これまでの「今日のコラム」(2012年 11月分)

11月1日(木) <今日から11月・霜月・・・>
今日から11月・霜月。”月日の経つのは早いですね”という会話は年寄り臭くて好きではないがつい使ってしまう。当たり前だが地球の自転と公転は委細構わず継続し正確に時を刻む。同じ時間の経過を人がどう感じるかは、どう使うかによるのだろう。私の経験では陶芸に2〜3時間、時間を割くだけで確実にその成果が残るので自分でそんな時間に感動することがある。その時間を家でテレビでも見ていれば何もなしで終わる。勿論、モノとしての成果が残らなくても、休養になるとか、心が豊かになるとか、頭を使ったとか、いろいろな時間の使い方がある。今日の午前中にやったテニスなど見える成果はないけれども本当に楽しい時間だった。人の生きている有限の時間の過ごし方は人それぞれだ。 時間の過ごし方というと、最近は、”他人のためになっているか、社会のためになっているか”のポイントで見るようになった。目に見えるボランテイアでなくても、本人が意識をしていなくても、生き方が他人を刺激し勇気を与えてくれる人は大勢いる。
今日の写真は居間に飾った陶芸作品に朝陽が差し込んだ瞬間。もともと日が差し込むことのない居間でこの時期の朝の一瞬だけ陽が差し込む。右はタングラム<=ここ=参照>で作った今日の数字。毎日(二桁数値も)必ずカレンダーに合わせてタングラムでその日の数字を作る。
2012-11-01

11月2日(金) <息子の月命日・・・>
息子の月命日でお墓参りに行った。親しい親戚も墓参に加わっていただく。恐縮しながら感謝。墓前には息子の友人が供えてくれたに違いない日本酒・沢の鶴。毎月、月初めに墓参をするとお寺(九品仏・浄真寺/東京・世田谷区)の季節の移り変わりが心地よく目に入る。東京では紅葉にはまだ早いが、そろそろと木々が色づき始めている。境内にある巨大な「イチョウ」(天然記念物)の葉も少し緑が薄くなり、黄色がかってきている。太陽の光が減ってくると葉緑体が壊れてきて地の黄色が目立つのか・・などと「黄葉」のメカニズムを思い起こす余裕があった。イチョウの樹の下にはまだ銀杏(ギンナン)が無数に転がっていたので妻は袋一杯銀杏を集めた。”寒くなる”との天気予報に脅かされて防寒対策をして行ったが穏やかな秋晴れの下、気持ちのよいお墓参りだった。
 
2012-11-02 @九品仏・浄真寺

11月3日(土) <ピアノと映像のコラボレーション・・・>
ピアノと映像のコラボレーション公演にいって考えさせられた。昨夜、ドビュッシー生誕150周年を記念して浜離宮朝日ホールで開催されたピアノの名手パスカル・ロジェ(フランス人)と現代アート作家・束芋との共演。ロジェがドビュッシーやサテイーなどのピアノ曲を70分間、休みなしに演奏する、一方で束芋の映像作品がバックのスクリーンに投影される<束芋(たばいも)さんは1975年生まれの女性映像作家(現代美術作家)で、母親の陶芸家・田端志音さんの娘姉妹の一人、「田端家の妹」なので「たばいも」>。私はこのような挑戦的な試みは大好きなのだが、この夜は「見る」ことと「聴く」ことのコラボの難しさを思った。見ることに集中すると音楽を聴くことができない。ピアノに集中すると映像を見ることができない、むしろ映像が邪魔になる。どちらかというと映像が強い。映画の「伴奏音楽」と同じで、「聴く」ことは「見る」ことに対して「従」となる。音楽の二重奏ならば双方の長所を引き出すことができるが、「聴く」、「見る」のコラボは人間の感覚として無理なのかも知れない。「両雄並び立たず」とは少しニュアンスが違うかな、「虻蜂(あぶはち)取らず」は言い過ぎかなぁ・・。
11月4日(日) <道具の善し悪しで・・・>
道具の善し悪しで仕上がりが左右される事柄は枚挙にいとまがない。今日は義兄から長期拝借した高級デジタル一眼レフ(デジイチ)カメラ、ニコンD200(200mm望遠付)を使ってみて、カメラという「道具」の差でこれほどの違いがあるかと撮影する度に感動していた。私の持っているソニーのデジイチカメラも気に入っており、それなりに愛用しているが、性能の差は歴然としている。ニコンD200は液晶画面で撮影対象をみるのでなく昔のカメラのようにファインダーを使う。その代わりファインダーで狙いを定めるとピントの状態が確実に把握でき、ぼかし加減も自由自在。草花や鳥、虫などを撮影するときには特にカメラの威力を発揮できそうだ。カメラの重量が1.6Kgと前のカメラ(500g)の3倍以上あるが、重量を忘れてウキウキさせてくれるカメラだ。今日の写真(下)はニューカメラで撮影した”試し撮り”。これから以後、もし”いい写真”と思われるのがあれば、「道具」のせいと考えて間違いない・・。
 
2012-11-04 @中目黒公園<ススキに蝶も留まっています>

11月5日(月) <今日の初体験は「ケータイクーポン」・・・>
今日の初体験は「ケータイクーポン」を使って昼食をしたこと。マクドナルドで「見せるクーポン」といって店内で注文する際にi-Phoneのマクドナルド画面を見せて「クーポン○○番」とオーダーすると特別価格で利用できる制度を使ってみたのだ。たまたま外出先で昼食の時間となり一人であったので「マクドナルド」で済ませようと思った。先ず、ケータイ(i-Phone)で登録してあるマクドナルド画面を開き、「店舗」を押すと、現在地に対してマクドナルドの店舗がどこにあるかを示してくれる。その店に行って、またケータイで「クーポン」欄で何を注文するかを選択すればいいのだが、今日、11月5日から開始されたケータイクーポンが何品かあったので、その中から選んだ。それだけの話であるが、ケータイを見せて購入すると安くなる他、ケータイで店舗の地図情報が得られるのは確かに便利ではある。・・いまは「ケータイ」にかかわるだけでも、このような「初体験」の種には事欠かない。何でも体験しておいて無駄にはならない。
表紙の「今日の作品」には「正六角形02」(陶芸)を掲載。10月30日コラム(=ここ)の続き(二枚目)。
  2012-11-05<NIKON-D200カメラにて>

11月6日(火) <「ミスを認め合うこと」・・・>
「ミスを認め合うこと」がペアで信頼関係を築く基本・・、とこれはテニスのダブルスでいつも実感するところ。テニスも結構デリケートな競技で組んだペアとの相性、信頼関係で勝負は大きく変わってくる。テニスではミスが多いか少ないかで勝敗が決まると言われるほどミスはつきもの。ミスをしたときにペアを組む相棒がどんな態度をとるかでやる気に影響がでる。ミスを機会に励まされることもあれば戦意を喪失することもある。ちなみに嫌な顔をされなくても、自分のことを棚に上げて”ガンバレ”と言われるのも気持ちのいいものではない(”ガンバレ”の命令調は他のケースでも避けた方がよい)。自分のミスは見えないけれども他人のミスは何倍も鮮明に目で見えることを心しよう。更に信頼関係といえば、”ナイスショット”とか、”ナイスカバー”などペアのいいプレーに対して口に出して褒めたり感謝することも疎かにできない。人間、70〜80歳になっても自分が褒められたり認められるとうれしいものとみえる。・・そうか、夫婦のペアでも同じことがいえるなぁ・・。
11月7日(水) <米国の大統領選挙・・・>
米国の大統領選挙はオバマ大統領の再選で決着がついた。共和党のロムニー氏(65歳)と民主党オバマ氏(51歳)との選挙戦は希に見る接戦とされたが、オバマ氏はオハイオ州など激戦州で勝利し勝負を決めた。開票結果が日本でも刻々と伝えられたが、たまたまオバマ大統領のシカゴでの勝利宣言をNHKテレビの生放送で見た(日本時間では今日の午後3時半頃、現地時間は恐らく7日未明)。約20分間、原稿なしの演説。はじめに競い合ったロムニー氏の健闘をたたえて、お互いに主張、手法は違っても国を思い、よりよき米国を目指す志は同じ、共に国を前に進めようといった主旨の言葉が印象的だった。その前にロムニー氏がボストンで行った敗北宣言で「オバマ氏を祝福する」と演説している。「選挙」を戦った後、相手を讃えるところはスポーツのフェアプレーを思わせる。米国も一筋縄ではいかない多くの問題をかかえてはいるが、大統領選挙に見せる活気と清涼感が米国のよきモデルの一つだろう。
 
2012-11-07@自然教育園にて (by NIKON-D200)

11月8日(木) <「負けるが勝ち」・・・>
「負けるが勝ち」と言い聞かせると気分が落ち着いて結果がよくなることがある。厳密な勝負事に限らず、言い争いでも、ちょっとした競争事でも、長い人生の過ごし方でも、何にでも応用できる。「負けるが勝ち」はもともと「江戸いろはかるた」の「ま」の札だから江戸の時代背景を考えると意味深長だ。”かるた”によっては「韓信の股くぐり」の絵が描かれる。紀元前の中国・漢の時代劉邦の下で大活躍した武将、韓信が幼少の頃、他の少年に”股をくぐれ”と言われて黙って股をくぐり周囲から大いに笑われた逸話の絵札。韓信はこの時思った:「恥は一時、志は一生、いまこいつをやっつけても何の得もない・・」。争わないで相手に勝ちを譲った方が最後は自分に有利になることは多い。囲碁では「捨て石」の技量を習得しなければ上達しない。あえて「捨て石」として部分で負けて大局で勝つ。その場限りの勝ち負けで一喜一憂することは何もないし、土台、人生のレベルで考えると何が”勝ち”かは本人の考え方次第であろう・・。

11月9日(金) <「雪の結晶」をモデル・・・>
「雪の結晶」をモデルにして今日は陶芸教室で新しい「正六角形」の板を作り始めた。前に書いたが、正六角形20枚、正五角形12枚、合計32枚の板をつなぎ合わせてサッカーボールと同じような球形に近い正多面体を作ろうとしている。現在完成している正六角形の一つを表紙に掲載しているが、「雪の結晶」をモデルとした正六角形の例(素焼き前の状態)を下にも載せた。今日制作開始したのは、これに続くものである。形状が異なる雪の結晶が全て見事な正六角形であるので”神秘的!”といって感激するのは容易だが、そこは何故か理由を納得したくもなる。雪は、上空で水蒸気を含む空気が冷却されて過飽和になったところで非常に細かい塵などを芯にして水の分子が気体から凝固した氷の核となることからスタートする。元々、水分子とは電子1個を持つ水素原子2個が酸素原子(電子8個を持つ)と結びついたもので分子の構造は正四面体に近い(=ここ=参照)。水分子が凝結していくとき、水素結合と呼ばれる引き合う力が作用し結晶が成長する、平面に成長する結晶を考えると、水素結合により酸素の周りの3個の水素が等価となり結合角度が120度となる。・・以上、非常に大雑把で説明にならないが、真に理解しようとすると電子の軌道まで追求して奥底が知れない。やはり自然の神秘を驚嘆しておくだけが相応か・・。
2012-11-09素焼き前の「正六角形」(陶芸)

11月10日(土) <「コンソメ」・・・>
「コンソメ」はまともに作ると非常に多くの材料と長い時間を要する面倒なスープであるようだが、我が家では大抵は味の素の固形ブイヨン「コンソメ」を使う。たまに私が料理を作るとき、カレーやクリームシチューよりも更に簡単なものとして、このコンソメを使う肉野菜スープがある。適当に切った具材(玉葱、人参、肉など)を、これまた適当に炒めた後、水を加えて煮込む。これに「コンソメ」を加えるだけでそこそこの味の付いたスープが出来上がる。朝でも昼でも男でも(?)短時間でできる簡単料理。先日、コンソメを入れる前まで進行したところで味の素のコンソメを探したが見つからない。しょうがないので急遽、塩と胡椒、それに黒酢(これは私が時々使う隠し味)を少々加えて仕上げた。結果はまずまずのお味。料理に”ねばならない”はないものと見た。それにしても、男の道楽料理は楽しく作っていればいいが、一年365日、毎日、三食、献立を考え、材料をそろえて料理する主婦は相当な知識と技量を必要とする。遅まきながら男として作っていただく料理には感謝することだけは忘れないようにしよう・・。
11月11日(日) <今日、一大イベントが無事・・・>
今日、一大イベントが無事に終わってホッとしている。といっても私と直接関係がない妻のコンサート(合唱指揮)。私の立場としてはいわば"内助”でしかない。それにしても、この二年に一度の行事が終わるまでは、家庭内にも緊張が伝わりゆとりがなかったのは確かだ。コーラスのアンコールでヘンデルの「感謝せん」がでた。日曜日、それも雨が降りそうな空模様の中、コンサートに来てくださった方々に感謝であるが、個人的には、何より、このような現役仕事に今も携われることに感謝であろう。会場は東京・晴海トリトンスクエア内の第一生命ホールだった。私が30〜40年前に毎日通勤で通った晴海地区がこのように再開発されたのか、と初めて見たトリトンスクエアにも感一入だった。
 
2012-11-11 左=専用通路(屋根付き動く歩道/向こうが築地、銀座方面) 右=トリトンスクエアの入口

11月12日(月) <人のふり見て・・・>
「人のふり見て我がふり直せ」という。これは、人の悪いところを見て自分もそうならないように気をつけるケースと、人の善いところを見習うことの両面がある。私の場合、例えば高齢を自慢する人(歳の差だけで先輩ぶる人)などが前者の悪いケース。善い例は年齢を重ねても考え方や行動に柔軟性(フレキシビリテイー)がある人などを思いつく。年齢と関係なく、どんな人でも長所と欠点がある。他人の欠点は黙っていても目に付くが、長所は特に意識しなければ気がつき難い。他人の長所の発見こそ自分の成長に結びつくのでないか。長所に目をやっていれば、自然と"我がふり”に影響がでる。最近、90歳過ぎの人に教えられることが多い。本人は何も教えるつもりがなくても生き様が感動を与えてくれる。いまや70歳など「古希」(古くから希)というにはほど遠く”鼻たれ小僧”と思った方がいい。70代でもまだまだ人の”善いふり”を見て成長しなければならない・・。
2012-11-12 陶芸作品・双羊尊の花器に花が入った(右)

11月13日(火) <「好きにやりなさい」・・・>
「好きにやりなさい」といわれて戸惑う人は結構多い。絵を好きに描きなさいといわれて、何をどう描くか悩む人もいる。厳しい関門を通って絵画の理論から始まり、デッサンから筆の使い方、遠近法など全ての基礎をがっちりとマスターした人が、いざ「好きに描く」段になると面白くない絵しか描けなかったりする。ジミー大西のように専門教育を受けていない人の方がはるかに個性ある絵を描き他人を感動させることは珍しくない。芸術の場合には"感性”の問題とされるかも知れないが本人の「好きなこと」、「何がやりたいか」がなければ「学び」以上に達しない。基礎とか約束事は重要だとしても、本人のやりたいことをハッキリと表現することは教育法も絡むかも知れない。子供の頃から受け身でなく個人の意志を出す習慣が先の発展へつながる。・・こんなことを考えたのは、陶芸教室で作陶している仲間を見ていると「教室」といいながら何とみな個性のある作品を好きに作っているのだろうと感心したからでもある。学んだ後に事も無げに楽しみながら「創作」できることはすばらしい・・。
2012-11-13@北沢川緑道で拾った落ち葉/何か表情がある

11月14日(水) <「見残しの塔」・・・>
「見残しの塔」という小説を読んでいる。副題に「周防国五重塔縁起」とあるように今の山口県山口市に現存する国宝「瑠璃光寺五重塔」(=ここ)の建設にかかわった番匠(=建物の職人、大工)を題材にした物語だ。室町中期の何世代にも渡る人間模様が重厚に織り交ぜられてストーリーが展開していくが、触れたいのはこの小説の作者、久木綾子さん。1919生まれで3年前89歳の時に発表されたこの小説がデビュー作。40年間以上を妻、母、主婦として過ごした後、伴侶を亡くして70歳を過ぎてから五重塔というテーマに出会った。それからが尋常ではない。諸々の取材と勉強に14年の歳月を掛けた。室町の歴史を学び、文化財を調べ、建築現場にも通って体験するなど書き始める前に徹底的に準備。そして執筆におよそ4年。80歳でシニア向けのパソコン教室に通い原稿は勿論パソコン。<これらの紹介=ここ=にも詳しい> その後、久木さんは91歳で第2作を世に出し、第3作にも取り組んでいるそうだ。・・私はこの小説を陶芸教室の仲間から教えられた。いい本を紹介していただいたことを感謝。今日は来宅した妻の友人たちに早速本を見せてお奨めした。
 
2012-11-14@自然教育園にて

11月15日(木) <日だまりの・・・>
「日だまりの ひさしに並ぶ 寒雀」(津田さん作)という俳句があるが、「寒」にはまだ早い今日、公園のフェンスに雀が並んで日向ぼっこをしている風だった。何年か前に日本のスズメの生息数が半世紀前の1割に激減したと報じられたことがあった。確かに東京の我が家の近所で以前は無数のスズメが集まっていた樹木に少ししかスズメがいなくなったので心配した覚えがある。その後、一時期よりは少しはスズメが増えた感じはするが正確には分からない。カラスが少なくなった分、スズメが増えたのかも知れない。スズメの日向ぼっこを見ながら、公園で子供が遊ぶ姿を見るのと同じような安心感を覚えた。子供がいない公園は寂しい。元気な子供たちがいるとホッとする。スズメが日だまりに並んでいる姿を見ただけで豊かな気分になるのだから単純だ。早速にニコンD200カメラを望遠にして撮影したのが下の写真。その一瞬後に、スズメたちは一斉に飛び立って行ってしまった。
 
2012-11-15@中目黒公園(東京・目黒区)にて

11月16日(金) <朝、車で外出するため・・・>
朝、車で外出するためエンジンをかけようとしたが、エンジンがかからない。時間が決められているとき想定外の事態に遭遇すると原因を追及するよりも次に何をやるか考える。直ぐに車を置いて駅まで走り電車、更にバスを乗り継いで目的の場所まで行った。時間には遅れたが何とか約束は守れてやるべきことも進捗できた。帰路はまたバスと電車を乗り継いで、帰宅してから今度は車の点検調査。結論としては最も可能性が高い”バッテリーの不良”という結果であったが、夕刻には全て解決した。自分でも苦笑してしまったが、今日のようなアクシデントがあった日に限って、「今日やる予定」を特別のメモ用紙に書き出していた。普段はこんなことはしない。頭の中のスケジュールを柔軟に好き勝手にこなすだけで極力”ノルマ”を作らない。それがメモ用紙に4つも、5つも項目を並べて書くと邪魔するように事故が起きた。そう、マニフェストで大袈裟に公約するから実施できないことが際立つ・・。
11月17日(土) <2001年のアルバム・・・>
2001年のアルバムを見ながら感無量になった。きっかけはそろそろ来年2013年の年賀状を作る時期になって前回の「巳年」を知ろうとしたこと。このホームページにも2001年の賀状を掲載していないし私は巳年の賀状が記憶になかった。ところが妻はハッキリと12年前も蛇の絵を描いた賀状を作ったばずという。アルバムなど調べると確かに「2001年巳年」の賀状が見つかった。これを機会に、この賀状の絵だけを=ここ=に追加して掲載した。巳年は私の干支。2001年の巳年は私が退職した年であった。イタリアに旅行した年でもあった。また、この年の9-11にアメリカで同時多発テロが発生した年でもあった。来年はそれから12年経過した年となる。思えばこのホームページもよく続いている・・。

11月18日(日) <安曇野(長野県)にリンゴ狩り・・・>
安曇野(長野県)にリンゴ狩りにいって先ほど帰ってきた。親戚の子供たちを交えて8人でのドライブ旅行。一本のリンゴの木で約100個のリンゴをもいだがリンゴの樹のオーナーには150個までは保証されるとのことで別に50個を加えて沢山のリンゴを土産として持ち帰った。帰路は私にとっては何年ぶりかの車の大渋滞を経験。秋晴れの日曜日で同じようにドライブに行った人も多かったのだろう。無事に帰還して安堵しながら今日は何よりもう休みたい気持ちだ・・。
 
2012-11-18 左=前日宿泊した山中湖畔からみた早朝の富士山  右=安曇野のりんご園にて

11月19日(月) <「継続は力なり」・・・>
「継続は力なり」を実感するのは月曜日のテニスだ。以前は左膝を痛め、また時に腰の具合が悪くなり、恐る恐る運動していたのが最近はほとんど気にしなくなった。むしろ調子に乗って無理をしないように気を使う。これは365日欠かさぬスロースクワットとか寝転がって両足を上げる運動などの成果か。それでも以前より間違いなく改善したと自覚したのは始めて3年を経過した頃からかも知れない。ほんの些細なことを継続するか否かで体調が変わることは言うまでもない。一番のポイントは食事の習慣であろうが、この点に関しては90%は妻任せなので、妻に感謝しなければならない。任天堂のWii-Fit(フィットネスやトレーニングができる)で健康管理関連の計測は毎日の習慣になっていて、今は700日程度経過している。習慣といえば朝、食事前に雨の日以外は毎日近所の掃き掃除をする。ただし、これは特に「力」を期待することのない趣味の部類。他人から何も言われないので続けることができる。考えてみると何にしても「継続」することは他人から干渉されずマイペースだから続く。人との比較、競争は継続のためには排除する方がよさそうだ。

11月20日(火) <表紙の「今日の作品」欄に「正六角形03」・・・>
表紙の「今日の作品」欄に「正六角形03」(陶芸)を掲載した。今日、久しぶりに陶芸教室にいくと未だできていないだろうと全く期待をしていなかった作品が焼成完了して置いてあった。それも正六角形の板六枚が一度に完成していた。今日こそ焼成が終わっているだろうと期待していくとまだ窯の中であることが多く、期待していないと”もうできている!”となるのが毎度ながら可笑しい。前にも書いたが、正六面体は合計20枚作る予定で既に出来上がっている正五角形12枚(陶芸コーナー=ここ参照)と合わせて最終的には球体(32面体)とするつもりだ(=10月30日コラム=ここ=参照)。この正六角形の板は対角が約260mmある。完成した六枚をクッション材に包みリュックサックに入れて、いつもにまして慎重に自転車をこいで無事に家に持ち帰った。早速、写真を撮って今日の表紙に載せたのがNo.03。他の完成分も順次掲載する。この正六角形はまだ目標20枚の半分にも達していないが、「蝸牛の歩み」を楽しみながら制作している。


11月21日(水) <国際電話ほど時代の変化・・・>
国際電話ほど時代の変化を感じるものはない。以前(ほんの30〜40年前)、仕事上1時間近く外国に電話をした際、電話代を考えると飛行機で行った方が安いと周囲で騒がれた記憶が鮮明にある。今日の午前中、妻がニューヨークに住む娘や孫娘と長電話した時間が2時間17分。スカイプでお互いに相手の姿をみながら長話をして、これが完全無料 ! 確かに時代は大きく変わった。技術的には、一般の人が世界中の情報を容易に手に入れることができる時代になって、世界の独裁国家は情報管理が大問題となった。つまり民衆への情報遮断ができるか否かが独裁政権の存亡を左右する。中国は13億人の人口をかかえて情報操作は簡単ではない。北朝鮮もいつまでも同じような鎖国は続かないだろう。世界中どこにいてもお互いが顔をつきあわせて話をするのは家族や友人に限らず政治家でも出来る時代。10年後にはどのように変わっているだろうと、ふと思う・・。
今日の写真(下)は知人の展覧会が開催されている東京都美術館に行ったとき撮影した上野での風景。
 
2012-11-21 @上野公園にて

11月22日(木) <この冬初めて手袋・・・>
この冬初めて手袋をした。それも手編みのオリジナル手袋。この手袋を頂いた相手に直接会ったことはないが、遠い親戚筋のおばあさんと聞いていた。手袋以外に、手編みの食器拭きとでも言うのだろうか、毛糸で編んだ布を何枚もいただいている。私が洗い物をするときこの毛糸布が非常に汚れをとりやすいので毎回使っている。これほど重宝に使っていることを作ってくれた人に是非伝えたいと思いつつ、手袋に関連して妻とそんな話をすると、そのおばあさんは既に亡くなっていると知った。私たちは、世のため人のためなどと大袈裟なことを言わない、名もない多くの人の恩恵を受けている。今になって感謝の気持ちを伝えることもできなかったことを悔やんだが遅すぎた。相手が”生きている内に”「ありがとう」を伝え過ぎることはない・・。
「今日の表紙」に掲載した「正六角形04」(陶芸)はハニカム構造(蜂の巣型)の模様。完成した正六角形はこのように平面(床)に並べることができる。


11月23日(金) <今日は勤労感謝の日・・・>
今日は勤労感謝の日で祝日。アメリカ合衆国では11月の第4木曜日が感謝祭(Thanksgiving Day)で、昨日22日が祝日だった。時差を考えると日本の今日の午前中は米国の感謝祭にダブっている。ニューヨークに住む孫娘の学校は感謝祭の前後が休日となるので、この週は水曜日から日曜日までの大連休だ。米国の感謝祭は丁度日本のお盆のような感じで前の日の休日を利用してそれぞれが故郷に帰省して家族全員が集合する。そして感謝祭の日には多くの親族や友人を交えて一緒に七面鳥ローストを囲んで食事会を催すのが典型のようだ。感謝祭の由来からみると「感謝」は「収穫への感謝」であった。面白いことに日本の勤労感謝の日、11月23日は戦前は「新嘗祭(にいなめさい)」の祝日であって、新嘗祭は「五穀の収穫を感謝」する日であった。「にいなめさい」というと私の父は戦後になっても11月23日はどうしても「勤労感謝の日」に馴染めず、いつも「新嘗祭」と言っていたことを思い出す。勤労感謝の日とは「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」と定義されている。誰に、何を感謝するかはあるが、「感謝の日」を大切にしたい。
11月24日(土) <何事でも熟達するのは・・・>
何事でも熟達するのは容易でない。「熟達」を「年齢を重ねて進化すること」と言い換えてもよい。他人のことを先に書くと、毎年秋の絵画展を見る機会があるが有名な画家の絵がどう見ても進化しているように思えない経験をよくする。20〜30年前には確かに心に響くいい絵を描いてたのにと残念に思う画家は一人や二人ではない。ユトリロのように歴史に残る画家でも晩年よりも若かりし頃の作品の方がよかったという評価を受けていることは珍しくない。さて私の場合、絵を描いたり作陶するにつけて10年間でどれほど進歩したか・・。最初の頃の未熟さを忘れないように「初心忘るべからず」と言ってみるのは簡単だが、初期のアイデイア、意欲、感動表現などが継続し進化しているかは大いに疑問がある。モノツクリは作品で残るので技術的には未熟でも初期の頃の作品に自分でも感心するところがある。それだけ最近の新鮮味がない証かも知れない。今日、このHPで11月24日近辺の過去のコラムをいくつか読んでみたところ、昔のコラムは頑張って書いていたと思ったことを白状しよう。「書く内容」も年齢と共に進化したとは言い難い。熟達よりも新たなる挑戦を考えなければならないか・・。
 
2012-11-24@目黒川緑道にて (東京・世田谷区

11月25日(日) <今日の表紙に「正六角形05」・・・>
今日の表紙に「正六角形05」(陶芸)を掲載した。単純に十二支を正六角形に描いたもの。正六角形は自然界のハニカム構造(蜂の巣など)や雪の結晶構造などがつくり出すユニークな形状であることは前にも触れたが(10/30コラム参照=ここ=)、6の倍数である12もまた実に不思議な数字である。干支の数がなぜ12なのか、改めて問われると答えられない。十二支だけではない。一年はなぜ12ヶ月なのか、一日はなぜ12時間なのか、星座はなぜ十二星座なのか・・、とても小コラムでは書ききれないが、12の数字には人類が古代から続けてきた天体観測の知恵が凝縮されている。前に雪の結晶が正六角形となる理由が水の分子構造と水素の結合の仕方に関連することに触れたが(11/9コラム=ここ=)、分子レベルの自然の必然性と宇宙の成り立ちにかかわる事象とが数字的に倍数で結びつくのは神秘的としか言いようがない。


11月26日(月) <美しい”花”がある・・・>
「美しい”花”がある、”花”の美しさという様なものはない」。・・雨の月曜日、テニスができず、久しぶりに小林秀雄の本を繙く(ひもとく)と随所に鋭い言葉が並んでいた。小林秀雄(1902〜1983)は言うまでもなく日本の近代批評の確立者とされる文芸評論家であるが、「モオツァルト」、「ゴッホの手紙」など音楽や絵画に関する名著も多数残している。今日、目を通したのは「美を求める心」という生誕百年記念展で購入した本だ。「梅原龍三郎展をみて」の中にこんなのがあった:「・・何故モデルというものが必要なのですかと尋ねたら、精神統一のためだと梅原氏は答えた。梅原氏にならって言ってもよい。何故、絵を見るか。精神統一のためだ」。また、次の文章にも共感:「画は、何にも教えはしない。画から何かを教わる人もない。画は見る人の前に現存していれば足りるのだ。美は人を沈黙させます・・」。「絵は、目で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい・・」。これまで余り意識をしなかったけれど小林秀雄の考え方に随分影響を受けたかも知れない。彼は他人の粗探しをする批評家でなく専ら自ら感動したものを伝える伝道師にみえる。

11月27日(火) <初めて脳ドックの検査・・・>
初めて脳ドックの検査を受けた。娘夫婦から私たち夫婦へいわば”検査プレゼント”されたのを有り難く頂戴して、今日妻と受診したもの。人間ドックは定期的に検診を受けているが「脳」に関しては今回がはじめてなので興味深かった。MRI・Magnetic Resonance Imaging で脳を集中的に検査。特別の自覚症状は何もないが脳に関しては”自覚”してからでは遅いのだろう。診断結果はまだ分からない。MRIの原理で面白いのは人間の身体がほとんど水でできている性質を活用しているところ。水を構成する水素原子核が強い磁場の中で変化をする原理を巧みに利用する。MRI・核磁気共鳴画像法の発見者に対して2003年にノーベル賞が授与されているが、この技術もまだまだ発展途上にあると言ってもいいだろう。ある周波数の電波を照射して水素原子核の共鳴を起こしたり、その電波を切って原子核の緩和現象を起こさせて、その際の電波の動きを分析して部位の状況を把握するようだが、磁場コイルの電源のON-OFFの際に繰り返して大きな音を発する。今は耳元での大音響がMRI検査の宿命のように言われるが、10年〜20年後には静かなMRI診察を受けながら昔の懐かしい思い出話となるだろう・・。
 
2012-11-27@自然教育園(東京・港区)にて

11月28日(水) <ヘリウムの供給に問題・・・>
ヘリウムの供給に問題が発生しているという。東京デイズニーランドではヘリウムガスを詰めた風船を使わなくしたとか、パーテイーグッズでヘリウムを使うものは止めたとか、MRI設備で超伝導電磁石の冷却用の液体ヘリウムの入手が困難になるとか(昨日、検診を受けた診療所のMRIは恐らくヘリウムを使わない永久磁石などのシステムと思うが)、半導体製造工場にも影響があるようだ。原因は世界中のヘリウムの産出がごく一部の地域に片寄り、ほとんどが北アメリカの天然ガス田に頼っているところで供給側のトラブルがあるためらしい。日本のヘリウムは100%アメリカからの輸入。価格は高騰し風船に入れるサービスなどは止めざるを得ない。ヘリウムガスは空気よりも軽く水素より安全なガスであるので浮揚用ガスとして気球などにも利用される。第二次世界大戦の直前の1937年、ヒットラー政権下のドイツはアメリカ合衆国との往来に運行していた巨大飛行船ヒンデンブルク号で米国からヘリウムの入手が困難になったため水素を浮揚ガスとして使用し、大爆発火災事故を起こした。水素の危険性が改めて認識されると同時に他に代わるものがないヘリウムを際立たせた事故でもあった。余り目立たない分野だが当分はヘリウムの供給に注目だ。
表紙には「正六角形06」(陶芸作品)を掲載。 正六角形の中に入り込む円は無限。更に別の模様が目に浮かんでくる。

 
2012-11-28@中目黒公園    右は目黒川沿いの桜紅葉

11月29日(木) <猫の額ほどの庭でも・・・>
猫の額ほどの庭でも自分の庭を持っている人は幸いである。広大な庭など都会では望むべくもないが、たとえほんのわずかでも自分の庭があれば好きに庭を楽しめる。それなのに実際に庭を持っている人は有難味を感じていないのではないかと思うことが多い。今日、親戚で庭の雑草取りや樹木の剪定を遠慮がちにさせてもらった。もし自分の庭ならばもっともっと活用するのにと思いながら・・。”自分の庭”をこれまで持ったことがない。共同庭があっても勝手に何かやると必ずクレームになるので自分の好きなことはできない。自分が不要と思う植物や落ち葉でさえ他の人は必要という。共同とは不自由ということだ。今日出先でやった庭仕事に続いて東京のある住宅街を歩いていると色々な庭付きの家が目に付いた。いかにも自分の庭を楽しんでますといった家を見ると自然と微笑みがでる。庭はあっても手入れされていないと宝の持ち腐れのようで勿体ない。こんなところでも自由に恵まれている人は「自由の有難味」を感じ難いのかも知れない・・。
11月30日(金) <11月も今日でおしまい・・・>
11月も今日でおしまい。明日から師走だ。今日は朝食抜きで「ガン検診」を受診してまた今年の予定行事の一つを終えた。と言っても、自転車で区の健康センターまで行き、受診して自転車で帰宅するまで1時間半ほどしか時間を使っていないので大した"行事”ではない。区の無料ガン検診は毎度有り難いとは思うが、母が患った膵臓ガンは検診の対象外なので”調べた範囲”だけでの安心しか得られないと承知している。検診の後、食事をたっぷりとって、また自転車に乗り今年最後の作品造りに陶芸教室にいった。これも作業時間は集中して1時間半。帰路、”緑道”と呼ばれている紅葉真っ盛りの落ち葉道路をゆっくりと楽しんだ。
2012-11-30 北沢川緑道(世田谷区)にて

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