「今日のコラム」(2022年 2月分)

2月1日(火) <今日から2月・・・>
今日から2月。朝6寺25分に始まるテレビ体操(NHK教育)のスタート時の画面が月が改まると変わるので、「今日から2月」を認識した。今年の2月1日は中国の「春節」、旧暦の正月・旧正月だ。中国では今も旧正月のお祝いが当たり前で、長期の休暇も実施されるが、今年の春節はコロナの影響でどうなるのか。中国の場合、今年は2月4日から20日まで北京2022オリンピック冬季大会が開催されるので、全てがオリンピック最優先で進むのは間違いないだろう。明日から一部の予選競技が始まるという。またコロナ下のオリンピックだ。・・今日は石原慎太郎氏が亡くなったというニュースも流れた(享年89歳)。言いたいことを言い、やりたいことをやり、大往生したように見える。このような人生を送れる人は稀であろう。合掌・・。

2月2日(水) <今日は「2022-2-2」・・・>
今日は「2022-2-2」と2の数字がつながる珍しい日。と言っても何も特別なことはない。2日は息子の月命日であるのでいつものように妻が車を運転して息子の墓参りに行った。墓のある九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の大樹に色はないが境内の隅に黄色い蝋梅の花を見つけた。蝋梅(ロウバイ)は梅の文字がついているが梅とは全く違う品種で、良い香りの花を咲かせる。マスクを外して香りを嗅ぐのが新型コロナが終息しない歴史の一瞬に見える。ロウバイは梅の花が咲く頃に花を咲かせるといわれる通りにお墓の側には梅が咲いていた。ここには昨年、10数回は墓参りに訪れている。それぞれの時節に満天星(どうだん)の剪定をしたり墓掃除をするのも楽しみだ。墓参りといっても無心で合掌、そして見守ってくれていることに感謝のみ・・。
 
2022-02-02九品仏浄真寺
左が蝋梅の花、右は梅の花
2月3日(木) <今日は「節分」・・・>
今日は「節分」であるが、豆まきも恵方巻きも関係ない。木曜日であるのでテニス仲間からLINEとメッセージでお誘いがあったが、お断りした。月曜日のテニスの時に左腕が上がらない事態となり、その後、専門家のマッサージを受けたが治らない。一週間は静養するように言われたので無理をしないようにしている。何しろ朝のラジオ体操でさえ左腕が使えず右だけでやる始末。これまでにない左腕不良は思った以上に意気消沈させられるものだ。それでもウォーキングはやらなければと駒沢公園まで散歩に行った。歩くことによって初めて気分が明るくなった。駒沢公園は広いので少々人が集まっても密にはならない。それにしても今日の駒沢は人が少なかった。新型コロナウィルスへの新たな警戒感が伝わってくる。駒沢公園の写真はこれまで何度も掲載しているので今日は中央広場の周りの雰囲気が分かるように写真をつなげてみた。

駒沢公園(東京・世田谷区)中央広場

2月4日(金) <テレビ番組「徹子の部屋」・・・>
テレビ番組「徹子の部屋」でたまたま女優の岸惠子さん、草笛光子さん、そして黒柳徹子さんの対談を見た。ゲストの岸惠子さん89歳、草笛光子さん88歳の話を司会の黒柳徹子さん88歳が聞き出す。話は滑らかで淀みが無い、反応も早いし姿勢も良い。そろそろ90歳の女性たちの対談とはどうしても見えない。岸さん、草笛さんは横浜の女学生の時代からの親友で75年以上のお付き合いとか。大女優であった岸惠子さんは25歳の時にフランス人の映画監督イブ・シャンピと結婚したが41歳で離婚し、一人娘(当時11歳)とパリに残って生活していると昔報道されたことを思い出す。今は娘と二人の男の子の孫がパリで、岸惠子さんは一人で日本に住んでいるという。今も女優として活躍する草笛光子さんは27歳の時(1960年)、作曲家の芥川也寸志と結婚する(芥川は2度目の結婚)がわずか2年後に離婚した(芥川はその後3度目の結婚をして1989年に63歳で他界)。 それぞれに内容の濃い人生を歩んできた大ベテランたちだが、いまだに過去の人ではない。寿命としての100歳は珍しくなくなったが、今や活動期間が100年の時代となりつつある。”年齢”の観念を一昔前と変えなければならない・・。
2月5日(土) <最近「風呂上がりの一杯」で至福の時・・・>
最近「風呂上がりの一杯」で至福の時を過ごすようになった。少し前までは、イイチコのお湯割りであったが、このところウィスキーに転向した。それもスコッチウィスキー。シーバス・リーガル(12年もの)を一瓶空けてしまったので、次のJ&B(15年もの)に移ったところだ。実はこれらのウィスキーはお客様用に仕舞い込んであったのを自分で飲み始めたもの(まだ他にも在庫がある)。これまではスコッチウィスキーを自分一人で飲むなど分不相応な贅沢との感覚であった。けれども80歳を過ぎてお酒を飲む贅沢を許容するとクセになった。思い出すのは35年前に90歳で亡くなった父のこと。父は晩年ジョニーウォーカーやオールドパーなどのスコッチウィスキーを夕食時によく飲んでいた。一緒に付き合う立場でなかったので、ウィスキーを炭酸(ジンジャーエール)で割って飲むのを眺めることが多かったが、いかにも楽しそうな晩酌であった。ちなみに、今の私は少しだけストレートで味わうことはあるが、オンザロックや水割りでなく専らホットウィスキーとする。妻がお酒はだめなので独りで少々を味わうだけだが、大昔から人間にとってお酒が欠かせなかった事情が今になって少し分かってきた。
2月6日(日) <日曜日に駒沢公園(東京・世田谷区)に散歩に行くと・・・>
日曜日に駒沢公園(東京・世田谷区)に散歩に行くと家族で遊んでいる姿をよく見かける。コロナ騒動で人数は減っているといっても、どんなに寒い日でも暑い日でも家族を見ない日はない。父親が息子とキャッチボールをしている、横では母親が娘さんとバトミントンをしている。小さい子供に自転車を教えている親も多い。私はこんな風景に毎回何とも言えない感動を覚えてしまう。私たちの子供の頃とは何という違い、平和で恵まれた家族たち・・。私の場合は親に遊んでもらった記憶は全くない。その代わりに兄弟や近所の子供とは存分に遊んだ。考えてみると、私の幼少期は終戦直後。子供を持った親は毎日生活するだけでも大変であったろうし、先の日本がどうなるかも分からない時代。子供と遊ぶどころか食べていくだけでも苦労したに違いない。今の子供達は一方で微笑ましい家族の姿の裏に厳しい競争社会があるのかも知れない。いずれにしても平穏な生活が継続できるのは非常に有難いことだ。世界のどこでもできるとは限らない・・。
 
2022-02-06 駒沢公園にて、左はクスノキの巨木  右は開花した梅
2月7日(月) <表紙の「今日の作品」に「噴水分岐部材」・・・>
表紙の「今日の作品」に「噴水分岐部材」を掲載した。作品というのもおこがましい(=烏滸がましい)が、前から掲載している陶芸の「噴水」の水を分岐させる部材の中身をあえて掲載した。中央の1箇所から一番高く噴水が上がり周囲12箇所から低く水を噴射する構造だ。今日は本当はテニスに行く日であるが左腕が痛くて上がらないというトラブルが完治しないので仲間に詫びを入れてテニスは休みとした。リハビリにも行ったが代わりにやったことが噴水の部品制作。我ながら「工作」が何より好きに見える。以前に噴水の構造の大枠はできていたが完成させるには色々と微調整をしなければならない。12箇所ある噴水口の水量の調整、吹き出す水の形状や高さの調整など理屈でなく状況を見ながら構造を変えなければならない。完成した暁にはこれらの部材は見えなくなる。ちなみに、この部材の下部に小型ポンプが設置されるが、ポンプとの繋ぎで6本の噴出パイプの元にある容器はゴム性の電気プラグを加工して使っている。その上に茶系の色が見えるのはプラスチックのビンの端を切り出したもの。このような部材を使った噴水は世界中を見てもないだろう。全て手作りの工作の楽しさはこんなところにある・・。

2月8日(火) <「捨てない生き方」(五木寛之著・・・>
「捨てない生き方」(五木寛之著、マガジンハウス新書)をKindle(Amazonの電子書籍)で読んだ。表紙には「捨てなくていい〜愛着あるガラクタは人生の宝物である」とある。言うまでもなく、最近の”断捨離ブーム”で誰もが「不要不急なモノは捨ててしまえ」とモノを処分することに走る。特に私の周辺にも多いが、お年寄りは断捨離が義務でもあるように取り組む。五木寛之さん(89歳になった!)がこんな風潮に対して<恐らくは雑誌社の要望もあって>気楽に反論した内容なので捨てることの是非でなく五木寛之さんのガラクタとともに生きた人生100年が見えて面白かった。私もどちらかというと断捨離派でなく五木寛之さんと同じくガラクタが好きな方である。五木さんの文章を引用すると「シンプルライフにひそむ空虚さ」にも同感。五木寛之さんは日本には綿々と息づく「捨てる」伝統と、「育み蓄えていく文化」が共存していたとしている。法然や親鸞は富や立場、身分を捨てただけでなく最高の教養や知識を捨て去り南無阿弥陀仏だけにすがる。ただ、この種の捨てる話と現代のモノを捨てる話を並べると混乱してしまう。とにかくも自分は「捨てない生き方」をとりたい。後でいかに処分されようと、捨てられようが知ったことではない・・・。
2月9日(水) <「明日は関東地区で大雪が予報・・・>
明日は関東地区で大雪が予報されている。東京都心でも10cm程度の積雪とか。ところが今日の東京は穏やかな快晴。宇宙(上空)から見た雲の動きでの予想がなければ”地元”の感触では明日もまた晴天と言いたくなる。今、夕刻の5時を過ぎたところで日の入り直後だが雨の気配すらない。・・それでも晴れている間に歩きたいと午後、駒沢公園(東京・世田谷区)まで歩いて行った時の写真を下に掲載した。最近は建物にしても植物にしても、写真を撮る瞬間の対象物が貴重に思えてきた。以前はどんなものでも今現在に撮影した画像は昨年でも翌年でも、10年前でも10年後でも同じでないかとの思いがよぎった。けれども、一期一会は写真でも存在する。雲と空と建物と、植物の輝き、影の一つ一つが二度と同じことがあり得ない。誰でもが、そしてどんなものでもが瞬間を生きている・・。
 
2022-02-09 駒沢公園にて 左=屋内球技場 右=落羽松(らくうしょう) +パンパスグラス
2月10日(木) <窓の外に雪が降る・・・>
窓の外に雪が降る景色を見ながらキーボードを打つ。東京では朝方は弱い雨であったのが午後になってようやく大雪警報に応じるように雪となってきた。明日の朝までにどれほどに雪が積もるだろうか・・。テレビで「曲がり角のGAFA」の話題が取り上げられていた。GAFAとは世界の支配的影響力を持つIT企業群、アメリカのGoogle、Apple、Facebook、Amazonの5社の頭文字を取ったもので、Microsoftを加えてGAFAMとされることもある。フェイスブック(Facebook)は2004年にハーバード大学の学生であったザッカーバーグが創業して今やSNS(Social Networking Service )では世界最大。けれども世界で13億人以上とされるユーザー数はピークを過ぎたと言われる。一方で昨年(2021年)末に社名がFacebookからMetaに変更された(SNSではFacebookがまだ使用される)。GAFAはどれも巨大化の弊害を抱えているに違いない。どのように変わることができるのか。変化しながら生き残ることはどんな分野でも永遠のテーマであろう・・。
2月11日(金) <東京23区にも大雪注意報が出ていたが・・・>
東京23区にも大雪注意報が出ていたが、今朝は雪も止んでおり、都心で積雪2cmと発表された。地面に雪が残っているところもあったが穏やかな日差しで晴れ上がったので、今日は予定通り谷中に墓参りに行った。11日は義兄の月命日。毎月できる限り妻と一緒に谷中の瑞輪寺に行きお墓参りをする。最近は不要不急の外出を控えることもあり。私たちにとっては片道1時間半ほどのお寺に出かけるだけでも小旅行のような感覚になる。今日も日暮里のイタリアンの店で昼食をとるなど墓参りついでに非日常を楽しませてもらった。・・このところ北京での冬季オリンピックが佳境に入っている。今日はスノーボード(男子ハーフパイプ)で平野歩夢(23)が大逆転の末に金メダルを獲得した。昨日はフィギュアスケート(男子シングル)で五輪三連覇を目指した羽生結弦(27)が4位に終わり、鍵山優真(18)が2位(銀メダル)、宇野昌磨(24)が3位(銅メダル)と誰も予想できなかった結果となった。羽生結弦には日本人だけでなく中国人にも大勢のファンがおり、国際親善でもどれだけ多くの貢献をしたことか。フィギュアスケートで金メダルを獲ったネイサン・チェン(アメリカ国籍・22歳)は父母共に中国人であったが父親がアメリカに留学した後にアメリカで生まれた。今はアメリカの名門イェール大学に在学中で統計学と医学を勉学中だという。スケート一筋でないところが米国流であるが、中国ではどのように見られるのだろうか。オリンピックも国対抗の時代ではなくなってきている・・。
 
2022-02-11 墓のある瑞輪寺本堂
2月12日(土) <代官山の陶芸教室から早々と・・・>
代官山の陶芸教室から早々と3時過ぎに家に帰ってきた。今日は粘土で出来上がっている形状の外側にスポイドでペースト状の粘土の粒を乗せる”いっちん”という作業をやった。この教室の先生がいっちんの名手であるのでこの技法を教えてもらったのだが、意外に上手く、早くできた。ただし、このいっちんが完了したところで写真を撮るつもりであったが、すっかり忘れてしまい記録はなし。今日のコラムにも掲載することができない。その代わりに以前の陶芸教室での最後の作品である「噴水2022」の更なる途中経過の写真を掲載する。「噴水」は未だ各種のテスト中で最終的な完成した姿ではない。また水を吹き出した状態では写真に撮ると意外にLED照明など他の部分が不鮮明となる。そこで噴水なしでLEDを点灯させた写真を撮って表紙の写真とした。またLEDの色を変えるとずいぶん違った雰囲気となるので下に別の色のサンプル写真も掲載してみた。家では陶芸教室ではできないこんなことをしで遊んでいる・・。
2022-02-12表紙掲載
 
2月13日(日) <千利休というと侘茶・・・>
千利休というと侘茶(わびちゃ)の完成者として誰でもが名を知っている。けれども私など逸話を読むと知らないことばかりで改めて教えられることが多い。堺の商家に生まれた千利休(千宗易、1522〜1591)は戦国時代から安土桃山時代にかけて天下人・織田信長や豊臣秀吉の茶頭として仕えるまでに出世した。しかし、秀吉との間に不和が生じ、最後は切腹を命じられた。享年70歳。利休の名は晩年1585年に宮中の茶会に参内するときに正親町天皇から与えられた号で、それまでは千宗易を名乗っていた。「利休」は「利心、休せよ」(才能に溺れず行動せよ)、あるいは、「名利、既に休す」の意とされる。利休は身長180cmほどの巨体であったようだ。堂々とした武士や天下人と茶室で対しても引けを取らなかっただろう。私が最も感心したのは、作法を重んじる茶道の人間でありながら、秘伝というような大袈裟な作法は必要でなく、重要な極意を「自由と個性」としたと伝えられること。千利休の高弟であった古田織部(1544-1615)は大名で立派な武士であったが現代では織部焼を作った芸術家として名が残っている。古田織部は利休に触発されて自由に個性あふれた茶器を制作した。あえて茶碗を歪めて焼成するなどオリジナリテーに溢れた茶器で歴史を作った。ちなみに、古田織部は利休没後、茶の湯の道で名声が天下に轟いたという。しかし、1598年に秀吉がなくなり、1600年関ヶ原合戦が始まると古田織部は徳川家康の東軍につき、後に江戸で徳川秀忠(三男)の茶の指南役までやったにもかかわらず、1615年・大坂夏の陣が勃発すると豊臣方に通じているとの嫌疑をかけられて切腹を命じられた。古田織部は千利休と同じく切腹に際して一言の釈明もしなかったと言われる・・。
2月14日(月) <人間が他の生物と比べて少し進化できた・・・>
人間が他の生物と比べて少し進化できたのは”遊び”が好きだったからでないか、と今開催中の北京での冬季オリンピックを見ながら思う。昔からのオリンピック競技は、早く走る、早く泳ぐ、高く飛ぶ、遠くまで物を投げるなど生活に密着した単純な身体機能を争う競技だった。ところが、今の競技は生活とは結びつかない遊びの要素が非常に多い。スキーボードで思い切り高く飛び上がり体をひねってみたりするのは遊びの極致。カーリングなどはスポーツというよりゲーム。現在世界中で行われるプロスポーツ、野球やサッカーなども本来の楽しい遊びの球技に観客を集めて収益を上げる仕組みとした。生きるか死ぬかの戦いではなく、いわば当面生きるためにはどうでも良い遊びを競うのがスポーツの良いところでもある。人間同士が殺し合うのでなく、遊びとして戦いを楽しむ、そして助け合う。こんなオリンピックの原点を考えると集い、参加するだけで大いに意義がある。国家の威信をかけて競うのでなく人間として最高の遊びを見せてくれる人を応援したい・・。
2月15日(火) <今日は月に一度の東京医療センター・・・>
今日は月に一度の東京医療センター(東京・世田谷区)での検診日。私にとっては総合病院での時間は非日常の連続で貴重な体験ともなる。今日も8時40に家を出て歩いて医療センターへ。9時頃には病院に着いて受付。はじめの採血を終えて注射の場所の受付に行ったのが9時25分ごろ。先に一人の待ち人がいたが直ぐに治療室に入っていった。次は自分の順番だと思っていたら、15分、20分待ってもお呼びがかからない。結局、注射が始まったのは10時5分を過ぎていた。私の場合、注射は5分で終わる。メインの泌尿器科での検診は採血した血液の分析の結果を見てこれまでと大きな変わりなく(PSA数値を見る)問題なしとの判定。これも所要時間はほぼ5分。病院での最後の清算は全病院をまとめた清算場所で行われるので毎回かなりの待ち時間がある。清算を終えて病院を出たのは11時過ぎ。続いて薬局で薬をもらうにも待たされる。歩いて家に帰り着いたのは丁度12時だった。・・病院での待ち時間は想定内で特別の苦情をいうものではない。では待ち時間に何をするか。iPhoneのKindle(電子図書)を読むこともあるが、今日は専ら次の陶芸作品のアイデイアを考えていた。時間がたっぷりあったので具体的な設計図までできてしまった・・。
 
2022-02-15 東京医療センター3Fからみた駒沢公園 右は病院前の交差点からみた駒沢公園方向
2月16日(水) <人間の身体は本当にデリケート・・・>
人間の身体は本当にデリケートにできている。自分が不調であるとこんな当たり前のことを思うが元気な時には気にもしない。1月20日のコラム(=ここ)に書いているが、突然左腕が上がらなくなった。その後、一月末にはテニスの時にトス(左手でボールを上に投げる)ができず愕然とした。近所でマッサージをやってもらったりしたが、一向に良くならない。そこで最近、背骨調整の整体に通い始めたら、少し回復の兆しが見えたところだ。私は四十肩、五十肩で悩んだこともなく、これほど左腕が自由にならないことを経験したことはない。肩に痛みが出る四十肩、五十肩は200年も前に医者が書き残した資料があり「原因がなく痛みが出て、(1~2年もすれば)自然に治る」と記載されているそうだ。整体師の先生によれば腕が上がらない、肩が痛いなどの症状は色々な要素・原因があり昔の四十肩、五十肩でない場合も多いという。私の場合、病名や動かない理由はどうでも良い。どうすれば回復するか、そして再発防止は何をするべきか。ラジオ体操(テレビ体操)の簡単な運動をまともにできない屈辱から早く脱出したい・・。
2月17日(木) <今日は一日パソコンと向かい合い・・・>
今日は一日パソコンと向かい合い、くたびれ果てた。確定申告をe-Taxでやると決めてスタートしたら、はじめは思ったよりも順調にいった。e-Taxは色々と宣伝されるがパソコンやソフトの中身まで左右されるので思うより面倒なケースが多い。今回はi-Phoneで国税庁のパソコン画面に表示されたQRコード(二次元画像)を読み込むなど、i-Phoneとパソコンを合体させて進めるやり方は上手くいった。これは今年から使用された方式で以前はマイナンバーカードを専用のカードリーダーで読み取る必要があったが、マイナンバーカードを一度i-Phoneで読み取り、これをパソコンで受けて次に進むことができる。この辺りまでは楽しみながらやっていたが、以前と同じく国税庁の案内の不可解な箇所を何度も通り抜けているうちに、やる気を無くした。まだ内容をここで紹介する余力はない。今日はとにかくも早く寝て元気を回復したい・・。
2月18日(金) <昨日はe-Taxによる確定申告の最後の送付ができず・・・>
昨日はe-Taxによる確定申告の最後の送付ができずに挫折したが、今日の午前中には解決して一件落着。パソコンの中で完成した申請書類を国税庁へ送る際に、まずパソコンに表示されたQRコード(二次元バーコード)をi-Phoneのマイナポータルというアプリ(事前にダウンロード)でi-Phoneに読み込む。そうするとマイナンバーカードの「署名用電子証明書の暗証番号」をi-Phoneの所定の場所に記入することを要求される。昨日はこの暗証番号がどこにも記録がなく、しようがないので今日区役所(出張所)で暗証番号の再設定を行った。登録したばかりの暗証番号を記入するとパソコン側で次のステップに進む。マイナンバーカードをi-Phoneでスキャンするなどして完了させると、次にもう一度本人確認のためパソコンに表示されたQRコードを同じくi-Phoneのマイナーポータルで読み込む。すると今度は「利用者証明用電子証明書の暗証番号」を書き込むことを要求される。これがOKとなると再度マイナンバーをスキャンしてパソコンに伝達し、次のステージに進み国税庁への送付が完了する。以前はマイナンバーカードを読み込む専用のカードリーダーが必要であったが今年からはi-Phone(一般的にはスマホ)があればe-Taxができると宣伝されているが「暗証番号」が確実に分からないと進めない。ちなみに「署名用電子証明書の暗証番号」は6〜16桁の英字と数字、「利用者証明用電子証明書の暗証番号」は4桁の数字。マイナンバーカードの暗証番号といっても一つではない。こんなお役所のシステムに付き合っていると脳トレになるのは確かだろう・・。
2月19日(土) <午前中は左腕の整体・・・>
午前中は左腕の整体(リハビリ)に通い、続けて代官山の陶芸教室で陶芸に励み、帰宅は夕刻。というと単純だが陶芸教室では思わぬハプニングがあった。今年1月まで通っていた自由が丘の陶芸教室では有り得なかったことだが、今の教室では陶芸作業を行う部屋の隣がギャラリーになっており、陶芸と関係ないことに活用される。今日は「ぶつぶつ交歓市」と称して古道具、食器、本、古着などを販売・交換する催し(フリーマーケット)を開いていた。もちろん、陶芸教室のメンバーにも出展したり購入したりすることが期待されている。こちらは関知せずと陶芸に集中して作業をしていると、”3時からライブコンサートがあります”と声がかかった。私はそれでも陶芸は粘土が乾く以前にやるべきことがあるので中断できないのだと、しばらく作業を続けたが、陶芸の部屋には誰もいなくなって隣で声が聞こえ始めたので顔を出した。ギターを抱えた女性シンガーが50年前の懐かしのカントリーウェスタンを歌っている。観客は10数名で男性は私を入れて二人だけだった。歌手の女性のしゃべりで分かったのはこのライブコンサートはTouTubeで同時に外部に配信されているものだった。陶芸教室で思わぬライブを聴くというハプニングもこの教室だからできる。結果的に今日の陶芸作業が予定以上に順調に進んだから余興もまたよしとする・・。
2月20日(日) <東京は終日雨の日曜日・・・>
東京は終日雨の日曜日。早朝(6:25~7:00)のNHK俳句のテレビ番組で題が「涅槃(ねはん)」の俳句が紹介されていた(選者=岸本尚毅、司会=中田喜子)。ここで私は俳句とは関係なく「ねはん」という漢字を完全に覚えた。涅槃の「涅」の字は、「水底によどむ黒い土」、「涅色 (くりいろ) =黒」、「黒く染める」などの意とされるが、涅槃以外にほとんど見ない。この文字は、水と太陽(日)と土からできていると気がついて一人で納得した。もちろん、涅槃は本来はサンスクリット語の音を漢字に当てただけはある。煩悩や執着を断ち切り、繰り返され輪廻転生からも解放されて完全な静寂、自由、最高の幸福の状態となるのが涅槃。「水ー太陽ー土」の宇宙スケールの文字は涅槃に相応しくも思える。それにしても、釈迦の入滅を描いた涅槃図や木造釈迦涅槃像、海外では巨大な釈迦が横たわった涅槃像などを見る機会はあるにしても、俳句の題として「涅槃」が示さたのには少々驚いた。ところが「涅槃」に対して応募した皆様の俳句は素晴らしいものばかり・・。
2月21日(月) <2月に入って一度もテニスなし・・・>
2月に入って一度もテニスなし。1月末に突然左腕が上がらなくなり、その後リハビリに努めているが未だ完治しないので今日もテニスは休みとした。月曜日はこれまでテニスをすることが多かったが、後一週間は自重するつもりだ。整体治療に通っていることもあり、当初と比べるとかなり腕が上がるようになったのは確かだがまだ違和感が残る。今日は久しぶりに駒沢公園まで歩いて行った。以前は毎日のように散歩で駒沢公園に行ったものだが、数えてみると今日は11日ぶりであった。これほどウォーキングを欠かしたことは最近は記憶にない。久々の駒沢公園は何か新鮮に見えた。コロナ感染の影響で人影は非常に少ないが逆にゆとりのスペースが強調されて贅沢感がある。今は左腕が不自由でも歩くのには何も支障がない。早足で4.5kmほどを歩けることを幸いと思いたい・・。
 
2022-02-21 駒沢公園にて 上=体育館 下=陸上競技場  右は梅園の梅
2月22日(火) <今日は、2022-02-22・・・>
今日は、2022-02-22。2の数字が6個並ぶのは、1222-02-22以来800年ぶり(もちろん日本では1222年は平安時代中期で西暦はない)。この記念すべき日に掲載する特別のネタがないので、噴水の写真を表紙に掲載することにした。これまで水を吹き出す写真を撮ると陶芸作品としての詳細が見えないので、水なしの写真を掲載してきたが、今回は水の上に浮草までのせた。LEDを点灯しない写真を下に掲載したが、LEDの有無には好みがあるだろう。私はLEDがない方がシンプルでいいような気もする。今現在、この噴水は我が家の居間で稼働中だ。居間には加湿器を置いているが部屋の湿度が30%ほどにしか上がらないので噴水で加湿を手伝うという次第。それでも折角完成した噴水が加湿器代わりでは可哀想なのでその内に玄関周りにでも設置してやりたい・・。
 LEDを点灯しない状態の噴水
2月23日(水) <肉まんを三時のおやつ・・・>
肉まんを三時のおやつで食べた。肉まんを電子レンジを使って蒸し器で蒸すのと同等の美味しさにできるやり方をテレビで見た妻が早速にやってみてくれた。肉まんの下に敷いてある敷物(紙)を外して少し水を入れたコーヒーカップの上に肉まんを乗せてサランラップを密封しないように被せる。これだけで電子レンジで1分半余温めて終わり。私は味を鑑定することはできないが極めて短時間で美味しい肉まんができたのは確かだ。・・こんなおやつ時間がとれるのはゆとりのある日である。おやつ時の前には駒沢公園に散歩にも行った。ゆとりがあると駒沢公園でも写真を撮りたくなる。今日は駒沢公園オリンピック記念塔(昭和39年・1964年東京オリンピックの第二会場) の前にある池の南北両方向から見た写真を撮影した。北海道では大雪との情報であるが東京では春の兆しを感じる・・。
 
2022-02-23駒沢公園 上=南から撮影 下=北から撮影  左の花は松葉海蘭(うんらん) 右は梅
2月24日(木) <表紙に「ハガキ絵作品・無題」・・・>
表紙に「ハガキ絵作品・無題」(ペン、色鉛筆、水彩)を掲載した。久々の「ハガキ絵作品」。昨日、自分のホームページを見直していて、今年は絵の作品をわずか一枚しか描いていないことに気がついた。確かに今年制作した陶芸作品「噴水」を構造や仕掛けまで含めて色々掲載したが、「絵」はわずかに孫娘Miyuへの絵手紙一枚だけだ。これまで2ヶ月に一枚の絵作品なんて言うことは一度もない。考えてみると、絵手紙を送る相手である孫娘 {Miyu)はもうボストンの大学の寮に入り独り立ちしている。娘(Naho)はニューヨークで頑張っているが、いわば絵手紙で元気付ける相手ではなくなった。絵手紙を毎週のように送って励ます相手がなくなった訳だが、ハガキ絵は絵手紙に限られる訳ではない。絵手紙でなくて思う存分自分で絵を描くことはもちろん悪くはない。そこで出来上がったのが今日掲載した「ハガキ絵作品」。今日の昼食事に”よし、何がなんでも今日ハガキ絵を描く”と決心した。テーマも目的も何もなし。色鉛筆(水で溶けるタイプ)、色付き(10色)ボールペン、水彩道具を集めて、全く何も考えずに白いハガキ用紙にペンを走らせた。ただ色を変えて丸を描く・・。宇宙を描くか、細胞をイメージするかなど頭の片隅をよぎったが、無心で手の動きに任せてハガキを埋めた。題名は「無題」しかない。最近はただ細密に具象画を描くのも面白くないと思うが、抽象画も簡単ではない。今日の作品はとにかくも「描く」ことを再開させるための第一弾ととらえたい・・。

2月25日(金) <朝から快晴、しかも風もなし・・・>
朝から快晴、しかも風もなし。これ以上ないというテニス日和に久々のテニスをスタートさせた。一月末に左腕が上がらなくなる事態になり、これまでにない惨めな身体を回復すべくリハビリに努めてきた。今日は一大決心をして少々左腕に違和感が残るが2月に入って初めてのテニスを試みたのだ。結果は全く問題なし、存分にプレーを楽しんだ。たかがテニスではあるが、ただの運動とかゲームだけではなくテニス仲間との交流も大きい。この20年ほどのテニス仲間をスマホ(iPhone)のメモに名前を書き込んでいるが、ざっと見るだけで50人ほどに達する。既に亡くなった人の名もあるが、会社社会以上に多くの人と”付き合い”があったと今更ながら思う。・・今朝テニス場の開門直前に撮った「雀(スズメ)」の写真を下に掲載した。テニス仲間の一人が雀にエサを与えて続けていたところ、多くの雀がその人目当てに集まってくるようになった。今日の雀の数、三十羽ほど。雀もカラスと同様に人物を識別するのだろうか・・。
2022-02-25am8:47 神宮外苑テニス場の入り口にて
2月26日(土) <今日は昼食後、渋谷行きのバス・・・>
今日は昼食後、渋谷行きのバスに乗り、大坂上(渋谷の手前)から歩いて代官山の陶芸教室に行った。徒歩20分ほどであるが、この間に懐かしい散策を楽しんだ。私としては8年前に今の住居に転居する前、50年間以上、恵比寿〜代官山地区に住んでいたので、この一角は思い出多い場所だ。西郷山公園には犬を連れて良く通った。今日、久しぶりに行ってみるとほとんど変わっていない。中央には以前と同じ河津桜が咲き始めていた。今年初めての桜だ。公園の向かい側にあるマレーシア大使館も懐かしくて思わず写真を撮った(下に掲載)。確か、このホームページに描いたマレーシア大使館の絵を掲載した覚えがあるので調べると2006年9月30日の絵であった(=ここ)。この頃は、「ご近所スケッチ」で代官山周辺の絵を色々と描いていた。昔のスケッチやコラムをホームページでみるのも久々で、これでもまたリフレッシュされる。昔の思い出ばかりでは気がひけるので、今日、陶芸教室で制作途中の「器」の写真も下に掲載した・・。
 
2022-02-26 西郷山公園(目黒区青葉台)中央に河津桜+河津桜のアップ
 
2022-02-26 マレーシア大使館     粘土で制作中の「器」
2月27日(日) <ロシアがウクライナに一方的に軍事侵攻・・・>
ロシアがウクライナに一方的に軍事侵攻するという歴史に残る事態がどう展開するか分からぬままに、日本ではいつもと変わらぬ日常を過ごしている。日本での平和の有り難さを思う一方で、現代でも武力で理不尽な制圧を試みる独裁権力者が存在する現実に多くの人が気付かされただろう。「ニュース速報」がコロナ感染者のニュースであるのでホッとするのも妙な話である。新型コロナウィルス感染対策のマスク生活も随分長期に及んでいる。三密(密集、密接、密閉)を回避する習慣を続けながら、人間は本来は「密」で活性化することを教えられる。今日、駒沢公園に行くと久々に広場でフリーマーケットが開催されており賑わっていた。日曜日にある程度の人が公園に集っているだけでホッとする。今日は駒沢公園内の陸上競技場を使ってラグビーの試合が開かれていた。入り口での写真を下に掲載したが、写真にある「Black Ram's Tokyo」は東京・世田谷を本拠地とする「リコーブラックラムズ東京」のチーム名で、勇猛果敢なファイティングスピリットを持つ雄羊(ラム)をチーム名としたことを知った。外出によって 、このような別世界に接することもできる・・。
 
2022-02-27 駒沢公園中央広場  右はラグビーが開催されている陸上競技場の入り口
2月28日(月) <朝から東銀座にある整体院・・・>
朝から東銀座にある整体院で左腕のリハビリを行った。治療はともかくとして中目黒駅から東銀座駅に行く地下鉄・日比谷線の中で色々な思いが去来した。日比谷線は以前、良く利用したが、最近はほとんど使用する機会がない。この路線で思い出深いのは、花見と美術館。新型コロナウィルスの感染が問題になって以来、花見にも美術館にも行けない。そこで地下鉄の各駅ごとに思い出をたどってみた。まず、中目黒駅は目黒川沿の桜、恵比寿駅は山種美術館(少し歩けば白金の庭園美術館)、広尾駅は有栖川公園や聖心女子大学の桜、六本木駅は国立新美術館、サントリー美術館、神谷町駅は智美術館(菊池寛実記念)、大倉集古館、霞が関駅は官庁街で桜も美術館もないがお濠端の桜の名所・千鳥ヶ淵まで歩いて行くことはできる。日比谷駅は出光美術館、銀座駅は多くのギャラリーというべきか、東銀座駅は「歌舞伎座」で十分だろう。地下鉄の東銀座駅から歌舞伎座の地下にそのまま入って整体に行ったので、歌舞伎座地下の写真を撮った(下に掲載)。そう、今日は二月の最後、明日からは三月。ひな祭りも近い。・・そろそろ美術館にも行きたくなった。今年は家の側だけでなく花見をしてみたい・・。
 
2022-02-28 歌舞伎座の地下      右の雛壇も歌舞伎座の地下

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