これまでの「今日のコラム」(2010年 9月分)

9月1日(水) <月あらたまりて9月・・>
月あらたまりて9月、長月。といっても今年の猛暑は一向に収まる気配がない。今日の日中も最高気温35度(東京)を越したし東京の熱帯夜は48日目から更に記録を更新中である。毎日コラムを書いていると暑さの中では立派にスジが通ったこと、考え抜いたことなどとにかく面倒なことには触れたくなくなるものである。そこで散歩中に花などの写真を撮影してそれを話題にする。元来、花や植物には疎(うと)いので名前を覚えたり性質を調べるだけでも自分では楽しいのだが、ホームページに掲載するにしては安易な逃げ場だと常々思っていた。それが8月のコラム集をみて”花が好きなのね”とこの月花や植物の話題ばかり掲載していることを指摘されて一人勝手に落ち込んだ。確かに絵画にしても陶芸にしても自分の作品が8月にはほとんどない。新しい9月、興味ある植物を話題にすることは続けるにしても自分の新作をもう少し掲載したい。

9月2日(木) <今日は何の日・・>
今日は何の日・9月2日? インターネットで調べると、「宝くじの日」とある。「く(9)じ(2)」の語呂合わせで制定したというが自分とは余り関係がない。更に、同じく「く(9)つ(2)」の語呂合わせで「靴の日」でもあるとか。これは銀座の婦人靴専門店「ダイアナ」が平成4年に制定したものだが、この日に靴を半額にしてくれることもないようだ。9月2日に誕生した人には伊藤博文(1841生)、増田恵子(1957生/元ピンクレデイー)、早見優(1966生/タレント)らに混じって往年の名テニスプレーヤー、ジミー・コナーズ(1952生)をみつけてうれしくなった。・・2日は息子の月命日にあたるので今日は妻と九品仏浄真寺に墓参にいった。暑さのせいか寺はいつになく閑散としていたが、百日紅(さるすべり)の赤い花はまだ咲いている。夕日を浴びる寺の静寂な空間が美しかった(下に写真掲載)。・・実は今日は妻の誕生日。夕食は外食にしようか、寿司をとろうかなどといま相談している・・。
 
2010-09-02@九品仏浄真寺・東京世田谷区

9月3日(金) <丸皿セット・・>
丸皿セット」(陶芸)を表紙の「今日の作品」に掲載した。8月31日に掲載した「丸皿X」はこの内の一つである。この種の家庭用品を制作していると陶芸教室の仲間から”珍しいものを作ってますね”とからかわれる。陶芸といっても私がいつも実用にならないものや仕掛けものばかり作っていることを皆よく知っている。この丸皿は釉薬で格子状の模様をつけるところが勝負。はじめに格子の部分を筆で描き(この時釉薬を多めに垂らす必要がある)、乾いた後にその上に蝋を重ねって塗ってマスキングを行う。そして皿全体に別の釉薬をかけるという手法をとった。まずまずの仕上がりで完成したが細かいとことではまだ不満は残る。こうした食器類は制作する度に次はここを直したいというポイントがいくつか出てくる。そこが進歩の源泉であり陶芸の奥が深い面白さであろう。これからも食器類をもっと制作してもいいのかも知れない。

9月4日(土) <高校生クイズ・・>
高校生クイズをテレビで見ていたが途中で”頭脳の浪費”でないかと複雑な思いになった。日本テレビで毎年夏に開催する「全国高等学校クイズ選手権」は「知の甲子園」と称してマニアックな難問を競う。何かと名門大学への進学率の高い高等学校であることを繰り返したり、個人の偏差値、知能指数などを強調するテレビの演出を我慢して高校生の博覧強記振りを感心することはできる。例えば、坂本龍馬が写真を撮った写真館の名前(上野撮影局/上野彦馬写場)、タイタニック号の遭難時はじめにその海域に到着し救援活動を行った船の名前(カルパチア号)、ソ連のガガーリンが人類初の人工衛星で地球を廻る以前にスプートニク2号で初めて地球を周遊した犬の名前(ライカ)などがスラスラと回答できる高校生は確かにすごい。しかし、やがて何故暗記物の知識がこれほど持てはやされるのか空しくなってくる。インターネットで調べたり百科事典をみれば直ぐに分かる"知識”を大学の入試でも重視されるなら、それこそ日本の大学の危機である。絵の世界でいえば才能ある人間が名品と全く同じ贋作を制作しているのを見るような"もどかしさ”がある。優れた才能に恵まれた若者は知識だけでなく自ら考えること、自ら創造することに力を入れて欲しい。正解が決まっているものなど本当の価値はない。

9月5日(日) <今日の表紙・・>
今日の表紙の作品に「丸皿Y」(陶芸)を掲載した。3日(一昨日)に掲載した「丸皿セット」の内、一枚を拡大して撮影したものである。今日もまた猛暑が続く。京都で39.9度を記録したことが報じられているが東京で34度を越したことなどニュースにもならない。こんな日曜日、陶芸で縦型香炉を作りたいと家でデザインを初めて何枚か絵を描いてみたがどれも新鮮味がない。アイデイァがないときには行動する・・と、午後、陶芸教室の知人が出展している展覧会を見に行った。これが大当たり、期待以上にすばらしい展覧会だった。広告代理店をリタイアした人たちの作品展であったが出展者の皆が趣味の域を超えたアーテイスト。陶芸、漆芸、油彩画、版画、ガラス工芸などどの分野でも見ていて飽きることがなかった。自分にはない発想、高度なテクニック、妥協のない完成度・・。展覧会を見終わって電車で家に帰る途中、思いついた陶芸のアイデイァをいくつか忘れないようにメモ用紙に書き留めた。今朝から考えていた縦型香炉についても前にはなかったアイデイァが浮かんだ。他の人のやっていることを見る、つまり外界に目を向けるだけで脳が反応する様は不思議な感じさえする。


9月6日(月) <女郎花(おみなえし)・・>
「女郎花(おみなえし)」を今日の写真に掲載する(下)。今年は9月になっても猛暑が続き一向に涼しくならないのでせめて「秋の七草」で秋を感じたいと「女郎花」を探して写真を撮った。黄色い清楚な花は今の時期都会の公園などでもよく見ることができる。「おみなえし」の語源は諸説あり、「おみな」は「女」、これに「へし(圧)」をつけて「女性を圧倒するような美しさを意味とする説、女性が食べていた粟ご飯=女飯、「おみなめし」に黄色い粒々の花が似ていることから、変化して「おみなえし」となった説などが有力のようだ。秋の七草ではないが「男郎花(おとこえし)」の花が今自然教育園(東京・白金)で咲いているというインターネットの情報がある。男郎花は丁度女郎花の黄色い花が白くなった形。近いうちに是非「おとこえし」の写真を掲載したい。「女郎花 あっけらこんと 立てにけり」(一茶)。<下の右側の写真はエジプト大使館の旗/女郎花の場所から20分> 
 
2010-09-06 @東京・目黒区
9月7日(火) <どういう訳か宮沢賢治・・>
どういう訳か宮沢賢治が読みたくなった。宮沢賢治(1896<明治29)〜1933(昭和8>)は37年の生涯で詩や童話などの創作活動を行ったのはわずか15年ほどである。この間に「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」、「注文の多い料理店」、「雨ニモマケズ」などの名作を残す。しかし、生前に刊行されたものはほとんどなく、受け取った原稿料も微々たるものであったと言われる。画家、ゴッホの絵が生前一枚も売れなかった話を思い出すが、後世の我々が時代を超越して彼らの生きた息吹に感動することが奇跡のように思える。宮沢賢治の場合、童話とか詩で世界観、宇宙観、自然観を表現するところが好きだ。易しい言葉で思想を伝えることほど難しいことはない。・・異常な猛暑が続くこの夏にはろくに本も読んでいない。読書の秋を待たずとも宮沢賢治なら直ぐでも読むことができる。インターネットからダウンロードするか、パソコンでそのまま読むか、i-Padに取り込んで外出先で読むか、選択肢もいろいろ・・。”夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ"(「雨ニモマケズ」より)是非実行しよう。
9月8日(水) <コーギー犬の陶製置物・・>
コーギー犬の陶製置物「コーギーメモリアルA」(陶芸)を今日の表紙に掲載した。弟の愛犬ラブラドール・レトリバーが亡くなり、その思い出の姿を粘土で制作して我が家の窯で焼いてみようということになり、先ずはじめに自分のところにいたコーギを試作してみたものである。我が家のコーギー犬親子は母親のアンが2001年に亡くなり、子供のアールが昨年、2009年に亡くなった。今日掲載した「メモリアルA」は母親のアールのつもりであるが、やってみると愛犬の置物を制作することは想像以上に難しい。下手に抽象化する訳にもいかないしリアルに作ろうと思っても満足のいくものはできない。アンちゃんは希に見る美形であったので(親ばか!)こんな不細工でないよと云われるかも知れない。今回はアンとアールの親子を制作したが、何より粘土で制作している間に色々なことが思い出されて悲しくなってしまった。完成した後も同じこと。愛犬の置物を制作することが良いか、悪いか・・、迷ってしまう。私としてはリアルな像を常時身近に置いて忘れないようにするのは趣味ではないようだ。世の中には忘れた方がいいこともある。過去でなく未来を見るために・・。

   9月10分
9月9日(木) <昨日の台風9号・・>
昨日の台風9号は観測史上初の進路を通った。日本海から福井県に上陸し、列島を縦断して太平洋側に抜ける進路で途中熱帯低気圧に変わったというものの各地に記録的な大雨を降らせて洋上に去った。東京でも昨日は猛烈な豪雨。私も出先で余りにものすごいゲリラ的な豪雨に見舞われて驚きを超えて爽快なほどであった。今日は台風一過の秋晴れではないが久しぶりの涼しい曇り空の下でテニス、そして午後は陶芸。明日からはまた暑くなる予報だが今日はようやく秋の気配を感じることができた。・・それにしても台風一つで日本全体が一度に潤った。各地に大雨の被害が報じられているが、それは確かに現実であろう。一方で乾ききった列島に慈雨をもたらした台風の功績については一切触れられることはない。作物類は勿論、樹木、草花、生きている全ての生物にとって恵みの雨であったはずであるのに。恩恵には冷淡で少々度を過ごしたことをあげつらう人間の常套(じょうとう)か。お天気の神様はよく人間の傲慢さに腹を立てずに”ほどほど”を保ってくれると思う。今年程度の暑さ、9号程度の台風で済めばむしろ感謝である・・。
9月10日(金) <オトコエシ(男郎花)の写真・・>
オトコエシ(男郎花)の写真を撮るために時間をつくり自然教育園(東京・白金)に寄った。オトコエシ(男郎花)はオミナエシ(女郎花)科の植物で茎や葉は女郎花より一回り大きく白い花を咲かせる。秋の七草の一つである女郎花の可憐な黄色い花と比べると確かに強く男性的にみえる(女郎花については9月6日コラム=ここ=参照)。自然教育園のホームページ(=ここ)でオトコエシが咲いていると知っていたけれども、はじめ見つけることができなかった。諦めて帰ろうとしたときに奥の武蔵野植物園でようやくオトコエシの白い花を見つけた(下の写真)。自然教育園ではもう一つの白い花、センニンソウ(仙人草)が満開であったのでこの写真も合わせて掲載する。・・今日は多忙ながら充実感があった。その理由の一つは前から狙っていたオトコエシの写真を撮ることができたことかも知れない。
「今日の表紙」には 「コーギーメモリアルB」(陶芸)を掲載。 アールちゃんのメモリアルです(9/8コラム=ここ=参照)。
  
2010-09-10オトコエシ(左)&センニンソウ(右)@自然教育園

9月11日(土) <ピラミッド型容器・・>
「ピラミッド型容器」(陶芸)を今日の表紙に掲載した。先ほど陶芸教室で受け取り家に持ち帰ったばかりの「今日の作品」だ。陶芸の完成時期は窯に入れるタイミングで2〜3週間ずれることがあるが、今回の作品は思ったより随分早く完成した。題名を「ピラミッド型容器」としたが、一辺(底辺)230mmの階段状ピラミッドが上下にあり上部の逆さピラミッドの内部を「容器」として使うことができる。用途は「花器」でも「果物皿」あるいは「水盤」でもよい。上下は同じ寸法の対象形でどちらを上にしても使えるリバーシブルだが、上から写真を撮ると上部の方が大きく見えてしまう。陶芸品の場合、釉薬によって表面が光沢のある仕上げとするケースが多いが、今回は大部分を白のザラザラした仕上げとした。以前、内部を反響させて「笛」を鳴らす仕掛け付きの「階段ピラミッド」を制作したことがある(2008年4月作品=ここ=参照/現在居間に置いており我が家に来る小学生に笛付きピラミッドは人気がある)。この時には焼成したところかなり大きな割れを生じて完成後に大がかりな補修を行った。今回のピラミッドはその時の不具合を反省して制作したので割れもなく仕上がりは完璧であった。失敗の経験はこの「ピラミッド型容器」でも活かされている。

9月12日(日) <人形町を通って明治座・・>
日本橋・人形町を通って明治座に芝居を見に行った。人形町は江戸時代、市村座、中村座の二座で歌舞伎が上演され芝居街と呼ばれた。また浄瑠璃や人形芝居の小屋もあり、近所には人形師たちが多く住んでいたので「人形町」の名前が付いたと言われる。今日、切符をいただいて妻と一緒に見に行った明治座での芝居は「女は遊べ物語」。原作は司馬遼太郎の初期の短編集「一夜官女」の中の「女は遊べ物語」。出演は中村梅雀、菊川怜、音無美紀子、なべおさみ等々。パンフレットには!浪費好きで遊び好きの妻に頭があがらない武士の出世をユーモアたっぷりに描いた娯楽作”と書いてある。こういう芝居は俳優以前に脚本と演出で決まってしまうが随所に大衆に媚びた(見え透いた)台詞や演出が気になってしようがなかった。ひるがえって娯楽ではない司馬遼太郎の原作を読んでみたくなった。それにしても菊川怜さんらが現実に目の前で芝居をしているのを見ながら何かテレビの中の別世界のように感じてしまうのはどうしてだろう。同じ瞬間を過ごしている事実をバーチャル(virtual)=事実上の、実質上の、仮想の=と混同してしまう自分の感覚は少々問題かも知れない。
 

2010-09-12@明治座/日本橋

9月13日(月) <秋の七草・・>
「秋の七草」を確実に記憶したのが今日の収穫である。何を今更と笑われるかも知れないが、春の七草は「セリ ナズナ ゴギョウ ハコベラ ホトケノザ・・」とすらすら出てくるが秋の七草は時として思い出せないことがあった。理由は春の七草のように"リズム”で覚えていなかったからと思い当たった。そこで、「ハギ キキョウ / クズ フジバカマ / オミナエシ / オバナ ナデシコ / 秋の七草」と5-7-5-7-7のリズムで口ずさむ。これは一般的な記憶法であるようだが、出だしの「萩-桔梗」と最後の「尾花ー撫子」は共に”しりとり”でつながる。三番目が「葛」と覚えておけば「藤袴」と「女郎花」は自然と口からでる。こうして秋の七草を繰り返して唱えながら、今日は更に秋の七草全ての絵を一枚の画用紙に描いた(追って掲載予定)。ここまでやるともう「秋の七草」を忘れることはない。今日も気温30度を超す残暑の中、こうして秋を呼んでいる。
「今日の表紙」に 「ピラミッド型容器(正面)」(陶芸)を掲載した。真正面からの姿が一番似合うかな・・。


9月14日(火) <日記スタイルのブログ・・>
日記スタイルのブログを孫娘が始めた。孫娘は小学4年生でニューヨーク・マンハッタンに住んで現地の学校に通っているがブログは日本語。毎日マンハッタンの建物や街の風景を独特のアングルで撮影し文章をつける。ニューヨークでは12歳未満の子供には必ず保護者がついて外出しなければならないのでカメラで撮影する隣には母親がいるのだろう。娘親子の毎日の通り道を見ているようで面白い。孫娘は”空手と音楽が好きです”と自己紹介しているが日常かなり厳しい時間のやりくりをしているように聞いている。その中で写真を取り込みブログを書くパワーには正直なところ驚く。ニューヨークの学校にはコンピューターのことは何でも知っている同級生がいるという話もきく。時代はどんどん変わっていく。世界中への発信手段を知った子供たちはこの先どんな道を歩むのだろう・・。
「今日の写真」として「露草(つゆくさ)」 を掲載する。自然教育園(東京・白金)ではいま至る所で 露草の青い花が見られる。
2010-09-14@自然教育園

9月15日(水) <「今日の作品」に「秋の七草」の絵・・>
「今日の作品」に「秋の七草」の絵を掲載した。9月13日のコラム(=ここ)で書いたが、秋の七草の名前をリズムで口ずさみながら、より確実に記憶するために七草の全てを一枚の絵に描いた作品である。こうして小さな写真で掲載するとそれぞれの花はさらに小さくなってしまうので作品紹介としては残念であるが秋の七草の名前だけは間違いなく覚えることができた。一般的に誰でも知っているものは、オバナ(尾花/ススキのこと<左上>)、ナデシコ(撫子<左下>)、キキョウ(桔梗<右下>)というところか。オミナエシ(女郎花<中央中段>)やハギ(萩<中央上>)もまだ目にする機会は多い。私の場合、クズ(葛<中央下>とフジバカマ(藤袴<右上>が直ぐに目に浮かばなかった。先日、自然教育園(東京・白金)にオトコエシ(男郎花=オミナエシ科の植物/9月10日コラム参照)を見に行ったとき、すぐ側にフジバカマの花が咲いていたが、盛りを過ぎて生気のない姿だったのでそのまま絵にする気にはなれなかった。それでも特徴のある三つに裂けた葉の藤袴を確かめることができた。クズだけはこの秋まだ見たことがない。・・といいながら東京のどこでクズを見られるか調べてみると、またまた自然教育園の「見ごろ情報」に「クズ」が入っていた。昨日を含めて何度も自然教育園を訪れているのに「クズ」を見つけることができなかったのはお粗末・・。


9月16日(木) <アルツハイマーの看護・・>
アルツハイマーの看護を特集したテレビを見て(NHK)人間の感情の繊細さを改めて教えられた。アルツハイマーになっても感情をとらえる機能(脳の扁桃体)は正常な人より衰えることはなくむしろ活動が活発になるという。つまり感情に関しては相手の態度、言葉、表情などを細かくキャッチして敏感に反応するらしい。あるアルツハイマーのおばあさんが食事を作るのが無理になってきたので夫が全て料理を作って助けようとしたら自分の大好きな料理を取りあげられたと思ってしまう。むしろ適度に料理の主導権をとらせるとその方が満足する。記憶や知的機能は失われているだけに自分が拒否されたりプライドを傷つけられるのが一番つらいようだ。時として怒り出したり、涙もろくなったりするのは、それほど感情が反応している証でもある。アルツハイマーの人に適当な(感情的に幸せな)音楽を聴かせると正常な人以上に癒し効果があるという話も聞く。考えてみるとアルツハイマーの人でなくても相手がどのように感じているかを的確にとらえることは難しい。普段からもっと相手の感情を思いやる訓練をした方がいいかも知れない。
9月17日(金) <今日は朝からダラダラ・・>
今日は朝からダラダラしてどうしてもやる気がでない。バイオリズムという言葉を最近メデイアで聞かなくなったが、生命体にリズムがあるとすれば最低のゾーンでないかと自分でも思う。猛暑から急に涼しくなったので身体が順応していないのかも知れない。こんな時にはとにかく"動く”に限る、と自転車で陶芸の展覧会を見に行った。前から行ってみたかった古川歩さんの個展(=ここ=参照、9/19まで)。陶芸をはじめとしてインスタレーション、立体造形などのびのびとした作風がみな私の好みのものばかりで、私の娘と同じ年代の作者さんといろいろ話をしているうちに元気になってきた。その勢いでまた自然教育園に寄った(=ここ)。ここの森林の中を散策するだけで雑念がなくなる。今日の写真として、「アザミに留まった蝶」(蝶はタテハチョウ科のツマグロヒョウモン<褄黒豹紋>)と「やまはぎ」を掲載する。
 
2010-09-17@自然教育園(東京)

9月18日(土) <闘争心を呼び起こされる・・>
闘争心を呼び起こされるのは私の場合テニスをプレーしているときである。といってもテニスを何十年もやってきたので今更気張ることはない。普段は無理しないことをモットーとした楽しいテニスである。それが真夏の猛暑の中とか、今日のように少しは気温が下がったといっても炎天下の真っ直中でプレーして体力の限界を感じるとき、突然、”闘争心”を意識する。勝敗にこだわる訳ではないが”負けるものか”と自分を鼓舞して前向きになろうとする。実際に弱気になったとたんに身体が動かなくなりプレーそのものができなくなってしまう。”負けてたまるか”と思うだけで集中して身体が積極的に動くことが実感として分かるのは不思議な感じさえする。私のテニスなど些細なことであるが、今の子供や若者にいい意味の「闘争心」を鍛えて欲しいと思う。闘争心は一つの向上心。ハングリー精神や闘志なくして向上はない。「闘争心」とは結局人間の生きる源泉で一生ついて回るものでないか。ただ生きているだけでなく何かをしようとする人間は闘争心=向上心を必要とする。

9月19日(日) <目黒のSUNまつり・・>
「目黒のSUNまつり」に行ってサンマをいただいた。古典落語の「目黒のさんま」に絡めた「目黒のサンマ祭」と目黒区民まつりを一緒にしたものが目黒区が後援する冒頭の「目黒のSUNまつり」。ややこしいことにJR目黒駅は品川区にあり目黒駅前の品川区の商店街がやはり「目黒のさんま祭」を行う。品川区の方は今年は9月5日(日)に岩手県宮古市から6000匹のサンマの提供を受けて盛大に開催されたことがニュースにもなった。去年は初めて品川区の「目黒のさんま祭」に行ってみたが(2009-09-06コラム=ここ)、長蛇の列でサンマに近づくこともできなかった。今年は品川区には行かずにたまたま今日目黒区の「さんま祭」にいってみたのである。目黒区の会場はいつも散歩でいく中目黒公園から目黒川沿いに少し下った「田道広場公園」。
散歩の延長で歩いていったのであるが、期待をしなかっただけに意外なほど「さんま祭」を楽しむことができた。サンマの焼き場や食事処も非常に具合良く配置されているし無料配布のサンマ引換券も簡単に頂戴した。気仙沼市(宮城県)と目黒区が友好都市協定を結び5000匹のサンマを気仙沼市から提供されている他、気仙沼の「明戸虎舞打ばやし」(太鼓と虎舞)などの郷土芸能も披露されてお祭り気分を盛り上げていた。聞けば芸能の出演者の他、サンマを焼いたり調理する気仙沼のスタッフはみなボランテイアとか。「目黒のサンマ祭」は気仙沼の人の”奉仕”で成り立っている。
 
2010-09-19@目黒にて・ 明戸虎舞打ばやし(右奥がサンマの煙)&いただいた「サンマ」

9月20日(月) <「葛(くず)」の花・・>
「葛(くず)」の花を今日の写真として掲載する。葛は秋の七草の一つで、この秋「葛」以外の六草(ハギ、キキョウ、フジバカマ、オミナエシ、オバナ、ナデシコ)は全て見たので是非「クズ」の写真を撮りたいと先日は自然教育園(東京・白金)までいったけれども見つけることができなかった曰く(いわく)がある。それが”灯台もと暗し”。今日、いつも散歩で通る目黒川沿いの欄干に赤紫の花を咲かせた「葛」が山ほど生い茂っているのを発見して自分で驚いてしまった。蔓(つる)性の多年草である「葛」は生命力が強いことでも知られる。”雑草としては、これほどやっかいなものはない。あちこちで根を下ろすので、駆除するのはほとんど不可能”とWikipediaで解説してあるほどで放置しておくとどんどん繁殖するようだ。ただし大きな葉ばかり目立つので葉の下に潜り込んだ"葛の花”は見落としやすい。下の写真でも見るように葉の裏が明るく目立つことから別名「裏見草(うらみぐさ)」とも呼ばれる。「裏」に目をやった俳句例:「葛を得て 清水に遠き うらみかな」(与謝蕪村)<「裏見」を「恨み」と掛けた、昔から葛湯や葛水は愛用されたようだ>。「葛の風  吹き返したる  裏葉かな」(高浜虚子)。
 
2010-09-20葛の花(左)と恵比寿ガーデンプレイス内、シャトーレストラン前のススキ(右)

9月21日(火) <検察への信頼を揺るがす・・>
検察への信頼を揺るがす大事件、大阪地検特捜部の主任検事が押収した証拠物であるフロッピーデイスク(FD)を改ざんしたことが明るみに出た。厚労省の村木厚子元局長(無罪判決済み)を罪に陥れるためのストーリーに矛盾がでるため押収したFDに記録された証明書の作成日時を検察に有利な証拠となるように検察が訂正したというから信じられない。一般論として検察がその気になれば誰でも逮捕できるという話はよく聞く。あなたでも、わたしでも、どんな善良な人でも罪名をつけて拘束する権力を検察は持っている。政治家や経営者などの"巨悪”を暴くと格好良く云われるが実態は検察の微妙な”さじ加減”がある。事実は知らぬがライブドアにしても若手経営者が調子に乗りすぎて検察に妬まれたのかも知れぬ。厚労省の村木さんも女性のトップ官僚であるが故に罪なくして”狙われた"のかも知れない。冤罪が後に明らかになるのは希である。それでも日本の場合、検察は”さじ加減”はあっても、それほどデタラメはしないだろうという淡い信頼感はあった。それを今回の検察による証拠改ざんは根底から崩してしまった。他人に危害を加えるような案件でない政治やお金に絡む有罪者も本当に”悪い人”であるとは限らないと思った方がよさそうだ。

9月22日(水) <「マンハッタン南部」の"絵”・・>
「マンハッタン南部」の"絵”を今日の作品として表紙に掲載した。ニューヨーク・マンハッタンに住む孫娘向けの「mieuへの絵手紙」として描いたもの。マンハッタンの地図は道路が碁盤目のように正確に区割りされているので「図案」にすると面白いかと思ったのである。地図を描いてみて絵の出来映えはともかくとして街の地理を覚えたのは間違いない。この絵はセントラルパーク(最上部の中央)より南部約8.5kmを描いている(マンハッタン全体で南北約20km)。絵の左側のハドソン川と右側のイーストリバーの間もわずか3〜4kmほど。この間にミッドタウン(タイムズスクエア、ロックフェラー、五番街、エンパイアステートビルetc)、グリニッチビレッジ、ソーホー、チャイナタウン、ウオール街などがひしめき合っている。中央部に斜めに走る道路はブロードウェイ、最南端にはバッテリーパーク<数年前にバッテリーパークでスケッチをしたことを思い出す(この時のスケッチ=ここ)>。・・紙の上でなく実際にマンハッタンを歩いてみたくなる「絵手紙」となった。
「今日の写真」は東京のミッドタウン風景。
 2010-09-22@東京ミッドタウン(六本木)

9月23日(木) <今日、秋分の日・・>
今日、秋分の日は大雨。昨日は昼間に気温33度を超す猛暑日(東京)であったが、今日は一転して20度前後と涼しくなった。今日は昨日と違いもう冷房は必要ない。その内に暖房が欲しくなる。日本では冷房も暖房も当然と思っているが世界的にみるとこんな国は珍しい。欧米は暖房中心、東南アジアは冷房中心。空調も冷房か暖房の単機能の機器を設置するケースが多い。一つの機器で冷房・暖房の両機能を持ったヒートポンプが世界の中でも日本で最も発達したのは「四季」の国であるからだろう。ヒートポンプは空気を熱源とする、というと一般に分かり難いが、冷房時は夏の高温外気で熱媒体(冷媒)を冷やし(外気は更に温度が上がる)、暖房時は冬の外気で熱媒体を温める(外気は更に下がる)。・・と調子に乗って書き過ぎてしまうが、冷暖房機器にも関連する日本の四季の豊かさを云いたい。”待てばやがて変わる”そして新たな時節がどれも味わい深い自然をもたらす四季は何と有り難いことか・・。
「今日の写真」は墓参に行った九品仏浄真寺。丁度墓参の時間だけ雨が止んだのが不思議・・。
2010-09-23@九品仏(東京・世田谷区)

9月24日(金) <「マンハッタン北部」(ペン画)・・>
「マンハッタン北部」(ペン画)を今日の表紙に掲載した。一昨日の「マンハッタン南部」に続いてニューヨーク・マンハッタン島北部の道路地図を図案化したもの(9月22日コラム=ここ=参照)。中央のグリーンベルトがセントラルパーク(CP)で東西(幅)0.8km、南北(長さ)4km。CPの西(左)にはリンカーンセンターやアメリカ自然史博物館がある。CPの東(右)にあるメトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館なども懐かしい。CPの北(上)がハーレム地区。最上部の斜めに描いた川がハーレム川で船でイーストリバー(右の川)からハーレム川に入り左のハドソン川に抜ける航路をいくと右手のブロンクス側にヤンキースタジアムが見える(マンハッタン島一周の観光クルーズは面白い)。・・なんだか年寄りが昔の思い出に酔っている雰囲気であるが、私にとってマンハッタンはみな過去の話になってしまったのがやや淋しい。この絵手紙の宛先である孫娘は自分のブログでマンハッタンではいま国連総会のために道路が混雑しバスが走らないので学校には地下鉄で通う話をしている。こちらの方が"現役”だ。

9月25日(土) <昨夜、霞ヶ関・文部科学省・・>
昨夜、霞ヶ関・文部科学省での講演会にいった。知人から案内をもらったのであるが正確に言うと講演会ではなく身近な場所でコーヒーを飲みながら科学の専門家と科学について語り合う”サイエンスカフェ”と称する集いの一環(全国各地で行われているサイエンスカフェの案内=ここ)。昨夜は「21世紀の科学・技術リベラルアーツを議論する」のテーマで文部科学省の情報ひろばラウンジで行われた(情報ひろばは入場無料で各種の展示場やイベント会場などがある=ここ)。事前に申し込めば入場無料でコーヒーを飲みながら議論に加わることができるのが建前であるが時間の制約もあってとても本格的な討論はできなかった。それにしても霞ヶ関の役所の中に自由に出入りできる場所があり、例えば文化庁が所蔵する美術品などをいつでも無料で見ることができることを知っただけでも収穫であった。
「今日の写真」にはヒガンバナ(彼岸花)を掲載する。 別名、曼珠沙華、学名、リコリス(ギリシャ神話の女神)はいいとして、英名、(red)spider lilyには笑ってしまった。”蜘蛛百合” とは言い得て妙。
 
2010-09-25@代官山アドレス(東京)/ピーコック前

9月26日(日) <ギャラリーフェイク・・>
「ギャラリーフェイク」を読んでいる。知っている人からは何を今更と云われるかも知れない。「ギャラリーフェイク」は小学館が発行する週刊の漫画雑誌「ビッグコミック」に1992年に連載され始めて不定期ながら何と2005年まで連載が続いたという超ロングセラー漫画である<数年前にテレビでも放映されたそうだが知らなかった>。私が読み始めたのは文庫版(小学館)であるがそれでも全23巻の大作。フェイク(fake)とは美術品などを偽造するとか偽物の意であり、”ギャラリーフェイク(贋作画廊)のオーナーが天才的審美眼と修復技術を武器に美術界の裏に潜む虚飾に切り込む”(=出版社のPRコメント)話である。これが実に良くできていて面白い。ストーリーの緻密さ、展開の意外性、構成の複雑さ、社会的な問題提起など豊富な内容には感嘆するばかり。取りあげられる美術品も絵画から、彫刻、陶芸、古美術、骨董品など範囲が広く作者の知識、造詣の深さが分かる。作者は細野不二彦さんという1959年生まれの慶応大学経済学部を卒業した漫画家だ。日本のマンガ、アニメのレベルは世界で群を抜いていると言われるが日本の中で私たちは案外に"宝物”に触れていないことを思い知らされる。この秋には「ギャラリーフェイク」全巻を読破するつもりであるがまだ先が長い・・。
9月27日(月) <雨の中を日本橋三越・・>
雨の中を日本橋三越で開催されている伝統工芸展にいった。昨日のNHK-TV日曜美術館で取りあげられた竹で編んだ篭(磯飛節子さん作)を見たかったので日本橋の近くに行ったついでに立ち寄ってみたのである。精緻な竹細工は正に工芸の名が相応しく私は工芸展の分野、陶芸、漆芸、金工、人形、染色、木竹工などの中では"竹”が一番好きかも知れない。他の分野の展示品についても極力いいところを吸収しようと努めたがどうしても「伝統」の重さ、味の濃さに圧倒されてしまう。絵画の公募展でも同じことであるが馴染みの深い「陶芸」もどれもが超大作かつ精細な技ばかり目立って食傷気味であった。会場で作品群から数メートル離れて見渡すとほとんど同じような形の大鉢、文鉢、色鉢が並んでいるように見えてしまった。結局自分の好みは伝統や権威と無縁な創作にあることを知らされる。
「今日の写真」として 日本橋三越から200mほど大手町方面寄りにある「常盤橋」を掲載する。日本橋川にかかる由緒ある洋式石橋である「常磐橋」も高速道路の下で小さくなっている東京の典型的な風景。
2010-09-27常盤橋風景
9月28日(火) <久しぶりに工作仕事・・>
久しぶりに工作仕事をやりながら昨夜テレビで見た外科手術の映像を思い出していた。電気ドリルで穴をあける。グラインダーで周囲を傷つけないように万全の注意を払いながら削る。削り取った部分に別に用意した部品を装着する。隅に溜まった不要物をピンセットで取り出す。昨夜のテレビ番組で紹介された何人かの外科手術の名人は私が工作でやったこんな作業を馴れた手つきでこなしていた。ただし外科医の相手は人間様。穴をあけるのは膝の骨であったり頭蓋骨であったり切り出すのはガン細胞であったり腫瘍であったり・・。実際に脳の中枢部に穴をあけて神経や血管が入り組んでいる中にメスを入れて腫瘍を取り除く技術などは神業である。ロボットでは到底できない、マニュアル通りにもできない臨機応変な対応が要求される手先仕事は先端技術の中でいま活躍している。外科手術の神業をみたせいか今日の工作仕事はいつになく注意深く作業を続けてミスもなかった。工作の場合唯一の命を持ったものが相手ではないが失敗は絶対に許されないと意識するだけでも集中力が変わってくるようだ・・。

9月29日(水) <いろは歌・・>
「いろは歌」の本当のすばらしさに気がついたのは比較的最近かも知れない。子供の頃には"国語”としてアイウエオと同じように何となく暗記した。「いろは」は”カルタ”でも必要だった。「い」:犬も歩けば棒に当たる、「ろ」:論より証拠、「は」:花より団子、「に」:憎まれっ子よにはばかる・・といった調子。なんとなく覚えてしまった「いろは」が平仮名47文字を全て一度ずつ使って意味を持った歌にしていることを知ったときには誰でも感動するだろう。「色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ常ならむ・・」と仏教的な無常観がさらりと読み込まれている「いろは歌」は貴重な文化遺産である。こんな「いろは」をニューヨークに住む孫娘(小学4)に絵手紙で書くことを思いついて作ったものが表紙に掲載した「今日の作品」。文字だけの「絵手紙」は好き勝手に描ける"絵”とは違ってかえって難しい。自己流の書体では子供には良くないだろうと極力手本に近い文字となるように努めたがペン(細ペン)では字の勢いが今一つか。「いろは」はやはり筆でなければならないようだ・・。


9月30日(木) <渋谷の東急ハンズまで・・>
渋谷の東急ハンズまで雨の中を歩いていった。雨でなければこの日はテニスの日。このところテニスの日には雨ばかりなので運動を兼ねて出かけたのであるが途中でもしかすると東急ハンズでは欲しい部品がないかも知れないと気がついた。ない場合は何で代用するか、自分で制作する場合の段取りをどうするか、それから先に何をデザインするか・・などと考えているうちに着いてしまった。東急ハンズでは幸いに思ったよりもいい部品を手に入れることができた(お値段105円、電車賃を払わないのでこれだけ)。このところ期待をし過ぎて裏切られることが続いたので余り期待しないで予定のものが買えただけでうれしくなった。物事は最悪の場合を想定しておけば何でもうまくはかどるということです・・。
「今日の写真」に「シソ(紫蘇)の花」を掲載する。青紫蘇(アオジソ/大葉)は我が家唯一の自給食物。
2010-09-30

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