これまでの「今日のコラム」(2011年 9月分)

9月3日(土) <キャンピングカーでヨセミテ・・・>
キャンピングカーでヨセミテを一週間旅行して昨夜無事帰国した。キャンピングカーでの旅は初めての経験。キャンピングカーは米国ではRV車(Recreational Vehicle)と呼ばれて普及している。私たちは娘夫妻の計画のもと孫娘もいれて6人がRV車(下の写真)で寝泊まりしながら移動した。この車、運転席の上が寝る場所となるし後部にはダブルベッドがある。中間部はスイッチ一つで50cmほど幅が広くなり椅子だった箇所がベッドにもなる。車内には流し台と並んでガス台、電子レンジ、テレビ、冷蔵庫、トイレ、シャワーなどが装備されている。オートキャンプ場に行けば(勿論予約が必要)外部からRV車に電気と水の接続ができる(RV車用でないキャンプ地にはなかったが)。トイレと流しの排水の処理を定期的に設備のある場所で行うのは男性の役目とした。車の装備だけでなくキャンプ場の設備そして大型車でも安心して通れる道路の整備が一緒になってはじめて車での寝泊まりと移動という習慣が可能となることがよく分かった。それにしてもキャンプ場での周辺の人たちのマナーがよいこと(娘たちはそう言う場所を選んだらしいが)、皆が親切であることにも感動した。地方ではよき米国が生きている。世界自然遺産であるヨセミテについては追って書いてみたい。表紙に掲載した「ヨセミテ北部タイオガ湖にて」は現場でスケッチした一枚。大自然を目前にして人間が小さく見える。
 
 
ヨセミテにて/RV車&ちょっと浮かれた姿
9月4日(日) <ヨセミテ国立公園の面積・・・>
ヨセミテ国立公園の面積は東京都の面積より広い(約1.4倍)ので「ヨセミテ」といってもどこに行くか迷いそうだが、ほとんどの観光客は公園全体の広さの1%にも満たないヨセミテ渓谷(Yosemite Valley)地区に集中するそうだ。私たちもRV車をYosemite Valleyのキャンプ場には2泊させて、この近辺の名所を廻った。Yosemite Valley地区には無料のシャトルバスが走っており混雑する場所にはシャトルバスを利用した(ジャイアントセコイア<アメリカ杉>の林立するマリポサ樹林では駐車を制限される)。Yosemite Valleyでは自転車を借りて2〜3時間のサイクリングも楽しんだ。すばらしいサイクリング道路が完備していて、途中自転車を置き(鍵もかけない!)Mirror Lakeまで歩いて往復・・。初めて使用したハンドブレーキなし(ペダル逆転式ブレーキ)の自転車も全く問題がなかった。名所といえば、「Tunnel View」と呼ばれるビューポイントで、旅行前に予習として写真を見て描いた絶壁風景(8/24分=ここ)に出会ってうれしくなった。エル・キャピタンと呼ばれるこの絶壁(写真左側)を昼間に見た後。翌朝、日の出に合わせて再びこのビューポイントを訪れることができたのはRV車のお陰様<下の写真は同じ場所にて>。
 

9月5日(月) <「モノ湖」を訪れる・・・>
「モノ湖」を訪れることができたのは今回のRV車での旅行でも特筆すべきことだった。「モノ湖(Mono Lake)」はヨセミテ国立公園の中ではなくYosemite Valleyから約70km北西の位置にある湖。昨年(2010年)12月にNASA(アメリカ航空宇宙局)がモノ湖の堆積物の中からヒ素をリンの代わりに用いて増殖する細菌を発見したというニュースでも知られる(この発見で地球外での生命の可能性が広がったとされる)。モノ湖は新種の生命体(細菌)が発見されても不思議ではないと思わせる神秘的な湖だ。標高1948mの地にある非常に塩分濃度が高い塩湖で、炭酸カルシウムが積もってできたTufa(石灰華)と呼ばれる尖塔も幻想的。湖畔にはほとんど人工物はなく静寂そのもので何千年前も同じであったであろう大自然に圧倒された<学説ではモノ湖形成は76万年前の火山噴火。湖から流出がないため水が蒸発し湖面積は太古の五分の一如何になったという>。



9月6日(火) <旅行から帰ったら・・・>
旅行から帰ったら心機一転創作に励もうと思っていたけれども、まだドライブがかからない。今日は旅行で行けなかった息子の月命日のため墓参り。キャンピングカーによるヨセミテ旅行がほとんど完璧に進行し無事に帰国できたことを墓前に報告し感謝する。娘夫妻が綿密に計画を立ててくれたのが何より頼もしかったがどんな計画でも人知を越えたサポートがなければスムースに運ぶとは限らない。幸運に恵まれての"無事”である。寺の中の水辺に鷺草(さぎそう)が咲いていた。今年はお盆の時期には花の気配もなかったので今日初めての鷺草の写真を撮った。「今日の写真」ではないがやはりヨセミテ旅行の時に撮った動物写真を掲載したくなって「鳥」(名前知らず)の写真を鷺草と並べてみることにした。ヨセミテではリスや鹿、鳥などを頻繁に目にしたので動物の写真も沢山撮影することができた。
 
2011-09-06鷺草@九品仏・浄真寺(東京/世田谷)    @ ヨセミテ/ ミラー湖畔

9月7日(水) <今度の日曜日、9月11日・・・>
今度の日曜日、9月11日は東日本大震災から半年目。同時にこの日は「9.11事件」・アメリカ同時多発テロ事件から丁度10年目に当たる。何やら10年目の不穏な動きがあるとみえてアメリカの警戒も尋常ではないようだ。この時期に限らず米国への入国、出国は厳しいチェックを受けるという話を聞いていたが、今回のヨセミテ旅行でこれを体験した。先ず入国時にはメガネを外して目から顔を徹底的に検査。パスポートの人物と相違ないかの調べ方が半端でない。両手の指の指紋もとられる。飛行機に乗る時には靴を脱ぐだけでなくベルトも外して検査を受ける((当然、所持品は小分けにして全て厳密に検査される)。バンザイをしてボデイチェックの上X線(?)検査もやる。厳しい検査に辟易(へきえき)する人もいるようだが、私はむしろこの方が安心して飛行機に乗れる。世の中には色々な人間がいる。命を守るためには少々面倒な検査はやむを得ない。それにしても飛行機に乗るたびに人間は凄いモノを創り上げたと感心する。元エンジニアながら何百人を乗せて確実に発着できる航空機を自分で設計製作することを考えると気が遠くなりそうだ。ライト兄弟が初めて動力での飛行に成功してからわずか100年しか経っていないのに普通の人が当たり前で空を飛んでいる事実。飛行機を利用する時は飛行機を創り上げた人々のことを考えたい・・。
9月8日(木) <3週間振りのテニス・・・>
3週間振りのテニス。お馴染みの仲間と球を打ち合っていると"居場所”に戻ってきた安心感を覚える。もはや勝ち負けなど気にしない。しかし、普通は「勝負事」となると勝つか負けるか、結果が全てである。今日夕方行われた女子サッカーロンドン五輪アジア最終予選で日本(なでしこ)は北朝鮮と引き分けに終わった。試合終了間際に同点ゴールを奪われたことを悔やんでみても始まらない。部屋にある小さなカレンダーに「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい(マタイ6:12)」とあるのが目に付いた。勝負事ではとてもできない"教え”だ。しかし我々がやっているテニスはこのキリストの精神に近いかも知れない。一方的に勝てばいいというものでもない。相手の心までを思ってプレーする。誰でもが勝っても負けても満足感を味わえるところが熟達のテニスだ。

9月9日(金) <印刷写真でアルバムを・・・>
印刷写真でアルバムを作らなくなってしまった。以前はデジカメで撮影した写真を得意の(?)フォトショップ技術を使って加工し、A4サイズの印画紙にまとめて印刷したものだが、この2〜3年、アルバム用の印刷をしなくなってしまったのである。最近は集まりがあって写真を撮ってもメールで写真が送られてくる。受け取った写真も自分で撮った写真も同じで一旦パソコンの中に収納した写真は時間が経つと改めてみることがなくなる。勿論、パソコンの中の写真をスライドショウにして見ることもできるが、写真帳(アルバム)を一枚一枚見る趣はない。今日でヨセミテ旅行から帰って一週間が経ったが、今回は旅の思い出に従来のA4サイズの印刷写真を作りたくなった。今日このホームページに「ヨセミテ旅行写真」のページを作った(=ここ)。これは一般的な風景紹介だ。印刷写真ではそれぞれの人の顔を思い切り大きく載せて個人版のアルバムとしたいなぁ。

9月10日(土) <自分がしゃべったこと・・・>
自分がしゃべったことは本人に一番聞こえていない。ましてやちょっと口に出したことや態度が相手にどうとられたかは分からないと思った方がいい。30年も前に私の話し方で、受け答えが先ず否定から入るから改めた方がよいと親切に忠告されたことをまだ覚えている。自分では全く気がつかなかったけれども言われてみると納得した。何でも一旦は”そうですね”と相槌をうって相手を認める。言いたいことがあれば、それから”でも”というべきであった(イエス、バットの法)。初めから反論(否定)してはいけない。誰でももし自分が話すことを録音してみると聞くに堪えない言葉尻に愕然とするのでないか(今の私も勿論だ)。こんな話題をだしたのは、新しい鉢呂経済産業相の余りにお粗末な”失言”を知ったからだ。福島を視察して”死の町”と表現してみたり、”放射能をうつす”とおどけてみたり・・。本筋の能力とか思想とは関係のない”言葉尻”かも知れないが、政治家はいわばしゃべりのプロ。自分の一言の影響を熟知していなければ失格である。鉢呂さんには親切な忠告者がいなかったとみえる。
「今日の写真」には久しぶりに秋到来の地元風景を掲載。
 
2011-09-10@代官山でも秋祭り           目黒川に落ち葉

9月11日(日) <目は自分で閉じることができるのに・・・>
目は自分で閉じることができるのに耳は閉じられないのは何故か。昔から多くの人が疑問を持ったテーマであるが厳密に回答を出すよりも自分流に解釈をして遊べばいいのだろう。眠っているときにも開いていて危険を察知するために耳はいつも開いているなんていうと面白くない。それなら猫などのように耳を動かしてわずかな音でもキャッチすればいいが人間の耳の機能は動物のように優秀ではない。耳は音も聞き分けるが本来言葉を理解する役目が重要だろう。目の場合は見た瞬間に内容が分かるのに対して耳で言葉を聞いて理解するのには時間がかかる。言葉の流れの中で聞きたくない内容でも耳を閉じることができないけれども脳が勝手に”話を聞かない”芸当をする。これが正に馬耳東風。テレビは見るものと思っていたが、最近、テレビでもったいぶったナレーションが流行ってきて(TBSかフジテレビか?)聞くに堪えないのでこのナレーターの声がするとスイッチを切る。耳を塞ぐやり方は色々あるものだ。

9月12日(月) <「ヨセミテ渓谷 にて」(ペン画)・・・>
「ヨセミテ渓谷 にて」(ペン画)を表紙に掲載した。ヨセミテ渓谷の周囲は巨大な岩山で囲まれている。岩石は地下で固まったマグの塊が隆起によって地上に露出したもので一枚岩の花崗岩。とにかくその巨大さに圧倒される。渓谷の底(海抜約1500m)から900〜1000m 以上の高さがある岩山なのでロッククライミングの人気スポットでもあるという。さて、掲載した絵は自転車を借りてサイクリングをした後ミラー湖という湖まで歩いて行く途中でみた岩山風景。中央には「ハーフドーム」と呼ばれる標高2662mの岩がみえる。これまで岩山など描いたことは一度もなかったが今回岩山を描いてみると岩にも植物や動物と同じように極めて繊細な表情があることに改めて気づかされた。実際、同じ岩でも太陽の位置によって影の具合(凹凸の現れ方)が刻々変化するし人の肉体のように複雑でデリケートな形状をしている。細かく見ればみるほど感動しながら岩山を描く機会がえられたことに感謝。

9月13日(火) <「地の塩」は・・・>
「地の塩」は聖書の中にでてくる喩えで一般にも広く知られている。イエスが「あなたがたは地の塩である」に続いて「あなたがたは世の光である」と言ったことも信者でない私のような者でも知っている(マタイ5-13〜16)。最近、この喩えが実に巧妙にできているとつくづく感心する。塩は腐敗を防ぐだけでなく、味付けや味を引き出す役割、栄養分など人には欠かせないものであるにもかかわらず、その働きは目立たない。地味であるが必要不可欠である。一方、光は目立つ。照らし、暖め、燃やす作用など誰にも見えるのが光。震災被災者を元気にするためのコンサートなど「光を与える」催しであろう。塩と光のどちらの要素も人は有している。光とならなくても地の塩となれば十分とも思える。そして塩も光も自分一人のためでなく隣人、社会のためにある。・・なんだかまた聖書を読み直してみたくなるこの頃である。

9月14日(水) <「空海と密教美術展」・・・>
「空海と密教美術展」をみた(東京国立博物館・平成館にて、9/25まで、案内=ここ)。空海直筆の書(国宝)なども見所であろうが、私が一番圧倒されたのは一つの広い展示室に8体の国宝の仏像を並べた「仏像曼荼羅」。いずれも京都・東寺のもので、東京でこれだけの仏像をまとめて見る機会は滅多にあるものではない。持国天立像(四天王の一つ)、増長天立像(これも四天王)、帝釈天騎象像(像に乗った仏)等々迫力ある仏像群を上から、横から、全周囲から見ることができる展示がすばらしい。またどの仏像に対しても照明が極めて巧みに工夫されており表情や細かい模様なども非常に見やすい(仏像曼荼羅の写真=ここ=ページの最下部)。・・仏像や密教美術に接しながら何か自分にもパワーがいただけないかを模索した。密教には仏の悟りに向かって修行するとき人間に秘められた超能力を開発しようとする側面がある。神通力まではいかなくても念ずることは念力のほんの端くれになるかも知れない。我が身にパワー(要するにアイデイァのことだが)を念ずれば仏像の霊験がみられるであろうか・・。
「今日の写真」は上野・国立博物館の一角、表慶館。
2011-09-14@東京国立博物館・表慶館

9月15日(木) <今年最後の暑さ・・・>
今年最後の暑さを楽しもうとテニスで汗をかいた。残暑も今日までと思うと汗も心地よい。家に帰って気温をみると32度。夕方風呂に入ることはほとんどないのだが、今日は早い時間に風呂に入る。暑さもあって風呂を出て”ビール”をいただく。この時期に何を幸せと感じるかと問われれば「湯上がりビール」と答える。それも缶ビール一缶でよい。渇きを満たしたときの幸福感は他の何事にも代え難い。「湯上がりの ビールうれしい 残暑かな」。

9月16日(金) <「現在の発電量4W」・・・>
「現在の発電量4W」と表示したミニミニ風力発電機が公園の一角にあった。写真(下に掲載)を撮ると羽根が止まって見えるが実際にはかなり早く廻っている。これを25台並べてようやく電球一個100Wと風力による発電が如何に大変なことであるかを宣伝しているようでもある。先日、ヨセミテ旅行の際にサンフランシスコの東50〜60km辺り(ダブリン郊外、580号道路沿い)で見たものすごい量の風車を思い出す。幾重にも重なる丘それぞれに無数の風車が並ぶ景色は壮観であった(下に写真掲載)。米国は意外に風力発電に力を入れている。風力による総出力は世界トップとか、2030年までに風力発電の比率を20%にするとか、やる気がある。それにしても米国は土地が広い。丘もあれば砂漠もある。日本では風力発電は余り期待できそうもない。海の資源か、何か新エネルギーに活路を見いだすか。人は必要に迫られれば知恵を出す・・。

2011-09-16 @中目黒公園(ムクゲの花も)

米国・カリフォルニア州の風車

9月17日(土) <GPS機能がついた携帯・・・>
GPS機能がついた携帯電話でどこに行ったか第三者によって追跡されるのが問題となっている。本人が知らぬ間に全ての行動が把握されてしまうとはプライバシーも何もあったものではないとは言え見事といえば見事。老人や子供に携帯を持たせて安全であるか場所を確認するのは今や容易なこととなった。毎日コースを変えてジョギングをやった後、携帯の「GPS移動ロガー」によって移動した軌跡を地図上に表示させて楽しんでいる人も知っている。考えてみると地球上では69億人の人が皆異なった軌跡を描き続けている。東京都だけでも1300万人の軌跡が瞬間に残る。一つとして同じ軌跡はない。冒頭の連れ合いの行動を監視・追跡する問題は不信の仕業とか。それよりも二個の軌跡が極めて低い確率で奇跡的にある場所で一致して、それ以降同じ軌跡を描描いてきた経緯が不思議でならない。運命の出会いとは軌跡の交叉。自分自身の行動の軌跡が過去にさかのぼって地図上で見ることができると世界観が変わってくる。プライバシーを侵害されるのは嫌であるが個人のGPSは無限の可能性を秘めているように思える。

9月18日(日) <「使わないと退化する」・・・>
「使わないと退化する」という単純な法則を実感するのは若くない証拠でもある。伸び盛り、若々しいときには決してそんなことを考えない。先ず体力、身体的な機能で”衰え”を感知することが多い。筋力、耐久力、柔軟性、バランス力、反応力などの中でも普段の生活で一番疎遠にしているものから衰えが始まる。それも姿勢や生活習慣でどの関節、どの筋肉が弱くなるか正直に進行する。最近気がついたのは「噛む力」。まともに噛む機会が非常に少なくこのままでは歯茎や顎まわりが衰えることを感知。そこでキシリトールガムを毎日食後に愛用し始めた。頭脳の衰えもまた使用するか否かで大きく変わる。(パソコンで文章は書いても)文字を書くチャンスがないので漢字が書けなくなった。「漢字ドリル」で少しは回復気味だが文字を書く習慣はまだ不足。・・それにしても退化させないだけでは淋しい。"Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever."と言ったのはマハトマ・ガンジー。現状を維持するだけでなく、先を見て学ぶこと、そして創造することをやりたい・・。

9月19日(月) <「視点を変えたモビール」」・・・>
「視点を変えたモビール」(陶芸)を今日の表紙に掲載した。このモビールは以前制作した陶芸作品(8月10日作品=ここ=参照)で居間に飾っているのであるが、今日床に横になってモビールを真下から見上げていると今までになく形が新鮮に思えたので写真を撮った。この陶芸作品も自分では色々とアラが目に付く不本意な作品であるけれども見方によっては次の作品へ多くのヒントを含んでいると気づかされた。視点を変えると毎日接しているものが突如新鮮に見えることは他のどんなことでも体験する。家の近所の街並み、公園の草花、周囲の人間関係に至るまで視点が変わるだけで別物になる。当然と思っているものが神の恵みとか平穏が何よりの幸せとかを感じて改めて感謝する気持ちが起きることもある。逆に最も警戒すべきは何でも頑固に視点を変えず決めつけることだろうか。時に床に大の字になり天井(天上の方が理想かな?)を見上げることも悪くはない・・。

9月20日(火) <「ヤブカラシ」退治・・・>
「ヤブカラシ」退治に奮闘した。ヤブカラシ(薮枯らし)を”地上最強の雑草”と呼ぶ人もいる。文字通り薮を覆って枯らしてしまいながら自らはどんどん生育していく生命力抜群の蔓(つる)植物(参考写真例=ここ)。庭の手入れどころではない貧乏な人のところに生い茂るので別名「ビンボウカズラ(貧乏葛)」と呼ばれるという解説があるので笑ってしまった。今日ヤブカラシ退治をしたのは親戚の庭。貧乏ではないが確かに事情があって夏前から手入れができず、雑草がはびこっていた。それにしても根茎は10mmを越すまで成長したヤブカラシ。蔓の長さを3〜4mに伸ばし至る所で樹木を覆い隣地まで侵入していた。台風接近中の曇天のもと2時間近く雑草退治をしたが、ヤブカラシは地上部を抜き取っても土中に根を残すと来春には繁殖してくるという。また必要とあらばいつでも雑草退治に出動することに吝(やぶさか)ではない。

9月21日(水) <台風15号・・・>
台風15号がいま首都圏に最接近中。東京でもこれまでになく風雨が強くなっている。渋谷・道玄坂で街路樹が倒れて道玄坂の自動車道路が閉鎖されたとニュースで報じられていた。JR、私鉄など首都圏の交通機関はほとんど麻痺状態で、今(午後6時)はただじっとして台風通過を待つしかない。こんな日に、表紙に掲載した「mieuへの絵手紙・mieu文字遊び」(ペン&水彩)を描いた。「Mieu」の文字を入れて思い切り明るく、ナンセンスに・・。こうして何も特別なメッセージはなく思いつくまま気の向くまま描くことが一番楽しい。


9月22日(木) <今日は台風一過・・・>
今日は台風一過。朝から気持ちのいい快晴でテニスには絶好の日和だった。ところが午後には急に雲が出て気温も下がる。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通りに涼しくなりそうな気配に、今年はヒガンバナ(彼岸花・曼珠沙華)をまだ見ていないことに気がついた。代官山駅(東京)の隣り(代官山アドレス側)、ピーコックストアの入口にヒガンバナだけを植えた一角があることを思い出して写真を撮りに出かけた。そこで撮った「今日の写真」を下に掲載する。彼岸花は花を付けたままほとんど皆横になぎ倒されている。恐らくは昨日の台風で倒れたのでろうが、彼岸花は開花が終わると次に葉が出てくる。今年は早めに葉へバトンタッチか。一方で台風の強風に耐えて実を保っている葡萄の房を公園で見つけた。草木もまた台風の厳しい試練を受けて生きている。
 
2011-09-22@代官山(東京)            右は@中目黒公園

9月23日(金) <科学技術に関連したニュース・・・>
科学技術に関連したニュースが気になるがコメントするほどに深く内容が理解できない。それでも"今日のニュース"的な意味で項目だけ並べてみよう。先ず「光より速いニュートリノが日本を含む国際研究チームで確認された」。アインシュタインの特殊相対性理論では光の速さを超えることができないので現代物理学がどう解釈するか。今日公表されたのは計測誤差がないようにグループで慎重に検証を繰り返した結果とか(何しろ光の速さより10億分の60秒速いという)。次に、「H2Aロケットによる情報衛星打ち上げ成功」。ロケットの高い信頼性が注目されるが、これは若干政治色も含むニュースだ。もう一つ「空気エンジン車で世界最高速129.2km/h達成」。豊田自動織機がカーエアコン用のコンプレッサーを使用して空気エンジン車を作ったニュース。停止時に高圧空気をボンベに充填しておかなければならないので、「実用化の予定はない」のが当然かも知れないが何でもやってみるのは悪くない。それぞれの場で新しい事柄に挑戦している科学・技術のニュースはどれも清々しい。

9月24日(土) <自由が丘の画廊・・・>
自由が丘の画廊で開催されている陶芸の展覧会を見に行った。今回は名前を出してしまおう。「もみの木画廊」(=ここ)で若きバリバリの女性陶芸家、服部真紀子、花塚愛、大槻智子の三人展(明日25日まで)。大槻さんとは以前陶芸教室でご一緒していた縁がある。彼女は最近まで常滑で修行するなど陶芸家としての道をしっかりと歩んでいる。花塚さんと共に国立近代美術館が主催した装飾の美をテーマにした陶芸展で入賞も果たした。この三人は20代から30代はじめの若手。とにかく作品に接するだけでそのエネルギーに圧倒される。女性らしい細やかな装飾などと言うべきでない、私など想像するだけで萎えてしまいそうな超細かい作業を積み重ねて制作したと思われる作品はどれも力強い。インターネットで今日の作家さんの作品例を見つけたので紹介しよう(今日の展示案内=ここ)。大槻さんの例=ここ。花塚さん=ここ、服部さん=ここ。・・若いエネルギーに刺激を受けたのか、午後は2ヶ月振りに陶芸教室で作陶に励んだ。
9月25日(日) <「杞憂」という言葉・・・>
「杞憂」という言葉を思い出させてくれたのがアメリカの使用済み人工衛星が地上に落下する騒ぎ。今日、大気圏で燃え尽きなかった破片が結局太平洋に落下したと推測されているが、日本に落下する可能性、人に当たる可能性も零ではなかった。杞憂に過ぎなかったと過去形で言うことはできても杞憂だと初めから言えないのがこの種の心配事である。「杞(き)」は古代中国(紀元前5〜8世紀頃)の国名。杞憂(きゆう)は杞の国の人が天が落ちてきたらどうしようかと心配して寝食を廃した故事から取り越し苦労とか無用の心配の意味であるのはご存じの通り。人工衛星の破片が個人に当たる可能性からみると宝くじで何億円が当たるよりもはるかに確率が少ないものであっても落下前に「杞憂」とは言えない。同じように考えると、隕石が家の上に落ちてくることもある、飛行機が落ちる可能性もある、交通事故に巻き込まれることもある・・。絶対安全とは言いきれない生活を杞憂なしに過ごしてるのは運命に身を委ねているからだろう。心配してもしなくても、善人、悪人の区別なく、信心のあるなしに関係なく、運命には逆らえない。一昔前の歌で言えば、ケセラセラ(Que sera sera)、なるようになる、Whatever will be ,will be.

9月26日(月) <久しぶりに国立新美術館・・・>
久しぶりに国立新美術館に行った。「新制作」の展覧会は今日が最終日。彫刻部門と絵画部門に知人が出展しているのでそれらを中心に膨大な展示物を見て回る。それも心血を注いで作品を制作した人には申し訳ないけれども余りに数が多いので、自分流の見方をする。広い会場で先ずざっと見渡して好みの作品を選ぶ。そして作者の思いを想像しながら作品を鑑賞しつつ、不遜にも自分ならどうするかを考えるのである。例えば、この人物は描かないとか、彫刻でここに四角い貫通穴を開けるとか評論家の特権の如く自分では手を下さないで好き勝手な注文をだすのは結構楽しい。希には注文を出せないでただ静かに見入る作品もある。それは作者と自分の波長がぴったり合った場合だ。それにしても毎回このような展覧会で感心するのは出展している人たち(新制作会員で200人以上)の個性の違い。見事なばかりにみんな好みが違う、つまり波長が異なる。好き嫌いはあっても優劣はないところがアートの神髄であろう。
2011-09-26@国立新美術館(六本木)

9月27日(火) <いま、インターネットの生中継・・・>
いま、インターネットの生中継で「クリストさんの公開講座」を見ている(「ほぼ日刊イトイ新聞」=ここ=のUST中継=ここ/東京芸大会議室から18:40〜)。クリストさんは1935年ブルガリア生まれでアメリカ国籍を持つアーチスト。これまで奥さまのジャンヌ・クロードさん(モロッコ生まれ、生誕の年月日、時刻までが夫のクリストさんとほとんど同じとか))と一緒に仕事をしてきたがクロードさんは2009年に亡くなった。オフィシアルサイト=ここ)。そのアートの基本は「梱包」。議事堂でも美術館でも橋梁でも果ては島でも何でも囲ってみせるいわば瞬間芸術に近い。私は2005年、ニューヨークのセントラルパークに何百個かの門型の布を飾った催し(=ここ)の際に娘に買ってもらった「The Gates」の文字が胸にあるTシャツを今でも愛用しているので特別にクリストさん(そしてクロードさん)に親しみを覚えている。さて、公開講座(通訳付き)についてはクリストさんのこれまでやってきたことや苦労話しで、私は以前から知っている内容が多かった。それにしてもスケールの大きなアーテイスト。芸術という概念を一人(夫婦)で変えたバイタリテイが伝わってくる。現在視聴中が1143人、合計視聴数が7181人とある。
「今日の作品」として「mieuへの絵手紙・ヨセミテ/ミラー湖」(ペン&水彩)を掲載した。Mieuと一緒に行ったヨセミテ風景をあえて描いた。


9月28日(水) <「アースダイバー」・・・>
「アースダイバー」という本を読んでいる。中沢新一の著作で何年か前に評判になった知る人ぞ知る本(講談社版/桑原武夫学芸賞を受賞)。背表紙の広告文を転用すると:「縄文地図を持って東京を散策すると、見慣れたはずのこの都市の相貌が一変していくように感じられるから不思議・・」。地質学の研究によって縄文時代の東京がどんな地形をしていたか詳細に解明されている。それによると縄文時代の東京は複雑な地形をしたフィヨルド状の海岸地形で、現在の東京の地図を縄文時代の地形に重ねたものが「縄文地図」。中沢新一に案内される東京散策も非常に面白いが、添付されている縄文地図に従って自分で想像し散策するのも楽しい。私が頻繁に散歩するコースを含めて、地図には何度も通ったことのある場所が多くあり、お馴染みの場所に縄文を重ねて想像を膨らませていると時間を忘れる。この本は自らがアースダイバーとなろうとする人に特別に勇気を与えてくれる本である(アースダイバーの解説例=ここ、本の紹介例=ここ)。
「今日の写真」は「カリンの実」(トンボが2匹いる)。
2011-09-28カリン@中目黒公園/東京

9月29日(木) <癌を抱えながらテニス・・・>
癌を抱えながらテニスを続けている人がいる。今日はその人とペアを組んだ。安定したフォームや素早い動きなど病を持っているとは見えぬすばらしいテニスをする。試合後に話を聞いたが、彼は腹に数本の針を打ってプレーをしていた。以前は試合後に腹が痛いといって腹を押さえていることがあったが、痛み止めに針を打つと具合がいいという。更に耳に数個の金属の点が見えたが、これは抗ガン剤の服用で異常に空腹感がでるのを押さえるため張ったものとか。外観では分からなかったけれども、そこまでやって楽しくテニスをしている。本人によれば、テニスで身体を動かし、後で仲間と好き勝手な話しをしていると一番体調がよくなるそうだ。・・私などは少々の関節痛や体力低下に不満を言ってはならない。元気にテニスをできることをもっともっと感謝しなければならない・・。
9月30日(金) <ブレーキなしの自転車・・・>
ブレーキなしの自転車が問題となっている。左右のハンドルに付いたレバーでで後輪、前輪にブレーキをかける当たり前と思っている機構がない自転車の存在にも話題が集まる。元来は競輪選手がトラックで使用するピストと呼ばれるノーブレーキ自転車で日本国内の公道を走ることは法律によって禁止されている(道路交通法)。それを欧米のノーブレーキ自転車を格好いいと勘違いして日本で使用する者がおり事故が多発するようだ。実は今回米国・ヨセミテ旅行の際に初めてノーブレーキ自転車でサイクリングをした。自転車を借りる場所に行ったところノーブレーキ式の自転車しか置いてないのである。ブレーキなしといっても正確にはハンドル部でのレバーブレーキはないがペダルを逆回転させて制動することができる(フットブレーキあるいはコスターブレーキというようだ)。娘も孫娘も妻もみな初めてのハンドルブレーキなしの自転車であったがスタート前に少し練習してサイクリングに出かけた。逆回転させる"微妙な加減”に苦心はしたが、みなサイクリングを楽しむことができた。自転車はノーブレーキであったが自転車道路が整備され混雑しないところが日本国内との大きな差であろう。アメリカに限らずオランダなどでもノーブレーキ自転車は普通に使用されるようだが、自転車の事故率は日本がずば抜けて高い。日本ではノーブレーキ自転車などとても許されるものではない。自転車道路がないこと、その上自転車を使用する時の規則やマナーの教育が全くないことなど自転車のハード以前にやるべきことが余りに多すぎる。

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