体は中に磁石を装備しており空中に浮いている。下に球の部分の写真をもう一枚掲載しよう・・。
  2020-09-24陶芸と工作
9月25日(金) <今日も終日雨でテニスはなし・・・>
今日も終日雨でテニスはなし。このところ来月開催される陶芸の展覧会に合わせて陶芸作品集の作品をレビューしているが、考えさせられることが多い。約20年間の制作実績を見ていると、ワンパターンでなく陶芸で可能な形状を思い存分追求し制作を試みている。我ながらモノマネでなく創造したアイデイアには感心する。ところが年数を重ねて進化し、充実したかというとそうでもない。初めの頃の方が思い切りがよく今はアイデイアが枯渇しつつあるように見える。同じことが絵手紙や絵画についても言えることに気がつき、いささか愕然とした。やはり、20年以上にわたり描いた絵の履歴を見ると、昔は純粋に描くことを楽しんでいたが、最近は何をしていいかわからなくなっている。「初心に帰れ」というのは易しいが、ではどうするか・・。まずは外からのよき刺激を受ける、そして先のことだけを考えたいが・・。下には小雨の中を散歩に行った駒沢公園の写真を掲載する。”密”ではないのでマスクは外して歩いた。
 
2020-09-25駒沢公園にて

9月26日(土) <今日もまた雨・・・>
今日もまた雨が続く。午前中、陶芸教室で粘土の削り作業を行ったがコロナの影響か教室では私以外に一名だけだった。それでも棚に並んだ教室メンバーの作品を見るだけでも刺激を受けてやる気が増す。陶芸も今現在は新作のアイデイアがなく、停滞期と認識している。10月の中旬に作陶展が行われるので、その後まで待たなければならない・・。表紙には「水盆の工作部分・4」(陶芸)を掲載した。完成した陶芸作品の「水盆」に好き勝手に工作を加えているもので、今回は中央にタワー風の部品をつけた。思いつきで手元にあったLEDのランプをタワーとしたものであるが最終的に何を作品として残すかはこれから全体を見て決める。”陶芸”とは関係のない装飾には力が入るが肝心の陶芸本体が本意でないのが寂しい・・。


9月27日(日) <表紙に陶芸作品「骨組み1」を掲載・・・>
表紙に陶芸作品「骨組み1」を掲載した。これまでにない”骨組”作品であるが、完成させるまでには悩みが多かった。実は最初の計画では正32面体の骨組を作ろうと思った。正32面体は正五角形12個、正六角形20個からなり、頂点の数が60個、辺の数が90個ある。粘土で制作を開始したのは良いが、途中から訳が分からなくなり適当になった。一度組み合わせた骨組を切断して作り直せば良かったけれども、成り行きに任せて32面体の骨組ではない状態で粘土を乾かして焼成に出してしまった。迷いに迷ったけれども、出来損ないでも何か取り柄はあるだろうと最後まで完成させた。「出来の悪い子供ほど可愛い」心理で廃却するのが忍びなかったのだ。きちんとした多面体の骨組とは程遠いが私はこの”出来損ない”が嫌いではない。完璧なものはいわばワンパターンで再度製作しようと思えばできる。今回と同じ作品は二度と作る事はできない・・。


9月28日(月) <早朝から久しぶりに青空・・・>
早朝から久しぶりに青空が広がる。先週一週間はほとんど雨だったので青空を見るだけで感動して写真を撮った(下に掲載)。朝の6寺頃には写真のような雲があったが1時間後には雲一つない晴天となった。正に秋晴れ。このような日に午前中テニスをやった。今日はコート脇で今年初めての赤トンボも見つけた。何か申し訳ないような”幸せ”。・・富士山の初冠雪が報じられている。少々のバラツキはあるにしても季節は時と共に確実に移り変わり、その周期を繰り返す。そして、その時々に変化する山や空は本質的には一切変わっていない。最近は美しい空や雲を見ていると縄文人もまた全く同じ空や雲を見ていたと連想することがある。そう、縄文人は富士山の初冠雪にも感激したに違いない・・。
 
2020-09-28
9月29日(火) <今日は月に一度の病院・・・>
今日は月に一度の病院での検診日。いつものように東京医療センター(東京・目黒区東が丘)まで歩いて行った。肌寒いほどの気温だったので長袖のシャツを羽織って・・。病院では、毎回同じ順序で、まずは採血、その後注射。そして検診を待つ。今日は診断まで1時間ほど待った。病院で待たされる事は分かっているのでiPhoneを取り出して読書する。今日はKindle(Amazonの電子書籍サービス)を開いて「1分間瞑想法」という本を読み切った。検診は事前に採血した血液の分析結果が出ているので数値を見て見解を聞くだけ。PSAという数値が7.84とこの半年間で最小値まで下がっているので、これまでと同じ薬を飲み続けることになった。この間、診断時間は3分間ほど。その後、別の窓口で診察費の算定、そして自動機器での精算。それぞれに長蛇の列だった。今日はおまけに薬局で指定された薬を受け取るだけで30分ほど待たされた。病院で待ち時間が多いことは覚悟しているので構わないが、それにしても医者や病院関係者は大変だと思う。休みなしに次から次に患者を診断しなければならないし、事務も合理化されている割に滞り(とどこおり)が常態化している。患者が多すぎる、病人が多すぎると言いたいが自分もその中の一人だ。医者にかからないだけで相応の社会貢献になりそうだ・・。
9月30日(水) <9月も今日で終わり・・・>
9月も今日で終わり。あっという間の月日の経過を話題にするが個々人の感じ方の問題で時は常に変わらず正確に刻まれている。今日も秋晴れの下でテニスができた。この日は、テニスができるのも特別に幸運の賜物であるとの思いを新たにした。テニスをする仲間は80歳前後であるが一人が最近一週間以上欠席であるので心配していたら病院に入院していたことが分かった。そんな話をすると別の仲間の一人が自分も10年ほど前に癌の手術をして奇跡的に一命を取り留めた話をした。彼は実によく身体が動くのでいつも感心していたが知らない側面もあった。今日は一緒にゲームはやらないが85歳をすぎたベテラン男性が久しぶりに顔を出していた。皆、楽しくプレーをしているが、実は非常に恵まれた結果であると思う。私も含めて少し条件が変わるとテニスまでの運動ができるとは限らない。日頃のトレーニングなどをやっているかも知れないが、個人の努力ではカバーできない幸運が伴っている。やはり、天に感謝しかない・・。
今はどこに行っても「彼岸花」が目に付く。今日の写真にも彼岸花(ヒガンバナ)を掲載する。
2020-09-30自由が丘学園通りにて


これまでの「今日のコラム」(総括版)に戻る

 Menu + Picture + Ceramics+ Gallery + Corgi + Special + Links