「今日のコラム」(2021年 2月分)

2月1日(月) <2月のスタート・・・>
2月のスタート。東京地方の天気予報では午前中は曇りで午後は雨であった。ところが、朝の8時頃にテニス場に着く頃にはパラパラと雨が降ってきたが直ぐに止んで2時間もすると晴れ間も見える絶好のテニス日和となった。午後も天気予報は外れて、洗濯物も干せるほどの晴。陽光が暖かかった。午後には、お天気につられて今日も駒沢公園まで歩いて行ったので、その時の写真を下に掲載する。以前と同じような写真ではあるが、公園といっても”蜜”とはほど遠くガラガラであるところを見せたい。午前中のテニスと午後のウォーキングで万歩計は約18000歩。2月以降にもこのペースを保てるだろうか・・。
 2021-02-01駒沢オリンピック公園にて
オリンピック記念塔    中央広場
2月2日(火) <今日は節分・・・>
今日は節分。一般的には2月3日が節分であるが、2月2日が節分となるのは124年振り(1897年以来)で、3日以外の節分は4日であった1984年以来と報じられている。節分は立春の前日という定義からこうなるにしても、二十四節気の立春の年毎の計算も専門家にお任せで、”左様でございますか”と受け入れる以外にない。我が家では豆まきの習慣はないので、せめて恵方巻きでもいただくか・・。今日の写真はお寺の大樹。午後、所用で歩いて行った都立大駅前の近辺でお寺の前を通った際に撮影した。この東光寺と常圓寺は隣同士で並んでいる。緑や黄色の色付きの葉で覆われた姿もいいが、冬の裸になった大樹もまた見応えがある・・。
2020-02-02
2月3日(水) <今年は今日が立春・・・>
今年は今日が立春。冬至と春分の日の中間に当たる。八十八夜とか二百十日など天気の警戒日は立春から数えるが、まだまだ寒さはこれからであろうに、”春”がつく季節というだけで”もう直ぐ春”の期待がふくらむ。そういえば梅もずいぶん花を開いている。今年は季節がどう変わろうが「新型コロナ」の動向一つでこれからの生活が左右されそうだ。今回のコロナ騒動は日本とか一つの国の問題ではなく地球規模でどうなるかが問われる。毎日のテレビでは同じようなコロナ報道が繰り返し続けられる。責任のない人ほど好き勝手な批評をするが、今必要なのはワクチン接種など実行できる具体策の推進でないか。二百十日の頃には存分に旅行ができるだろうか・・。
2月4日(木) <私たちは随分と贅沢な環境で暮らしている・・・>
私たちは随分と贅沢な環境で暮らしている・・。大きなスーパーに行って買い物をする時には毎回そういう思いをする。とにかく品数が尋常ではない。野菜や肉、魚から諸々の食料品、インスタントもの、酒類に至るまでそれぞれの分野で種類が非常に多い。私は自分で食事を作る時にはカレーライスとすることがあるが、カレーの種類も色々とあるし、更に、レトルトカレーも良くこれほど多くのものができると感心する。もちろん、どれを買うか非常に迷ってしまう。選択肢が多いということは、いいものでなければ販売競争に勝てないことにもなり、良い品質のものが普及することにもなるだろう。独裁国家では自由競争がないから選択肢は限られる。多くの中から、どれでも自分の好きな”モノ”を選ぶことができることほど贅沢なことはない。・・今日は妻の買い物で運び屋として大スーパーに行き、段ボール二箱の荷物を運搬した・・。
2月5日(金) <「おはようございます」と気楽に挨拶・・・>
「おはようございます」と気楽に挨拶をする。今日もテニス場の入り口に立つ守衛さん、先に待っているテニス仲間など会う度に自然に挨拶を交わした。テニスも何十年と続けて、これまで色々な仲間とお付き合いをしてきたが、過去の話として、この「挨拶」には特別な思い出がある。当時、それなりの企業の要職にあった人たちと一緒にプレーを続けた時期があったが、彼らは守衛さんに対して決して「おはようございます」とは言わなかった。「おはよう」と返すか、うなづくだけ。彼らは私より2~3歳年上であった私に対しても「おはようございます」とは言わず、「おはよう」と返すだけ。今の私は当時の彼らよりもはるかに年上となったが、誰に対しても「おはようございます」というのに全く抵抗はない。世の中には上下関係をそれほど重視する人間がいるものだと記憶に残ってしまった。・・「ありがとうございます」もまた使えない人がいる。特にへりくだった意味ではなく「ありがとうございます」も「おはようございます」と同じく気楽な挨拶言葉であって欲しい。「左様でございます」という言葉はなくしてもいいが、「おはよう」と「ありがとう」には「ございます」をつけたい・・。
2月6日(土) <確定申告を行う時節・・・>
確定申告を行う時節となった。今年の特徴は新型コロナの感染防止の意味もあるのだろうが、税務署にいくことなくe~Taxによる申告(電子申告)ができると宣伝されている。e~Taxは以前からあるが、今年はスマートフォン(マイナンバー対応のもの)を使用して申告ができるという。ところが実際にやってみるとそう簡単ではないと推察する。以前私はマイナンバーを取得し、ICカードリーダーも準備してパソコンを使ってe~Taxをやったことがあるが、二、三年経つとパソコンのOSや他のソフトの条件が合致しなくなり、最近は印刷をすることにしてしまった。スマートフォンといっても種類が多く、またソフトを読み込んで対応するのが”スマート”にできるとは限らない。パソコンのバージョン、SafariやChromeなどインターネットの種類、諸々のソフトの準備などなど、多くの条件が整わなければ容易にはe-Taxはできないものだ。今日は昔のカードリーダーを取り出してきて確認するとそのままでは使用できないことが分かった。・・個人的には、税金をわずかにでも納めるのか還付されるのかの、ほんの些細な見極めをやりながら、一方でコンピュータ社会の問題にも触れる思いがする。日進月歩で進化しているコンピュータ関連機器を個人と社会がいかにタイミングを合わせて更新できるか、税務署だって試行錯誤を続けているのだろう・・。
2月7日(日) <日曜日に駒沢公園に行くと・・・>
日曜日に駒沢公園に行くと今は凧揚げをしているグループが十組以上もいる。いつも感心するのが、どの凧も実によくあがる。少し風があると小さな子供でも10~20mを軽くあげている。けれども凧を良くみると100%市販のものである。私たちが子供の頃は凧は自分で作ると決まっていた。本体だけでなく新聞紙で作った足の長さをどの程度にするかなど作り方で飛び方が大きく変わった。昔、自分の作った凧は駒沢公園で今子供たちがあげているほど安定してうまく飛んだ記憶がない。それでも、買ってきた(あるいは買ってもらった)凧を高く、気持ちよく揚げるのと、自作の凧をあれこれ工夫しながら揚げるのと、どちらが楽しいかは一概に決められない。・・同じようなことを最近のケーキやお菓子類でも感じる。お金を出せば素晴らしく美味しい豪勢なものが簡単に手に入るが、一方で手作りのものは他にはない独自の味がある。凧もお菓子も優れた市販のものが出回れば、それらを更に上回る手作り品が現れる。ここが”ものづくり”の面白いところだろう・・。
2月8日(月) <マスクを外すと梅の香り・・・>
マスクを外すと梅の香りがした。駒沢オリンピック公園(東京・世田谷区)の梅林に行って白梅の写真を撮っていると側にいた女性が梅の香りがとてもいいですよと教えてくれた。今はマスクをしているので匂いが分からなかったが、マスクを外すと確かに梅の香りを楽しめた。それにしても前回この梅園に来た時には一部の梅が咲き始めたところだったけれども、今日は紅白たくさんの梅の木に花が咲いている。枝垂れ梅にも花が咲いていた。一方で、昨日は春を思わせる暖かさ(最高気温16℃)であったが、今日は一転、風が冷たい。最高気温9℃で「寒」の日だ。昨日であれば、次の芭蕉の俳句がピッタリであっただろう・・。「梅が香に追ひもどさるる寒さかな 」(松尾芭蕉)。
 
2021-02-08 駒沢公園にて
2月9日(火) <息子の墓参りに行くと・・・>
息子の墓参りに行くと、昨日、駒沢公園の梅林で見た梅と趣の違った梅の花に出会った。毎月、月命日には息子の墓参りをしているが、今月は一週間も遅れて今日になってしまった。その代わりに梅の花は今日の方が華やかだったかも知れない。墓のある寺(九品仏・浄真寺=東京・世田谷区)では四季折々の花や樹木が境内で楽しめる。江戸時代の伝説の元となったサギソウ(鷺草)や都の天然記念物である大銀杏が有名だが、蝋梅、桜、百日紅、レンギョウなどどのような季節でも何か花に接することができる。その中で、今日はお寺の境内の各所、あるいは墓地のあちこちで紅白の梅の花を堪能した。梅を見ると”春は近い”と明るい気持ちになる。今日の写真も昨日と同じ梅の花を下に掲載する。今日はお寺の梅であることが伝わるであろうか・・。昨日、今日と梅の話題を綴っていると、私の母の母(祖母)が「梅香」という名であったことを思い出した。今にはないいい名前だなぁ・・。
 
2021-02-09 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて

2月10日(水) <このところ「今日の作品」に新作が掲載できない・・・>
このところ「今日の作品」に新作が掲載できない。前にも書いたが、アメリカに住む娘や孫娘へ出していた「絵手紙」は正月以降娘たちが日本に帰ってきているので出せなくなったことが一つある。近くにいると「便り」は必要なくなってしまう。もう一つは「陶芸」の意欲が低下していることだろうか。先週の土曜日の陶芸教室も休んでしまった。惰性で作るのでなく新作に意味を持たせるにはアイデイアが欠かせない。アイデイア不足は他から刺激を受けてやる気を引き出すことだが、どうも他の作品に感動することが少なくなった。目標を見失っているように見える。まあ、長い目で見ると波はある。停滞期だってあるものよと慰めているがどうなるか・・。気力のベースになるのは体力。今日も好天気の下で2時間半のテニスができた。体力があれば脳細胞も少しは活性化してくれることを期待しよう。今日の写真は少し傾向を変えてワンチャンの入った写真を掲載した。ニューヨークで娘が飼っていた犬を東京では私が散歩に連れていくこともある・・。
 
2021-02-10 駒沢公園にて


2月11日(木) <今日は義兄の月命日・・・>
今日は義兄の月命日。谷中のお寺に妻と墓参りに行った。これまでコラムには何度か書いたことがあるが、今の私たちの住居は以前義兄夫妻が住んでいたところで、偶然が重なり義兄が亡くなった後、私たちが住むこととなった。本当に日当たりもよく便利な場所で義兄と親戚縁者には感謝しかない。義兄は2013年に83歳で亡くなった。義兄は私と同じようにテニスをやり、カメラの趣味もあったが、私より格段に優れていたのが音楽の才能。譜面があれば初見で何でも演奏できる人であった。一方でスピーカー作りでもアンプ制作でも電気工作はプロ級だった。こんなことを思い出しながら墓前に新しい花を活け、線香を焚いた。・・今日2月11日・建国記念日(休日)はたまたまエジソンの誕生日(1847年生まれ)。84際で亡くなったエジソンは80際の時に、「私にはまだやらなければならない仕事がある・・」と言いながら1日16時間のペースで仕事を続けたエピソードが紹介されている。私には「やらなければならない仕事」はないけれども、やりたいことはある・・。
 
2021-02-11 墓のある東京・谷中の瑞輪寺 銅像(左)=弘法大師(西光寺)、(右)=日蓮聖人(瑞輪寺)
2月12日(金) <歳をとると記憶が衰える・・・>
歳をとると記憶が衰えるという話をよく聞く。人の名前が思い出せないとか地名が言えないと歳のせいかとも思う。私は記憶の確認に意識的に好きな「画家」の名を言ってみる。初めは見事に名前が出てこない。ところが何度か”正解”を見ているうちに以前よりも的確に名前が出る。目安としている名前は、香月泰男、三岸節子、中川一政、草間彌生、篠田桃紅などの美術家。中川一政の名前が出なくても「真鶴半島」に美術館があるところから連想しようと悪戦苦闘する。ところがある時は「真鶴」の名前が出ないことがあった。「しのだとうこう」の名前は出てきたが、アレ、漢字が書けないという事もあった。考えてみると、名前が出てこないのは何年間も当人を話題にした事もなく、図録に目を通した事ない場合が多い。関心がなければ記憶は薄くなる。記憶は衰えるかも知れないが必要ならば諦めずに何度も”口に出して言ってみる”ことか。記憶改善も色々とやり方がありそうだ・・。
2月13日(土) <最近の生活で”小さな幸せ”を感じる・・・>
最近の生活で”小さな幸せ”を感じるのは、夕刻、風呂上がりに軽くお酒をいただく時であろうか。40年ほど昔には80歳を過ぎた父の夕食の様子を見に行く機会が時々あったが、必ずと言っていいほどウィスキーの水割りを飲んでいた。ジョニーウォーカーとかオールドパーといった洋酒が並んでいた。たまには晩酌に付き合う事もあったが決して深酒はしない、ほんの軽いお酒の習慣だった。今の私は妻がお酒は全くダメで、付き合う息子もいないので、一人ゆっくりとお酒を味わう。日本酒、焼酎、ウイスキー、ウォッカ、ワインなど何でもOK。それぞれに美味しい。今は「壱岐の島」という麦焼酎がテーブルの上にある。ほんの少しだけ食事の前に飲むのだが、これだけで十分に幸せを味わえる。そういえば父はウイスキーを飲みながら、これは「アペタイザー」と言っていたことを思い出す。”食欲増進剤”の意味であろうが、毎日のアペタイザーとして仮に一日40~50ccを一人で飲んだとしても一ヶ月もせずに焼酎の瓶一本は空いてしまうことを今になって納得した・・。
2月14日(日) <「深沢」という地名がすっかりお馴染みに・・・>
「深沢」という地名がすっかりお馴染みになった。このところ、ほとんど毎日、駒沢公園(東京・世田谷区)まで散歩するようになったが、家からは深沢を経由する。「駒沢」も「深沢」も「沢」の文字がつく。この近辺は東京の南東部で多摩川寄りの地域だが、他にも「沢」の地名が多いことに気がつく。奥沢も家からそう遠くはない。野沢、代沢、下北沢、北沢などは直ぐに思いついた。前に、東京で「谷」がつく地名を拾い上げるとキリがないほどあった。渋谷、世田谷の区名から、碑文谷、千駄ヶ谷、四谷、市ヶ谷、祖師谷、雑司ヶ谷、茗荷谷、谷中、入谷、糀谷など・・。地名というのは太古からの地形など歴史を引き継ぐものが興味深い。反対に、以前、田無市が西東京市の名に変わってガッカリした記憶がある。ちなみに「駒沢」は明治時代に、上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、深沢村他の村を合併させて駒沢村とした地名であるという(馬引沢の馬を駒とした)。歴史ある地名は大切にしたいものだ・・。
 
2021-02-14 深沢一丁目にて       クスノキ&サトウ楓
2月15日(月) <今日は朝から雨・・・>
今日は朝から雨。日中には最近にないほどの土砂降りの雨だった。月曜日はテニスの日だが、予報ではっきりと雨となると、それでは何をしようかとウキウキした気分になるから面白い。テニスをノルマでやっている訳ではないのに、時間を得したと思う。その時間に日頃やりたいと思っていて出来なかったことに手を出す。例えば陶芸で仕上がりがどうしても気に入らない作品に修正を加えるかとか、工作部品の改良など手先を使う作業が多い。その間、本を読んで過ごすなどと優雅にはいかない。それでもテニスの時間に何かをやったとしてもあっという間に時間が経過してしまう。所詮、時間は限られている・・。夕刻、5時を過ぎた頃、雨が止み急に陽がさしてきた。ここぞとばかりにウォーキングで駒沢公園にいき写真を撮ったので下に掲載する。表紙に掲載した写真は前に掲載していた陶芸作品の花器に花を活けたもの。これも今日のテニス時間にやった・・。
  
2021-02-15 駒澤通りの陸橋から見た夕日
2月16日(火) <「貧乏ゆすり」は健康には良い・・・>
「貧乏ゆすり」は健康には良いというテレビ番組を見たことがある。「貧乏ゆすり」の語源は”江戸時代に足をゆすると貧乏神に取り付かれるといわれていたから”とか、”貧乏人が寒さに震える様子から”(Wikpediaより)など諸説あるようだが、英語圏などでは”knee shaking"で”貧乏”のニュアンスはない。それでも人前では下品で、悪いマナーであるとされるのは日本と同じようだ。・・私は最近、台の上に立ってリモコンを操作すると全身をゆすってくれる健康器具を使っている。左右の振動だけでなく上下を加えた三次元の振動もできる。もちろん強さの調整も自在なので自分に応じた”ゆすり”で身体全体をほぐすことができる。これは正に全身の貧乏ゆすり版。一回、5分間のコースを1日何回かやっているが、このところ身体の調子が安定している。膝をゆする「貧乏ゆすり」も人前でなく自分で意識してトレーニングとしてに実行するのは間違いなく健康のためになる違いない。他人の目のないところで「健康ゆすり」をやろう・・。
2月17日(水) <今日は「馬」の地名・・・>
今日は「馬」の地名を書こう。先日、2月14日のコラムで東京の「沢」や「谷」のつく地名のことに触れたが、今日、テニスの帰りのバスで「駒沢」の手前が「上馬」であったので「馬」のつく地名(東京内)を考えてみた。直ぐに思いつくのは、高田馬場とか馬場下町、馬場下門、馬場先門、、馬喰町など「馬場」に関するもの。乗馬を行うための「馬場」は江戸時代には江戸中に地名があったが今残っているのはそれらの一部であるという。「練馬」、「馬込」、「日本橋小伝馬町」なども馴染み深い。初めにあげた「上馬」の続きで「下馬」もある。馬の字が入った「駒」は元来「子馬(こま)」で馬あるいは小馬の意であるから「駒」も馬関連と見ると「駒沢」、「駒込」、「駒場」・・。他にもあるだろうが、馬が昔はそれほどに生活に密着して親しかった訳だ。次は「牛」を調べてみるかな・・。
2月18日(木) <全豪オープンテニスの準決勝をテレビ・・・>
全豪オープンテニスの準決勝をテレビ(ライブ)でみた。大坂なおみ(23歳)とセリーナ・ウィリアムズ(39歳・米国)の対戦はいわば因縁の対決。2018年、大坂なおみは全米オープンテニスの決勝戦で子供の頃から憧れの大選手であったセリーナ・ウィリアムズと対戦して勝利し、世界的に注目されるようになった。この決勝戦は全観客がセリーナを応援している状況の中で勝利した大坂なおみのインタビューが謙虚だと話題になったことでも知られる。さて、今日の全豪での対戦は大坂なおみがセリーナを6-3,6-4のストレートで破り勝利した。記者から敗因はと問われたセリーナは「分からない」と答えて涙したと報じられているのに対して、大阪は「試合を楽しむようにした。たかがゲームと考えて・・」といった趣旨の発言をした。試合内容を見ると、本当にわずかの差。大坂なおみが今回の全豪4回戦でスペインのムルグサと対戦した時の試合もたまたまテレビで見たが、勝つには勝ったが相手のマッチポイントを2度切り抜けての勝利だった。一ポイントを失うと終わりの状況からの逆転。運が良かったとしか言えない。「運」が左右することはどのような競技でも同じだ。「運」は実力が伯仲している上でどちらかに傾く。やはり「実力」がベースであるのは間違いない・・。今日の写真は散歩時の写真(犬は娘の飼い犬)以外に「カマキリ」を掲載した。これは1月の誕生日祝いに娘からプレゼントされた「ガチャはチャオモチャ」に色を塗って完成させたもの。1/24&1/26のコラム(=ここ)参照。
 
2021-02-18 駒沢公園にて    カマキリは「ガチャガチャオモチャ」に色を塗ったもの
2月19日(金) <雲一つない青空。そして風もない・・・>
雲一つない青空。そして風もない、絶好のテニス日和というのに今日のテニスはどういう訳か朝一番ではコートが余るほどに空いていた。こういうことは滅多にない。ある人たちは緊急事態宣言下で新型コロナの伝染を警戒してステイホームしているとの噂も聞いた。ダブルスのメンバーが揃わないこともあり、今日は久しぶりにシングルスの試合をした。甘いセカンドサーブであると一発で決められるのはお互い様。いつものダブルスの試合パターンでないのが新鮮だった。何よりも相手のポイントは相手のショットが特別素晴らしいか、そうでなければ自分のミスと決まっている。ダブルスの場合はパートナーのミスか、自分のミスかが微妙で相手のポイントとなることも多い。習性としてパートナーの責任と思いたくなるところが面白い。シングルスでは全てが自分の責任。言い訳は聞かない。シングルスの試合を堪能することはできたが、運動量はダブルス試合の倍に近い。時々はシングルスもいいものだと、すっかり味を占めた・・。
2月20日(土) <今日は陶芸教室で釉薬掛け・・・>
今日は陶芸教室で釉薬掛けを二つやった。一つは、普通の素焼作品に釉薬をかけるだけであったが、もう一つは3度目の釉薬掛け。執念の挑戦であった。昨年末に2度釉薬をかけたが年が明けて今年になって焼成結果を見るとどうしても不本意な仕上がりだった。こういうこともあると諦めて手元に置いてあったが、今日、再再度仕上げの焼成をしようと家に持ち帰っていた作品(三角形型花器)を教室に持って行ったのである。考えてみると、この花器はどんな仕上がりにしても陶芸作品としてこのHPの陶芸作品のコーナーに掲載もしなかった。いくらなんでも、これは作品に可哀想であった。以前、私は陶芸は一発勝負のもの、1300℃以上に温度を上げて焼成する結果は”神のみぞ知る”ものと思っていた。けれども、一度、楽吉右衛門さん(15代目)の展覧会を見た時に3回、4回と焼成したと明記した作品に出会って、陶芸作品でも何度も焼成を繰り返すことがあるのだと納得した。それでも、これまで自分ではほとんど繰り返しの焼成はやったことはなかった。今回は初めは上絵で色を追加しようと思っていたが、思う色がないことが分かり、下絵の具で色をつけて再焼成することとした。これで結果がどうなるか。今回はどのような仕上がりになっても作品として「陶芸コーナー」には必ず掲載しよう・・。・・今現在、夕刻(6時過ぎ)、全豪オープンテニスの決勝戦が生中継されている。大坂なおみが第一セットを奪ったところであるが、果たしてこの先どうなるか・・。
2月21日(日) <今日の東京は快晴、最高気温が21℃・・・>
今日の東京は快晴、最高気温が21℃となる暖かさだった。今日も歩いて駒沢公園まで行った。奥の方にある梅園では紅白の梅が入り乱れて咲き誇っている。今は梅園に限らず行き帰りに通る住宅街など至る所で梅が見頃だ。今日は住宅街の一角にある世田谷区緑地公園に立ち寄ってみた。”犬を連れての入場はご遠慮ください”とあるので娘から預かっている犬と一緒の時には入れなかった。下に写真を掲載するが、深沢にあるこの緑地公園は江戸時代の豪農であった三田家の主屋が世田谷区に寄付されたものとか。区の所有物にならなければ変哲もないマンションが建っていただろう。・・小林一茶のこんな寂しい梅の句がある:「梅さけど 鶯(うぐいす)なけど ひとり哉 」・・。
 
2021-02-21 左は駒沢公園の枝垂れ梅  右は住宅街で見た梅
 
緑地(旧三田家)          右はギンヨウアカシア(住宅街にて)
2月22日(月) <昨日に続いて東京は今日も快晴・・・>
昨日に続いて東京は今日も快晴。しかも最高気温23℃という5月並みの気温で更に無風。テニスにはこれ以上ない条件となり、午前中の2時間半、フルにテニスを楽しむことができた。けれども2~3日後には一気に冬の寒さになると予想されている。今は地球規模で寒気や雲の動きを観測できるので、ある程度の確率で天気を予報できるが、現代の技術を総動員しても天気をコントロールすることはできない。1000年、 2000年前から”天の気”に人間は一喜一憂してきたように、今もまた”神のみぞ知る”領域の天気に適応するしかない。それにしても今現在アメリカ・テキサス州を猛烈な寒波が襲い多くの死者を出しているとか、シベリアのある都市では居直り寒波のためマイナス56℃を記録し、夏の最高気温との温度差が94℃となったというニュースを見るにつけて、東京そして日本の温暖な天気をどう感謝すべきか言葉が見つからない。新型コロナウイルス対策でステイホームすることなど、天の気がご機嫌を崩す事態を考えると、些細な対応に思えてくる・・。
2月23日(火) <今日は天皇誕生日で休日・・・>
今日は天皇誕生日で休日。”いいお天気ですね”の挨拶は特別話題がない時に交わす無難な挨拶とされるが、このところコラムの内容は連日続けて「天気の話題」である。それにしても今日の休日も東京は快晴。昨日の5月の陽気は少し春へ戻った感じはするが、それでも最高気温は15℃を超えた。今日の午後にもまた駒沢公園まで散歩。途中、世田谷区深沢の住宅街で祭日の国旗を掲げた家があった。今時、何かホッとする気分になって写真を撮ったので下に掲載する。国旗の裏に梅の花が咲いているところが気に入った。もう一つ、今日の駒沢公園で撮影した「ハクセキレイ」の写真も掲載する。駒沢公園ではこの小鳥をよく見かける。駒沢公園の陸上競技場の白い壁が小鳥のバックに入ったので、そのスペースにハクセキレイの拡大写真をいれた合成写真としてみた。ハクセキレイは人をあまり警戒することなく側まで寄ってくるが、動きが早いので写真を撮るにはタイミングが難しい・・。
 
2021-02-23 世田谷区深沢にて     右はハクセキレイ@駒沢公園にて
2月24日(水) <今日の午後、「碑衾支店」・・・>
今日の午後、「碑衾支店」を訪れた。東京(目黒区)・都立大学駅(東横線)の近くにある銀行の支店で、「碑衾(ひぶすま)」の名が今使用される例は珍しい。衾(ふすま)の文字も今はほとんど見ない。都立大学駅の南方に「碑文谷」の地名があるが、東京・目黒区の歴史を語る時には「衾(ふすま)」と「碑文谷(ひもんや)」が欠かせないという。江戸時代には今の目黒区の多くは「衾(ふすま)村」であり、明治になって碑文谷村と合併して「碑衾(ひぶすま)村」となり、昭和になって「碑衾(ひぶすま)町」と目黒町が合併して目黒区ができた。冒頭の「碑衾支店」以外に「「衾町公園」の名が残っているが今は「衾(ふすま)」の地名は他には知らない。ちなみに東横線の自由が丘駅(=都立大学駅の隣)は初めて電車が開通する時には「衾(ふすま)駅」と駅名が内定していたが、当時の文化人たちの提案で自由が丘駅が採用された(当時、創設されたばかりの”自由が丘学園”から)。駅名の評判が良かったので後に周辺の街の名も自由が丘になった。駅名も街の名も時代を反映するのは確かだが、私は希少価値のある「碑衾支店」も大好きだ・・。
2月25日(木) <満開の河津桜に出会った・・・>
満開の河津桜に出会った。いつもと違う緑道を通っていて、遠目には梅かと思って近づくと河津桜だった。早咲きの河津桜が咲く頃は芽吹きのシーズン。その気になって注意してみると道路脇の「辛夷(こぶし)」が芽吹き始めている。そういえば駒沢公園には辛夷(こぶし)の巨木があると、公園の最奥・西口近辺まで歩いて行ってみた。公園内の名木とされる辛夷の樹は期待に反して冬場と変わらなく見える。それでも近くに寄ってよく見ると確かに芽吹きが始まっていたのでホッとした。辛夷の白い花を見るにのはまだ少し先になるだろうが、白い花が満開になった頃にも是非写真を撮りたい。・・種田山頭火にこんな俳句がある:「木の芽や草の芽やこれからである」、「勝たねばならない大地いつせいに芽吹かうとする 」・・。
 
2021-02-25 河津桜@世田谷区の緑道   満開の梅@駒沢公園
 
辛夷(こぶし)の巨木@駒沢公園    左は駒沢公園の辛夷の芽吹き状況
2月26日(金) <このところ犬を連れて駒沢公園まで散歩・・・>
このところ犬を連れて駒沢公園まで散歩に行くことが習慣になっている。犬は娘がニューヨーク・マンハッタンで飼っているヨークシャーテリアとトイプードルの混血種。娘が東京へ帰省するに当たり苦心の末に飛行機に同乗させて連れてきたものだ。ニューヨークでは新型コロナの緊急事態が続く最中で犬の散歩に行くこともできなかったという。東京では決して”密”にならず散歩できるので、駒沢公園までほとんど毎日連れて行く。とにかく、この犬は日当たりが大好きだ。マンハッタンではほとんど太陽を浴びるチャンスもなかったようで、陽光に飢えているようにも見える。今日の東京はたまたま曇り空で、下に掲載する写真に陽の光はないが毎日はこのような場所で日光浴をしながら走り回る。一週間後にニューヨークに戻ると同じように外を走り回ることができなくなるかも知れないが、元気であることを祈ろう・・。
2021-02-26 駒沢公園(東京・世田谷区)にて
2月27日(土) <今日は息子の十三回忌の法要・・・>
今日は息子の十三回忌の法要を行った。新型コロナの非常事態宣言が解除されない今、どうすべきか迷ったけれども、ごく身内だけでお寺での法要をやることにした。普段はニューヨークに住んでいる娘や孫娘が今なら法要に参加できるというタイミングでもある。お寺側も非常事態を十分に承知しているので通常はできない経験もできた。お御堂で参加者は全員終始マスクを使用。座る間隔も2m以上を保つという調子。新しい卒塔婆を持って墓まで行ったが、頻繁に訪れているお馴染みの景色であるのに、寺の境内の風情が何かいつもと比べて緊張感と新鮮さを漂わせているように感じた。その後、家で軽い食事会。なかなか会うチャンスがなかった身内と久々の会話が楽しかった・・。
 
2021-02-27 墓のある九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の境内
2月28日(日) <昨日の法要に続いて今日も背広とネクタイ・・・>
昨日の法要に続いて今日も背広とネクタイの正装。何かというと、孫娘Mieuが20歳の記念写真を撮影するという写真館に行ってオマケの写真を撮ったのである。孫娘と娘は和装。孫娘が着た着物は私の母が妻にプレゼントしたという着物で、Mieuにすれば曽祖母が祖母のために作った着物を着た。今のスタジオでの記念写真を撮る様子を初めて見たが、ひと昔と全く異なる。昔は照明のライトを工夫しながら一枚ずつの乾板を使って慎重に撮影していたが、今は何百枚もの写真をデジカメで速写する。普段はしないような色々なポーズも混ぜて撮影するので本人はモデルになったような気にもなるだろう。着物を着た孫娘とジジ、ババと一緒の写真は”オマケ”といっても、この機会の後にまたあるとは思えない。考えてみると、コロナ騒動がなければ20歳になった孫娘はニューヨークかボストンに滞在を続けて日本で記念写真を撮ることなどあり得なかっただろう。コロナの影響も色々な側面がある。あと一週間足らずで娘と孫娘は米国に戻るようだが、健気に頑張っている・・。
 
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