「今日のコラム」(2021年 9月分)

9月1日(水) <9月になった途端に涼しくなった・・・>
9月になった途端に涼しくなった。昨日までは夏日とか熱中症に気をつけろとテレビで報じられていたのが今日の気温は21~24℃。朝一番で近所の歯科医に行った時も、あいさつは””涼しくなりましたね”。歯医者さんといっても歯周病の予防、歯垢の除去程度で今日は15分ほどで終わってしまった。この年齢でほとんど自分の歯で食事ができるのは素晴らしいですよと妙な褒められ方をされた。曇り空ではあったが雨は降っていないので、午後は駒沢公園までウォーキングをした。8月29日(日)のコラムでサルスベリの花を話題にしたばかりだが、今日はサルスベリの大樹の写真を掲載する。駒沢公園の南西の入り口近辺にサルスベリ(百日紅)の樹が何本も並んでいる場所がある。面白いことに正面から見ると華やかに花を咲かせている風景であるが裏に回るとサルスベリ独特の枝ばかりとなる。花が散れば、その後、枝だけでも見栄えがするのがサルスベリの良いところだ・・。
 
2021-09-01 駒沢公園(東京・世田谷区)にて 右は裏から見たサルスベリ
駒沢公園の中央広場にはほとんど人がいない
9月2日(木) <朝から冷たい雨・・・>
朝から冷たい雨が降り続く。10月の気温と報じれているが、8月末までの猛暑が嘘のようだ。今日、9月2日は特別の日。妻の誕生日、そして息子の月命日でもある。
娘の家族から誕生日祝いの花が届いていたので私が陶芸で作った花器に入れた。娘の飼っている犬のクーちゃんの模型も陶芸で作っていたので、これも横においた(下に写真、陶芸コーナー=ここ=参照)。では、私からの誕生日祝いをどうするか。今時、外での豪勢な食事は自粛するとし、適当なプレゼントも見つからない。妻はこのところ少々過労気味で何より余分な負担をかけないことと、体調改善が必要と、モノのプレゼントはないが、長期的なバックアップをするつもりだ(普段は買わない高級パンを一緒に食べたりはしたが)。実際の話、毎日三食の食事を作って貰うだけでどれほど有難いかなど妻に感謝する気持ちがますます強くなっていく。周囲に奥様を亡くした友人、知人も多い。健康第一は独りでの話でなく連れ合いが絡んでくる。息子の墓参りも天気が回復した時に妻と一緒に行くことにして、今日は私だけがウォーキングの運動を兼ねて九品仏浄真寺まで歩いて行って墓参をした。雨のお寺の境内もまた風情があった・・。
 
2021-09-02 娘家族から妻への誕生日プレゼント  右は九品仏浄真寺(東京・世田谷区)境内
9月3日(金) <今日も10月中旬の涼しい気温・・・>
今日も10月中旬の涼しい気温。朝から雨が降り続くので駒沢トレーニングルームにはバスで行った。バスでは四つめの停留所が最寄り。いつもは20分ほどかけて歩いて行く。駒沢公園までバスで行ったのは初めてかも知れない。トレーニングルームで約1時間半ほどの筋トレをやり、歩いて往復すると普通は必要な1日の運動量は十分に満足する。ところが、今日はバスを使ったこともあり、AppleWatchの運動量を計測するソフト(アクテイビテイのエクササイズ)で見ると15分ほどの運動量にしかなっていない。
腕を大きく振って大股で歩く運動は相応に認定するが、脚や腕に重い負荷をかけてゆっくりと動かす筋トレはほとんどエクササイズとは認知していないようだ。心拍数の増大を目安にしてカウントするのかも知れない。AppleWatchの数値を気にするのも妙な話ではあるが、本日の運動量ノルマを完成させるために、これから我が家にある運動機器を使ってエクササイズを積み増しすることになりそうだ・・。
このところ問題と思っているのが絵手紙など絵を描くことが全くできていないこと。2ヶ月以上新しい作品が描けていない。描けない理由をあれこれ並べても意味はない。この際、初心に返ってアウトプット(成果)を出したい。外出を自粛しなければならない今こそ本来は描く時間がとれるチャンスであるはずだ・・。
9月4日(土) <表紙に「ペンスタンド・時計付き」(陶芸作品)・・・>
表紙に「ペンスタンド・時計付き」(陶芸作品)を掲載した。今日、陶芸教室に行くと焼成が完了していたので家に持ち帰り、以前から準備してあった時計類を組み込んだ。表紙に掲載したアナログ時計の他、デジタルの時計や温度計を他の側面に取り付けている。デジタルの時計(陶芸コーナー=ここ=に掲載)はバイクに取り付けるために防水の小型時計をインターネットで購入して使用した。このデジタル時計には温度も同時に表示される。表紙に掲載したアナログの嵌め込み式時計もネットで簡単に購入できた。両方とも価格が驚くほど安い。更にアナログ式温度計も別の横面に貼り付けたが今は部品が安価なので好みによって何でも取り付けて遊べる。陶芸を粘土で制作を始める段階から時計類の寸法を決めていたが問題は焼成することによって粘土で制作した寸法がかなり収縮すること。収縮率を少し多めにみたので楽にはめ込むことができたが逆に少し隙間が多いという微妙な結果となった。陶芸の歴史は超長いがこのような現代でないとできない技術との組み合わせもできるところが陶芸の面白いところでもある・・。

9月5日(日) <台所の流し台でカレー皿・・・>
台所の流し台でカレー皿を洗ったところ流し台にカレーの黄ばみが残ったので清掃を試みた。拭いても取れない・・。妻がいない時だったので、食器用の洗剤や重曹、超電水など目に付くものを片っ端から使ってアレコレとやってみたが信じられないほど強固で黄ばみが取れない。ところが妻が帰宅して話したところ流し台はプラスチックなので塩素系の洗剤で脱色しないと綺麗にならないと平然としている。やってみると、あれほど苦心して除去できない汚れが直ぐに取れてしまった。何でもカレーの香辛料のターメリックの色素が黄色でプラスチックや衣服に付着した場合、塩素系の漂白剤なら色を落とせるという。これほど酸素系と塩素系の違いを見せつけられたのは初めてだった。いかに日頃台所の清掃と疎遠であったかが証明されてしまった。・・この騒動の後、私は全く別の思いつきをした。カレー(ターメリック)の黄色を画用紙に落として絵の一部としたらどうだろう・・。実は絵手紙で早速に試みたのだが、色としてインパクトがないのでやはり絵の具で補足して「カレー」は生かせなかった。この絵手紙は追って掲載の予定だ・・。
<明日から伊豆方面に小旅行。休養のための旅としたい>
9月6日(月) <今、伊豆高原の宿・・・>
今、伊豆高原の宿にいる。妻の姉夫妻との久々の旅行。不要不急の外出を自粛する時節、遠慮がちに車で宿にたどり着いた。義兄は85歳であるが何でもできる。無理はしないで静かに英気を蓄える旅としたいが、義兄に引っ張られて動き回ることにもなりそうだ・・。。宿から見た海の風景を下に添付する。
 
2021-09-06 伊豆高原から大島を見る
9月7日(火) <今日は大室山・・・>
今日は大室山に登った。登ったといっても二人乗りのリフトに乗れば数分で山頂まで連れて行ってくれる。大室山は静岡県伊東市にある標高580mの火山で伊東市のシンボル的存在でもある。約4000年前の噴火で形成されたとされる死火山(?)。今は山頂に着くと火口を見ながら1.3kmほどの火口の縁に整備された遊歩道を一周することができる。今日は時に陽光を浴びながら義兄夫妻とゆっくりと歩いた。海の景色、火口の緑など非日常を楽しんだ。もちろん、山頂歩きでも、他でも、マスクを着用し、”密”とならないように注意していることは言うまでもない。今晩ももう一泊ここ伊豆高原に宿泊する・・。
 
2021-09-07 大室山の火口  右は大室山山頂から見た海
9月8日(水) <今日の夕刻、東京の家に無事帰宅・・・>
今日の夕刻、東京の家に無事帰宅した。伊豆高原では二泊したが、一緒に行った義兄夫妻は二人とも80歳半ばなので無理をしないことを第一としてゆったりと行動した。私は朝食前や夕刻に独りで1時間近く宿の近辺を歩くなどしてマイペースで運動量を確保。それぞれに非日常を十分楽しむことができたと思う。今回の旅行ではやはり「新型コロナ感染防止の非常事態下」であることを痛感させられた。ホテルのエレベーターでは女性が独り先に乗り込んで私が乗るのを拒まれたこともあった。そういう経験を含めて、「不要」なものではなく、意味ある旅行であったと信じたい・・。
 
2021-09-08 帰途に立ち寄った伊豆マリーンタウンにて
9月9日(木) <朝から雨・・・>
朝から雨が降り続く。昨日までの三日間、旅行中は一度も雨に遭わず陽光を浴びた。旅行の前の日まで雨、そして今日も雨。一緒に旅行に行った義兄を”晴れ男”として持ち上げるが、こういうこともある・・ 。
今日の表紙には久々に「絵手紙」を掲載した。「無題」というタイトル。旅行前の9月5日のコラム(=ここ)で書いたように、初めはカレーの香辛料ターメリックの強烈な付着力を使って、絵手紙用の紙に黄色い色をつけて絵を描いてみようと思ってスタートした。ところが、やはり黄色の染(しみ)では思うような絵にならないので、水彩絵具を乗せて自由に図柄を描いた。スタート部分は左の下の部分だが絵の具を塗った後はカレーの匂いはしなくなった。何でもいいから色を塗って絵手紙にできるのは嬉しく、有難いことだ。娘の Nahoさんが今ニューヨークに住んでいるのでこういうことができる。上手、下手、深い意味など考えずに存分に絵手紙ならば描ける。今しか出来ないかも知れないと思って、これからもどんどん描こう・・。

9月10日(金) <久々の青空と太陽・・・>
久々の青空と太陽。東京では最高気温29℃となった。昨日までは一週間以上雨や曇天続きで10月中旬の気温と言われたのが、今日は最後の夏の風情。・・ウォーキングはいつもの駒沢公園方面ではなく墓のある九品仏浄真寺に行った。駒沢公園は家から北に向かうが、九品仏は真反対の南(〜南西)へ行く。九品仏浄真寺では父母の墓の場所に息子も一緒に葬っているので月に一度以上墓参に通っている。今住んでいる家(借家ではある)から墓のある寺まで歩いて行くことができるのも奇跡的な偶然の結果であって毎回墓参りの時には。この幸運にも感謝を伝える。コラムにも何度境内の写真を掲載したか分からないけれども、その時々の季節で雰囲気が変わるし、境内を歩くだけでも気分が癒される・・。
 
2021-09-10 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)境内にて<左のカヤの木は東京都指定天然記念物>
9月11日(土) <今日は9.11の日・・・>
今日は9.11の日。20年前のこの日、アメリカで同時多発テロが起きた。世界貿易センタービルに航空機が激突しビルが崩れ落ちる様をテレビの生の映像で見た衝撃は今も忘れることはできない。個人的にはその夜たまたま娘家族が来宅しており、事件の進捗を見ながら帰るに帰れなくなったことなどを思い出す。その時赤ん坊だった孫娘は今や立派な大学生だ。・・11日は義兄の月命日でもあり、今日は妻と谷中の瑞輪寺に墓参りに行った。寺から歩いていけるフランス料理店でランチにする行事を組み込んで今日はまた特別な日となった。妻が比較的元気を取り戻したこともあり、帰途に新宿のビッグカメラ店に寄り、アップルのサービスコーナーからユニクロ、GU(=衣料品が驚くほど安価、ユニクロ系)などを巡り、さらに都立大学駅で買い物をする勢いだった。運動のためのウォーキングなど一切なしで歩数は1万歩近くになり今日の必要運動量は十分に達成してしまった・・。
 
2021-09-11 谷中の商店の屋根飾り  右は 瑞輪寺本堂の屋根下
9月12日(日) <表紙に「NAHOさんへの絵手紙・無題2」・・・>
表紙に「NAHOさんへの絵手紙・無題2」(水彩画)を掲載した。これは前の「無題」と同時に描いた抽象画。これまで2ヶ月間も娘への絵手紙が絶えていたので描くのならば何でも描きたいと絵の具だけを塗り込んだ。この後にも絵手紙を描いており、呪縛がとれたような気分で筆が進む。それにつけても、十二指腸癌や膵臓癌を克服して膵臓と脾臓を全て摘出したという建築家の安藤忠雄さんが元気いっぱいにテレビで過保護に育てられた今の若者はダメだとコメントし続けるのを見たり、柳宗悦、梅原龍三郎、横山大観など錚々たる人物を罵倒して自らの存在を誇示した傲慢不遜な北大路魯山人を思い起こして、功なり名をとげた”芸術家”とはどんな存在なのか頭をひねる。今、世界で注目されるバンクシー(路上芸術家)やカウズ(アメリカの現代美術家)らは他人を批評するのでなく我が道を貫いている。一概に”芸術家”と呼ぶのが間違いであらゆる人間と同様に個々人の考え方と人格の問題であろうが・・。

 
2021-09-12 駒沢公園(東京・世田谷区)にて
9月13日(月) <歩き続ける彼岸花咲きつづける・・・>
「 歩き続ける彼岸花咲きつづける」(種田山頭火)。俳句ほどに群生しているものでないが今日、散歩の時に今年初めて道端で彼岸花を見た(下の写真)。考えてみると「彼岸花」は随分と特殊な花だ。秋の彼岸の頃に咲くので彼岸花の名は分かるが、俳句などではほとんど「曼珠沙華」の別名が使われる。曼珠沙華は釈迦が法華経を説かれた際に天から降った花(四華)の一つとか、天上の花の意味とされるが、この花には更に多くの異名がある。墓の周辺に多く見られるので葬式花、墓花、死人花、幽霊花など不吉な名前ばかりで何か可哀想な気もする。開花時に葉がなく花と葉を同時に見られないという珍しい特徴があるので「葉見ず花見ず」とも言われるそうだ。とにかくも、彼岸花を見ると「秋」を感じる・・。「曇り日は眼しづかに曼珠沙華 」(山口誓子)、「曼珠沙華”末期(まつご)の眼”こそ燃ゆる筈を」( 中村草田男)<"末期の眼"は川端康成の著書にあり、芥川龍之介の遺書にも記された言葉。死を覚悟した時全てが美しく見え感謝すること。”あきらめた時美しく見えるこの世”と川柳で表現した人もいる>・・・。
2021-09-13
9月14日(火) <昨夜は珍しく帰宅時間が遅かった・・・>
昨夜は珍しく帰宅時間が遅かったので今朝の6時25分からのテレビ体操はお休みとして7時過ぎに起床した。普段はテレビ体操の1時間前には起きているので、自宅にいてテレビ体操をやらなかった記憶はほとんどないが・・。朝食はこのところ(=夏場はということ)ベランダ横のサンルームに机を置いてとる。今朝もベランダ花壇には百日草が元気に咲いており気持ちよく食事をした。この百日草は夏の初めから花を咲かせている。7月のコラム(=ここ)にも百日草の写真を掲載しているが今日も写真を撮ったので下に掲載する。まさに100日間も花を咲かし続ける生命力には感動。サルスベリの花が夏場に長期間咲くので「百日紅」の漢字が当てられることを思い起こす。園芸種の花としては百日草は大当たりだった。ただ、百日草は一年草。来年はどうするか考えなければならない・・。<昨夜は東京タワーの側を車で通ったのでその時の写真も下に掲載する>
 
2021-09-13 21:46東京タワー  2021-09-14ベランダ花壇の百日草
9月15日(水) <今日は1日積極的に身体がよく動いた・・・>
今日は1日積極的に身体がよく動いた。朝のゴミ出し・道路掃除から始まり、 朝食後いつもはやらない部屋の片付けから掃除、これまで敬遠していた陶芸作品のやり直し作業に至るまで何でも手を出した。午後は陶芸教室で大物作品の釉薬掛けを一気にやり終えて今帰ってきたところだ。なぜこれほどまで元気があるかははっきりしている。今朝、起きた時にAppleWatch~iPhoneの昨夜の睡眠分析で初めて「睡眠の評価」が100%を記録したのだ。これまでの私の特徴は深い睡眠が短いことだった。15分から30分、45分が多く、ゼロと判定されたこともある。それが昨夜は深い睡眠2時間30分を記録して他の良質な睡眠、心拍数などと合わせて睡眠評価が100%となった次第。このような計器の評価でやる気が出るのだから、我ながら単純と言おうかおめでたい。やる気が出た時には、何事でもうまくいかなければやり直せば良いと、できない理屈を考える前に先ずやってみることができる。失敗を許容することができれば仕事が捗る。余計な心配事がないとその日もぐっすりと眠ることができるだろうが・・。
9月16日(木) <銀杏(ぎんなん)が 落ちたる後の 風の音・・・>
「銀杏(ぎんなん)が 落ちたる後の 風の音」(中村汀女) 。今日の午後、妻と息子の墓参りに行ったところ、お寺の境内にある大イチョウの木に銀杏(ぎんなん=イチョウの実)が鈴なりだった。昨日、9月15日が息子の誕生日だったことなど妻と話をしながら墓参りをしたのだが、息子は生きていれば52歳(今更、歳を数えてもしようがないが)。今日はお墓にある満天星(ドウダンツツジ)の剪定、周辺の掃除などたっぷりと時間をかけて綺麗にしてから線香に火をつけた。冒頭にあげた俳句ではイチョウの実である銀杏(ぎんなん)は秋の季語であるが、「イチョウ」や「大銀杏(大イチョウ)は樹木とみて季語にならないという。一方、「銀杏(イチョウ)散る」は秋の季語とか。俳句の世界は面倒なものだ。墓のある九品仏浄真寺(東京:世田谷区)の大銀杏の樹は天然記念物に指定されている名木で私たちは機会があれば”落ちたる銀杏(ぎんなん)”を拾って帰る。今日は落ちた銀杏はまだ硬く、これから山ほど落ちてくるのだろう。お彼岸の頃にでもまた墓参りをしに来て、銀杏(ぎんなん)拾いをやろうか。 「銀杏の落つるを待ちて拾ひけり」(菊地まさを) ・・。
 
2021-09-16 九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて 右は鈴なりの銀杏(ぎんなん)
9月17日(金) <表紙に「四角皿」(陶芸作品)を掲載・・・>
表紙に「四角皿」(陶芸作品)を掲載した。この作品については複雑な思いが交差する。何でもない皿だが数日前に陶芸教室で完成品を見た時には釉薬の仕上がり具合が今一つ納得できない。家に持ち帰ると妻はそのままで風情があっていいと言ってくれた。少々迷ったけれども、私は少しだけ釉薬を上塗りして家の窯で再焼成した。ところが恐らくは焼成温度が教室での設定と若干異なっていたこともあるだろうが思ったほど改良したとも思えない。写真で比較すると、むしろ初めの方が自然にも見える。それではと開き直って思う存分に遊ぶつもりでまた釉薬をやり直して再再焼成をして出来上がった作品だ。緑の部分には青いガラスの粉を振り撒いたりもした。ここまでくると、もう言い訳はしない。学んだことは恐る恐る遠慮がちに行動すると結果にもそれが現れるということ。思い切りよく表現をするのが一番と言い聞かせる。妻からはどうせ作るなら4枚セットのお皿にして欲しいと注文が出た・・。

9月18日(土) <台風14号の接近に伴い朝から土砂降りの雨・・・>
台風14号の接近に伴い朝から土砂降りの雨が降り続いた。東京では珍しいほどの豪雨だった。午後になって急に収まってきたけれどもまだ油断できない。この台風、九州の西で2~3日停滞した後、東に向きを変えて、福岡に上陸、さらに愛媛に再上陸して四国を横断、そして紀伊半島を通過して太平洋上を日本列島に沿うように進んでいる。東京でも今晩にかけてまだ要注意とされている。・・昨日、表紙に陶芸の皿を掲載したが来月に陶芸の展覧会が開催されるので、昔の作品を含めて「陶芸作品集」を整理しながら感無量となった。20年以上前に退職した時、妻に勧められて始めた陶芸だがすっかりハマり込んだ。三次元の造形が性に合っていたこともあり、かなり好き勝手な制作をやらせてもらった。陶芸教室の男性会員はしばしば奥様から家に置く場所がないから陶芸の作品は持って帰らないでくれと言われる話を聞く。私は役に立たない作品群を文句を言われず保管できるだけでも恵まれている。一方で他人にあげて今は手元にない作品を写真で見ると、こんなものまで作ったのだと懐かしくなるものも多い。今更ではあるが誰もやったことのない創作を試みる自由さは何ものにも変えがたい。保管場所さえあれば、どんな形になろうが文様がどうであろうが誰にも迷惑をかけない。これからは他人の評価など雑念に惑わされず自分のアイデイアを実行するエネルギーを生み出すことだろう・・。
9月19日(日) <台風一過で朝から・・・>
台風一過で朝から気持ちよく晴れ上がった。やはり天気が良いと外に出たくなる。駒沢公園に行くと大勢の人が周囲のコースでランニングをしていた。いつもは通らない駒沢通り沿いの道に行くと、先週のコラム(16日=ここ)でも書いた「銀杏(ぎんなん)」が道路いっぱいに落ちて歩けないほどだった(下の写真)。更に、道端には彼岸花(曼珠沙華)。すっかり秋の風情だ。・・毎年、秋の時節に開催される大学の同窓会を今年は中止するとの連絡が入った。新型コロナの感染が終息しない状況では仕方がないだろう。中止の通知と一緒に10数人の近況を書いた印刷物が同封されていた。皆がそれぞれの事情を抱えながら元気にしている様子。平均寿命を超えた自分をアピールした人もいたが、今は平均寿命がそれほどに高いことを再認識もした。今現在、一人で散歩はできるが友人と気楽に会えない。私は少人数で会うのは全く平気だが他人の感覚が各自で異なるので声を掛けるのを遠慮してしまう・・。
 
2021-09-19 駒沢公園(東京・世田谷区) 落ちた銀杏で埋め尽くされた道と彼岸花
9月20日(月) <今日は「敬老の日」・・・>
今日は「敬老の日」。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことが趣旨とされるが、今や老人の概念が昔と一変している。敬老の日の前段の敬老会ができた当時(1947年)は55歳以上を老人の対象としたそうだ。今では55歳はまだ現役。医療制度によると、65歳から74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼ぶが、日本ではこれも実態に合わない。日本では実に平均寿命が、男性=81.64歳、女性=87.74歳であるという(2020年厚労省)。この驚くべき数値は”平均”である!老人がどのように社会で存在し続けるかは非常に難しい問題だ。これまでに多少なりとも”貢献”したのだからといって後は何もしないで膨大な医療費を消費しているだけであれば生きている意味がない。ボランテイアなり、口出しをしない影の仕事は良いとして、老人がのさばり過ぎる社会は若者が力を発揮できなくなる。今はあまり言われなくなったが「老害」は深刻な現実でもあろう。ほぼ平均寿命に達した自分の感想をいえば、年齢は勝手に年月が経過しただけであって何も特別なことではない。平均寿命と言われても、まだやりたいように動き続けられる幸運を感謝するのみ・・。一律に長寿を祝うのであれば、いっそのこと100歳に達した人にお祝いをあげるのはどうだろう・・。
9月21日(火) <月に一回の病院での検診・・・>
月に一回の病院での検診の日。毎度同じだが、始めに採血。1時間後には血液検査1、生化学検査(A)、免疫血清検査2の検査結果が出るので、その結果を見ながらお医者さんの診断を受ける。ポイントであるPSA値は6.61でこれまでの最低値。PSA(=prostate specific antigen/前立腺特異抗原)の正常値は4.0以下であるので、”もう少しですね”と言われた。初めての検査(15ヶ月前)では450であったのが、一度薬を飲むと激減した経緯がある。4.0以下にはならないが病気の感覚はない。病院である東京医療センターはいつも散歩に行く駒沢公園の隣にある。今日は注射をする5階のフロアから駒沢公園方面の写真を撮る余裕もあった(下に掲載)。ウォーキングでこのような病院に通えることもまたありがたい・・。
 真正面に富士山が見えることがある
2021-09-21 東京医療センター5Fから見た駒沢公園(手前が陸上競技場) 右は駒沢公園を縦断する駒沢通り
9月22日(水) <最近の郵便切手は面白い・・・>
最近の郵便切手は面白い。気合が入っている。今はほとんどメールやLINEなどを使うので郵便を使うことは少ない。来月に開催される陶芸の展覧会の案内ハガキ(地図付き)が出来上がっているので友人、知り合いに配布しようと宛名書きを始めた。ハガキの切手は63円。家にある切手と郵便局で買い集めた切手を見るだけで楽しくなるものばかり。単純な標準切手でなく色々な「シリーズもの」が非常にユニークだ。「江戸ー東京シリーズ」には浴衣、和紙小物、甘味、乾物、調理器具など10種類の切手、「楽器シリーズ」は、薩摩琵琶、三線、篠笛、箏、尺八など10種、また「おいしいにっぽんシリーズ」他まだまだ種類が豊富だ。ハガキ用の63円切手がこれほど豊富であることを知らなかった。電子メールに押されて絶滅するのでないかと懸念される郵便事業で切手に決して手抜きをせず質が高いところに日本の文化を感じる。メールやLINEでは必要以上にスタンプや画像が入りすぎるとうるさくなる。ハガキは切手だけに限定されるから良いのかもしれない・・。
9月23日(木) <今日は秋分の日・・・>
今日は秋分の日。秋の彼岸の中日でもある。9月10日&16日に息子の墓参りをしたが、今日はまた今月三度目の墓参り。一週間前の16日にはお寺の境内の大イチョウに銀杏(ぎんなん)が鈴なりで、「銀杏の落つるを待ちて拾ひけり」の俳句をコラムに入れて、お彼岸には銀杏拾いをやろうと楽しみにしていた。ところが、今日の大イチョウの周辺は綺麗に掃除されおり、銀杏拾いどころではない。恐らくはこの一週間の銀杏の掃除には大変な手間隙をかけたのだろう。大イチョウの樹木になっていた多量の実も一週間であっという間になくなっている。・・植物の”無常”を知らされたことがもう一つある。知り合いから頂いた「胡蝶蘭」を玄関に飾っていたが、今日になって妻が最後の花といって一輪の花を持って来た。コップに入れた花は老い先は関係なく実に見事だったのでアップの写真を撮った(下)。胡蝶蘭は花が長持ちする種であるというが、いつまでも咲き続ける花はない・・。
 
2021-09-23九品仏浄真寺(東京・世田谷区)の大イチョウ  胡蝶蘭(左は二週間前、右は最後の一輪)
9月24日(金) <毎日、夕食前にWii・・・>
毎日、夕食前にWii(任天堂の家庭用据置型ゲーム機)で体重計測と同時にバランス年齢計測を行うのが習慣となっている。今日は、スタート時、回数が3893日目とでた。Wiiは2006年にゲーム機として発売されて大ブームを起こした名品だが、今は同じものは発売されていない。種々のゲームが楽しめるが、私は10年以上前から専ら「WiiFit」という「身体計測」を使用している。バランスWiiボードという台の上に乗ると、まず重心の判定と同時に体重とボディマス指数(BMI)が算出される。乗る人は登録されているのでグラフで二週間の変化を見ることもできる(誕生日には”おめでとうございます、〇〇歳ですね、などのコメントも出る。)続いて行うのが「バランス年齢計測」。基本バランステスト、片足立ちテスト、敏捷性テスト、静止テスト、ウォーキングテスト、判断力テスト、記憶テスト、動作予測テスト、周辺視野テストなどのテスト項目があり、毎回ランダムに二種類のテストが提供されて、バランス年齢が判定される。10年以上続けているので要領は分かっているが、それでも自分の得手不得手があり、またその時点での体調も反映される。重心を一点に集中させて行うテストは成績が悪く、記憶力テストでは満点がとれる。本日は、何と体重を測るときの重心判定が左右50-50のパーフェクト(滅多に出ることでない)。バランス年齢計測の成績は37歳だった。ちなみに、前の4日間を書き出すと、32-31-72-25歳。年齢の絶対値にはほとんど意味はないが、今日の体調を見る上で参考にできるのでまだ継続してみるつもりだ・・。
9月25日(土) <朝から元気が出ない・・・>
朝から元気が出ない。寝起きも悪かったが原因は直ぐに思い当たった。起床する前に床の中で、何故かこれまで私が創った陶芸作品が私の亡き後にどうなるかを考えてしまったのである。これまで、そんなことを気にもしなかった。なるようになるのが私の基本姿勢であった。陶芸の作品は焼却することができない。茶碗や皿のように使えるもの以外に私の場合は役にも立たない作品が山とある。今日はたまたま役に立たない大型の新作品が出来上がる予定であったので、無意識に頭が陶芸作品の将来に向いたのかも知れない。確かに今の状態で20年間に蓄積された作品を引き継ぐのは容易ではない。妻とこんな話をすると、陶芸作品はまだまし、彫刻家の残した作品を引き継ぐと、どうするのだろうと話が飛んだ。私は一瞬、先日のコラム(=9/13=ここ)に書いた「末期(まつご)の眼」を思い出した。芥川龍之介や川端康成が言及している「末期の眼」は死を思って物事を見ると眼は独特になること。川端康成は末期の眼は芸術の極意とも言った。末期の眼で作品を創り上げるのなら分かるが、そのまた後を心配するようでは何のプラスにもならない。・・それでも午前中、陶芸教室に行き新しく粘土をこねて作業をやっていると雑念がなくなり少々元気が湧いて来た・・。
9月26日(日) <今朝のテレビ・NHK日曜美術館・・・>
今朝のテレビ・NHK日曜美術館(am9.00~)で東京都現代美術館で開催中の「GENKYO横尾忠則」展が取り上げられていた。横尾忠則さんは1936年生まれの85歳。今なお精力的に描く姿も紹介されていたが、自由闊達な筆遣いの中に私は細やかな誠意も感じた。展覧会のタイトルであるGENKYOは「原郷から幻境へ、そして現況は?」とされている。横尾自身が言っているが、自分はどこから来たのか、どうやって生まれて来たのか、そして生命が終わってどこに行くのか、どこに帰るのかを、常に考えて制作に励む(死は終わりでなく昔の世界に帰ると考えているとか)。これは、まさに「末期の眼」(川端康成が芸術の極意とした)そのものでないか!横尾はグラフィックデザイナーから画家に転身しただけでなく常に自らを変革しながら実に幅広い分野で創作を続けている。これは是非展覧会に行かなければならない・・。・・下に掲載する写真は、また駒沢公園の入り口にあるサルスベリ(百日紅)。9月1日のコラムで掲載したサルスベリと同じもの。いまだに多くの花を咲かせる百日紅に敬意を込めて大きな写真とした・・。
2021-09-26駒沢公園にて
9月27日(月) <表紙に「オブジェ<兼>水盆(上下逆にて)」・・・>
表紙に「オブジェ<兼>水盆(上下逆にて)」(陶芸作品)を掲載した。タイトルは適当。8月15日と21日他のコラム(=ここ)に粘土の写真を掲載した作品が完成したもの。そこでも書いたが、訳のわからぬ文様はディープラーニング(Deep Learning)というコンピュータが行う人口知能技法をモデル化した図形(情報の入力層と出力層の間に膨大な層が重なり合い、これを処理して結論を導くといったやり方)。真上から見た図形を下に掲載するが、ただの文様として面白いので借用したまでで正確な図形でもなく、深い意味もない。ただ、このような従来の発想にはなかった図形は文様としても新鮮味を感じるのは確かだ。オブジェを上下逆さまにすると水を入れる容器となる(陶芸コーナー=ここ=に写真)。花を入れて花器ともできるし小さな池として遊ぶこともできる。完成品を見ると好みは分かれるかも知れないが、制作者としては思う存分やりたいことを付加できるこのような作品は楽しかった。強いて言えば釉薬掛けの仕上げをもっと強烈に特徴を持たせてもよかったかも知れないが・・。
 
9月28日(火) <駒沢トレーニングルーム・・・>
駒沢トレーニングルームに行って1時間余筋トレをした。この施設は正式には「駒沢オリンピック公園総合運動場」(東京都スポーツ文化事業団管轄)のトレーニングルームになる。昭和39年(1964)に開催された東京オリンピックの時には第二会場として使用されたのが、この運動施設。屋内球技場では日本の”金メダルポイント”が叫ばれたバレーボボールが行われた。サッカーの競技場であった陸上競技場の一角に今の「トレーニングルーム」があるが、当時のオリンピックではサッカーはほとんど話題にならなかった。57年前の東京オリンピックの時には私は大学院に在学中で神宮の国立競技場で観戦した記憶もある。今年の東京オリンピックは新型コロナ蔓延下で何とか開催はできたものの無観客など残念なことばかりだった。東京では、新型コロナ感染者が昨日154名、今日248名と激減してきた。非常事態宣言も解除されそうだ。・・トレーニングの後、駒沢公園の中央広場に行ってみると人の姿が極めて少ない。”密”でないのはいいとして、やはり人数がいないと活気が出ない・・。
 
2021-09-28 駒沢公園(東京・世田谷区)にて 左奥の建物が屋内競技場


9月29日(水) <今日の夕刻、自民党新総裁・・・>
今日の夕刻、自民党新総裁に岸田文雄氏が選出された。岸田、河野、高市、野田の4名での総裁争い。1回目の投票は大方は河野氏優勢の予想であったが、岸田256票、河野255票と1票差で河野氏は2位。1位が過半数には至らぬので決選投票の結果、岸田氏の圧勝となった。・・日本の政権を競う選挙を見ていて、つくづく日本は平和で穏健だなぁと思う。首相であった安倍さんも菅さんも自らの判断で身を引いた。政権トップから退いても勿論、生命に別条はない。同じ党内での主導権争いをしながら相手を極端な策略でおとしいれたり訴えたりすることもない。日本では地位を譲っても平穏な生活は保証されるのが当たり前だが、海外では通用しない。・・このコラムでは原則、政治ネタは取り上げないことにしているのに書いてしまった。何事も批評はできるが前向きの意見は容易ではない。特に政治に関わることは単純に触れられない。・・下には玉川神社の写真を掲載。家から往復約1時間、等々力(とどろき)方面に歩いた時の写真・・。
2021-09-29 玉川神社(東京・世田谷区等々力)右は境内の名木クスノキ
9月30日(木) <台風16号が関東に接近中・・・>
台風16号が関東に接近中。明日は東京でもかなり影響を受けるかも知れない。東京では今朝は穏やかな晴れであったが、徐々に雲が広がってきた。雲の動きは早い。・・今日の写真には昼前に撮影した雲を掲載する(下)。最近「雲」を見ていると現実を忘れてスケールの大きな歴史に頭が向かう。東京の渾然とした建造物は視界から外す。雲だけを見ていると、江戸時代、鎌倉時代、平安時代の人々がこの雲と全く同じ風景を見ていたことに気がつく。更に、弥生、縄文の人も同じ雲を見ていた。それぞれの時代の文明、創造物と一切関係なく雲が存在する。何千年、何万年もの間、人は変わらず雲に感動し、雲の動きに祈りをこめていた。今の時代、雲の発生のメカニズムは解明されており動きの予想はできるといっても、人がコントロールできるものではない。空を見上げて、雲、地球、そして宇宙に考えを及ぼすと、世間の騒ぎが何とも小さく見えることか。アレ、まだ午後4時というのに雨が降り始めた・・。
2021-09-30
これまでの「今日のコラム」(総括版)に戻る

 Menu + Picture + Ceramics+ Gallery + Corgi + Special + Links