これまでの「今日のコラム」(2005年 3月分)

3月1日(火) 弥生3月のスタート。受験のシーズンでもあるがこのところ個人の”向き不向き”とか”適性”を考えさせられる。私はわずか4年や6年の短期間を大学や大学院で学んだといってその道の専門家面することを好まない。世の中には学校に行かない真の専門家や教師に学ばなくても博識で教養もある人は数限りない。芸術家がどこの学校を卒業したかを気にするなどもナンセンスだ。そう思いながら自分はどうしても「理系」のセンスだなと思わざるを得ないところがある。先日、珍しく文芸春秋を買って「芥川賞受賞作(グランド・フィナーレ)」を読み始めたが読み続けられない。はじめに選評、”少女偏愛性癖者の内面にこもる熱が伝わる・・”などというコメントを読んだだけで拒否反応があったのだが、無理して読み進んでも面白くない。忍耐の限界になったので中断して後日体調を整えて先を読むことにした。文系の人はこれが最高の小説と思うのだろうか・・。口直し(?)に一昔前の単行本をひらいてみた。編集者(私と同窓の知人であるが)が飛行機の座席の狭さを色々クレームをつけている。彼の視点は飛行機という乗り物がバスや電車と同じであるので驚いた。これは文系の見方だ。私などは飛行機が浮き上がるだけで感動する。安定したエンジンや完璧な機体を自分で造り上げることを考えると、座席の狭さなどを文句を言う以前に科学技術の進歩に感心し、人間の凄さを思う。そこで自分の絵をみると、細密な絵は描こうと思えば描けるけれども印象派風の”感じ”だけをぼやかして表現するのが向いていない。詳細の構造とか仕掛けを疎かにできない“理系”の特性が出てしまうのだろうか。
3月2日(水) CS(=Customer Satisfaction/顧客満足)がこの20年来企業での合い言葉のように使われてきた。企業活動では顧客が満足するものを提供することが結局長期的な利益を生み、企業存続の基本ともなるという考えで、企業だけではなく、役所では住民を顧客とみなして住人サービスの活動をするとか、病院でも患者を顧客として患者満足を一番に考えるなど、多くの分野でCSの思想は役に立ったと云える。けれども芸術の分野で「顧客満足」と云われると複雑な思いがする。芸術の提供者がいくら努力しても受け手(顧客)が満足しなければ、ただの独りよがりである。問題は満足する受け手の数と質だ。企業の場合はリピート注文も含めてとにかく多く売れなければ成り立たない。芸術で「多くの顧客」がつくのは大いに結構だが、提供者が”多くの顧客が満足するように”意識して作品を創るのは何かおかしい。現実はアートも商売だと云われればそうかも知れない。しかし、いつの世も”多くの顧客”から時代をブレイク・スルー(突き破るように大進展)することは難しい。芸術でもCSを目指す人は多いが、私はこの分野だけは強情に「自分満足」を貫く人を応援したい。
3月3日(木) 東京国立博物館で開催されている「唐招提寺展」にいった。平日の午前中であるのに他人と身体を触れるほどの混雑だったのは残り3日間(6日まで開催)のためだろうか。唐招提寺は10年間に及ぶ平成の大修理の真っ最中(2009年完成)で、門外不出の名品の数々が東京・上野で見られるのはこの機会しかない。出品されている作品の中で、盧舎那仏と梵天立像、四天王立像などの仏像、現代の東山魁夷筆になる障壁画など美術品として楽しめるものも多かったが、何といっても鑑真和上坐像を目前にして鑑真の行動に思いを馳せると感動させられる。鑑真(688-763)は日本から来た遣唐使から来朝を懇請され「誰かこの遠請に応じて日本国に向かい法を伝える者やある」と問うたが誰も応じない。そこで、「法の為の事、我ゆかんのみ」と日本行きを決意したと云う。この時、鑑真55歳。それから実に10年の間に5回渡航を試みて失敗を繰り返す。6回目の渡航で日本にたどり着いたのは66歳。第5次の渡航失敗の時には海南島まで流され、鑑真は失明している(62歳)。鑑真が日本に渡航するといっても一人で来る訳ではない。第二次渡航計画の際には弟子17名、工人(絵師、彫刻家、大工、その他いまでいうエンジニア)を85名伴っていたという規模の大文化使節団であったらしい(成功した第6次は24名とか)。鑑真が奈良(平城京)に着く2年前に奈良の大仏が完成しており、失明していた鑑真は大仏を前にしても、その姿をみることはなくただ話を聞くだけであった・・とのエピソードもある。鑑真もまた招致した日本人にも仏法隆盛期のエネルギーが溢れるばかり、1200年以上前の時代のバイタリテイーには圧倒される。
3月4日(金) 自分で作った陶芸の茶碗を誤って割ってしまった。今年の初め(1月3日のコラム=ここに写真)に掲載した抹茶茶碗の一つであるが、壊したのには理由がある。このところ、抹茶茶碗や黒茶碗など「茶の湯」で使用するお茶碗をいくつか制作した。形はそれなりに好きなものが出来上がったが、御手前(作法)も知らない私とて「茶の湯」を楽しむ機会はほとんどない(真似事はやるが)。日常はいつもコーヒーを飲む。そこで最近妻と相談してコーヒーを飲む際に抹茶茶碗や黒茶碗を使うことにした。インスタントコーヒーでも入れ物が立派だから「結構なお味で・・」などといって優雅なテイータイムを楽しんでいる。更にシチュウなど料理の容器としても積極的にこれらの茶碗を使ってきた。そんな毎日何度も洗ったり使用したりする中で私が手を滑らせて落としたとたんに見事に割れてしまったのだ。自作の陶芸作品を壊したのは初体験だが、貴重な教訓を得た。そもそも陶器とは衝撃が加わると簡単に割れる。これからは扱い方も丁寧にしよう。ところで、壊れたものは余計に可愛い・・と粉々に(!)なったお茶碗を接着剤で修復を試みている。
「今日の作品」に掲載した「小皿(陶芸)」は孫娘が1月に帰国した際作ったもの。裏には彼女のサインがある。半分は私が手を入れたので私の「作品」として掲載した。


3月5日(土) 誰も法律に違反していることについて反論出来ない。18歳の期待される新人、ダルビッシュ投手が未成年であるのに喫煙したとして謹慎中である。ある国では15-16歳でも大っぴらに煙草を吸っているとか、日本中に何十万人もの高校生が煙草を吸っているとか、パパラッチのような写真週刊誌に現場を撮影されたとかは関係なく一切弁解を許されないが、私は同情的。ただ本人にはいい薬になっただろう。中村勘九郎が3月3日に無事18代中村勘三郎を襲名した。今年の一月であったか中村勘九郎の息子、七之助(21歳)が、酔った上で警官の顔を殴ったとして逮捕された。父親の勘九郎は襲名披露を控えて真っ青になり七之助を謹慎させたが、私は同情的。七之助さんは歌舞伎と云う特殊社会の中でよく育った好青年だ。普通なら親がどうこういう歳ではなし、酔えば殴る元気があってもおかしくない。ただ本人にはいい薬になっただろう。コクドの前会長で西武グループの総帥、堤義明さんが証券取引法違反の疑いで一昨日逮捕された。内情は分からないが西武グループの創業者、堤康次郎の膨大な遺産を相続した中で、義明さんは特別に手堅い経営をすると云われた。ただ、社会がそして法律がどんどん変化していくことをこのワンマン経営者に忠告する人がいなかったように見える。70歳といっても本人の人生はまだ先が長い。これがいい薬になるのかどうか・・。
3月6日(日) ホテルに宿泊の予約をした。納得し難いことだが自分でホテルに電話して予約する(電話代がかかる!)よりもインターネットでキーボードを叩いて予約すると格段に安くなる。そのため「楽天トラベル」に登録(無料)をして2割も安く予約できたと喜んでいた。ところが息子に話すると、今はインターネットのホテル割引はそんなものではないと教えられた。確かにインターネットでホテルの割引を調べると凄い言葉が並んでいる。「高級ホテルの予約が通常の30-60%割引」、「最大60%OFF」というのは珍しくない。ついに「最大96%オフ」まである。従来の旅行代理店が取っていたコミッション(手数料=約30%)をなくすとか、年間60%と云われる空室率を下げる(=空室をなくす)ことがポイントであるようだ。空室をなくすために直前になると大幅に値を下げて宿泊させても、その方が得になると云う計算である。インターネットでは空室のあるなしも即座に調べる事が出来るので、案外宿泊の前日に空き室を探した方が格安になるのかも知れない。2週間先のホテル予約は済ましてしまったが直前に割引がどう変わるかチェックしてみようか・・。
3月7日(月) 今朝のニュースでソニーの出井伸之会長(兼CEO)が退任し、後任は副会長のストリンガー氏(サー=卿でもある/ソニー創業以来初の外国人トップ)になると報じられている。私は出井さんには少なからず影響を受けた思い出がある。もう10年も前であるが「出井伸之のホームページ」という本が出版された。この本は出井さんがソニーのイントラネットを使って社員に発信したメッセージや社員から社長へのメールによる意見などを編集したものであったが、私にとっては何か新世界を垣間みるようなインパクトを受けた。出井さんは激務の合間に、例えば飛行機や列車の中でパソコンを使い、その日にあった会合の事を記述したり、時にはプライベイトの趣味の話、感動したことなどを全社員向けに発信する。社長が何を考え、どう行動しているかとてもよく分かる。しかも、自らキーボードを打ち込み、非常にフランクな文章を書く。今ではそれほど珍しくないが「10年前」の話だ!私などは当時自分の属している組織の旧態依然とした経営トップと比べてあまりのギャップにショックを受けた。私がインターネットを活用し、また自分のホームページを作成するきっかけとなったのが、この出井さんの本といってもいい。インターネット(および本)を通して全く部外者である私にまで元気を与えてくれた。この機会に、”出井伸之さん、ありがとう”と云いたい。
3月8日(火) 「今日の作品」に「コルク人形」(工作)を掲載した。世界で二つとない人形を作ったと云いたいが残念ながら肝心の仕掛け部分を再使用した修理品である。20年ほど前に妻が買ってきたヨーロッパ土産であるが、コルクは破損し腕の取り付け部分も壊れていた。よくぞ捨てずに保存してあったと思うが先日ふと目について大幅に改造・修理をした。オリジナルは頭の上にチャップリンがかぶるような帽子をつけたピエロ風のものだった。これを先ず帽子を削り落とし顔も作り直した。はじめは最近お馴染みの仏像の表情にしようとしたが、横長に大きく開いた口だけは削り直しができないのでこんな顔に収まった。頭には白髪を接着剤でくっつけるとピエロが名演奏家に変身。腕の接続部分の修理とかコルクの交換などはお得意で、最後に色を塗り直して完成だ。この人形、写真のように紐を引くと頭をかしげてバイオリンを弾く名品ではないかと思えてくる。・・一昔前なら私は人形の修理など思いもしなかった。考えてみると、最近、人形作家の古田文さんの制作話を親しく聞いたり、彼女のすばらしい人形の数々を見た影響が大きい。これまで別世界と思っていた人形も興味深くみるようになった。今回、人形の表情をナイフで削り出しながら仏像彫刻の作者の面白さもまた分かるような気がした。どんな分野でも創造の種は無限のようだ。

3月9日(水) 今日は「メートル」の話。メートルの単位は元来地球の子午線の長さから決められたことが知られている。地球一周が4万kmだから光の速度は毎秒地球7周半で30万km/sと覚えたものだが、地球の子午線の長さといってもどういう定義なのか追求をしたことはなかったので調べてみた。先ず,1795年新単位のメートル採用に際して「パリを通過する北極から赤道までの子午線の長さの千万分の1と定義する」という法律が公布された。実際にパリをはさむダンケルク(フランス)からバルセロナ(スペイン)の子午線の長さが6年間かけて実測され、これを基に1メートルを示す純白金製の「メートル原器」が製作された(摂氏零度が標準、後に白金w90%、イリジウムw10%の合金となる)。その後、子午線長さとの誤差が指摘されたがメートル原器をそのまま基準の1mとした。しかし原器での物理的な測定精度には限界があり「スペクトル線の波長に基づく定義」が検討されたり(1889年)、その後も定義の変更が続く。現在の定義(1985以降)は「メートルは1秒の299792458分の1の時間に光が真空中を伝わる行程の長さ」であるという。計測技術が向上すればするほど基準も超細密を要求される典型だ。「基準」でさえも地球の子午線から光の速度にまで定義が変遷する歴史をみると、人間が決めることに”絶対”はない。
3月10日(木) 今日3月10日は東京大空襲から60周年ということで各地で追悼式典などが行われたようだ。私は田舎(姫路)に住んでいたので大空襲の体験はないが(それでも焼夷弾のカスを子どもの頃見つけて遊んだ)、妻の生家はこの空襲で焼けた。一歳になったばかりであった妻はたまたま母親と兄姉と共に長野県に行っていて無事(その後続けて疎開した)。ただの幸運で大空襲を生きのびることができた人々が身内にもいる。・・話は飛躍するが、戦争では、「勝者の論理」がまかり通り多くの一般人が犠牲になる。一昔前のダーウィンの進化論でいう「自然淘汰」や「適者生存」などの言葉は強い者にとって極めて都合の良い響きを持っていた。進化論の科学的な議論から逸脱して「強者が生き残る」から「強者が弱者を殺す」ことが正当化される。勝者のみが適者でそれが自然の流れという論理の害悪は計り知れない。東京大空襲で10万人、広島原爆で20万人の死者だけではない。ナチズムの犠牲者は2500万人、中国の共産革命犠牲者6500万人など犠牲者が適者でないなどとは絶対に云えない。幸運者が生きのびているのは間違いないが、勿論、強者が善でもなく最適者でもなかろう。
3月11日(金) 「今日の作品」に「カレイ(鰈)/水彩」を掲載した。孫娘への絵手紙として描いたが、実はこの絵には別の目的があった。いま陶芸で直径が14cmほどの小皿を7枚作っている。私としては珍しくオーソドックスな(まあ、ありきたりの)作品であるので、在り来たりついでに、これまで陶芸では一度もやらなかった”具象絵”を小皿に描き込むことを思いついた。そのための下絵の一つがこの「カレイ」である。この絵ははがきに描いたが他の下絵は14cmの円を書き、その中に絵を描いた。下絵は簡単に描けるけれども陶芸の絵は釉薬を重ねたり色を変えてみたりしても焼き上げた結果を見なければどんな模様になるか分からない。陶芸用の色絵の具は今回使用しなかった。そのため色は極めて限定されたのでどういう色合いに焼き上がるのか、不安もあるがワクワクする。2週間後に7枚の小皿が出来上がる予定なので、7枚それぞれ、下絵と陶芸作品を並べてこのホームページに掲載しようといまから楽しみにしている。「カレイ」の絵が陶芸では大きな目玉になってしまっているかも知れないなあ・・。

3月12日(土) 昨晩のテレビで久しぶりに乙武洋匡さんの元気な姿をみた(日本テレビ系、「世界で一番楽しい学校」)。乙武さんが学校を訪れて生徒達に直接話をすると、いじめっ子であろうが登校拒否児であろうがどんな問題児も恐らくはこれまでに体験したことのない感動を覚えているのが見ていて分かる。抱き合ったり顔をつけて別れる際にはみな涙を流した。それは世界中どこの国でも同じだ。数年前であったか彼の著書「五体不満足」を読んで私自身非常に感動した覚えがある。生まれつき両手両足がないという信じられない障害を持ちながら、明るく素直に成長し大学(早稲田)まで卒業する。何より後ろ向きの愚痴や悪口などが一切出てこない。乙武さんはこれから教育の仕事をするというがすばらしいことだ。私は確信を持って云うことができるが、乙武さんが生徒達の目前で講演したり指導する場合、ノーベル賞受賞者やオリンピックの優勝者が話をするより何倍もの教育的な効果があるに違いない。多くの人はそのショックを生涯忘れないだろう。五体満足な自分が甘ったれたことなど云えたものではないと・・。乙武洋匡さんが日本の奇跡、日本の宝であることを忘れてはならない。(乙武洋匡さんのオフィシャルホームページ=ここ
*明日から小旅行にて二日間ほどコラム休みます

3月15日(火) 友人夫妻と伊豆高原に行き二日間のんびりと過ごして先ほど帰ってきた。快晴に恵まれ高原からは伊豆七島の大島、利島、新島、神津島などがくっきりと見えた。この時季にしては珍しいほど気温が低かったが朝は鶯の声で目を覚まし、散策するとリスにも出会う。こんな快適な時間の中で一緒に連れて行ったアール(コーギー犬)には少々閉口した。アールは不安そうに震えるかと思えば、置いて行かれないかと私から離れない。私が一歩でも動くと一緒にくっついてくる。夜は布団の中まで潜り込んできた。おまけに花粉症になったのか鼻をくしゅくしゅし始めた。”犬も花粉症になるのだ”と同情したが、それが東京のわが家に戻ったとたんに花粉症もなくなった。今アールは自分の住処で安心して独りぐっすりと寝込んでいる。しばらくは静かにこのまま寝かしておこう。
「今日の作品」に「陶芸小皿下絵/月と水仙」を掲載した。3月11日のコラム=ここ=で書いた陶芸用下絵の一つ。小皿の方は既に絵付けは終わっているので後は焼き上がるのを待つばかりだ。


3月16日(水) 先日、私としては生まれて初めて「整体」の治療を経験した。朝の起き抜け時に一方の腰に違和感があるという程度で腰痛と云うほどのものではないのだが、妻の馴染みの整体師さんに見てもらった。その折、整体師さんの話が一つ一つ納得出来て面白かった。原因についても老化、姿勢、ストレス、布団やマット等の敷物、無理な運動、その他色々な要因がからむとして特定しない。どんなに正しい姿勢とされる格好をしていても長時間同じ姿勢をとるとよくないことも分かる。自分なりに解釈すると、動かす(固定しない)、適度な負荷、左右均等(バランス)、継続などが正常な身体維持のキーワードかと思うが、既に歪みがある場合にどうするかは別問題だ。整体の話を聞いていると何か社会の成熟する過程を連想してしまう。今日のニュースではライブドアが獲得した日本放送の株式が50%を超えたという。喧伝(けんでん)されるフジテレビとの駆け引きの行方はわからぬが、野次馬としてみれば若いライブドアは凝り固まって動きのとれないテレビや放送に活力を与え得る。ただし、うまい整体師であれば元気になるが下手にやると体調を悪化させる。我が身の場合上手な整体師さんのお陰でかなりよくなった。後は自分の力で回復させたい・・。
*明日から陶芸で登窯に参加(合宿)するため二日間コラム休みます

3月19日(土) 一昨日、昨日と窯焚きを経験した。陶芸教室で千葉県にある「久遠窯(=ネット紹介ここ)」を借りて窯を焚く行事に参加したのである。私は昨晩遅く帰ってきたが昼夜なく窯を焚き続けなければならず、明日の日曜日まで約1300度に温度を保ち続けるために交代で今現在もなお薪を入れている。現代の焼き物はほとんど自動的に温度管理される電気窯を使用するので安定した製品はできるけれども”火”の面白さは味わえない。それが昔流の穴窯とか登窯で薪を燃やして焼成する焼き物は、火や灰の影響を受けて二つと同じものはない独特の風合いが加わるので珍重される。今回、実際に薪を燃やしてみて温度コントロールの難しさよりも薪の消費量の多さに驚いた。幅4m,高さ1.7mほどに積み上げた薪の山はほぼ26時間で全てなくなった。猛烈な火の勢いや薪のなくなり様を見ていると窯の中の陶芸作品は渾身の気合いを入れたものでなければならぬと思う。これだけのエネルギーと労力に相応しい作品でなければ勿体ない。そうは云っても自分の作品はもうどうしようもないが、出来上がりを見ることができる一週間後、26日が楽しみだ。
「今日の作品」に「陶芸小皿下絵/魚」を掲載した。この下絵を使って制作した小皿は電気窯でいま焼成中である(3月11日コラム参照)。

3月20日(日) インターネットの検索には以前はyahooを使っていたが今は専らgoogleを愛用している。このgoogleはますます優れものになってきた。前にコラムで「googleニュース」(=ここ)のことは書いたことがある。何百というサイトからニュースを自動的に検索して10-20分毎の最新ニュースを表示してくれる。朝日とか毎日などの新聞に偏ることなく地方新聞やスポーツ新聞まで含めて同じニュースがどう報道されているか比較もできて面白い。今日は自分のホームページのテーマ(昔のコラムで書いた言葉など)を簡単に検索できることを遅まきながら体験した。例えばゴッホとか正岡子規とか以前コラムで書いた覚えはあるが、いつ、何を書いたか自分でも忘れている内容を確認したければ自分のホームページのサイトを指定すれば一発で検索できる(=ここ、ちなみに自分のHPで”googleニュース”を検索すると、2004年9月18日のコラムで書いたことが分かった!!)。また最近は「Googleデスクトップ検索」が紹介されている(=説明はここ)。これは個人のパソコン内に持つ情報をgoogleを使って検索出来るというもの。残念ながら今のところWindowsXPなどに限られるが、自分の電子メールやWordなど何でも探し出すことができるようだ。しかしながら、考えてみると自分自身のパソコンに入っている情報も検索機能を使わなければ容易に取り出すことができない事態にいささか愕然とする
3月21日(月) 先ずSkeleton(骸骨)に関する単語がどれくらい分かるだろうか。1)spine、2)rib cage、3)pelvis、4)femur。答えは1)脊椎骨(脊柱)、2)あばら骨(肋骨)3)骨盤、4)大腿骨。これは孫娘が通っているニューヨークの”幼稚園”の教材である! 骸骨の全体図がありそれぞれの単語に従って色分けして塗り分けていある(他に簡単な辞書ではでていない骨の名称が並んでいる)。今日、娘と一緒に孫娘が一時帰国したが(娘は義父の病気のサポートで帰国)、幼稚園の教育の話を聞くと時にカルチャーの違いに驚くことがある。孫娘が幼稚園で覚えたビートルズの歌を何曲も歌うのは、まだかわいらしいと思う。けれどもなぜ目に見えない人間の骸骨の名前を教えるのかよく理解出来ない。どうせ教えるのであれば草花の名前とか、星座の名前を教えるのならまだ分かるのに。それにしても、カルチャーの違いがあるけれど、幼稚園といっても決して過度の幼児扱いをしない(人間としての能力を信頼している)ところが際立って見える。幼稚園の教材を見て大人が刺激を受けるのもまたいいか・・。
「今日の作品」に「陶芸小皿下絵/梅」を掲載した。陶芸作品が焼き上がるまでに「下絵」の方はこれから毎日更新して掲載しよう。

   3月22日分
3月22日(火) いま「光触媒」に関心を持っている。前に犬の散歩の途中で建築中の家が「光触媒使用」と宣伝していたがそれほど気にしなかった。それが家庭用の光触媒は花粉症対策にも効果があると体験談が雑誌に掲載されているので調べてみると、2ー3年前と比べて格段に普及している。自然界で植物が光合成をする際には葉緑素が光触媒の役目をするが、最近実用化されている光触媒は「二酸化チタン(TiO2)」という物質。酸化チタンは室温で有機物を酸化することができる特性を注目され、その研究の過程で更に曇りを防ぐ機能とか汚れを防ぐ機能(超親水性機能)が発見されて大幅に用途が広がった。現在は、光触媒も有害物質の除去や殺菌、脱臭、汚れ防止、曇り防止など、生活に身近なところで使用され始めている。自動車のボデイーやガラスの汚れ防止などにも応用されて効果が顕著だ。我が家でも是非光触媒を活用したいと「家庭内工作」のテーマとして検討中である。
「今日の作品」に「陶芸小皿下絵/すすき」を掲載した。この絵を描いた陶芸もいま本焼中。

3月23日(水) 人間やることがなくなると身体(健康)のことに目を向けるというと云い過ぎか。毎日テレビで紹介される健康法もほどほどに参考にする程度がよい。私や妻の周辺でも人によっては身体についての愚痴が唯一の話題となり少々辟易することもある。反対に自分の健康のことなど話の端にも出さずに他人のため社会のために活動している人が実は癌を克服した人であったりする。私の場合、余り他人さまの健康についてどうこう云えるものではないが、誰でも身体の不完全な個所など探せばいくらでもでてくるもので適度にだましだまし使うものだろう。前向きに行動している人を見ていると身体の不具合をあえて言葉にはださずに物事に取り組むタイプの人が多い。今朝の「天声人語」に珍しく孫引きできるいい言葉があった。曰く「犬は老いても、我が身の老いを嘆いたり将来を思い煩ったりせず、現在を満足して生きる」。これからは大いにワンちゃんに学びたいと思う。
「今日の作品」に「陶芸小皿下絵/木」を掲載した。この小皿もいま焼成中でどうできるか楽しみだ。

3月24日(木) 一昨日(22日)、建築家・丹下健三さんが91歳で亡くなった。20世紀日本の代表的な建築物として丹下設計の建築は間違いなく歴史に残るだろう。丹下さんが設計した建築としては東京都新都庁舎やフジテレビ本社(台場)もいいが、私は東京カテドラルの聖堂や国立屋内総合競技場(代々木体育館)が特に好きだ。中でも総合競技場(ここ)は以前コラムで書いたことがあるが(=2003-3-5コラム=ここ)、構造計算の坪井善勝さんとのコンビでシェル構造のユニークな建築を造り上げた。建築は「凍れる音楽」と云われることがある。フェノロサ(1853-1908、日本美術研究家)が薬師寺の東塔をみて「凍れる音楽」と評したという話が広く伝わっているが、その前にゲーテ(1749-1832)がゴシックの大聖堂をみて「建築は凍れる音楽」といったとか、この言葉はシェリング(1775-1854、ドイツの哲学者)に由来するとか諸説ある。とにかくも建築を「凍れる音楽」と表現する場合の音楽もまた建築も何となく想像出来る。最近、都内では建設中の高層ビルが目につくけれども、とても音楽など想起できない。丹下建築にはある種の音楽があったと思うが、新たな現代の「凍れる音楽」に出会ってみたい。
3月25日(金) 「今日の作品」に「小皿/魚<陶芸>」を掲載した。このところ「陶芸小皿下絵」シリーズを掲載してきたが今日七枚の小皿が焼き上がった。その内、3月19日に下絵を掲載した分の陶芸作品をここに掲載したもの(地は白御影の粘土に透明釉薬、魚は呉須<=酸化コバルトが主成分>で描いた)。今回出来上がった七枚の小皿をみて改めて陶芸の絵付けの難しさを実感した。勿論、水彩や油絵を描くような絵付けを期待はしていない(やりたければ白磁の地に綿密な絵付けをすることは可能だ)。けれども色の濃さやバランスがまるで想定したようにいかない。この魚の小皿はましな方であるが自然の火の力は自分が思いもしなかった別の世界を創造してしまう。今日、愛知万博が開幕した。テーマは「自然の叡智」だという。これまでは人類の叡智ばかりにこだわったが、今回は「自然」に目がいった。陶芸をやっていると正に人は最大限の努力はするとしても最後は「自然の叡智」に学ぶ心がなければならないと思い知らされる。
    3月26日分
3月26日(土) 千葉の久遠窯にでかけて穴窯・登窯の窯出しに立ち会った。私の作品は登窯に6点。現地で実際に薪を焚き塩釉の塩の投入もやった作品の取り出しである(3月19日コラム参照)。自分の作品を一番に見たいところだが何百個とある焼き物を取り出し分類するだけでも大変である。冒頭に「立ち会った」と書いたが見ているだけではなく皆で作業を分担して働き尽くめの数時間であった。それでもまだ余熱の残るサウナのような窯の中に入って作品を運び出したり、作品を乗せた仕切板を電動グラインダーで整備する(この作業を長時間やり腰が曲がった)のも楽しい体験だった。自分の作品については「やった甲斐があった」と云うべきだろう。電気窯では決してできない灰を被り独特の表面をみせているし、火のまだら模様もみえる。初めての登窯としてはこれ以上は望めない。今日の夕食は出来上がったばかりの深茶碗にちらし寿司、ぐい飲みに日本酒を入れて乾杯した。「今日の作品」には早速これも今日の登窯からでた「10cmキューブ」を掲載した。中央の穴には水を入れることができる。このキューブ、掲載した写真では見難いが各表面の色のニュアンスが微妙に異なって仕上がっている。
3月27日(日) 25日に始まった愛知万博が初めての日曜日を迎えた。好天に恵まれて人気パビリオンには長い行列ができたようだ。私は万博に行く日程をまだ決めていないが、長時間待たされることを思うだけで気が進まなくなる。3日前に孫娘のリクエストに応じて東京デイズニーランドに行ったが、この時の体験が印象的だ。デイズニーランドは相変わらず信じられないような混雑が続いていた。40分、80分待ちの行列も当たり前であったが、待ち時間がそれほど苦にならぬようにうまく工夫されている。これから乗り込む遊具を見たり、メルヘンチックな建物を眺めたりしながら話をしているといつのまにか順番が回ってくる。またそれほど並ばなくても直ぐに入れるところもあるし、屋外で休むだけでも周囲の景色が別世界の気分にさせてくれる。何よりどの従業員もニコニコしてお客さまに楽しんでもらうことを徹底的に教育されていることがよく分かる。とにかく、高い入場料を払い、長く待たされても、楽しかった、また来ようと思わせるところが実に巧みだった。万博の混雑対策がどうなっているか知らない。今更デイズニーランドに学べといっても始まらないが当然デイズニーランドのやり方は研究し尽くしたことだろう。万博も混雑はしても帰る時にはよかったと満足できることを期待しよう。
3月28日(月) 体調とか気力には周期があるものだが、私の場合単純な判定の仕方がある。それは朝目覚めた時に考え続けていたことが頭に浮かび新しいアイデイアが駆け巡るような場合充実しているといえる。心配事があったり前向きでないスケジュールが詰まっている時には目覚めもよくない。それが雑念なく集中して何かを考えていると朝からヤル気がでるものだ。アイデイア段階で内容を”バラス”のも気が引けるが、今朝は陶芸で風船に異なる土を重ね塗りする技法を使い、新たな「宥座(ゆうざ)の器」(2004-7-18コラム参照)を創ることを思いついた。土を何層にも重ねて焼き物を作る方法はたまたま昨日近所のギャラリーをのぞいた時にヒントを得たもの。今までの経験では思い付きを実現する段階で次々に変更を加えながらモノができあがるが、アイデイアが浮かんだ時には独特の興奮を覚える。有言実行という言葉がある。こうしてアイデイアを宣言しておくのも実行するための推進力となるだろう。さて、実際の姿をみるのは何ヶ月後になるか知れぬが楽しみだ・・。
<小旅行のため、明日、明後日のコラム休みます>

3月31日(木) 今日、東京では桜の開花が宣言された。桜とは関係ないが、この日、妻が電子辞書を購入した(シャープPW-A8300)。既に電子辞書を活用している人には遅れていると云われるかも知れないが、私は今の電子辞書に対する認識がかなりずれていた。単に広辞苑とか英和辞典が収められているのではない。何と百近くの各種辞典が収録されているのだ!辞書・事典の種類をそれだけ数え上げることもできないが、タイトルをみるだけでよくもこれだけ収録すると感心する。家庭の医学とか日本史事典、世界史事典、俳句歳時記などはまだ予想できる。それが全国方言一覧辞典、血液サラサラ健康事典、年金事典、「おしゃれ」ワザあり事典などなどナンでもカンでもある。私もコラムに書くネタがない時には電子辞書を借りて「無敵の雑学」から話題を見つけるかなどと思う。それにしてもこの電子辞書の「取扱説明書」の分厚いこと。取扱説明書の大きさも電子辞書本体の倍以上あるのには笑ってしまった。
「今日の作品」に「花器 by 登窯(陶芸)」を掲載した。この花器の中央の穴は何かと聞かれる。私は遊びですと答える。

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