「今日のコラム」(2021年 3月分)

3月1日(月) <昨日のNHK日曜美術館で・・・>
昨日のNHK日曜美術館で”ニューヨークが生んだ伝説の写真家”ソール・ライターのことが取り上げられていた。ソール・ライター(1923~2013)については、”日常に目を向けた写真家”、”最もつまらないと思われるものの中に美を見た”、”急がない人生”、”自己主張の匂いが一切しない”、”自分のしたいことを貫く”、など色々な表現で評されるが、雰囲気は分かる。私も写真を撮るのは好きだがこのような”写真家”が存在しただけでも勇気づけられる。昨日の午後体験した写真スタジオのことを昨日のコラムに書いたが、今の写真技術は一昔前と全く違う。現代は素人でも自由自在に写真が撮れるし、画質も良い。世界中では何億枚もの写真が撮影される今の時代に「写真家」というプロの写真家がどういう仕事ができるのだろうと思ってしまう。写真家の道も千差万別か。ソール・ライターに習うまでもなく素人は何でもあり。テレビの前の飾りを今日は写真に撮った・・。
2021-03-01

3月2日(火) <今日は月に一度の病院での検診・・・>
今日は月に一度の病院での検診の日。珍しく雨降りなので傘をさして東京医療センターまで歩いて行った。毎回同じことながら、採血、注射、診断などを午前中かけてやったけれども、時間のほとんどは待ち時間。9時過ぎに採血した結果は直ぐに診断する先生のコンピュータにデータとして送られている。11時近くに先生から診断を受けるのはほんの数分。今回もPSA数値は横這いで悪化はしていないので、従来と同じ薬が調合された。今日の待ち時間が多かったと書いたが、全く退屈をすることはなかったことに触れなければならない。実は来日中の娘と孫娘が選定してAppleWatchをプレゼントされたのだ(妻にも)。このApple Watchの説明書を待合室でみるだけでも時間を忘れる。娘が言うには、知っている限りApple Watchを使っていて悪く言う人はいないという。もちろん、時計だけでなく、身体全体の機能を判定したり、運動のデータ解析から睡眠解析、心電図まで腕につけたセンサーで何でも計測する。耐水性があり風呂につけたままでも OK。外で万一転倒した場合や心臓が急に不調を示すと、本人の対応がなければ所定の場所に通知するなどの緊急対応もできるという。今のところ、何をどう使うべきか機能の全般を把握するだけでも時間がかかる。最先端の道具を使用すると昔の話を出す暇はない。間違いなくノートレにも有効と思える・・。


3月3日(水) <今日は、令和3年3月3日。雛祭り・・・>
今日は、令和3年3月3日。雛祭りの日だ。我が家ではもうお雛様を飾ることはなくなってしまった。この前の日曜日に孫娘・Mieuの20歳を記念してフォトスタジオで写真を撮ったが、お雛様を出してくることもなく、3月3日が過ぎてゆくのは少し寂しい気もする。・・東京では昨夜半、猛烈な風が吹き荒れた。今朝になるとニュースで東横線の自由が丘駅と都立大学駅の間の建設現場の足場が大風で崩れたため電車が不通になったと報じられている。今日の天気は快晴。テニスには、東横線が使えないのでバスで田園都市線の駒澤大学駅を経由して神宮外苑まで行った。今日もまだ風は強かったが、晴天の下でのプレーを満喫できた。テニスと雛祭りは全く関係がないが、こんな俳句を見つけた:「老いゆくは 寂しきものよ 雛祭」(高浜年尾) 、「世におくれ 人におくれて 雛飾る」(山口青邨)・・。
3月4日(木) <三寒四温は冬の気候状態・・・>
三寒四温は冬の気候状態を指す言葉で使うとしたら1〜2月ともっともらしく理屈を言う筋もあるが、このところの寒暖の変化はまさに三寒四温を実感する。駒沢公園に散歩で行く際に毎回通る深沢二丁目公園の辛夷(こぶし)は一週間前には蕾であったのが、今日見ると白い花が一部咲き始めていた。今の時節は春の兆しの草花を探しているだけで散歩の楽しみは倍化する。今日は赤いボケの花が咲いているのを見つけた。「ボケ」は何となく花を覚えていたが、文字(漢字)が思い浮かばない。このコラムを書く段になって「木瓜(ボケ)」であると納得。こう言うことはしばしば起こる。更に。ジンチョウゲ(沈丁花)の花も見つけた。沈丁花には、「人に迫る 沈丁の香や 手水鉢」(正岡子規)など、香を詠みこんだ詩が多いが、こんな句があった:「沈丁の 四五花はじけて ひらきけり」(中村草田男) 。”見つけた”花ではなく、いやでも見えてしまったのが「ラッパ水仙」。合わせて下に写真を掲載する・・。
 
2021-03-04 辛夷(こぶし)の花         ラッパ水仙
上は木瓜(ボケ) 下は沈丁花(ジンチョウゲ)
3月5日(金) <最近、テレビが面白くない・・・>
最近、テレビが面白くないと言う人が周囲に多くなった。どこを見てもコロナのニュースばかり、どのような対応にも無責任なコメントを並べる、ある局が旅番組をやると他の局も直ぐに同じことを真似る、勝手にふざけるばかりで面白くないなどなど、要するに新鮮で魅力的な番組がないという。一方で、今の若い人たちはYouTubeなどでテレビと別の媒体の面白さを知っている。テレビのスター芸能人とは違った優れた”芸人”がそこにいる。米国などでも指摘されているが、現代はテレビやインターネット、SNSなどマスコミの報道の仕方で選挙も大きく影響されるという。フェイクニュース・デマ情報が意識的にインターネットやSNS上に流れる時代には、それをどう見極めるかが問題となる。捏造報道を自分だけが知っている”情報”として喜んでいる人が結構いるものだ。・・情報過多の時代にいかに真実をとらえるかは非常に難しいのは確かだ。歴史物語も大抵は勝ち組である権力者が綴らせたもの。”面白くない”テレビは案外無害であるのかも知れない・・。
3月6日(土) <表紙に「花器・80years記念(陶芸作品)」を掲載・・・>
表紙に「花器・80years記念(陶芸作品)」を掲載した。制作を開始したのは二ヶ月近く前。80際の誕生日を迎えるに当たって記念にと粘土をこねた。<粘土での制作過程は1/17,1/19コラム=ここ=参照> 今日、陶芸教室に行くとようやく焼成が完了していたので持ち帰ったもの。教室での制作には時間がかかる。あまり露骨に「80」を出すのも気がひけるので、デザインには苦労した。生まれた年が巳年であるので、縁起がいいとされる「白蛇」で文字を表してみた。毎度のことながら、全体が真っ白な「蛇」もうるさいかと思い、釉薬を遠慮すると「白蛇」が見え難い仕上がり。逆サイドには「TH」の文字をやはり「蛇」で表したが、これもまたよく見えない仕上がり。全ての成り行きは陶芸の面白い現実で、あまり気にしないことにしている。気分次第では誰の迷惑にもならないので修正の手を加えることもできる。参考までに裏面の写真も掲載しておこう・・。
 
3月7日(日) <なぜか「白い花の咲く頃」の歌が脳裏に・・・>
なぜか「白い花の咲く頃」の歌が脳裏に浮かんだ。散歩をしながら、たまたま白い花を見かけたからかも知れない。「白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日 さよならと 言ったら 黙ってうつむいてた お下げ髪 悲しかっあの時の あの白い花だよ」。作詞=寺尾 智沙、作曲=田村しげる、岡本敦郎が歌ったこの歌は1950年に大ヒット。初めてテレビでの放送となった1953年のNHK紅白歌合戦でも岡本敦郎はこの曲を歌ったとか。歌謡曲には縁がなかった私でも歌詞とメロデイーが頭に残っている。・・そんなことで今日は「白い花」の写真を撮ろうと決めた。散歩中に白い花だけを選んで撮影するのもいつもになく面白いものだった。前にこの欄に写真を掲載した事のある白梅とか辛夷(こぶし)、沈丁花(じんちょうげ)は直ぐに目にしたけれども、今回はボツ。クリスマスローズの白があったのは意外だった。「白い花が咲く頃」の白い花は何だったのか知らないけれども、今日撮影した中からは、可憐な「シジミバナ」かとも思う・・。<今も「白い花の咲く頃」をTouTubeで懐かしく聴くことができる=ここ
 
2021-03-07 上=ユキヤナギ、下=シジミバナ 左=クリスマスローズ 右=スイセン
3月8日(月) <朝から雨で、テニスの予定はキャンセル・・・>
朝から雨で、テニスの予定はキャンセル。では今日何をやろうかと自由時間にワクワクしたが、結果的には大したことはできなかった。先日手にれたAppleWatch(リストに付ける多機能時計)をまだまだ詳細を理解していないので、一通りの機能を確認するだけでも時間が必要だ。今日は時計の画面に保護シートを貼ることから始めて、アレコレとトライした。初めて成功したのは「心電図」の計測。心拍数は毎回簡単に計測できるが、共に特に異常がなければ、それ以上やることはない。一番活用してるのは運動や健康管理関係。歩数だけでなく各種の運動・ワークアウトの記録する機能とか、心拍センサーで消費カロリーを算出するとか、GPSで屋外での運動経路を記録するなど、色々とできるけれどもまだ使いこなせていない。・・今日は一昨日完成した「花器・80years記念(陶芸作品)」に少々手を入れたので表紙に再掲載した。真横から見た文様の写真も下に掲載する<陶芸コーナーに他も合わせて掲載>・・。

3月9日(火) <今日の成果といえば、昨日の続きでAppleWatch・・・>
今日の成果といえば、昨日の続きでAppleWatch(リストに付ける多機能時計)の初体験をしたことだろうか。一つは、散歩の帰りにAppleWatchを使って、我が家までの道案内をさせたこと。自宅でなく我が家の側の有名店を目的地にしたので少し遠回りの道を案内されたが、やり方は分かった。マップを開いて現在地の位置情報を入れた後、目的地を検索(音声でインプットできる)。更に徒歩での移動を指示するとルートが示されて所要時間が35分と通知される。指示されたルートを歩いて行くと曲がり角の30mほど手前で時計がブルブルと振動して右とか左を教える。こんな調子でカーナビのようにAppleWatchを使って自宅へ帰ることができた。もう一つ、妻との間で使用料がかからずに通話ができる「トランシーバー」機能も確認できた。AppleWatchの機能は際限ないが、一度は確認してみてから自分に合ったものを選択することになりそうだ。・・これも今日の成果になるかどうか。表紙に掲載していた陶芸作品「80years記念」の写真を「蛇文様」が見えるようにクローズアップした写真に交換した。写真によって作品のイメージは変わる。他の写真を含めて陶芸コーナー(=ここ)にまとめた・・。

3月10日(水) <辛夷(コブシ)と白木蓮(ハクモクレン)の区別・・・>
辛夷(コブシ)と白木蓮(ハクモクレン)の区別がつかなくなった。混乱の源は辛夷と思っていた樹木が、写真を撮ると植物の名前を教えてくれるiPhoneのソフト・PictureThisで名前を確認すると、白木蓮と判別されたことに始まる。それが数日前のことで、今日再度同じソフトで同じ樹木の写真を撮ると「シデコブシ(四手辛夷)」とでた。並木の他の樹木には「コブシ」の名札がついている。改めて細かく観察した結果、私の結論は「コブシ」。辛夷と白木蓮の区別の仕方はいろいろと解説されている。コブシは花びらは6枚で開ききる、花びらは薄い、花の大きさ4~5cm、花は横向き、上向きが交じる、これに対して、ハクモクレンは花びらに見えるものは9枚で開ききらない、花びらは肉厚、花の大きさ8~10cm、花が常に上向きとある。更にコブシは花と葉が両方見られることがあるが、ハクモクレンは花と葉は同時には見られないことも区別のポイントとか。それにしても蕾の段階では画像分析ソフトでも間違える。花はシデコブシとも違うように見える。植物の名のコンピュータ判別はそえほどに微妙で難しい・・。
 
2021-03-10  辛夷(コブシ)      白木蓮(ハクモクレン)
3月11日(木) <今日は東日本大震災から10年・・・>
今日は東日本大震災から10年となる日。自分は東京で被害を受けた訳ではないが、その日、やはり特別の体験をした。10年前・2011年3月11日のコラム(=ここ)を読み返すと更に細かい状況が思い出される。コラムは日記の役割もしている。その日の直前のコラムを見ると、私には"予知能力”があるのでないかと思う偶然があった。大震災の前日、3月10日のコラムで”被災史上最大の大地震”の文言を使っている。作曲家の「久石譲」の文字変換が「被災史上」になってしまったという内容だが、事例としての「大地震」が生々しい。天災は忘れた頃にやって来る」と言ったのは寺田寅彦。昔と比べると危機管理は格段に進化しているだろうが、どのように「想定」するかが一番難しい。"想定外”で皆苦労する・・。今日の駒沢公園の写真を下に掲載する。このところ連日見かけるのが、密とは程遠い環境の中で大きな旗を振る練習をしている若者たちだ・・。
 
2021-03-11 駒沢公園にて
3月12日(金) <「椿」が目に付く時節・・・>
「椿」が目に付く時節となった。「つばき」は文字からして木に春がつながって春らしい。けれども、「寒椿」。「冬椿」などは冬モノ。「花椿」は春。椿には香りがないなど独特の特徴があるが、”散り方”が強調されるのが大きな特徴だろう。椿は花弁が個々に散るのでなく丸ごと落ちる。昔は人の首が落ちることを連想させて武士から嫌われたとも言われるが、一方で、いさぎよいとして花言葉「謙虚な美徳」があるようだ。類似した花である山茶花(サザンカ)と区別するにも散り方を見ると一番分かりやすい。丸ごと落ちた「落椿(おちつばき)」は俳句の春の季語としてしばしば使用される。椿というと「落ちる」に関連した俳句が多いのには驚かされる。例えば、「一つ落ちて 二つ落たる 椿哉」(正岡子規)、「落椿 投げて煖炉の 火の上に」(高浜虚子)、「おぼろにて 一樹紅白の 落椿」(水原秋桜子)、「借せといふ 貸さぬといふ 落椿」(種田山頭火)・・。今日の写真としては散歩時に撮影した”落ちて”いない元気な椿を掲載する。椿も非常に種類が多いので、個別に名前を特定できればいいが、とてもそこまではできなかった・・。
 
2021-03-12  東京・世田谷区深沢にて撮影
3月13日(土) <今日の午後、東京では珍しいほどの雷雨・・・>
今日の午後、東京では珍しいほどの雷雨に見舞われた。我が家でもひと騒動。洗面所を兼用している簡易部屋(追加建造室)の天井から雨漏りがはじまり対応に追われた。整理棚に置いてあったものを溜まった水を流しながら他の場所へ移し替え。バケツの他、水の受け皿を三つ四つ並べてとりあえず漏れてくる水を受ける。その間、猛烈な豪雨の音と時々雷が光ったと思うとゴロゴロの音。久しぶりに自然の猛威の片鱗に接した感じ。実はこの部屋の屋根に上り、自分でシール材を使って雨漏り対策をやった経緯がある。素人対策が不完全であった証明にもなってしまった。ひとまずの雨漏り対策をしてお茶を飲みながらテレビのライブ中継を見ると、快晴の下でゴルフやっている。南国・土佐からの中継だった。日本は広い。・・その約1時間後、我が家ではまだ雨が降っているのに、突然西の空が真っ赤に染まった。時刻は午後4時41分。写真を撮り下に掲載した・・。

3月14日(日) <東京では雨が止み快晴となった・・・>
東京では雨が止み快晴となったが今日は朝から猛烈な風が吹き荒れる。午後、大風の中をウォーキングで駒沢公園まで行くと、ようやく辛夷(コブシ)の大樹が花を咲かせていた。駒沢公園西口脇にある辛夷は東京都の名木百選にも選ばれている大樹。公園の周囲には辛夷の街路樹があり、一週間以上前からコブシの花を見ていたが名木とされる大樹の開花は遅れていた。そこで思い起こすのは五島美術館の庭にあるコブシ。ここのコブシ(辛夷)も名木として知られるが、樹齢250年の古木であるため一度花を咲かせると、次は三年後にしか花が咲かないと聞いたことがある。以前、コブシを見る目的で五島美術館を訪れた時、シーズン中であるのに花が少ししかなかったこともあった。そういえば、五島美術館(東京・世田谷区上野毛)にはもう一年以上訪れていない。バスに乗れば家から30分足らずで行くことができるので以前はよく通ったものだが・・。コロナのステイホームの状況下でも体温を計測しながらテニスや陶芸教室には通っているが、美術館には見事に行かなくなった。根津美術館、国立新美術館、森美術館、静嘉堂文庫、サントリー美術館、菊池寛実・智美術館 、山種美術館など懐かしく名前を出すだけではしようがない。厳重にマスクをした上でも、美術館に行きたくなってきた・・。
2021-03-14駒沢公園西口・辛夷の大樹
3月15日(月) <最近は腕にAppleWatchをつけて寝る・・・>
最近は腕にAppleWatchをつけて寝るのが習慣になった。そしてiPhoneにダウンロードしたAutoSleepというソフトを使ってiPhone画面でAppleWatchで計測した睡眠データの分析結果を確認している。このソフトでは自分が関知しない”眠っている時間”の内容を詳細に教えてくれるので面白い。就床時刻と起床時刻がかなり正確に示されるが、これはあくまで「就床時間」。睡眠時間はこれと明確に区別される。睡眠の間の眠りの状況がグラフで示されて、睡眠時間の内訳(深い、浅い、中間、その他の時間)も表示される。睡眠時の心拍数がデータとして把握されているので心拍数が起きている時の何%低下したかで睡眠の質を評価しているようだ。今日の睡眠・良質な睡眠・心拍数の低下・深い睡眠をベースに睡眠全体が評価されて、「今日の快適さ」まで表示されるが、では、今日どう過ごせばいいの?ということになる。毎日の睡眠分析を見ていると、同じように眠っていると思えても、日によって随分と違いがあることが分かった。更に、就寝直前の生活パターン、お酒を飲んだか、風呂に入ったか、スクワットをやったかなど相関関係を調べてみると自分の生活と睡眠の質との繋がりが分かるかも知れない・・。
3月16日(火) <今日の東京の最高気温は22℃・・・>
今日の東京の最高気温は22℃。風が少し強かったが5月中旬の汗ばむような陽気だった。家の近所の緑道には桜並木があるが、開花している桜の木が一つあった。同じ桜でも開花のバラツキがある。2月の末にはこの緑道の先で早咲きの河津桜が開花していた。多少のズレはあるにしても春が来れば確実に桜が咲く。毎年、春が訪れて桜が咲き、そして散る繰り返し。桜の大樹となれば。その繰り返しの中で人間の何世代もの営みを眺めていたりする。今年は新型コロナの感染防止で非常事態の下での花見となりそうだ。繰り返しの中でも人は決して同じ状況にない・・。
2021-03-16 桜が開花、東京・目黒区にて
3月17日(水) <今日も8時前にテニス場に着き・・・>
今日も8時前にテニス場に着き、順番待ちのバッグを置く。その後、開場時刻までコーヒーを飲むことはあるが、テニスを始めると約3時間はプレーを続ける。テニス歴は長いので今まで色々な仲間とテニスを楽しんだが、今も幸い、いい仲間に恵まれている。私の親しかった義兄もテニスをやっていたが、70歳半ば頃であっただろうか、相手の打ち難い球ばかり出す”意地悪な”テニスには飽きたといってテニスをしなくなった。一時、私と頻繁にペアを組んでいた先輩を相手にした時、キャッチできない難しい球を出すと”卑怯者〜”と言って悔しがった。今の私は当時の先輩方より年配になったが、意地悪で卑怯なボールを平気で使いながらテニスを楽しんでいる。仲間から見事な意地悪ボールを出されることもしばしばだが、相手の技に感服するだけ。それではと意地悪ボールのお返しをする。遠慮せずにこういう闘いができるのが”いい仲間”だろう。・・今日の写真はアヤメ科のシャガ(射干)とハナニラ(花韮)の花、更に、桜の花の蘖(ひこばえ)の写真を掲載する。いずれも今日の夕刻、散歩した時に撮影した・・。
 
2021-03-17 シャガ、ハナニラ     ひこばえの桜花
3月18日(木) <カメラの進化は著しい・・・>
カメラの進化は著しい。私の場合はiPhoneに内蔵されているカメラを専ら使っているが、一昔前のキャノン、ニコンなどの高級カメラ以上の機能がある。解像度、望遠や接写、手振れ防止、画質の調整など十分に満足しているが、iPhoneのカメラ全機能から見ると、活用できていないところも多いようだ。妻も同じiPhoneを使っており、iPhoneのカメラの機能だけについてマニアがYouTubeで解説している場所を教わってきた。その内容を見て、活用していない面白い機能がまだまだあることを知った。例えば自動的には中央部に焦点が合うものを簡単な操作で他の部分にピントを合わせることもできる。このホームページでは毎日写真が日記のような役割をしている。今のiPhoneカメラで撮影した写真は撮影場所、撮影時刻が記録されており、これも便利だ。更にYouTubeでマニアからiPhone機能を教わって、このホームページ用の写真にも応用したい・・。今日の写真(下)は従来通りの操作でベランダ花壇の葉牡丹を撮影したもの。葉牡丹の光の具合が上手く撮れているのはカメラが良いからだろう・・。
2021-03-18
3月19日(金) <今、箱根・仙石原の宿・・・>
今、箱根・仙石原の宿にいる。車で宿泊の旅行をするのは本当に久しぶり。新型コロナウィルス感染の事態になって、この一年以上はステイホーム。そして今もなお緊急事態宣言下であるのは承知している。車の中は家族だけで外部との接触はない。昼食も夕食もお茶の時間も公園のベンチで弁当を食べるとか、コンビニで購入した飲食品で間に合わせるとか、"密”にはならない。御殿場のアウトレットにも立ち寄ったが、私は一度も店内には入らなかった。宿では大きな共同浴場で入浴者は4名までと制限されていた。このような特別事情を含めて間違いなく非日常の体験を楽しんでいる・・。
 
2021-03-19 御殿場アウトレットでは富士山をみることができた
 
箱根恩賜公園では富士山は雲の中     箱根仙石原ススキ草原にも人は少ない
3月20日(土) <先ほど箱根での一泊旅行から無事帰宅・・・>
先ほど箱根での一泊旅行から無事帰宅した。車の運転は娘と妻にお任せで、私は専らゆっくり車中でお休みのドライブ旅行だった。今日は帰途「三島スカイウォーク」に立ち寄ったので、その時の写真を下に掲載する。日本一の大吊り橋というこの橋は全長400mで橋の上から富士山と駿河湾を一望できることをウリにしているが、今日は残念ながら富士山も駿河湾も雲の中だった。それにしても実用でなく観光用としてこのような巨大な吊り橋が製作されるところが驚きだ。完成は2015年12月というが、私は初めての渡り。入場料(大人1100円)はかかったが相応の満足感があった・・。
 
2021-03-20 三島スカイウォーク
3月21日(日) <今日は東京では朝から終日強い雨・・・>
今日は東京では朝から終日強い雨が降り続く。昨日、一昨日の箱根旅行の時には天候に恵まれたことを改めて感謝。今日は外出して写真を撮ることもない一日だったので別のことを書こう。インターネットを見ていて偶然、篠田桃紅さんが3月1日に亡くなられたことを知った。享年107歳、1913年3月38日生まれでもう少しで108歳になられるところだった。私は篠田桃紅さんの書や絵画が大好きで彼女のリトグラフを購入したものを今でも部屋に飾ってある。篠田桃紅さんは100歳を超えてなお現役として作品作りを続けていたのは有名で私も注目していたのに亡くなられたことをニュースで知ることはなかった。報道機関は、世界的に活躍し最期まで現役で創作をしていた彼女の逝去を何故もっと大きく報道しなかったのか疑問が残る。日本の女流画家は長寿の人が多い。亡くなられた方では、小倉遊亀さん・享年105歳(1895~2000)、三岸節子さん・享年94歳(1905~1999)、堀文子さん・享年100歳(1918~2019)など、現役では草間彌生さんは1929年生まれで明日の誕生日にて92歳。生涯現役の皆さんの共通項は「人生は未完であること」として年齢に関係なく絵筆を握っていることであるようだ・・。
3月22日(月) <テニスに行くと昔(=10年以上前)一緒にプレーをしたことがある先輩・・・>
テニスに行くと昔(=10年以上前)一緒にプレーをしたことがある先輩に会った。最近は全くお目にかかった事がなかったが見かけは変わらずお元気。今は88歳だと自己紹介された。昔のテニス仲間の話をしたが、”今は昔”・・。テニスに来なくなった人、認知症になってしまった人、離婚した人、転居した人などそれぞれだ(もちろん、亡くなった人もいる)。88歳の先輩とは今日は一緒にプレーはしなかったが、本当にお元気に見えた。それでも今のテニスクラブの中で最高齢ではない。私が今日一緒にゲームをした四人の組は平均年齢が80歳。皆、技が素晴らしく、しかも実に身体がよく動く。時にはすごいパワーボールも打つ。一昔前の"60歳”の仲間のような感覚だ。このようにゲームを楽しめること自体が非常に恵まれた状況であると毎度”天に感謝”ではある。そして一番危ういのは慢心、図に乗ることと自制する。今日会った先輩を一つの目標として基礎の体力作りにも励まなければならない・・。
・・こんなことを書いた後、夕刻にバランス年齢(=任天堂Wiiによる)を計測した結果、バランス年齢20歳とでた。ウォーキングの左右バランスが50-50で完璧、記憶力テストが満点で、これ以上望めない数値。稀にはこういうこともある・・。
3月23日(火) <東京の桜(ソメイヨシノ)が開花・・・>
東京の桜(ソメイヨシノ)が開花して見頃になっている。我が家の近所にある緑道(呑川)の桜並木もほぼ満開。このところ娘の飼っている犬(ヨークシャーテリアとトイプードルの混血)を預かっており散歩は私の役割なので、今日も犬を連れてまず桜並木に行き、写真を撮った。コラムに掲載する「今日の写真」は桜に決まりかと思っていると、「花海棠」の写真を主役とすべく想定外の嬉しい事件があった。犬を連れて桜並木から少しそれた住宅街を歩いていると、正に満開に咲き誇っている花海棠が目についた。早速に写真を撮ろうとすると、そこにいた家のおばさんが”可愛い犬ですね”と話かけてくれた。こちらも綺麗な花ですね、写真を撮らせてくださいなどと応じていると、”よろしければ、花を切って差し上げましょうか”。少し待っていると、わざわざ部屋からハサミを持って庭に周り花海棠の花を切ってプレゼントしてくれたのだ!全く面識もない赤の他人に庭の花をプレゼント・・。考えられない親切を受けて「花海棠(ハナカイドウ)」は忘れられない花となった・・。
 
2021-03-23呑川緑道の桜
 
2021-03-23 花海棠(ハナカイドウ)     いただいた花海棠を早速我が家に飾った
3月24日(水) <オリンピックの主会場となる新国立競技場と桜・・・>
オリンピックの主会場となる新国立競技場と桜と組み合わせた写真を撮るには今しかないと思いついた。オリンピックがどのような形で開催されるか未だ不透明であるにしても、新国立競技場に桜の花を添えた写真を撮りたい。それには今だ・・。午前中、神宮外苑でテニスをした後、新国立競技場方面に歩いて行き、桜の花と競技場を合わせた風景が撮れる場所がないかを探した。そうして、辛うじて撮影したのが下の写真。千駄ヶ谷方面までは行けなかったが、思ったより桜の木が少なく、地味な桜になってしまった。面白かったのがスタジアムの窓の部分に桜とおぼしき花が見えたので、この写真も掲載した。来年の桜の時節には同じような写真が撮れるかもしれないが、オリンピックの行われる年の桜は”今しかない”・・。
 
2021-03-24 神宮外苑・新国立競技場
3月25日(木) <桜は非常に種類が多い・・・>
桜は非常に種類が多い。早咲きの河津桜に代わって今は開花時期の基本ともなるソメイヨシノ(染井吉野)が正に満開。犬を連れた散歩の時に、あえて、ソメイヨシノ以外の桜はないか、また、桜以外の花はないかを注目してみた。ところが、これが意外に難物だった。私は元より桜の種類には詳しくないので、iPhoneに組み込んでいる写真で植物の種類を判定するソフトー=PictureThisを使った。ところが同じ桜でも撮影の仕方で、ソメイヨシノ(染井吉野)になったり、サトザクラ(里桜)となったりする。それだけ微妙な違いでもあるのだろう。桜の原種とされるオオシマザクラ(大島桜)もあったが、元来、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンザクラ(江戸彼岸桜)の系統を引き継いだものであるので、その差もまた微妙だ。とにかくも本日撮影して名前を確定させた写真を下に掲載してみる・・。
 
2021-03-25 左から、リキュウバイ(利休梅)・セイヨウミザクラ(西洋実桜)・大島桜・里桜
3月26日(金) <今日もまた呑川緑道で花見・・・>
今日もまた呑川緑道で花見をした。呑川(のみがわ)とは東京を流れる二級河川で、世田谷区桜新町付近が水源で、世田谷区〜目黒区〜大田区を通り東京湾に注ぐ全長14.4kmの川。大部分は暗渠になっており、上に緑道が設置されている。緑道の両脇の土手には桜並木となっているところも多く、春には絶好の花見ができる。ちなみに妻の実家のある大田区の呑川は昔よく氾濫したという<今は東京の花見の名所になっている中目黒近辺の目黒川も一昔前にはよく氾濫した>。今の我が家から世田谷区ー目黒区の呑川緑道が近く、これまで緑道の花見をしながら大田区の東工大まで歩いて行ったこともある。今日は大田区と逆の上流(川は見えないが)世田谷区・深沢方面に行った。今日初めて経験したのが、折りからの強風で桜吹雪の中を歩いたこと。ほぼ満開の桜が散ってしまわないかと心配になるほど無数の桜の花びらが身体に吹き付けられた。花見といっても下に写真を掲載するように”密”とはほど遠く、新型コロナ感染とは無関係だろう・・。
 
2021-03-26 東京・呑川緑道にて
3月27日(土) <今年は桜の開花が早かった・・・>
今年は桜の開花が早かった。東京では今まさに桜が満開。ということは散るのも早いということ。4月2日の息子の命日は例年桜が満開の時期に当たり、墓参りの時に花見をする。今年は一週間後の4月2日には桜は散り始めているかもしれないと、妻と相談して今日息子の墓参りに行った。もちろん、命日にはまた墓参りをするつもりだ。予想通りにお寺の境内の桜、そして墓地にある桜も満開。墓の掃除をして、お参りをした後、墓の場所で持参したサンドウィッチを食べながら花見をした。お寺の境内の桜の写真はこれまで何度も掲載しているので、今日は墓地で撮影した桜の写真を下に掲載する。息子がこの時節に亡くなって以降、西行法師の詩:「願はくは 花の下にて 春死なむ  そのきさらぎの 望月の頃」にどれだけ慰められたことか・・。
 
2021-03-27 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の墓地にて
3月28日(日) <「今日の表紙」に「三角形花器2021a](陶芸作品)」・・・>
「今日の表紙」に「三角形花器2021a」(陶芸作品)を掲載した。この形状の三角形花器は2017年に制作したことがある(=ここ=参照)。今日掲載した花器は少し前に完成したが、サイドの文様の仕上がりが気に入らないので釉薬を変えて陶芸教室の窯で焼成をやり直した経緯がある。それでも不本意な仕上がりなので、家で楽焼用の絵の具で色付けしてオーブンで焼きつけた(230℃)。いわば再々焼成した作品だ。最近の陶芸はこのように冴がない。創作のアイデイアが枯渇してなんとか制作しても作品に満足感が持てない。陶芸の制作にも波があると割り切ってはみるが、新型コロナ騒動もあり、美術館に行くチャンスがなく、外部からの刺激がないことも”冴えない”原因の一つかもしれない。今回の作品に関しては見る角度、方向から異なった様相となるので陶芸コーナー(=ここ=)に表紙に掲載したものと違った写真も掲載した・・。

3月29日(月) <夜中に降り続いた雨が明け方には止み・・・>
夜中に降り続いた雨が明け方には止み、朝から快晴。東京では最高気温23℃を越す初夏のような気温になった中で今日も午前中はテニスをやった。最近のテニスは”無理をしない”ことを何度も自分に言い聞かせる。体調は良く、身体もよく動くので、このような時こそ自重しなければならない。以前、テニスで転倒したり、脚を痛めたり、肘を痛めたりしたが、いずれも”絶好調”の時だ。調子が良いので”調子に乗りすぎた”例ばかり経験している。テニスに限らず何事も「図に乗る」とロクなことはない。「図に乗る」の語源は、僧侶が唱える声明(しょうみょう)の、いわば楽譜に相当するものに音や節の具合を表した「図」のことをいい、本来は図に乗ってしっかりと声明を唱えるべきものであった。音楽の「調子」も同じく調子に乗るのは目標とすべきものであったであろう。ところが、人間は何事でも一度うまく行くとブレーキがかからず、更に図に乗り、調子に乗って破綻する。”図に乗るな”、”調子に乗るな”は、度を越さぬための警告である訳だ。テニスでこのような失敗の実体験をして復調できたことを感謝しよう・・。
 
2021-03-29  目黒区宮前公園の桜が満開    駒沢公園・テニス場脇の桜(私がいくテニス場は別)
3月30日(火) <昨日のコラムに書いた”図に乗る”の続き・・・>
昨日のコラムに書いた”図に乗る”の続き・・。”図に乗る”の「図」の語源は僧侶が唱える声明(しょうみょう) の楽譜に相当するものに記載された音声や節の変化を表す記号であると辞典に出ている。本来は「図に乗る」ことは上手く唄うために必要なことであるが、それが「図に乗るな」と自制を求める言葉で使用される。これは「調子に乗るな」も同じで、音楽ならば指示された「調子に乗る」ことが基本であるが「調子に乗るな」と警告される。以下は私の独善的な解釈。音楽の楽譜には調子を始め色々と細かい指示が記載されている。初心者は一生懸命に楽譜を暗記して音楽を演奏する。けれども「音楽」としては聴き手に楽譜を思わせてはならない。伝えたいの演奏者の音楽感情。レベルが高い演奏は決して「楽譜」を感じさせない。お坊さんが唱える声明(しょうみょう)は中国の旧い音楽理論が基礎で、5音+音階、旋律などの決まりがあり。これが「図」で表されているのだから、正に音楽と同じで、声明のプロは決して「図」を感じさせてはならないだろう。「図に乗らぬ」声明が質の高い本物であったと考えると非常に納得がいく。昔から、何事であっても「真似して 学んだ後、捨てろ」が創造・進化の基本。図に乗るな、調子に乗るなには高いレベルへの道が示されている・・。
3月31日(水) <東京は今日も初夏のような陽射し・・・>
東京は今日も初夏のような陽射し(最高気温23℃を越す)。満開であった桜も、明日から四月というのに散り始めた。桜の俳句や短歌は非常に多いが、何と言っても桜には「散る」を詠んだ詩が際立つ。「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 浮き世になにか 久しかるべき 」(伊勢物語)。この時節に何度も同じ詩をコラムに書いた記憶もあるが、今年も思いつく詩を引用しよう。「明日ありと 思う心の仇桜(あだざくら) 夜半に嵐の 吹かぬものかは」(親鸞聖人伝)。俵万智さんの短歌ではこういうのもある:「さくらさくらさくら 咲き始め咲き終わり 何もなかったような公園 」。今日の写真として宮前公園(東京・目黒区)の桜の散った風景を掲載する(下)。駒沢公園(東京・世田谷区)では椿の散り方もまた強烈だったので、この写真も掲載する。「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛)・・。
 
2021-03-31 散った桜で地面が見えない@宮前公園(目黒区) 右は椿の花の散り

 
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