「今日のコラム」(2020年 10月分)

10月1日(木) <今日から10月・・・>
今日から10月。たまたま「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る・・」という徒然草の中の文章を鉛筆で書き写した。「えんぴつで徒然草」を今も細々と続けている。・・10月になったので二週間後に開催される陶芸展覧会の案内ハガキを配布し始めて、やはり今年は特別の年なのだと再認識した。数ヶ月東京へ行くことを控えているという千葉に住んでいる知人に陶芸展に来てくださいとは言い難い。都内でもバスや電車で移動することを極力減らしているという人はまだ多い。リモートの展覧会を開催するとすれば私の場合このホームページの「陶芸作品」が正に画像での展示場だ。そうなると、展覧会で生に展示する作品が写真よりも格段に迫力があるものでなければ意味がない。本物はやはり写真とは違うと納得させなければならない。コロナが終息しない中、展覧会場まで来ていただいた人が満足するにはどうすればいいか。後二週間できる限りのことをやって見よう・・。


10月2日(金) <今日の東京は・・・>
今日の東京は雲一つない秋晴れ。午前中はテニス、そして午後は墓参り(息子の月命日)と屋外で存分に陽光を浴びる。今日はまたニューヨークにいる娘の誕生日であるので、このHPの表紙には娘への誕生日カードを掲載した。何歳の誕生日かはあえて書かず。中央部に入れた花は10月2日の誕生花「シュウメイギク(秋明菊)」。考えてみると、娘にこのような誕生日カードを描いて送ったのは初めてかも知れない。。先月、孫娘に誕生日カードを描いたのに触発されたのに違いない。逆に考えると最近は描くネタがないということか。今日は大安。これを契機に、初心にかえって絵手紙を再出発させるか。自然体で描きたいものなら何でもありとしたい・・。
 2020-10-02墓のある九品仏浄真寺境内

10月3日(土) <今日は思う存分庭仕事・・・>
今日は思う存分庭仕事をした。といっても自分の庭はない。妻の兄の家に車で行き、庭で雑草取りから樹木の剪定までをやらせてもらったのである。月水金には原則としてテニスをやる。それ以外の日には家でできるだけスクワットや筋トレなど筋肉を鍛える運動を心掛ける。先日、妻の兄の家に所用で訪れたときに、庭には年に一度か二度、植木屋さんを入れているが直ぐに雑草がはびこり手がつけられないという。兄は米寿(88歳)でもう庭仕事は無理。そこで、私が筋トレを自分のためだけにやるのでなく庭仕事をすれば少しは他人の役にも立つと思い、一方的に兄の家に押しかけたのである。庭仕事は家での筋トレ以上に大汗をかき、疲労困憊するほどであったが、心地よい達成感が残る。”余計なお世話”とされずに兄夫妻が喜んでくれたのが何よりのやりがいとなった・・。


10月4日(日) <金木犀(キンモクセイ)の香り・・・>
金木犀(キンモクセイ)の香りにハッとさせられる時節となった。家を出て住宅街を通り駒沢公園まで歩いて行く途中で香りとともに数え切れないほどの黄色い独特の花に出会った。金木犀の「木犀」は樹皮が動物の犀(さい)の足に似ているので中国で名付けられたとの解説があったが、サイの足はよく知らないのでピンとこない。それよりもキンモクセイの花を細かくみると実によく出来ているのでクローズアップの写真を撮り、全体写真と合わせて掲載してみた(下)。キンモクセイの樹木の大きさも様々で駒沢公園の脇には数メートルを越す巨大なキンモクセイがいくつも見られた。・・我が家のベランダに緑のカーテンも兼ねて栽培していた雲南百薬草がそろそろ終わりとなり、花が見事であるのでこれもクローズアップと共に写真を撮った(下)。雲南百薬草は別名「おかわかめ」と呼ばれるように葉を茹でるとワカメのような粘りがある栄養豊富な食材となる。少し前までは毎日収穫していた。我が家のベランダ菜園で成功した数少ない品種の一つが雲南百薬草だ・・。
 
2020-10-04左はキンモクセイ、右は雲南百薬草
10月5日(月) <朝から妻の体調が悪い・・・>
朝から妻の体調が悪い。朝食も食べない。けれども、こちらで何かできるものではないので独りで朝食を済ませていつものようにテニスに出かけた。妻は早々に医者に行き診断を受けたが原因ははっきりしなかったようだ。コロナの関連ではないが妻がこれほど体調を崩したのは珍しい。昼食もなしで横になって専ら休養している。こちらが何もしてやれないのがもどかしいがどうしようもない。これも時が解決してくれるだろうか・・。今日のニュースでファッションデザイナーの高田賢三がパリで死去したことが報じられた。COVID-19に感染して闘病生活を送っていたという。高田賢三さんは私と同じ姫路市の生まれでほぼ同年代(2歳上)であったので、何となく親しみを覚えていた。私の兄は高田賢三さんと同じ高校で学び一学年上だった。今は世界で通用する日本人デザイナーは数多いが、KENZOは間違いなくその先駆者だった。合掌・・。

10月6日(火) <iPhoneは私にとってただのケイタイではない・・・>
iPhoneは私にとってただのケイタイではないことを再認識させられた。夕方、いつものように駒沢公園へ散歩に出かけた時にiPhoneを忘れた。iPhoneを持参せずに外出するのは滅多にないことであるが、改めて散歩やウォーキングでも必需品であることを思い知らされる。フリーで歩く時には道端の名を知らぬ花や樹木を写真に撮ることが習慣になっている。iPhoneに内蔵されているPicture Thisというソフトを使うと撮影した植物の名前を即座に教えてくれる他、辞典のようにその植物の特性をみることができる。この写真を適宜このホームページにも掲載することもある。更にiPhoneのマップの機能を使うと行きたい場所への最短ルートなど簡単にチェックできる。また外出先で「探す」の機能を使って妻が今どこにいるか(携帯を持っている場所)を調べられるので使うこともある。ケイタイに電話することなく時事刻々移動している様子が即座に分かる。今のiPhoneにはほぼ24時間装着しているリストウォッチとも連動しているのでその日の歩数や睡眠分析をみたい時には見られる。「バスあと何分」の機能は外出時には必ず使う。もちろん、電車やバスで時間がある時にはKindleで読書もする。あるいは世界中のニュースを外出先で見ることも容易。こうしてみると小さなiPhoneの中でずいぶん広い世界に接している。テレビや新聞がワンパターンで陳腐に見えるのも歴史の流れであろうか・・。
10月7日(水) <今日の表紙に「Nahoさんへの絵手紙・おひつ」・・・>
今日の表紙に「Nahoさんへの絵手紙・おひつ」(ペンと水彩)を掲載した。今時、「おひつ」とは何だと言われるかもしれないが、最近、我が家で使っている「おひつ」をそのまま描いた。「おひつ」の漢字は難しくて書けなかったが「お櫃」。炊きあがったご飯を釜から移し替えるための容器・飯櫃(いいびつ)を丁寧に行った言葉だ。「櫃」は蓋のついた木製の入れ物。ちなみに飯櫃(いいびつ)は昔は円形でなく楕円形になっていたので、歪み(ひずみ)があることを「いびつ」という語源にもなったと知った。家庭では保温機能付きの電気炊飯器が当たり前になった現在、「おひつ」は過去のものに思えるが、最近は電気炊飯器に勝るおひつの優秀さが認められているという。おひつ に入れたご飯は乾かない。旨味を逃さない機能が再認識されてるそうだ。今、ニューヨークに住む娘のNahoさん、孫娘のMieuさんは、もしかすると「おひつ」を見たことがないかも知れない・・。


10月8日(木) <「徒然草」を鉛筆で書き写す「えんぴつで徒然草」・・・>
「徒然草」を鉛筆で書き写す「えんぴつで徒然草」を9月から始めたことは前に書いた(=9/6のコラム=ここ)。今も、機会を見つけて薄く下書きがしてある文字を鉛筆でなぞることを続けているが、当然、その文章を味わいながら作業をする。そこで最近は作者である兼好法師の独特な発想や表現が気になることが多い。自分だけが物が分かっているという”批評家然”とした言い方が気に入らない。小林秀雄は兼好のことを「空前の批評家の魂」と評価したそうだが、清水義範は徒然草は「日本の知識人エッセイの原形」で、「”世の中の間違いを叱り飛ばす”形式で書くべきという思い込みに囚われている」と指摘したという。全く同感だ。昨日書き写したのは「何事も古き世のみぞ慕はしき」で昔は良かった、今はけしからんの論法。現代の評論家と呼ばれる人たちが優れたところには目もくれず悪いところだけを見つけ出して指摘する習性であるのはこんなところに原点があったのか・・。
10月9日(金) <今から56年前、1964年10月10日に東京オリンピック・・・>
今から56年前、1964年10月10日に東京オリンピックが始まった。絶好の秋晴れの下での開会式を思い出す。今年はどうしたわけか昨日から冷たい雨が降り続き、明日も台風接近で更に強い雨が予測されている。・・今日の表紙に秋にふさわしいコスモスの花の絵を描いて掲載した。コスモスの和名は「秋桜」で、今は日本中にコスモスを鑑賞する名所もあるが、原産地はメキシコで明治の初期に渡来した外来種であるそうだ。私は以前からコスモスというと、宇宙のCOSMOSに馴染みがあるので花が何故コスモスと呼ばれるのか不思議だった。今回調べてみると、ギリシャ語の秩序・調和を意味するkosmosが語源で「秩序だって統一している」宇宙がコスモスと呼ばれるようになったという。混沌として無秩序なカオスの対義語。更に秩序ー調和ー美の連想から美しい意味合いで花の名にもコスモスが当てられたという説明があった。花の名としてはコスモスよりも秋桜くらいの方が適当かも知れない。早く澄み切った青空の下での秋桜を見たい・・。

10月10日(土) <冷たい雨が降り続く中・・・>
冷たい雨が降り続く中、レインシューズを履いて陶芸教室まで歩いて行った。来週には陶芸展が開催されるので今日の次は二週間後の陶芸となる。今日、予定していた素焼き後の釉薬掛けができないことが教室に着いた後に判明。他の人たちの展示用の作品焼成のため私の素焼きは後廻しになっていた。そこで急遽手持ちの粘土を使って思い付きで簡単な”お椀”を制作した。持っていた粘土を使い切るためでもあったので作品は一つだけ。形状が特殊であったり何か仕掛けがある作品を制作することばかりに執心してきた私にとってはお椀をいかに個性を持たせて仕上げるかが問題。形は普通のお皿やお茶碗であっても非常に魅力的な作品となり得るところが陶芸の面白さ、奥深いところでもある。ただし私はそこが不得意で失敗することが多い。家で浜田庄司や河井寛次郎の作品を改めて見てみると、形状は単純でも釉薬の文様が実にユニークでやはり存在感が素晴らしい。今日制作したお茶碗を気合を入れて仕上げることに挑戦するのも作陶展の後の再スタートには丁度良いかも知れない・・。
10月11日(日) <台風14号が上陸せずに東へ外れた・・・>
台風14号が上陸せずに東へ外れたおかげで東京に降り続いていた雨は午前中で止んだ。午後、久しぶりに駒沢公園まで散歩に出かけると日曜日でもあり多勢の家族連れで賑わっていた。今日はこの駒沢公園で一つ新しいことを覚えた。いつもは行かない公園西口近くで小型のヒマワリのような花がたくさん咲いていたので、早速にiPhoneのソフトPictureThisを使って写真を撮り名前を確認すると「ヒマワリ」とでた。けれども、細かく見れば見るほど知っているヒマワリとは違うので、花壇にある名札を探すと「サンビリーバブル」とある。サンビリーバブルとは何者か更に詳細に調べると、これがヒマワリの新種の名前だった!この新品種のヒマワリは丈が20〜50cmで、開花期間が5〜11月と長く種が付かないので連続して咲くとか、1シーズンに(一株)1000輪咲くという解説があった。まさにアンビリーバブル!それにしても、花壇用の花は次々と新しい品種が開発されている実態は分かるがもう少し情緒のある名前がつけられないものか・・。
 
2020-10-11ヒマワリの新品種サンビリーバブル 右上はシロガネヨシ(パンパスグラス)右下はCenchurus?
10月12日(月) <今日の午前中はテニスを楽しむ・・・>
今日の午前中はテニスを楽しむことができた。前からの予定では久しぶりに昨日から伊豆方面に旅行に行く計画をしていたが、先週、妻が体調を崩したので旅行はやめにした。妻は三日間、ほとんど何も食べず寝てばかりだった。病院にも行ったが原因ははっきりせずに、疲労の蓄積ではないかという程度・・。これまで、ほとんど病気とは無縁であった妻であるが、この際休養第一を貫く。今はかなり回復したがまだ無理をしない。この一週間、私一人でテニスやら陶芸で遊んでいるように見えるが、少しは食事も作った。以前、しばらくの期間、妻が不在の時に「グッチ裕三」の料理本に従って忠実に料理を作ることもやったが過去の話。最近はほとんど料理を作るチャンスはなかった。久しぶりの食事作りも、レトルトカレー、ジャワカレー、ビーフシチューなど簡単バージョン。先日、初めてフォンデューシチューを作ったが、これは気に入った。これからは妻が元気になっても少しは食事を担当するか・・。
久々に夕陽を見ることができたので写真を掲載する。

2020-10-12
10月13日(火) <今日は妻と一緒に谷中に義兄の墓参り・・・>
今日は妻と一緒に谷中に義兄の墓参りに行った。谷中の墓参りは月に一度の我が家の決まり行事だが、今回は特別に大決心をして家を出た。先週、妻がめまいで歩けないとか体調を崩して療養してきたところで、かなり回復はしたけれども具合を悪くして以来今日が初めての外出だった。私の腕につかまりながらゆっくりと歩いて、とにかくも墓参りを無事に終えることができたのは幸い・・。谷中は道を歩くだけで”これが谷中”といった独特の雰囲気を感じる。下に朝顔の写真を掲載したが、これは墓のある寺の近所の道路脇でいつも見かけるもの。今回もまた美しい朝顔の花を見ると、谷中に戻ってきた気分になった・・。
 
2020-10-13 墓のある瑞輪寺本堂 右はアサガオ
10月14日(水) <明日から陶芸展が始まる・・・>
明日から陶芸展が始まる。今日は出展する8セットの作品を車に積んで会場に持ち込んだ。決められたテーブルにセットするのも自分でやるが、私の場合、照明の電源をどこからとるとか、灯りの具合を確かめるとか”試運転”にも手間をかける。その間に周りの仲間の作品も見て回ると、毎度のことながら展覧会に出展する作品は皆気合が入っているので迫力がある。明日以降にじっくりと仲間の作品を見られるのが展覧会の楽しみでもある。他の人と比べると私の作品には敷物がないことにも気がついた。敷物一つで作品に品格が備わるのでこれは見習わなければならない。明日には敷物を準備するつもりだ。・・やることをやって家に帰り一段落するとベランダの花壇に季節外れのテッセンの花が一輪目についた。何かとても健気な(けなげな)印象であったので写真を撮って下に掲載する。これが今年最後のテッセンの花だろうか・・。
2020-10-14 テッセン(鉄線・クレマチス)
10月15日(木) <今日は陶芸展の初日・・・>
今日は陶芸展の初日。開場早々の11時に姉、兄夫妻、弟がそろって来てくれた。姉の連れ合いは90才を超えて施設にいる、弟の連れ合いは90歳半ばの母親の介護で家を空けられないなどそれぞれの事情を抱える。それでも皆展示されている陶芸作品を細かく見て周り、私の作品の説明もじっくりと聞いてくれた。展覧会を見た後、近所の寿司屋で一緒に食事をした。久しぶりの懇親会。陶芸展はこのような集まりの機会にもなる・・。展覧会場での私の作品部分の写真を下に掲載した。たまたま私がこの場にいる時には、照明の色を変化させたり、オルゴールの音を出すとか、デモンストレーションをやってみせる。考えてみると、どれも”陶芸”とは関係のないアソビだった・・。
2020-10-15
10月16日(金) <陶芸の展覧会では・・・>
陶芸の展覧会では普段会うチャンスがない人に再開できるという楽しみも大きい。一年ぶりとか二年ぶりで旧交を温める貴重な機会が展示場にはある。一方で、旧知であるとか仲間などと関係ない第三者に自分の作品を見て頂くことによって大いに元気をいただくから面白い。それぞれのコメント一つ、感想一言が想像以上の勇気を与えてくれる。何だか子供のような感覚だが、人間のやる気なんて”一言”でどうでも左右されるのだろう。更に相手が真に興味を持って見てくれているか否かが作品の説明している時にはっきりと分かるもの。興味を持っていただくだけでも有り難い。見ているけれども無関心が一番苦手だ。・・今日もいろいろな人に陶芸作品を見ていただいた。総括して、やはり”感謝”・・。家から展覧会場へ行く途中、目黒通りの陸橋の上から柿の木の写真を撮った(下に掲載)・・。
2020-10-16目黒通り陸橋の上より世田谷方面
10月17日(土) <今日は朝から終日冷たい雨・・・>
今日は朝から終日冷たい雨が降り続いた。陶芸展は今日が三日目。日中の気温が13℃に届かない冬のような寒さであったが、この日、高校、大学の友人たちが揃って見に来てくれた。皆が私と同じ工学系の専門であったので陶芸作品の趣味にも共鳴してもらえた感じ。考えてみると60数年前からの友人というのは幼馴染みの気楽さがある。展覧会場の側で昼食を共にしながら近況を話し合ったりしたが、何も飾らず、フランクに何でも話せる友人は本当に貴重だと再認識させられる。同じグループで身体が悪くて来られなかったメンバーのことを思いやり、どうしようかとの話題にもなる。皆が80歳になった実感が湧かないというのも元気の証拠か。展覧会が集まりの機会となるのも嬉しいことだ・・。・・展覧会場の側の住宅地に秋らしい赤い花を見つけたので写真を撮った(下)。
2020-10-17 ツリバナ(吊花)=ニシキギ科
10月18日(日) <陶芸展が夕刻 5時に終了・・・>
陶芸展が夕刻 5時に終了した。開催期間4日間があっという間に過ぎ去った感じだ。滅多に会うチャンスがない友人・知人が来てくれたのも嬉しかったが、作品を通して見ず知らずの人と話したり、意見を聞いたりできたのも楽しかった。そして何より他の人の陶芸作品を詳細にみることができる貴重な機会でもあった。自分の作品に対しては当然のことながら興味を持つ人と、ほとんど関心のない人に分かれる。何が好きか、何を面白いと思うかは人それぞれ・・。私の場合は、自分の趣味とか流儀とは別でも、その人のやる気、気合いの入れ方でどのような他人の作品でも引き付けられることが多い。いずれにしても作品の展覧会はただ他人に見せるだけでなく、仲間同士で個々の世界を見せ合って切磋琢磨する機会でもあろう・・。今日の東京地方の日の入り時刻は5時2分。丁度、陶芸展が終了する時刻に会場の一角にある「富士見亭」から正に富士山の脇に陽が沈む瞬間を目にした(下に写真)。これも陶芸展が開催されたお陰で見られたものだ・・。
16:30
2020-10-18 東京・自由が丘より
16:55
10月19日(月) <午前中に陶芸展の会場に行き・・・>
午前中に陶芸展の会場に行き、自分の作品の搬出を行い陶芸展の行事は全て完了した。午後から弱い雨が降り始めたが、このところ運動不足でもあるのでウォーキングに出かけた。ところが途中でデジカメ(iPhone)を忘れたことに気がつき、家に戻り出直す始末。ウォーキングにはiPhoneは欠かせない。今日も駒沢公園(東京・世田谷区)方面を歩いた。夏からしぶとく咲いていた百日紅(サウスベリ)の花がさすがに少なくなり、独特の幹が目立つようになったので先ず写真を撮った。続いて貫禄を見せる巨大なクスノキの写真。やはり、散歩にカメラは欠かせないのだ。iPhoneの中のPictureThisというソフトを使って写真を撮ると、名を知らぬ雑草の名前など即座に教えてくれる。雑草をその都度写真で掲載するとキリがないが今日は下にセイタカアワダチソウ(背高粟立草)を掲載してみた。PictureThisの解説では「世界中でよく見られる雑草」で「非常に侵襲的な雑草」となっている。下の写真には駒沢公園の広場中央にある「カンナ」の花を並べて掲載した。PicturThisではダンドク(檀特)・カンナ属の名で表示された。・・こんなことをして遊んだ後、帰り道でリストウォッチをしていないことに気が付いた。歩数はこれでカウントされているので、かなり歩いたけれども歩数は増えず・・。今日はどう見てもおかしい。展覧会が終わり一段落して集中力が切れたのか・・。
 
2020-10-19 クスノキとサルスベリ  上がダンドク(カンナ)。下が セイタカアワダチソウ
10月20日(火) <午前中は近所の病院で区の健康診断を受診・・・>
午前中は近所の病院で区の健康診断を受診。特記事項としては身長がピーク時よりも3cmも縮んだことか。以前は1cm程度は身長が低くなったと思っていたが更に縮んだ・・。午後は秋らしい爽やか快晴につられて、妻と蒲田まで出かけた。蒲田といえば私たちの場合、「ユザワヤ」に決まっている。「ユザワヤ」は手芸・工芸ホビー材料など様々な材料や道具を取り揃えているので有名。蒲田の駅前にはユザワヤの5,6,7号館の大きなビルが並んでおり、大抵の材料は調達できる。私は陶芸用の資材を買いに行くことがある。今日、ユザワヤの店舗を色々回ったところで、一番印象に残ったのは「マスク」の自作コーナーの充実ぶり。コロナ対策でマスクは支給されたり、購入するだけでなく、自分で作る要領が広く普及していることが分かる。制作するための”レシピ”は無料で配布されて、大きさ、形状、趣味も加味してあらゆる種類の「マスク」が自分で制作できるような案内がある。マスクの材質やデザインも一様ではない。外国ではマスクを着用する、しないで議論されているが、日本のようにマスクの自作の方法やデザインなどが提示されて実践されているのは、他国とは別世界のように思える。マスクにも日本文化の独特な一面をみることができる。要は人任せでなく自分でできる事を工夫してみること。これは誰にでもできることでなく日本人の誇るべき特性だろう・・。
10月21日(水) <雲一つない秋晴れの下・・・>
雲一つない秋晴れの下、午前中はテニスを楽しんだ。けれども午後は雲が出てきて明日、明後日は雨模様という。秋の空は変わり易い。・・表紙に娘と孫娘への絵手紙を掲載したが、これは今現在見た風景ではない。何年か前にペンで輪郭を描いたハガキが残っていたので色鉛筆で色を付けてみたもの。昨日、妻がドイツ製の24色の色鉛筆をプレゼントしてくれたので早速試し描きをしてみた次第。最近は箱根の芦ノ湖に行く機会がないが、何年か前はよく訪れた。芦ノ湖にはなぜか海賊船が浮かんでいた。しかもかなり派手な色彩の船で面白かったが、今も同じ海賊船があるのかどうかは知らない。話を色鉛筆に戻すと、今回の色鉛筆は水を含ませた筆で色の上をなぞると、水彩のようにもなる。微妙なニュアンスも表現出来そうなので、これから心機一転また絵手紙に挑戦して見るつもりだ。何事も道具が一新されると新たな意欲が湧く・・。

10月22日(木) <今日は六本木のミッドタウン・・・>
今日は六本木のミッドタウンに行った。本当に久しぶり、一年ぶりか、2年ぶりか。朝、今日は美術館に行くことを決めてネットで調べたところ、想像以上に美術館もコロナ対策で苦労していることが伺えた。根津美術館は事前に予約しなければならない。国立新美術館で今の時期に開催される二科展とか独立展などは軒並み開催中止。その他、五島美術館、静嘉堂文庫、智美術館などを調べた結果、ミッドタウンのサントリー美術館に決めたのである。今、サントリー美術館で開催されている展覧会は「日本美術の裏の裏」。題名だけでは分かりにくいが、古の人々の”生活の中の美”の愉しみ方に焦点をあて、日本人ならでの美意識に根ざした作品が紹介されている。私には非常に面白く刺激になった。一方で、久々の東京ミッドタウン(六本木)が懐かしくて外部のグリーンパークや檜町公園でゆっくりと過ごした。・・下にミッドタウンでの写真を掲載した。なお、今朝、日の出頃(6時前)の東の空があまりに美しかったので、その写真も合わせて掲載する。
 
2020-10-22 左はam5:50頃   右は東京ミッドタウン(六本木)ガーデンにて
 
東京ミッドタウン・檜町公園にて
10月23日(金) <表紙に今日描いた「Nahoさんへの絵手紙・船の波」・・・>
表紙に今日描いた「Nahoさんへの絵手紙・船の波」(色鉛筆)を掲載した。今日、金曜日はテニスに行く日だが、雨模様で中止。代わりに雨が降り出す前にベランダの雲南百薬草(オカワカメ)の処分を行った。これまで十分に利用させてもらったが、一応の区切り。使用できそうな葉を回収する一方で網に巻きついた雲南百薬草の蔓の部分を取り外し全てゴミ袋に入れたところで丁度本格的に雨が降り始めた。その次に手をつけたのが、絵手紙を描くこと。今日は前回に続き、色鉛筆の試し描きともいうべきもの。船の舳先(へさき)の波の部分をサンプル画を参照にして描いた。今、使い始めた色鉛筆は水を含ませた筆で色の上を絵取ると水彩のようになる。この技法を試みるために「船の波」を選んだ。確かに色鉛筆でしかも水彩のニュアンスにもなるところは非常に面白い。・・テニスをやらなかった代わりに1日楽しく遊んだが、体力づくりが不足。もっと筋トレを取り入れなけでばならないか・・。

10月24日(土) <今朝は5時30分に起床・・・>
今朝は5時30分に起床。今日の東京の日の出時刻は5時56分だから、起床してコーヒーを飲んだり、軽く筋トレを始める頃もまだ外は暗い。6時頃には外は明るくなるが、今日はどんより曇り空。ところが6時25分から35分までのテレビ体操を終えて外を見ると、空の色が急に変わったのに気が付いた。わずか30分ほどで空が激変した。6時37分の空の写真を下に掲載する。・・最近は空や雲を見ると感傷的になる。1000年前、2000年前の人間も今と同じ空や雲をみていた・・。人間の周囲のモノは大きく変わっているけれども宇宙の自然は変わらない。「武蔵野は 月の入るべき 嶺もなし 尾花が末に かかる白雲」(続古今和歌集/鎌倉時代)と詠まれた風景と全く同じ情景を今の武蔵野でも見る。人の感性は変わらない。美しい風景、空、雲に縄文人も同じように感動したのだろう・・。

2020-10-24 am6:37 東京
10月25日(日) <久しぶりに二子玉川・・・>
久しぶりに二子玉川に行き、多摩川沿の遊歩道を歩いてきた。 今日の日曜日、雲一つない秋晴れとなった。二子玉川にはコロナ騒動もあり一年以上行っていないので、この天気で多摩川の河川敷に行きたくなったのである。二子玉川ライズという再開発された地区には現在42階建ての超高層ビルをはじめ多くのビル群やショッピングセンターなど、最新の街ができている(地上30階の楽天のビルもある)。その続きには公園が整備されており、公園から簡単に多摩川の河川敷にも行くことができる。私は以前から奥の公園から川沿いの遊歩道を歩いて兵庫島まで行くのが好きで、今日もそのコースを選んだ。昨年の台風の時に東京で唯一河が氾濫した箇所が兵庫島の近辺にある。悠々と流れる河にも人を脅かす側面がある場所をも確認させてもらった・・。
 
2020-10-25 河川敷側から見たライズのビル群 右は公園風景
 
右下写真の道路が遊歩道
10月26日(月) <最近、計器による身体の測定技術が格段に進化・・・>
=突如としてホームページ作成ソフト<Dreamweaver>が2021年版に変更されてページの更新にも苦戦中= 
最近、計器による身体の測定技術が格段に進化している。リストウオッチで歩数の計測だけでなく、睡眠状態の診断、体温や心拍数他の健康状態全般の診断まで行う。けれども使用した経験から私は過大評価は不可。遊びとして参考にするのは良いが、数値に一喜一憂することはない。何をどう計測しているか分からないまま、深い眠りが少ないとか歩いた歩数が少ないから体調が悪いわけではない。計測には必ず誤差があるし、計測のミスもある。どういう訳か、睡眠時間が24時間であったり、就寝後2時間後に睡眠がはじまったことを怒っても仕方がない。身近な身体計測の場合はインチキは直ぐに判明するが、世の中にはトータルの人間力を学力とか知能指数の計測値だけで判断することがある。これも過大評価すると危険であろう・・。 


10月27日(火) <今日は月に一度の病院での検診日・・・>
今日は月に一度の病院での検診日。このところ検診を受ける東京医療センター(目黒区東が丘)までは歩いていく。東京医療センターは駒沢オリンピック公園の東隣にある。駒沢公園にはウォーキング(散歩)でよく行く機会があるが、散歩で行くのは公園の北西方面なので、医療センター側にはほとんど行かない。同じ公園でも東南部の風景は何か新鮮に感じられた。<駒沢公園は41万平方メートルの敷地に陸上競技場、野球場、テニスコート、体育館、ランニングのコースなどの運動施設がある>・・採血などで検診の結果は特に問題なし。数値的には前回より若干低く改善されたが、あるべき正常値よりはまだ高い。病院のロビーがまた珍しい景色に見えたので写真を撮った。病院でも公園でも、また、ただの道路でも良い、普段見慣れた景観でなく違った何かに接することが非日常となる・・。
    
2020-10-27 東京医療センターロビー  右は駒沢公園東にて
10月28日(水) <今日は雑草について考えさせられた・・・>
今日は雑草について考えさせられた。テニスの日なので朝早く家を出て8時にはテニス場の入り口に順番取りで荷物を置いた上で、近くの喫茶店でコーヒーを一杯飲む。この間、時間があるのでiPhoneでニュースをチェックしたりするが、今日はiPhoneの中にあるPictureThisというソフトを開いた。通常は植物の写真を撮ると、即、名前を教えてくれて解説までしてくれるソフト。これの一般解説で「雑草」の項目を見ていて、自分の考えを修正すべきかと思った。これまで私は「雑草」が可哀想でならなかった。雑草と言われるが可愛い花も咲かせれば健気に生きている。どうして名前で呼ばずに「雑草」と一括して差別をするのだ・・。ところが、今回読んだ解説では以下のような趣旨が記載されていた:「雑草」の観念は農業の黎明期に現れた。所定の土地に必死に栽培をしている植物の間に”生えて欲しくない植物”として雑草が現れる。農業で栽培するということは、雑草との戦いで、いかに雑草を取り除き、減らすかであった。雑草は生命力が強くしばしば侵襲性を持つ。油断をすると生育させたい植物を侵略して絶滅させられることもある。余程注意深く雑草除去をしなければ農業が成り立たなくなる。雑草といっても極めて多くの品種があり、いくら駆逐しても雑草は絶滅することはない。・・確かに、安易に雑草を保護すると農作物がヤラレテしまう。アマゾン河にいた強力な外来種(=魚や亀)が日本の川に放たれると在来種が絶滅するとか、動物の世界でも同じようなケースはある。「悪貨は良貨を駆逐する」ともいう。・・雑草に同情したり保護する必要はない・・。
10月29日(木) <今日は久しぶりに所用で妻と新宿三丁目・・・>
今日は久しぶりに所用で妻と新宿三丁目に行き、昼食に韓国料理「スンドゥブ(純豆腐)」を食べた。「スンドゥブ」というと、10年程前に恵比寿のスンドゥブ専門店に何度も通った思い出がある。逆に、それ以来ほとんど食べた記憶がない。今日のスンドゥブもとても美味しかったが、過ぎ去った年月を感じてしまった。妻は10月の初めに体調を崩し養生していたが、ようやく外出できるようになった。まだ完治とは言えないので、様子を見ながら外出の機会を増やしている。・・ベランダの花壇に咲いたテッセン(クレマチス)の花の写真をこのコラムに掲載したのは10月14日だった。その時、”これが今年最後のテッセンの花だろうか”と書いたが、その後、また新たに素晴らしい花を咲かせた。 ほとんど枯れているように見える枝からどうしてこのような豪華な花が咲くのか不思議にさえ思える。下に花の中心部のクローズアップ写真を掲載するが、これだけで花の神秘を満喫することができる・・。
2020-10-29テッセンの花の中心部
10月30日(金) <ファミリーヒストリーというNHKのテレビ番組・・・>
ファミリーヒストリーというNHKのテレビ番組がある。著名人の両親、そのまた両親など家系をたどれるだけ辿り(たどり)本人の歴史を紹介する。NHKが手間隙をかけて家系を調査するので、本人が知らないファミリーヒストリーが次々と現れて第三者が見ていても非常に興味深い。・・世の中には家系図に記された流れに乗る人もいるが、大部分の人は家系図などない。私の場合、父母が相次いで亡くなった時に、自分で知る限りの家系図をまとめてみたことがある。けれども生前には父母から曽祖父など先祖のヒストリーを聞くことはほとんどなかった。今思うと、生前に父母から聞いておきたかったことが山ほどあるが、一度途絶えた歴史をさかのぼることはできない。もちろん、個人的な歴史を明らかにしたところで未来に対して何の役に立つ訳でもない。けれども、今、自分が知っている歴史を次世代へ伝えるのは悪くはないだろう。・・一人の人間がこの世に存在しているということは本人が意識する以上に多くの人との繋がりがある。100年、200年の歴史だけでなく何百年も前からの遺伝子が何らかに引き継がれている・・。
10月31日(土) <陶芸教室にいくと久しぶりに本焼成・・・>
陶芸教室にいくと久しぶりに本焼成が終わり、完成した作品があったので、持ち帰った。この表紙に掲載した「花器」。私にしては以前制作した形状と似ており、特に新規性があるものではない。陶芸展へ出品する作品が決まり、間の時間に新しく製作するアイデイアがないままに思いつきで制作したもの。お茶碗でもお皿でも同じような形状でも更により良き作品をと作り続ける人は多い。今回の作品も似た作品は以前にもあるが、決して同一でなく、世の中に一つと思いたい・・。10月の最後の日。朝から素晴らしい秋晴れが終日続いた。日の出直後、日の入り直前の写真を下に掲載したが、一日中、雲一つない快晴であったことが分かる。日が暮れると10月に二度目というブルームーン(満月)。ハロウィンで満月となるのは46年ぶりというので、写真を掲載した。





2020-10-31 pm17:56 <月は東の空>
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